今日の産経ニュース(2025年10/1分)(追記あり)

四国唯一の女子大が共学へ 松山東雲学園、令和10年4月から 学生数減少背景に - 産経ニュース
松山東雲女子大学、28年4月共学化 小学校教諭の教職課程も設置 - 日本経済新聞
「女子のマーケットだけでは十分ではない」四国唯一の女子大、松山東雲女子大が共学へ 在校生は「社会的にもいいと思うけど、ちょっとさみしい」 愛媛県 | 愛媛のニュース - Nスタえひめ|あいテレビは6チャンネル
「ビックリ」松山東雲女子大学が28年度から男女共学 背景に急激な少子化 四国で女子大消失へ【愛媛】|FNNプライムオンライン
 以前も川村学園女子大が閉校の見込み(2025年9/20分)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ等で触れましたが、また女子大(松山東雲女子大学)が「共学化(松山東雲大学に改称予定)」です。
 「共学化志向の高まり」によって、「女子大減少(共学化や閉校)」の流れはもはや止まらないのでしょう。


中日の井上一樹監督は来季続投、3年連続最下位も就任1年目で4位 球団創設90年へ - 産経ニュース
 3年(2022年、2023年、2024年)連続最下位の「立浪前監督時代の酷さ」を考えれば「優勝争い」「クライマックスシリーズ進出(3位以上)」という結果を求めるのは酷でしょうし、「4位に順位を上げた」以上、今年で更迭ではなく「来年1年はやってもらう」となるのは普通でしょう。
 それにしても「DeNAの三浦監督(2021年6位、2022年2位、2023年3位、2024年3位(但し下剋上日本一)、2025年2位。後任監督は不明)」「ヤクルトの高津監督(2020年6位、2021年1位(日本一)、2022年1位、2023年5位、2024年5位、2025年6位。正式発表はまだだが池山二軍監督の一軍監督昇進が有力視されている)」は辞任が発表されましたが、他に誰が辞めるのか(あるいは誰も辞めないのか?)
 成績の酷さ(順位自体が酷い上に、順位が上がった日本ハム(2022年、2023年6位、2024年、2025年2位)などとは逆にどんどん順位が下がっている)を考えれば

・広島の新井監督
 2023年2位、2024年4位、2025年5位
・ロッテの吉井監督
 2023年2位、2024年3位、2025年6位 

なども辞めてもおかしくないでしょうが。
【2025.10.3追記】

広島の新井監督、来季続投へ プロ野球:時事ドットコム2025.9.25
 広島の新井貴浩監督(48)が来季も続投することが24日、決定的となった。
 松田元*1オーナーは「彼もいろいろ考えてやってくれたが、うまくかみ合わず大変なシーズンだったと思う。来年以降もつらいかもしれないが、絶対に成果を出してくれると思っている」と述べ、来季の指揮を託す方針を示した。

ロッテ・吉井監督 退任へ 今季3年目で8年ぶり最下位…後任はサブロー・ヘッドコーチ最有力(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース2025.9.28
 ロッテの吉井理人監督(60)が今季限りで退任する可能性が高いことが27日、分かった。後任はサブロー(大村三郎)ヘッドコーチ(49)が最有力候補に挙がっており、来季は新監督で巻き返しを図ることになりそうだ。
 5月4日に単独最下位に転落すると、借金は膨らむばかり。最下位から一度も抜け出せないままパ・リーグ全5球団に負け越しを喫した。


<主張>新浪氏が辞任 早く身を引くべきだった 社説 - 産経ニュース
 自発的に辞めたと言うよりはサントリーの場合同様に「更迭が不可避なので辞めた」のでしょう。居座りを「同友会の役員が許してくれる」と新浪が思った理由が全く理解できません。

 新浪氏が務めてきた政府の経済財政諮問会議の民間議員についても同様だ。

 新浪*2が辞めないなら政府の方で更迭すればいい話です。何を遠慮しているのか?
 なお、現在の経済財政諮問会議の民間議員は新浪以外は

経済財政諮問会議 - Wikipedia
◆十倉雅和
 住友化学社長、会長、日本経団連会長等を歴任
◆中空麻奈
 BNPパリバ証券グローバルマーケット統括本部副会長
柳川範之
 東大教授(経済学)。オリックス社外取締役。著書『戦略的貿易政策』(1998年、有斐閣)、『契約と組織の経済学』(2000年、東洋経済新報社)、『経済の考え方がわかる本』(編著、2005年、岩波ジュニア新書)、『法と企業行動の経済分析』(2006年、日本経済新聞出版社)、『40歳からの会社に頼らない働き方』(2013年、ちくま新書)等

になります。財界人だらけであり「労組」「市民団体」等からの委員は全くいないわけです。


「A級戦犯」分祀論の無理筋 林芳正官房長官発言、古臭い議論の蒸し返しにうんざり 阿比留瑠比の極限御免 - 産経ニュース
 阿比留のような右翼的な意味とは違い
1)分祀しても政教分離問題は解決しない
2)靖国は「分祀否定論、反対論」を以前から表明しており、靖国分祀に応じる可能性がない
3)中韓は「政治家(特に首相、外相、自民党三役など政権与党幹部政治家)は靖国参拝するな」と言ってるのであり「分祀すれば参拝していい」とは一言も言ってないので分祀しても参拝した場合に批判がないとは言い切れないし、批判を避けたいなら参拝しなければ済む話
と言う意味で俺も分祀論には反対の立場です。


<主張>林氏の分祀論 中国の干渉に迎合するな 社説 - 産経ニュース
 分祀論の問題点は産経の言うようなことではなく
1)政教分離の問題は全く解決しない
→この社説でも政教分離問題を全く無視し、「中国の内政干渉に屈するな」と話を歪曲する産経には心底呆れます。
 産経が「首相の靖国参拝政教分離に反しない」と言う立場だとしても、「政教分離に反する」という意見が出ていることには触れたらどうなのか。
 そもそも首相靖国参拝には最高裁違憲判決が出たことはないとは言え、以前も櫻井よしこのバカさに呆れる(2025年9月26日記載) - bogus-simotukareのブログで触れましたが、靖国関係では愛媛玉串料訴訟で、神道関係では砂川政教分離訴訟で最高裁違憲判決が出ています。靖国神道関係では何をしても「政教分離違反が生じない」かのような産経らウヨの主張は事実に反します。
2)そもそも分祀は「分けて祀ってる」のであり「祀ることの否定」ではないために、仮に分祀したところで中国や韓国は「姑息な弥縫策」と否定的にしか理解しないであろうこと(外交問題の解決に全くならないこと)
3)仮に分祀どころか、「祀ることを完全に否定」したところで靖国が「あの戦争を聖戦として美化してること」、参拝している右翼政治家もそれに同調してることを中国や韓国も勿論理解してるので、「姑息な弥縫策」と否定的にしか理解しないであろうこと(外交問題の解決に全くならないこと)
でしょう。
 まあ、靖国分祀論に公然と反対、否定しており、「戦犯を祀ることを完全に否定」しないのは勿論、分祀する気があるとは思えませんが。
 そもそも中韓は「靖国が戦犯を祀りたければ勝手にすればいい(国営だった戦前と違い、今は民間施設に過ぎないので)。しかし首相など有力政治家が靖国参拝して靖国にお墨付きを与えるな。事実上の国営扱いするな」と言ってるので「首相になったら靖国に行かない」で済む話です。
 何で必死に「中韓が納得する首相靖国参拝」など考える必要があるのか。
 結局
1)靖国と同じ右翼的な価値観を保有しているか
2)靖国にこびることで選挙の票(国政、地方政治の選挙だけでなく、自民党総裁選の票を含む)や政治献金を、神社本庁靖国神社靖国神社に親和的な右翼団体(例:日本遺族会など)から得たいか
どちらかでしょう。どちらでもくだらないですが。

 日本の戦没者慰霊の中心である靖国神社の祭神は、陸海軍両省を継承した厚生省(当時)援護局が祭神名票を作り、神社側へ送付して合祀されてきた。

 そもそも「神道が国教だった戦前」ならともかく、政教分離が行われた戦後は国家施設ではない「宗教団体」靖国に対して国(厚生省→厚労省)がこうした便宜を図ること自体が「政教分離原則違反」の疑いが濃厚です。
 なお、産経にとっては「靖国戦没者慰霊の中心」なのでしょうが果たして本当にそう言えるのかどうか。実際には「先祖の墓地」で追悼してる遺族も多いのではないか。
 また私的な慰霊ならともかく政教分離の問題があるので「政府の慰霊」としては靖国はふさわしくないし、だからこそ「千鳥ヶ淵墓園」があります。
 また以前も触れましたが
1)靖国戦没者であっても原則として軍人軍属しか合祀せず(民間人は合祀せず)、また「箱館戦争土方歳三」「西南戦争西郷隆盛」など賊軍は祀ってない
2)「安政の大獄で処刑された橋本左内吉田松陰」「結核で病死した高杉晋作奇兵隊創設者)」「京都見廻組に暗殺された坂本龍馬薩長同盟の立役者の一人とされる)」「新選組に暗殺された御陵衛士首領の伊東甲子太郎」「不平士族に暗殺された明治新政府高官・大村益次郎*3(兵部大輔)」「戦後に戦犯裁判で死刑になった東条元首相」など一部については「刑死者」「暗殺被害者」「病死者」といった「戦没者以外」も祀ってる
靖国戦没者慰霊施設ではない。
 靖国の価値観で「国に準じた英雄」とされた人間を顕彰し、美化する施設が靖国であり、その「英雄扱いされる人間」の一部に戦没者がいるに過ぎません。

 主権回復後の「戦犯」赦免を求める運動で4千万もの署名が集まった。国会は全「戦犯」の赦免を求める決議を重ねた。

 だから何だというのか。
 そんなことは侵略被害国(中韓など)にすれば「どれほど日本人には反省心がないのか」と怒りを覚える行為でしかない。
 例えばプーチン大統領が「シベリア抑留には法的、道義的に何ら問題は無い」「北方領土は我が国固有の領土だ、日本の返還要求は不当だ」と公言し、ロシア国会でそうした決議を可決して、ロシア国民大多数もそれを支持したら産経はそれを容認するのか?
 容認しないでしょうが、ここで産経が言ってることは「俺たち日本人の意見*4中韓は認めろ」という暴論であり、上記の「ロシアのたとえ話(俺たちロシア人の意見を日本人は認めろ。シベリア抑留を非難するな。北方領土の返還要求をするな)」と何ら変わらないでしょう。
 そしてそんなことは「政教分離に反する靖国参拝」の正当化理由には全くなりません。

 死者に鞭打つような分祀論は日本にそぐわない。

1)靖国が戦犯を合祀したのは戦犯の死亡直後ではないこと
→本当に産経が言うように「戦犯を祀るのが当然」なら、合祀が戦犯の死亡直後にはされず*5、「1978年に当時の松平永芳靖国神社宮司が実行するまで」合祀されなかったということはありえないことです。
2)そもそも戦犯は刑死した場合でも戦没者ではないこと
→特に問題なのは「刑死した戦犯(東条元首相など)」「服役中に病死した戦犯(小磯元首相(無期禁固で服役中に病死)など)」はまだしも松岡元外相など「判決が出る前に病死した戦犯(無罪判決の出る可能性も一応ある)」まで合祀してることです。これは裁判自体(起訴自体)を全否定しているとしか理解できないでしょう。
3)靖国戦没者であっても原則として軍人軍属しか合祀せず(民間人は合祀せず)、また「箱館戦争土方歳三」「西南戦争西郷隆盛」など賊軍は祀ってない
と言う時点で産経の言う「分祀論はそぐわない」とはデマも甚だしい。
 「分祀はそぐわない」「死者に鞭打つべきでない」のならば今すぐ「土方歳三ら賊軍も靖国に合祀すべき」でしょう。土方らを祀らないことは「死者に鞭打ってること」ではないのか?
 結局、「靖国の観点から偉大と評価される死者」しか合祀しないわけです。しかし戦犯を「偉大」と顕彰するのは「あの戦争への無反省」でしかなく、実際、戦犯合祀以外でも公然と靖国は「太平洋戦争=アジア解放の聖戦論」を公言しています。問題はそういう意味でもはや「戦犯を合祀するか否か」ではない。


自民党、戦前の斎藤隆夫氏の「反軍演説」全文復活を検討 石破首相の思い入れ反映か - 産経ニュース
 反軍演説といっても「泥沼の日中戦争をどうやって政府や軍部は終わらせる気なのか?」と言う演説内容*6(斎藤の演説は1940年2月で、1931年9月の満州事変からカウントして約8年半、日中全面戦争に突入した1937年7月の盧溝橋事件からカウントして約2年8ヶ月)であって、
1)軍部に確実に敵視されることを覚悟で演説
2)実際敵視され、親軍部の政治家によって斎藤*7が不当にも議員を除名される*8
ということで有名な演説ですが、平和主義でないのは勿論「軍部の政治介入」を厳しく批判してるわけでもなく、現在の視点では「手放しで評価は出来ない演説」だと思います。
 この点は

反軍演説 - Wikipedia
 斎藤の政府批判の内容自体は過激なものではなく、当時の一般国民が日常的に思っていた不満程度の内容でしかなかったが、公式の場で発言されることを政府や陸軍は嫌った。

と言う指摘もあります。
 とはいえ、それでも「当時としては」斎藤演説は一定の評価に値するでしょう。
 但し、皮肉にも、斎藤が所属する民政党が彼を見捨て、一方で「親軍部政党」などが「大政翼賛会結成」の動きを強めることで彼の軍部批判は結果的にはかえって事態を悪化させますが。
 実際に石破が演説復活を実施し、この演説への注目が集まれば、石破について『その限りにおいて』一定程度評価してもいいとは思います。

参考

反軍演説 - Wikipedia参照
◆(犬養*9内閣(戦前最後の政党内閣)終了後も岡田*10内閣商工相として入閣したり、第一次近衛、平沼*11内閣内閣閣参議を務め、親軍部の立場にあった)町田忠治*12民政党総裁は斎藤(民政党所属)の登壇に反対しており、事前に斎藤を抑えようとしたが、斎藤はこれを無視した。
衆議院議長の小山松寿*13(立憲民政党出身)は斎藤の演説中に、衆議院書記官長・大木操*14に命じ、職権により、演説全体の3分の2程度、約1万字にも及ぶ、軍部批判にあたる箇所を削除させた。後に、大木は小山の判断は、「妄断」であり、「私はこの時職を賭して戦うべきであった」と語っている。
◆2月2日の反軍演説の直後から陸軍や「親軍部の立場にあった」時局同志会、社会大衆党が、斎藤の演説は「聖戦の目的を冒涜するもの」であると攻撃を始め、後に海軍もこれに加わった。
民政党幹部は、軍部や社会大衆党などによる斎藤への攻撃を見て、斎藤を「自発的に議員辞職」させて事態を収拾しようとしたが、斎藤は拒否した。
 2月7日に衆議院本会議 (秘密会) で、斎藤の除名の可否が記名投票にかけられ、除名が決まった。
 投票結果の詳細は以下の通り。
◆賛成296名
社会大衆党
 浅沼稲次郎*15河上丈太郎*16、河野密*17、三輪寿壮*18、永江一夫*19など
立憲政友会久原派*20
 星島二郎*21、松野鶴平*22西岡竹次郎*23、綾部健太郎*24、岡田忠彦*25など
立憲政友会中島派】
 中島知久平*26、望月圭介*27、前田米蔵*28、島田俊雄*29、山崎達之輔*30船田中*31、川島正次郎*32羽田武嗣郎*33岸田正記*34、宮沢裕*35、木暮武太夫*36、加藤鐐五郎*37、小笠原三九郎*38など
立憲政友会金光派】
 金光庸夫*39など
【時局同志会】
 木村武雄*40清瀬一郎*41三木武夫*42など
【第一議員倶楽部】
 内田信也*43、秋田清*44安倍寛*45、永山忠則*46、平野力三*47など
【無所属】
 田子一民*48など
◆棄権121名
社会大衆党
 水谷長三郎*49、米窪満亮*50、富吉栄二*51など
立憲政友会久原派】
 鳩山一郎*52大野伴睦*53河野一郎*54、安藤正純*55、植原悦二郎*56林譲治*57世耕弘一*58三土忠造*59、森幸太郎*60、坂田道男*61、砂田重政*62など
立憲政友会中島派】
 工藤十三雄*63など
立憲政友会金光派】
 犬養健*64など
【立憲民政党
 松永東*65、松田竹千代*66中山福*67、川崎克*68、矢野庄太郎*69、堀内良平*70、古屋慶隆*71など
【時局同志会】
 安達謙蔵*72など
【第一議員倶楽部】
 尾崎行雄*73、馬場元治*74、朴春琴*75など
【無所属】
 風見章*76、加藤勘十*77など
◆欠席23名
社会大衆党
 安部磯雄*78片山哲*79西尾末広*80
立憲政友会久原派】
 箸本太吉
立憲政友会中島派】
 高橋熊次郎*81など
立憲政友会金光派】
 太田正孝*82
【立憲民政党
 工藤鉄男*83など
【時局同志会】
 杉浦武雄
【無所属】
 田尻生五
◆反対 7名
【立憲民政党
 岡崎久次郎
【政友会久原派】
 牧野良三*84芦田均*85など
【第一議員倶楽部】
 北浦圭太郎
 多くの棄権者(121名)、欠席者(23名)が出たものの、反対者はわずか7名で、圧倒的多数の賛成票(296票)によって斎藤は衆院議員を除名された。この投票結果や経緯は、軍部の政治介入による結果だけではなく、政党自体が軍部に迎合し、議会制民主主義を破壊したという「自壊」の面があることを斎藤自身や歴史学者らが厳しく指摘している。
 その後、民政党は所属議員である斎藤を見捨てたとして、内外の信用を失い、町田総裁の求心力は落ち、後の解党(大政翼賛会への参加)への流れとなる。政友会久原派も反対した5名に離党勧告し、事実上、党内は分裂状態に陥っており、 この数か月後に生じた「近衛新党」の動きの中で、積極的な解党へと向かう。社会大衆党は、書記長麻生久により、党首の安部磯雄片山哲西尾末広ら除名に賛成しなかった8名に離党勧告を出した。安部ら8人は離党を拒否したため、党中央は3月10日に除名処分を強行、社会大衆党も分裂状態になった。
 除名から2日後の3月9日には、衆議院は本会議で「聖戦貫徹ニ関スル決議案」が超党派の議員から提出され、全会一致で可決された。3月25日には、立憲政友会中島派の中島知久平総裁、立憲政友会久原派の久原房之助*86総裁、社会大衆党の麻生久委員長、立憲民政党幹部の永井柳太郎*87などが参加して、聖戦貫徹議員連盟が結成された。親軍部の政友会中島派、時局同志会、社会大衆党麻生派)等によって、「戦争遂行のための協力体制」と称し、大政翼賛会への流れは強まった。

社会大衆党 - Wikipedia参照
 1940年、斎藤隆夫衆議院議員民政党)の反軍演説への対応をめぐって、党内対立が表面化した。3月7日の斎藤に対する懲罰動議では、党首の安部磯雄の他、西尾末広片山哲、水谷長三郎らが反対。「斎藤の除名」支持が党方針として決定した後も、除名を討議する代議士会に欠席・棄権した。これらの旧社民系(旧社会民衆党系)の議員に対し、麻生久書記長らは離党勧告を行った(しかし、離党に応じなかったために後に除名を強行)。4月27日の党中央委員会で、麻生久を委員長、三輪寿壮を書記長に選任し、親軍部の立場にあった旧日労党系(旧日本労農党系)が党内の主導権を掌握した。

 ということで事情はどうあれ、親軍部政治家が「斎藤除名を実現したこと」に注意すべきでしょう。戦前政治家の多くは斎藤レベルの軍部批判すらせず、むしろ軍に迎合していました。戦前日本は「軍部独裁」で戦争に突入したわけではない。
 政治家、財界人など多くの人間が軍部に同調、迎合したわけです。
 しかし脚注を付けましたが改めて「世襲政治家(岸田元首相、河野太郎元防衛相など:ほとんどが自民)の多さ」には絶句ですね。
 共産支持者として「こんなに自民系の世襲政治家が多いんじゃ政治が酷いのも当然だし、日本共産党が選挙で苦戦するのも仕方が無い。国民がバカすぎる」と愚痴りたくもなります。

*1:1951年生まれ。曾祖父はマツダ2代目社長の松田重次郎(1875~1952年)、祖父はマツダ3代目社長の松田恒次(1895~1970年)、父はマツダ4代目社長の松田耕平(1922~2002年)。祖父から3代続けて広島東洋カープオーナーである(松田元 - Wikipedia参照)

*2:ローソン社長、サントリー社長等を歴任

*3:但し、不平士族に暗殺された明治新政府高官・大久保利通(内務卿)は確か祀られておらず、明らかに靖国の合祀基準は恣意的で明確ではない

*4:と言っても勿論「日中戦争、太平洋戦争」や「それらの戦争を美化する靖国」に批判的な日本人だって多数いますが

*5:合祀された戦犯で一番遅く死去した小磯元首相(無期禁固で服役中に病死)の死去は1950年

*6:斎藤の危惧、懸念通り、「1945年8月の敗戦」で戦争は終わりました。

*7:1870~1949年。戦前、濱口内閣内務政務次官、第2次若槻内閣法制局長官を、戦後、吉田、片山内閣行政調査部総裁(後の行管庁長官)を歴任

*8:但し1942年総選挙では軍部や内務省などの選挙妨害をはねのけ、翼賛選挙で非推薦ながら兵庫県5区から最高点で再当選を果たし衆議院議員に返り咲いている(斎藤隆夫 - Wikipedia参照)

*9:第一次大隈内閣文相、第二次山本、加藤高明内閣逓信相等を経て首相

*10:田中、斎藤内閣海軍大臣等を経て首相

*11:検事総長大審院長、第2次山本内閣司法相、枢密院議長、首相、第2次近衛内閣内務相等を歴任。戦後終身刑判決で服役中に病死。後に靖国に合祀

*12:1863~1946年。戦前、第一次若槻、濱口、第二次若槻内閣農林相、岡田内閣商工相、立憲民政党総裁、第一次近衛、平沼、第二次近衛内閣内閣参議、翼賛政治会(後に大日本政治会)顧問、小磯内閣無任所大臣等を歴任。戦後、日本進歩党総裁に就任するが、その後、公職追放

*13:1876~1959年。立憲民政党幹事長、衆議院副議長、議長を歴任。戦後、公職追放され政界引退

*14:1891~1981年。戦前、衆議院書記官長を、戦後、東京都副知事を歴任

*15:1898~1960年。戦後、日本社会党書記長(片山委員長時代)、委員長を歴任。委員長在任中に暗殺

*16:1889~1965年。戦後、右派社会党委員長、日本社会党委員長を歴任

*17:1876~1981年。戦後、日本社会党国対委員長(鈴木委員長時代)

*18:1894~1956年。戦前、労働農民党書記長、日本労農党書記長、全国大衆党書記長、全国労農大衆党書記長、社会大衆党書記長、大日本産業報国会常任理事を、戦後、衆院議員(社会党)を歴任。岸元首相の友人で、戦犯容疑者・岸の弁護は三輪が務めた。社会党右派「三輪」のつてで、岸は社会党に入党しようとするが左派の反対で挫折(その後、鳩山一郎日本民主党に入党)。また三輪の弔辞は岸が述べた

*19:1902~1980年。戦後、芦田内閣農林相、民社党副書記長等を歴任

*20:当時政友会は久原房之助が総裁に就任した物の、それを認めない反主流派によって、久原派、中島派、金光派の三派に分裂していた

*21:1887~1980年。戦後、吉田内閣商工相、衆院議長を歴任

*22:1883~1962年。戦前、米内内閣鉄道相を、戦後、参院議長を歴任。岸内閣労働相、佐藤内閣防衛庁長官、農林相、自民党政調会長、総務会長(三木総裁時代)等を歴任した松野頼三(1917~2006年)は息子

*23:1890~1958年。戦後、長崎県知事。竹下、宇野内閣文相、自民党総務会長(海部総裁時代)、新進党幹事長(小沢党首時代)を歴任した西岡武夫(1936~2011年)は息子。国民民主党長崎県連代表の西岡秀子西岡武夫の娘)は孫

*24:1890~1972年。戦後、池田内閣運輸相、衆院議長を歴任

*25:1878~1958年。戦前、衆院議長、鈴木内閣厚生相を歴任

*26:1884~1949年。中島飛行機(現在のSUBARU)創業者。戦前、第一次近衛内閣鉄道相、立憲政友会中島派総裁を、戦後、東久邇宮内閣商工相を歴任。竹下内閣文相を務めた中島源太郎(1929~1992年)は息子。橋本内閣防衛政務次官を務め、防衛汚職での有罪判決を苦にして自殺した中島洋次郎(1959~2001年:中島源太郎の息子)は孫

*27:1867~1941年。立憲政友会幹事長(原、高橋総裁時代)、田中内閣逓信相、内務相、岡田内閣逓信相を歴任

*28:1882~1954年。戦前、犬養内閣商工相、広田、平沼内閣鉄道相、小磯内閣運輸通信相を歴任

*29:1877~1947年。戦前、広田、米内内閣農林相、小磯内閣農商相を、戦後、衆院議長を歴任

*30:1880~1948年。戦前、岡田、林、東条内閣農林相、東条内閣農商相を歴任

*31:1895~1979年。戦後、鳩山内閣防衛庁長官自民党政調会長(岸総裁時代)、副総裁(福田総裁時代)等を歴任。宮沢内閣経企庁長官を務めた船田元は孫

*32:1890~1970年。戦後、自民党幹事長(岸総裁時代)、副総裁(池田、佐藤総裁時代)等を歴任

*33:1903~1979年。羽田孜元首相(1935~2017年)は息子。野田内閣国交相を務め、新型コロナで死去した羽田雄一郎(1967~2020年:羽田元首相の息子)は孫

*34:1895~1961年。中曽根内閣総務政務次官、文部政務次官を務めた岸田文武(1926~1992年)は息子。岸田元首相(岸田文武の息子)は孫

*35:1884~1963年。宮澤喜一元首相(1919~2007年)は息子。第三次安倍内閣経産相を務めた宮澤洋一は孫

*36:1893~1967年。戦後、池田内閣運輸相

*37:1883~1970年。戦後、吉田内閣法相、衆院議長を歴任

*38:1885~1967年。戦後、幣原内閣商工相、吉田内閣農林相、通産相、蔵相を歴任

*39:1877~1955年。戦前、阿部内閣拓務相、第二次近衛内閣厚生相、立憲政友会金光派総裁、大日本産業報国会総裁、翼賛政治会政調会長大日本政治会総務会長等を歴任

*40:1902~1983年。戦後、佐藤内閣行管庁長官、田中内閣建設相を歴任

*41:1884~1967年。戦前、衆院副議長を、戦後、鳩山内閣文相、衆院議長を歴任

*42:1907~1988年。戦後、国民協同党書記長、片山内閣逓信相、国民民主党幹事長、改進党幹事長、鳩山内閣運輸相、自民党幹事長(石橋総裁時代)、岸内閣科技庁長官(経企庁長官兼務)、池田内閣科技庁長官、自民党政調会長、幹事長(池田総裁時代)、佐藤内閣通産相、外相、田中内閣副総理・環境庁長官等を経て首相

*43:1880~1971年。戦前、岡田内閣鉄道相、東条内閣農商相を、戦後、吉田内閣農林相を歴任

*44:1881~1944年。衆議院議長、阿部内閣厚生相、第2次近衛内閣拓務相を歴任

*45:1894~1946年。中曽根内閣外相、自民党幹事長(竹下総裁時代)等を務めた安倍晋太郎(1924~1991年)は息子。安倍晋三元首相(1954~2022年)、菅、岸田内閣防衛相を務めた岸信夫は孫(安倍晋太郎の息子)

*46:1897~1984年。戦後、佐藤内閣で自治相・国家公安委員長

*47:1898~1981年。戦後、片山内閣農林相

*48:1881~1963年。戦前、衆院副議長、議長を、戦後、吉田内閣農林相を歴任

*49:1897~1960年。戦後、片山、芦田内閣商工相、右派社会党政審会長、民社党国会議員団長を歴任

*50:1888~1951年。戦後、片山内閣労働相

*51:1899~1954年。戦後、芦田内閣逓信相。衆院議員(右派社会党)在職中の1954年に洞爺丸事故で死去

*52:1883~1959年。戦前、犬養、斎藤内閣文相を、戦後、日本自由党総裁、日本民主党総裁、首相、自民党総裁を歴任。鳩山由紀夫元首相、第一次安倍、福田内閣法相、麻生内閣総務相等を歴任した鳩山邦夫(1948~2016年)は孫

*53:1890~1964年。戦後、日本自由党幹事長(鳩山、吉田総裁時代)、衆院議長、自由党総務会長、自民党副総裁(岸、池田総裁時代)等を歴任

*54:1898~1965年。自由党幹事長(鳩山総裁時代)、鳩山内閣農林相、岸内閣経企庁長官、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣農林相、建設相等を歴任。自民党総裁を務めた河野洋平は息子。第四次安倍内閣外相、防衛相等を務めた河野太郎河野洋平の息子)は孫

*55:1876~1955年。戦後、鳩山内閣で文相

*56:1877~1962年。戦後、吉田内閣で内務相

*57:1889~1960年。戦後、吉田内閣厚生相、衆院議長等を歴任

*58:1893~1965年。戦後、岸内閣経企庁長官。鈴木内閣自治相・国家公安委員長を務めた世耕政隆(1923~1998年)は息子。第四次安倍内閣経産相等を務めた世耕弘成は孫

*59:1871~1948年。戦前、田中内閣文相、蔵相、犬養内閣鉄道相、斎藤内閣逓信相等を歴任

*60:1889~1964年。戦後、吉田内閣農林相

*61:1887~1973年。戦後、熊本県八代市長。三木内閣防衛庁長官、鈴木内閣法相等を歴任した坂田道太(1916~2004年)は息子

*62:1884~1957年。戦後、鳩山内閣防衛庁長官自民党総務会長(石橋、岸総裁時代)を歴任

*63:1880~1950年。戦前、平沼内閣で鉄道政務次官

*64:1896~1960年。戦後、吉田内閣法相。犬養毅元首相は父

*65:1887~1968年。戦後、衆院議長、岸内閣文相を歴任

*66:1888~1980年。戦後、鳩山内閣郵政相、岸内閣文相、衆院議長を歴任

*67:1887~1978年。海部内閣外相を務めた中山太郎1924年~2023年)、小渕、森内閣建設相等を務めた中山正暉は息子。第三次安倍内閣外務副大臣菅内閣防衛副大臣等を務めた中山泰秀中山正暉の息子)は孫

*68:1880~1949年。鳩山内閣厚生相を務めた川崎秀二(1911~1978年)は息子。小泉内閣厚労相を務めた川崎二郎川崎秀二の息子)は孫

*69:1886~1949年。戦後、民主党政調会長、片山内閣蔵相を歴任

*70:1870~1944年。富士急行の創業者。橋本内閣通産相自民党総務会長(小泉総裁時代)等を務めた堀内光雄は孫

*71:1879~1945年。中曽根内閣自治相・国家公安委員長を務めた古屋亨(1909~1991年)は息子。第二次安倍内閣国家公安委員長自民党選対委員長(第二次安倍総裁時代)等を務めた古屋圭司は孫

*72:1864~1948年。加藤高明、第一次若槻内閣逓信相、濱口、第二次若槻内閣内務相、国民同盟党首等を歴任

*73:1858~1954年。第一次大隈内閣文相、第二次大隈内閣司法相を歴任

*74:1902~1968年。戦後、鳩山内閣建設相

*75:1891~1973年。戦前日本で唯一の朝鮮人衆院議員(当時の東京府4区(本所区深川区:現在の墨田区江東区の一部)選出)。戦後は在日本大韓民国民団(民団)中央本部顧問

*76:1886~1961年。戦前、第1次近衛内閣書記官長、第2次近衛内閣司法相を歴任

*77:1892~1978年。戦後、芦田内閣労働相

*78:1865~1949年。戦前、社会民衆党党首、社会大衆党執行委員長を、戦後、日本社会党顧問を歴任

*79:1887~1978年。戦前、社会民衆党書記長、社会大衆党執行委員を、戦後、日本社会党委員長、首相、民社党常任顧問を歴任

*80:1891~1981年。戦後、社会党書記長(片山委員長時代)、片山内閣官房長官、芦田内閣副総理、民社党委員長を歴任

*81:1880~1957年。戦後、山形県上山市

*82:1886~1982年。戦後、鳩山内閣自治庁長官

*83:1875~1953年。戦後、吉田内閣行管庁長官

*84:1885~1961年。戦後、鳩山内閣法相

*85:1887~1959年。戦後、幣原内閣厚生相、自由党政調会長(吉田総裁時代)、民主党総裁、片山内閣副総理・外相、首相等を歴任

*86:1869~1965年。戦前、田中内閣逓信相、立憲政友会久原派総裁等を歴任

*87:1881~1944年。斎藤内閣拓務相、第一次近衛、阿部内閣逓信相等を歴任。京都大学助教授、三木内閣文相等を歴任した永井道雄(1923~2000年)は息子