珍右翼・黒坂真に突っ込む(2023年2月26日分)(副題:松本清張『粗い網版』の紹介)

◆黒坂ツイート

黒坂真
 治安維持法の適用には行き過ぎもありましたが、昔の日本共産党ソ連から資金と拳銃を受取り、内乱を策していました。

 勿論「内乱」云々という事実はない*1し、そもそも「内乱の処罰」なら治安維持法がなくても可能です。
 実際、治安維持法成立前に起こった内乱「佐賀の乱(1874年)」「秋月の乱神風連の乱萩の乱(1876年)」「西郷隆盛西南戦争(1877年)」(以上、不平士族の反乱)、「秩父事件1884年)」は処罰されてるわけです。
 しかも治安維持法の「国体の変革」が拡大解釈されて、最終的には共産党どころか「大本教*2」「天理ほんみち*3」「創価学会*4」などと宗教団体にまで治安維持法が発動されてるのに「黒坂はアホか」と言う話です。

【参考:粗い網版&大本襲撃】

楽天ブックス: 大本襲撃 - 出口すみとその時代 - 早瀬圭一 - 9784101390062 : 本
 「大本を地上から抹殺する」。
 昭和十年、特高は宗教団体・大本の教祖、出口王仁三郎とその妻で二代教主すみを不敬罪治安維持法違反で逮捕。信者らを大量に検挙し、苛烈な拷問を加えた(第二次大本事件)。なぜ彼らは国家に狙われ、弾圧されなければならなかったのか。教団を支えたすみと王仁三郎夫婦の人物に迫りながら、知られざる昭和史の闇を抉り出す異色のノンフィクション。

清張ギャラリー_452_sei_araiamihann_粗い網版
【書き出し】
 福岡県特高課長の秋島正六が内務省警保局からの至急電で上京したのは、その年*5の十月下旬であった。秋島はなぜ急に警保局に呼びつけられたか見当がつかなかった。また全国的な極左分子の一斉検挙かと思ったが、どうもそのようなふしはない。管内の福岡県では現在、共産党系の活動はほとんど終熄している。この一年間、多少の赤の検挙はあったが、組織的な活動とはいえなかった。共産党は、三・一五、四・一六事件のめぼしい被告*6が獄中で続々転向声明を出してから事実上崩壊している。満州事変以後国家主義が社会的風潮になっていて、ほとんどこれといった労働運動もみられなくなった。福岡県では水平社運動が活溌*7な程度だが、これとても正確には極左活動とはいえない。また、かつての八幡製鉄ストライキで名前を売った浅原健三*8も労働運動界から足を洗うと声明して、いまでは満州国で軍部の特務委嘱をうけて活動している。

 ということで呼び出された秋島福岡県特高課長(但し、秋島のモデルである杭島は愛知県特高課長)は「福岡の取り締まり強化を督促されるのか(とはいえ、共産党は壊滅状態で福岡で目立った左翼活動などないのにそんなことでわざわざ呼び出すか?)」と思っていたところ、「京都府特高課長への異動」と「右翼とつながりのある真道教(大本がモデル)の摘発命令」を伝えられます。
 1935年当時の特高に取ってもはや共産党は脅威ではなかったわけです。

みんなのレビュー:偏狂者の系譜/著者:松本 清張 角川文庫 - 推理・ミステリー:honto電子書籍ストア
 「粗い網版」は京都府亀岡市に本部がある大本教の第二次弾圧について小説形式にまとめてあるが、杭迫を秋島、愛知を福岡と変えている以外はほぼ事実に即していると『大本襲撃*9』の著者である早瀬圭一氏*10が述べている。さらには、このノンフィクション作家でもある早瀬氏が「松本清張はどのようにして早い時期に第二次大本事件の事実を知ったのだろうか」と疑問をもっているところに松本清張自身の謎があるような気がする。


【参考:春木教授事件】

春木猛 - Wikipedia
 教え子の女子学生を1973年2月11日に2回と同年2月13日に1回、計3回にわたり自らの研究室内で強姦したとして、1973年3月3日、強制猥褻ならびに強姦致傷の容疑により警視庁渋谷署に逮捕された。被害者は文学部教育学科の4年生で、当時24歳。週1回おこなわれる春木のスピーチクリニックを受講していた。
 春木は性的交渉の事実は認めたものの、「彼女が私に接近し誘惑した」「私は糖尿病で数年前から正常な性能力がなかったので、最終的な性交には至っていない。従って、容疑のように処女膜が破れることはない」「合意の上であり、私は陰謀に巻き込まれた」と述べ、一貫して冤罪を主張した。
 しかし、東京地検は1973年3月24日に春木を起訴。1974年3月28日、東京地裁は春木に懲役3年の実刑判決を下した。ただし2月13日の件については「2度も陵辱を受けたところへ行った被害者の行動は慎重さを欠く。強姦成立は証拠不十分」として無罪になった。春木は控訴したが、東京高裁でも原審の判決が支持され、1978年7月に最高裁で上告が棄却され懲役3年の実刑判決が確定、服役した。1980年12月に八王子医療刑務所を仮出所した後は妻と別居し、新宿の2Kのアパートに独居。死の直前まで再審を要求していた。しかし、再審の機会は与えられぬまま、1994年、東京都渋谷区の知人宅で死去した。翌月には、無罪を訴える本を出版する予定だった。
◆陰謀説
 被害者は2月11日の性行為の後、春木と2人でレストランで食事を共にし、帰り際には自分から握手を求めていた。また、2月14日のバレンタインデーには、自らチョコレートと手書きのカードを春木の研究室に持参しているが、同日の晩になってから母親に強姦の被害を訴えている。
 2月15日には、後に「地上げの帝王」と呼ばれた早坂太吉が春木の研究室に押しかけ、強姦の事実を認めるよう春木に要求した(早坂は当時、女子学生の父親が会長を務める「モガミ総業」の社長だった)。2月17日には、女子学生の側が「慰謝料1000万円の支払いと大学の辞任」という条件を春木に提示している。
 春木逮捕の約1ヶ月後、春木研究室の嘱託による「春木教授をスキャンダルに巻き込み、同教授を免職させ、(中略)もって大木青学院長体制を打破する」というメモが発見された。このメモは東京地検に提出されたが、1973年4月9日、嘱託は事件の真相の捏造を図った容疑により証拠隠滅罪で逮捕され「嘘を書いた」と供述。このため、このメモは春木の公判では証拠採用されなかった。
 ところが『サンデー毎日』1990年4月22日号に早坂の元愛人がこの陰謀説を裏付ける証言を行っている。なお、被害者とされる女子学生は、大学卒業後、衆議院議員中尾栄一*11自民党)の秘書になったが、中尾は青山学院大学出身で、反春木派の教授たちととりわけ親密な関係だったと伝えられている。

「ハレンチ」は、この事件で有名になった 『老いぼれ記者魂』 | BOOKウォッチ
 青山学院春木教授事件と聞いても知らない人も多いだろう。1973年3月、青山学院大学法学部の春木猛教授(当時63)が、朝日新聞に「大学教授、教え子に乱暴――青山学院大 卒業試験の採点エサ」と報じられ、その後告訴・逮捕の経緯をたどり、一審で懲役3年の実刑判決を受けた。その後、最高裁でも上告は棄却され、世間的には「ハレンチ教授」の烙印を押されたまま、記憶のかなたに埋もれた事件だ。
 著者の早瀬圭一さんは当時、毎日新聞社会部の記者として、朝日のスクープの後追い取材をし、春木教授にも会っていた。被害者の女子大生の不可解な行動、さらには「教授は陥れられた」という陰謀説が当時からあり、毎日新聞は助手がからんだ不審な動きを報じていた。
 その後1979年、早瀬さんは「サンデー毎日」デスクとなり、社会派作家・石川達三を起用し、事件をモデルとした小説「七人の敵がいた」を連載、事実に迫ろうとした。毎日新聞には、もう一人、冤罪をはらそうとした男がいた。「サンデー毎日」の鳥井守幸編集長である。7週連続で事件の疑惑を取り上げたのを皮切りに、1981年、出所した春木氏にインタビューし、その主張を取り上げた。
 事件発生当時小さな不動産屋だった男、その後「地上げの帝王」とよばれ、資産1000億超と言われた最上恒産・早坂太吉社長が事件の背景にいたことは、ほとんど知られていない。早坂社長は女子大生の父親と事業のパートナーであり、女子大生とも親しかった。
 毎日新聞を退職後、名古屋などの大学の教壇に立っていた早瀬さんは、サンデー毎日の記者が早坂社長に取材していたことを3年前(2015年)に知り、その取材資料を譲り受け、ふたたび、この事件の取材にかかった。『長い命のために』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞するなど著書の多い早瀬さんは、最後の本とする覚悟だった。
 あの女子大生はいまどうしているのか。話を聞きたい。あるきっかけで彼女がいま住む自宅の住所と電話番号を探り当てた。
 「私はもう七十代の後半です。あなたの一回り近く上です。そろそろ死んでもおかしくない歳です。その晩節に、私なりに春木事件の決着をつけたいのです」と電話で告げた著者に、T子からは「それがあなたの記者魂ですか」という言葉が返ってきた。
 早瀬さんは「四十五年目の答」として、事件の構図を本書で詳細に記す。推理小説で言うと種明かしになるので、実際に読んでいただきたい。。
 それにしても45年前に自分が取材した事件の落とし前をつけた著者には脱帽するしかない。毎日新聞にはすごい記者がいたものだ。

*1:いわゆる大森銀行ギャング事件(1932年)は資金調達にすぎず、内乱とは言えないし、こうした行為についてソ連の援助など認められてないと思います。そもそも「仮に内乱を画策した(画策したことは無いと思いますが)」としてもそんな事が実現できる能力は共産党にはありません。むしろ実際に内乱を行ったのは「明治維新直後の不平士族」を除けば「226事件(1936年)」「宮城事件(1945年)」の陸軍タカ派でした。

*2:大本弾圧については松本清張が短編小説『粗い網版』(清張『断崖:松本清張初文庫化作品集2』(2005年、双葉文庫)、『偏狂者の系譜』(2007年、角川文庫)等に収録)を発表している(ただしモデル小説でありノンフィクションではない。全てが事実に立脚しているわけではなく小説内では大本にあたる宗教は「真道教」、愛知県警特高課長から京都府特高課長に異動し大本弾圧を指揮した杭迫軍二は「福岡県警特高課長から京都府特高課長に異動した秋島正六(小説の主人公)」とされている)。『粗い網版』については例えば松本清張(1)- お気に入り読書WEB清張復読(46)「月光」「粗い網版」「種族同盟」参照。『粗い網版』において登場人物たちが『(1928年の315弾圧、1929年の416弾圧などの弾圧によって)共産党はもはや公安警察にとって脅威ではなく、今後の脅威は軍部とつながる右翼だ(1932年に血盟団事件(井上前蔵相暗殺など)、515事件(犬養首相暗殺)、1935年に永田鉄山陸軍省軍務局長暗殺と言った右翼テロ)』として『右翼と親密なつながりがある真道教』を叩くのが興味深いですね。当時の大本は昭和神聖会 - Wikipediaを通じて「右翼の大物」頭山満玄洋社)、内田良平黒龍会)などとつながりがありました。黒坂のようなウヨのデマと異なり、遅くとも『大本弾圧のあった1935年』にはもはや共産党は明らかに国家の脅威ではなかった。

*3:ほんみち弾圧については松本清張が著書『昭和史発掘』で取り上げている(例えば読まずに死ねるか!「『昭和史発掘2』松本清張・著」 - 「うつせみ和尚」のお説教昭和史発掘2「天理研究会事件」(松本清張)文芸春秋: アイリシオンのゲームとSF映画の旅松本清張『昭和史発掘 4』を読みました - 好物日記参照)

*4:この結果、開祖・牧口常三郎が獄中で病死。創価学会内部においては牧口は英雄視されている。

*5:1934年のこと

*6:1933年に転向声明を出した佐野学、鍋山貞親などのこと

*7:福岡の水平社関係者と言えば、戦後、部落解放同盟委員長を務めた松本治一郎が著名です。

*8:1897~1967年。福岡県出身。1920年八幡製鉄所の大労働争議を指導。1925年には九州民憲党を結成し、1928年には第16回衆議院議員総選挙に出馬し当選。1930年の第17回衆議院議員総選挙には日本大衆党から当選。1932年の第18回衆議院議員総選挙全国労農大衆党から出馬して満州事変の問題では「満州からの即時撤兵」を選挙で叫び、かねてから浅原の政敵で出兵に賛成する社会民衆党の亀井貫一郎(1892~1987年)に敗れて落選する。政友会幹事長の森恪から、「日中問題を解決するには軍に近づく必要がある」と説かれ、軍人との人脈作りにはげむ。当時仙台で連隊長の任に会った石原莞爾と出会うと、石原と共鳴し、付き合いを深めている。以後浅原は石原の政務秘書の様な役を演じ、宇垣内閣の阻止、林内閣の成立などの際、裏で動いていくことになる。(浅原健三 - Wikipedia参照)

*9:2007年、毎日新聞社→2011年、新潮文庫

*10:1937年生まれ。『サンデー毎日』別冊編集長、毎日新聞編集委員など歴任。1982年、『長い命のために』(1981年、新潮社→後に1985年、新潮文庫)で第13回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。1993年愛知みずほ大学教授、1998年龍谷大学教授、2001年東洋英和女学院大学教授、2008年、北陸学院大学副学長・教授。著書『長い午後:女子刑務所の日々』(1986年、文春文庫)、『長らえしとき:武蔵野「有料福祉」の現場から』(1988年、文春文庫)、『転職:男が迷うとき飛ぶとき』(1989年、新潮文庫)、『痛快ワンマン町づくり』(1993年、ちくま文庫:当時、江戸川区長だった中里喜一 - Wikipediaを取り上げた)、『人はなぜボケるのか』(1997年、新潮文庫)、『平尾誠二、変幻自在に』(1997年、毎日新聞社→後に『平尾誠二・最後の挑戦』と改題し、2000年、講談社文庫)、『鮨を極める』(2003年、講談社→後に『鮨に生きる男たち』と改題し、2007年、新潮文庫)、『聖路加病院で働くということ』(2014年、岩波書店→後に『聖路加病院・生と死の現場』と改題し、2020年、岩波現代文庫)、『老いぼれ記者魂:青山学院春木教授事件四十五年目の結末』(2018年、幻戯書房→後に『そして陰謀が教授を潰した: 青山学院春木教授事件・四十五年目の真実』と改題し、2022年、小学館文庫)など(早瀬圭一 - Wikipedia参照)。春木事件については後で「ウィキペディアの指摘」や「早瀬本の紹介記事」を紹介しておきます。早瀬氏は春木事件冤罪説(謀略説)の立場で、冤罪説に立った石川達三『七人の敵が居た』(『サンデー毎日』に連載し、後に新潮社から刊行、春木事件を元としたモデル小説)の担当編集者でもあったとのこと。(早瀬圭一 - Wikipedia参照)

*11:竹下内閣経済企画庁長官、海部内閣通産相、橋本内閣建設相など歴任。2000年の第42回衆議院議員総選挙で落選した直後の6月30日に若築建設事件で受託収賄容疑で逮捕。2004年9月、最高裁で懲役1年10か月、追徴金6000万円の実刑判決が確定。ただし、病気のため刑の執行が停止され、2018年11月の病死まで収監・服役はなかった(中尾栄一 - Wikipedia参照)