ナベツネ(渡邉恒雄)は読売の「検証・戦争責任」記事で戦争責任を全面的に東條英機に押し付け、昭和天皇を免責させた(原武史) - kojitakenの日記*1
「昭和天皇の戦争責任」と言えばやはり、山田朗氏(明治大学教授)の著作を外すわけにはいかないでしょう。
何故か、id:kojitakenは「昭和天皇の戦争責任」をネタにしながら、山田氏の名前を挙げませんが。もしかして、日本共産党系の出版社とされる新日本出版社から山田氏が書籍を刊行し、また、山田氏が過去に野呂栄太郎賞を受賞してること(1976~2005年まで共産党が主催:山田氏は『大元帥昭和天皇』(1994年、新日本出版社→2020年、ちくま学芸文庫)で1995年に受賞(野呂栄太郎賞 - Wikipedia参照))が「反共分子」として気に食わないのか?。
それとも「原武史*2(kojitakenが記事内で好意的に言及)」を持ち上げるために山田氏の存在を故意に無視してるのか?
山田朗 - Wikipedia
◆『昭和天皇の戦争指導』(1990年、昭和出版)
◆『遅すぎた聖断:昭和天皇の戦争指導と戦争責任』(纐纈厚氏*3との共著:1991年、昭和出版)
◆『徹底検証・昭和天皇「独白録」*4』(藤原彰氏*5、粟屋憲太郎氏*6、吉田裕氏*7との共著:1991年、大月書店)
◆『大元帥昭和天皇』(1994年、新日本出版社→2020年、ちくま学芸文庫)
◆『昭和天皇の軍事思想と戦略』(2002年、校倉書房)
◆『昭和天皇の戦争』(2017年、岩波書店→増補版、2023年、岩波現代文庫)
◆『日本の戦争III:天皇と戦争責任』(2019年、新日本出版社)
◆『昭和天皇の戦争認識:『拝謁記』を中心に』(2023年、新日本出版社)
以上の通り、「昭和天皇の戦争責任」をライフワークとしている山田氏です(但し、山田『世界史の中の日露戦争』(2009年、吉川弘文館)、『これだけは知っておきたい日露戦争の真実:日本陸海軍の〈成功〉と〈失敗〉』(2010年、高文研)、『帝銀事件と日本の秘密戦』(2020年、新日本出版社)など「昭和天皇の戦争責任」以外の著書もありますが)。
小生も『昭和天皇の軍事思想と戦略』(2002年、校倉書房)は購入して持っています。
また山田氏については以下の記事が最近もあります。
(インタビュー)昭和天皇の戦争関与 歴史学者・山田朗さん:朝日新聞デジタル2024.8.8
「昭和天皇は戦争への主体的な関与をしなかった」
「最後まで対米英戦を回避しようとした」。
こうした昭和天皇像に、実証的な研究を通じて見直しを迫ってきた歴史学者がいる。明治大学教授の山田朗さんだ。
「天皇の戦争指導」の実態はどうだったのか。その歴史を直視してこなかった戦後日本社会とは。
(この記事は有料記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。)
また山田氏以外にも「昭和天皇の戦争責任」については以下の本があります。
井上清 (歴史学者) - Wikipedia
◆井上清*8『天皇の戦争責任』(1975年、現代評論社→1991年、岩波同時代ライブラリー→2004年、岩波現代文庫)、『昭和天皇の戦争責任』(1989年、明石書店)
2001年の井上死後、新資料の発見もあれば、研究の進展もあるので、歴史的限界は当然あるでしょうが、この問題での古典的著作ですね。
なお
「昭和天皇がトップ(大元帥(軍最高指導者)にして国家元首)であり、当然、彼の了承の元に戦争は行われた」
「張作霖暗殺事件での田中義一*9首相辞任でわかるように、天皇の信任を失えば首相は辞任するほかなかった」
「実は第三次近衛内閣終了後、最初に出てきた首相候補は東久邇宮稔彦王*10(戦前、陸軍航空本部長、防衛総司令官など陸軍の要職を歴任。戦後、首相)だが、万が一の時に皇室に累を及ぼしたくないという木戸幸一内大臣の反対により、東条*11が首相になった。東条自身は首相就任を希望してない」
「昭和天皇は戦後の独白録(自己の戦争責任を否定)ですら
東條英機 - Wikipedia
『元来東条と云ふ人物は、話せばよく判る、それが圧制家の様に評判が立つたのは、本人が(ボーガス注:当初首相以外にも陸軍大臣、参謀総長を兼任し)余りに多くの職をかけ持ち、忙しすぎる為に、本人の気持が下に伝わらなかつたこと、又憲兵を余りに使ひ過ぎた。』
『東条は一生懸命仕事をやるし、平素云つてゐることも思慮周密で中〻良い処があつた。』
として、東条への肯定的感情を述べており、これについては
東條英機 - Wikipedia
昭和天皇は、『独白録』の中で、東條の首相在任時の行動について評価できる点として、首相就任後に、自分の意志を汲んで、戦争回避に全力を尽くしたこと、ドーリットル空襲の際、乗組員の米兵を捕虜にした時に、軍律裁判による全員の処刑を主張する参謀本部に反対したこと(昭和天皇独白録「十七年四月米飛行士を処罰した時も、全部死刑にすると云ふのを、東條が反対して一番責任のある三人を銃殺にし、他は勅許により無罪にした」)、サイパン島陥落の際に民間人を玉砕させることに極力反対した点などをあげている。
『独白録』には、昭和前期の多くの政治家、軍人に対し、昭和天皇の厳しい評価が記述されているが(例えば、広田弘毅元首相、松岡洋右元外相、平沼騏一郎元首相などは昭和天皇に厳しく批判されている)その中で東條への高い評価は異例なものであり、いかに東條が昭和天皇個人からの信頼を強く受けていたかが分かる。東條は、細かく何事も天皇に上奏(報告)していたと言われ、そのため天皇も東條の忠誠心を極めて信頼するようになっていったことがうかがえる。
東條英機 - Wikipedia
秦郁彦*12
『東条はまさに能吏であり、そこが天皇のお気に召したわけです。』
木戸幸一(太平洋戦争開戦当時の内大臣。戦後のインタビュー)
『東條って人は非常に陛下の命というと本当に一生懸命になってやるわけでね、その点はある意味ではまた大変強い。東條って人はよくみんなに言われるような主戦論者でもなければ何でもないんだ。極めて事務的な男で政治家でもないんですよ』
と言う評価がある」
「A級戦犯のウチ、
【名前順】*13
◆岡敬純
太平洋戦争開戦当時の海軍次官。東条内閣崩壊後は鎮海警備府司令長官を経て予備役編入。戦後、終身刑判決。後に仮釈放
◆賀屋興宣
第一次近衛、東条内閣で蔵相(太平洋戦争開戦当時の蔵相)。戦後、終身刑判決。後に仮釈放。後に公職追放も解除され政界に復帰。池田内閣法相、自民党政調会長(池田総裁時代)を歴任
◆木村兵太郎
太平洋戦争開戦当時の陸軍次官。いわゆる「三奸四愚(東条側近とされた人間のうち、評判の悪い人間)」の「四愚」の一人。その後も陸軍兵器行政本部長、ビルマ方面軍司令官を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀
◆佐藤賢了
東条内閣で陸軍省軍務局長(東条と対立して軍務局長を更迭された武藤章の後任)。いわゆる「三奸四愚(東条側近とされた人間のうち、評判の悪い人間)」の「四愚」の一人。東条内閣崩壊後は支那派遣軍総参謀副長等を経て予備役編入。戦後、終身刑判決。後に仮釈放
◆重光葵
戦前、東条、小磯内閣外相。戦後、禁固7年。出所後、公職追放が解除され、政界復帰。改進党総裁、日本民主党副総裁(鳩山一郎総裁)、鳩山内閣外相等を歴任
◆嶋田繁太郎
東条内閣海軍大臣(太平洋戦争開戦当時の海軍大臣)、軍令部総長。戦後、終身刑判決。後に仮釈放
◆鈴木貞一
第二次、第三次近衛、東条内閣で企画院総裁。いわゆる「三奸四愚(東条側近とされた人間のうち、評判の悪い人間)」の「四愚」の一人。戦後、終身刑判決。後に仮釈放
◆東郷茂徳
東条、鈴木内閣外相(太平洋戦争開戦当時及び終戦当時の外相)。戦後、禁固20年で服役中に病死。後に靖国に合祀
◆永野修身
太平洋戦争開戦当時の軍令部長。裁判中に病死。後に靖国に合祀
◆武藤章
太平洋戦争開戦当時の陸軍省軍務局長。後に東条と対立し、軍務局長を更迭され、 近衛師団長、第14方面軍参謀長(フィリピン)を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀
◆星野直樹
東条内閣で内閣書記官長(太平洋戦争開戦当時の書記官長)。戦後、終身刑判決。後に仮釈放
はともかく
◆板垣征四郎
関東軍高級参謀として満州事変に関与。その後も関東軍参謀長、第一次近衛、平沼内閣陸軍大臣、朝鮮軍司令官、第7方面軍司令官(シンガポール)などを歴任。戦後死刑判決。後に靖国に合祀
◆松岡洋右
第二次近衛内閣外相。裁判中に病死。後に靖国に合祀
◆広田弘毅
斎藤、岡田、第一次近衛内閣外相や首相を歴任。戦後死刑判決。後に靖国に合祀
◆南次郎
満州事変当時の陸軍大臣(第二次若槻内閣陸軍大臣)。その後も関東軍司令官、朝鮮総督を歴任。戦後、終身刑判決。後に仮釈放
などは東条(太平洋戦争開戦当時の首相)と関係がない」
東條英機 - Wikipedia
◆東條は1941年10月18日の皇居での首相任命の際、天皇から対米戦争回避に力を尽くすように直接指示される。天皇への絶対的な忠誠心の持ち主の東條はそれまでの開戦派的姿勢を直ちに改め、外相に対米協調派の東郷茂徳を据え、一旦、対米開戦方針である帝国国策遂行要領を白紙に戻す。
◆井本熊男*14は、東条が「(ボーガス注:首相が軍をコントロールできないので)統帥権独立のもとでは戦争はできぬ」とこぼすのをよく聞いたという。佐藤賢了*15は「東條さんは決して独裁者でもなく、その素質も備えていない。」と評している。
◆反東条派の木戸内大臣が天皇の内意をほのめかしながら退陣要求するが、東条は昭和天皇に首相続投を直訴する。だが天皇は「そうか」と言うのみで東条の要望には応えてくれなかった。頼みにしていた天皇の支持も失ったことを感じ、万策尽きた東条は、1944年7月18日に内閣総辞職し、予備役となった。東条の腹心の赤松貞雄*16は、東条おろしに対抗してクーデターを進言したが、さすがに東条も「お上(昭和天皇)の御信任が薄くなったときはただちに職を辞するべきだ」とはねつけたという。東条は次の小磯*17内閣において、自らの政治力を維持するために、陸相として残ろうと画策するも、参謀総長・梅津美治郎*18の反対で実現せず、結局「太平洋戦争開戦当時の参謀総長」で「東条に比較的に近い」杉山元*19を小磯内閣陸相に出すこととなったとされる。
◆御前会議で天皇の「終戦の聖断」が下ると、直後に開かれた重臣会議において、「ご聖断がありたる以上、やむをえないと思います」としつつ「国体護持を可能にするには武装解除をしてはなりません」と上奏している。
御前会議の結果を知った陸軍省軍務課の中堅将校らが、東条にクーデターを主張すると、東条の答えは「絶対に陛下のご命令に背いてはならぬ」であった。さらに東条は近衛師団司令部に赴き、東条の次女・満喜枝と結婚した、娘婿の古賀秀正*20少佐(近衛第一師団参謀)に「軍人はいかなることがあっても陛下のご命令通り動くべきだぞ」と念押ししている。だが、古賀はクーデター未遂事件「宮城事件」に参加し、東条と別れてから10時間後に自決している。
等「東条悪者論(明らかに昭和天皇や海軍幹部(林、第一次近衛、平沼、小磯、鈴木内閣で海軍大臣を務めた米内光政など)などを免罪するための虚偽)」はいくらでもツッコミ所があります。
原武史が指摘する通り、ナベツネは戦争責任を東条英機一人に押しつけて昭和天皇を免責していたが、免責されたのは何も昭和天皇だけではない。岸信介*21の戦争責任をもナベツネは免責した。それがナベツネが安倍政権支持(靖国に参拝しないことという条件はつけていたが)を正当化する大きな理由*22の一つだった。
id:kojitakenは何故か詳しく書いていませんが、岸を美化するためにこそ「東条を悪者にした」と見るべきではないか。
というのも「東条内閣商工相」だった岸は「内閣改造」によって延命を図る東条(サイパン陥落によって反東条派が公然と東条おろしに動き、政権危機に陥っていた)に「商工相辞任」を求められても拒否し「東条を首相辞任に追い込んだ」からです。
東条は「嶋田繁太郎海軍大臣(戦後、終身刑判決。後に仮釈放)の辞任」を求める反東条派「木戸幸一*23内大臣」の要望を飲み、木戸同様に反東条派の「米内光政元首相(海軍の重鎮)」を海軍大臣に任命することで、政権延命を図りました。また、この時に「米内以外の重臣」の入閣も木戸に求められた東条は「大臣ポストの空き」を作るために岸に辞任を求めましたが、岸は辞任を拒否します。当時は「首相には大臣の罷免権がない」ので、東条は辞任に追い込まれます。
勿論「木戸の行為」と「岸の行為」は偶然の訳がなく、これは「東条を辞任に追い込むための木戸と岸の連係プレー」であり、木戸や岸と同様に「東条打倒に動いた重臣」としては
「岡田元首相(226事件当時の首相、田中、斎藤内閣で海軍大臣)」
「近衛元首相(戦後、戦犯指定を苦にして自殺)」
「平沼元首相(検事総長、大審院長、第二次山本内閣司法相を歴任した大物司法官僚。戦後、終身刑判決。後に靖国に合祀)」
「広田元首相(斎藤、岡田、第一次近衛内閣で外相。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀)」
「米内元首相(林、第一次近衛、平沼、小磯、鈴木内閣で海軍大臣)」
「鈴木元侍従長(226事件当時の侍従長。終戦時の首相。海軍次官、連合艦隊司令長官、海軍軍令部長を歴任)」
がいた。
「岸、木戸だけならともかくこれらの大物が反東条でまとまってる以上、もはや政権維持は無理」と観念した東条は渋々首相を辞任します。なお、これらの「反東条派の重臣」のうち、東条の首相辞任後、米内は「小磯、鈴木内閣海軍相」を、鈴木は「終戦時の首相」を務め、その後の政局をリードします。
但し、当初は昭和天皇自身が「東条おろしに従った」とはいえ主戦論者であり、東条辞任後、米内、鈴木はスムーズに終戦工作に動けたわけではない。だからこそ東条が1944年7月に首相を辞任しても、その後、戦争は約1年も続くことになります。
なお、皮肉なのは東条おろしに動いた人間の中で「戦後、戦犯にされた人間がいること(戦犯指定を苦にして自殺した近衛、終身刑判決の平沼、死刑判決の広田)」と「戦犯追及を逃れた人間(岡田、岸、鈴木、米内)」がいることですね。結局それは「米国にとっての政治的利用価値の有無」にすぎなかったのでしょうが。
*1:読売記事は後に『検証・戦争責任』(中公文庫)として刊行
*2:明治学院大学名誉教授。著書『昭和天皇』(2008年、岩波新書)、『「昭和天皇実録」を読む』(2015年、岩波新書)、『象徴天皇の実像:「昭和天皇拝謁記」を読む』(2024年、岩波新書)等
*3:山口大学名誉教授。著書『日本海軍の終戦工作』(1996年、中公新書)、『「聖断」虚構と昭和天皇』(2006年、新日本出版社)、『「日本は支那をみくびりたり」:日中戦争とは何だったのか』(2009年、同時代社)、『日本降伏:迷走する戦争指導の果てに』、『日本はなぜ戦争をやめられなかったのか』(以上、2013年、社会評論社)等
*4:独白録については東野真『昭和天皇二つの「独白録」』(1998年、NHK出版)という著書がある。
*5:1922~2003年。一橋大学名誉教授。著書『餓死した英霊たち』(2001年、青木書店→2018年、ちくま学芸文庫)、『昭和天皇の15年戦争(新版)』(2003年、青木書店)、『天皇の軍隊と日中戦争』(2006年、大月書店)等
*6:1944~2019年。立教大学名誉教授。著書『東京裁判論』(1989年、大月書店)、『十五年戦争期の政治と社会』(1995年、大月書店)、『東京裁判への道』(2006年、講談社選書メチエ→2013年、講談社学術文庫)等
*7:一橋大学名誉教授。著書『昭和天皇の終戦史』(1992年、岩波新書)、『日本人の戦争観』(1995年、岩波書店→2005年、岩波現代文庫)、『日本の軍隊』(2002年、岩波新書)、『アジア・太平洋戦争』(2007年、岩波新書)、『日本軍兵士:アジア・太平洋戦争の現実』(2017年、中公新書)、『兵士たちの戦後史:戦後日本社会を支えた人びと』(2020年、岩波現代文庫)、『続・日本軍兵士:帝国陸海軍の現実』(2025年刊行予定、中公新書)等
*8:1913~2001年。京都大学名誉教授。著書『条約改正』(1955年、岩波新書)、『日本帝国主義の形成』(1968年、岩波書店→2001年、岩波モダンクラシックス)、『西郷隆盛』(1970年、中公新書)、『明治維新』、『自由民権』(以上、2003年、岩波現代文庫)、『日本の軍国主義』(2004年、岩波現代文庫)等
*9:原、第二次山本内閣陸軍相等を経て首相
*10:1887~1990年。唯一の皇族首相。また首相在任日数54日間は史上最短記録(厳密には第1次岸田内閣の38日の方が短いが、岸田はその後、第2次内閣を組閣してるので、実質的な意味での最短は東久邇宮)。歴代首相の中の最長寿者(102歳で死去。ちなみに恐らく2位が101歳の中曽根(故人)、3位が100歳の村山(存命))
*11:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、陸軍航空総監、第二次、第三次近衛内閣陸軍相、首相等を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀
*12:千葉大学教授、日本大学教授を歴任。著書『昭和天皇・五つの決断』(1994年、文春文庫)、『盧溝橋事件の研究』(1996年、東京大学出版会)、『統帥権と帝国陸海軍の時代』(2006年、平凡社新書)等
*13:kojitakenは指摘していませんが、こうした被告の顔ぶれ(東条首相の他、東条政権下での内閣書記官長(星野)、外相(東郷→重光)、蔵相(賀屋)、海軍大臣(嶋田)、海軍次官(岡)、軍令部総長(永野→嶋田)、陸軍次官(木村)、陸軍省軍務局長(武藤→佐藤))を見るに東京裁判において米国が明らかに「東条悪者論」を世間に広めようとしていたことは明白でしょう。
*14:1903~2000年。戦前、大本営陸軍参謀。戦後、統合幕僚会議事務局長、陸上自衛隊幹部学校校長を歴任。著書『作戦日誌で綴る支那事変』(1978年、芙蓉書房→『支那事変作戦日誌』と改題し1998年、芙蓉書房出版)、『作戦日誌で綴る大東亜戦争』(1979年、 芙蓉書房→『大東亜戦争作戦日誌』と改題し、1998年、芙蓉書房出版)
*15:1895~1975年。南支那方面軍参謀副長、陸軍省軍務課長、軍務局長、支那派遣軍総参謀副長等を歴任。戦後終身刑判決。後に仮釈放。著書『軍務局長の賭け:佐藤賢了の証言』(1985年、芙蓉書房)
*16:1900~1982年。いわゆる「三奸四愚(東条側近とされた人間のうち、評判の悪い人間)」の「四愚」の一人。東条内閣首相秘書官。著書『東条秘書官機密日誌』(1985年、文藝春秋)
*17:陸軍省整備局長、軍務局長、陸軍次官、関東軍参謀長、朝鮮軍司令官、平沼、米内内閣拓務大臣、朝鮮総督、首相等を歴任。戦後、終身刑判決で服役中病死。後に靖国に合祀
*18:陸軍次官、関東軍司令官、参謀総長等を歴任。戦後、終身刑判決で服役中病死。後に靖国に合祀
*19:陸軍大臣(林、第一次近衛、平沼、小磯内閣)、陸軍教育総監、参謀総長を歴任。戦後、妻と共に自決。なお、陸軍大臣、参謀総長、教育総監の陸軍三長官を全て経験し元帥にまでなったのは杉山の他には一人(第二次西園寺内閣陸軍大臣の上原勇作)しかいない。
*20:映画『日本のいちばん長い日』では佐藤允(1967年版)、谷部央年(2015年版)が演じた(日本のいちばん長い日 - Wikipedia参照)
*21:戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、日本民主党幹事長、自民党幹事長(鳩山総裁時代)、石橋内閣外相を経て首相
*22:何でそんなことが安倍支持の理由になるのか?、ですね。安倍と岸(安倍の祖父)は別人格ですから。「板垣征四郎(満州事変の実行犯の一人、戦後死刑判決。後に靖国に合祀)と板垣正(征四郎の息子、自民党参院議員)」「平沼騏一郎(戦前、首相、第二次近衛内閣内務相等を歴任。戦後、終身刑判決。後に靖国に合祀)と平沼赳夫(騏一郎の養子。村山内閣運輸相、森内閣通産相、小泉内閣経産相など歴任)」が別人格なのと同じ話です。まあ以上上げた人間は、「安倍、板垣正、平沼赳夫」、皆例外なく「日本の侵略に無反省な右翼」ですが、安倍や板垣正、平沼赳夫が「日本の侵略」という過去を真摯に反省してるのなら親族(岸信介など)が戦犯や戦犯容疑者であることを理由に批判される理由はないでしょう。
*23:もともとは東条を首相に推薦した一人だが、この頃は反東条に考えが変わっていた。第一次近衛内閣文相、厚生相、平沼内閣内務相、内大臣を歴任した昭和天皇の側近。戦後、終身刑判決を受けるが後に仮釈放