<正論>「美」か「義」か―日本人の再興 東京大学名誉教授・平川祐弘 - 産経ニュース
わが国の歴史評論で快著が出た。『美か義か』(藤原書店)は文芸評論家・新保祐司氏の日本思想史の見取り図で、わが国は「美の国」と「義の国」が交互に続くという大きな分け方を提示した。
藤原書店ってそんなウヨ出版社なのかとげんなりですね。
産経記事を読む限り、戦国時代や「幕末、明治初期(戊辰戦争、西南戦争など)」、昭和戦前期(日中戦争、太平洋戦争)など「美」よりは「戦乱のイメージが強い」時期は「義」とし、戦乱イメージの低い「江戸時代」「1945年以降の日本」などを「美」としているだけのようですね。
馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。
日本に限らず何処の国の、何時の時代だって「その時代の美」はあったし、「義」にしても「本心そう思ってるか、建前に過ぎないか」はともかく何処の国の、何時の時代だって「その時代の義」を権力者は掲げてきたでしょう。
こんな物はどう見てもまともな日本史評価ではない。
美と義で時代を二分することが歴史解釈に有効なら、大国*1を地理的に美の国(例、フランス)と義の国(例、アメリカ)に大別することも可能である。
おいおいですね。フランスでの、フランス革命(自由、平等等を掲げた)や「ナチス相手のレジスタンス」は「義」ではないのか。
アメリカは「美の国ではない」というのも「アメリカ文化否定」で酷い話です。
戦前のような「天皇中心主義(皇国史観)」の観点から「天皇の忠臣として美化しまくることがなくなった」だけの話です。
これは逆に、忠臣「正成や松蔭」と対立する立場だったが故に、戦前は「逆賊」扱いされた足利尊氏(室町幕府創始者)、井伊直弼(安政の大獄で松陰ら反対派を弾圧)がそのように扱われなくなったと言うことでもある。
例えば戦前は「足利尊氏に肯定的な文章を過去に書いた」として中島久万吉商工相(斎藤内閣)が「不敬だ」と右翼の攻撃を受け、「帝人事件」等で斎藤内閣が追い詰められていたなどの理由もありますが、中島が1934年に大臣辞任に追い込まれています(中島久万吉 - Wikipedia参照)。
乃木殉死を美化し、批判派(芥川や志賀)に悪口してるのでしょうが、そもそも全ての政府高官(軍人に限らない)が乃木のように殉死したわけではない。
1912年に乃木は殉死しますが、井上馨*6(1915年病死)、山縣有朋*7(1922年病死)などは殉死しなかった。
当然、殉死を批判したのも芥川や志賀に限らない。
そもそも鴎外「阿部一族」(乃木の殉死が執筆経緯とされる)でわかるように江戸時代(四代将軍・家綱以降)から「殉死」は「主君が亡くなっても生き続けて新しい主君(多くの場合、旧主の子)に仕えるべき」「武士が奉公してるのは主君個人ではなく、主君の家」として禁止されてきました。
また殉死 - Wikipediaによれば、殉死が行われたのは「戦乱が亡くなり、社会が安定してきた江戸時代初期(初代家康から3代家光まで)」であり、「殉死したら、対立勢力の侵攻を招き、自分の家も主人の家も滅びかねない戦国時代(そもそも殉死するまでもなく、戦死や暗殺の危険が常にあった)」には殉死の風習などなかったと言う趣旨のことが書いてあります。
大体その「乃木殉死」美化の理屈なら、この駄文の筆者「平川祐弘(1931年生まれ)」は「昭和天皇(1901~1989年)」死亡時に、乃木のように殉死すべきでは無かったのか。
あるいはウヨ連中のどれほどの人間が「昭和天皇に殉死したのか」と言う話です。
*1:そもそもここで「大国」なんて言葉が出ることが意味不明です。「小国」には価値はないとでも言うのか?
*2:他にも正成のお仲間(南朝の武将)として、北畠親房、名和長年、新田義貞等がいます。
*3:批判と書かない辺りが産経らしい。
*4:小説『将軍』で乃木を批判的に描いている。
*5:日記で乃木の死を「『馬鹿な奴だ』といふ気が、丁度下女かなにかゞ無考へに何かした時感ずる心持と同じやうな感じ方で感じられた」と批判。また志賀直哉と同じ白樺派の武者小路実篤も「これを賛美することは不健全な理性がなければ不可能である」と批判したとのこと(乃木希典 - Wikipedia参照)
*6:外務卿、第一次伊藤内閣外相、黒田内閣農商務相、第二次伊藤内閣内務相、第三次伊藤内閣蔵相等を歴任。元老の一人
*7:陸軍卿、内務卿、第一次伊藤、黒田内閣内務相、首相、第二次伊藤内閣司法相、枢密院議長等を歴任。元老の一人