陸軍中野学校の話(R6.12.12)|荒木和博ARAKI, Kazuhiro
令和6年12月12日木曜日「荒木和博のショートメッセージ」第1693号。帝国陸軍の情報要員養成機関だった陸軍中野学校は拓大とも縁がありました。
そんなことが拉致問題の解決と何の関係があるのか?と呆れます。
しかも荒木は過去に中野学校について、以下のツイートや記事執筆をしており、今回の動画は完全な二番煎じです(細部はともかく大筋は過去のツイートや記事と大して変わらない)。よほど話すネタがないのか。
設立趣旨 | 予備役ブルーリボンの会(荒木和博)
中野学校で国体学を教えたのは吉原政巳教官でした。ある中野学校出身者は「吉原先生がいなかったら中野学校は単なるスパイ学校で終わったかもしれない」と語りました。単に技術を教えるだけではなく、国家に奉ずる精神を持って、個々の人間が自らの判断で任務に基づいて行動出来る人間を作っていくことが中野学校の目的だったということです。
荒木和博
令和2年11月14日土曜日のショートメッセージ(Vol.216 )。陸軍中野学校についてお話ししました。私の勤務している拓殖大学からも中野学校の生徒は何人も出ています。所属している海外事情研究所の元所長吉原政巳先生は元中野学校の国体学の教官でした。
なお「陸軍中野学校、拓殖大」「陸軍中野学校、吉原政巳」でググると他にも以下の記事がヒットします。
孤忠留魂之碑参拝記 – 拓殖大学学友会
拓殖大学海外事情研究所所長をつとめられた吉原政巳先生は(ボーガス注:宮城事件を起こし、失敗後自決した)畑中少佐*1の陸軍の先輩です。吉原先生は陸軍士官学校44期、畑中少佐は46期となり、宮城事件のときも緊密な関係にあったと聞きます。吉原先生は陸軍士官学校生のときに5・15事件に参加*2され、宮城事件のときは陸軍中野学校の教官の職にあられ、畑中少佐が最も尊敬する人物の1人といわれています。
「秘密工作員」養成機関の実像 陸軍中野学校 Wedge ONLINE(ウェッジ・オンライン)(筒井清忠*3)
中野学校では天皇制について自由に議論ができたといわれることがあるのだが、実際にそのようなことがあったようだ。ただしあくまで閉じられた中野学校キャンパスの中で議論がされたということでありブレインストーミングの一つだと考えるべきだという。
一方では五・一五事件関係者の吉原政巳が教員をしており、徹底した国体教育が行われていたのである。
吉原政巳著『中野学校教育』を読む(小野耕資*4)
吉原が中野学校で国体論を教える際には、先哲の著作を以て行いました。『中野学校教育』ではそのことについても書かれています。
まずは『神皇正統記』。北畠親房が著わした本書は、「大日本は神国なり」の冒頭の一節で有名ですが、日本人の根幹の世界観について、中国、インドの古典にも精通し、伊勢神道を信じた親房が存分に語った本でもあります。
そして『中野学校教育』では崎門学にも触れています。崎門学は江戸時代前期の儒者であり神道家であった山崎闇斎から始まる学問で、前述の『神皇正統記』の再評価にも貢献した学問です。水戸学や幕末の志士にも深い影響を与えた尊皇思想の源流とも呼べる思想です。
そして吉田松陰の『講孟箚記』です。
陸軍中野学校のいちばん長い日とインドネシア独立の礎をつくった柳川宗成=第48回諜報研究会 – 旧《溪流斎日乗》 depuis 2005
登壇されたのは、拓殖大学教授の澤田次郎氏*5でした。タイトルは「陸軍中野学校出身者のジャワ工作ー柳川宗成大尉の遺稿からー」でした。
柳川は1967年に「陸軍諜報員・柳川中尉」(サンケイ新聞出版局)という回想録を出版しましたが、その本の元原稿が、現在、拓大のアーカイブに保存されています。
常松先輩を偲ぶ – 拓殖大学学友会
元学友会事務長で昭和63年に大学を退職された常松清孝先輩(専門部17期卒、旧姓富岡)が平成24年1月10日に逝去されました。(享年88歳)
聞くところによれば常松先輩は陸軍中野学校のご出身とのこと、終わりに中野学校出身者が別れに歌うという「三三壮途の歌(さんさんわかれのうた)」を賦して常松先輩に慰霊の微衷を捧げます。
なお、三三壮途の歌(さんさんわかれのうた)については以下の記述がありますね。
陸軍中野学校 - Wikipedia
父親が陸軍中野学校出身であった漫画家・竹宮惠子の回想(『読売新聞』朝刊2019年8月11日掲載)によると、父親の葬儀に小野田寛郎(1922~2014年、陸軍中野学校出身)ら6~7人の男性が現れ、「仲間の葬儀ではそうしている」と説明して棺を担ぎ、中野学校で送別歌とされていた『三三壮途(さんさんわかれ)の歌』を唄ったという。
竹宮惠子 - Wikipedia
竹宮惠子の回想(『読売新聞』朝刊2019年8月11日掲載)によると、父の竹宮義一は陸軍軍人で、スパイやゲリラ戦の要員を育てる陸軍中野学校二俣分校一期生であった。
なお、中野学校については
【著者名順】
◆加藤正夫『陸軍中野学校の全貌』(1998年、展転社)、『陸軍中野学校』(2014年、光人社ノンフィクション文庫)
◆川満彰*6『陸軍中野学校と沖縄戦』(2018年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)
◆斎藤充功*7『陸軍中野学校』(2006年、平凡社新書)、『陸軍中野学校極秘計画』(2011年、学研新書)、『証言・陸軍中野学校』(2013年、バジリコ)、『日本スパイ養成所陸軍中野学校のすべて』(2014年、笠倉出版社)、『スパイ・アカデミー陸軍中野学校』(2015年、洋泉社)、『陸軍中野学校全史』(2021年、論創社)
◆畠山清行*8『秘録・陸軍中野学校』(2003年、新潮文庫)、『陸軍中野学校終戦秘史』(2004年、新潮文庫)
◆山本武利*9『陸軍中野学校』(2017年、筑摩選書)、『日本のインテリジェンス工作:陸軍中野学校、731部隊、小野寺信』(2016年、新曜社)
等の著書があります。
*1:宮城事件を描いた映画『日本のいちばん長い日』では黒沢年雄(1967年版)、松坂桃李(2015年版)が演じた(畑中健二 - Wikipedia参照)
*2:五・一五事件 - Wikipediaによれば、陸軍士官学校生だった吉原(禁固4年の判決)は立憲政友会本部襲撃に参加。「三上卓海軍中尉(禁固15年、しかし事件(1932年)から6年後の1938年に仮出所)らによる犬養首相暗殺」以外は大した成果のない事件だったが「実はクーデター計画」であり、犬養暗殺と同時に「牧野内大臣邸宅や警視庁襲撃(手榴弾を投げ込むが不発)」「立憲政友会本部、三菱銀行本店、日銀襲撃(手榴弾を投げ込むが建物被害があっただけで人的被害はなし)」が行われている。
*3:京都大学名誉教授。著書『二・二六事件とその時代』(1994年、講談社学術文庫→2006年、ちくま学芸文庫)、『西條八十』(2008年、中公文庫)、『近衛文麿』(2009年、岩波現代文庫)、『昭和戦前期の政党政治』(2012年、ちくま新書)、『戦前日本のポピュリズム:日米戦争への道』(2018年、中公新書)、『天皇・コロナ・ポピュリズム:昭和史から見る現代日本』(2022年、ちくま新書)等
*4:著書『資本主義の超克』(2019年、展転社)、『筆一本で権力と闘いつづけた男・陸羯南』(2020年、ケイアンドケイプレス)、『大和魂の精神史』(2021年、望楠書房)、『日本の根幹:農・神道・アジア』(2024年、反時代出版)等
*5:1965年生まれ。尚美学園大教授を経て、拓殖大教授。著書『近代日本人のアメリカ観:日露戦争以後を中心に』(1999年、慶應義塾大学出版会)、『徳富蘇峰とアメリカ』(2011年、慶應義塾大学出版会)
*6:著書『沖縄戦の子どもたち』(2021年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『沖縄県知事・島田叡と沖縄戦』(共著、2024年、沖縄タイムス社)等
*7:著書『伊藤博文を撃った男:革命義士安重根の原像』(1994年、時事通信社)、『百年ダムを造った男:土木技師八田与一の生涯』(1997年、時事通信社)、『脱獄王:白鳥由栄の証言』(1999年、幻冬舎アウトロー文庫)、『謀略戦陸軍登戸研究所』(2001年、学研M文庫)、『昭和史発掘:幻の特務機関「ヤマ」』(2003年、新潮新書)、『刑務所を往く』(2003年、ちくま文庫)、『昭和史発掘:開戦通告はなぜ遅れたか』(2004年、新潮新書)、『ルポ出所者の現実』(2010年、平凡社新書)、『塀の中の少年たち:世間を騒がせた未成年犯罪者たちのその後』(2016年、洋泉社)、『ルポ老人受刑者』(2020年、中央公論新社)、『日本の脱獄王:白鳥由栄の生涯』(2023年、論創社)等
*9:一橋大学名誉教授、早稲田大学名誉教授。著書『特務機関の謀略:諜報とインパール作戦』(1998年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『紙芝居:街角のメディア』(2000年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『日本兵捕虜は何をしゃべったか』(2001年、文春新書)、『GHQの検閲・諜報・宣伝工作』(2013年、岩波現代全書)、『検閲官:発見されたGHQ名簿』(2021年、新潮新書)等