『韓国の衝撃の出生率0.78』&『確かに「合計特殊出生率2.95(岡山県奈義町)」はすごいと思うが、果たして少子化対策の参考になるのか?(疑問)』&『峰竜太の出身地が長野県下條村だと知る』(2023年2月23日記載)

韓国 出生率「0.78」7年連続過去最低 少子化歯止めかからず | NHK | 韓国
 日本ですら1は超えてるので「ええ?」「マジで?」と絶句ですね。もしかしたら「世界最低」ではないか。
 いずれにせよ、これはやはり儒教文化圏の国々は少子化になりやすいのだろう - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)韓国の出生率、過去最低の0.78「賢い人ほど産まない」男尊女卑の格差社会 日本との共通点は:東京新聞 TOKYO Webということ(儒教文化が少子化を助長)なのでしょう。


岸田総理 合計特殊出生率2.95 “奇跡のまち” を訪問 「異次元の少子化対策」の参考に【岡山・奈義町】(RSK山陽放送) - Yahoo!ニュース2022.2.20

 いま「2.95」という数字が全国的な注目を集めています。実はこれ、岡山県奈義町の女性1人が「生涯に何人の子どもを産むのか」を推計した、合計特殊出生率の値です。
 全国平均より約1.6ポイント高く、全国的にもトップクラス。このことから奈義町は「奇跡のまち」と呼ばれ、注目を集めているのです。
 これを受けて、きのう(20日)「異次元の少子化対策」を掲げる岸田総理が現地を訪問し、子育て支援施設など奈義町独自の取り組みを視察しました。

 「異次元の少子化対策」でググって偶然見つけた記事です。
 このように岸田ですら「少子化対策」などいろいろな人気取りに励んでるのに「安保施策しか論じない松竹のバカ」には「生活問題を論じないで党勢が拡大すると本気で思ってるのかよ(呆)」「松竹の顔を思い切り、平手で張り飛ばしてやりたい」「お前はアホか(横山ホットブラザーズ)」「あんたバカァ? (あんたばかぁ)とは【ピクシブ百科事典】」「反党分子はとっとと離党しろよ」「松竹ごときを美化したり、支持したりするアホな連中の気が知れない」と思いますがそれはさておき。
 無知なので今回初めてこの町のことを知りました。
 確かに「2.95」という数字は今の日本では「驚異的」です。岸田の視察について、岡山放送が「岡山の誇り」として好意的に描くのも分かります。我がテレビ埼玉大河ドラマ(『蒼天を衝け』の渋沢栄一、『鎌倉殿の13人』の比企能員畠山重忠)などで埼玉が取り上げられれば大々的に報じますので(とはいえ、岡山はともかく、全国的には岸田の視察はあまり話題になってない気がしますが)。
 しかし「統計マジックによる『見た目の増加』にすぎない(町の少子化対策が成果を上げてるわけでは残念ながらそもそもない)」や「実際に町の少子化対策が成果を上げているが、奈義町独自の特殊事情が大きく、残念ながら全国に敷衍できる話ではない」等という落ちが一番ありそうに思います。例えば後で紹介する「奇跡の村・長野県下條村」も

「奇跡の村」のその後――人口増から人口減へ 再起に挑む下條村 - Yahoo!ニュース
村の合計特殊出生率は、全国平均を大きく上回り、2001年から2010年までの10年間の平均値が2.0を超えた。

ということで「一時期、出生率は驚異的高さだった」ようですが、どう見ても「村独自の特殊事情が大きく、残念ながら全国に敷衍できる話ではない」でしょう。
 俺も素人なので詳しい分析など到底できませんが。
 なお、これが「栃木(茂木幹事長の地元)」「和歌山(二階元幹事長の地元)」「山口(故・安倍の地元)」「福岡(麻生副総裁の地元)」などだと「派閥ボスなど自民幹部への岸田のこびへつらい」の可能性もあるでしょうが岡山なのでそう言う話ではないのでしょう。
【参考:奇跡の村『下條村』】 

下條村 - Wikipedia
 人口減少に危機感を感じた伊藤喜平が1992年に村長に就任し、1997年度から「子供がいる、結婚の予定がある」などの入居条件を課した、低家賃の村営「若者定住促進住宅」を整備した。その結果、出生率が全国平均を上回るようになり、2004年度の出生率は2.59%、2014年度の出生率は2.03%。他の自治体関係者からは理想を実現させた村として熱視線が送られ、省庁、大学等など500以上の団体が視察に訪れるなど「奇跡の村」と呼ばれるようになる。
 しかし、2015年の国勢調査結果では、人口は再び4000人を大きく割り込んだ。
 その原因について、久繁哲之介*1『競わない地方創生:人口急減の真実』(2016年、時事通信社)は
◆各種施策が「子育て支援」に偏って「教育」に向けられていなかったこと。村内には高校もなく、近隣高校への通学バスの整備もされていないため、施行直後に流入してきた世帯の子供が中学校を卒業するなどを機に村外へ転出していく住民が多くいたこと
子育て支援策も、低家賃住宅の提供や医療費・保育料の減免など、いわば「カネで釣る」施策が中心であったため、近隣自治体が類似事業を始めると途端に埋没してしまったこと
をあげている。

「奇跡の村」のその後――人口増から人口減へ 再起に挑む下條村 - Yahoo!ニュース2020.1.31
 2000年代半ば、山間地の小さな村が、「奇跡の村」として注目された。長野県南部の下條村だ。きっかけは、わずか10年で総人口の1割近い人口増を達成したことだった。しかし、それから10年以上がたった今、村の状況は大きく変化していた。人口が減少に転じていたのだ。(ライター・庄司里紗/Yahoo! ニュース特集編集部)
 産業は農業が中心だが、ベッドタウンとしての側面もある。隣接する飯田市には精密機械の工場などがあり、飯田市に通勤する村民も多い。
 下條村は「奇跡」と呼ばれる人口増を実現させた。1990年代初頭に3800人余りだった人口を、徹底した財政改革と少子化対策によって、2005年には約1割増の4200人を超えるまでに回復させた。
 村の合計特殊出生率は、全国平均を大きく上回り、2001年から2010年までの10年間の平均値が2.0を超えた。山間地の小村としては異例のことで、この「奇跡」はテレビ*2、新聞*3、雑誌*4、書籍*5など、さまざまなメディアで取り上げられた。
 そんな下條村が昨今、移住定住政策に力を入れるのには理由があった。
 じつは、下條村の人口は2008年以降、減少に転じている。ピーク時には4227人を記録した人口は、2020年1月現在、3729人に。この10年余りで約500人、じつに1割以上も人が減っていたのだ。
 そもそも1990年代から10年間で1割の人口が増えた理由は何だったのか。総務課長の吉村善郎さんは、「若い世代を対象にした住宅政策が効果的だった」と語る。
「若い世代の移住・定住を促進するため、他自治体に先駆け、若い世帯向けの集合住宅を建設しました。これが成功し、人口が増えていったのです」
 下條村の総人口は1955年に約6000人だったが、1990年に4000人を割り込むまで減少した。悩んだ村が取り組んだのが若者を呼び寄せるための住宅政策だった。1997年、若者定住促進住宅、通称「メゾンコスモス」の建設を開始した。
 各室の広さは約65平方メートルの2LDK。2台分の駐車場付きで、家賃は3万円代半ばに設定されていた。当時、隣接する中核市飯田市内でほぼ同条件の賃貸物件の家賃が7万円前後。比べると、破格の安さだった。
 ただし、対象の入居者には「子育て中」や「結婚予定の若者」と条件を付けた。
 もくろみは当たり、真新しいメゾンコスモスは、周辺自治体の多くの若いファミリー世帯を惹きつけた。
 人口は増えていった。メゾンへの入居で若い世代の転入数が増えたうえ、子どもが次々と生まれたためだ。こうして下條村は、「子どもを産める奇跡の村」として注目されていった。
 2003年に第六メゾンに入居し、2012年頃まで居住した村民の小田亜弥さん(40)は、「メゾンは子育てに最高の環境だった」と振り返る。
 しかし、2006年を最後に、下條村はファミリー向けの新たなメゾンの建設をやめた。すると、2008年の4224人をピークとして、人口は減少していった。
 なぜファミリー向けのメゾンは建てられなくなったのか。その背景には「ライバルの出現」があった。前出の吉村さんが明かす。
「当初は村にメゾンを建てればすぐ満室になる状況でした。しかし2000年以降、周辺の自治体でも若者向け住宅がつくられ、下條村以外の選択肢が増えた。すると、メゾンへの入居希望者も減っていった。格安の賃貸住宅を用意するだけでは、移住先候補としての優位性を保てなくなったのです」
 人口構成も大きく変わった。メゾン建設期間の2005年と終了後の2015年を比べると、「25〜29歳」「30歳~34歳」の子育て世代が4割以上も減っていたのだ。
 村の総人口そのものが減っているとはいえ、子育て世代の年齢層だけが顕著に減ったのはなぜなのか。
 原因は一戸建ての土地の不足だった。
 前出の小田さんも住宅の購入には苦労したと話す。
「私たちも5人家族となり、2LDKのメゾンでは手狭になったため、村内に家を建てたいと考えました。ところが、家を建てるための土地が下條村の中になかなか見つからなかったのです」
 下條村は山あいの立地で平地が少ないうえ、農地以外の利用が厳しく制限される「農業振興地域」が多い。住宅用の土地はごくわずかに限られており、購入しようにも販売されていなかったのだ。
 幸運にも、小田さんは2012年に売りに出された民間分譲地の1区画を購入することができた。だが、こうした人は少数だった。家を求めるメゾンの家族は、結果的に周辺自治体に移ってしまった人が多かったという。
 「メゾンは賃貸住宅ですし、あくまでも仮住まい。入居者の多くはそう考えていて、実際に当時の仲間たちは皆、一戸建てを求めてメゾンを出ていきました。共に子育てをした家族のようなコミュニティーがバラバラになってしまったのはとても残念です」
 「メゾンの後」、つまり、子どもが増えた世帯が長く住み続けるためには、宅地や一戸建てが必要だった。それを用意できなかったことが、子育て世代が流出する大きな要因となった。
 事実、2009年から2015年までの6年間にメゾンを退去した145世帯のうち、およそ7割にあたる101世帯が村外に転居していたことがわかっている。
 こうした子育て世代の減少が出生数の減少につながり、さらに、高齢化による死亡数増加が人口減少に追い打ちをかけた。こうして下條村は、10年間余りでピーク時の1割以上の約500人減という急激な人口減に見舞われた。現在、村の人口は3729人。メゾン建設などの人口増計画の頃より少ない人口となった。
 「奇跡の村」の移住・定住政策は、失敗だったのだろうか。当時、下條村の総務課長として前村長とともに若者誘致に尽力した串原良彦さん(現・下條村教育委員会教育長)は、そうは考えていないと言う。
「10年で総人口の1割近く村民を増やし、10年かけて元の状態に戻った。ということは、20年間、過疎化と人口減の時計を止めたということですよ」
 村はその20年間に財政を健全化し、子育て支援を充実させ、図書館やホールなどさまざまな公共施設を整備した。それは人口減少が続いていたらできなかったことだ。
「あの時に住宅政策で手を打たなければ、下條村が多くの若者や子どもたちで溢れることはなかったし、『奇跡の村』と呼ばれることもなかった。それは失敗ではなく、大きな成果だったと言えるでしょう」
 2016年に村長に就任した金田憲治氏は、メゾン後の定住対策についてこう話した。
「村も、若年世代の転出に歯止めをかけることが急務とわかっていました。(村長就任以降は)メゾンを出た家族が購入できる宅地の造成を村の最優先課題として位置付け、候補地の絞り込みや調査を進めています」

 なお、話が脱線しますが「世界各地の共産党」がソ連崩壊後、苦しい状況にある中、「過大評価は禁物」とはいえ、国政に議席保有する日本共産党は「奇跡の共産党*6」と言っていいのではないかと、一支持者として思います。支持者として、ひいき目があることは否定しません。


【参考:峰竜太
 無知なので今回初めて峰の出身地を知りました。

好き。信州の味 著名人が語る郷土食|たべみごろ信州 信州の暮らしを体験する旅
峰竜太(俳優、タレント:下伊那郡下條村出身)
 私の実家はスーパーを営んでいて、「田舎のデパート」とでもいうような何でも扱っている店でした。小さなころの記憶では、常に両親は忙しく働いていました。それこそ自分は親の寝ている姿を見たことがないほどです。そんな両親の姿を見て育ったので、配達に行くなどごく自然に手伝いをするようになりました。
 私が郷土食と聞いてまず思い浮かべるのは、みりんと醤油で炊いた蚕のさなぎです。今では珍味と言われていますが、毎日のように食卓に並んでいました。また、ちくわカレーやさばの水煮を使ったカレー*7も定番でした。私が小さいころは白米もありましたが、麦飯が定番でした。白米を使った五平餅は親族が集まるときに出ました。それはやはり白米は少し貴重であったから、おもてなしの時に使われたのではないかと思います。郷土食とは違うかもしれませんが、家庭の味として大好きなのは桜でんぶやほうれん草などが入った太巻きです。
 今でも長野から東京へ帰るときに用意してもらうほど好きですね。

あの芸能人のふるさとで「夫婦やきもち」 (2005年2月22日) - エキサイトニュース
 長野県の南部、下條村は、タレントの峰竜太さんの出身地なのだそうです。
 峰さんのことは、テレビをほとんど見ない私でも知っています。地元としては鼻が高いことでしょう。
 下條村にある、道の駅「信濃路下條」に立ち寄ったとき、私はそれを知ったのですが、当然関連グッズも花盛りです。
 竜太生そばに、竜太うどん。さらに「竜太やきもち」という看板を発見しました。
 でも、どうやらお餅ではなく、ご飯をベースに煮豆・ニンジン・とうもろこし・ねぎ・かつお節などを入れて焼いたもののようです。
 あ、これ美味しい。なんというかな、カラフルな味がします。もっと地味な感じかと思っていましたが、ニンジンがいいアクセント。ファーストフードに慣れた若い人たちにもウケル味じゃないかなあ。
 ふっと隣を見ると、「みどりのやきもち」という看板もありました。こちらは、よもぎ入りなんですね、なるほど。って、あれ?
 みどりさんって、峰さんの奥様?
 海老名みどりさん*8って言いましたっけ?
 「みどりのやきもち」と「竜太やきもち」がセットになった「夫婦(めおと)やきもち」なんてものも売っていました。
 みどりのやきもちのお味は、よもぎの香りがして、これまた美味。両方等しく味わえる夫婦やきもちは、お手ごろ価格だし、話の種としても面白いかも。来られることがありましたら、是非*9

信濃路下条「そばの城」 長野県下条村 国道151号 : たべりゃあ、あそびゃあ、ひろくま先生のブログ2014年12月29日
 下条村はタレントの峰竜太さんの出身地だそうで、「竜太そば」「竜太まんじゅう」などの関連商品もあり、村の入り口には「峰竜太のふるさと」の看板もある。

道の駅 信濃路下條 | 特産品は竜太そばとおろしそば
 下條村は俳優の峰竜太の故郷。 本駅では峰竜太という「地元が生んだ大スター」を前面に押し出した物産販売が行われている。 代表的な商品は「竜太そば」。その他、「竜太の飴*10」という商品もある。 一昔前までは「竜太やきもち」という商品も販売されていた (海老名みどりを遠くからモジモジとヤキモチを焼きながら見つめる峰竜太が描かれたパッケージが面白かった)。 ところで、こんなことを言っては峰竜太氏に大変失礼だが、果たして、峰竜太を看板にした商品はそんなに魅力的なのだろうか。 例えば、「(ボーガス注:ジャニーズの)嵐そば」とか「(加山)雄三*11そば」とかであれば買いたいと思う人も多いのではないかと思うが、 ちょっと峰竜太さんは微妙な気がするが皆様はどうお考えだろうか。ちょっと買うのに恥ずかしい気分にならないだろうか。 例えば村名を付けた「下條そば」と「竜太そば」があれば、私なら迷わず「下條そば」を選ぶのだが。

 なお、峰ですが

峰竜太 - Wikipedia
 1973年に劇団青年座に入団。日本テレビおはよう!こどもショー』の「お兄さん」として共演した縁で海老名美どりと1975年に結婚。1976年から石原プロモーションに所属し、石原プロが制作する刑事ドラマ『大都会』(1976~1979年、日本テレビ)、『西部警察』(1979~1984年、テレビ朝日)に出演。その明るいキャラクターからバラエティ番組に活動の場が広がり、石原プロ所属俳優では異色のバラエティタレントとして、多くの番組で重宝される存在となる。バブル崩壊後は石原プロの制作活動規模縮小により、看板俳優だった舘ひろし神田正輝を抑え、石原プロの稼ぎ頭となっていた。2000年、24年に渡って所属した石原プロから独立し、実家のスーパーマーケット「スーパーさかや」の名前にちなんだ「オフィスさかや」を設立。仕事が少なかった若手時代、石原プロ制作の刑事ドラマ『大都会』や『西部警察』に出演できた経緯があったが、その後はバラエティに進出し、往年の勢いが衰えた石原プロの屋台骨を支えた時期もあり、「十分恩返しができた」と判断し独立に踏み切ったとされる。

ですね。
 石原プロが2020年7月に解散が発表され、2021年1月に解散式が実施されたことについては

石原プロモーション - Wikipedia
石原軍団解散…舘ひろし&神田正輝が独立へ 渡哲也が決断、石原プロ来年にも俳優マネジメント終了(1/2ページ) - サンスポ2020.7.16
映画界の(元)スターが芸能事務所を作って芸能人マネジメントだけでなくコンテンツ制作にも勤しむ時代の終焉だと思う - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2020.7.17
舘ひろし「やっぱり寂しいな」石原プロ“解散式” 裕次郎さんと渡さんの「DNAが自分に残っている」:中日スポーツ・東京中日スポーツ2021.1.17

を紹介しておきます。
 峰の独立については

けっきょく渡哲也は、渥美清と同じ轍を踏んだと思う - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2020.8.22
 元石原プロ峰竜太は、渡から
>10日に亡くなった俳優の渡哲也さんに1カ前に電話し、「竜太、石原プロをやめてよかったな。たいしたもんでよかった」と言われたことを明かした。
>「渡さんに相談したんです。そろそろ、石原プロを抜けて、と言いましたら、絶対、出た方がいいから、がんばれ、と言われたんです」とのやりとりがあったという。

言ってもらったとのことです。もちろんこの発言にはいろいろなニュアンスがあるかと思いますが、たぶん自分のような轍は、後輩(渡は社長だったから部下でもありますか)には踏ませたくないという意味合いもあったかと思います。

を紹介しておきます。

*1:著書『地域再生の罠:なぜ市民と地方は豊かになれないのか?』(2010年、ちくま新書)、『商店街再生の罠:売りたいモノから、顧客がしたいコトへ』(2013年、ちくま新書)など

*2:例えば小泉進次郎氏“奇跡の村”訪問|テレ東BIZ(テレビ東京ビジネスオンデマンド)(2015.2.11)

*3:例えば、赤旗出生率が伸びた村/長野・下條村/格安の村営住宅/中3まで医療費無料(2005.6.11)

*4:例えば人里離れた山奥に「奇跡の村」が出現するまで 健全財政で少子化知らず!下條村の驚くべき“村民力” | 相川俊英の地方自治“腰砕け”通信記 | ダイヤモンド・オンライン(2013.6.4)

*5:例えば、相川俊英『奇跡の村:地方は「人」で再生する』(2015年、集英社新書)、峰竜太『「喜平さ」がつくった奇跡の村』(2017年、幻冬舎峰竜太 - Wikipedia竜太ワイン | 下條村観光協会峰竜太、故郷・長野県下條村をPR 自身の看板の前に立つ映像も― スポニチ Sponichi Annex 芸能(2017.7.22)、峰竜太 ふるさと長野を語りつくす! 後編 | みちしるの記事 | NHK 映像マップみちしる~新日本風土記アーカイブス~(2019.4.26)によれば峰は下條村出身で、実家は スーパーさかやを経営。「喜平さ」とは6期24年(1992~2016年)、下條村長を務めた伊藤喜平氏のこと)

*6:まあ、中国を世界有数の経済大国にした中国共産党もある意味「奇跡の共産党」ではあるでしょう。

*7:「肉が、当時の峰の家(あるいは下條村民)にとって貴重品だった」ということでしょう。なお、峰は1952年生まれです。

*8:峰の妻。祖父は7代目林家正蔵、父は初代林家三平、妹は泰葉、弟は9代目林家正蔵と2代目林家三平、甥は林家たま平(弟・正蔵の長男)、林家ぽん平(弟・正蔵の次男)という芸能人一家(海老名美どり - Wikipedia参照)

*9:但し、道の駅 信濃路下條 | 特産品は竜太そばとおろしそばによれば「 一昔前までは「竜太やきもち」という商品も販売されていた」とのことで、今は販売をしていない模様

*10:『信濃路下條 そばの城 峰竜太の飴』 | 不機嫌な赤い薔薇によれば峰の顔が描かれた金太郎飴

*11:なお、加山の出身は神奈川県茅ヶ崎市