テレ朝・おはよう時代劇『暴れん坊将軍9』第30話「旗本屋敷の秘密!罠に落ちた子連れ医者」(1999年放送の再放送)(2023年11月24日記載)

◆第30話「旗本屋敷の秘密!罠に落ちた子連れ医者」(2023年11月24日再放送)
 以下の通り、記事を紹介しておきます。

番組詳細|テレビ朝日
第30話「旗本屋敷の秘密!罠に落ちた子連れ医者」
 ヤクザに追われた気の弱そうな男が、助けを求めてめ組に逃げ込んできた。その男はお凛の顔を見て親しげに声をかけるが、お凛に無視されてしまう。二人の間にどんな関係があるのか、吉宗は興味を持つが、お凛は何も語ろうとはしない。数日後、吉宗とお凛は境内で再びその男と出会う。男はお百度を踏みながら熱心に願い事をしていた。お凛が重い口を開いたところによると、男は与一呂という名で本人は医者のつもりだというのだが

暴れん坊将軍9
第30話「旗本屋敷の秘密!罠に落ちた子連れ医者」
 お凛が昔憎からず思っていた医師志望の男(ボーガス注:与一呂)は、未だに雀医者。博打のカタに引き受けた仕事は、旗本屋敷の賭場で痛めつけられた富商の倅を延命させるやばいヤマ、しかし新さんの助けで窮地を脱した男は、持ち前の本草の知識で難しいケースの妊婦を救い、(ボーガス注:吉宗に「小石川養生所の薬草園」担当者に任命され)やっと道が開けることになる。
※与一呂に蛭子能収*1、頼りないダメ男を好演、(ボーガス注:妊婦の命を救うために)薬を求めて必死で走る姿はよい画。

猛虎の伸助
 暴れん坊将軍9第30話「旗本屋敷の秘密!罠に落ちた子連れ医者」
 冴えない医師・与一呂役 #蛭子能収 さん
 お凛が昔憎からず思っていた医師志望の与一呂(蛭子能収)が引き受けた仕事は旗本屋敷の賭場で痛めつけられた富商の倅を延命させるヤマ
 新さんの助けで窮地を脱した与一呂は持ち前の知識で難しいケースの妊婦を救う。
 そして、その博打場を設け私服を肥やす旗本・大野左兵衛(工藤堅大良*2)を吉宗が成敗!

 「旗本屋敷の賭場」で豪商のどら息子たちをインチキ賭博にはめて、金を脅し取り私腹を肥やす旗本寄合席・大野左兵衛(工藤堅大良*3)。
 ただし、それは視聴者側にはかなり早い段階で分かりますが、吉宗側には分かりません。吉宗が事情を知るのは「知り合いとなった与一呂(蛭子能収)」が大野一味に引き込まれてから。
1)刺殺体で発見されるが、何故か酷い拷問を受けてる「豪商のどら息子A」。
 実は「金を素直に払わないどら息子」に拷問を加えたあげく、やり過ぎて瀕死の重傷を負わせたがために殺したのだった
2)同様の刺殺体で発見された町医者。
 実は「拷問しても死なないよう」町医者をスタンバイさせていたが、さすがにあまりにもブラックな代物に医者がやる気を失い、「辞めたい」と言い出したため口封じに殺したのだった。
3)旗本屋敷の賭場について「南町奉行同心」に告発するどら息子B。
 しかしこの同心は大野一味とグルであり、口封じに殺されるB。
4)さて、2)の続きですが、後釜として選ばれたのは雀医者の与一呂(蛭子能収)。
5)彼も逃げようとして殺されかけますが、勿論吉宗によって助けられます。
 その後の流れは、暴れん坊将軍9が書く通りで「難しいケースの妊婦を救う」ことで医師の道が開けます。本草学の知識を評価した吉宗により「小石川養生所の薬草園」担当者に任命される与一呂。
 一方で悪徳旗本は吉宗がいつも通り成敗。
 エンドは側用人・有馬彦右衛門(名古屋章)の言葉「(与一呂が薬草園担当者になり)つまり雀医者が藪医者くらいには出世したわけですな」で落ちがつきます。
 とはいえ、視聴者で「雀医者から藪医者に出世」の意味が分かった人間はどれほどいるのか?。
 俺も「見た直後は意味不明」でググって「雀医者て、そういうことなのか?」と理解しましたからね。
【参考:雀医者

「藪医者より下手な医者の名称がある」について考える - 団塊オヤジの短編小説goo
 最初に断っておきますが、これはお医者さんの悪口ではありません。庶民の洒落です。
 昔は、資格などありませんから「私は医者だ」と言えば医者でした。
 「あの医者は藪医者だ!」と言ったりします。
 藪医者とは適切な診療能力、治療能力のない医者のことを指す俗称です。しかし、この藪医者よりもさらに能力がない医者のことを指す言葉があります。
 藪医者より下手な医者のことを「たけのこ医者」と呼びます。
 なぜ「たけのこ」なのかというとたけのこが大きくなると「竹」になります。
 竹がたくさん増えると「竹藪」になります。
 つまり「たけのこは藪に至らない」ことから「藪にもなれない未熟な医者」のことを「たけのこ医者」と呼ぶようです。
 その他にも藪以下の医者の名称が存在します。
◆土手医者
 藪以下の全く見通しのきかない医者のこと。土手の向うは見えませんから。
雀医者
 これから藪に向かって飛んでいこうとする医者のこと。雀のお宿は藪と相場が決まっています。
◆紐医者
 これにかかったらまず助からない医者のこと。こんがらかるとどうにもなりませんから。

薬剤師の毒島さんにお礼を:日経メディカル
 ヤブ医者より下手な医者には、土手医者や筍医者、雀医者などがいるという。藪にもなれていないのが土手医者で、藪の下に生えているのが筍医者、藪を目指して飛んでいくのが雀医者というわけだ。落語のネタとして爽太はそれを知っていた。父親が落語好きで、子供の頃によくテープをかけていたのを聞いていたからだ。

【上方落語メモ第1集】その6 / ちしゃ医者から一部引用
 「竹の子医者」といぅのがありますねぇ、これは、これから育って藪になろぉ、といぅ医者ですね。
 で「スズメ医者」、これから藪へ向かって飛んで行こぉ。

落語小噺の部屋: 「藪医者/寿命医者/手遅れ医者」桂枝雀の場合から一部引用
 藪医者と言われたら、あっ、まだ一人前や、言う人がいますね。
 土手医者ちゅうかねぇ、藪の下ぁのお医者さんがあるんですねぇ。
 あの、雀医者ちゅうのは、これから、藪へ飛んでいこうちゅうような、あの、お医者さんもあったそうですからなっ。

 なお、落語のネタ以外では「藪医者」以外の言葉(雀医者、筍医者、土手医者)はほとんど使われない死語の気がします。
 但し、「暴れん坊将軍」では与一呂は「最も一般的な呼び方」である「藪医者」ではなく「雀医者」と呼ばれ、エンドは側用人・有馬彦右衛門(名古屋章)の言葉「(与一呂が薬草園担当者になり)つまり雀医者が藪医者くらいには出世したわけですな」で落ちがつきます。


【参考:ちしゃ医者】

ちしゃ医者 - Wikipedia
 上方落語の演目の一つ。
【あらすじ】
 深夜、村人が藪医者の赤壁周庵のもとへ急患だから来てくれとやってくる。口の悪い下男久助は「うちの先生に診てもうたらかえって命危ないで。」と断るが、「いや、もう死にかけてんねんけど、最後の脈を取ってもらう医者が要るんで、誰でもよろしいねん。」
 それを聞いて周庵先生、久助と村人に駕籠を担がせて往診に行く。
 途中で病人が死んだことがわかり、村人は「もう先生要りませんよって、さいなら。」と周庵と久助を置いて帰ってしまう。
「弱ったなあ。これじゃあ駕籠担ぐ奴おらんで。」
「何言うてまんねん。先生片棒担ぎなはれ。」
「何じゃ。ワシが担がんとあかんのかいな。」
 大弱りのところへ下肥組の百姓が来かかり「わしが代わりに担ぐよって先生駕籠に入ってなされ。」と声をかける。「ああ。そらすまんな。」と喜ぶのもつかの間、「かわりに肥の入った桶、駕籠に入れさしとくんなされ。」
 「これ何するのじゃ。」
 医者は臭気のただよう桶を抱えて駕籠に入る羽目に、しかも揺れるたびに桶の中身が跳ねるので医者は閉口する。
 百姓は手水を汲むために立ち寄った家の婆さんに、手水を汲むお礼に何をくれるのかと尋ねられる。「いや。今日は何もないねん。駕籠に医者がおるだけじゃ。」と返事するが「医者」と「ちしゃ」(レタス)と聞き間違えた婆さん、駕籠の扉をあけ桶に手をつっこんで中身を周庵の顔につけてしまい、怒った周庵が婆さんを蹴り倒す騒ぎとなる。
 婆さんの「助けて」の悲鳴に息子が飛び出し、周庵を駕籠から引きずり出して殴りつける。
「これ、何しゃさんす。痛いがな。」
「おのれは何さらす!母に足かけくさって!」と怒るのを久助が「足でよかった。手にかかったら、命がないで。」
【概説】
 「駕籠医者」ともいう。
 6代目笑福亭松鶴(1918~1986年:上方落語協会2代目会長)、2代目露の五郎兵衛(1932~2009年:上方落語協会5代目会長)、2代目桂枝雀(1939~1999年)らの得意ネタである。初代桂春團治(1878~1934年)は、医師・周庵が奇妙な咳払い「ダッフンダー!」を用いるナンセンスな演出を創作。初代春団治による「ダッフンダー!」は、2代目桂枝雀が受け継ぎ、さらに志村けん(1950~2020年)によるギャグ「ダッフンダ」になったとされる。

【アーカイブ】志村けんが語る桂枝雀「だっふんだぁ」も:朝日新聞デジタル
 枝雀さんの落語と出あったのは、いろんなものを吸収しようとしていたころでした。ザ・ドリフターズでの「8時だヨ!全員集合」が85年に終わって、5人ではない形でどうやっていくのか考えていた。「枝雀、知ってる?。すごくおもしろいよ」とだれかに言われたんじゃないかな。落語には違いないんだけど、まったく別物のようで理屈抜きで笑えた。すごい改革だと思いましたね。

志村けんの「だっふんだ」に起源あり!? その元ネタとは? | QUIZ JAPAN
 志村けんが扮する「変なおじさん」が、オチでいうセリフ「だっふんだ」には、実は元ネタがありました。それは上方落語。1999年に逝去した噺家桂枝雀が得意とした噺「ちしゃ医者」の中で、医者がする咳払いの大げさな表現として使われたものでした。それを見た志村が面白がり、自分のギャグとして取り入れたということを、桂枝雀の弟子である桂南光が明かしています。

志村けんから一喝「わかってないんだよ!」笑福亭笑瓶が見た〝凄み〟
笑福亭笑瓶
 印象的だったのは、(2代目・桂)枝雀師匠のお話です。志村師匠から「笑瓶さん、大阪の落語家さんでしょ?。僕、枝雀さんが好きでね」ときて。続けて、「枝雀さんの落語の中に出てくるキャラクターが変なしゃべり方するの。それがもう面白くってねぇ。コントにいかせないかと思って。『そのキャラクターを使わせていただいてもいいですか?』って枝雀師匠に直接ご連絡して許しを得たんですよ」とおっしゃってました。
◆インタビュアー
 律義に許可を得ていたんですね!。有名なのは桂枝雀さんの代表的な演目『ちしゃ医者』からヒントを得た「だっふんだぁ」がありますが、そのことでしょうか?
笑福亭笑瓶
 そこまで確認はしてないんですが(笑)、そうなのかもしれません。

立命亭八楽
 今さらやけど志村けんの「ダッフンダ」の元ネタって枝雀師匠やったんよな。「ちしゃ医者」の赤壁周庵先生。
 今もあの咳を継承してるのは(ボーガス注:二代目・桂枝雀の弟子である)雀さんこと雀三郎師匠。

*1:1947年生まれ。『月刊漫画ガロ』(青林堂)1973年8月号掲載の入選作『パチンコ』で漫画家デビューするが、青林堂の経営難により原稿料は支払われなかった。その後も漫画家としては売れず、ダスキンのセールスマンで収入を得ていたことから次第に蛭子は限界を感じ、郷里の長崎に帰る決意を固める。1979年頃、青林堂創業者で初代『ガロ』編集長の長井勝一(1921~1996年)に別れの挨拶を述べるため青林堂を訪れるが、蛭子の才能を惜しんだ長井は「単行本を出版して応援するから、それでも売れなかったら帰ればいい」と説得したという。1981年には初単行本『地獄に堕ちた教師ども』が青林堂から刊行されるのを機にダスキンを退社して漫画家として独立。その後、三流劇画誌『漫画ピラニア』『漫画ラブ&エロス』『漫画カルメン』『劇画セルフ』『劇画ブッチャー』『漫画パーキング』など一般書店に並ばない自販機雑誌で数多くの連載を持ち、後に「自販機本漫画界の大御所」と評されるが、これらの雑誌は国立国会図書館に所蔵されておらず、その活動の全貌はつかみがたい。1980年代中頃、劇団「東京乾電池」の柄本明から劇団ポスターを依頼され、劇団に出入りするようになる。その後、柄本の依頼で東京乾電池の公演『台所の灯』(1987年5月15日)に出演。これがフジテレビプロデューサーの横澤彪の目に留まり、1987年に『笑っていいとも!』(フジテレビ)に文化人枠でレギュラー出演。フジテレビドラマ『教師びんびん物語II』(1989年)への俳優としての出演を皮切りにテレビ番組に本格的に進出し、数多くのバラエティ番組に出演している(蛭子能収 - Wikipedia参照)

*2:暴れん坊将軍9』(1999年)当時の芸名。後に本名の工藤堅太郎(読みはどちらも「くどう・けんたろう」で同じ)に戻している。

*3:1941年生まれ。1959年、神奈川県立横浜平沼高校卒業後、劇団俳優座養成所に第11期生として入所。同期には勝呂誉(1940年生まれ)・中村孝雄(1937年生まれ)・岩本多代(1940~2020年)らがいる。卒業後は「劇団に入っては喰ってはいけない」と半年間は所属なしの浪人の後、1962年、俳優座東野英治郎(1907~1994年)の推薦もあって、給料の約束された映画会社「大映」と専属契約を結び、初期は大映の製作した映画、ドラマに多数出演。著書『役者ひとすじ』(2014年、風詠社)、『続・役者ひとすじ』(2016年、風詠社)。(工藤堅太郎 (俳優) - Wikipedia参照)