「珍右翼が巣くう会」高世仁に悪口する(2025年2/17日分・その1)(副題:宮本常一の取材心得)

宮本常一に学ぶ取材の心得 - 高世仁のジャーナルな日々
 高世の言う「宮本の取材心得」とやらについては以下の拙記事を改めて紹介しておきます。

今日の産経ニュース(2024年5/26~28日分)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ
 確か、TBSラジオの番組『蓮見孝之・まとめて!土曜日』だったと思いますが「取材されるという迷惑」という話を聞いたことがあります(話をしたのは確か、宮本常一のような民俗学者ですが名前は覚えていません。
【2025年2月17日追記】:
蓮見孝之 まとめて!土曜日 - Wikipediaにコメンテーターとして名前が挙がってる富永京子氏*1だと思います)。
 何かというと、

宮本常一*2に『調査されるという迷惑』という「私のような民俗学者が知らなかったら恥ずかしい」古典的著書があります。調査は研究者の権利だが被調査者の義務では無い。迷惑と思う人間がいても当然です。
 報道も同じで『取材されるという迷惑(つまりはいわゆる報道被害)』がありはしないか。そのためには「迷惑をかけないように努力する」と共に被調査者(被取材者)*3に『調査(取材)を受けて良かった』と思われる成果を、あるいは一般人に『調査(取材)の成果だ』と評価される成果を出さないといけないと思う。
 但しそれは「被調査者(被取材者)の言いなりになる」「被調査者(被取材者)と馴れ合う」ということではなく緊張関係は必要だ。非常に難しい話です。

と言う話です。それを今思い出しました。緊張関係が無いと「高世仁横田早紀江(被取材者)の関係」になるわけです。あるいはhttps://blog.goo.ne.jp/mccrearyが何度か批判している「マスコミによる犯罪被害者(被取材者)の感情論垂れ流し」になる。そういえば高世は「宮本常一ファン(例えば宮本常一歌集『畔人集』によせて3 - 高世仁のジャーナルな日々参照)」のようですが「「被調査者(被取材者)の言いなりになる」「被調査者(被取材者)と馴れ合う」ということではなく緊張関係は必要だ。」と言う指摘について「横田早紀江と馴れ合ってる自分」をどう思うのか聞きたいところです(皮肉のつもり)。

 ちなみに今日の産経ニュース(2024年5/26~28日分)(追記あり) - bogus-simotukareのブログを書いたときは気づかなかったのですが、ググったら『調査されるという迷惑(増補版)』(2024年、みずのわ出版)が刊行されてますね。

 宮本は、調査に行っては奪うばかりでなく、与えるものがなければならず、ギブ・アンド・テイクは調査の際の一つの鉄則であると考えていた。そして今を生きている人々の姿を忠実に伝え、彼らの良き代弁者になろうとした。
 宮本は、例えば離島をよく調査したが、その島を島民とともに発展させるよう尽力し離島振興のオルガナイザーと呼ばれた。故郷の周防大島*4のある町から町民が結束できるような文化運動をおこしたいと相談されると、「民具を集めて見ることから、ふるさとを見直す運動をおこしてみてはどうか」と提案。老人クラブや婦人会を巻き込んだ町民参加型の民具収集を指導し、この運動からその町(久賀町*5)に町立歴史民俗資料館が開館した。

 勿論「与える物」は必要でしょう。それは「蓮見の番組に出演した民俗学者」も語っていたことです。
 但し、それは「研究成果(学者の場合。メディアの場合は取材成果)」でいいのではないか。
 第一に宮本がしたという「文化運動の指導」などということはおいそれとできるものでもなければ、すべきものでもないでしょう。そもそも研究者の本務ではない。
 上で紹介したTBSラジオ蓮見孝之・まとめて!土曜日*6』に登場した民俗学者(上で追記しましたが恐らく富永京子氏*7)も「調査を受けて良かったと言われる研究成果を出すこと」、またMC蓮見も「取材を受けて良かったと言われる取材成果を出すこと」が必要だろうとしていました。勿論それは、出演した民俗学者や蓮見も認めていたように難しいことではありますが。
 なぜなら、調査(取材)対象者と調査(取材)者の価値観はイコールではない*8し、「調査(報道)対象者」が一人ならともかく、「ある団体のメンバー」など複数いる場合は調査(取材)に対する「調査(取材)対象者の意見」が一枚岩ではなく、異なる場合もあり得る。
 第二に、「高世が紹介する宮本」のように、そこまで「調査(取材)対象」に深入りすることは「調査(取材)の客観性」を損なう恐れがある。前回の俺の記事今日の産経ニュース(2024年5/26~28日分)(追記あり) - bogus-simotukareのブログで、高世を批判しましたが、実際「取材対象(横田早紀江)」に深入りして「早紀江の宣伝マン」も同然の存在になったのが高世です。
 例は何でもいいですが、例えば「政治活動(例:野党の国会質問)、社会活動(例:子ども食堂、ヤングケアラー支援など)」の調査(取材)はその「政治活動、社会活動」に一定の価値を認めてるとは言え、建前上はその政治団体、社会活動団体に対する「支持者としての応援」とは違う。
 あるいは「著書の紹介記事」「音楽、演劇など芸能の紹介記事」もそうしたものに一定の価値を認めてるとは言え、建前上は「本の著者」や「音楽、演劇などの実演者(俳優など)」に対する「支持者としての応援」とは違う。
 そこを間違えると「調査(取材)に客観性皆無じゃないか。ただの宣伝じゃないか」になってしまう。

*1:1986年生まれ。立命館大学准教授。著書『社会運動と若者』(2017年、ナカニシヤ出版)、『みんなの「わがまま」入門』(2019年、左右社)、『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史:サブカルチャー雑誌がつくった若者共同体』(2024年、晶文社)等

*2:1907~1981年。武蔵野美術大学名誉教授。著書『絵巻物に見る日本庶民生活誌』(1981年、中公新書)、『家郷の訓』、『忘れられた日本人』(以上、1984年、岩波文庫)、『塩の道』、『民間暦』(以上、1985年、講談社学術文庫)、『ふるさとの生活』(1986年、講談社学術文庫)、『庶民の発見』(1987年、講談社学術文庫)、『民俗学の旅』(1993年、講談社学術文庫)、『日本の村・海をひらいた人びと』(1995年、ちくま文庫)、『空からの民俗学』、『女の民俗誌』、『宮本常一、アフリカとアジアを歩く』(以上、2001年、岩波現代文庫)、『イザベラ・バードの日本奥地紀行』(2002年、平凡社ライブラリー→その後、『イザベラ・バードの旅:「日本奥地紀行」を読む』と改題し、2014年、講談社学術文庫)、『日本文化の形成』(2005年、講談社学術文庫)、『山に生きる人びと』(2011年、河出文庫)、『生きていく民俗』、『民俗のふるさと』(以上、2012年、河出文庫)、『日本人のくらしと文化』(2013年、河出文庫)、『海に生きる人びと』(2015年、河出文庫)、『辺境を歩いた人々』(2018年、河出文庫)等

*3:勿論、中には「俺の希望に添った調査結果(報道)でないと一切認めない」と言う狭量な人間(例:https://blog.goo.ne.jp/mccrearyが何度か批判している一部の犯罪被害者遺族)もいるでしょうが、理想は「被調査者(被取材者)に評価される成果」でしょう。

*4:但し、国土地理院の定める公式名称では屋代島(屋代島 - Wikipedia参照)

*5:2004年10月1日に大島町、橘町、東和町と合併し、周防大島町となって消滅

*6:小生が『調査(取材)されるという迷惑』云々の番組を聴いたときはこのタイトルでしたが、現在は蓮見(1981年生まれ)ではなく、蓮見と同じTBSアナの藤森祥平(1978年生まれ)にMCが変わってるため、番組名は『まとめて!土曜日』に変更されている。なお、蓮見は現在、TBSテレビ『ひるおび!』(金曜日の午前枠)に出演している(蓮見孝之 - Wikipedia参照)

*7:前回記事を書いたときに蓮見孝之 まとめて!土曜日 - Wikipediaを見れば「出演した民俗学者は富永氏」とすぐに分かったことなのに、全く俺もお粗末です。それとも前回ウィキペディアを見たときは「富永氏について記載がなかった」のか?(もはや良く覚えていません)。

*8:勿論その場合に「調査(取材)対象者の意見の方が当然に正しい」とは必ずしも言えないでしょう。