〈動画〉志位さんで2題 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba
一つは斎藤幸平さん*1との対談、もう一つは自民維新合意と反動ブロックのこと。
まず前者。この対談実現のための小池晃氏と斎藤氏のランチ会が2年前。時間がかかったとはいえ歓迎する*2。除名反対で声を上げた斎藤氏と対談できるなら、他に声を上げた人とも仲良くしてほしい。
そもそも「松竹と対談したことで共産側が斎藤を敵視していた」「松竹と対談した人間(松竹の表現だと声を上げた人:松竹が具体的な人名を出さないので、具体的に誰を意味するのかは不明ですが、例えば松竹本『シン・日本共産党宣言』(2023年、文春新書)、『不破哲三氏への手紙』(2023年、宝島社新書)、『私は共産党員だ! シン・日本共産党宣言II』(2024年、文春新書)の宣伝帯を書いた内田樹*3(神戸女学院大学名誉教授)?)は斎藤に限らず、共産は敵視している」という事実がないでしょうに。
内心「松竹との対談」を不愉快に思っていたかもしれませんが、公然と「斎藤氏」等「松竹と対談した人物」を非難したり、悪口したりした事実はないのでは?(内心どう思ってようとそれを外部に出さない限り『敵視した』とは言えないでしょう)。
なお、「敵視しない=対談する」ではない(「対談してもメリットがない(学者、ジャーナリスト等として大した人間ではない)」と思えば当然対談しない)し、共産側が対談を申し込んでも相手側には「対談拒否」の権利があり、拒否されることは当然あり得ます。斎藤氏は拒否しなかったわけですが。
それにしてもおそらく対談で斎藤氏は「除名撤回」など要求しなかったろうし、むしろ松竹は「斎藤は私の除名について共産党執行部を批判していたのではなかったのか?。なぜ斎藤は「執行部の一員」である志位議長(前委員長)と対談した」「せめて対談するなら、対談時に志位氏に除名撤回を要求しろ」と斎藤氏に抗議すべきじゃないんですかね?
次に後者。志位氏によると、自民維新合意で「反動ブロックの姿が見えてきた」そうだ。さすが「資本論」の権威で、社会主義・共産主義の未来まで見通せる人らしい洞察だが、先は見えるが足元が見えないでは、国民と共に戦うことは難しいだろう。
いや実際、志位氏が言うように「維新が反動ブロックの側である」という姿は見えてきたでしょうに。洞察などという大層な話ではない。
松竹は「維新が自民と野合しようとも、維新は、共産にとって同じ野党仲間だ」とでも言う気なのか?
「足元が見えない」とはどういう意味なのか?。「志位氏や共産に対する悪口である」と言うこと以外には松竹が何が言いたいのかさっぱり分かりません。
それにしてもさすが「資本論」の権威云々の部分は明らかな「志位氏へのげすな当てこすり」であり「松竹の下劣さ」には心底呆れます。「同じ反党分子」とはいえ、紙屋もよくもまあこんな「人格低劣なクズ(松竹)」と交遊できるもんです。
そして「国民と共に戦うことは難しい」などと偉そうなことを抜かす松竹の方が「共産以上に社会に相手にされてない」「極めて少数のシンパにしか相手にされてない」のだからお話になりません。この記事についたコメントも「パトラとソクラ」なる「松竹シンパの常連コメンター」の1件だけです。松竹が「パトラとソクラ」等「極めて少数のシンパ」以外からは全く相手にされてないことが良くわかります。
それにしても「パトラとソクラ」がよほど斎藤、志位対談が悔しかったのか「どうせ、対談相手の志位を持ち上げるようなことしか斎藤は言ってないだろう。そんな対談にどれほどの価値があるのか?(俺の要約)」とけなしてるのには吹き出しました。
斎藤氏が松竹と対談したときには、「パトラとソクラ」ら「松竹シンパ」は斎藤氏を持ち上げていたのに、志位氏と対談したらこれです(苦笑)。
こんな斎藤非難コメント(「パトラとソクラ」)を平気で掲載してる(しかも松竹から「そのような主張は斎藤氏に対して不当な非難だ」等の反論は何もない)のだから、松竹の歓迎するとは明らかに嘘でしょう。
勿論「俺の松竹非難コメント」は平然と掲載拒否してるのだから、松竹が「斎藤擁護(?)」のために「パトラとソクラ」の斎藤非難コメントを掲載拒否してもおかしくないのですが、松竹は「そうはしなかった」わけです。
まあ、俺がここに書いたようなことは斎藤氏も理解してるでしょうし、今後は「無礼な松竹と松竹シンパ」には距離を置くのではないか。
そして松竹とシンパが「斎藤が裏切った」「志位の側に寝返った」「そもそも斎藤なんて大した学者じゃなかった。奴が志位に寝返ろうと痛くもかゆくもない」と言って斎藤氏に悪口した上で、「斎藤なんか俺たちにとってどうでもいい存在」として虚勢を張るであろうことも今から「2万%」予想が付きます。
〈動画〉首班指名協議から見えた各党の本質 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba
「自分さえ良ければいいという自民と維新の党利党略が醜悪」「最大野党としての政治力を発揮できない立民の力不足が歯がゆい」「立民、維新、国民民主の連立画策から距離を置かれた共産、社民の無力*4が歯がゆい」(以上は俺の松竹記事要約)等という他人事発言(各党への悪口)しかしない、出来ない哀れな松竹です。
「そんな評論家的、傍観者的なことを言ってないで、お前自身は、類友(紙屋など)と共に、政治活動家として、政治の現状を動かすために何をどうするつもりなのか言えよ。何も出来ることがないなら黙ってろよ」と心底呆れます。
除名直後は話題になってもすぐに忘れ去られるのも当然と思える駄記事です。
こんなことを抜かす松竹や「松竹の類友(神谷など)」は世間に全く注目されず、奴らが悪口する「各党(自民、公明、立民、国民民主、維新、共産、社民など)」の方が社会的注目度も、影響力もあるのだから滑稽です。
むしろ明らかになってるのは「政治活動家として無能」「非常に少数の松竹、紙屋ファン以外には全く相手にされてない」という松竹や神谷の「本質」でしょう。
早く党に戻り、昔の活力に満ちた共産党を再生させたい。
今や「除名無効裁判で勝って、早く党に戻りたい。戻って党を立て直したい(松竹)」と言わざるを得ないほど「世間に相手にされてないこと」を事実上認めてる松竹です。
「裁判に勝って、党に戻れるまでは、ブログに記事を書く以外は何もしないのかよ?」「というかそもそも裁判に勝てる保証ないやろ。負けたらどうする気なの?」と聞きたくなります。
それにしても「昔の共産は良かった。それに比べて今の執行部はダメだ(松竹)」ね?。
昔が「宮本書記長、委員長時代(1958~1982年)」か「不破委員長時代(1982~2000年:但し、志位氏(現在、議長)が1990年から書記局長に就任)」か何時の時代*5かはっきり書かずに、曖昧にごまかしてるのが松竹らしい「下劣さ」ですが、それに共感するのは「昔の共産を知ってる人間(党員、後援会員、サポーター及び党外のソフト支持者?)の一部だけ」でしょう。
共産支持者の多くは「昔も今もそこまで変わらないやろ?。松竹が現執行部をネグるために昔を美化してるだけやろ?。どれほどの人間がこんな主張を支持することやら。松竹は本当にクズやな」でしょうし、共産不支持者の多くは「昔の共産なんか興味はないが、松竹の主張『昔の共産は良かった』には何がどう良かったのか、何の具体性もない。松竹が現執行部をネグるために昔を美化してるだけやろ?。どれほどの人間がこんな主張を支持することやら。松竹は本当にクズやな」でしょう。
そもそも「日本共産党の方針(日米安保条約廃止、中央委員互選による党首選出(いわゆる党首公選制ではない)など)の多く」は宮本書記長、委員長時代から継承されてるものだし、党幹部のうち志位議長など「ベテラン幹部」の多くは「宮本時代(昔の共産党時代)から重用されてる人間」なので、「日米安保条約容認、党首公選制」を主張する「自称・改革派」松竹が「昔の共産党は良かった」というのは変な話です。
*1:東大准教授。著書『人新世の「資本論」』(2020年、集英社新書)、『大洪水の前に:マルクスと惑星の物質代謝』(2022年、角川ソフィア文庫)、『ゼロからの「資本論」』(2023年、NHK出版新書)等
*2:実際は『松竹さんとの信頼関係がある。共産が除名撤回するか、除名撤回しなくても、松竹さんが対談してもいいと言うかしない限り、対談できない(勿論松竹は許可しない)(斎藤氏)』として共産の対談要請がぽしゃることを松竹は期待していたのでしょうし、その上での「志位氏は斎藤氏と対談したらどうか(過去の松竹発言)」だったのでしょうが、松竹の思惑に反し、除名が撤回されてない状況で、松竹の了解無しで斎藤氏が対談してしまったため、内心は斎藤氏にマジギレしてる(だから「パトラとソクラ」の斎藤非難コメントを平気で掲載してる)が、表向きは「寛大な松竹」を演じ、「パトラとソクラ」の斎藤非難コメントを問いただされたら「原則としてコメントは全て掲載したい」と言い出すのでしょう(俺の松竹批判コメントは平然と掲載拒否してるくせに)。
*3:専門はフランス哲学。専門分野の著書に『寝ながら学べる構造主義』(2002年、文春新書)、『映画の構造分析:ハリウッド映画で学べる現代思想』、『ラカンによるレヴィナス』、『レヴィナスと愛の現象学』(以上、2011年、文春文庫)、『レヴィナスの時間論』(2022年、新教出版社)等。専門外の著書に『街場のメディア論』(2010年、光文社新書)、『街場のアメリカ論』(2010年、文春文庫)、『街場の大学論』(2014年、角川文庫)、『街場のマンガ論』(2014年、小学館文庫)、『武道的思考』(2019年、ちくま文庫)、『街場の天皇論』(2020年、文春文庫)、『街場の米中論』(2023年、東洋経済新報社)、『松竹さんを共産党に戻してください:除名撤回裁判を応援します』(共著、2025年、あけび書房)等
*4:とはいえ、立民が「自民補完勢力」維新や国民民主と手を組むというなら「勝手にすればいい」という批判的な立場が「共産、社民の立場」でしょうし、両党に悪口する松竹と違い「それで何が悪いのか」と俺は思います(国民民主はともかく維新については維新の方から立民との関係を断ち切って自民との野合路線にシフトしましたが)。なお、両党(社民、共産)に対して「無力」と悪口する松竹ですが、両党以上に「無力で世間に相手にされてない」のが紙屋や松竹なので全く滑稽です。
*5:志位委員長時代(2000~2024年)でないことだけは確かでしょうが。但し、2000年に委員長を、2006年に議長を退任した物の、不破氏は2024年まで党常任幹部会委員を務めていたので「不破委員長時代(1982~2000年)」を評価しながら「志位委員長時代(2000~2024年)を否定」することは理屈として変です。