玉木民民分派の支持者が増えた社会が「万人の万人に対する闘争」状態になるのは当たり前 - kojitakenの日記
玉木を「弱者切り捨ての新自由主義」と批判することには同感ですが、「分派」とは意味不明ですね。
玉木が党代表であり、党内から「玉木の主張は党方針に反してる」なんて指摘もない(実際、反してないでしょうが)のだから「分派」ではないでしょう。そもそも分派というなら「誰が正統派」なのか。
kojitakenが言うように、過去に掲げた方針(過去の方針も今の方針と変わらないと思いますが)と今の方針が「矛盾してる(そしてその矛盾についてまともな説明がない)」としても、それは分派と言う話ではなく、玉木が変節しただけの話です。
アンナ・ネトレプコのヴェルディ『椿姫』を視聴する/『ラ・ボエーム』と『カルメン』の原作を読む/『大いなる遺産』補遺など - KJ's Books and Music
ミミとヴィオレッタの結核については下記ブログ記事が興味深かった。2006年の記事。以下引用する。
ミミやヴィオレッタが結核でも恋人と付き合えるわけ | 加藤浩子の La bella vita(美しき人生) - 楽天ブログ*1
「お針子」は、貧困層出身の女性労働者、日本でいえばさしずめ女工さん。ただパリのお針子が日本の女工と違うのは、何と行っても花の都パリなので、アヴァンチュールがそこらじゅうに転がっていたということ。学生の気軽な恋の相手や、ちょっとした小金持ちの愛人になるのは「お針子」と決まっていたらしい。
アヴァンチュールとは、フランス語で冒険の意味(英語のアドベンチャーに当たる)だが日本では「恋の冒険(火遊び)」と言った意味合いで使われることが多いですね。
アヴァンチュール云々という点に注目するならば「日本の女工」というより「日本の女給」と言った方が適切かもしれません。
当初は、「女性給仕」のはずの女給も次第に
カフェー (風俗営業) - Wikipedia
・「純喫茶」とは女給の接待を売りにするカフェー(特殊喫茶)に対して「純粋にコーヒーを売りにする喫茶店」という意味である。
・性風俗化したカフェーに対する最初の取締を行なったのは愛知県警察部である。その後、警視庁、大阪府警察部と相次いで取締が実施された。1934年(昭和9年)、警視庁はカフェーへの未成年者、学生の出入を禁止する通牒を学校当局に発出。店に対して「学生さんは遠慮ください」との看板を出すよう指導した。こうした規制は全国に波及し、1936年(昭和11年)、京都府はカフェー営業取締規則を改正し、学生、未成年者のカフェーの出入を禁止した。
・戦後、カフェーはバーやクラブと称するようになった。但し、法律用語としての「カフェー」は今も残っており、風俗営業適正化法第2条第1項第1号には「キャバレー、待合、料理店、カフェーその他設備を設けて客の接待をして客に遊興又は飲食をさせる営業」という規定がある。
【参考文献】
・寺澤優『戦前日本の私娼・性風俗産業と大衆社会:売買春・恋愛の近現代史』(2022年、有志舎)
【刊行年順:刊行年が同じ場合は著者名順】
◆小関孝子*2『夜の銀座史:明治・大正・昭和を生きた女給たち』(2023年、ミネルヴァ書房)
◆篠原昌人*3『女給の社会史』(2023年、芙蓉書房出版)
◆野口孝一*4『明治・大正・昭和銀座ハイカラ女性史:新聞記者、美容家、マネキンガール、カフェー女給まで』(2024年、平凡社)
等、色々本もヒットします。
*1:筆者の加藤氏は音楽評論家。著書『カラー版・音楽で楽しむ名画:フェルメールからシャガールまで』(2016年、平凡社新書)、『バッハ:「音楽の父」の素顔と生涯』(2018年、平凡社新書)、『オペラで楽しむヨーロッパ史』、『ヴェルディ:オペラ変革者の素顔と作品』(以上、2020年、平凡社新書)、『16人16曲でわかるオペラの歴史』(2022年、平凡社新書)等
*2:跡見学園女子大学専任講師。著書『生活合理化と家庭の近代:全国友の会による「カイゼン」と「婦人之友」』(2015年、勁草書房)
*3:元フジテレビコンプライアンス部長(アマゾンの著者紹介による)。著書『知謀の人田村怡与造』(1997年、潮書房光人新社)、『陸軍戦略の先駆者小川又次』(2000年、芙蓉書房出版)、『陸軍大将福島安正と情報戦略』(2002年、芙蓉書房出版)、『戦前政治家の暴走:誤った判断が招いた戦争への道』(2014年、芙蓉書房出版:アマゾンの著書紹介に寄れば「田中内閣外務政務次官、立憲政友会幹事長(犬養総裁時代)、犬養内閣書記官長を務めた森恪(1883~1932年:田中内閣外務政務次官時代、山東出兵を実施。政友会幹事長時代は浜口内閣(立憲民政党)のロンドン海軍軍縮条約締結を統帥権干犯と攻撃。親軍部の政治家で軍部の暴走を助長したと非難される)」「斎藤、岡田、第一次近衛内閣外相や首相を務めた広田弘毅(1878~1948年:戦後、岡田内閣時代の『広田三原則』、首相時代の『軍部大臣現役武官制復活』などが問題視され死刑判決)」「社会大衆党党首を務めた麻生久(1891~1940年:1934年、陸軍省が「国防の本義と其強化の提唱」(いわゆる陸軍パンフ)を発行すると、「軍部の社会主義的傾向」として高く評価する声明を出した。また、斎藤隆夫代議士の反軍演説(1940年)では斎藤の議員除名を支持する立場で、反対した片山哲(戦後、社会党委員長、首相、民社党常任顧問)、西尾末広(戦後、社会党書記長(片山委員長時代)、片山内閣官房長官、芦田内閣副総理、民社党委員長)、水谷長三郎(戦後、片山、芦田内閣商工相、右派社会党政審会長、民社党国会議員団長)らを社会大衆党から除名した。親軍部の政治家で軍部の暴走を助長したと非難される)」の三人の政治家が取り上げられている)、『非凡なる凡人将軍下村定:最後の陸軍大臣の葛藤』(2019年、芙蓉書房出版)
*4:著書『銀座物語:煉瓦街を探訪する』(1997年、中公新書)、『銀座カフェー興亡史』(2018年、平凡社)、『銀座、祝祭と騒乱:銀座通りの近代史』(2020年、平凡社)