kojitakenに悪口する(2025年2/2日分)

某ガス‥‥ (呆) - kojitakenの日記
 id:kojitakenが小生に対し「内容に乏しい悪口雑言をしている」だけの駄記事です。kojitakenの「頭と性格の悪さ」には改めて「軽蔑の念」を強くしました。まあid:kojitaken自画自賛に反し「全く世間には相手にされない」のが滑稽ですが。
 しかし過去に「ボーガスなど無視する」と言いながら無視できずに俺への「悪口雑言」を続けるのが滑稽です。「無視できてない」のは「俺の批判が結構痛い」ということではないか。これは俺だけでなく「まさ氏」も同じではないか。
 「まさ氏」の言動についてよく知らないので評価はできませんが俺同様に「まさ氏の方に道理はあり、id:kojitakenの方にむしろ非がある(それをkojitakenも自覚してるから必死に「まさ氏」を攻撃する)」のかもしれない。何せkojitakenの「まさ氏」非難には具体性がまるでないですからね。単に「アホのkojitakenに、まともな批判能力がないだけ」かもしれませんが。

 某ガスが私の悪口を書いただけのブログ記事(もちろん読みになんか行ってない)をリンクしただけのポストがあった(アホらしいからリンクしない)。

 読まなくても、コメントしなくてもいいので、kojitakenが言うように「私の悪口を書いただけのブログ記事*1」か、読者が確認できるようにせめてリンクぐらいは張ったらどうなのか。というかリンクも張らずにこんなことを書いても「俺の文章が確認できない」ので読者も「kojitakenシンパ以外」は「それってあなた(kojitaken)の感想ですよね?」と呆れるのではないか。

 陰湿さにかけては今朝槍玉に挙げた「ま×」といい勝負かな?

 「まともに反論できない人間」がこのようによく「人格攻撃」をやることがあります。kojitakenの場合も同じでしょう。
 むしろkojitakenの方が俺に対して「陰湿な個人攻撃」ではないのか。

 確かにあの人には「訴えたい主張」など何もないのかもしれません。

 そんなことは勿論ありません。「凡人の平凡な意見」にすぎませんが「訴えたいこと」は当然あります。

 プーチンシンパのような外交論

 別記事にも書きましたが「2022年2月」から3年にも及ぶ戦争長期化に「可能ならば停戦すべき」と書いただけの話です。
 それを「停戦はその思惑に関係なく親ロシア」と見なすkojitakenが俺に悪口してるだけの話です。

 某ガスが私の批判を自らのブログの売り物にし始めた

 そもそもid:kojitaken批判など売り物にしてませんが。「長期に渡ってネタにしてるから売り物」というなら「kojitaken批判」以外にも「松竹、紙屋批判(反党分子批判)」「産経新聞、荒木和博、島田洋一黒坂真批判(反動極右批判)」「赤旗、月刊前衛、月刊経済、月刊歴史評論週刊漫画ゴラクの紹介(雑誌等の紹介)」も「売り物」になるでしょうし、これらで一番量的に多いのは産経批判です。
 まあ「売り物にしたとして何が悪いのか?」「kojitakenだって、例えばしつこく俺のことや、小沢一郎泉健太、維新や国民民主、れいわや共産に悪口してるけど自分がやる悪口行為は正義の行為扱いかよ。どんだけご都合主義なんだよ?」ですが。なお、これは「小沢などをkojitakenは批判するな」という話では勿論ないので念のためお断りしておきます。


何故、自分のアカウントや場所を持たないのか? また、自分の場所を持たず、他人の附属品であるコメント欄に寄生するという行為は何時頃からあるのか? (sumita-mさん) - kojitakenの日記
 小生自身は、自分の場というか「はてなブログ」がありますが、こういうことを書くid:sumita-mや、共感してるらしいid:kojitakenは理解不能ですね。
 ブログ、ツイッター等の「自分の場」を作ることは義務じゃない。作りたければ作るし、そうでなければ作らないだけの話です。自分の場がない人間が「他人の記事」にコメントすることも「寄生呼ばわりされる不当行為」でもないでしょう。コメントが不適切かどうかは「自分の場があるかどうか」とも関係ないでしょう。

何故? - Living, Loving, Thinking, Again
 エントリーと(如何なる意味でも)関係ないコメント、また如何なる生産性もないようなコメントが時々は投げ入れられることも事実だ。私としては、そうしたコメントも含めて「承認」するけれど、それに対して応答は期待しないで頂きたい。

 関係ないコメント(例えば、現在の共産党について論じてる場で全く関係ない『終戦直後の暴力闘争時代のこと』をあげつらう、現在のキリスト教を論じる場で、全く関係ない「魔女狩り」など過去の負の歴史をあげつらうなど)は比較的客観的に判断が可能でしょうが、「如何なる生産性もないようなコメント」というのは「かなり主観が入ってくることが多いのではないか」とは思います。要するに「生産性云々を口実にした不当なコメント拒否」等、不当な行為があり得るという話です。

・ここで「×さ」は「はてなブログのコメント欄を閉鎖してやったぞ」と示威行為をやったわけです。
・人様のブログのコメント欄を閉鎖してやったぞなどと自慢する輩
・某人も、ブログのコメント欄を閉鎖に追い込んでやったぞなどと隠微あるいは陰険な喜びに浸るのはいい加減に止めて

 「さいはてメモ帳」と「まさ」の関係性を知らないので評価できませんが、表面上は「さいはてメモ帳のコメント欄が閉鎖されて残念だ」としか「まさ」は書いていませんし、kojitakenの文章を読む限りは
1)「さいはてメモ帳」が「自分への批判コメント」を嫌い、不当にもコメント欄を閉鎖したのか
2)「まさ」の荒らし行為等、何らかのやむを得ない事情で閉鎖したのか
は不明です。まあ、kojitakenが2)だと言いたい「らしい」ことだけは分かりますが、kojitakenは「そのように評価できる根拠」を何一つ提出していません。
 「まさ」のコメントがkojitakenの言うように「風の強い日は火事に気をつけろ」「電車のホームから転落しないように気をつけろ」という「ヤクザの脅し文句」と同じ代物かは分かりません。そもそもヤクザの脅し文句だって「ヤクザが善意でそんなことを言うわけがない」という予備知識があるからそう理解できる(形式的には脅し文句ではない)わけですが、kojitakenの引用だけでは「まさ」がどんな人間かは全く分かりません。

*1:勿論「悪口を書いただけ」であっても正当な「悪口」なら何ら問題ないし、kojitakenのこの駄記事も「俺への悪口を書いただけのブログ記事」なのによくも抜かしたもんです。