珍右翼・黒坂真に突っ込む(2023年3月14日分)(副題:給食無償化)

◆黒坂ツイート

黒坂真
 70年前の質問なら、昭和28年(1953年)の事でしょうか。この時期、日本共産党の国会議員団は臨時中央指導部、志賀重男さん*1の指導下でした。今の日本共産党歴史観では、徳田・野坂分派です。宮本徹議員は、徳田・野坂分派を高く評価。
◆宮本徹
 日本共産党の70年前の質問に、政府は憲法の義務教育無償化に、ゆくゆくは学校給食も入る旨答弁していました。ようやく自民党幹事長が口にするところまできました。論点整理だけで終わらせないよう頑張ります
自民 茂木幹事長 給食費無償化盛り込む考え示す 党の論点整理 | NHK | 福島県
 少子化対策をめぐり、自民党の茂木幹事長は、子どもの就学後の支援も必要だとして、今週中にもまとめる党の論点整理に、小中学校の給食費の無償化を盛り込む考えを示しました。
 茂木氏は記者団に対し「少子化対策は、(中略)就学後も対応が必要で、家庭の事情に関係なく支援していく観点から、小中学校の給食費の無償化をぜひ実現したい。今週中にも、党の論点整理をまとめ、政府に提案したい」と述べました。

黒坂真
 昭和26年なら、50年問題の最中ですね。この時期、日本共産党国会議員は志田重男さんら臨時中央指導部の指導下でした。今の日本共産党歴史観では、徳田・野坂分派です。岩間議員は、徳田・野坂分派の一員として学校給食無償化を求めた事になります。志位さんは徳田・野坂分派を再評価したいのかな。
引用ツイート
志位和夫
 (甲府で)憲法26条に立って学校給食無償化を初めて求めたのは1951年の国会での共産・岩間参院議員。それから72年、物価高騰のもと無償化の大きな流れが起こっています。
 山梨県では27市町村のうち14市町村で小中とも完全無償化が実現。ここまで前進させたからには無償化を県・国の制度に!

 「茂木幹事長」や「山梨県下の自治体首長(山梨は自民党が強いので、多くは恐らく自民系)」を否定することになるので「自民党シンパ」として給食無償化を否定できず、といって共産党の株を上げたくないので、給食無償化に肯定的な態度も取れず、あげくが「徳田・野坂分派」云々とは黒坂もいつもながら呆れたバカです。
 志位ツイートについては

志位和夫
 1951年3月19日の質疑。
 共産・岩間議員「義務教育の無償の範囲は?」
 政府委員「できるだけ広範囲に実現したい。現在無償は授業料ですが、(今後)教科書*2、学用品、学校給食費、交通費も考えております」
 それから72年。
 今年を、憲法26条通りに、学校給食費無償化の年にしていきましょう!

も紹介しておきます。
 なお、政府委員答弁については以下を紹介しておきます。

国会会議録検索システム
◆岩間正男君*3
 義務教育の大体無償というようなものをどの程度までこれは果すべきものだと考えておられるのでありますか。
◆政府委員(辻田力君*4
 その内容といたしましては、現在は授業料でございますが、そのほかに教科書とそれから学用品、学校給食費というふうな、なおできれば交通費というふうなことも考えておりますが、それらを一時に全部やるということは到底現在の財政上ではできませんので、止むを得ず今回は教科書、而もそれも一部分だけ実施するという試みにして、その結果によつて又次の飛躍を期するというふうに考えておる次第でございます。
(中略)
 憲法の定める義務教育無償の理想をできるだけ速かに、できるだけ広範囲に実現いたしたいというのが我々の願望でございます。併し一方に国力全体の立場から財政上のことも十分考えなければいけませんので、種種我々といたしまして具体的に案を持つておりましたが、併し今回の法律案ではこういうふうな結果になつたわけでございます。我々としては一歩々々この国力といいますか、国家の事情を十分考慮してこの実現を教科書だけにとどまらず、義務教育無償の実現を期したいというふうに念願し、又努力いたしたいと思つております。

 また、当然ながら茂木発言(給食無償化について少子化対策の観点から肯定的発言)については関係閣僚等として「岸田首相」「松野官房長官(第三次安倍内閣文科相)」「党の政策担当トップである萩生田政調会長(第四次安倍、菅内閣文科相)」「文教行政担当の永岡文科相」「小倉少子化担当相」らに「どう思うか?」を問いただす必要があります。

*1:原文のままで正しくは「志田重男」。「志賀義雄」とごちゃ混ぜになってるらしい。

*2:教科書は既に無償化されている。

*3:1905~1989年。1947年(昭和22年)の第1回参議院議員通常選挙に立候補、全国区で当選。最初は無所属であったが、1949年日本共産党に入党。一度落選のあと、1956年(昭和31年)に返り咲き、その後1977年(昭和52年)まで通算5期参議院議員をつとめ、日本共産党所属議員としてはじめて25年勤続表彰を受けた(岩間正男 - Wikipedia参照)。

*4:1906~1980年。文部省調査局長、調査普及局長、初等中等教育局長、愛媛大学長、松本歯科大学初代理事長など歴任(データベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システム参照)