今日もkojitakenに悪口する(2023年1月22日記載)(追記あり)(副題:維新・容認の松竹を美化する「自称・アンチ維新」のkojitakenに呆れる)

山本太郎、「大島(九州男)さんが『居座れば』5年できるところをみんなで回すことに賛成してくれた」と発言し、長年の協力者・村上さとこ北九州市議を怒らせる(呆) - kojitakenの日記
 kojitakenには「くだらない」と心底呆れます。問題は「ローテーション」が理屈として正しいかどうか*1であって「大島の長年の支持者らしい(そのため、大島支持の思惑でれいわに協力した)村上北九州市議が憤慨してる」なんてことはどうでもいい話です。逆に村上が「ローテーションを支持する」と言ったところでkojitakenも「長年の大島支持者・村上氏も賛同してるのだからローテーションに問題は無い」等とは言わないわけですし。


松竹伸幸氏の新刊『シン・日本共産党宣言』を『しんぶん赤旗』が批判。松竹氏はこれに対して赤旗紙上での反論を要求 - kojitakenの日記*2
 「『日米安保堅持』を主張する松竹の右翼的安保政策には賛同できない」とする社民党支持者まことんに対し、「反共右翼」で「日米安保支持者」id:kojitakenが「松竹は右翼ではない」と強弁しているのには心底呆れます(所詮、「れいわや維新、泉」を右翼と批判するkojitakenの反右翼とはその程度の代物にすぎないわけです)。
 「日米安保支持者」kojitakenにとっては「日米安保堅持」は右翼ではないのでしょうが、日米安保に否定的な論者(まことん氏や日本共産党執行部、なお俺もその一人)にとっては松竹は「許すことのできない右翼」であるというまともな理解もkojitakenにはできないようです。
 しかもkojitakenが松竹を右翼認定しない根拠として持ち出すのが

 私が必ずしも好まない*3松尾匡の分類によると「内か外かで内を選ぶのが『右』で、上か下かで下を選ぶのが『左』」とのこと

と言うのだから呆れます。第一に松尾氏の定義は「彼の個人的定義」に過ぎず通説でも何でも無い。第二に松尾氏を散々「れいわの支持者」として悪口していた人間が何でこういうときに松尾氏を自説の根拠として持ち出すのか。松尾氏に対してkojitakenはあまりにも態度がデタラメです。
 まあ、kojitakenの支持政党である社民党は「日米安保堅持」の立場なので、kojitakenが日米安保「堅持」(明らかに日本共産党の方針に反する)を主張する松竹に何の疑問も感じず、そうした松竹を批判するまことん氏*4日本共産党執行部を理解できないのも無理はないのかもしれませんが、いい大人が「お前等が松竹の日米安保堅持論を右傾化だとして松竹を批判しても俺はそうは思わない」というくだらない物言いも大概にして欲しいもんです。
 それにしても「日米安保の現状」に対して何の批判的意見ももってないらしいid:kojitakenの「反動右翼性」には心底呆れます。日米安保の存在こそが「岸田の大軍拡(kojitakenは反対だそうですが)」を助長しているという理解もないのか。
 なお、俺のようなkojitaken批判は「日米安保批判派(志位執行部支持者に限らない、というかまことん氏は志位執行部支持ではない)」からは当然あるでしょうが、1)kojitakenが「無名の凡人*5」なのでそもそもコメントが少ない上に、2)狭量で低劣な人格のkojitakenは批判コメントを掲載拒否して恥じないので、たぶん批判コメントはつかないのでしょう。
 なお、俺個人は既に「狭量で低劣な人格のkojitaken」にコメント投稿拒否設定にされています。
【追記】
 「日米安保容認のkojitakenの立場なら松竹を右翼認定しないのは当然だろう」と書いた後で「いや、kojitakenの立場でもまことん氏同様、松竹を批判しないとおかしいのでは?。」と気づきました。
 というのも、今日も松竹伸幸に悪口する(2023年1/19日分) - bogus-simotukareのブログでも批判しましたが松竹は

本日は党首選挙の出馬記者会見 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba
 共産党野党共闘の仲間に入れないのは、安保・自衛隊問題をめぐる基本政策の違いにある

と書いているからです。この松竹の言う野党共闘とはどう見ても「維新、立民の共闘」でしょう。松竹は明らかに「志位執行部は維新と共闘しろ」と言っている。そしてkojitakenは松竹とは違い「維新と共闘する今の立民に批判的立場ではなかった」のか?
 kojitakenが1)アンチ志位執行部をこじらせるあまり、松竹が維新容認でも批判しないで、松竹をただ美化してる不誠実なクズなのか、2)松竹の文章をまともに読んでないので彼が維新容認と気づかないバカなのかはともかくお粗末なもんです。
 1)なら、kojitakenの言う「アンチ維新」とは「アンチ志位なら維新シンパでも美化する」デタラメ極まりない代物だし、2)ならば散々「kojitakenがバカ扱いしてる俺」ですら読み取れること*6を松竹の文章から読み取れないkojitakenは「文章理解能力に著しく欠けるバカ」としか言いようがない。
 文章読解力がないバカか、不誠実なクズか。いずれにせよ改めてkojitakenの「どうしようもないバカ野郎であること」が明らかになりました。
 なお、

日本維新の会の「二股膏薬路線」は、立憲民主党をだませても国民には通用しない、「岸田降ろし」が起こらない理由(3)、岸田内閣と野党共闘(その34) - 広原盛明のつれづれ日記
 伸び悩む党勢を維新との「共闘」によって打開しようとする立憲の苦肉の策は、早くも通常国会前に破綻を見せ始めている。立憲は維新との「共闘」によって党勢の拡大を目指したにもかかわらず、政党支持率は逆に昨年12月の5.5%から2.5%へ半減し、2020年9月の旧国民民主党との合流以来の最低値を更新した。それに比べて、「支持政党なし」は58.7%へと急騰している。維新の「二股膏薬路線」に乗せられた立憲民主党の未来は限りなく暗い。

と言う記事が指摘するとおり「維新、立民共闘」は立民にとって完全に泥舟と化しています。「維新と共産の共闘」を主張する松竹はこの辺りどう考えてるのか?。共産が維新と共闘すれば「支持政党無し」「れいわや社民」に支持が流れて、共産支持率は立民同様に低下するでしょう。そんなこともわからないほど松竹はバカなのか?(なお「維新、立民共闘」は立民にとって完全に泥舟と化しています。「維新と共産の共闘」を主張する松竹はこの辺りどう考えてるのか?。共産が維新と共闘すれば「支持政党無し」「れいわや社民」に支持が流れて、共産支持率は立民同様に低下するでしょう。そんなこともわからないほど松竹はバカなのか?は松竹記事批判?いえ、共産党が必要だという叫びです | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Amebaに投稿しましたが恐らく掲載拒否でしょう。松竹のクズさ、デタラメさには心底呆れます)
【追記終わり】

 福岡市長選に立候補*7したこともある共産党職員*8がこのように書いた意味合いは非常に重い。
松竹伸幸『シン・日本共産党宣言』 - 紙屋研究所

 その程度で何が「非常に重い」んですかね。むしろ「松竹に平然と同調する」ような「反党分子の紙屋」ですら「出馬当時は反党性を隠していた」にせよ出馬できる共産党は「一般に思われてるよりも自由度のずっと高い政党」と思わないらしい「反共右翼分子」kojitakenにはいつもながら呆れます。ということでid:kojitakenさん、俺は紙屋のことを「別に崇拝してない」のですよ(むしろ紙屋の右翼的安保論には否定的)。以前「崇拝してる」と根拠もなくデマ飛ばしてましたけど。
 俺個人は松竹や紙屋のような「身の程の知らずのバカ(大して能力も人望もないくせに本を出したくらいで調子こいてるバカ)」や「id:kojitakenのような反共バカ」を図に乗らせたくないので「あえて言えば」「どちらかと言えば」、「公選制反対*9」ですが「公選制にしてもバラ色の未来など無いこと(恐らく公選制にしても志位氏が委員長になるだろうし、他の人間がなったところで今の志位路線が大幅に変わることもあり得ない)」を明白にするために「公選制を採用してもいいのではないか」という「天邪鬼な気持ち」も一方ではあります。

https://twitter.com/emil418/status/1616736350233047046?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1616736350233047046%7Ctwgr%5E257647036a72907f3ab8ac8ce54859ae386fa4c8%7Ctwcon%5Es1_&ref_url=https%3A%2F%2Fkojitaken.hatenablog.com%2Fentry%2F2023%2F01%2F22%2F104842
𝐄𝐌𝐈𝐋
 なんで支持もしてない政党の党首*10のことが何でそんなに気になるのかほんと不思議。延々と粘着して論って。いじめだろ、もはや。こっちに影響がない限り(ボーガス注:共産党に限らず)支持もしてない党の内部で何があろうと私は意見はしないようにしてる。余計なお世話だから。なぜ党内で話し合って決めた事にいちいち口挟んでくるのかマジで意味が分からない。

 こうしたEMIL氏の主張には「党外の共産支持者」である俺も全く同感ですね。kojitakenは否定的ですが。
 なお、こっちに影響がない限りというEMIL氏の言葉を引用せずに故意に無視し

 馬鹿野郎、いったい何を抜かしやがる。そんなこと言ってたら岸田文雄安倍晋三を野党支持者や無党派層は批判できないし、泉健太は立民支持者以外には批判できないし、山本太郎は×××新選組支持者にしか批判できないことになってしまうぞ。こんなツイートは論外だ。

というkojitakenは「論外のバカ」と言うべきでしょう。
 こっちに影響がない限り、岸田や安倍、泉や山本を党外の人間が批判するのは越権行為でしょうし、「泉の野党共闘ぶち壊し(維新へのすり寄り)」「れいわのローテーション」など、こっち(党外の人間)に影響があるのなら批判は当然していい。勿論EMIL氏も「こっちに影響がある」のなら、志位氏を批判するでしょう。勿論彼は「影響がない」と思うから批判しないのでしょうが(このような文章を書くEMIL氏は俺同様、党外の支持者なのではないか)。
 大体、「野党党首」泉や山本はともかく、「日本国首相」安倍や岸田が批判される行為(安倍のモリカケ桜、消費税増税特定秘密保護法、岸田の大軍拡など)の多くは「自民党総裁としての行為(例:自民党規約改正による安倍の総裁三選)」ではなく「日本国首相としての行為」でしょうにkojitakenもどれほどバカなのか。志位氏や日本共産党に悪口したいがために、ここまで常識が欠落するのかと「反共右翼分子」kojitakenには心底呆れます。

 弊ブログは軍事費の大幅な増額自体にも絶対反対である。その最大の理由は、急激な人口減少に見舞われて近未来の経済力に大きな懸念が持たれるこの国において、軍事費を聖域として財政支出の増加を行うことは国家の自殺行為でしかないと考えるからだ。

 やれやれですね。
 kojitakenが軍拡反対の「最大の理由」に「平和主義」を掲げないことには「所詮その程度の反動右翼か」と心底呆れます。自称「社民党支持」だそうですが、社民党はこんな右翼的立場ではないでしょう。なるほどkojitakenが「軍拡反対」とは言っても「敵基地攻撃論反対(共産、社民などが専守防衛に反すると批判)」とは言わないこともよく理解できます。

 (かつては?)共産党系の憲法学者立憲主義をとらず、将来的な9条2項の改定を視野に入れていたこと*11を、「リベラル・左派」は歴史的事実として正しく認識しておいた方が良いと思う。

 なお、立憲主義の立場を取ったところで「9条はいかなる理由であっても改正不可」とはならないこと、つまり「九条改正論は立憲主義否定を必ずしも意味しないこと」は指摘しておきます。
 「国民主権」「三権分立」ほどには「憲法九条」は左派においても「全く改正不可」とは認識されてないでしょう。
 また

 「民主的・平和的条項」は擁護の対象となる

という長谷川氏*12の主張は「ある種の立憲主義」と見なせるのではないか(つまり長谷川氏が立憲主義を否定すると主張していたとして実質的には彼は否定できていない)。本当に立憲主義を全否定するなら「民主的・平和的条項」とて「国民の賛同がある」なら擁護する必要は何処にも無いからです。
 また長谷川氏のような共産党系の研究者に限らず、日本憲法学においては「立憲主義」と言う議論は最近まで(というか安倍政権誕生以前まで)それほどなされてこなかったように思います。「改憲にも限界がある」という立憲主義の主張は「改憲が現実化しない限り」あまり意味を持たないからです。またよほどきちんと論理構築しないと「単に個人的価値観から改憲したくない箇所を立憲主義と主張する、政治的主張に過ぎないのではないか(学問的主張とは言えないのではないか)」という批判も受けるでしょうし。

社民党自体が必ずしも社民主義に沿っているとはいえない(それどころか逸脱していると思うことすらある)から支持していないだけである。同党が本当の意味で社民主義政党になるのであれば文句なく支持する。

 社民党に説教する気らしいkojitakenには「上から目線も大概にしろよ」「無能で人望もない無名人が何様のつもりだよ」と心底呆れます。
 まあid:kojitakenのいう「社民党社民主義からの逸脱」とやらが全く意味不明なので「はあ?」ではありますが。

 先週末はまた激務で疲れてしまった。

 60歳前半の「定年退職者(つまり無職)らしいkojitaken」が何が「激務」なんでしょうか?(苦笑)。「無職のお前が何の激務だよ」と爆笑しました。自画自賛のための「一部のネトウヨの経歴詐称」同様に、kojitakenは自分の経歴を適当に捏造してはいないか?

*1:俺個人は正しいとは全く思いませんが。

*2:批判コメントの掲載拒否をして恥じない松竹が反論要求とは良くも抜かしたもんです。

*3:「必ずしも好まない」どころか松尾氏を「れいわ代表・山本太郎の子分」扱いし散々悪口雑言してきたくせに良くも言ったもんです。さすがに松尾氏を「自説の根拠」に持ち出すためには「必ずしも好まない」という「一部評価してるところもある」という書きぶりをするわけですが「嘘も大概にしろ」と言いたい。

*4:社民党支持のまことん氏ですが、この点では日米安保堅持という立場ではないようです。

*5:にもかかわらず、自分を「世間が重要視する論客の一人」とでも思ってるらしいkojitakenの思い上がりには心底呆れます。

*6:正直、上記の俺の松竹理解「松竹は志位執行部に維新との共闘を要求している」は「松竹が主張してもいないことを曲解したこじつけ」「正確な理解だが、高度の文章読解力が求められる(そう読み取れない人間がいてもおかしくない)」ではなく「普通の読解力があれば読み取れる話」です。kojitakenが本当に読み取れなかったのなら、彼の文章読解力がいかに低レベルかという話です。

*7:但し落選

*8:紙屋のこと

*9:まあ党外の俺が何を言おうとも意味は無いのですが。

*10:共産党の志位委員長のこと。

*11:長谷川氏の主張に関係なく、日本共産党が「社会党非武装中立論」に否定的で「自衛隊民主化」「大規模な軍縮」などの条件付きとはいえ、過去において「九条改憲による日本の軽武装」を主張したこと(但し、社会党等との共闘重視やそうした主張が自民党改憲論を助長しかねないと言う判断から『当面は九条護憲』の立場に途中で態度変更したこと)は俺にとって「常識の範疇」ですが世間的にはそうでもないのか?。

*12:1923~2009年。名古屋大学名誉教授。原水爆禁止日本協議会理事長、憲法改悪阻止各界連絡会議代表委員、愛知憲法会議代表委員、日本科学者会議代表幹事等を歴任。著書『憲法判例の研究』(1956年、勁草書房)、『憲法学の方法』(1957年、日本評論社)、『政治の中の憲法』(1958年、弘文堂)、『昭和憲法史』(1961年、岩波書店)、『憲法判例の体系』(1966年、勁草書房)、『憲法運動論』(1968年、岩波書店)、『憲法解釈の研究』(1974年、勁草書房)、『憲法現代史』(1981年、日本評論社)、『フランス革命憲法』(1984年、三省堂)、『憲法マルクス主義法学』(1985年、日本評論社)、『日本憲法学の系譜』(1993年、勁草書房)、『日本の憲法(第3版)』(1994年、岩波新書)、『憲法とはなにか』(2002年、新日本新書)など(長谷川正安 - Wikipedia参照)