映画『サンセット大通り』についていろいろ(2023年6月11日記載)(注:刑事コロンボ『忘れられたスター』のネタばらしがあります)

 新刊紹介:「前衛」2023年7月号 - bogus-simotukareのブログ

文化の話題
◆演劇『みんな一人一人素晴らしい:新国立劇場エンジェルス・イン・アメリカ」、文学座アトリエの会「挿話(エピソード)」』(寺田忠生)
(内容紹介)
 新国立劇場エンジェルス・イン・アメリカ」、文学座アトリエの会「挿話(エピソード)」の紹介。
参考
エンジェルス・イン・アメリカ

<スペシャルコラムその1>笑いと驚きのジェットコースター ~『エンジェルス・イン・アメリカ』~ | 新国立劇場 演劇
 スピーディーな展開とテンポのいい会話も、この作品の魅力だ。
 たとえば、「アップでね、デミル監督*1」なんておふざけ台詞に、名画ファンやミュージカル・ファンならニヤニヤしてしまうはず。そう、映画『サンセット大通り(1950)の台詞だ。もちろん、こんなの全然分からなくてもOK。驚きに満ちたドラマそのものが面白いのだから。

として触れた映画『サンセット大通り』について以下の通り「興味深い逸話」をメモしておきます。
サンセット大通り

サンセット大通り (映画) - Wikipedia
 本作(1950年公開)の主演である、サイレント時代の大女優ノーマ・デズモンド役については、「世間から忘れられたという事実を受け入れられず、およそ実現不可能だと思われるカムバックを夢見るスター気取りの中年女優」という役柄が忌避されてか、主演の女優選びは非常に難航した。
 ビリー・ワイルダー*2監督は最初に引退していたグレタ・ガルボ(1905~1990年)にオファーをしたが、彼女は復帰にさして興味を示さなかった。次にメイ・ウエスト(1893~1980年)を指名するが、「サイレント映画時代の大女優の役をするには自分は若すぎる」と断った。続いてメアリー・ピックフォード*3(1892~1979年)とポーラ・ネグリ(1897~1987年)にもオファーするも、二人とも役柄を嫌がり辞退。最後にサイレント映画時代の伝説的な大女優グロリア・スワンソン(1899~1983年)を、ワイルダー自身が説得することで何とか撮影にこぎつけることができた。スワンソンはあまりに大物過ぎて、当初、ワイルダーも彼女がオファーに応じるとは思っていなかったという。
 一方、売れない脚本家ジョー・ギリス役については、モンゴメリー・クリフト(1920~1966年)で決まっていたのだが、撮影開始の2週間前に、クリフトが「年の離れた女性と愛し合う役はできない」と言って役を断った。ワイルダーはフレッド・マクマレイ(1908~1991年)とジーン・ケリー(1912~1996年)にもオファーしたが、前者は役を嫌って断り、後者はMGM所属のため出演させることができなかった(この作品はパラマウントの製作)。そこでスタジオの所属俳優の中からまだ無名だったウィリアム・ホールデン*4(1918~1981年)が抜擢された。
トリビア
◆ノーマに忠実に仕える召使で、かつて映画監督だったという設定のマックス役を演じたエリッヒ・フォン・シュトロハイム(1885~1957年)は1920年代を代表する映画監督であり、劇中でマックスが上映するノーマ主演の映画は、シュトロハイムが監督、スワンソンが主演した『クィーン・ケリー』である(この作品は完璧主義者のシュトロハイムが演出にこだわりすぎたせいでスワンソンと衝突、撮影中止になり、幻の作品となった)。ちなみにこの作品を上映しようというアイデアシュトロハイム本人から出たものだという。
◆ノーマに復帰作品の監督をするようにせがまれて困惑する映画監督セシル・B・デミル(1881~1959年)をデミル本人が演じている。映画中に登場するデミル映画『サムソンとデリラ』(1949年公開)のセットは実際に撮影に使われたものである。現実世界でもデミルはスワンソン主演の映画を何本も撮った監督であった。
◆1990年に製作されたデヴィッド・リンチ監督のテレビシリーズ『ツイン・ピークス』でデヴィッド・リンチが演じるFBI地方捜査主任ゴードン・コールの役名は、ノーマへ自動車を貸して欲しいと連絡を取ってくる人物ゴードン・コールが由来。
◆2001年に制作されたデヴィッド・リンチ監督作品『マルホランド・ドライブ』はこの映画を下敷きにしているといわれている。
手塚治虫の『ブラック・ジャック』には本作にインスパイアされた「あるスターの死」というエピソードがある。「忘れられた大女優マリリン・スワンソン」も登場する。
松本清張の小説『幻華』は、この映画を観た印象に基づき、銀座のバーのママに主人公を置き換えて書かれている。
大林宣彦監督のテレビ映画『麗猫伝説*5』(1983年)は、このストーリーと人物配置をかなり忠実に再現している。ヒロインは、サイレント期の大女優・入江たか子とたか子の娘・入江若葉(二人一役)が演じている。
◆テレビドラマ「刑事コロンボ」のエピソード『忘れられたスター』(1975年) は、脳腫瘍で余命いくばくもない往年のミュージカル女優が、非現実的なカムバックを計画し、それを止めようとする夫を殺害するという、本作へのオマージュ的なプロットになっている。

『サンセット大通り』の虚と実
①『サンセット大通り』が出来るまで
 ビリー・ワイルダーは最初、主演女優に、メイ・ウェストを考えていた。1930年代から 40年代まで活躍していた女優だ(さすがに私もこの人の映画は観たことがない)。40歳を過ぎてからハリウッド・デビューをして、 私はハリウッド一のグラマー女優とうそぶいていたというスゴイ!人である。
 しかし、実際に彼女に会って見てワイルダーは驚愕する。
「彼女はできるだけ若く見せようとしていた。コルセットで身体をしめつけ、 1920年代当時の服装をしている。本当の年齢を知りたければ、彼女の足を切断して年輪を調べるしかあるまい(注:化粧が濃いという意味、彼女はすでに60歳くらいのはず)。話をしていると、不意に彼女は言った。『何か歌いましょうか』私は驚愕を隠しながら、感謝の言葉を述べた。計画は白紙に戻った。」(『ビリー・ワイルダー自作自伝*6』より)
 これでは、まるでワイルダー自身がウィリアム・ホールデン(ボーガス注:が演じた脚本家)になってしまったようで、非常に可笑しい。もしかすると、この実体験は、『サンセット大通り』の脚本を書く上での参考資料となっているのではなかろうか。
 次にワイルダーは、グロリア・スワンソンと並ぶサイレントの大スタア、ポーラ・ネグリに声をかける。彼女はスワンソンとは私生活においてもライバル同士で、彼女が伯爵と結婚したと聞けば、 自分もポーランドの伯爵と結婚するほどだった。またふたりの中傷合戦は当時のマスコミをずいぶん賑わせたという。彼女はまた恋多き女としても有名で、『サンセット大通り』にも名前が出てくるルドルフ・ヴァレンチノの最後の恋人でもあり、チャップリンとも浮名を流したことがあった。
 トーキーと共にドイツに帰国し、39年にまたアメリカに戻ってきたが、その後は一本映画に出たっきり、表舞台には現れていなかった。
 ワイルダーは今度は、メイ・ウエストと同じ轍は踏まなかった。 電話で出演の依頼をしようと考えたのだ(もっとも、彼女がヨーロッパに住んでいるという事情もあったのだが)。しかし、電話の向こうから聞こえてきた声はすさまじい声だった。しかも悪いことにそれは執事のものではなく、確かにポーラ・ネグリ本人のものだった。
「現在で言えば、彼女のできる役は(ボーガス注:ポーランドの)ワレサ*7大統領くらいのものだったよ」(『ビリー・ワイルダー自作自伝』より)
 またしても失敗だった。
 リリアン・ギッシュと同じくアメリカ映画の父D・W・グリフィスの映画から育った、純情可憐なサイレントの花、それがメアリー・ピックフォードだ。ダグラス・フェアバンクスと結婚しハリウッドに築いた御殿には、ヨーロッパの貴族からハリウッドのスタア、各界の著名人が招かれ、ハリウッド一の社交場となっていた。チャップリンやグリフィスとユナイテッド・アーティストを興し映画業界への貢献度も高い。そんな彼女も30を過ぎても少女の役から脱皮することができないまま、1935年には女優から引退していた。
 引退していたとはいうものの、メアリー・ピックフォードは幸い興味を示してくれ、どうにかセリフをしゃべってもらえるところにまでこぎつけることができた。今度こそ…しかし、ワイルダーはここ でまた愕然してしまう。
「目の前にいたのは65歳のシャーリー・テンプル*8だった。彼女が演じていたのは依然としてお金もちのお嬢ちゃんだったわけだ。ママが子守唄を歌いに来てくれるのをじっと待っている少女、といったところだった」(『ビリー・ワイルダー自作自伝』より)
 三者三様だが、ここにハリウッド映画人の悲劇が見え隠れする。大スタアだった頃のイメージでしか演技できない彼女たち。サイレントだからこそ大スタアだったことの悲劇。ハリウッドによってイメージを固定化されたメアリー・ピックフォードは一時期イメージ・チェンジを図ったことがある。しかし、そうした映画は大衆には受け容れられず、結局女優生命を縮めることになる。それにも関わらず、このチャンスに結局は昔のままの演技しかできない彼女。これが悲劇でなくてなんなのだろうか。
 『サンセット大通り』はグロリア・スワンソンのイメージによるところも大きいが、 ワイルダーのこうした実体験を経て、次第にコメディから、皮肉な色合いを強めていったのではないか。そんな気さえしてしまうのである。
グロリア・スワンソンが企画を受け入れるまで
 往年のサイレント時代の大スタアが、今は落ちぶれて、ただっ広い誰もいない屋敷の中で、過去の幻に囲まれながら生活しているという、考え様によってはキャリアの上で致命的にもなりかねないこの企画。
 しかも、大作映画のスクリーンテストを受けないかという依頼である。かつてパラマウントを背負った大女優にとってスクリーン・ テストは縁のない世界だった…彼女はなぜこれを受け容れたのか。
 それはジョージ・キューカー*9の助言が大きかったと言われている。 ジョージ・キューカー監督といえば、女優を引き立てる名手。(ボーガス注:プロデューサーのセルズニックと対立し)『風と共に去りぬ』の監督を降ろされたあとも、 ヴィヴィアン・リー*10が役の相談をしにいっていたというのは有名な話だ。「スクリーン・テストを拒否するのは無分別というものなのだろうか」という彼女の問いに「ビリー・ワイルダーチャールズ・ブラケット*11ならパラマウントきっての逸材だ。二人組んで『失われた週末*12』『フォーリン・アフェア*13』を送り出している。彼らがスクリーン・テストを10回受けろと言ったら10回受けたまえ」
 もうひとつ彼女がこの映画の出演を受け容れたのは、彼女の余裕からきているのかもしれない。当時映画界を引退していた彼女は、実業家として活躍していたので、ノーマ・デズモンドのように落ちぶれたというイメージは微塵もなかったのである。ハリウッドとニューヨーク の両方に自宅を持ち、優雅に暮らしていた。撮影中はマルホランド・ドライヴで借家を借りきり、そこからサンセット大通りにある、ノーマの邸宅として使われたジャン・ポール・ゲティ*14の20年代に建てられたという屋敷に、あるいはパラマウント撮影所に通ったそうである。 (『マルホランド・ドライヴ』は多分にこの辺りを意識して作っているように思う。)
 パラマウント撮影所での初仕事である宣伝用写真を撮る際には、セシル ・B・デミルどころじゃなく、パラマウント創始者で、当時は名誉会長になっていた、老アドルフ・ズーカーが直々に出迎えたそうである。ここにはノーマ・デスモンドの影はない。
(中略)
⑤蝋人形たちのブリッジ
 とても印象的なシーンにかつての俳優仲間が集まって、ブリッジをしているところがある。それを見たウィリアム・ホールデンは「まるで蝋人形のようだ」とつぶやく。
 このブリッジ仲間のメンバーは、すべてサイレント時代の大スタアたちである。バスター・キートンは言わずと知れたチャップリンと並ぶかつての喜劇王。しかし、その頃の キートンはかれこれ5年の間もキャメラの前でドーランを塗ることがなくなっていた。自伝によれば1941年から1949年の間の重要な仕事といえば、パリのサーカスで4週間公演したことくらいだったという。 アンナ・Q・ニルソンは20年代のワーナーの大作映画の主演女優で、乗馬中の事故で女優生命を失った。H・B・ワーナーはデミルの 『キング・オブ・キングス*15』で(ボーガス注:主役の)キリスト役をつとめ、『舞姫ザザ*16』ではグロリア・スワンソンの相手役をつとめたほどの俳優だった。彼もまたこの頃すでに仕事はない。
 グロリア・スワンソンは後にこのシーンを回想している。
 「H・B・ワーナーは何か儚げで、ほとんど透明のように見えた。バスター・キートンは、アルコールでボロボロになっているように見えた。*17
 グロリア・スワンソンの「出演者にとっては、きわめて自己発見的なもの、何か分析するのも辛いものになるに違いないという恐ろしい不安に襲われた」という危惧は、このシーンで現実のものとなったようだ。
⑥デミル氏とスワンソン嬢
 ノーマ・デスモンドがパラマウント撮影所にセシル・B・デミルを訪ねていくシーンはとても残酷で印象が深い。
 若い守衛はもう彼女のことを知るわけもなく、中に入れない。騒ぎを見て出てきた年寄りの守衛さんが、彼女を見つけてくれたお陰でやっと中に入れる。デミルは撮っている映画『サムソンとデリラ』(彼が撮影中の本物の映画のセットです)を中断して彼女を迎え入れる。この会話のやりとりは、まさに彼とグロリア・スワンソンとの関係を彷彿とさせるものがある。
 デミルは最初、この役を演じるに当たって、グロリア・スワンソンに不安を漏らしていたという。グロリア・スワンソンは、デミルとの対面シーンを演じるに当たって、演技に対して不安がるデミルにアドバイスをする。
「あなたご自身になりきれれば、きっと素晴らしくなりますわ」
 映画での彼は誠に堂々としていて、真に迫っていた。彼が映画の中でノーマ・デズモンドに「ヤング・フェロー」と呼びかけているのだが、これは彼が若い頃グロリアに対して使っていた呼びかけに他ならない。
⑦ハリウッド期待の3人
 ノーマ・デズモンドの執事マックスの衝撃の告白
「かつて、ハリウッドの創世記に最も期待された監督がいたんだ。 グリフィス、デミル、そしてもうひとりがこの私だ
 この「私」は映画ではもちろん別の名前になっていたが、そのもうひとりとは紛れもなく、エリッヒ・フォン・シュトロハイム監督自身のことである。グリフィス監督の映画で俳優としてデビューしたのち、監督となり、『アルプス颪』 『愚かなる妻』『グリード』など数々の名作を残している。しかしながら、完全主義で奇行も多く、映画会社とはあちらこちらでトラブルをおこし、(中略)『クイーン・ケリー』の後は、ついにまともに公開された映画は一本としてなかった。
 1936年にMGMで再び監督をして以降は、意欲がありながらも、ついに監督することができず、俳優職に甘んじている。
 『大いなる幻影*18』そしてこの『サンセット大通り』。
 マックスはノーマ・デスモンドの執事となりながらもそれにしがみついて生きている男だったが、シュトロハイムもまた、決して本位ではない俳優業でハリウッドにしがみついていたという点で共通点はなかろうか。 映画を作る意欲はあるのに、作れない自らの運命。そしていまだ全盛を誇るかつてのライヴァル、セシル・ B・デミルに運転手として会いに行くという映画の中での役柄。彼の気持ちはいかほどだったかと想像しないではいられない。
 映画のラストシーンで、マックスは頭のおかしくなったノーマ・デズモンドに対して、生涯最後の「アクション」の声を掛けるのだが、その時の彼の悲しいようななんともいえない表情は、真に迫っている。それもそのはず、これはシュトロハイム自身にとっても10数年振りの、しかもおそらく生涯最後の掛け声になってしまったからだ。彼は1957年にはもう亡くなるので、 それでもこれがハリウッドにおける最後の栄光の瞬間((ボーガス注:『イヴの総て*19』でジョージ・サンダース*20が受賞したため、受賞は逃したが)オスカーにも(ボーガス注:助演男優賞で)ノミネート)ではあったのだが…。

 ウィキペディアではオファーされた女優側が「落ちぶれイメージを嫌って拒否」とされていますが「ワイルダー監督の言い分」なので、鵜呑みにできないとはいえ、上記の記事『サンセット大通り』の虚と実ではむしろ逆ですね。

映画 『サンセット大通り』 (1950年)ー ハリウッドのスキャンダルを描いた不朽の名作 ー 20世紀・シネマ・パラダイス
 予備知識も持たずに観ても十分に楽しめるが、色々な事を知って観ると面白味が増す。それは製作サイドが意図したことでもあるからだ。
 ノーマとトランプ・ゲームをするバスター・キートン、H・B・ワーナー、アンナ・Q・ニルソンの3人は、エンド・ロールで本人役とクレジットされているものの、映画の中では、「無声映画で俳優だった者たち…」としか紹介されず、ジョーに「ロウ人形 のようだ」と言われてしまう役柄。余りと言えば余りに酷い出演だった。
 パラマウント社によるプライベート試写会の後、バーバラ・スタンウィックがスワンソンの前に跪き、ドレスの裾にキスをしたという。
 その一方、ルイス・B・メイヤー*21は怒り心頭で、ワイルダー監督に食って掛かったという。ルイス・B・ メイヤーのような人間にとって、ハリウッド・スターをスキャンダラスに描いた本作は許し難いものであり、当時はメイヤーと同じ思いを抱いた映画人も多かったようだ。


【あるスターの死】

ブラックジャック「あるスターの死」 - 安らかに死にたい
 手塚治虫ブラックジャック」において、私がもっとも好きな話です。
 往年の名女優スワンソンも、引退して年老いた今は、ただの金持ちの老女として、ビバリーヒルズの大邸宅で寂しく暮らしていた。
 ところが、昔の出演映画がテレビでリバイバル放映され、スワンソンの人気も盛り返してきたので、その名声を利用して、彼女を新作映画に出演させて、映画に箔付けをしようと考えた映画会社が出演のオファーをしてきた。
 スワンソンは出演したかったが、この姿では恥ずかしくて出られない。
 彼女は全財産を処分し、500万ドルを持って、ブラックジャックに美容整形を頼む。
 当初は、ブラックジャックは、
「皮膚を張り替えて骨格を矯正したって、生理機能が衰えてるからせいぜい1年しか保たない」
といって断ったのだが、自殺未遂までして手術台に登ろうとするスワンソンに、ブラックジャックは根負けして、引き受ける。
 大手術の末に、かつての美貌を取り戻したスワンソンは、映画出演の直前になって、交通事故で死んでしまう。駆けつけたブラックジャックには、彼女の遺言が、録音テープで残された。
「先生、私、死んでも映画に出たいんです」
 ブラックジャックは、死体をエンバーミング(はく製のようなもの)処置して、ただ立っているだけの役で、彼女を映画に出演させてやる。それが、この最後のコマだ。

【麗猫伝説】

大林宣彦監督作品「麗猫伝説(1983)」感想|入江たか子&入江若葉の母娘共演による「サンセット大通り」 - 353log
 本作の売りはなんといっても入江たか子さん&入江若葉さんの母娘共演(正確には二人一役)。〈かつて「化け猫映画」で一世を風靡した往年の大女優〉という入江たか子さんそのままのキャラクター設定で、シナリオはなんとビリー・ワイルダー監督の大傑作『サンセット大通り(1950)』をなぞっている作品でした。
 大林監督は圧倒的シネフィルでありながら自作ではあからさまなオマージュをしないタイプの映画作家でしたけども、本作に限ってはグロリア・スワンソンセシル・B・デミルバスター・キートングレタ・ガルボなどなどそのものずばりな名前も劇中に登場したりして、だいぶレアケース。『サンセット大通り』におけるグロリア・スワンソン役の入江さん(二人一役なので名字呼びをしておきます)がグレタ・ガルボに嫉妬するような場面がありましたが、『サンセット大通り』で最初に主役を打診されたのがグレタ・ガルボだったんですね。なるほどー。

【忘れられたスター】

(ご紹介編)映画「サンセット大通り」(刑事コロンボ「忘れられたスター」好きな方におススメ): おすすめおとしぶみ(おすすめ作品・エピソードご紹介)
 2014年3月15日(土)15:00~17:08 NHKBSプレミアムで刑事コロンボの「忘れられたスター」が放映されます。
 往年のミュージカル女優グレースが再起をかけた舞台への出資を反対した富豪の夫を殺害するという筋立て。
 かつてのあまりにも華やかすぎた栄光を忘れることができないというスターの苦悩と、そんな彼女への秘められた献身的な愛が根底に流れ、個人的には「祝砲の挽歌*22」「別れのワイン*23」と並ぶコロンボ3大傑作だと思っています。
(3作とも犯人が哀しい。そこいらの推理ドラマの「人を殺すだけあって本当に性格の悪い人ですね」と言いたくなるような犯人像とはまるで異なります。)
 そして、この「忘れられたスター」を気に入った方なら是非併せてご覧いただきたい名作映画があります。
 「サンセット大通り」(1950年・アメリカ映画)

32話「忘れられたスター」 | ブログ刑事ぼろんこ
 「忘れられたスター」は私が最も好きな刑事コロンボ作品のひとつ。解決編では、この作品ならではの結末を迎えます。それはコロンボ作品中、最も涙を誘うものです。
 コロンボ警部がネッド・ダイヤモンドに事件の全てを説明するのは、意味深いです。グレースが執拗な捜査にいらだちつつも、好意的な態度に変わっていくことから、「通常の殺人犯人とは違う」ことには気付いていたでしょう。(ボーガス注:脳腫瘍で記憶力に障害があり自らの殺人について覚えてない、自分の行った自殺偽装を、本当に自殺だと思い込んでいる)そのような(病状の)グレースに対し「自白に導く」というコロンボ特有の「落としの手法」が不可能となりました。ラストシーンでコロンボ警部はおそらくグレースを逮捕しようとしますが、それは(ボーガス注:カムバック計画に反対する夫は自分が殺したという)ネッドの偽りの自白により阻止されます。
 エンディングシーンは警部のセリフ「それがいいね」と、自らを納得させるような表情。そして直前のネッドの自白すらも忘れ(ボーガス注:自分の過去の主演)映画に見入るグレース。別れのあいさつをせず、ドアを閉めるコロンボ。この結末は最高に美しいです。
 原題と邦題はほぼ同意味で、この作品を端的に表すグッドなネーミングです。「ファンは自分を決して忘れていない」と、女優復帰に並々ならぬ意欲をみせるグレースですが、当人は記憶を失う病気で、余命幾ばく。それを知っている夫ヘンリーは復帰に反対するが、愛情とは理解されず妻に殺されてしまう。グレースを心から愛する元パートナーの俳優ネッドは、身代わりとなり逮捕される。

刑事コロンボ「忘れられたスター」結末部と動画ご紹介(※ネタバレ): おすすめおとしぶみ(おすすめ作品・エピソードご紹介)
 グレースに真相を話そうとするコロンボに、ネッドが割って入る。
 「もうたくさんだ。ヘンリーを殺したのは私だ」
 それを聞いたグレースは、ネッドにすがりついて悲痛な声で叫ぶ。
 「あなたが!?嘘よ、そんなこと嘘!!なんでそんなことを!?」
 「君のためだ。ヘンリーが君の復帰を阻んだからだ。」
 「あなたなしじゃ私何もできない。私待っている。あなたが帰ってくるまで復帰はやめて休暇を取るわ……」
 涙ながらに力弱くそう言うグレース。
 「それがいい。さあ、いい子だ。座ってロージーを観ていなさい。君の大好きなロージーを。」
 「あんたの(ボーガス注:虚偽)自白なんてすぐひっくり返されますよ?」
 そう言いながら玄関の扉を開けるコロンボ
 「頑張ってみせる。ふた月間は」
 その、覚悟を秘めたまっすぐな目に、コロンボは言葉を失う。
 そして、目を伏せ、うなずきながら小さくつぶやいた。
 「そう……それがいいね……」
(ちなみにこのとき、グレースが観ている「ウォーキングマイベイビー(原題Walking my baby back home)(1953年)」という映画は実際に(ボーガス注:グレース役の)ジャネット・リーが主演した映画。)

忘れられたスター: 風の便りの吹きだまり
 グレースを演じたジャネット・リーがなんといってもすばらしい。ジャネット・リーもまた往年の名女優で、劇中では、ジャネット・リーが20代のときに実際に主演したミュージカル映画「ウォーキング・マイ・ベイビー」を、うっとりと鑑賞するシーンがある。まさに「虚実皮膜」の間を行き来するような、名演技である。ジャネット・リーは、かつての輝きを追い求めようとするグレースという女優と自分とを、重ね合わせていたのではないか、と思えるほどの、鬼気迫る演技である。
 後半、コロンボがネッドに、夫を殺した犯人が妻のグレースであるという推理を語る場面で、ネッドがコロンボに語るセリフが印象的である。
「君なんかにはとうていわからんだろうがね。スターとは、不思議なものなんだ。それは、奇妙な恍惚と、自己顕示欲を満足させてくれる。これをうまくさばける人はわずかな人しかいないんだ。かわいそうに、グレースには、それができなかった。彼女はたしかに野心がありすぎた。しかし殺人なんて。それも僕がずっと、愛した人だ。僕にはとても、そんなことは信じられない」
「でも、(殺したのは)あの方(グレース)なんです」
 コロンボは、ネッドの思いを断ち切るかのようにきっぱりと言い放つ。
 そしてこの物語は、シリーズ中、最も悲しく、切ない結末を迎えるのである。

刑事コロンボ「忘れられたスター」|genzo19711
 犯人役のジャネット・リー
 3回も見たのに、全然分からなかった。ヒッチコック映画「サイコ」のバスルームで殺される役の女優なのですね。
 「サイコ」からずいぶん年を経て変わられてしまったので分からなかった…、と言い訳しようとしましたが、「忘れられたスター」は「サイコ」の15年後。あれ?老けるにしちゃ早すぎませんか…?
 調べてみたら、「忘れられたスター」の時のジャネット・リーは、なんと48歳。
 ずいぶんと老け役をOKしたのですね。というか、「サイコ」でも「忘れられたスター」でも、それだけ役になり切る女優の技というか魂のようなものを感じました。
 作中、「小道具」として登場する映画Walking My Baby Back Homeは、ジャネット・リー本人が出演する実在のミュージカル映画。犯人像に深みが出ますね。スター俳優を起用できるからこその小道具と言えますね。いずれにしても、ジャネット・リーの美しさは輝いています。

刑事コロンボ32話「忘れられたスター」 - 僕に踏まれてない町と、僕が踏まれてない町2011.8.26
 毎週月曜日の20時からミステリーチャンネルでコロンボをやっている。
 ミステリーチャンネルは各話の放送後に、HPで解説をアップしてくれている。これが結構面白い。
 先週は「忘れられたスター」という回で、コロンボサンセット大通りといった感じの話だった。
 コロンボは当然犯人を見つけ、その事を犯人の元恋人に告げる。しかし犯人(ジャネット・リー)は、余命2ヶ月の不治の病に犯されており、さらに記憶障害となっていて自分が犯人だと分かっていない。
 そんな中、元恋人は(嘘だけど)自分が犯人だとコロンボに名乗り出る。
そしてラストシーン。
(以下、ミステリーチャンネルから抜粋)
コロンボ「It's not gonna take much to break your story.」
 (直訳:あんたの証言なんて、すぐにひっくり返されますよ)
元恋人「It might take a couple of months.」
 (直訳:2ヵ月はかかるかもしれないだろう)
コロンボ「Yes...Yes, It might.」
 (直訳:そう……、そう、かかるかもしれないね)
額田やえ子氏の台本では、ここは以下のようになっている。
コ:「あんたの自白なんか、すぐひっくり返されますよ」
ネ:「二月はがんばるさ*24
コ:「(静かに)そう、せめて二月ね」
☆そして、放映版は、以下の通り。話し言葉のキレとリズム、そして分かりやすさを信条とする左近允洋氏の名演出は、この名ラストシーンを、こう仕上げている。
コ:「あんたの自白なんか、すぐひっくり返されますよ」
ネ:「がんばってみせる。二月間は」
コ:「そう、それがいいね」
 違い分かりますか??
 つまり、犯人は後2ヶ月の命なので、元恋人はそのまま何も知らずに死なせてやろうと考えた訳です。
 そして、その事に対するコロンボの肯定度が全然違う。
 最初の英語版は、言葉ではあまり肯定しておらず、無言で納得していく感じ。
 台本版はちょっと汲み取り辛いけど、「頑張ってね」といった突き放した感じにも読める。
 放映版は、完全に肯定している。
 コロンボが大好きな自分としては、放映版のように全てお見通しというような演出がたまらない。
 逆に英語版だと、コロンボが相手に渋々乗ったという感じで、もっと鋭く洒落てよ!という気分になったと思う。
 原語と訳語では大分イメージが違うのだろうなぁと思っていたけど、こういう些細なところが勝負なんだろうなぁ。
 翻訳にも立派な「演出」があることにちょっと感動。

*1:1881~1959年。1952年に『地上最大のショウ』でアカデミー作品賞受賞

*2:1906~2002年。1945年、『失われた週末』でアカデミー監督賞を、1950年、『サンセット大通り』でアカデミー脚本賞を、1960年、『アパートの鍵貸します』でアカデミー監督賞、脚本賞を受賞(ビリー・ワイルダー - Wikipedia参照)

*3:1929年の『コケット』でアカデミー主演女優賞を受賞。1933年に引退。1975年にアカデミー名誉賞を受賞(メアリー・ピックフォード - Wikipedia参照)

*4:1954年に『第十七捕虜収容所』でアカデミー主演男優賞受賞

*5:日本テレビ系「火曜サスペンス劇場」の放送100回記念作品として1983年8月30日に放送された(麗猫伝説 - Wikipedia参照)

*6:1996年、文藝春秋

*7:ネグリポーランド出身であることによるジョーク

*8:1928~2014年。名子役として一世を風靡するが大人の女優に成長することが難しくなり、22歳の時に結婚を機に引退。その後、知名度を買われガーナ大使(1974~1976年)、国務省儀典長(1976~1977年)、チェコ大使(1989~1992年)などの公職を歴任(シャーリー・テンプル - Wikipedia参照)

*9:1899~1983年。1964年に『マイ・フェア・レディ』でアカデミー監督賞を受賞

*10:1913~1967年。1939年に『風と共に去りぬ』で、1951年に『欲望という名の電車』でアカデミー主演女優賞受賞

*11:1892~1969年。脚本家

*12:1945年公開。ビリー・ワイルダーがアカデミー監督賞を受賞

*13:1948年公開。日本では劇場未公開だが、『異国の出来事』のタイトルでテレビ放映やビデオソフト化がなされている。

*14:1892~1976年。ゲティ石油創業者

*15:1927年公開。キリストの生涯を描いた

*16:1923年公開

*17:但しバスター・キートン - Wikipediaによれば、この後、キートンは、『サンセット大通り』の興行的成功のおかげでしょうが、1952年にチャップリン監督、主演の『ライムライト』に出演しているとのこと

*18:1937年公開、ジャン・ルノワール監督。シュトロハイムはドイツ軍人ラウフェンシュタイン大尉を演じた。

*19:1950年公開。ジョーゼフ・L・マンキーウィッツがアカデミー監督賞を受賞

*20:1906~1972年。彼の友人である俳優デヴィッド・ニーヴン(1910~1983年、1958年に『旅路』でアカデミー主演男優賞を受賞)は自身の自伝で、1937年にサンダースが自分は65歳になったら自殺すると宣言していたことを述懐している。その言葉どおり、65歳となった1972年、睡眠薬自殺した。遺書には「退屈だからオサラバするよ。もう十分長生きした。このステキな糞溜めの中で、君たちが不安に頭を抱えたままにしておこう。せいぜいお幸せに。」と書かれてあった(ジョージ・サンダース - Wikipedia参照)。

*21:1884~1957年。映画会社MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)の共同創始者の一人。メイヤーの経営手腕と映画業界への貢献は誰もが認めるところであるが、反面その人格には批判が絶えない。クラーク・ゲーブル(1901~1960年、1934年に『或る夜の出来事』でアカデミー主演男優賞を受賞)が給料の値上げを直訴したときに、メイヤーは彼にジョーン・クロフォード(1904~1977年)との不倫を暴露すると脅迫し、要求額の半額に値切ったという(ルイス・B・メイヤー - Wikipedia参照)。

*22:陸軍幼年学校の開校記念祝典で大砲が暴発し、理事長のヘインズが爆死した。経営難に陥った学校を男女共学の短大にしようとしていたヘインズ。彼と対立していた校長のラムフォード大佐が、伝統ある学校を守ろうと大砲に細工したのだ((28)「祝砲の挽歌」 - 刑事コロンボ - NHK参照)

*23:ワイン醸造会社経営者のエイドリアン・カッシーニドナルド・プレザンス)は、父の遺産を受け継ぎ、腹違いの弟リックはワイン醸造会社を受け継ぐ。しかし、弟リックは経営には無関心で、実質上の経営者である兄を差し置いて、大手酒造会社にワイナリーを売却することを告白。ワイン造りを愛する兄エイドリアンは逆上し、リックを殺害してしまう(19話「別れのワイン」 | ブログ刑事ぼろんこ参照)。

*24:直訳よりも「頑張る」と意思が強調されています。