テレビ朝日・テレメンタリープラス「独白 #ひきこもり 40年、それから・・・」(2025年4月13日放送)

◆10:00~11:00
テレビ朝日テレメンタリープラス「独白 #ひきこもり 40年、それから・・・」

テレメンタリー - Wikipedia
 2025年1月12日からこれまで放送されてきたテレメンタリーから厳選された作品に、新規の取材を追加して放送する『テレメンタリーPlus』が10時から1時間枠で関東ローカルに向けて放送を開始した。

【テレメンタリーの1時間拡大版】『テレメンタリーPlus』
 これまでのテレメンタリーから厳選した作品に、新規取材を加え1時間に拡大。
 是非ご覧ください!
◆2025年4月13日(日)放送
「独白 ひきこもり40年、それから・・・」
 山口県宇部市に住む国近斉さん(62)は、高校を2年で中退後、ひきこもり生活を送っていた。やがて、両親が相次いで他界し、55歳のとき、NPO法人に駆け込み就労を果たす。しかし、40年に渡るひきこもりのツケはあまりに大きかった。きつい肉体労働、職場での人間関係、孤独死への不安。それでも彼は、日常の僅かな温もりを感じながら、一人、生きる。現代社会から切り離せない「孤独」。その孤独を生き抜くヒントを国近さんの日々から探る。

テレメンタリー【公式】
 #テレメンタリー の1時間拡大版 『#テレメンタリーPlus』このあと午前10時~ #テレビ朝日 (関東エリア)で放送!
 今日は「独白 #ひきこもり 40年、それから・・・」
 62歳、両親は他界。#孤独死 への不安…それでも彼は、日常の僅かな温もりを感じながら、一人、生きる。

ドキュメントy 「国近さんの日記 ひきこもり40年、それから・・・」 | レジェンドキュメント 〜今、このドキュメンタリーを見よ!〜 | BS朝日
【初回放送】山口朝日放送:2024年5月31日
 宇部市でひきこもり支援を行う「NPO法人ふらっとコミュニティ」。7年前、当時55歳の国近斉さんが相談に訪れた。ふらっとコミュニティの山根俊恵*1理事長から支援を受け、国近さんは徐々に人にも慣れ、2年後には就労にこぎ着けます。しかし、実社会に出ると様々な壁に直面しました。それでも生きる国近さん。もう、ひきこもりには戻りたくないから…。

山口新聞『約40年にわたるひきこもりを経験後に就労 国近斉さん』2024.1.1
 宇部市の国近斉さん(61)は高校中退後、約40年にわたるひきこもりを経験した。両親の死後、55歳の時にNPO法人ふらっとコミュニティ(宇部市)への相談を機に就労した。孤独死も覚悟していたあの頃。今は「気にかけてくれる人がいてありがたい」と話す。

引きこもり番組に考える|ジャーニー2024.10.16
 山口県で40年程ひきこもっていたという男性。テレメンタリーという各地方局制作のドキュメンタリーの番組で視聴した。
 引きこもりとされる男性は国近斉さん。58歳の頃より密着し、現在62歳。
 母が脳梗塞やがんなどを患い、家事や介護、病院への付き添いなどをこなしていたようだ。つまり全くの引きこもりではないといえる。しかし他者とのつながりは薄い。
 両親は80代で相次いで亡くなった。その後は両親の残した貯金で暮らしていたようだが、その蓄えも減る一方。意を決して55歳の時にNPO法人ふらっとコミュニティ(宇部市)への相談をした。そこでのふれあいから次第に明るくなり、法人の仲介もあってかハウスクリーニングの仕事への就労も果たした。さらに自治会長に就任し、地域とのつながりも持ち始めた。
(中略)
 ただしこういった苦難がありながら国近さんは明るく日々を過ごしている。健康状態もよく、長く介護もしていただけあってか真面目で誠実なのは伺える。何もできない、人とは関われない、引きこもりに至った経緯など自己分析もしっかりしている。
 両親の納骨もできず遺骨は自宅に安置しているが、なんとかそのうち納骨をしたいと、自分の情けなさを憂えるのもそれほど暗さがない。好きだった飲み物や果物、花など供えるなど供養を欠かさない。 孤独死に関する本を手に取るなど、今後のことを考えているが悲壮感はない。引きこもりといっても一般に思われるそれとは少し異なる。

「ひきこもっている人たちは特別な人じゃない」…“ひきこもり100万人時代”と社会復帰の取り組み | 国内 | ABEMA TIMES | アベマタイムズ2020.5.17
 悩みを聞いているのが、山口大学大学院で精神看護の研究をしながら「NPO法人ふらっとコミュニティ」を運営している山根俊恵教授だ。現在、およそ70人の家族を支援している。
 「私がナースをしていた頃は、精神障害者は長期入院が当たり前。地域で暮らしていく上においてのサポート体制は無いに等しい状況が長く続いていた。地域の中に自分たちの居場所がある、相談できる人がいる、そういう体制が必要ではないかと思い、2005年に精神障害者支援を始めた」。
 そしてひきこもりの増加に伴い、2015年からは宇部市の委託を受け、ひきこもりの支援も始めた。
 国近斉さん(57)のひきこもり期間は、およそ40年におよぶ。高校2年のとき、勉強についていけなくなり中退。一度は働き始めるも、3カ月で辞めてしまった。
 「ハローワークみたいなところに行く勇気もなかったし、とにかく父と母に頼り切っていたということですよね」。
 その両親も80代を迎え、10年ほど前に相次いで亡くなった。しかし、未だ納骨はできていない。
 「お墓を作るお金がないし、納骨にもお金がかかるし…」。
 両親が遺した貯金を切り崩しながらの生活。生活費は、あと2年で底をつく状況だ。そんな国近さんにも去年、転機が訪れた。ふらっとコミュニティの紹介で、ハウスクリーニングの仕事を始めることにしたのだ。

自分が「ひきこもり」とは思っていなかった――約40年間の自宅生活から就労した男性を変えた「縁」 #老いる社会(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)2025.4.20
 山口県で暮らす国近斉さんは、高校中退後、約40年間の「ひきこもり」の後、55歳で社会との接点を取り戻した。62歳になった今、ハウスクリーニングの仕事をし、居住地の自治会で地域のための活動も行っている。
 国近さんを取り上げたドキュメンタリー「国近さんの日記 ひきこもり40年 それから…」(yab山口朝日放送)は大きな反響を呼び、YouTubeの動画は150万回以上、再生された。「勇気をもらった」という、ひきこもり当事者や家族の声も多い。
 家にいるようになったのは、偏差値の高い高校に入ったのがきっかけだった。
 「中学時代に仲がよかった友人から誘われて、なんとなくその学校を受けて。なんで僕なんかが、宇部で一番いい高校に入れたのか不思議だけど、友人は落ちたのに僕はたまたま受かっちゃった。でも、入ったら学業についていけなくなったんです。そのうち『どうしよう』と思いながら家を出てぐるぐる町を歩いて、学校に行かずに家に戻るようになって。両親は外で働いていたから、しばらく気づかなかったみたいだけど、学校から言われて知ったんでしょうね。『どうして行かないのか』『家で何をしてるんだ』と言われましたよ」
 高校2年のとき、学校からの勧告で中退することに。その後しばらく、アルバイトをした。
 「父も学歴がないし、それほど学校が好きじゃなかったみたいだから、僕の学校のことは諦めたのかな。一緒に高校受験をした友だちが心配してくれたのか、新聞配達をやろうと誘ってくれて。約2年、がんばりました。でも、その友人が大学進学のために山口県を出ることになったら、新聞配達を続ける気力がなくなっちゃった。その後、親戚のおじさんが宇部の造船所で働くことになり、誘ってくれたので働いたんですけど、おじさんが親方とけんかしてやめるとき、僕もやめちゃった。ほんの数カ月でした。こんなキツイ仕事はいやだと思ったし」
 それ以降、国近さんは仕事をせずに家にいるようになる。そんな国近さんのことを、両親は厳しく責めたりはしなかった。
 「こう言ったら反発を買うかもしれないけれど、仕事を探そうという気はまったくなかったですね。家にいてテレビを見たり、掃除や片づけをしたりしていました。根っから、掃除が好きでしたから。僕は小さい頃から体が弱かったし、父も母も『3人仲よく普通に暮らせたらそれでいい』くらいに思っていたのかもしれません。だから、なにも言わなかった。それは、ありがたかったなぁ」
 25歳ごろ、母親が軽い脳梗塞で入院。退院後、料理は引き続き母親が担当したが、買い物を含めてそれ以外の家事はほぼ国近さんが担当するようになった。
 当時、未婚の女性が就労せずに親の家で暮らしている場合、「家事手伝い」と呼ばれることもあったが、男性の場合、肩身が狭かった。国近さんもまわりの目を気にし、精神的に追い詰められていった。
 「家事はもともと好きだから、苦になりません。お金にはならないけれど、やりだしたらきりがない。もし女の子に生まれていたら、もっと堂々としていられただろうけれど、男の場合はそうはいかないから。若い男が家でごそごそやっているのを、近所の人たちはどう思うかな、なんてことを考えましたねぇ。他人の目が、すごく気になりました」
 やがて母親は、高血圧や乳がんなど、次々と病気を繰り返すようになる。家事に加えて通院の付き添いやケアなども、国近さんが行った。
 「自分の年齢が高くなるにつれてすごく焦るようになりましたし、不安でいっぱいでした。仕事もしていないし、父や母に養われているようなもんですからねぇ。父や母がいなくなったら、どうしたらいいのか。このままいくと、明日の生活にも困るようになるんじゃないかと、しょっちゅう思っていました」
 国近さんが40代後半になったとき、母親が亡くなる。その3年後、今度は父親が血液のがんで急逝した。
 「母親はずっと具合が悪くて、いつ亡くなってもおかしくないという感じだったから。悲しかったけれど、仕方がないな、なんて思っていました。でも、父が亡くなったときは、本当にショックでした。頼る親戚も友だちもほとんどいない。まさに天涯孤独になってしまったわけですから。不安もどんどん大きくなっていきました。少ないけれど、父はお金を残してくれたんで、それをちょこちょこ切り崩すみたいにして生きていくしかない。しばらくは生きていけるけど、それがなくなったらどうしたらいいのか。もう、どうでもいいや、と思ったり。日によっては、なんとかなるかなぁ、という気持ちになったり」
 不安を忘れていられるのは、本を読んだり、音楽を聴いたりしているとき。本は図書館で借り、CDは自分で買ったものが数枚ある。
 「山口百恵岩崎宏美太田裕美など昔のアイドルが好きで、CDを持っています。年をとるにつれ、ポール・サイモンビリー・ジョエルなど昔のアメリカ音楽が好きになり、引っ張り出しては聴くようになりました。たまにはシャンソンも聴きますし、チャイコフスキーのピアノ協奏曲を聴いたりもします」
 本で印象的だったのは、井伏鱒二の短編小説『山椒魚』。成長しすぎて自分のすみかである岩穴から出られなくなった山椒魚の話だ。主人公の山椒魚は、一時は外で自由に動き回るミズスマシやカエルを感動の目で眺めるが、あるときから目をそむけ、まぶたを閉じて孤独に泣く。
 やがて国近さんは、徐々に体調を崩していく。
 「頭もくらくらするし、体がしびれるし。どこか悪くなっちゃったのかなと思って、近所の脳神経の病院でMRIを撮ってもらったら、どっこも悪くないと言われて。それで思ったんです。誰とも接触せず一人でじっとしているのがいけないのかな、って。もしかしたら精神科に行ったほうがいいかなぁ、とか」
 ちょうどそのタイミングで、たまたま宇部市の広報誌で見つけたのが、NPO法人「ふらっとコミュニティ」の案内だった。
 「ちょっと変わった生活はしているけれど、自分が『ひきこもり』だなんて、思ったことなかったし。最初はそういうところに行くのも不安でね。なかなか決心つかなかったけれど、まぁ行ってみるかと思って、重い足取りで出かけたんです」
 話を聞いてくれたのが、NPO法人ふらっとコミュニティの理事長でもある山口大学大学院医学系研究科教授(現・山口大学名誉教授)の山根俊恵さんだった。それまでの生活について一通り話すと、翌週また来るようにと言われた。
 「『木曜日のこの時間にまた来てくださいね』って言われたので、そうかと思って次の週から行くようになったんです。それから週に1回通うようになり、いろいろイベントがあると、他の曜日にも行ったりするようになりました」
 ふらっとコミュニティでは、卓球などの軽い運動や、木工など、さまざまなプログラムがある。そうした経験を通して、徐々に人と接する時間が増えていった。
 「通っている人のなかには、病気で生活が困難な人もいるし、ひきこもりの人もいるし、いろいろなんです。徐々に、その人たちががんばっているから、僕もがんばろうと思えるようになりました」
 通い始めて2年目に、山根さんから「働いてみませんか」と勧められる。人とあまりかかわらない仕事を希望し、好きな掃除を生かせるという理由で、パートタイムでハウスクリーニングの仕事を始めることになった。
 「ずっと仕事をしてこなかったので、大変なこともありますよ。嫌になっちゃうときもあるし。でも、やっぱりお金をいただけるというのは大きいです。お給料と言われてもピンとこなかったけれど、毎月お金をいただけたら、やっぱり元気が出ます。おかげさまで、両親に供える花も前より頻繁に買えます」
 国近さんはNPO法人と出会う1年ほど前から、その時々に感じたことや思ったことを書き留めている。最初は広告の裏などに書いていたが、日記帳を買ってそこに書くようになり、今もその習慣を続けている。
 「もう8年くらい続いているから、生活の一部になっているのかなぁ。その日にあったことを、ちょこっと書いたり、気持ちを書いたり。う~ん、書くと少しは、気持ちが落ち着くのかなぁ」
 目下の悩みは、仕事に追われ、読書の時間や音楽を聴く時間がないことだ。
 「僕の場合、たまたま広報誌を見て、ふらっとコミュニティを知ることができたのは運がよかったと思います。家の近くにそういう施設があったことも、幸運かもしれないし。やっぱり誰かの助けがないと、なかなか一歩踏み出せないですから。もしここに来られなかったらどうなっちゃったかな、なんて、ふと思うことがあります。4月23日で63歳になりますが、体が動くうちは働いとかんとね。生活保護とかもあるけれど、やっぱり自分で働いてお金をいただくのがいい。働けるようになったのは本当に不思議だし、これも縁なのかなぁ」

 改めて「ひきこもり問題」「8050問題」の深刻さを実感。
 とはいえ、国近氏は「居住住宅があり、預貯金もあり、就労も出来た点」「マスコミの取材に応じてる点」はまだ「恵まれてる方」ではあるでしょう。
 自分が「ひきこもり」とは思っていなかった――約40年間の自宅生活から就労した男性を変えた「縁」 #老いる社会(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)によれば「就労せず、両親以外との交遊もほとんど無かった」とはいえ、「日用品の買い物や、母親の通院への付き添いでは外出していた(外出せず、完全に家に引きこもっていたわけではない)」点が大きかったのではないか。

*1:山口大学名誉教授。著書『ひきこもり:親も子も楽になる「心の距離」を縮めるコミュニケーションの方法(改訂版)』(2022年、中央法規出版)、『8050問題:本人・家族の心をひらく支援のポイント』(2024年、中央法規出版)等