「性格と頭の悪い」kojitakenを批判する(2025年8/9分)

昨夜は大阪府と兵庫県の球場で夜遅くまで野球の試合をやっていた/猛暑の東京で神宮新球場が「屋外」で本当に良いのか - kojitakenの日記

 ヤクルトにはまだ5位あるいは4位のチャンスくらいはあるかもしれないが(5位中日と5ゲーム差)

 ゲーム差(5位中日と5ゲーム差)を考えれば、その可能性はほとんど無いでしょうね。どこまで高津に甘いのか。むしろ、5位中日の3位(8/8時点で3位DeNAと3.5ゲーム差)、4位(4位広島との差が0.5ゲーム差)の方がよほど可能性があるでしょう。
 「2022~2024年まで3年連続最下位」立浪監督の辞任が功を奏したと言えるでしょう。
 一方「2021年優勝、日本一」「2022年優勝」とはいえ「2023年、2024年は2年連続5位」で「無能さを露呈した高津監督」を2025年まで引っ張ったことが「2025年にダントツの最下位」という悲劇を生みました。
 とはいえ今のヤクルトは「35勝55敗5分けの借金20で勝率0.389(残り試合48試合)で6位」と言う酷い成績とは言え、過去の

東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の年度別成績一覧 - Wikipedia
◆1970年
 33勝92敗5分け。借金59。勝率0.264で6位
 恐らく「勝ち数(33勝)、借金数(59)、勝率(0.264)のワースト記録」。ヤクルトアトムズ時代で監督は「別所毅彦監督(途中辞任)→小川善治(二軍監督から監督代理に昇格)」
◆2017年
 45勝96敗2分け。借金41。勝率0.319で6位
 恐らく「ワースト敗北数(96敗)」。ヤクルトスワローズ時代で監督は真中満

といった「ワースト勝ち数、ワースト借金数、ワースト勝率(1970年)」「ワースト敗北数(2017年)」はさすがに更新しないのでしょうが。
 なお、順位表 - プロ野球 - スポーツナビを見れば

8/8時点
・得点263点(リーグ最下位)
・失点369点(リーグトップ)
本塁打数48本(リーグ最下位)
・チーム防御率3.48(リーグ最下位)

ということで「打てない→点が取れない」「守れない→失点が多い」という「ヤクルトの弱さ」がよく分かります。

 今年の阪神は(ボーガス注:現在は2位の巨人、3位のDeNA、今は4位で、中日に抜かれ5位転落の可能性もあるが、2025年の一時は首位になったこともある広島という)直接のライバルになり得た3球団は徹底的に叩くけれども5位と6位にはそんなに強くない(とはいってもスワローズ戦も10勝7敗で勝ち越している*1

 「5位中日と6位ヤクルトにはそんなに強くない」というよりは「負けても打撃が少ない中日、ヤクルト」にはエース級の投手を当てることは控えて「巨人、DeNA、広島」にエース級の投手を当てたと言うことではないか。

 一番貢献度が高いのがスカウト陣であるとは最近は(ボーガス注:前阪神監督の)岡田彰布も言うようになったので、もう世の評価もその線で定まってきたと思う。

 このように阪神のスカウトが高評価なのは

【8/7の中日戦(中日8-阪神3で阪神が敗戦)の場合】
◆近本光司
 センターで1番。1994年生まれ。2018年のドラフト会議で1位指名(当時は社会人野球の大阪ガス
◆中野拓夢
 二塁手で2番。1996年生まれ。2020年のドラフト会議で6位指名(当時は社会人野球の三菱自動車岡崎)
◆森下翔太
 ライトで3番。2000年生まれ。2022年のドラフト会議で1位指名(当時は中央大学
◆佐藤輝明
 三塁手で4番。1999年生まれ。2020年のドラフト会議で、福岡ソフトバンクホークスオリックス・バファローズ読売ジャイアンツ阪神タイガースの4球団から1位指名を受け、抽選の結果、阪神が交渉権を獲得(当時は近畿大学
◆中川勇斗
 レフトで5番。2004年生まれ。2021年のドラフト会議で7位指名(当時は京都国際高校)
◆坂本誠志郎
 捕手で7番。1993年生まれ。2015年のドラフト会議で2位指名(当時は明治大学
◆熊谷敬宥
 遊撃手で8番。1995年生まれ。2017のドラフト会議で3位指名(当時は立教大学

【8/8のヤクルト戦(ヤクルト3-阪神1で阪神が敗戦)の場合】
◆近本光司
 センターで1番(8/7と同じ)。
◆中野拓夢
 二塁手で2番(8/7と同じ)。
◆中川勇斗
 レフトで3番(8/7はレフトで5番)。
◆佐藤輝明
 三塁手で4番(8/7と同じ)。
◆大山悠輔
 一塁手で5番。1994年生まれ。2016年のドラフト会議で1位指名(当時は白鷗大学)
◆小幡竜平
 遊撃手で6番。2000年生まれ。2018年のドラフト会議で2位指名(当時は延岡学園高校)
◆坂本誠志郎
 捕手で7番(8/7と同じ)。
◆島田海吏
 ライトで8番。1996年生まれ。2017年のドラフト会議で4位指名(当時は上武大学

阪神投手陣(成績は8/8現在(2025年度 阪神タイガース 個人投手成績(セントラル・リーグ) | NPB.jp 日本野球機構参照))】
◆伊藤将司
 1996年生まれ。2020年のドラフト会議で2位指名(当時は社会人野球のJR東日本)。現在4勝
◆伊原陵人
 2000年生まれ。2024年のドラフト会議で1位指名(当時は社会人野球のNTT西日本)。現在5勝5敗
◆及川雅貴
 2001年生まれ。2019年のドラフト会議で3位指名(当時は横浜高校)。現在5勝3敗
◆才木浩人
 1998年生まれ。2016年のドラフト会議で3位指名(当時は神戸市立須磨翔風高校)。現在9勝5敗
◆村上頌樹
 1998年生まれ。2020年のドラフト会議で5位指名(当時は東洋大学)。現在9勝3敗

とドラフト指名選手の多くが「主力選手」として育っているからです(勿論主力選手になれずに、既に引退したドラフト指名選手も一方ではいますが)。
 勿論、主力選手には、ドラフトだけでなく、デュプランティエ(投手で、8/8現在、6勝3敗)、ヘルナンデス(8/7の中日戦に一塁手、6番打者で出場)のような外国人選手や、大竹耕太郎(2022年に現役ドラフトでソフトバンクから阪神に移籍。投手で、8/8現在、6勝1敗)のような他球団から移籍した選手もいますが(まあ、外国人選手や他球団からの移籍選手も、恐らく獲得においてはスカウトが判断するからこれもドラフト同様に「スカウトの有能さ」と評価して問題ないのか?)。
 また他球団と競合して抽選となった佐藤を除き、多くが「阪神単独指名」である点も「評価されています」。
 なお、ウィキペディア

近本光司 - Wikipedia
 担当スカウトは畑山俊二*2

及川雅貴 - Wikipedia
村上頌樹 - Wikipedia
 担当スカウトは吉野誠*3

としてこれらの成功スカウトの功労者として「畑山俊二」「吉野誠」の名前を挙げています。

 私はこれには阪急の人たちがそれまで阪神系の人たちに運営を任せてきたことを改めて球団経営に関与するようになった影響があるのではないかとひそかに思っているのだけれどどうだろうか。少し前までは阪神のスカウト陣もたいしたことがなく、星野仙一*4流の金権補強が幅を利かせていて、あれでは読売やソフトバンクと変わらないではないかとずっと思っていたが、優秀なスカウティングでチームを作り上げる現在の阪神の行き方から私が連想するのは、昔の西本幸雄*5監督や上田利治*6監督時代の阪急ブレーブスなのだ。

 勿論こうしたkojitakenの主張には何の根拠もない。
 そもそも阪急は1989年にオリックス(現在は近鉄バファローズと統合しオリックスバファローズ)に球団を売却しており、当然その際に、阪急ブレーブス時代の球団スタッフ(スカウトを含むがスカウトに限らない)も皆、オリックスに移り、阪急に球団経営のノウハウなど残ってないでしょう。
 これは阪急に限らず「ダイエーに球団を売却した南海」「ソフトバンクに球団を売却したダイエー」「西武に球団を売却した西鉄」等も同じでしょうが。
 「阪急が球団経営に関与」云々とマスコミが報じてることも「矢野*7の後任監督」に「2007~2010年、2019~2022年に二軍監督を務め、2010年、2021年にウエスタンリーグで優勝した平田二軍監督の昇格」を阪神側が提案したところ、阪急の角会長(当時)が矢野の「予祝発言」「引退表明発言」(いずれも2022年)に『非常識』と激怒していたこともあり、「矢野なんか推薦した阪神側の推薦はもう聞きたくない」として「1999~2002年に阪神二軍監督、2004~2008年に阪神一軍監督を務め、2005年に優勝した岡田の復帰」を譲らなかったと言う話(なお、平田は岡田監督時代において一軍ヘッドコーチに就任。現在の藤川監督時代においては再び二軍監督に就任)に過ぎません。
 単に「自らも岡田ファンで、『岡田監督なら優勝できる』として岡田を高く評価する阪急の角会長」が「岡田復帰論」に乗っかったに過ぎないでしょう。
 そもそも上で紹介したスカウト成功事例は

◆和田監督時代(2012~2015年)
 2015年ドラフト(坂本誠志郎)
◆金本監督時代(2016~2018年)
 2016年ドラフト(大山悠輔、才木浩人)、2017年ドラフト(熊谷敬宥、島田海吏)、2018年ドラフト(小幡竜平、近本光司)
◆矢野監督時代(2019~2022年)
 2019年ドラフト(及川雅貴)、2020年ドラフト(伊藤将司、佐藤輝明、中野拓夢、村上頌樹)、2021年ドラフト(中川勇斗)、2022年ドラフト(森下翔太)

ということで、阪神がまだ優勝できなかった時代(阪急が監督人事に口出ししなかったとされる時代*8)が入ってるので、kojitakenの主張は理屈として矛盾してます。
 なお、優勝したのは岡田時代とは言え、成功ドラフトの実施時期が「和田、金本、矢野」であるため、「監督時代の成績が良くなかった金本(2016~2018年:2017年は2位だったが、2016年は4位、2018年は6位)」はともかく「優勝できなかったが一応Aクラスの和田(2012~2015年:2012年は5位だが、2013、2014年2位、2015年3位)、矢野(2019~2022年:2019年、2022年3位、2020年、2021年2位)」は阪神ファンにおいては「和田や矢野の功績(和田、矢野が監督時代にドラフトでとり、育てた選手の力)を岡田が引き継いだだけ」「もっと和田や矢野は世間に評価されるべき」「優勝、日本一だけで、岡田ばかりが評価されるのはおかしい」という評価ではないか。

 現在の藤川球児阪神以外の監督だったら大した成績を残せない人だろうと思う

 歴代阪神監督で他球団の監督を務めたことがあるのは

Template:阪神タイガース歴代監督 - Wikipedia参照
◆森茂雄(1936年に阪神監督(阪神初代監督))
 戦後の1959年に大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)社長兼監督。1960年からは三原脩*9が監督に就任し、社長に専念
石本秀一(1936~1939年まで阪神監督)
 戦前、阪神監督、名古屋金鯱軍(今の中日ドラゴンズ)監督を、戦後、太陽ロビンス松竹ロビンス大洋松竹ロビンス大洋ホエールズを経て現在の横浜DeNAベイスターズ)監督、広島カープ監督を歴任
 阪神監督として1937秋期、1938春期に優勝。
藤本定義(1961~1965年、1966~1968年まで阪神監督)
 阪神監督就任前に巨人、阪急監督。阪神監督として1962年、1964年に優勝。巨人監督として1939~1942年に優勝。
杉下茂(1966年に阪神監督)
 中日で選手(阪神の外様)。阪神監督就任前に中日監督
中西太(1980~1981年まで阪神監督)
 西鉄で選手(阪神の外様)。阪神監督就任前に西鉄日本ハム監督。西鉄監督として1963年に優勝
野村克也(1999~2001年まで阪神監督)
 南海で選手(阪神の外様)。阪神監督就任前に南海、ヤクルト監督、阪神監督退任後に楽天監督。南海、ヤクルト監督として優勝(1973年(南海)、1992年、1993年、1995年、1997年(ヤクルト))、日本一(1993年、1995年、1997年(ヤクルト))を達成
星野仙一(2002~2003年まで阪神監督)
 中日で選手(阪神の外様)。阪神監督就任前に中日監督、阪神監督退任後に楽天監督。中日、阪神楽天監督として優勝(1988年、1999年(中日)、2003年(阪神)、2013年(楽天))、日本一(2013年(楽天))を達成
岡田彰布(2004~2008年、2023~2024年まで阪神監督)
 阪神オリックスで選手。第一次岡田政権終了後、第二次岡田政権開始前にオリックス監督。阪神監督として優勝(2005年、2023年)、日本一(2023年)を達成

など少数に留まるのでむしろ「暗黒時代の阪神の監督(中村勝広監督(1990~1995年)など)だったら大した成績を残せない人だろう」と言うべきでは?、と思いますがそれはさておき。
 「アンチ阪神」「アンチ藤川」らしいkojitakenほど、藤川を低評価していいかはともかく、

阪神タイガース及びその前身球団の年度別成績一覧 - Wikipedia参照
吉田義男監督(1985~1987年)
 第1次政権(1975~1977年)に続く第2次政権。1985年に優勝と日本一を達成するが、1987年は6位(最下位)。1987年からいわゆる「阪神の暗黒時代(Bクラス常連時代)」が始まる。
村山実監督(1988~1989年)
 1988年6位、1989年5位
中村勝広監督(1990~1995年)
 1992年は2位だったが、1990年、1991年、1995年は6位(最下位)、1993年、1994年は4位
藤田平監督(1996年)
 6位
吉田義男監督(1997~1998年)
 第1次政権(1975~1977年)、第2次政権(1985~1987年)に続く第3次政権。
 1985年には優勝と日本一を達成した吉田だが、3次政権では1997年5位、1998年6位
野村克也監督(1999~2001年)
 ヤクルト監督として優勝(1992年、1993年、1995年、1997年)、日本一(1993年、1995年、1997年)を達成した野村も1999~2001年は3年連続6位
星野仙一監督(2002~2003年)
 2002年は4位だったが2003年に優勝。なお、2003年以降、「2005年優勝、2006年2位、2007年3位、2008年2位(第一次岡田監督時代)」など、阪神はAクラス入りが普通になり、暗黒時代を脱出

といった、いわゆる「暗黒時代の阪神(1992年の2位(中村監督時代)を除き、Bクラスに低迷した1987~2002年)」と違い

和田豊監督(2012~2015年)
 2012年は5位だが、2013、2014年2位、2015年3位
矢野燿大監督(2019~2022年)
 2019年、2022年3位、2020年、2021年2位
岡田彰布監督(2023~2024年)
 2023年優勝、日本一、2024年2位

という「金本監督時代*10(2016~2018年:2017年は2位だったが、2016年は4位、2018年は6位)」を除き「最近はAクラス常連となった阪神」の藤川が「恵まれた環境にあること」、

北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の年度別成績一覧 - Wikipedia
新庄剛志(2022年~)
 2022年、2023年6位(最下位)、2024年2位、2025年は現在、首位ソフトバンクに次ぐ2位

といった「Bクラス球団の監督からスタートしてAクラスを実現した人間」とは違うことは確かです。

*1:8/8現在、「7勝8敗」と負け越してる中日以外は「10勝7敗(ヤクルト)」以外も、「13勝5敗(巨人)」「10勝4敗2分け(DeNA)」「13勝5敗(広島)」と阪神が勝ち越してる。

*2:1964年生まれ。1989年のドラフト会議で近鉄バファローズから2位指名を受け入団(指名当時は社会人野球の住友金属)。なお、1989年ドラフトでは他に野茂英雄(1位指名)、石井浩郎(3位)などが指名された(畑山氏には失礼ながら、畑山氏が野茂や石井ほどには野球選手として活躍できず、彼らほどの知名度もないことでドラフト指名がいかに難しいかがよく分かります)。1996年オフに近鉄自由契約になり、阪神タイガースにテスト入団。1997年は二軍(ウエスタンリーグ)で68試合に出場したものの、一軍での出場は3試合にとどまり、1997年オフに現役を引退。2002年より阪神の近畿・中国地区担当スカウトに就任。2020年現在、阪神タイガース球団本部次長(統括スカウト)(畑山俊二 - Wikipedia参照)

*3:1977年生まれ。1999年のドラフト会議で阪神から2位指名を受け入団(指名当時は日本大学)。2003年4月13日の読売ジャイアンツ戦でプロ初勝利。これ以降、安藤優也阪神二軍投手コーチ(2021~2022年)、一軍投手コーチ(2023~2024年)を経て2025年現在は阪神一軍投手チーフコーチ)、ジェフ・ウィリアムスとともに中継ぎでフル回転し、チーム最多の56試合に登板し、チームの18年ぶりのリーグ優勝に貢献した(当時は星野監督時代)。2005年は藤川球児(2025年現在は阪神監督)や久保田智之(矢野監督時代(2020~2022年)に阪神二軍投手コーチ、岡田監督時代(2023~2024年)に阪神一軍投手コーチ)の台頭で登板機会が減り、12試合の登板に終わった。2007年のシーズンオフに濱中治と共に阿部健太平野恵一と2対2のトレードでオリックス・バファローズへ移籍。2013年7月25日に、甲藤啓介との交換トレードで福岡ソフトバンクホークスへ移籍。しかし移籍後、一軍での登板機会がないまま、10月9日に球団から戦力外通告を受けた。2014年1月1日付で阪神の関東地区担当スカウトに就任(吉野誠 - Wikipedia参照)

*4:1947~2018年。1969年から1982年まで中日ドラゴンズで投手として活躍し、1974年、1982年には中日のリーグ優勝に貢献。その後、中日ドラゴンズ監督(1987~2001年:1988年、1999年優勝)、阪神タイガース監督(2002~2003年:2003年優勝)、楽天ゴールデンイーグルス監督(2011~2014年:2013年に優勝、日本一)を歴任

*5:1920~2011年。1950~1954年まで、毎日オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の選手として活躍し1950年のリーグ優勝と日本一に貢献。その後も毎日オリオンズ(1957年から大毎オリオンズ)に残留し、1956~1958年まで二軍監督、1959年にヘッドコーチ、1960年に一軍監督を務めた(1960年にリーグ優勝)。1961年、阪急ブレーブス一軍コーチを、1962~1973年まで阪急ブレーブス監督を務め、1967~1969年、1971年、1972年にリーグ優勝。1974~1982年まで近鉄バファローズ監督を務め1979年、1980年にリーグ優勝。1988年、野球殿堂入り。何度もリーグ優勝を果たしながら一度も日本一になれなかったことから「悲運の名将」の愛称がある。但し、西本自身は「もし、私が本当に悲運なら戦争で死んでいるし、監督として8度(1960年、1967~1969年、1971年、1972年、1979年、1980年)も日本シリーズに出場などできない。『悲運の名将』なんておこがましい。敢えて言うなら『幸運な凡将』ですね(笑)」と語っている。1984年オフに辞任した安藤統男阪神監督の後任として阪神球団社長自ら西本の自宅を訪問し直接監督就任要請を受けるも、高齢(1920年生まれで当時64歳)であることを理由に辞退し、「伝統ある阪神を立て直す監督はやはり阪神OBがふさわしいのではないか。私の知る限りでは、吉田君が最適だと思う。」と吉田義男(1933年生まれ、1975~1977年に阪神監督(第1次吉田政権))を推薦し、吉田が監督に就任した(吉田は監督就任1年目の1985年に優勝と日本一を達成)(西本幸雄 - Wikipedia参照)

*6:1937~2017年。1959~1961年まで広島東洋カープで選手として活躍。「将来の広島カープ監督候補」として上田に期待する松田恒次・広島オーナーの意向で1962年に、当時、コーチとしては日本プロ野球史上最年少の25歳で広島二軍コーチに就任。その後、広島一軍打撃コーチとして、衣笠祥雄三村敏之(1994~1998年まで広島監督)、山本浩二(1989~1993年、2001~2005年まで広島監督。1991年にリーグ優勝)ら広島の主力選手を育てた。しかし当時、広島監督(1968~1972年)だった根本陸夫(その後も西武ライオンズ福岡ダイエーホークスで監督)と、投手陣の起用やチーム強化の方針を巡って意見が対立し、1969年シーズンオフに辞表を出して広島を退団した。その後、阪急ブレーブスヘッドコーチに就任し、1971年から1973年まで務める。1974年、上田は阪急監督(1989年からはオリックス)に就任し(1979、1980年は上田が監督を退任し、上田監督の下で一軍投手コーチを務めていた梶本隆夫が監督を引き継いだものの、1980年は5位と下位に低迷したため、1981年に上田が監督に復帰し)1990年まで務めた。その間、優勝(1975~1978年、1984年)、日本一(1975~1977年)を達成。阪急監督の就任について上田は「西本前監督がフロントで支援する」と聞いたので受諾したが直後に西本の近鉄監督就任が決まり、「西本さんが阪急球団を離れるとわかっていたら、引き受けていなかった」と後に取材で述べている。1995~1999年まで日本ハムファイターズ監督を務めた。2003年には野球殿堂入り。現役時代に高い実績を残した選手が監督に就任するケースが多い日本プロ野球界において、選手としては無名という異例の経歴であり、選手とコーチ、監督の才能は別物であることを証明した野球人の一人である。(上田利治 - Wikipedia参照)

*7:2018年に二軍監督としてウエスタンリーグ優勝。2019~2022年まで阪神一軍監督

*8:なお、矢野の「予祝発言」「引退表明発言」(2022年)に「非常識だ」「阪神側の言うことを信じて矢野を監督にしたことは間違いだった」と阪急側が反発したことが、「阪神の平田監督案(平田二軍監督を昇格)」を阪急が蹴り、岡田監督案に固執した大きな理由とされる。

*9:1911~1984年。1936~1938年まで巨人で選手として活躍。その後、巨人、西鉄、大洋、近鉄、ヤクルト監督、日本ハム球団社長等を歴任。監督として優勝(1949年(巨人)、1954年、1956~1958年(西鉄)、1960年(大洋))、日本一(1956~1958年(西鉄)、1960年(大洋))を達成。1983年に野球殿堂入り(三原脩 - Wikipedia参照)

*10:Bクラスが当たり前だった「暗黒時代(1987~2002年)」と違い、ほぼAクラス入りしていた時代(2010年代以降)に「和田(優勝は出来なかったが、2012年の5位を除き、全てAクラス)、矢野(優勝は出来なかったが、全てAクラス)、岡田(全てAクラスで2023年は優勝、日本一)」と違い「2016年は4位、2018年は6位」という金本は、失礼ながら、やはり監督として「無能だった」といえるのではないか。