今日の産経ニュース(2025年4/3日分)(副題:統一協会のダミー団体「天地正教」ほか)

イーロン・マスク氏、政権要職から退任か トランプ大統領が検討 米ニュースサイト報道 - 産経ニュース
 「トランプが諸悪の根源」とはいえ、マスクも相当に酷いので「政府要職から解任」が事実なら大変嬉しいですが、果たしてどうなるか。


16年前に財産移転先決める 解散想定か、旧統一教会 別法人へ、被害者側懸念 - 産経ニュース
旧統一教会要請で「天地正教」法人化 幹部が06年証言 教団は「関与せず」 - 産経ニュース
 「ダミー団体らしい」天地正教については解散請求がなく、こちらが財産隠しに悪用される恐れがある、早急にこちらも解散請求すべきだという記事です。過去の蜜月は消え、完全に統一協会を見捨てた産経です。
 これについては以下も紹介しておきます。

[B! 宗教] 謎の宗教法人「天地正教」 旧統一教会解散命令に「抜け道」の懸念 | 毎日新聞
◆georgew
 宗教法人売買*1ね。ありふれた常套手段だ。
◆boomerangj
 「祭壇に文鮮明夫妻の写真」謎でもなんでもないな。
◆machida77
 鈴木エイト氏*2も書いていた統一教会の逃げ道・天地正教の件。

あべ俊子文部科学大臣記者会見録(令和7年4月1日):文部科学省
記者)
 旧統一教会が16年前に教団の解散を想定して資産を移す先として北海道帯広市の宗教法人(ボーガス注:天地正教)を指定していたことが報道などで分かったのですけれども、文科省はいつ頃から把握していて、またこの団体との間で資産が移転されていないかなどは監視しているのでしょうか。また、資産が別法人に移った場合、これまで同様に税制の優遇措置を受けながら活動できるという指摘もあるのですが、この点について大臣のお考えをお願いします。
大臣)
 一般論といたしまして、宗教法人法の50条におきましては、清算手続きを終えた後の財産の帰属に関しましては、まずは、宗教法人が規則で定めるところによることとされているところであります。報道につきましては承知をしているところでございますが、旧統一教会の解散命令請求事件は係属中で今ございまして、また個別の法人の内部情報でございますのでお答えを差し控えさせていただきます。いずれにいたしましても、文部科学省といたしましては、宗教法人の清算手続におきましては、必要かつ十分な時間をかけて被害者への債務などの弁済の清算が確実に行われることが重要だというふうに認識しておりまして、また文部科学省におきましてはこれまで旧統一教会から提出されました財務書類等を十分に精査をしてきたところでございまして、その内容はお答えを差し控えさせていただきますが、現状におきまして、「特別指定宗教法人」の要件でございますところの「財産の隠匿又は散逸のおそれ」を満たすと認められる状況は確認されておりません。引き続き旧統一教会についての情報収集に努めまして、法令に則りまして、適切に対応してまいりたいと思います。
 また、もう一つ質問がございましたところのいわゆる活動の係属の部分でございますが、御指摘につきましては旧統一教会の解散命令請求事件は係属中でございまして、仮定の質問については、お答えを差し控えさせていただきたいというふうに思います。


<正論>今も日本を護る戦艦大和の足跡 日本経済大学准教授・久野潤 - 産経ニュース

 「大和」出撃をただ無謀な作戦と見なす前に、まずは沖縄をなんとしても救わねばという大御心に思いを致すべきであろう。

 おいおいですね。
 昭和天皇は沖縄を「一撃和平論(敗戦は不可避だが、一度でいいから米国にそれなりの打撃を与えて有利な講和を目指す)」の舞台としか考えておらず「大御心」云々とは詭弁にもほどがある。
 また

大和 (戦艦) - Wikipedia
 連合艦隊では、参謀・神重徳*3大佐が大和による海上特攻を主張した。淵田美津雄*4参謀は「神が発意し、直接、豊田副武*5連合艦隊司令長官に採決を得たもの。連合艦隊の草鹿龍之介*6参謀長は不同意で、第5航空艦隊の宇垣纏*7司令長官も非常に迷惑だった」という。
 神の提案を及川古志郎*8軍令部総長は黙って聞いていたが、小沢治三郎*9軍令部次長は「連合艦隊長官がそうしたいという決意ならよかろう」と直接許可を与えた。

「戦艦大和」はこうして滅びた…3056人の命を奪った、無能なエリート「神重徳」の正体(週刊現代) | マネー現代 | 講談社2022.4.12
 航空戦力の護衛もないまま、アメリカ軍が上陸した沖縄へと突入し、艦を座礁させて砲台化する。そんな無謀な水上特攻を発案した男がいた。
 連合艦隊首席参謀・神重徳大佐だ。
 この男こそ、戦艦大和を沈没へと導いた大本営の高級参謀だった。

「戦艦大和」沈没はこうして起こった…暴走した「無能なエリート」神重徳のヤバすぎる末路(週刊現代) | マネー現代 | 講談社2022.4.12
 神が「戦艦大和がある第二艦隊を沖縄に突入させるしかない」と切り出した。
「大和の沖縄特攻は、組織の責任でもあります。海軍全体が流されるようにして、特攻を決めてしまいました。
 神の上官だった豊田副武連合艦隊長官は、内心では成功する確信がないのに特攻作戦の実施を認めた。さらに小沢治三郎軍令部次長も『長官がそうしたいなら』と流されるように了承してしまったのです」(『戦艦大和・生還者たちの証言から』*10の著者で毎日新聞専門記者の栗原俊雄氏*11

伊藤整一 - Wikipedia
 1944年12月23日、第二艦隊司令長官に補される。1945年4月5日、伊藤*12は戦艦「大和」による海上特攻である天一号作戦参加を命令される。伊藤は無謀な作戦になかなか納得しなかったが、伊藤の海軍兵学校時代の後輩である連合艦隊参謀長・草鹿龍之介中将から「一億総特攻の魁となって頂きたい」と言われると「そうか、それならわかった」と即座に納得したという。草鹿は元々は大和の海上特攻に反対していたが、連合艦隊首席参謀・神重徳大佐が豊田副武連合艦隊司令長官に勝手に決裁をとったために、草鹿が伊藤の説得をしなければならない立場だったのである。この作戦を実行するにあたり、伊藤は草鹿に対し『作戦行動が不可と判断した場合、現場司令官の判断で作戦を中止する』という確約を取り、草鹿もそれを了承している。伊藤は連合艦隊及び軍令部の指示を受けずに、現場司令長官の判断で作戦を中止したほぼ唯一の司令長官である。

ということで「天皇の発言」以前から「大和出撃」は海軍内で主張されていました。
 昭和天皇も「大和出撃」を主張したわけではなく

大和 (戦艦) - Wikipedia
 第五航空艦隊長官の宇垣中将はその日誌『戦藻録』に、及川軍令部総長が「菊水一号作戦」を昭和天皇に上奏したとき、天皇から「航空部隊丈の総攻撃なるや」との下問があり、「海軍の全兵力を使用致す」と奉答したため、第二艦隊の海上特攻も実施されることになったとして、及川の対応を批判している

にすぎない。この下問を「神など大和出撃派」が「大和出撃は天皇の意思に沿う」として政治利用し、それが通っただけのことです。
 この下問は「航空部隊だけで勝てるのか」や「艦船も投入すべきではないか」という下問ではあっても「大和を投入しろ」と言う話ではない。及川が「航空部隊だけで戦う」あるいは「大和を投入しない形の海上部隊投入」を回答したとして、それでも天皇が「大和を投入しろ」と主張したかは不明です。そもそも「本土決戦」を覚悟していたのだから「沖縄戦ではなく本土決戦で使う」と言う選択肢も勿論あった。
 かつ、ウィキペディアに淵田、草鹿、宇垣らの批判が書いてあるように当時からこの作戦には批判がありました。

【参考:阿南惟幾

阿南惟幾 - Wikipedia
 8月15日深夜1時に阿南*13の義弟であった竹下正彦*14陸軍中佐が陸軍大臣官邸を訪れた。竹下はクーデター計画を決行した畑中健二*15陸軍少佐、椎崎二郎*16陸軍中佐らから阿南の説得の依頼を受けていた。
 竹下はその様子を見ると全てを察したが、「お止めはしません。時期としては今夜か明晩あたりと思っておりました」と語りかけると、阿南は「それならいい、かえっていいところにきてくれた」と答えて、今まで書いていた遺書を竹下に見せた。
 その後、阿南と竹下は水入らずの酒盛りを始めた。
 決起した青年将校は近衛第1師団長・森赳*17陸軍中将を殺害し、その知らせが阿南の元に届いた。やがて、森の殺害現場にいた井田正孝*18陸軍中佐が陸軍大臣官邸を訪れて、阿南にことの顛末を報告したが、既に詳細を把握していた阿南は「そうか。森師団長を斬ったのか。お詫びの意味をこめて私は死ぬよ」と短くもらしただけであったという。
 井田は咄嗟に阿南と殉死したいと思って「私も、あとからお供いたします」と申し出たところ、阿南は井田の頬を殴り「何をバカなことをいうか」「俺1人、死ねばいいのだ。いいか、死んではならんぞ」と温和な阿南には珍しく大喝したという。
 そのあと、井田も加わって3人で酒を酌み交わした。その酒席で阿南は若い2人に「君たちは死んではならぬ、苦しいだろうが生き残って、日本の再建に努力してくれたまえ」と何回も言って聞かせたという。

 自決時において、宇垣のように若者を道連れにしなかった点では阿南は評価できるかと思います。

*1:「休眠宗教法人を脱税のために買収する」という手口は映画『マルサの女2』(1988年:三國連太郎演じる暴力団『鬼沢一家』組長『鬼沢鉄平』が休眠法人を買収し「天の道教団」管長に就任。宮本信子(主演)演じるマルサ(東京国税局査察部)調査官『板倉亮子』らに脱税を追及される:マルサの女2 - Wikipedia参照)でも登場しており、当時から「休眠宗教法人の売買」は問題になっています。

*2:著書『自民党統一教会汚染』(2022年、小学館)、『自民党統一教会汚染2』(2023年、小学館)、『「山上徹也」とは何者だったのか』(2023年、講談社+α新書)、『統一教会との格闘、22年』(2025年、角川新書)

*3:1900~1945年。第5艦隊参謀、第8艦隊参謀、連合艦隊参謀等を歴任。1945年6月20日、第10航空艦隊参謀長となり、終戦を迎える。9月15日、千歳飛行場から神は練習機「白菊」で移動するが津軽海峡に不時着、神の指示で他は全員泳いで陸を目指し、米軍の駆逐艦に救助されたが、神は行方不明となる。千歳飛行場勤務の武藤誠によれば直前まで大橋富士郎司令と快活に会話しており、自殺ではなく疲労による水死だろうという。なお、殉職により特別進級で少将となった。神は狂信的な言動で知られ「神がかりの神さん」「海軍の辻政信」と揶揄されていたという。福井静夫(1913~1993年。太平洋戦争時、海軍技術士官。戦後、運輸技官として海上保安庁勤務)の著書『世界戦艦物語』(2009年、光人社)によれば、神は第一次世界大戦ドイツ帝国海軍の最後について批判していた。ドイツ海軍の主力艦艇はユトランド沖海戦で敗れたあと温存され、無条件降伏後に抑留先のスカパ・フローで自沈した。福井は、神が大和を沖縄特攻に動員したのは、第一次世界大戦のドイツ海軍の最後を踏まえたものではないかと回想している(神重徳 - Wikipedia参照)

*4:1902~1976年。第3航空戦隊参謀、第1航空艦隊作戦参謀、連合艦隊航空参謀等を歴任。著書『真珠湾攻撃総隊長の回想:淵田美津雄自叙伝』(講談社文庫)

*5:1885~1957年。連合艦隊参謀長、海軍省教育局長、軍務局長、第4艦隊司令長官、第2艦隊司令長官、呉鎮守府司令長官、横須賀鎮守府司令長官、連合艦隊司令長官軍令部総長等を歴任。著書『最後の帝国海軍:軍令部総長の証言』(中公文庫)

*6:1892~1971年。第1航空艦隊参謀長、第3艦隊参謀長、連合艦隊参謀長、第5航空艦隊司令長官等を歴任。著書『連合艦隊:参謀長の回想』(中公文庫)

*7:1890~1945年。第8戦隊司令官連合艦隊参謀長、第1戦隊司令官、第5航空艦隊司令長官等を歴任。8月15日に沖縄方面に特攻し消息を絶つが、小沢治三郎・海軍総司令長官は8月16日朝に、淵田美津雄・連合艦隊航空参謀に対し「皇軍の指揮統率は大命の代行であり、私情を以て一兵も動かしてはならない。玉音放送終戦の大命が下されたのち、兵を道連れにすることはもってのほかである。自決して特攻将兵の後を追うというのなら(ボーガス注:一人で自決した阿南惟幾陸軍大臣のように)宇垣が一人でやるべきである」と宇垣を非難し、宇垣に対する感謝状は起案させなかった(但し、9月2日のミズーリ号での降伏文書調印以前は正式終戦しておらず、そうした理屈(はっきり言って屁理屈だと思いますが)で宇垣は特攻したとされる)。また中将で戦死した者のうち、海軍では、海軍大臣軍令部総長、艦隊司令長官、鎮守府司令長官は陸海軍協議の上で大将に親任するという内規が作られ、この内規により、海軍で5名が戦死後に大将に親任された。第5航空艦隊司令長官の宇垣はこの内規を満たしていたが、大将に親任されなかった。海軍の人事当局者が残したメモには「8月15日正午の玉音放送後の、8月15日午後5時頃に大分の宇佐基地を出発し、特攻を決行したこと」「単機突入せず部下を引率して特攻したこと」の2点が、米内光政・海軍大臣と小沢治三郎・海軍総司令長官の意向に反したためとある。そうした批判に配慮したのか、宇垣は戦後しばらくは靖国神社に合祀されていなかったが、現在では合祀されている。死後の1972年9月17日、郷里である岡山県護国神社の境内に宇垣と部下の慰霊碑が建立された。慰霊碑建立の直前に東京・水交会館で行われた海軍兵学校45期クラス会(なお、宇垣は海軍兵学校40期であり、宇垣との直接の関係はない)では、土井申二が「宇垣纒中将並に十七勇士菊水塔」への献詠を吟詠したところ、その中に「精忠不朽湊川似」の一節があったことから幹事長の古村啓蔵が「宇垣中将は終戦時の陛下の命を奉じなかったばかりでなく、部下17名を伴い、敵地に投入した。何が湊川楠木正成楠木正季兄弟が自決した「湊川の合戦」のこと)に似たりか」と非難。宇垣の特攻を巡って兵45期クラス会は侃々諤々となったという。(宇垣纏 - Wikipedia参照)

*8:1883~1958年。呉鎮守府参謀長、第一航空戦隊司令官海軍兵学校長、第三艦隊司令長官、 横須賀鎮守府司令長官、第二次近衛、第三次近衛内閣海軍大臣海軍大学校長、海上護衛司令長官、軍令部総長等を歴任

*9:1886~1966年。連合艦隊参謀長、第八戦隊司令官、海軍水雷学校長、第一航空戦隊司令官、第三戦隊司令官海軍大学校長、南遣艦隊司令長官、第三艦隊司令長官、軍令部次長、連合艦隊司令長官等を歴任

*10:2007年、岩波新書

*11:著書『シベリア抑留』(2009年、岩波新書)、『シベリア抑留は「過去」なのか』(2011年、岩波ブックレット)、『遺骨:戦没者三一〇万人の戦後史』(2015年、岩波新書)、『特攻:戦争と日本人』(2015年、中公新書)、『「昭和天皇実録」と戦争』(2015年、山川出版社)、『戦後補償裁判』(2016年、NHK出版新書)、『シベリア抑留・最後の帰還者:家族をつないだ52通のハガキ』(2018年、角川新書)、『東京大空襲の戦後史』(2022年、岩波新書)、『硫黄島に眠る戦没者:見捨てられた兵士たちの戦後史』(2023年、岩波書店

*12:1890~1945年。第二艦隊参謀長、海軍省人事局長、第8戦隊司令官連合艦隊参謀長、軍令部次長、第二艦隊司令長官等を歴任。第二艦隊司令長官在任中の1945年4月7日に、菊水作戦における戦艦「大和」沈没の際に艦に残り戦死。戦死後、同日付で海軍中将から海軍大将に特進

*13:1887~1945年。陸軍省兵務局長、人事局長、第109師団長、陸軍次官、第11軍司令官、第2方面軍司令官、陸軍航空総監、鈴木内閣陸軍大臣等を歴任

*14:1908~1989年。戦後、陸上自衛隊第4師団長、陸上自衛隊幹部学校長等を歴任

*15:1912~1945年。宮城事件当時、陸軍省軍務局軍務課員。クーデター失敗後、自決

*16:1911~1945年。宮城事件当時、陸軍省軍務局軍務課員。クーデター失敗後、自決

*17:1894~1945年。第6軍参謀長、第19軍参謀長等を経て近衛第1師団長

*18:1912~2004年。戦後は電通に入社し、総務部長及び関連会社・電通映画社の常務を勤めた。