石丸の件で以前書いた「以下の拙記事」を思い出しました。
新刊紹介:「歴史評論」2024年6月号 - bogus-simotukareのブログ
◆パブリック・ヒストリー*1と非専門家:歴史実践におけるオーソリティの共有(菅豊*2)
(内容紹介)
学会では「問題点がありすぎる」として全く評価されなかったにもかかわらず「優れた学術図書」に与えられる建前の「サントリー学芸賞(2022年)」を受賞した竹倉史人『土偶を読む』(2021年、晶文社)を批判する望月昭秀*3他編『土偶を読むを読む』(2023年、文学通信)を紹介すると共にサントリー学芸賞のように「非専門家が専門家(今回は考古学)の領域を無神経に侵害して恥じない日本の現状」について論じています(小生の無能のため詳細な紹介は省略します。)
これについては新刊紹介:「歴史評論」2023年11月号 - bogus-simotukareのブログでも触れたので紹介しておきます。
何が言いたいかと言えば「立民や共産など蓮舫陣営に問題が無いとは言いませんが」、ポピュリズムは手強いと言うこと、そして何もポピュリズムは「政治の世界だけでは無い」ということです。学問の世界にもある。
そして、学問ポピュリズムは、竹倉『土偶を読む』(2021年、晶文社)に限らない。「ホメオパシー」などのインチキ治療、と学会が取り上げてきた「トンデモ学説(大野晋・学習院大学名誉教授(1918~2008年)の日本語・タミル語起源説*4など)」なども話は同じです。
人間は「正しいかどうか」より「自分にとって魅力的かどうか」で受け入れる傾向があり、そこを上手く突くのがポピュリストの訳です(とはいえ俺にとっては、「石丸ら政治的ポピュリストの多く」も、「多くの学問ポピュリズム*5」も魅力的ではないので「魅力を感じる人間」の気持ちがまるで分かりませんが。ただし、恥を忍んで言えば「大野の日本語タミル語起源説」は「本当かよ?」とは思ったものの、大野の「別の学問的業績(こちらは高く評価されてる)」から「大野氏の主張だし本当なのかな?、だとしたら面白いな」と思ったことは書いておきます。まあ、俺に限らず素人の多くはそんなもんでしょう)。
そういう意味では野党共闘の完敗と自民党の惨敗、東京都知事選における共産党の危機突破作戦は頓挫した、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その29)、岸田内閣と野党共闘(94) - 広原盛明のつれづれ日記において「反党分子」広原が「石丸ブーム」について蓮舫陣営(特に共産)ばかりに悪口することには全く賛同できませんね。
「学問の世界のポピュリズム(竹倉史人『土偶を読む』など)」について、「京都府立大学名誉教授」広原がどう思うのか聞きたいところです。
多分「そんなものを宣伝するマスコミが悪い。我々、学者のせいにするな」と広原は言いだし、「石丸(立民、共産などを力不足と非難)と扱いがまるで違う」ことを露呈するのでは無いか。
なお、歴史評論論文において菅豊氏は「トンデモ学説を、世間受けがいいことを理由に、無批判に宣伝するマスコミの無責任さ」「そうしたトンデモ学説を支持する人間の不勉強さ」を批判した上での話ですが
「我々学者も、そうしたトンデモに対する批判活動が弱かったのでは無いか?」
「正しいことを言えば広がるはず、広がらないのは受け入れないマスコミなどが悪いという態度で無かったか?」
「竹倉本を積極的に批判しているのは、学者よりもむしろ素人の望月昭秀氏だった」
「竹倉本のようなトンデモ学説批判を強める必要がある(但し、学術ポピュリズムの力は強いので、長い戦いが続くだろうという悲観的な予測)」
と反省の弁を述べています。
なお、石丸もそうですが大抵のポピュリストは「偉そうなことを抜かしても」自分への批判は嫌います。
自分に都合の良い土俵で話をしようとする。この点は竹倉も変わらなかったようです。
新刊紹介:「歴史評論」2023年11月号 - bogus-simotukareのブログでも紹介しましたが、以下の通りです。
ベストセラー『土偶を読む』の反論本著者が語る検証の杜撰さ、メディアの責任 あえて『土偶を読むを読む』を出版した望月昭秀氏が伝えたかったこと【前編】(1/3) | JBpress (ジェイビープレス)
記者
竹倉さんの反応はいかがですか? 竹倉さんは刊行後のインタビューで、「本書で展開されている仮説に異論がある方がいるとしたら、ぜひ公開討論で討議したいところです」(『サイゾー(2021年5月29日)』の記事)とおっしゃっていました。
望月
それが、討議を申し込みましたが、すげなく断られてしまいました。最初から完璧な仮説ってほとんどないはずなんです。いろんな方面から、いろんな意見や指摘を受けて磨かれたほうが、竹倉さんの説にとっても意味があるのではないかと僕は考えていますが、寂しいものです。
『土偶を読む』の著者である竹倉さんに討論会の打診をした件について。|縄文ZINE_note
結論から言えば、断られました。
理由は「忙しい」とのこと。
これは意外でもあり、想定内の返答でもありました。意外なのは、『土偶を読む』の著者である竹倉さんは、さまざまな場所で、討論会をやるべきだ、この説は議論となるべきだと発言されていたからです。
しかし、残念ながら討論の申し出は断られてしまった。
本当に忙しくて時間がとれないのかもしれないし、時間ができたら討論に応じる可能性はあるのかもしれないし、書籍での反論は書籍をもって、との考えがあるのかはしれないが、もし議論を前に進めたいのであれば、これは簡単に断るべきではないだろう。今でなくても討論を受ける姿勢は保つべきだろう。イベントでなくても媒体は色々ある。
議論になってほしい、討論したい、との言説がただのポーズでなければ。
断られるのが「想定内」だった理由は、この間、竹倉さんが落合陽一さんのラジオ(TOKYO SPEAKEASY)に出演された時(ほとんど土偶の話、落合さんの振る『土偶を読むを読む』の話をあからさまに避け続けていた)の印象もあったのですが、結局のところ『土偶を読む』の読みときが間違えだったということが大きいんだと思う。それは、多分、竹倉さんもわかっているはずで、やはり事実に基づかない話はどうやっても深まらない。竹倉さんがいかな強弁者だったとしても、反証する多くの指摘に応える術がないのだろう。
討論や議論には参加しないけど、新作、続編を出すということのようなので、どう切り抜けるのか、そこも注目してみたい。
*1:「非研究者と研究者の意見交流」のこと
*2:東大教授。著書『修験がつくる民俗史:鮭をめぐる儀礼と信仰』(2000年、吉川弘文館)、『川は誰のものか:人と環境の民俗学』(2006年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『「新しい野の学問」の時代へ』(2013年、岩波書店)、『鷹将軍と鶴の味噌汁:江戸の鳥の美食学』(2021年、講談社選書メチエ)等
*3:ニルソンデザイン事務所代表。書籍の装丁や雑誌のデザインを主たる業務としながら、雑誌『縄文ZINE』を2015年から発行し編集長をつとめる。著書『縄文人に相談だ』(2018年、国書刊行会→2020年、角川文庫)、『縄文力で生き残れ』(2018年、創元社)
*4:「日本語・タミル語起源説」については例えば、大野『日本語とタミル語』(1981年、新潮社)や大野を批判した村山七郎『日本語・タミル語起源説批判』(1982年、三一書房)。但し「多くのトンデモ論者」と違い、「大学教授」大野は別途まともな学術業績があるので困りものです。自費出版やマイナー出版社(例:ハート出版)からの著書が多い「多くのトンデモ論者」と違い、『日本語の年輪』(1966年、新潮文庫)、『日本語の文法を考える』(1978年、岩波新書)、『古典文法質問箱』(1998年、角川ソフィア文庫)、『日本語練習帳』(1999年、岩波新書)、『源氏物語のもののあはれ』(2001年、角川ソフィア文庫)、『日本語の教室』(2002年、岩波新書)、『源氏物語』(2008年、岩波現代文庫)等、大手の出版社からも大野は多数著書を出しています(大野晋 - Wikipedia参照)