拉致実行犯 辛光洙直撃取材の記録⑤ - 高世仁のジャーナルな日々
高世仁に突っ込む(2024年11/14日分) - bogus-simotukareのブログで取り上げた拉致実行犯 辛光洙直撃取材の記録③ - 高世仁のジャーナルな日々の続きです。
人間活動による温暖化を「信じない」と公言するトランプ氏はエネルギー長官に油田サービス会社(ボーガス注:リバティー・エナジー社のクリス・ライト)CEOを指名。気候変動対策の国際的枠組み「パリ協定」から再離脱するだろう。厚生長官には反ワクチン活動のケネディ氏*1。
ただ、同時に実施された各州の住民投票では、10州で中絶の権利を法的に保障する提案が出され、これまで中絶が全面的に禁止されていたミズーリはじめニューヨークやアリゾナなど7州で勝利した。個別のイシューではトランプ氏の主張が受け入れられたわけではないようだ。
過大評価はできませんが、「個別のイシューではトランプ氏の主張が受け入れられたわけではない」という点(例えば中絶問題)は希望ではあるでしょう。
拉致実行犯 辛光洙直撃取材の記録⑥ - 高世仁のジャーナルな日々
北朝鮮の工作員、辛光洙(シン・グァンス)は、1980年に拉致した原敕晁(ただあき)さんに成り済まして韓国に入り、1985年に逮捕された。スパイ罪で死刑が確定するが減刑されて無期となり、金大中政権で1999年末に恩赦を受け、いわゆる「太陽政策」のもと北朝鮮へと送還された。
この送還は北朝鮮が以前から要求してきたもので、「離散家族の再会」とならぶ、この年の6月の南北首脳会談で決まった目玉政策だった。
板門店に続く道路には、朝早くからプラカードや横断幕を用意した人々が集まり、規制する警備隊ともみ合っていた。朝鮮戦争で捕虜になったり、戦後、北朝鮮に拉致された人々の家族だった。辛光洙らの送還は、北朝鮮への一方的すぎる譲歩だと抗議に来たのだった。
「抗議した面子」の気持ちは「分からないわけではない」ですが、とはいえ、1985年の逮捕(全斗煥政権)から1999年の送還(金大中政権)に至る14年間で「全斗煥、盧泰愚、金泳三、金大中(韓国)」「中曽根*2、竹下*3、宇野*4、海部*5、宮沢*6、細川*7、羽田*8、村山*9、橋本*10、小渕*11(日本)」と「いくつも政権が誕生してます」からね。その間、何も情報が辛から出なければ「情報入手」と言う意味では「辛を拘束し続ける意味はない」でしょう。まさか「辛の口を割らせるためなら拷問してもいい」つうわけにもいかない。
そういう意味では「金大中政権が北朝鮮へ送還した」ところで何か弊害があるわけでは全くない。
北朝鮮が引き渡すわけもなく、韓国に辛がいる間に、韓国政府に引き渡し要求すべき話ですし、まさか日本政府に無断で韓国政府も辛の「北朝鮮送還」は決めないでしょう。日本政府が反対してれば、韓国政府も辛の送還はしなかったでしょう。
つまりこの逮捕状取得は、当時の「日本政府(小渕内閣。辛が送還された2000年12月当時の関係閣僚は臼井*13法相、河野*14外相、保利*15国家公安委員長)」が「送還に同意した」のに、救う会や家族会の反発が怖くて、そうは言えず「実質のない政治パフォーマンス」をしているにすぎないでしょう。
日本の警察は北朝鮮への送還直前、辛光洙が事情聴取に応じるよう韓国政府に文書で要請したのだが、辛に拒否されて実現しなかった。
韓国警察が既に聴取済みであり、日本警察が事情聴取したところで何も出なかったでしょうし、日本警察が本気なら「聴取拒否、北朝鮮への引き渡し」を同意したりはしないでしょう。つまりは「ただの政治パフォーマンス」です。
日本の警察はもっと何かできなかったのかと歯がゆく思う。
すでに書いていますが何もできなかったでしょうね。「韓国警察が追及しきれなかった件」について、日本警察なら追及できると思うのは「根拠のない願望」でしかないでしょう。
辛光洙が日本国内には広く築いた協力者ネットワークにはほとんど手がつけられていない。
第一にそんな「(拉致など工作活動の)協力者ネットワーク」があるというのは高世の勝手な決めつけにすぎません。
第二に、仮に「そんな協力者ネットワーク」があったとして、今も辛が韓国に身柄拘束されていたとしてもそんなネットワークの追及などできるわけもない。そんなことが可能なら辛が韓国に身柄拘束されていた期間内(1985~1999年)にそれができたでしょう。
第三にそんなことは「拉致被害者の救出」には全く関係ない。
第四に「そんな協力者ネットワーク」があったとして、今も機能してるとはとても思えません。辛(1929年生まれ)も存命でも今年で95歳です。当時の協力者ネットワークなど関係者の死亡によって既に自然消滅してるでしょう。
*1:ロバート・ケネディ司法長官(J.F.ケネディ政権)の息子。J.F.ケネディ大統領のおい
*2:1918~2019年。岸内閣科技庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相、自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行管庁長官等を経て首相
*3:1924~2000年。佐藤、田中内閣官房長官、三木内閣建設相、大平、中曽根内閣蔵相、自民党幹事長(中曽根総裁時代)等を経て首相
*4:1922~1998年。田中内閣防衛庁長官、自民党国対委員長、福田内閣科技庁長官、大平内閣行管庁長官、中曽根内閣通産相、竹下内閣外相等を経て首相
*5:1931~2022年。自民党国対委員長(三木総裁時代)、福田、中曽根内閣文相等を経て首相。首相退任後も新進党党首
*6:1919~2007年。池田内閣経企庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、福田内閣経企庁長官、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相等を経て首相。首相退任後も小渕、森内閣蔵相
*8:1935~2017年。中曽根、竹下内閣農林相、宮沢内閣蔵相、新生党党首、細川内閣副総理・外相を経て首相。首相退任後も太陽党党首、民政党党首、民主党幹事長(菅、鳩山代表時代)、最高顧問を歴任
*10:1937~2006年。大平内閣厚生相、中曽根内閣運輸相、海部内閣蔵相、自民党政調会長(河野総裁時代)、村山内閣通産相等を経て首相。首相退任後も森内閣行革相
*11:1937~2000年。竹下内閣官房長官、自民党副総裁(河野総裁時代)、橋本内閣外相等を経て首相
*12:2002年9月17日が小泉訪朝であり、北朝鮮の反発で訪朝が挫折するリスクがあったのではないかと思いますが、逮捕状取得の経緯を知りたいところです。政権内タカ派(訪朝反対派)が訪朝潰しのために仕掛けたのか、それとも逆に「救う会、家族会」をなだめ訪朝を推進する目的で「北朝鮮が引き渡しに応じるわけがないから、北朝鮮は大して反発しないだろう」と小泉首相ら訪朝推進派が「あえてやった」のか。なお、逮捕状取得には「警察を所管する」国家公安委員長の了解が必要だったでしょうが、当時の国家公安委員長は村井仁氏(後に長野県知事(2006~2010年の1期4年))です
*14:新自由クラブ代表、中曽根内閣科技庁長官、宮沢内閣官房長官、自民党総裁、村山、小渕、森内閣外相、衆院議長等を歴任
*15:1934~2023年。海部内閣文相、自民党国対委員長(橋本総裁時代)、小渕内閣自治相・国家公安委員長、自民党政調会長(福田、麻生総裁時代)等を歴任