反党分子『松竹伸幸』に悪口する(2024年11/24日分)(副題:松竹が『野呂賞』に関して虚言を吐いてる疑いについて)

混迷する共産党指導部に推薦する本 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba
 推薦本はエ・ヤ・ドラプキナ(山村房次*1翻訳)『冬の峠:1920~22年のレーニン』(1970年、新日本新書)だそうですがそれはさておき。
 タイトルが「喧嘩腰」で「反党分子」松竹らしいと呆れます。
 本当に「推薦したい」のならタイトルに「混迷する」とつけないと思いますけどね。
 どう見ても「挑発行為」でしかないでしょう。
 で、こんなことをして何の意味があるのかと呆れます。
 これを喜ぶのは「松竹シンパ」「アンチ共産」だけでしょう。そして「党支持者」でなくてもよほどの「松竹シンパ」「アンチ共産」でない限り、こうした松竹の「党への挑発」には「やることが大人げない」として眉をひそめるのではないか。
 兵庫県知事選──「自力」ではなく「共感」の時代か | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Amebaで「共感を得ることが大事*2」と書きながら自分は「党支持者の反感を買うこと」「松竹シンパやアンチ共産党の共感しか得られないようなこと」ばかりするから呆れます。
 松竹の言う「共感」云々が「共産は選挙民の共感を充分得られていない」と「共産に悪口する方向」でしかなく「松竹シンパやアンチ共産党だけでなく、共産支持者を含む、多くの人々の共感を得られるように、できるかぎり共産党への悪口雑言や嫌み、皮肉、当てこすりは控え、私(松竹)は冷静な文章を書きたい」とならないことには心底呆れます。

 共産党野党共闘の一丁目一番地であるとしてきたのは安保法制の即時廃止で、だからこそ総選挙で立憲の野田氏が裏金問題での候補者調整を求めたのに、それを拒否して独自候補を大量擁立した。ところが選挙後、安保法制のことにはふれないまま、裏金と政治資金が一丁目一番地だと変化し、立憲との共闘に再び舵を切る。

 というのならそのように松竹が評価した「赤旗記事(例:社説でそのようなことを主張)」なり「マスコミ記事(例:松竹のような主張をマスコミが展開)」なりをリンクでも張ったらどうなのか?
 党は「裏金問題や政治資金問題を重視し、その観点で立民などと可能な限り協力する(安保法制廃止にこだわって、いたずらに立民を敵視し、自公を利することはしない)」とは言っていても「一丁目一番地(最重要問題の意味で、最近何故かマスコミ等で使われる)」が「安保法制から裏金に変わった。安保法制はどうでもいい」なんてことは赤旗も党幹部(志位議長、田村委員長、小池書記局長、山添政策委員長など)も何一つ主張してはいないでしょう。そのように「反党分子」松竹が党を描き出し、「変節だ」と悪口雑言したいだけでしょう。
 そもそも「政治資金問題の重視→野党共闘を進めやすい」とも限りません。政治資金問題で立民が「共産の主張を無視し、自分勝手な主張を展開すること」は充分あり得ますので。

 国会議員秘書をしていた頃、当時は存在していた野呂栄太郎*3」に「レーニン市場経済」という論文を書いて応募した。受賞はしなかったが、最終選考には残って名前が(ボーガス注:赤旗に?)公表されたので、その後も勉強を続け、「前衛*4」に上中下の三回連載を載せてもらい、退職後*5、『レーニン最後の模索:社会主義市場経済*6』(大月書店)という本にした。

 と書きながら「いつの野呂賞」に応募したのか、そのときの野呂賞受賞作が何か、「最終選考」云々というなら「松竹と受賞者以外にはどんな候補者が最終選考にいた(それとも松竹と受賞者だけが最終選考に残った?)」のか等について明確に書かないのが松竹らしい。「『最終選考』云々って『自分の自慢』だけか?」と呆れます。
 松竹(1955年生まれ)の大学卒業は1977年(党への就職は1978年以降でしょう、残念ながら松竹伸幸(まつたけ・のぶゆき)さんのプロフィールページ松竹伸幸 - Wikipediaを見ても何時、松竹が共産党に就職したのか、何時、誰の議員秘書を務めたのか等、松竹の詳しい経歴は全く不明ですが)、「最後の野呂栄太郎賞」が2005年(ちなみに党職員退職は2006年)なので「応募」「最終選考」云々が事実なら「1978年~2005年のいずれかの時期*7」ではあるのでしょうが。
 というか、「野呂賞」って「応募*8」するもんなんですかね?。野呂栄太郎賞 - Wikipediaを見れば分かりますが、過去の受賞作は全て受賞前に「雑誌掲載論文」「著書」等の形で世間に公表されてます(未公表論文の受賞は一つもない)。
 そして、未公表論文ならともかく、公表済み論文をわざわざ「賞に応募する」なんて話は聞いたことがありませんので、野呂賞は「公表済み論文」の中から選出される物(つまり論文執筆者は応募しない*9賞)だと思ってました。
 

野呂栄太郎賞 - Wikipedia
 前々年1月1日から前年12月31日までに発表された著作、論文を対象に、同賞選考委員会が毎年選考をおこなっていた。

と言う記述もどう見ても「公募賞ではなく、既発表論文から選考する」としか読めないでしょう。
 しかも野呂賞受賞者は「一部例外(1999年の工藤晃氏、2003年の新原昭治氏など在野の研究者)」もありますが、そのほとんどが「大学教授(研究を本業とするプロの研究者)」です。
 つまり野呂賞は公募などしておらず、芥川賞などと同様の選考システム(公表済み論文から選出し公募などしない)であって「松竹の虚言」の可能性もあるかと思いますし、だからこそ「応募」「最終選考」云々が「いつの野呂賞」か書かないのかもしれない。まあ、「普通の人間」は「そういう酷い虚言を吐かない(嘘とばれたら自分に対する信用性が失われるし、受賞ならまだしも最終選考程度など捏造してまで自慢できる話でもない、というか松竹のような『偉そうなことを言う人間』は普通それなりのプライドがあるのでそんな嘘はそもそもつかない)」んですが、何せ「反党分子」松竹ですから「野呂賞が公募賞と勘違いしたあげく、応募して最終選考に残ったと嘘をついて、捏造エピソードで自画自賛している」疑いは「否定できない」と思います。俺は松竹という男を「人間としてかけらも評価していない」し「信用もしていません」。
 上記の「野呂賞ってそもそも公募賞なの?」は松竹記事に投稿しますが掲載拒否でしょう。それにしても俺のコメント投稿後に「応募」「最終選考」云々の下りが果たして記事に残ってるかどうか。全文削除なら「松竹が事実上、虚言を吐いたことを認めた」と考えて良いでしょう。
 勿論「残した場合」も「今更削除しても俺(松竹)が嘘をついたと、ボーガス相手に事実上認めたことになる。共産から『そもそも野呂賞は公募賞ではない、松竹は嘘をつくな』と抗議がある*10など、無視できない状態になるまではこのままにしておこう」と松竹が考えたにすぎない可能性もあります。
 まあ、「応募」「最終選考」云々が松竹の虚言だとしても、マツシン(松竹シンパ:例えば紙屋)は「そんなことと松竹氏の政治的主張(党首公選だの、安保容認だの)の是非は関係ない!」「そんなことと党の除名の是非は関係ない!」とかかばうんでしょうが、「堂々と嘘つく野郎」なんか支持していいのかという話です。
 まあ、どう見ても「松竹の虚言の可能性」が強いでしょうが、「嘘ではない」というなら、曖昧にごまかさずに、松竹は「何時の野呂賞に応募したのか」位は書いたらどうなのか?。
 なお、「歴代受賞者」は以下の通りです(「受賞作なし」の年は除いた)

野呂栄太郎賞 - Wikipedia参照
【1976、1977年】
1976年
 藤田勇*11『法と経済の一般理論*12
1977年
 戸田慎太郎*13『現代資本主義論*14
 林直道*15『フランス語版資本論の研究*16
【松竹が応募した可能性のある1978年~2005年:とはいえ、そもそも野呂賞は公募賞でなく、松竹が嘘をついている可能性があることは既に上に書いたとおりです】 
1978年
 島恭彦*17『地域の政治と経済*18
1979年
 久留間鮫造*19編『マルクス経済学レキシコン*20』(全15巻)
1981年
 江口英一*21『現代の「低所得層」:「貧困」研究の方法*22
1982年
 佐藤昌一郎*23地方自治体と軍事基地*24
1984
 杉之原寿一*25『現代部落差別の研究*26
1986年
 藤本武*27『国際比較・日本の労働条件*28
1989年
 岩崎允胤*29「『統一的な世界の法則性』と史的唯物論*30」、「ゴルバチョフ書記長の『新しい思考』と史的唯物論の問題*31
1990年
 岡倉古志郎*32『非同盟研究序説*33
 川口弘*34・川上則道*35『徹底分析・高齢化社会は本当に危機か*36
1992年
 松井芳郎*37湾岸戦争国際法および国際連合*38
1993年
 井野隆一*39『日本農業・存亡の危機と展望*40
1994年
 労働総研・全労連編『現代の労働者階級:「過重労働」体制下の労働と生活*41
1995年
 山田朗*42大元帥昭和天皇*43
1997年
 井野隆一*44『戦後日本農業史*45
 中山徹*46『行政の不良資産:破綻した巨大開発をどう見直すべきか*47
1999年
 工藤晃*48『現代帝国主義研究*49
2002年
 日本の侵略戦争の問題を多面的に研究してきた藤原彰*50の業績
2003年
 新原昭治*51『「核兵器使用計画」を読み解く:アメリカ新核戦略と日本*52

 いまの共産党を見ていると、野党共闘か独自路線か、戦略的な混迷が見られる。

 私見ではそんな物はないですね。「党に悪口したい」反党分子の松竹がそのように描き出してるだけでしょう。むしろ「支持者がまるでおらず」「共産どころか、立民、れいわ、社民など何処の政党も相手にせず」「マスコミもまるで報道しない」松竹や「類友」紙屋の方がよほど「混迷してる(展望がない)」でしょう。
 「野党共闘」を完全に辞めたわけではない(だからこそ衆院選でも地域ごとの個別の共闘はあった)が、「野党共闘を重視するあまり、独自性を失うようなことはしない」が共産執行部の態度でしょう。

◆自社さ連立後、党勢が衰退した社会党社民党)や新党さきがけ
 社会党社民党として存続するが、新党さきがけは「政調会長だった菅直人が離党して民主党」を結成したことなどで後に解散
 野党時代は反対していた長良川河口堰稼働について、「社会党出身の野坂*53建設相」が「稼働を認める」など数々の公約違反に支持者が失望したとみられる。なお、この時期、共産は一定の躍進をしており、社会党に失望した層の一部が共産支持に移行したとみられる
民主党政権との連立後、党勢が衰退した国民新党(解散)

の二の舞は避けたいという党執行部の考えでしょう。下手に「大政党」と手を組むことは「大政党側(例:自民、民主)を有利にする一方で自分(例:社会党新党さきがけ国民新党)は衰退する」ことにもなりかねないので、俺も同感ですが。
 なお、上記は松竹記事に投稿しますが掲載拒否でしょう。「賛同コメントしか掲載しない松竹のクズさ」には心底呆れます。

*1:1908~1986年。ロシア文学研究者。著書『レーニンと文学』(1980年、新日本選書)(山村房次 - Wikipedia参照)

*2:とはいえ、ここで松竹が肯定的に描き出した『パワハラ・斎藤元彦』に共感してる人間はどうみてもまともではないし、稲村や共産候補に投票した人間など、斎藤批判派は奴に共感などしていませんし、俺も斎藤批判派の一人として奴に共感などしていませんが。というか斎藤には赤旗斎藤知事 公選法違反か/兵庫知事選 宣伝会社が選挙運動等が指摘するように公選法違反の疑惑が浮上しましたが

*3:1974年、日本共産党幹部だった経済学者・野呂栄太郎(1900~1934年)の没後40周年記念行事の一つとして、日本共産党によって設立(但し、最初の受賞は2年後の1976年)。社会科学分野での業績が対象。2006年6月、文学分野の多喜二・百合子賞(1969年に日本共産党員だった作家・小林多喜二宮本百合子を記念して創設:この賞については多喜二・百合子賞 - Wikipedia 多喜二・百合子賞受賞作・候補作一覧1-37回|文学賞の世界参照。公募賞ではなく芥川賞などと同様、著書として刊行したり、雑誌に発表したりして、公表済みの作品から選出)とともに終了が発表された(野呂栄太郎賞 - Wikipedia赤旗野呂栄太郎賞とは?(2003.8.14)参照)

*4:何時の前衛だか書いてもいいでしょうに。なお、俺がネット上で「前衛、松竹伸幸レーニン」等でググった限りでは何時の前衛に掲載されたか確認できませんでした。

*5:深い意味はないかもしれませんが、何故退職前に本にしなかったのかが気になるところです。

*6:2009年刊行

*7:とはいえ、さすがに大学卒業直後の1978年に論文応募するとは思いませんが

*8:例えば、文学分野の江戸川乱歩賞講談社)、横溝正史ミステリ&ホラー大賞(KADOKAWA)、鮎川哲也賞東京創元社)、松本清張賞文藝春秋社)、マンガ分野の「手塚賞赤塚賞集英社手塚賞がストーリーマンガ対象、赤塚賞ギャグマンガ対象でそれぞれ手塚治虫赤塚不二夫の業績を記念)」等は、応募する賞です

*9:文学分野ですが、芥川龍之介賞直木三十五賞(以上、文藝春秋社)、三島由紀夫賞山本周五郎賞(新潮社:文春の芥川賞直木賞に対抗した物とされ、純文学対象の三島賞芥川賞に、大衆文学対象の山本賞が直木賞に当たる)などは「応募しない賞(発表済み作品から選出する賞)」です。「野呂賞」と同じ「学術分野」だと「サントリー学芸賞サントリー文化財団)」「読売・吉野作造賞読売新聞社中央公論新社)」などが「応募しない賞(発表済み作品から選出する賞)」です。

*10:勿論党が仮に抗議しないとしても「松竹が真実を述べてる」と言うことには必ずしもならないでしょう。「野呂賞は公募賞ではないので松竹の主張は明らかに虚偽」だが、「松竹については相手にしないで無視するのがベスト」と考えてあえて抗議しない可能性もあるからです。

*11:1925年生まれ(ウィキペディアには没年が書いてないので今もご存命でしょうか?)。東大名誉教授(マルクス主義法学(社会主義法学)、ソ連法学)。著書『社会主義的所有と契約』(1957年、東京大学出版会)、『ソビエト法理論史研究1917~1938:ロシア革命マルクス主義法学方法論』(1968年、岩波書店)、『社会主義における国家と民主主義』(1975年、大月書店)、『ソビエト法史研究』(1982年、東京大学出版会)、『概説ソビエト法』(1986年、東京大学出版会)、『近代の所有観と現代の所有問題』(1989年、日本評論社)、『自由・平等と社会主義1840年代ヨーロッパ~1917年ロシア革命』(1999年、青木書店)、『自由・民主主義と社会主義1917~1991:社会主義史の第2段階とその第3段階への移行』(2007年、桜井書店)、『マルクス主義法理論の方法的基礎』(2010年、日本評論社)、『ロシア革命ソ連型社会=政治体制の成型:ソビエト社会主義共和国連邦史研究1917~1937』(2021年、日本評論社)等

*12:1974年、日本評論社

*13:1911~1974年。本名は木内誉治(戸田はペンネーム)。「民主評論」編集長を経て、法政大学講師(経済学)。著書『日本資本主義と日本農業の発展』(1947年、民主評論社)、『天皇制の経済的基礎分析』(1949年、三一書房)。以上の「戸田」の経歴は「コトバンク」を参照しました(戸田はウィキペディアには項目がない)。戸田以外の受賞者については経歴はウィキペディアを参照しています。なお「経歴の肩書き(名誉教授など)」は「最終的な肩書き」であり、受賞時の肩書きではありません

*14:1976年、大月書店

*15:1923~2023年。大阪市立大学名誉教授(経済学)。著書『景気循環の研究』(1959年、三一書房)、『史的唯物論と経済学』(1971年、大月書店)、『国際通貨危機世界恐慌』(1972年、大月書店)、『史的唯物論と所有理論』(1974年、大月書店)、『恐慌の基礎理論』(1976年、大月書店)、『現代の日本経済』(1976年、青木書店)、『日本経済をどう見るか』(1998年、青木書店)、『恐慌・不況の経済学』(2000年、新日本出版社)、『強奪の資本主義:戦後日本資本主義の軌跡』(2007年、新日本出版社)等

*16:1975年、大月書店

*17:1910~1995年。京大名誉教授(財政学)。著書『大蔵大臣』(1949年、岩波新書)、『現代地方財政論』(1951年、有斐閣)、『財政学概論』(1963年、岩波書店)、『軍事費』(1966年、岩波新書)、『戦後民主主義の検証』(1970年、筑摩書房)、『インフレーション』(1977年、青木書店)等

*18:1976年、自治体研究社

*19:1893~1982年。法政大学名誉教授(マルクス経済学)。著書『価値形態論と交換過程論』(1957年、岩波書店)、『増補新版・恐慌論研究』(1965年、大月書店)、『貨幣論』(1979年、大月書店)等

*20:1968~1985年、大月書店。「レキシコン」とは「用語集」の意味

*21:1918~2008年。中央大学名誉教授。著書『社会福祉と貧困』(編著、1981年、法律文化社)、『日本社会調査の水脈:そのパイオニアたちを求めて』(編著、1990年、法律文化社)、『日本における貧困世帯の量的把握』(共著、2009年、法律文化社)等

*22:1979年、未来社

*23:1932~2002年。法政大学教授。著書『陸軍工廠の研究』(1999年、八朔社)、『官営八幡製鉄所の研究』(2003年、八朔社)等

*24:1981年、新日本出版社

*25:1923~2009年。神戸大学名誉教授。部落問題研究所理事長、「国民融合をめざす部落問題全国会議」代表幹事を歴任。著書『部落問題の解決』(1989年、新日本新書)、『これからの同和行政』(2000年、部落問題研究所)等

*26:1983年、部落問題研究所

*27:1912~2002年。日本女子大学名誉教授。著書『労働時間』(1963年、岩波新書)、『労働災害』(1965年、新日本新書)、 『最低賃金制』(1967年、岩波新書)、『現代の労働問題』(1971年、日本評論社)、『ストライキ』(1971年、新日本新書)、 『労働運動と労働立法』(1988年、新日本出版社)、 『世界からみた日本の賃金・労働時間』(1991年、新日本新書)、『ストライキの歴史と理論』(1994年、新日本出版社)、『アメリカ資本主義貧困史』(1996年、新日本出版社)、『アメリカ貧困史』(1998年、新日本新書)、『イギリス貧困史』(2000年、新日本新書)等

*28:1984年、新日本出版社

*29:1921~2009年。一橋大学名誉教授(哲学)。著書『弁証法現代社会科学』(1967年、未来社)、『日本マルクス主義哲学史序説』(1971年、未来社)、『核兵器と人間の倫理』(1986年、新日本出版社)、『日本思想史序説』(1991年、新日本出版社)、『日本近世思想史序説』(1997年、新日本出版社)、『日本近代思想史序説・明治期前篇』(2002年、新日本出版社)、『日本近代思想史序説・明治期後篇』(2004年、新日本出版社)、『ヘレニズムの思想家』(2007年、講談社学術文庫)等

*30:季刊『科学と思想』1988年秋号(新日本出版社)所収

*31:『前衛』1989年1月号所収

*32:1912~2001年。アジア・アフリカ研究所所長、大東文化大学東洋研究所所長等を歴任。著書『アジア・アフリカ問題入門』(1962年、岩波新書)、『民族解放運動』(1967年、勁草書房)、『非同盟運動』(1987年、大月書店)等。岡倉天心(1863~1913年)は祖父。岡倉徹志(1937年生まれ:毎日新聞カイロ支局長、外信部副部長、編集委員富山国際大学教授を歴任。著書『イスラム急進派』(1988年、岩波新書)、『メッカとリヤド』(1988年、講談社現代新書)、『アラブのゆくえ』(1991年、岩波ジュニア新書)、『サウジアラビア現代史』(2000年、文春新書)等)は息子

*33:1989年、新日本出版社

*34:著書『老いの経済学:高齢化社会危機論を切る』(1989年、かもがわブックレット)

*35:1943年生まれ。都留文科大学名誉教授(マルクス経済学)。著書『計量分析現代日本の再生産構造』(1991年、大月書店)、『高齢化社会はこうすれば支えられる』(1994年、あけび書房)、『資本論の教室』(1997年、新日本出版社)、『「資本論」で読み解く現代経済のテーマ』(2004年、新日本出版社)、『マルクスに立ちケインズを知る』(2009年、新日本出版社)、『マルクスに立ちミクロ経済学を知る』(2013年、新日本出版社)、『市場原理と社会主義への展望』、『マルクス「再生産表式論」の魅力と可能性』(以上、2014年、本の泉社)、『搾取競争が、格差を広げ、地球環境を破壊する』(2016年、本の泉社)、『「空想から科学へ」と資本主義の基本矛盾』(2017年、本の泉社)、『本当に、マルクスは書いたのか、エンゲルスは見落としたのか:不破哲三氏の論考「再生産論と恐慌」の批判的検討』(2022年、本の泉社)等

*36:1989年、あけび書房

*37:1941年生まれ。名古屋大学名誉教授(国際法)。著書『現代日本の国際関係:安保体制の法的批判』(1978年、勁草書房)、 『現代の国際関係と自決権』(1981年、新日本出版社)、『湾岸戦争国際連合』(1993年、日本評論社)、『テロ、戦争、自衛:米国等のアフガニスタン攻撃を考える』(2002年、東信堂)、『国際環境法の基本原則』(2010年、東信堂)、『国際法学者がよむ尖閣問題』(2016年、日本評論社)、『武力行使禁止原則の歴史と現状』(2018年、日本評論社)、『国際社会における法の支配を目指して』(2021年、信山社)等

*38:『法律時報』1991年8月~11月号(日本評論社)所収

*39:1920~2001年。東京経済大学教授、農民運動全国連合会顧問を歴任。著書『農業問題研究』(1970年、青木書店)、『現代資本主義と農業問題』(1975年、大月書店)、『日本の食糧』(1975年、新日本新書)、『アメリカの食糧戦略と日本農業』(1985年、新日本出版社)等。戦前、農林省蚕糸局長、農林次官、近衛内閣農林相、東条内閣拓務相を、戦後、岸内閣法相を務めた井野碩哉(1891~1980年)は父

*40:1992年、新日本出版社

*41:1993年、新日本出版社

*42:1956年生まれ。明治大学教授。著書『昭和天皇の戦争指導』(1990年、昭和出版)、『軍備拡張の近代史:日本軍の膨張と崩壊』(1997年、吉川弘文館)、『歴史修正主義の克服』(2001年、高文研)、『昭和天皇の軍事思想と戦略』(2002年、校倉書房)、『護憲派のための軍事入門』(2005年、花伝社)、『世界史の中の日露戦争』(2009年、吉川弘文館)、『これだけは知っておきたい日露戦争の真実』(2010年、高文研)、『日本は過去とどう向き合ってきたか』(2013年、高文研)、『近代日本軍事力の研究』(2015年、校倉書房)、『兵士たちの戦場』(2015年、岩波書店)、『帝銀事件と日本の秘密戦』(2020年、新日本出版社)、『増補・昭和天皇の戦争』(2023年、岩波現代文庫)、『昭和天皇の戦争認識』(2023年、新日本出版社)等

*43:1994年、新日本出版社→2020年、ちくま学芸文庫

*44:1993年の野呂賞受賞に続く2度目の受賞。なお、野呂賞を2回受賞したのは井野氏のみ

*45:1996年、新日本出版社

*46:1959年生まれ。奈良女子大学名誉教授。著書『公共事業依存国家』(1998年、自治体研究社)、『地域経済は再生できるか』(1999年、新日本出版社)、『公共事業改革の基本方向』(2001年、新日本出版社)、『地域社会と経済の再生』(2004年、新日本出版社)、『子育て支援システムと保育所・幼稚園・学童保育』(2005年、かもがわ出版)、『よくわかる子ども・子育て新システム』(2010年、かもがわブックレット)、『人口減少時代のまちづくり』(2010年、自治体研究社)、『橋下維新が地域の福祉・医療をこわす』(編著、2012年、自治体研究社)、『人口減少と地域の再編』(2016年、自治体研究社)、『人口減少と公共施設の展望』、『人口減少と大規模開発』(以上、2017年、自治体研究社)、『人口減少時代の自治体政策』(2018年、自治体研究社)、『だれのための保育制度改革』(2019年、自治体研究社)、『子どものための保育制度改革』(2021年、自治体研究社)、『デジタル化と地方自治』(共著、2023年、自治体研究社)、『地域から考える少子化対策』、『地域から築く自治と公共』、『地域居住とまちづくり』(以上、2024年、自治体研究社)等

*47:1996年、自治体研究社

*48:1926~2024年。衆院議員(1976~1990年まで4期16年)。日本共産党社会経済研究所副所長、名誉役員等を歴任。著書『転機に立つ日本経済』(1971年、新日本出版社)、『日本経済と環境問題』(1975年、大月書店)、『日本経済の進路』(1976年、新日本新書)、『経済危機への挑戦』(1982年、新日本出版社)、『日本独占資本の現段階をみる』(1986年、新日本新書)、『帝国主義の新しい展開』(1988年、新日本出版社)、『資本主義はどう変わるか』(1992年、新日本出版社)、『九〇年代不況』(1994年、新日本出版社)、『混迷の日本経済を考える』(1996年、新日本出版社)、『マルクスは信用問題について何を論じたか』(2002年、新日本出版社)、『経済学をいかに学ぶか』(2006年、新日本出版社)、『エコノミスト、歴史を読み解く』(2008年、新日本出版社)、『資本主義の変容と経済危機』(2009年、新日本出版社)、『マルクス資本論」とアリストテレスヘーゲル』(2011年、新日本出版社)、『現代帝国主義と日米関係』(2013年、新日本出版社)、『今日の世界資本主義と「資本論」の視点』(2014年、本の泉社)、『マルクス資本論」の視点で21世紀世界経済危機の深部を探る』(2017年、かもがわ出版)、『マルクス資本論」の方法と大混迷の世界経済』(2018年、かもがわ出版)、『リーマン危機10年後の世界経済とアベノミクス』(2019年、本の泉社)等

*49:1999年。新日本出版社

*50:1922~2003年。一橋大学名誉教授。著書『軍事史』(1961年、東洋経済新報社)、『日本帝国主義』(1968年、日本評論社)、『天皇制と軍隊』(1978年、青木書店)、『戦後史と日本軍国主義』(1982年、新日本出版社)、『太平洋戦争史論』(1982年、青木書店)、『日本軍事史』(1987年、日本評論社)、、『新版・南京大虐殺』(1988年、岩波ブックレット)、『南京の日本軍:南京大虐殺とその背景』(1997年、大月書店)、『餓死した英霊たち』(2001年、青木書店→2018年、ちくま学芸文庫)、『中国戦線従軍記』(2002年、大月書店→2019年、岩波現代文庫)、『昭和天皇15年戦争(新版)』(2003年、青木書店)、『天皇の軍隊と日中戦争』(2006年、大月書店)等

*51:新原氏の経歴については赤旗第28回野呂栄太郎賞選考結果について(2003.7.25)参照。著書『核戦争の基地日本』(1981年、新日本出版社)、『あばかれた日米核密約』(1987年、新日本ブックレット)、『アメリカの戦略は世界をどう描くか:ならず者国家論批判』(1997年、新日本出版社)、『戦争と平和の問題を考える』(2000年、新日本出版社)、『「日米同盟」と戦争のにおい』(2007年、学習の友社)、『日米「密約」外交と人民のたたかい』(2011年、新日本出版社)、『密約の戦後史:日本は「アメリカの核戦争基地」である』(2021年、創元社)等

*52:2002年、新日本出版社

*53:1942~2004年。社会党農漁民局長、国対委員長、村山内閣建設相、官房長官社民党副党首等を歴任