珍右翼・高世仁に悪口する(2023年1/28日分)(副題:またも右翼・渡辺京二を褒める高世に呆れる)(追記あり)

アフガンの麻薬とタリバン③ - 高世仁のジャーナルな日々

 マイナンバーカードのポイントやらコロナ下でのGO TO*1やら、「お得ですよ」とお金やモノで釣られるとホイホイついていく国民に我々はなったらしい。

 「高世はアホか」ですね。「なったらしい」も何も

◆竹下*2政権でのふるさと創生事業 - Wikipedia
→全国の市町村に1億円ばらまき
◆小渕*3政権での地域振興券 - Wikipedia
◆麻生*4政権での定額給付金 - Wikipedia

など、昔から日本人の大半はそんなもんでしょう。
 原発や米軍基地といったいわゆるNIMBY - Wikipedia施設も「そうした利益誘導(補助金)」で押しつけられたわけです。
 日本人が最近そうなったわけでは全くない。自民党が万年与党である最大の理由は「こうした長年の利益誘導によって形成された自民党支持層の存在」です。
 また、戦前には「我田引鉄(政治家が自分の選挙区に利益誘導として鉄道路線を誘致、元ネタは我田引水)」と言う言葉がありました。
 「我田引鉄」でググったら、小牟田哲彦*5『鉄道と国家:「我田引鉄」の近現代史』(2012年、講談社現代新書)なんて本もヒットしました。
 今だって、新幹線路線は「我田引鉄」が疑われるし、例えば昭和時代にはこうした「我田引鉄」疑惑(荒船の地元である深谷駅を急行停車駅にした疑惑)で荒舩清十郎が運輸相を辞任しています。ちなみに荒船と言えば放言癖の酷い人間としても悪名高い。
【参考:我田引鉄

【我田引鉄の代表格】大船渡線が遠回りしている理由とは?[史上最長片道切符の旅(69)] | Pass-case.com
 これから乗車するのは、我田引鉄の代表格と言われる路線です。
 それが、一ノ関〜気仙沼〜大船渡を結ぶ大船渡線です。特に一ノ関〜気仙沼で、大きく迂回している線形は鍋鉉線と呼ばれており、どう考えても非効率的な大迂回。
 一体どうしてこんな形になってしまったのでしょうか?
 元々の計画では道路と同じように、門崎〜千厩はまっすぐ抜けることになっていました。
 しかし、立憲政友会の後押しで摺沢から立候補した佐藤良平が、1920年衆議院議員選挙で当選。摺沢を経由してから、千厩を通らず直接大船渡へ向かう計画に変更されました。
 立憲政友会を率いたのは原敬*6首相ですが、地方に鉄道を建設することで、党勢拡大を目論んでいました。山田線を建設する時、議会で「猿でも乗せるつもりか」と野次られたのも有名です。
 千厩の住民は何とかして鉄道を取り戻そうと、(ボーガス注:立憲政友会と対立する)憲政会*7に頼って誘致を展開。1924年の総選挙で(ボーガス注:加藤高明*8総裁が率いる)憲政会が第2党から第1党へ返り咲くと、摺沢からは千厩を経由するように再び計画が変更され、現在の線形となりました。
 摺沢駅の前には、鉄道を呼び込んだ佐藤良平・秀蔵親子の胸像が置かれています。

【参考:荒船の深谷駅疑惑&放言癖】

荒舩清十郎 - Wikipedia
深谷駅疑惑】
 1966年(昭和41年)8月、第1次佐藤*9第2次改造内閣の運輸相に抜擢されるが、10月1日からのダイヤ改正に際して、国鉄に要請して自分の選挙区(当時の埼玉3区)にあった深谷駅を急行停車駅に指定させたため、世論の批判を受ける。
 問題が表面化した9月3日の夜、荒舩は自宅で新聞記者に「私のいうことを国鉄が一つぐらい聞いてくれても、いいじゃないか」と放言した。9月12日の参議院運輸委員会でこの問題が取り上げられ、石田礼助*10国鉄総裁は「いままでいろいろ御希望があったのだが、それを拒絶した手前、一つくらいはよかろうということで、これは武士の情けというか」と答弁した。
 さらに、この問題を皮切りに、以下のような疑惑が次々と国会で追及されることになる。
衆議院決算委員長在任中の1961年2月、田中彰*11代議士(自民党)が関与したとされる大阪拘置所の土地交換に関わる恐喝疑惑に関し、田中とともに非公式に大阪に赴き、土地交換の関係者に面会していた。
運輸大臣就任直後の1966年8月に各業界との懇談会を開いた際、荒舩の個人後援会「瀞白会」の役員が、業者に後援会への加入を勧誘した。
◆1966年9月にソウルで開かれた日韓経済閣僚懇談会に出席した際、会議に関係のない民間業者2人を随行の形で同行させた。
◆後援会の会員が経営する上野駅の構内食堂の拡張を国鉄に陳情した。
 こうした一連の疑惑が積み重なり、荒舩は10月11日に辞表を提出した。
 翌1967年(昭和42年)の衆院総選挙で、埼玉3区から立候補した荒舩は、選挙演説で「代議士が地元のために働いてどこが悪い。深谷駅に急行を止めて何が悪い」と演説し喝采を浴びると共に、そのあまりにもストレートな地元至上主義的な内容でマスコミ関係者の度肝を抜いた。
【放言癖】
 1972年(昭和47年)1月8日、自らの後援会「荒舩会」が開催した新年旅行の途上、列車内において講演し、その中で、1971年のいわゆる沖縄国会(第67回臨時国会)会期中の学生らによる抗議デモに言及し「社会党共産党はじめとして、あらゆる自民党以外の政党は、沖縄返還反対だといって学生をおだてて火炎ビンを投げさせる*12」「学生に火炎ビンを投げさしたり、竹やりで暴れさしたり、町中火をつけたりたのには日当五千円ずつ払って*13暴れさしたんだ。この金は隣の共産党の国*14からきている」などと発言した。
 この録音テープを日本共産党が入手して1月23日付の党機関紙『赤旗』紙上で暴露するとともに、24日の衆議院議院運営委員会において「公党に対するいわれのない誹謗」として追及。荒舩は「テープには『という噂がある』といった個所が消されている(共産党側は「そんな発言はない」「テープに加工などしてない」と反論)」などと釈明したが、25日に衆院副議長辞任に追い込まれた。

【参考終わり】

 昨年末に亡くなった、渡辺京二さんが、日本人のいいところを挙げてこう言っていた。
 古事記』以来、日本人は汚い心をとても嫌ってきた。神道でいう「清き心、明(あけ)き心、直(なお)き心」、これこそが日本人の一番の徳目だと思います。

 珍右翼・高世仁に悪口する(2022年12/31日分)(副題:極右活動家・渡辺京二を褒める朝日新聞に呆れる、ほか) - bogus-simotukareのブログでも批判しましたが高世もよくもまあ渡辺京二のようなデマ右翼を褒められるもんです。
 大体ここでの神社美化は明らかに事実に反する。高世や渡辺は「神社本庁」が未だに日中戦争、太平洋戦争を美化してることを何とも思わないのか。神社本庁の戦前美化の何処が「日本人は汚い心をとても嫌ってきた。神道でいう「清き心、明(あけ)き心、直(なお)き心」、これこそが日本人の一番の徳目」なのか。
 そして今日もkojitakenに悪口する(2022年12月30日記載)(副題:高世仁を褒めるkojitakenに呆れる)(追記あり) - bogus-simotukareのブログでも批判しましたが、こんな高世をよくもまあ「アホの子」id:kojitaken「映画『ミスター・ランズベルギス』を観て」、「嘘の上に立つ偽りの帝国(ランズベルギス)」(「高世仁のジャーナルな日々」) - kojitakenの日記で褒められるもんです。
 kojitakenは「れいわの山本」を「右翼」と悪口していますが「あえて言えば」id:kojitakenが褒める高世の方が山本よりもよほど「レベルの低い右翼」でしょう。山本には「高世ほど酷いウヨ言動」はなかったかと思います(ローテーションは問題発言だが極右言動ではないし、天皇直訴や「れいわ新選組」というネーミングも俺から言わせれば、高世の右翼言動よりはずっとマシ)。
 結局kojitakenの場合、「右翼反対」という論理ではなく「俺の嫌いなボーガスが非難してるから逆張りで高世を擁護しよう」という感情論で話をするからそういう矛盾が生じる。
 kojitaken自身が平然と

×××新選組は「ティール型組織」でも「ピラミッド型組織」でもなく「衝動型組織」では? - kojitakenの日記
 私には(中略)過去に蒙った嫌な思い出がまざまざと思い出された。それは独裁者タイプの上長に人事異動直前に決まっていた人事をひっくり返されて全く望まない部署(つまりそいつの下)に移された件だ。非常識な人事行使をやらかす山本太郎タイプの独裁者*15だった。私が山本を蛇蝎のごとく嫌うのはそいつと同じ匂いがするからかもしれない。結局その部署は業績がふるわず解散に追い込まれて*16私自身も転職したのだが、件の独裁者は大企業の偉いさんであり、彼もまた転職したものの転職先で役員に登り詰めた。しかしそこでも好き勝手に振る舞ったような気配*17がある(詳しいことは知らないが)。

として山本批判が「単なる個人的なくだらない感情論に過ぎないこと」を認めています。id:kojitakenもどれほどバカなのか。
 大体、俺のコメント投稿を拒否して恥じない野郎が良くも「独裁体質は悪」等と抜かせたもんです。kojitakenこそ独裁体質ではないのか。
 「話が脱線します」がちなみに俺的に非常識な人事と言えば

寺脇研 - Wikipedia
 2002年、大臣官房審議官から外局である文化庁文化部長*18へ異動となった。2006年4月、退職勧奨を受けるが、小坂憲次文部科学大臣に慰留されたこともあって辞職せず、いわゆる中二階ポスト(部長級ポスト)から寺脇のために新設された課長級ポストに当たる大臣官房広報調整官へ就任するという異例の降格人事となった。その後、2006年11月10日付で文部科学省を辞職。
 現在は京都芸術大学教授、学校法人瓜生山学園(京都芸術大学の運営母体)理事。学校法人コリア国際学園理事。

ですね。
 俺も「霞ヶ関人事」のことなど素人なので知りませんが「部長級→課長級(しかも新設ポスト)」とは、明らかに「ゆとり教育(そして寺脇氏)を敵視する一部自民党議員」に迎合した「不当な降格人事」でしょう。
 寺脇氏が

『これからの日本、これからの教育』(ちくま新書、2017年)共著:前川喜平
『この国の「公共」はどこへゆく』(花伝社、2020年)共著:前川喜平

として「加計告発」で自民党の攻撃を受けた前川氏と共著を出すことに躊躇ないのも「降格人事」により古巣への愛着がなくなったからでしょう。
 なお、俺が高世を蛇蝎のごとく嫌うのは奴が「荒木和博」「野村旗守*19」「三浦小太郎*20」「渡辺京二」などの「レベルの低いデマ右翼」と交遊して恥じないデマ右翼だからです。
 俺はデマ右翼は大嫌いですので。高世を「デマ右翼」として批判できないkojitakenが「反右翼」を口にし、「高世のデマ右翼性を批判する」俺を「右翼呼ばわり」など、全くもって「できの悪い冗談」です。

【追記】
 コメント欄で指摘のある駅等について以下の通りメモしておきます。

鉄道と政治 - Wikipedia
岐阜羽島駅
 岐阜市大垣市では東海道新幹線の駅を誘致する運動が展開され、特に岐阜県の政財界では岐阜市寄りの北回りルートが要望された。産経新聞「戦後史開封」取材班によると、岐阜県の要望に対して国鉄側は、予定ルートよりも線路を大幅に北側へ迂回する必要があり、建設予算や名古屋駅以西の区間の所要時間が伸びる関係上、難色を示した。これに岐阜県や地元自治体側は激しく反発し、一時、国鉄岐阜県内での測量が出来ない状態に陥った。この為、国鉄岐阜県選出の有力国会議員であった大野伴睦*21に斡旋を依頼し、新幹線路線を迂回させる必要がない羽島市内に岐阜羽島駅を設置することで妥協案を成立させるというのが用意された筋書きである。
 実際は、国鉄岐阜県内の駅設置の必要性を認識して計画を進めていた。岐阜県知事が要請した大野と国鉄との交渉の際、国鉄は駅を作ることをあえて伏せ、「一駅作るなら地元を説得する」と大野にいわせて顔を立て、羽島市内に駅を設置することで妥協案が成立したように見せかけたのだという。
 国鉄職員だった須田寬*22によると関ヶ原ルートに決定されたとき豪雪地帯を通るため、除雪車の待機基地を設置できる駅の候補地として羽島が選定されたと述べている。また、大垣は市街地に近く除雪車が待機するだけの駅用地が確保できず羽島に選定されたことで立ち退きが少なくて済んだと述べている。須田は大野の影響について「駅名に『岐阜』を付けてほしいとは言ったようですが、伴睦さんが羽島に駅を造らせたということは絶対にない」としている。

鉄道と政治 - Wikipedia
中央本線岡谷駅 - 辰野駅 - 塩尻駅間(通称「大八廻り」)
 塩嶺トンネル開業前の中央本線において、中山道沿いに塩尻峠を超えず、天竜川沿いに南下し辰野駅伊那谷)を経由していたことに関して、当時の伊那谷地域選出の有力議員で、逓信省鉄道局長でもあった伊藤大八*23の政治介入があったと言い伝えられている。
 しかし、現在の塩嶺トンネルのような約6kmに及ぶ片勾配の長大トンネルの開削や、塩尻峠越えのルートにすることについては、明治時代は技術・費用・工期の問題で非現実的であると判断され、このために取られた迂回であるとの説も根強い。

浦佐駅(上越新幹線)
太郎の部屋 政治駅の疑惑についてその1 浦佐駅
 浦佐駅上越新幹線越後湯沢駅長岡駅の間にあります。越後湯沢駅のある湯沢町(8458人)は有名な観光地で、長岡駅のある長岡市(281260人)は新潟県の主要都市ですが、浦佐駅のある大和町(14598人)は非常に辺ぴな場所にあり、各駅列車しか止まりません。当初は鉄道利用者が多く、特急も止まる六日町(28366人)か小出町(12694人)に駅が作られると予想されていましたが、結局浦佐に設置が決まり、予想を裏切られた2つの町の人はかなり怒りました。上越新幹線が建設され始めたのが昭和46年(1971年)、新潟県出身の政治家、田中角栄*24が首相を務めたのが昭和47~49年(1972~74年)、ということで浦佐駅の建設自体に政治が介入しているのではないかと大いに疑われました。駅前には田中角栄銅像が建っています。

鉄道と政治 - Wikipedia
筑後船小屋駅(九州新幹線)
 鹿児島ルートにある筑後船小屋駅は、それまでの船小屋駅を約500メートル南に移設し開業したが、移設前の船小屋駅は、駅周辺に小さな温泉街と公園があるだけの無人駅であった。一説には古賀誠*25による影響とされ、「政治駅」ではないかとして一部週刊誌で報道された。

*1:今は全国旅行支援に改名

*2:佐藤、田中内閣官房長官、三木内閣建設相、大平、中曽根内閣蔵相、自民党幹事長(中曽根総裁時代)などを経て首相

*3:竹下内閣官房長官自民党副総裁(河野総裁時代)、橋本内閣外相などを経て首相

*4:橋本内閣経済企画庁長官、森内閣経済財政担当相、小泉内閣総務相、第一次安倍内閣外相、自民党幹事長(福田総裁時代)、首相、第二~四次安倍、菅内閣副総理・財務相を経て、現在、自民党副総裁

*5:著書『世界の鉄道紀行』(2014年、講談社現代新書)、『宮脇俊三の紀行文学を読む』(2021年、中央公論新社)、『改訂新版・大日本帝国の海外鉄道』(2021年、扶桑社)、『「日本列島改造論」と鉄道』(2022年、交通新聞社新書)など

*6:立憲政友会幹事長、第四次伊藤内閣逓信相、第一次西園寺、第二次西園寺、第一次山本内閣内務相などを経て首相

*7:後に政友会反主流派が離党して結成した政友本党と合同し、立憲民政党

*8:第四次伊藤、第一次西園寺、第三次桂、第二次大隈内閣外相、立憲同志会総裁、憲政党総裁などを経て首相

*9:運輸次官から政界入り。吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣通産相科学技術庁長官などを経て首相

*10:1886~1978年。三井物産社長、国鉄総裁など歴任

*11:1903~1975年。航空自衛隊の第1次FX問題(岸内閣)や九頭竜ダム建設工事落札疑惑(池田内閣)など、田中が衆院決算委で追及しながら結果として全容の解明に至らなかった疑惑や不正は多い。職権を利用して疑惑を追及する振りをしながら、疑惑の当事者から権謀術数で利益を私する田中の行為は、後に『政界のマッチポンプ男』という非難を受けることになる。1966年8月5日、以下の疑惑で田中は逮捕された。◆虎ノ門国有地払い下げ事件(恐喝):旧虎ノ門公園用跡の国有地の国際興業への払い下げをめぐり、当時田中が借金していた同社社長・小佐野賢治に「払い下げに疑惑がある」として決算委での追及をちらつかせて手形書き換えを強要し、更には借金を踏み倒した。◆深谷工業団地二重転売詐欺事件(詐欺):日本住宅公団から購入した埼玉県深谷市の工場用地を、転売の際の公団への許諾や工場立地のない場合の契約解除などの契約条件を告げずに大映社長・永田雅一に売却し1億円を詐取。◆習志野土地二重担保事件(詐欺・背任):小佐野に対し融資の担保として差し出した千葉県習志野市の土地を、その事実を告げずに東京温泉に売却し4772万円を詐取。◆丸善石油事件(恐喝):丸善石油社長・和田完二に対し社内の不正を株主総会で追及すると脅し3000万円を受領。◆大阪拘置所事件(恐喝未遂・偽証):大阪拘置所の移転に伴う土地の等価交換を巡って、旧拘置所の不動産を手に入れた会社役員を決算委員会で追及。さらに秘書を使って役員を恐喝するが未遂に終わり、起訴された秘書の裁判で田中は無関係を主張した。◆岡本町事件(偽証) :世田谷区岡本町に借りていた土地を(地主の承認を得ぬまま)又貸ししたことから地主が田中らを提訴。その裁判で田中側の証人が土地は賃借名目による購入とウソの証言をし、土地の詐取を図ったが未遂に終わる。◆脱税事件(所得税法違反) :田中が土地取引において他人名義での取引や取引の事実を隠す等の不正を行って約4億1000万円の所得を隠し、所得税約2億7000万円の脱税。田中は1974年に東京地裁で(深谷工業団地事件での詐欺が証拠不十分で無罪となったのを除き)起訴された容疑について懲役4年の実刑判決を受け、控訴中の1975年に死去して公訴棄却となった(田中彰治 - Wikipedia参照)。

*12:むしろ共産党新左翼学生の暴力行為には批判的で、対立していた。

*13:辺野古移転反対運動でもデマ番組で「居直り」/東京MX 「基地反対派に日当」という日当デマがありましたが昔から自民党などはこんなことを言っていたわけです。

*14:ソ連のことか?

*15:「個人情報なので詳細を書かずとも構わない」のですが、id:kojitakenの主張は「抽象的で具体性は皆無(kojitakenの勤務部署どころか、上司の個人名や会社名すら不明)」なので実際がどうなのかは不明です。むしろ「kojitakenの逆恨み」で「元上司には何ら落ち度はない可能性」すらあります。

*16:元上司の非常識さで「業績がふるわず解散に追い込まれ」たかのように印象操作するkojitakenですが「業績がふるわず解散に追い込まれ」た経緯について具体性皆無なので「はあ?」です。

*17:何でそんなことが部外者のkojitakenにわかるんですかね。マスコミに取り上げられるほどの大物で批判記事でも出たのか、はたまた「転職先の社員」に知人でもいたのか。あるいは単なる「根拠のない勝手な妄想」か。ここでのkojitakenの文章は徹頭徹尾「具体性皆無」なので「はあ?」としか言いようがない。

*18:ポスト的にはどちらも部長級で変わらないようですが、今思えばこの「外局への異動」も左遷だったのかもしれない。

*19:これについては例えば拙記事珍右翼・高世仁に悪口する(2022年11/5日分)(副題:デマ右翼・野村旗守を褒める高世に呆れる)(追記あり) - bogus-simotukareのブログを参照

*20:これについては例えば拙記事珍右翼・高世仁に悪口する(2022年12/27日分)(副題:未だに『つくる会理事』三浦小太郎を褒める高世に呆れる) - bogus-simotukareのブログを参照

*21:日本自由党幹事長(鳩山、吉田総裁時代)、衆院議長、吉田内閣北海道開発庁長官、自由党総務会長(吉田総裁時代)、自民党副総裁(岸、池田総裁時代)など歴任

*22:国鉄本社経理局資金課長補佐、営業局総務課長補佐、国鉄中部支社名古屋鉄道管理局総務部長、国鉄本社旅客局設備課長、営業課長、総務課長、国鉄名古屋鉄道管理局長、旅客局長、常務理事、JR東海社長、会長、相談役など歴任

*23:逓信省鉄道局長、立憲政友会幹事長、南満州鉄道(満鉄)副総裁など歴任

*24:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)などを経て首相

*25:橋本内閣運輸相、自民党国対委員長(小渕、森総裁時代)、幹事長(森総裁時代)、選対委員長(福田、麻生総裁時代)など歴任