横浜市長選で田中康夫が当然の惨敗 - kojitakenの日記
現職「山中」を評価しないが
清義明*1
田中康夫さんは好きか嫌いかでいえば、好きな方。
だが、政治家としては反ワク陰謀論、かつデリカシーにかける「排外主義もどき*2」を口にしてしまう方なので、国際都市横浜市の首長としては向かないと思います。
ぶたお@もてラジ
横浜市長選ですが、支持政党とか人の信頼性とか無視して選挙公報だけから純粋に評価するなら、山中竹春と高橋のりみの2トップでしょうか。ワーストは福山あつしと田中康夫です。(ボーガス注:選挙と全く関係ない福山の)甲子園球児アピールもやばいが、田中康夫のセンスもボリュームもないチラシは頭一つ抜けてるかも。
SHUNZEI_104
田中康夫が浅田彰との対談連載で生活保護批判を始めたし、湯浅誠氏*3の派遣村で路上生活者の振る舞いに難癖を付けるなどありました。
猫型人間 #選挙に行こう #差別と分断を許さない
反ワクチン陰謀論者*4が市長になったりしたら、市民の健康が危機にさらされます
べちか
田中康夫のウクライナ関連ツイートひどいな。陰謀論で侮辱的。市長選で当選しなくてよかった。二度と立候補しないで欲しい。
マツモト
◆自分が横浜市民だったら、(ボーガス注:反ワクチンの陰謀論者)原口一博をリツイートする田中康夫だけは絶対に避けます。
◆田中康夫は「生活保護は朝からパチンコ三昧」みたいな安直な生活保護叩きをしていた人です。
こういう人物が市長になったらどんな市政をするのか、リベラルや反差別を自認する人はよく考えてみてください。
生活保護叩きをするような人を応援するのですか?
と言う批判ツイートが山ほどある「田中康夫」よりは「何倍もマシだ(田中を支持する奴はバカだ、田中を支持するくらいなら現職・山中に票を投じるか、棄権した方がまし)」と言う点では俺も、kojitakenと「意見は同じ」で異論はありません。
なお、
せつなりっとく
◆saori_kono
· 山中市長はどの支持層、無党派層からも得票率高いですが、参政党支持者からは高くない。れいわと参政党の支持層だけは山中さんを抜いて田中候補に票が入った
だそうで、もはやれいわは「参政の仲間」と見なすべき(もはや左翼扱いすべきではない)ではないか。
そして田中の敗北は良かったものの「参政支持層から田中に票がいってること」を考えると、「せつなりっとく」氏らが言うように「田中と言うタマが悪すぎただけ」で未だ「参政党を支持するような輩」には警戒が必要かもしれない。正直、参政やれいわを支持するような輩(俺的にはどう見ても「バカ」)に何を言ったら「あの種のポピュリズム政党の支持を止めるのか?」と悩みますね。
せつなりっとく
◆mipoko
参政党支持者は、勉強が出来ないというより、「知らないことを知るための労力を惜しむ怠惰な人たち」なのかな、と。知的能力が「低い」と言うより「怠惰」。だから知らないことを知る正攻法の努力ではなく、抜け道(但し間違った)の陰謀論に走ったり、マウント取りで勝ちのポーズだけ決めたがったり。
というのが恐らく「参政支持者のかなりの部分」でしょうし。
2016年の参院選東京選挙区には田中が維新公認で立候補し、山本太郎が民族主義右翼の無所属候補・三宅洋平を支援した。この選挙では私は田中と三宅を共倒れさせるべく、戦略的投票で民進党の2人目の候補だった小川敏夫*5に投票した。結果は、選挙戦終盤に三宅が伸びて田中の票をかなり食ったために、狙い通り田中と三宅の共倒れが実現した。その意味では会心の選挙結果だった。
別にkojitakenの「戦略的投票」が功を奏したわけではなく、単に「三宅と田中の人気が無かっただけ」でしょうに何で変な自慢をするのか?。「常に自画自賛しないと生きていけないヘタレなメンタルなのか?」と疑います。なお、当時は定数6でkojitakenが投票した小川は6位当選しています(民進党の蓮舫*6候補が1位当選し、民進党からは二人当選)。
プロ野球 セ・リーグでも指名打者制導入へ 2027年シーズンから (NHK) - kojitakenの日記
今年の交流戦で「パリーグが圧勝したこと(交流戦1~6位まで全てパリーグ:DHの存在がセパの戦力格差の理由では?)」が導入の一因でしょうか?。導入自体は良いと思いますが、それほど手間がかかるとも思えず「来年の2026年導入」が十分可能ではないのか?。
それにしても今までセリーグで導入が無かったのは「DHは強打者が多いチームに有利だ。我がチームは強打者が少ないから不利だ」「相手チームが9番で代打を出して、投手を代えるかどうか、悩むことになる方が我々に有利だ」と思うセリーグ球団が多かったと言うことなんですかね。
なお、俺個人は、kojitakenが強調する「セパの戦力格差是正」よりも「DHの方が、9番が好打者で面白いから(「二刀流」大谷のような「好打者の投手」は少ないので、DHがなく、投手が9番だと三振など凡打に終わることが多くつまらない)」が理由ですね。
「DHだと、9番も好打者なので、投手も9番相手に気が抜けず、投球技術が向上する」
「DHだと9番も好打者なので、打線のつながりが途切れることがなく、9番の前後の8番、1番の打者の打撃技術が向上する」
→「その結果としてDHのあるパリーグの方が、DHのないセリーグより戦力が強い」は「あり得そうな仮説」にすぎず「証明された事実」ではない。
DHを導入したところで「セパの戦力格差是正」につながらない可能性、つまり「DHとは別の何か」、例えば
◆単にパリーグ球団の方が、スカウトの選手発掘能力や、コーチの選手育成能力が優れてる
などが「セパの戦力格差である可能性」は十分あるでしょう。それでも「DHの方が、9番が好打者で面白い」からセがDH導入に踏み切ったことは良かったと思います。
以下のウィキペディアの記述が、kojitakenが鈴木を嫌う理由ですかね(ウィキペディアの記述も明らかに鈴木に否定的かと思います)。
鈴木啓示 - Wikipedia参照
近鉄の前任監督である仰木監督の実績は、常にAクラス(1988年2位、1989年1位、1990年3位、1991年2位、1992年2位)であった。その原動力は立花龍司*8コンディショニングコーチであり、当時としては珍しくメジャーリーグにおける科学的トレーニング方法を取り入れたことがAクラスの理由として評価されていた。
しかし、鈴木は監督に就任した1993年の春季キャンプで選手たちに「スパイクを履いてランニングするように」と指示したところ、立花に「この時期(冬場)にスパイクを履いてランニングすると足を痛める元になるからやめて欲しい」と指摘された。しかし鈴木は自身の体験を踏まえ、ランニングの指示を譲らず、立花と調整方法を巡って対立し、1993年シーズン終了後に立花は退団。
立花は1995年に千葉ロッテマリーンズに所属し、1995年のロッテ2位(前年の1994年は5位)に貢献したとされる。
立花の近鉄退団は、立花を信頼していた野茂英雄(1990~1994年に近鉄に在籍)や吉井理人(1984~1994年に近鉄に在籍。2025年現在、千葉ロッテマリーンズ監督)と、鈴木との対立を招く一因となった。その後、1995年初めに野茂がメジャーリーグのドジャースへ、吉井がヤクルトへとそれぞれ移籍した一因は鈴木との不仲だったとされる。特に野茂とは不仲で「あいつのメジャー挑戦はマスターベーション」とまで鈴木は野茂を非難した。
ただし、野茂が移籍したのは、鈴木との対立だけではなく、「優勝したら年俸を上げないといけないから2位の方が助かる」と放言する球団やフロントへの不信感もあった(仰木監督時代からそうした不信感があった)という。
1995年は、野茂や吉井といった主力選手が退団したほか、選手の不調や怪我が多発したことも重なりチームは最下位に低迷し、シーズン途中で監督を辞任。1995年にはメジャーへ移籍した野茂が大活躍したことをはじめ、吉井がヤクルトで日本一に貢献する活躍をしたことや、鈴木と対立した立花が千葉ロッテに在籍して2位への躍進を支えたことから、鈴木に対する批判は強いものとなった。
佐野慈紀(1991~1999年まで近鉄所属)は「それまでのチームの雰囲気がガラリと変わりました。ある先輩が、投手陣の総意として鈴木監督に意見を伝えてくれたのですが、すぐにファームへ落とされ、また、阿波野さん(1987~1994年に近鉄に在籍。1994年シーズンオフに香田勲男との交換トレードで読売ジャイアンツへ移籍。鈴木との確執が移籍の一因とされる)や吉井さん(1984~1994年に近鉄に在籍。1995年シーズンオフに西村龍次との交換トレードでヤクルトへ移籍。鈴木との確執が移籍の一因とされる)がいなくなりました。チームは下位(鈴木監督時代は1994年は2位だったが、1993年は4位、1995年は成績低迷を理由にシーズン途中で辞任し、水谷実雄*9一軍ヘッドコーチが監督代行に就任するが6位)に低迷し、みんなモチベーションが下がりましたね。でも、僕が引退して評論家になった後、鈴木さんと少しだけ話をして、相手はどうかわからないけど、僕のなかのわだかまりはなくなりました。」と後に述べている。
金村義明(1982~1994年に近鉄に在籍)は自著『プロ野球勝てる監督・負けるボス』(2004年、実業之日本社)において、選手交代でも名前ではなく「アイツ」や「ソイツ」と呼ぶなど態度も良くなかったことから鈴木を「最低の監督」と酷評している。なお、金村は1994年にFA権を行使し、中日に移籍している。ただし金村の場合は鈴木との対立ではなく、中村紀洋(1992~2004年まで近鉄に在籍)の台頭により三塁手の定位置を奪われたことが移籍の大きな理由とされる。
鈴木は監督時代について後に「力不足やったな。選手をうまく使ってやらなイカンのに、選手を萎えさせとったこともあった。今思えば、反省ばかりやな。ナシ(梨田昌孝*10)にも(コーチで)助けてもうたけど、アカンかった」「私も上から目線でものを言ったから、なかなか選手がついてきにくかったかなと。もう少し広い心でものを言えれば良かった。」「近鉄生え抜きの監督として球団の期待に応えられず、近鉄がなくなったことは私に大いに責任があると思います」と語るなど反省の弁を語っている。
「山梨の悪太郎」とは「山梨出身の堀内恒夫(巨人)」のことです。オールドファンなら「悪太郎=堀内」とわかるでしょうが、最近の若者は分からないのではないか。
中日は(ボーガス注:2004年、2006年、2010年、2011年に監督としてリーグ優勝した)落合博満が(ボーガス注:2011年に)監督を去って*11から(ボーガス注:2020年3位(与田剛監督)という「一部例外はある」が、2014年4位、2015年5位(谷繁元信監督)、2017年5位、2018年5位(森繁和監督)、2019年5位、2021年5位(与田剛監督)、2022~2024年6位(立浪和義監督)とほとんどBクラスという)暗黒時代に入って久しい(立浪和義が去った今年は少し上向く兆しも見せているが)。
中日嫌いのkojitakenらしいですが「3年連続(2022~2024年)最下位」が「4位まで上がった」のは、8/5時点で「43勝52敗2分け(借金9)」「3位DeNA(45勝47敗5分けの借金2)とは3.5ゲーム差(今のままでは3位に上がるのが厳しい)」とはいえ、「かなり上向いた」と高く評価していいのではないか。
一方、酷いのが昨年より順位を落とした「5位広島(昨年4位:現時点で41勝51敗5分けで借金10)」「6位ヤクルト(昨年5位:現時点で33勝54敗5分けで借金21)」ですね。広島・新井監督とヤクルト・高津監督の「シーズン終了後の辞任は不可避」でしょう。
ヤクルトファンのkojitakenも、高津をかばいようがない(一方で高津批判したくない)ので「ヤクルトの酷い成績」には全く触れないのが滑稽です。
*1:著書『サッカーと愛国』(2016年、イースト・プレス)
*2:「もどき」なしでいいと思いますが。奴の言動は明らかに排外主義でしょう。
*3:全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長。著書『反貧困』(2008年、岩波新書)、『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(2015年、朝日文庫)、『「なんとかする」子どもの貧困』(2017年、角川新書)等
*4:勿論田中のこと
*5:菅内閣法務副大臣、野田内閣法相、民主党参院幹事長、参院議員会長、参院副議長などを歴任。2022年参院選には出馬せず政界引退。著書『森友・国有地払下げ不正の構造』(2018年、緑風出版)
*6:菅、野田内閣行政刷新担当相、民主党代表代行(岡田代表時代)、民進党代表等を歴任
*7:1947年生まれ。1965年に近鉄バファローズに入団。1978年、最多勝(25勝)、最優秀防御率(防御率2.02)を獲得。通算無四球試合(78試合)、通算先発勝利数(288勝)の日本記録保持者。通算317勝は「金田正一(国鉄スワローズ→読売巨人)の400勝」「米田哲也(阪急ブレーブス→阪神タイガース→近鉄バファローズ)の350勝」「小山正明(阪神タイガース→ロッテオリオンズ→大洋ホエールズ)の320勝」についで日本プロ野球歴代4位(左投手としては「金田正一の400勝」についで歴代2位)。2002年、野球殿堂入り。現役時代の背番号1は近鉄の永久欠番(1985~2004年)。その後、2004年シーズン終了後の近鉄とオリックスの合併(オリックス・バファローズ誕生)の際に、オリックスは当時、後藤光尊が付けていた背番号1について、永久欠番とする考えがあり、鈴木に電話で伝えるも、鈴木本人が「自らの永久欠番はあくまで近鉄でのもの。背番号1をどうぞ使ってください」と固辞したという。
*8:著書『個性を引き出すスポーツトレーニング』(2002年、岩波アクティブ新書)等
*9:1947年生まれ。広島東洋カープ (1966~1982年)、阪急ブレーブス (1983~1985年)で選手として活躍。選手引退後は阪急二軍打撃コーチ(1987~1988年)、広島一軍打撃コーチ(1989~1991年)、一軍チーフ打撃コーチ(1992~1993年)、近鉄一軍打撃コーチ(1994年)、一軍ヘッドコーチ兼打撃コーチ(1995年)、ダイエー一軍打撃コーチ(1996~1997年)、中日一軍打撃コーチ(1998年)、一軍打撃チーフコーチ(1999~2001年)、阪神二軍打撃コーチ(2003~ 2006年)を歴任
*10:1953年生まれ。1972~1988年まで近鉄で選手として活躍。鈴木監督時代(1993~1995年)は近鉄一軍作戦兼バッテリーコーチ。1996年から近鉄二軍監督を務め、2000年に近鉄一軍監督に就任(2004年シーズン終了後に辞任)。また、2008~2011年に日本ハム監督、2015~2018年に楽天監督を務めた
*11:但し、落合は2013年10月~2017年1月まで中日GMなので「その期間の中日の不振(例:2014年4位、2015年5位(谷繁元信監督))」は落合にも責任がある。