ジェンダー平等や共生の「思想」は本当はどれくらい浸透しているのか - 紙屋研究所
「例は何でもいい」ですが、
◆浸透してたら「女性差別」「外国人差別」の参政党、国民民主党は参院選で躍進しない(勿論参政党が特に酷いが、国民民主党もかなり酷い)
◆ジェンダー平等が浸透してたら、例えば、とっくの昔に夫婦別姓も同性婚合法化も成立していた。ジェンダーギャップ指数(世界経済フォーラム)も「G7諸国で最下位」のわけがない。拙記事改めて吉田県議脅迫について:そして『脅迫事件に無関心な紙屋と松竹』に悪口し、『脅迫者を非難する高知東生』を讃える(2025年4月9日) - bogus-simotukareのブログで以前触れたが、吉田三重県議が脅迫されるようなこともない。
◆外国人との共生が浸透してたら、例えば「ウィシュマ氏死亡事件」で入管はもっと批判されてた。
◆外国人との共生が浸透してたら、例えばないがしろにされる「安全に出産する権利」 21歳ベトナム人技能実習生は「有罪」 福岡地裁判決があぶり出した”技能実習制度”の理不尽と人権軽視 | TBS NEWS DIG2025.3.15
妊娠を誰にも打ち明けられずひとりで出産する「孤立出産」が後を絶たない。なかでも技能実習生が置かれた状況は深刻だ。
福岡地裁は3月7日、死産した男の赤ちゃんをキッチン横のごみ箱に遺棄したとして、21歳のベトナム人技能実習生に、懲役1年6か月執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。
判決後、グエット被告の弁護団は会見し、「孤立死産した女性を処罰することで何が得られるのか、裁判官3人に問いたい」と話した。
妊娠を誰にも打ち明けられずひとりで出産する「孤立出産」は後を絶たないが、特に、技能実習生には支援が届きにくい現状がある。
各地で相次ぐ技能実習生の孤立出産。熊本県でも5年前、20代のベトナム人女性が、自宅で死産した双子をタオルでくるみ、段ボール箱の中に入れ、死体遺棄の罪に問われた。
1審、2審と有罪判決が言い渡されたが、最高裁は、「遺棄にはあたらない」として逆転無罪とした。
なぜ技能実習生の多くが孤立出産に追い込まれるのか。
熊本の裁判を担当した弁護士は、妊娠を明かすと管理団体や働き先などから不当な扱いを受けるケースが多いからだと指摘する。
◆ベトナム人女性を弁護した石黒大貴弁護士
「多くの企業において過去、妊娠して解雇させられたりとか、帰国させられたりとかいう事案が相次いだんですね。およそ日本人の労働者では考えられないようなそういう扱いも受けています」
日本に住む外国人を支援する市民団体は、現在の技能実習制度のままでは孤立出産はなくならないと感じている。
◆コムスタカ 外国人と共に生きる会 佐久間順子事務局長
「技能実習生だって好きで孤立出産しているわけではないのです」
孤立出産に追い込まないために、技能実習制度のあり方、私たち社会の意識を見直す必要がある。なんて「ベトナム人女性」への人権侵害もない(なお、こうした「外国人技能実習生の孤立出産」問題については以前拙記事新刊紹介:「経済」2024年10月号(副題:『虎に翼(原爆訴訟)』、虚構の『人手不足』論、ダルトン・トランボほか) - bogus-simotukareのブログで触れました)。
→今更、紙屋は当たり前のことを言うな。アホか、お前。ヘソでもかんで死ねよ。
でしょうがそれはともかく。
「浸透してないから、浸透させるために皆で頑張ろうぜ。俺(紙屋)も頑張る」ならわかります。
(ボーガス注:共産が)選挙戦になってそれ*1をメインで、あるいは大々的に訴えるのは、果たして得策だろうかと思う。
と言い出すから呆れます。
そもそも「参政党や国民民主党の排外主義や女性差別への批判」ならともかく、「メイン」というほど共産が他の課題(政治とカネ、物価高騰など)そっちのけで、ジェンダー平等や、外国人との共生を訴えていたとも思いません。紙屋主張は「デマも甚だしい」と思いますが、それはともかく。
「損得で物事を言うな。政治ってそういうもんじゃないだろ」
「そんなに勝ち組になりたいなら、お前(紙屋)は最大与党自民か、最大野党立民にでも入党しろよ。反党行為で除籍されたとはいえ何で共産に入党したんだよ。弱者の権利を軽視するお前(紙屋)はそもそも共産党員の資格がないんだから、除籍も当然だよ」
「勝ち負けや損得に関係なく、弱者の立場に立つことが、共産の伝統じゃないのか。『弱者(LGBTや外国人など)の立場』支持なんだから、多数派の支持はある意味、最初から度外視してる(勿論、「多数派の支持獲得のために努力しなくていい」「支持しない多数派が間違ってる、で済ませていい」という意味ではない)」
「それが『除籍された反党分子』とはいえ、小林多喜二(特高による虐殺)、野呂栄太郎(獄中で病死)など、勝ち負け、損得を度外視して、自らが信じる正義(信念)のために、命すら犠牲にして戦った先達が沢山居る日本共産党の元党員の言うことか(呆)。小林や野呂などといった先達に対し、紙屋は本当に失礼だ」
「だったらお前も損得を考えて、反党行為なんかしなきゃ良かっただろ。除名されて何かいいことがあったの?。マスコミももはや、紙屋のことなんかは話題にしないし、除名無効裁判に勝つ保証もないし、紙屋支持者もどう見ても全然いないようだし、今からでも『反党分子の私が間違っておりました、許して下さい。復党させて下さい』『もう二度とあんな反党行為は致しません』と党に頭下げて、復党したら?(勿論紙屋への皮肉、嫌み)」ですね。
全く
参議院選挙の結果について/2025年7月21日 日本共産党中央委員会常任幹部会
排外主義の潮流が台頭している根っこには、暮らしの深刻な困難と政治への閉塞感があります。その影響を受けている人々も含めて、その切実な要求にこたえ展望を示すとりくみを大いに強めていく決意です。
として「排外主義との戦い」を改めて語る「党執行部とのあまりの違い」に「何だ、このクズ野郎(紙屋)は」と心底呆れます。
日常の粘り強い社会運動があって、その結果、社会の深いところで多くの人の意識が変わっていって、その総決算として選挙戦でその「大多数の意識」に乗っかって選挙をするというのが勝利の常道のはずだ。
選挙戦が始まってから「さあ選挙戦を通じて国民の意識を変えますよ」なんてやっていたら、もう負け確である。
勿論共産は「日頃からやってる(議席を減らした以上、結果的には取組がまだ足りなかったと言うことになるのでしょうが)」し「選挙期間中もやってる」と言う話です。何で無茶苦茶な曲解をするのか。
というか仮に「日頃の取組」が不足しているからといって「どうせ負け確定だから、(参政が外国人差別発言、女性差別発言をしようが、ジェンダー平等や外国人との共生について)選挙期間中は演説も、何もやらない」というのが、紙屋の価値観なのか。呆れて二の句が継げませんね。むしろ「取組が今まで不足していたのが悔やまれる。今からでは遅いだろうが、今からでも選挙演説など、できる限りの取組をしよう」がまともな人間ではないのか。
この紙屋の暴論は「共産支持者」どころか「ジェンダー平等や外国人との共生に取り組む人間(勿論共産支持者以外も居る)」の反感を買い、確実に「紙屋や松竹の支持者を減らした」でしょう。アンチ紙屋、アンチ松竹の俺にとっては「紙屋や松竹の支持が減ること」は「非常に嬉しいこと」ですが、紙屋や松竹の政治センスの無さには心底呆れます。
紙屋や松竹は一体何がやりたいのか。党に悪口さえ出来ればそれでいいのか?
つうか「日頃、ジェンダー平等や外国人との共生」に取り組んでるわけでもない紙屋が「自分を棚上げにして」党相手によくもふざけたことをほざいたもんです。
というかその紙屋の理屈なら、「党内で支持が全く得られてない(そもそも党内で支持を広げる取組も恐らくやってない)のに、文春新書(松竹『シン日本共産党宣言』)を刊行し、記者会見を開いて、党外の支持を利用」して「党員の意識を変えよう」なんて「日頃の活動を無視したこと(党外の支持を利用した一発逆転狙いの博打)」をやってるから、松竹や紙屋は「負け確(党から除名された)」ではないのか。そもそも松竹や紙屋は党員支持どころか、党外の支持も得られなかったわけですが(文春新書刊行前、刊行後の、紙屋や松竹の「党外への働きかけ」が明らかに不足していたから、文春新書「シン日本共産党宣言」もすぐに話題にならなくなった)。
そして今も「党員」どころか党外の支持も全く得られてない紙屋や松竹です(今後も得られる見込みはない)。紙屋や松竹こそが負け確を何時までも続ける無能の分際で、自分を棚に上げて、何を言ってるのか。
それにしても「批判的なご意見も歓迎します。」と書きながら
個人対応ですので基本はレスしません。気が向いた時だけです。悪しからず。
として「気が向いたときだけコメントする」と逃げを打ってる「卑怯者」「臆病者」紙屋には心底呆れます。批判意見に応答しない癖に何が「批判意見歓迎」なのか。紙屋の「嘘つきぶり」「クズさ」「不誠実さ」には心底呆れます。紙屋は「人間としてオワコン」「除籍されて当然の反党分子」と言って何ら問題ないと思います。
歴史的惨敗を受けて臨時党大会を開くべきだ - 神谷貴行のブログ
紙屋研究所、松竹伸幸、広原盛明を批判する(2025年7/22日分) - bogus-simotukareのブログでも触れたのですが、「その後、思いついたことがある」ので追記(?)します。
自民党・公明党が参議院でも少数になったことや、参政党の大躍進については日本の将来にとって大事な問題ですが、ここでは論じません。
紙屋研究所、松竹伸幸を批判する(2025年7/25日分)(追記あり) - bogus-simotukareのブログでも紙屋を批判しましたが「おいおい」ですね。
何で論じないのか。「参政党をどう批判していくかは今後の課題ですが、参政党の排外主義は絶対に許してはならない」程度のことも言う気が無いのか。
といったら
1)論じる能力がないから
2)反党分子として、共産党に悪口したいだけで、そもそも論じる意思がないから
でしょう。
「立民も比例獲得票数を減らし、現有議席維持に留まったこと」を考えれば「共産の議席減」だけを云々するのが適切ではないことは明らかです。
そして「どの程度、票の移動を見込むか」はともかく「共産から参政への票の移動」はあったでしょうから、「参政の躍進」について論じずして「共産の議席減」についてまともな議論は出来ないでしょう。
大きな路線の反省や修正をしない限りは、たとえ多少の浮き沈みがあっても、このまま消えていってしまうと考えるべきです。
むしろ「支持者が増えてるようには全く見えない」「除名直後はともかく、今やマスコミもまるで報じない」紙屋や松竹の方こそ「浮き沈み」どころか「浮くことなど一度もなく、このまま消えていってしまうと考えるべき」でしょう。自分らの無能を棚に上げて、共産に悪口雑言とは全くいい度胸です。どこまで「ゲスで、クズ」なのか?
まあ無能であるからこそ、つまり「自分たちの運動に何の展望もないからこそ」、そして「その無能さ」を「なぜ俺たち(紙屋や松竹)は、最大与党・自民、最大野党・立民どころか、俺たちが悪口する共産と比べても、世間に支持されないのだろう。世間の話題にならないのだろう」と真摯に反省する能力も意思もないからこそ、「鬱憤晴らし」で共産に悪口雑言せずには居られないのでしょうが、「松竹や紙屋」「連中の類友(いわゆる「こんな連中」)」も「哀れで無様な人間」です。
「どう見直すべきか言え」って? そうやって言わせてそれにケチをつけて見直し要求を潰させようとする手法はもう見抜かれています。個々の党員は「どうすべきか」が今は言えなくてもいいのです。
「はあ?」ですね。酷い詭弁です。
「どう見直すべきか言って欲しい」という意見が出るのは当然でしょう。
それに対して「見直し要求を潰そうとする手法」などと言い出すのは屁理屈でしかない。
というか仮に「見直し要求を潰そうとする対応」があったとして紙屋が反論すればいいだけでしょうに(そんな対応が本当にあるのか、紙屋の誹謗か知りませんが)。
実際は紙屋には「何の意見もない」のでしょう。だから意見が出せないが、「自分に意見がない」とは「無駄にプライドが高い紙屋」は認めたくないのでしょう。
だったらせめて「俺(紙屋)個人には今意見はないが、議論の場として臨時大会を開いてはどうか?。何か色々意見が出るかもしれない」として、自分に意見がないことくらい素直に認めたらどうなのか。
とはいえ、俺(ボーガス)個人は「俺(紙屋)に意見はないけど臨時大会を開け」なんて主張に正当性があるとは思いませんが。
紙屋も「党に今すぐ悪口したくて仕方が無い」のでしょうが、せめて「紙屋の同志(どれほど居るのか知りませんが)から意見を集めた」上で、「これこれこういう方向性、理由で臨時党大会を求める」位言ったらどうなんですかね。
「意見はないけど臨時大会を求める」で賛同する人間なんているんですかね。
といったら実際には「臨時大会を開きたい」わけではなく、
1)「臨時大会を求めてるのに開かない党は不当だ」と悪口したい
2)こうした発言をすることでマスコミの注目を集めたい
だけなのでしょうが。だから時間をかけた上で「こういう方向で開いて欲しい」なんて話をせずに「とにかく開け」という「何だかなあ?(呆)」な話を紙屋もする。
むしろ「見抜かれて」いるのは「とにかく党に悪口したい」「とにかくマスコミの注目を集めたい(但し、今のところ、この紙屋記事は全くマスコミに報じられてませんが)」という下劣な紙屋の人格でしょう。
繰り返しますが本当に臨時大会を開きたいなら「紙屋の同志(どれほど居るのか知りませんが)から意見を集めた」上で、「これこれこういう方向性、理由で臨時党大会を求める」位言ったらどうなんですかね。
「意見はないけど臨時大会を求める」で賛同する人間なんているんですかね。
結局実際には「臨時大会を開きたい」わけではなく、「臨時大会を求めてるのに開かない党は不当だ」と悪口したいだけなのでしょうが。
党幹部からは「自公を減らした。素晴らしい貢献をした」「このままの路線でいいんだ」という言説がものすごい物量で連日赤旗や会議で繰り返され
いや、そもそも、そんな事実あるんですかね。
部外者なので党内の会議には勿論、無知ですが、赤旗にそんな記事は溢れてないと思いますが。
「大枠ではこの路線(経済政策的には社民主義、福祉国家路線(新自由主義批判)。外交的に平和外交路線など)でいいと思う」ではあっても「参政党ブームに対抗できなかった点の反省は必要」とか個々の反省は党執行部にも、個々の支部にもあるでしょう。
話は「反党分子」松竹や紙屋が「無反省な党執行部とそれを批判する俺たち、改革派(?)」と描き出すほど単純ではないでしょう。
「紙屋や松竹が正義、党執行部は完全に間違い」という「単純な構図ではない」からこそマスコミももはや松竹や紙屋をろくに相手にもしない。
自由で、根本的な議論をみんなで始めようではありませんか。
「批判コメント大歓迎」と書いても批判コメントに応答しないで無視するクズ「紙屋」がよくも抜かしたもんです。
松竹の場合、もっと酷くて「コメント掲載拒否」ですが(紙屋の場合、応答拒否でも掲載はすることが多い)。
松竹といい紙屋といい「自分が自由な議論などしてない」くせによくもふざけたこと、舐めたことが抜かせたものです。人間として二人(松竹、紙屋)ともあまりにクズ過ぎる。
まあ紙屋や松竹の場合「安保政策を右に持って行く」という「自分勝手な話がしたい」だけなのでしょうが。