今日のしんぶん赤旗ニュース(2025年2/26日分)(副題:226事件と軍拡予算)

きょうの潮流 2025年2月26日(水)

 1936年2月26日のこと。陸軍の青年将校らが1500人近くの下士官や兵を引き連れてクーデターを起こしました。首相官邸や警視庁など*1を占拠し、高橋是清*2蔵相、斎藤実*3内大臣*4を殺害*5。いわゆる二・二六事件です

 今の日本において「226事件流、あるいは朴正熙ピノチェト流の軍部クーデター(軍人による政権転覆)」の可能性は低いでしょうし、自民党も「尹錫悦流のクーデター(政権が野党など批判派を軍で弾圧)」を起こす可能性は低いが、軍が「危険な暴力装置であること」は留意されて当然です。

 国会では、大軍拡の予算案に反対して対案を示しているのは日本共産党だけです。部分的修正にとどまらず、軍事費突出の予算から暮らし優先の予算を実現し、平和のための政治に切り替えろの声を大きく。

 以前から書いてることですが共産支持者、軍縮派としてげんなりせざるを得ません。
 いずれにせよ「軍縮派の俺」としては支持できるのは共産しかない状態です。
 「1980年代だったら土井社会党を支持したであろう人間」にすぎないので、何ともかんともですね。
 1980年代だったら「今や自民と連立」の公明党もこんな軍拡予算には反対したのではないか。まあ、そもそも「いわゆる自民党護憲派宮沢喜一*6など)」の力も強かったので、自民党が大軍拡予算を提出することもなかったでしょうが。

【参考:226事件

高橋是清 - Wikipedia
 1934年(昭和9年)に、岡田*7内閣蔵相に就任。
 陸海軍からの各4000万円の増額要求に対し、高橋は「予算は国民所得に応じたものをつくらなければならぬ。財政上の信用維持が最大の急務である。ただ国防のみに遷延して悪性インフレを引き起こすことがあっては、国防も決して牢固となりえない。自分はなけなしの金を無理算段して、陸海軍に各1000万円の復活は認めた。これ以上は到底出せぬ」と述べた。軍事予算を抑制しようとしたことが軍部の恨みを買い、二・二六事件において暗殺された。

斎藤実 - Wikipedia
 事件の数日前、警視庁が斎藤に「陸軍の一部に不穏な動きがあるので、私邸に帰られないようにするか、私邸の警備を大幅に強化したらいかがでしょう」と言ってきた。二・二六事件は秘密裏におこなわれた計画だったが、それでも情報のいくらかは漏れており、警察は陸軍青年将校の一部が近々、何かの行動をおこすかもしれないと危惧し、彼らの標的になる恐れがある内大臣の齋藤に注意した。しかし斎藤は「気にすることはない。自分は別に殺されたってかまわん」と落ち着いて答えたという。
  グルー『滞日十年』 (1948年、毎日新聞社→後にちくま学芸文庫) によれば、事件の前夜、斎藤はグルー駐日米国大使の招きでアメリカ大使公邸で夕食をとった後、邸内でアメリカ映画『浮かれ姫君』を鑑賞した。当初は中座して別荘に行く予定だったが、気心知れたグルーとの夕べに会話がはずみ、結局最後まで映画を観て夜遅く帰邸、別荘行きは翌日にした。もし齋藤が予定通りに東京を後にして別荘に向かっていたら、事件の難を逃れることもできていたかもしれなかった。

渡辺錠太郎 - Wikipedia
 1935年7月16日に真崎甚三郎*8が陸軍教育総監を更迭されその後任として渡辺*9が選ばれた。
 人事後の7月18日に行われた軍事参議官会議において、退任に納得のいかない真崎と荒木*10は、永田鉄山陸軍省軍務局長が三月事件*11の際に執筆したクーデター計画書(三月事件当時、永田は軍事課長)を持ち出した。渡辺からこれは私文書なのか、機密書類なのかと尋ねられた荒木が機密文書であると述べたところ、渡辺は、機密文書を一参議官にすぎない真崎がなぜ所持しているのか、この場でそれを持ち出すのは永田を陥れようとする策略ではないのかと真崎、荒木を逆に追及した。
 軍事参議官会議におけるやり取りは真崎によって青年将校に漏らされ、彼らの憤激を買った。

*1:「など」としては当時軍が敵視していた朝日新聞社

*2:日銀総裁、第一次山本、原内閣蔵相、首相、加藤高明内閣農商務相、田中、犬養、斎藤、岡田内閣蔵相を歴任。「陸軍の要求する軍拡予算に(「共産のような平和主義」と言うよりは)財政健全化の立場から否定的だったこと」が主たる理由で殺された。

*3:第一次西園寺、第二次桂、第二次西園寺、第三次桂、第一次山本内閣海軍大臣朝鮮総督、首相、内大臣を歴任

*4:「ら」としては例えば渡辺錠太郎陸軍教育総監(真崎甚三郎陸軍教育総監の後任。「真崎ら、皇道派に批判的なこと」が主たる理由で殺された。)、松尾伝蔵首相秘書官(暗殺対象だった岡田首相に顔が似ていたため誤って殺された)、護衛の警官(5名)(二・二六事件 - Wikipedia参照)

*5:なお、殺害しなかったものの当時の鈴木貫太郎侍従長(後に枢密院議長を経て首相)に瀕死の重傷を負わせた。また牧野個人は負傷することはなかったが、牧野伸顕内大臣(第一次西園寺内閣文相、第二次西園寺内閣農商務相、第一次山本内閣外相、宮内大臣など歴任)が襲撃され、護衛の警官が殺害されている

*6:池田内閣経企庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、福田内閣経企庁長官、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相等を経て首相。首相退任後も森、小渕内閣で蔵相

*7:田中、斎藤内閣海軍大臣、首相等を歴任

*8:参謀次長、陸軍教育総監等を歴任

*9:陸軍航空本部長、台湾軍司令官、陸軍教育総監等を歴任

*10:犬養、齋藤内閣陸軍大臣、第1次近衛、平沼内閣文部大臣などを歴任。戦後終身刑判決を受けるが後に仮釈放

*11:1931年に陸軍統制派が画策したクーデター計画。当時の浜口内閣を打倒し、宇垣一成陸軍大臣を首相に擁立する計画だが、実行はされずに終了。永田以外には宇垣陸軍大臣(その後、朝鮮総督、第一次近衛内閣外相等を歴任)、杉山元陸軍次官(後に林、第一次近衛、小磯内閣陸軍大臣。戦後、自決)、小磯國昭陸軍省軍務局長(その後、朝鮮総督や首相を歴任。戦後、終身刑判決で服役中に病死。後に靖国に合祀)、二宮治重参謀次長(その後、鮮満拓殖会社総裁、小磯内閣文相など歴任)、建川美次参謀本部第2部長、陸軍内の秘密結社「桜会」指導者の橋本欣五郎中佐(戦後、終身刑判決を受けるが後に仮釈放)等の陸軍幹部が関与したとされる(三月事件 - Wikipedia参照)。