大震災で中村哲医師の父が殺されかかった話 - 高世仁のジャーナルな日々
1923年(大正12年)9月の関東大震災後に起きた朝鮮人虐殺。
この追悼式に東京都の小池百合子*1知事は今年も追悼文を送らなかったが、埼玉、千葉の県知事は追悼文を寄せたとニュースになっていた。埼玉、千葉では、式を主催する市民団体が初めて追悼文を依頼し、両県知事が応じたのだという。
1)石原*2都知事ですら追悼文を送っていた
2)大野*3埼玉県知事、熊谷*4千葉県知事共に保守系。また、千葉、埼玉共に県議会の大多数は自民党(アンチ自民の俺としては実に不愉快ですが)
であることを考えれば、いかに小池が酷いかと言うことです。
さいたま市長は昨年に続いて追悼文を送付。犠牲者の多かった熊谷市、本庄市*5、上里町では市町長自らが地元の追悼行事に出席して追悼の言葉を述べた。
千葉県の熊谷俊人知事も、実行委の依頼に応じ、1日の追悼式典に初めて追悼文を送った。同じ式典に、船橋、八千代*6、習志野、市川、鎌ヶ谷の5市長も追悼文を寄せた。
上記の市町の首長達については
【経歴はウィキペディア参照】
◆清水勇人(さいたま市長)
埼玉県議を経て2009年からさいたま市長
◆小林哲也(熊谷市長)
埼玉県議を経て、2021年、野中厚*7ら自民党関係者の支援を受けて、森田俊和*8らの支援を受ける元熊谷市議の閑野高広を破って熊谷市長初当選。熊谷市議、埼玉県議を経て熊谷市長(1986~2002年まで3期12年)を務めた小林一夫(1929~2007年)は父
◆吉田信解(よしだ・しんげ:本庄市長)
父は仏教学者で大正大学(真言宗系)名誉教授の吉田宏晢*9。真言宗智山派総本山「智積院」(京都市)にて研修を終え(ボーガス注:父の後を継いで、宥勝寺*10の?)住職の資格を取得*11(ということで「信解(しんげ)」という「変わった名前」は僧侶名で、「森田健作(元俳優、元千葉県知事:本名は鈴木栄治)」「不破哲三(共産党前議長、本名は上田建二郎)」等と同様、本名でない可能性がありますが確認はしていません)。本庄市議を経て、2006年から本庄市長。
◆山下博一(上里町長)
◆松戸徹(船橋市長)
船橋市秘書課長、副市長等を経て、自民、民主(当時)、公明の推薦を受け、2013年、船橋市長に当選
◆服部友則(八千代市長)
八千代市議、千葉県議を経て2017年から八千代市長
◆宮本泰介(習志野市長)
習志野市議を経て、自民、公明の推薦を受け、2011年、習志野市長に当選
◆田中甲(市川市長)
市川市議、千葉県議(自民所属)、衆院議員(1993~2003年:新党さきがけ→民主党所属)を経て2022年から市川市長
◆芝田裕美(鎌ケ谷市長)
鎌ケ谷市議を経て2021年から鎌ケ谷市長
として、「首長名を記載(ウィキペディアで経歴が分かる場合は経歴も記載)するのみにとどめ」、政治的会派については確認しません(というか確認が困難ですが)が、これらの首長もほとんどが自民党または無所属保守系でしょう。繰り返しますが、いかに小池が酷いかと言うことです。
実は、アフガニスタンでの農業支援で知られる中村哲さん*12の父親・勉さんも、関東大震災の時に朝鮮人に間違えられてあやうく殺されるところだったという。澤地久枝さん*13との対談集『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る*14』(岩波書店)より。
《中村:早稲田大学で勉強しているときに、関東大震災です。それ以来、すっかり東京の人が嫌いになってしまって。
澤地:なぜ嫌いになってしまわれたのですか。朝鮮人の虐殺と関係がありますか。
中村:まさにそれです。九州訛りが強かったものですから疑われて。町内会の一団の人々が、日本刀やら、木刀を持って、通行人を検閲しているのに出会って、「この人は言葉がおかしい」といって、朝鮮人と間違えられて、あやうく殺されそうになった。ところが、ちょうどそこに下宿屋のおじさんが通りかかって、「これは、うちにいる九州から来た早稲田の学生さんだ」と言ってくれて助かったらしい。
これ以来、東京嫌いになってしまって、「あの人たちは、普段は立派なことを言っているけれども、いさというときになると集団で何をするかわからんぞ」と。私もそれを聞かされて、そういう偏見にはぐくまれました(笑)。そのことに対して、父はいつまでも憤りを抱いていました。》(P30)
そしてこの話を中村さんは、こう結んでいる。
《自分の身は、針で刺されても飛び上がるけれども、相手の体は槍で突いても平気だという感覚*15、これがなくならない限り駄目ですね》。
何が「駄目」かというと「日本人が」である。いま、私たちは当時と比べて少しはマシになっているのだろうか?
ひとまず紹介しておきます。
【追記(広松について、その1)】
脚注で触れた宥勝寺の「荘小太郎頼家供養塔」と「廣松渉之墓」 - 学問空間ですが
宥勝寺の「荘小太郎頼家供養塔」と「廣松渉之墓」 - 学問空間2023.12.8
最近、宥勝寺のサイトを見たら、「宥勝寺だより」の最新版、「2023秋彼岸号.pdf」に廣松渉のことが出ていました。西光山宥勝寺
当山に墓所がある、とある有名人についてお話をさせて頂こうと思います。
日本の代表的な哲学者であり、東京大学名誉教授の廣松渉先生。西洋哲学*16の碩学であり、日本の現代思想の旗手として没後三十年を経ても、その高い評価とともに、多くの著名人に影響を与えた人物です。
廣松先生は当山住職*17と東京大学文学部哲学科在学中の学友でございまして、先生は西洋哲学、そして当山住職は印度哲学と分野は違いますが、卒業後も縁があり、昭和五十四年には仏教と西洋哲学という枠組みでの対談本『仏教と事的世界観』を共著で出版しております。
その後長らくお付き合いが続きましたが、残念なことに平成六年*18に行年六十一歳*19にてご逝去されてしまい、生前のご縁から当山に墓地を取り今では新墓地と旧墓地の南端に埋葬されております。
今年になり生誕九十年を記念して、生前の著作が復刻される流れとなり、住職との対談本も復刊される運びとなりまして、八月十五日に作品社より出版されました。右QRコードよりアマゾンの購入サイトへアクセスできますので、もし興味のある方は是非お手にとって頂ければ幸甚です。
【後略】
というのは「何だかなあ」ですね。
「寺の檀家に自民党支持者など右派もいること」に忖度してでしょうが、広松に触れながら「マルクス主義」「新左翼」の文言は見事に出てきません。
【追記(広松について、その2)】
ググってヒットした近年の記事を紹介しておきます。
今週の本棚・なつかしい一冊:佐藤優・選 『世界の共同主観的存在構造』=廣松渉・著 | 毎日新聞2021.1.9
私が同志社大学神学部の2回生のとき(1980年)、神学部自治会(ノンセクトの新左翼系)の友人、滝田敏幸君(千葉県議会議員・自民党)、大山修司君(日本基督教団膳所(ぜぜ)教会牧師)たちと読書会を行い熱中して読んだ本だ。京都の新左翼系学生たちの間で、廣松渉(ひろまつ・わたる)氏の著作は古典的地位を占めていた。
今の私の三割から四割は、高橋哲哉さんでできている。斎藤幸平×高橋哲哉でおくる豪華対談「危機の時代と人文学」(斎藤 幸平,高橋 哲哉) | 群像 | 講談社(2/4)2024.4.5
高橋*20
私が大学に入ったのは、斎藤さんと30年くらい違うのかな。
斎藤*21
私は今36歳です。
高橋
そうですよね、一世代違うんですよね。私が入ったのは1974年なんですが、当時まだマルクス主義の影響はありました。いわゆる学生運動や全共闘運動は収束していたので、残念ながらセクト間の内ゲバといったイメージが強かったんですが、まだ思想的にはマルクス主義は生きていました。
3年生になったときだったかな、駒場で1,2年生向けの廣松さんの哲学概説を聞きました。廣松さんは名古屋大学で助教授の頃、学生運動で学生側にたって大学を辞職。それから大森荘蔵*22先生に誘われて復帰したんですね。廣松さんの本はほとんど読みました。一番面白かったのは『科学の危機と認識論*23』ですね。相対性理論と量子力学について、廣松さんが自身の視点で解説をするという内容でした。当時は廣松渉校訂版の『ドイツ・イデオロギー』が崇拝されていました。廣松さんが授業に入ってくると、講壇の下に「疎外論から物象化論へ」と誰かが書いた紙が垂らされていたり、そういう時代でした。
私は廣松さんの視点からみた哲学史を教わったと思っていて、哲学史の見方は廣松さんの影響を相当受けています。3割か4割(笑)、それ以上かもしれない。当然、『マルクス主義の地平*24』や『世界の共同主観的存在構造*25』、『事的世界観への前哨*26』などには親しんだんですが、経済学はほとんどやらなかった。
斎藤
日本の歴史において、マルクスといえばやはり廣松、宇野*27、そして柄谷行人*28の3人が世界的にも名が知られていて外せないわけですが、この本の中ではその先人たちのことをそんなに批判はしていません。しかし、かなり意識して、彼らの解釈とは違うものを出そうと思っていました。
*1:小泉内閣環境相、第一次安倍内閣防衛相、自民党総務会長(谷垣総裁時代)等を経て都知事
*2:1932~2022年。福田内閣環境庁長官、竹下内閣運輸相、都知事、維新の会代表、次世代の党最高顧問など歴任
*3:参院議員(民進党→国民民主党)を経て2019年から知事。野田内閣で防衛大臣政務官。川口市長(1957~1972、1976~1981年)だった大野元美は祖父
*5:いわゆる本庄事件 (1923年) - Wikipedia(朝鮮人虐殺事件)が起きたことで知られる(事件当時は本庄町)。
*6:関東大震災において、高津地区で自警団による朝鮮人虐殺が発生(事件当時は大和田町)。高津観音寺内に慰霊碑が設けられている(八千代市 - Wikipedia参照)
*7:埼玉県議を経て衆院議員(自民党)。第三次安倍内閣農水大臣政務官、岸田内閣農水副大臣を歴任
*8:埼玉県議を経て立民党衆院議員(重徳和彦の右派グループ「直諫の会」所属)
*9:埼玉県本庄市にある宥勝寺の住職(吉田宏晢 - Wikipedia参照)
*10:話が脱線しますが、宥勝寺 - Wikipediaや宥勝寺の「荘小太郎頼家供養塔」と「廣松渉之墓」 - 学問空間によれば、『仏教と事的世界観』(広松渉と宥勝寺住職・吉田宏晢の共著、1979年、朝日出版社)と言う縁があるからか、このお寺には広松渉(1933~1994年、東大名誉教授。『今こそマルクスを読み返す』(1990年、講談社現代新書)、『マルクス主義の地平』(1991年、講談社学術文庫)、『エンゲルス論』(1994年、ちくま学芸文庫)、『マルクスと歴史の現実』(1999年、平凡社ライブラリー)、『物象化論の構図』(2001年、岩波現代文庫)等の著書があり、戦後の新左翼運動に大きな影響を与えたとされる)の墓があるそうです。「共産支持」の俺個人は「どちらかと言えば左派」とはいえ広松、新左翼運動、マルクス主義には何の思い入れもない(「九条護憲」「軍拡予算反対」「消費税減税」等による共産支持であり、マルクス主義の立場からの共産支持ではない)のですが豆知識、雑学としてメモしておきます。
*11:話が脱線しますが、僧侶資格のある政治家としては例えば【独自】左藤恵・元法相が死去…僧侶として死刑執行命令書への署名拒む : 読売新聞(左藤(中曽根内閣郵政相、海部内閣法相等を歴任)は浄土真宗大谷派)がいますね。
*12:1946~2019年。ペシャワール会現地代表。著書『医者・井戸を掘る:アフガン旱魃との闘い』(2001年、石風社)、『ほんとうのアフガニスタン』(2002年、光文社)、『医者よ、信念はいらないまず命を救え!:アフガニスタンで「井戸を掘る」医者・中村哲』(2003年、羊土社)、『アフガニスタンの診療所から』(2005年、ちくま文庫)、『アフガニスタンで考える』(2006年、岩波ブックレット)、『医者、用水路を拓く:アフガンの大地から世界の虚構に挑む』(2007年、石風社)、『天、共に在り:アフガニスタン三十年の闘い』(2013年、NHK出版)、『アフガン・緑の大地計画』(2017年、石風社)等
*13:著書『妻たちの二・二六事件』(1975年、中公文庫)、『暗い暦:二・二六事件以降と武藤章』(1982年、文春文庫)、『昭和史のおんな』(1984年、文春文庫)、『続・昭和史のおんな』、『もうひとつの満洲』(以上、1986年、文春文庫)、『火はわが胸中にあり:忘れられた近衛兵士の叛乱・竹橋事件』(1987年、文春文庫)、『私のシベリア物語』(1991年、新潮文庫)、『わたしが生きた「昭和」』(2000年、岩波現代文庫)、『家計簿の中の昭和』(2009年、文春文庫)、『昭和とわたし:澤地久枝のこころ旅』(2019年、文春新書)、『記録・ミッドウェー海戦』(2023年、ちくま学芸文庫)等
*15:追記:それは「田中均氏を酷い個人攻撃で外務省退官に追い込んだ人間のクズ・横田早紀江のこと(横田めぐみ氏の拉致で毎回お涙頂戴)」ですか?、「早紀江と親しいらしい高世さん?」と高世に嫌みを言いたくなります。俺は自分の身は、針で刺されても飛び上がるけれども、相手の体(例:田中均氏)は槍で突いても平気という「人間のクズ」早紀江がこのまま病死したところで何一つ同情しません。「早紀江の夫」滋が死んだときも全く同情できませんでしたが。
*16:「西洋哲学」は勿論、間違いではないものの『エンゲルス論』(1968年、盛田書店→1994年、ちくま学芸文庫)、『マルクス主義の成立過程』(1968年、至誠堂)、『マルクス主義の地平』(1969年、勁草書房→1991年、講談社学術文庫)、『青年マルクス論』(1971年、平凡社→2008年、平凡社ライブラリー)、『資本論の哲学』(1974年、現代評論社→2010年、平凡社ライブラリー)、『マルクス主義の理路』(1974年、勁草書房)、『マルクス・エンゲルスの革命論』(共著、1982年、紀伊國屋書店)、『今こそマルクスを読み返す』(1990年、講談社現代新書)、『マルクスと歴史の現実』(1990年、平凡社→1999年、平凡社ライブラリー)、『マルクスの根本意想は何であったか』(1994年、情況出版) 等の多くの著書名(廣松渉 - Wikipedia参照)で分かるように「マルクス哲学」と書くべきでしょう。まあ、マルクス以外にも広松には『メルロ=ポンティ』(共著、1983年、岩波書店)、『現象学的社会学の祖型:A・シュッツ研究ノート』(1991年、青土社)、『フッサール現象学への視角』(1994年、青土社)等の著書もあるようですが
*17:吉田宏晢のこと
*18:西暦だと1994年
*19:1933年生まれの広松が61歳で死去したのは早死にと言うべきでしょう。ちなみに村山元首相(1924年生まれ)、不破元共産党議長(1930年生まれ)等は広松より年上ですがご存命です。
*20:1956年生まれ。東大名誉教授。著書『教育と国家』(2004年、講談社現代新書)、『戦後責任論』(2005年、講談社学術文庫)、『デリダ:脱構築と正義』(2015年、講談社学術文庫)、『犠牲のシステム福島・沖縄』(2012年、集英社新書)、『日米安保と沖縄基地論争』(2021年、朝日新聞出版)、『沖縄の米軍基地「県外移設」を考える』(2015年、集英社新書)、『沖縄について私たちが知っておきたいこと』(2024年、ちくまプリマー新書)等
*21:1987年生まれ。東大准教授。著書『人新世の「資本論」』(2020年、集英社新書)、『大洪水の前に:マルクスと惑星の物質代謝』(2022年、角川ソフィア文庫)、『ゼロからの「資本論」』(2023年、NHK出版新書)等
*22:1921~1997年。東大名誉教授。著書『知の構築とその呪縛』(1994年、ちくま学芸文庫)、『思考と論理』、『物と心』(以上、2015年、ちくま学芸文庫)、『新視覚新論』(2021年、講談社学術文庫)等
*27:1897~1977年。東大名誉教授。著書『資本論の経済学』(1969年、岩波新書)、『「資本論」と社会主義』(1995年、こぶし書房)、『価値論』(1996年、こぶし書房)、『恐慌論』(2010年、岩波文庫)、『増補・農業問題序論』(2014年、こぶし書房)、『資本論に学ぶ』(2015年、ちくま学芸文庫)、『経済原論』(2016年、岩波文庫)、『社会科学としての経済学』(2016年、ちくま学芸文庫)、『経済学(上)(下)』(2019年、角川ソフィア文庫)等(宇野弘蔵 - Wikipedia参照)。なお、こぶし書房 - Wikipediaによればこぶし書房は2024年6月で廃業とのこと
*28:1941年生まれ。法政大学教授、近畿大学教授等を歴任。著書『マルクスその可能性の中心』(1990年、講談社学術文庫)、『<戦前>の思考』(2001年、講談社学術文庫)、『世界共和国へ』(2006年、岩波新書)、『坂口安吾と中上健次』(2006年、講談社文芸文庫)、『日本精神分析』(2007年、講談社学術文庫)、『定本・日本近代文学の起源』(2008年、岩波現代文庫)、『トランスクリティーク:カントとマルクス』(2010年、岩波現代文庫)、『反文学論』(2012年、講談社文芸文庫)、『遊動論:柳田国男と山人』(2014年、文春新書)、『世界史の構造』(2015年、岩波現代文庫)、『憲法の無意識』(2016年、岩波新書)、『新版・漱石論集成』(2017年、岩波現代文庫)、『世界史の実験』(2019年、岩波新書)、『哲学の起源』(2020年、岩波現代文庫)、『帝国の構造』(2023年、岩波現代文庫)、『柄谷行人の初期思想』(2023年、講談社文芸文庫)等