北朝鮮における証言・情報について(10月29日会見資料修正)|荒木和博ARAKI, Kazuhiro
①徳永陽一郎
昭和28年(1953年)10月7日 長崎市で失踪 当時18歳 染料店店員
そんな時期の失踪まで北朝鮮拉致という気かと呆れます(ちなみにスターリン・ソ連共産党書記長*1死去が1953年3月、朝鮮戦争停戦が1953年7月で、当時の日本は吉田*2内閣)。一般に北朝鮮拉致は「1970年代から始まった」と見るのが通説です。勿論こうした荒木らの主張にまともな根拠は何もありません。
(21) 加藤久美子 昭和45年(1970)8月8日 福岡県北九州市で失踪 当時22歳 会社員
安明進が「1988年、89年、90年金正日政治軍事大学内で横田めぐみさんと一緒にいた女性だと確信する」と述べている
安が後に「覚醒剤使用」で逮捕され「覚醒剤購入の金ほしさにあること無いこと言った」と告白し、今や奴の証言は「北朝鮮がその事実を認めた横田めぐみ氏の拉致」以外は眉唾であること(安自身も表舞台から姿を消し今や消息不明)に触れないから酷いもんです。
なお、安については
安明進 - Wikipedia
拉致被害者の一人である蓮池薫は「金正日政治軍事大学*3で他の10人の日本人とともに姿を見た」との安証言に対し「北朝鮮で彼に会ったことはない」と発言している(2005年7月29日)
ということで「覚醒剤逮捕」以前からその発言には批判がありました。
(44) 安達俊之 昭和56年(1981)6月20日
石川県鶴来町*4(現白山市)の自宅を出て同僚女性とともに失踪。当時18歳 ホテル従業員
2002年に帰国した拉致被害者地村保志が、足達さんの高校時代の写真を見て「北朝鮮でよく似た人を見た」と父親に話し「平壌の売店で、夫婦だった。監督がついていたので話すことはなかったが、何度も目撃している」と話したと言われている(本人は否定)。
地村氏本人が「そんな発言はしてない」と否定しているのにと言われているで持ち出すのだから呆れます。
荒木らは「山梨県警の虚偽発表。遺体は美保氏ではない」と強弁していますが、「以下の事実」に触れないから酷いもんです。
朝日新聞拉致疑いの山本美保さんは水死 双子の妹とDNA一致2004.3.5
1984年6月に失跡し、北朝鮮による拉致の疑いがあると家族が告発していた山梨県甲府市の山本美保さん(失踪当時20歳)について、山梨県警は5日、失跡直後に山形県の海岸で見つかった身元不明遺体が山本さんであると断定した、と発表した。双子の妹とDNAが一致したという。
山本さんについては、韓国に亡命した元北朝鮮特殊部隊員という男性が「平壌の特殊部隊で目撃した」と証言。特定失踪者問題調査会が2003年9月に「拉致の疑いが濃い」と発表し、今年1月には家族が国外移送目的略取容疑で山梨県警に告発していた。
県警警備1課によると、1984年6月21日、山形県遊佐町の海岸に漂着していた女性遺体が見つかり、山形県警が死因を水死としていた。2002年9月から山本さんの家族の要請で山梨県警が再捜査をし、保存されていた遺体の骨髄と、双子の妹の森本美砂さん(40)の血液のDNAが一致したという。
山本さんは1984年6月4日、図書館に行くといって甲府市の自宅を出たまま行方不明になり、同8日に新潟県柏崎市でセカンドバッグが見つかっていた。
「 “拉致被害者”美保さんの行方 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト(週刊新潮2004年3月18日号)
2004年3月5日、山梨県警警備第一課が「行方不明者『山本美保』さんについて」という文書を公表した。それによると美保さんは拉致ではなく、日本国内で死亡していたというのだ。
発表資料には、1984年6月21日、山形県飽海郡遊佐町(あくみぐん・ゆざまち)の海岸に、一部白骨化した遺体が漂着。「山形県内で発見された身元不明遺体の一部とのDNA鑑定(本年3月上旬判明)を含めた捜査の結果により、山本美保さんと同一人物であることを判断した」と書かれている。
整理すれば美保さんは、1984年6月4日甲府で失踪、6月8日新潟県柏崎市の海岸でバッグを発見、6月21日、一部白骨化して、山形県の遊佐海岸に漂着したことになる。
【拉致再調査】特定失踪者の山本さんDNA型鑑定書複写認めず 山梨県警 - 産経ニュース2014.10.1
山本さんが行方不明になったのは昭和59年6月4日。4日後、新潟県内の海岸で山本さんのバッグが発見された。県警は平成16年、DNA型鑑定の結果を根拠に、失踪から17日後に山形県内の海岸で見つかった女性の遺体を山本さんと断定。
特定失踪者の家族が拉致問題解決を長崎知事に要望|NHK 山梨県のニュース2023.11.14
甲府市出身の山本美保さんは、20歳だった昭和59年、自宅を出たまま行方が分からなくなり、山梨県警は同じ年に見つかった遺体をDNA鑑定した結果、山本さんと確認されたと発表
以前も触れましたが、「以下の事件」の「どこ」が北朝鮮拉致なのか。証拠不十分で無罪になったとは言え一番怪しいのはどう見ても検察が起訴した御仁でしょう。
伊勢市女性記者行方不明事件 - Wikipedia参照
1998年11月24日深夜、伊勢市の出版社「伊勢文化舎」に勤務する編集者兼記者の辻出紀子が消息を絶った。三重県警は辻出に最後に接触したとみられる取材相手の男性Aに容疑を向け、逮捕監禁容疑でAを追及した。しかし、逮捕監禁事件については津地裁でAの一審無罪が確定し、反対にその公判で弁護側から提出された取調べの録画テープにより、津警察署が偽計や威圧を駆使した違法な取調べを行っていたことが判明した。
無罪判決後、Aは日本弁護士連合会に対して人権救済を申立て、その結果として日弁連人権擁護委員会も、三重県警本部長および津地検検事正に人権侵害行為を伴う取調べについて強い警告を発する事態に至った。
なお、Aは「無罪が確定すればすべてを話す」と辻出家に述べていたにもかかわらず、辻出家に対して沈黙を貫き続けた。
以上の経緯から、「Aが辻出の失踪に関係しているので」はと未だ疑問視されている。
《’98年三重・女性記者失踪》最後に会った男性の言葉に家族「絶対おかしい!」 | 週刊女性PRIME2020.5.27
今から22年前、ひとりの女性記者が忽然と姿を消した。
週刊女性は辻出さんに最後に会った男性を突き止め、当時の状況を聞くため伊勢市に向かった。
A氏こそが、雑誌記者の辻出紀子さん(当時24)が22年前、三重県伊勢市で行方不明になる直前に会っていた男だった。
弁護士は当時、辻出さんの両親にあて、「A氏から」としてこんな文書を送っていた。
「東京の件で私が無罪判決を勝ち取り、かつ警察や検察が、私が伊勢の件で無関係であると信じてくれるならば、何時間かかっても私の知る限りのことをお話しします」
A氏と対面した私は、この文書のコピーをポケットに忍ばせていた。
A氏
「話はないんで」
記者
「無罪になったら話をするって言いましたよね?」
A氏
「話はないですって。敷地に入らないでください」
記者
「辻出さんと最後に会ったとき、何を話したんですか?」
A氏
「話はないです。早く出てください」
これ以上問い詰めても何も話さないだろうと、その場を辞した。
この一部始終を辻出さんの母・美千代さんに伝えると、強い口調で、こう返ってきた。
「本当にやましいことがないのであれば、正々堂々とお話をすればよい。お話をしないのは絶対におかしい!」
このメッセージを添えた手紙をA氏に送ったが、1か月以上が経過した現在も梨の礫である。
最近の辻出氏失踪についての記事も以下の通り北朝鮮拉致なんて話は何一つ出てきません。恐らく「昔はともかく」今は辻出さんの両親は「荒木と関係を絶った」のに荒木が勝手に放言してるだけでしょう。
辻出紀子さん不明25年 伊勢の記者 両親「見つけるのが使命」 当時24歳情報求める:写真 : 読売新聞2023.11.24
伊勢市の出版社に勤務していた雑誌記者の辻出紀子さん(当時24歳)が行方不明になってから、24日で25年が過ぎた。有力な手がかりがない中、両親はこの日、「どういう形でも見つけるのが親の使命」と、警察官らと情報提供を呼びかけた。
「25年前のことなので、新たな情報はなかなか難しいのでは」。
父・泰晴さんはこんな思いにもかられるが、少しでも有力な手がかりを得られないかと、24日は伊勢市のショッピングセンター「ミタス伊勢*5」で伊勢署員らとチラシを配った。活動に参加した一人が、辻出さんの捜査に長年携わる県警捜査1課の広岡透友(ゆきとも)課長補佐。「帰りを待つ家族の心情を考えると、早く解決したい。これからも広報活動を続けたい」と語った。
なお、上記記事に名前が出てくる広岡透友(ゆきとも)氏ですが以下の通り、その後定年退職しています。
三重:警察人生、被害者の思い胸に 県警退職53人を表彰 刑事畑、広岡さんら:地域ニュース : 読売新聞2024.3.30
2024年3月31日付で退職する警察官・警察職員53人を対象にした表彰式が29日、三重県警本部で行われた。長期未解決事件の捜査や、捜査員をまとめる「キャップ」を務めた広岡透友(ゆきとも)さん(60)は、犯罪被害者の悲痛な思いに接したことが42年間の警察官人生の原動力になったと語った。
広岡さんは県警捜査1課を中心に歩み、殺人や強盗など凶悪犯罪の捜査にあたった。
特に印象に残っているのは、2013年8月、朝日町で女子中学生(当時15歳)が襲われて殺害された事件だ。周辺の防犯カメラの映像を分析し、情報提供を求めるチラシも配った。警察庁は、有力情報の提供者に現金を支払う「公費懸賞金制度」を適用した。
半年後、当時18歳の男を逮捕した。男は強制わいせつ致死罪などで懲役5年以上9年以下の不定期刑となった。
事件の後、中学生の父親は、犯罪の被害者や遺族を支援する活動を始めた。この事件がきっかけとなり、県は犯罪被害者等支援条例を制定した*6。広岡さんは、警察官の責務は「事件の真相を明らかにし、被害者の無念を晴らすことだ」と再認識したという。
一方、未解決の事件もある。1998年11月に伊勢市の雑誌記者、辻出紀子さん(当時24歳)が行方不明になった事件は、25年が過ぎた。家族は今も懸命に情報提供を呼びかけている。だが、昨年10月末時点で県警に寄せられた情報は計102件で、直近1年間は2件にとどまった。長年、捜査に携わった広岡さんは「在職中に解決できなかったことは心残りだが、後輩に託すしかない」と話した。
*1:スターリンの死で朝鮮戦争が終結に向かったとされる。またスターリン死亡発表直後「朝鮮戦争終了→いわゆる朝鮮特需(朝鮮軍需)の終了」を投資家が予想したことに寄り、日本で株価暴落が起こっている(例えばスターリン暴落 - Wikipedia、「復興」襲ったスターリン暴落 - 日本経済新聞参照)
*2:戦前、天津総領事、奉天総領事、スウェーデン公使、外務次官、イタリア大使、英国大使を歴任。戦後、東久邇宮、幣原内閣外相を経て首相
*3:安の自称に寄れば、彼はこの大学の卒業生
*4:2005年2月1日、野々市町(当時。2011年11月11日から野々市市)を除く石川郡を構成する町村(石川郡美川町、鶴来町、河内村、吉野谷村、鳥越村、尾口村、白峰村)及び隣接する松任市が合併して、白山市が発足し、鶴来町は廃止された
*5:核店舗はスーパーマーケット「バロー」、ホームセンター「バロー」。その他、テナントとしてツタヤ(書籍等)、あかのれん(衣料品)、イワオ薬局、日本調剤(以上、薬局)、ココカラファイン(ドラッグストア)、セリア(100円ショップ)、靴のホッタ(靴)、スガキヤ(ラーメン)、ドミノピザ(ピザ)等(ミタス伊勢 - Wikipedia、三重県伊勢市の地域密着型ショッピングセンター「ミタス伊勢」参照)
*6:「遺族(父親)の運動」については<みえの事件簿・上>朝日町事件 遺族の悲痛な叫びで動く 犯罪被害者支援制度整備へ県 - 伊勢新聞(2018.12.29)、朝日町中3死亡事件8年 遺族の父・悟さん 被害者救済、訴え続けたい 条例制定、19市町に /三重 | 毎日新聞(2021.8.24)、15歳の娘は命を奪われ「屍」と呼ばれた “娘のために闘う” 父親の思い|NHK事件記者取材note(2022.12.23)、“事件加害者の仮釈放理由を被害者側にも” 遺族が意見書 | NHK | 法務省(2024.6.17)、犯罪被害者や遺族への支援「充実を」 娘を亡くした寺輪さんが講演 [島根県]:朝日新聞デジタル(2024.7.5)参照