サントリー学芸賞に近藤絢子・東京大教授ら8人 優れた研究、評論を表彰 - 産経ニュース
「共産支持」の俺的にはタイトルは「サントリー学芸賞に『米原昶*1の革命』の松永智子・東京経済大准教授ら8人 優れた研究、評論を表彰」としたいところですがそれはさておき。
「共産支持者」を自称する人間としてはやはり簡単にでも、「共産幹部だった政治家」米原昶の評伝『米原昶の革命』について、サントリー学芸賞受賞を契機に自ブログで触れておくべきでしょう(共産支持を自称しながら、恥ずかしいことに、今回の受賞記事を読むまでこの本の存在に気づいていませんでしたが)。ということで簡単に触れます。
【社会・風俗部門】
・東京経済大准教授の松永智子「米原昶の革命:不実な政治か*2貞淑なメディアか*3」(2025年、創元社)
野呂栄太郎賞 - Wikipedia(日本共産党が運営)と違い「左翼的な賞」とはいえないであろうサントリー学芸賞での受賞が興味深い。
まあ、サントリー文化財団(学芸賞の運営団体)とサントリーは別団体とは言え、サントリーは以下のような企業ですしね。
「桜を見る会」夕食会にサントリーが3年間、酒を無償提供 識者「違法な寄付の可能性」:東京新聞デジタル2022.5.28
安倍晋三元首相の後援会が「桜を見る会」前日に主催した夕食会で、サントリーホールディングスが2017〜2019年、計400本近い酒類を無償で提供していたことが分かった。政治資金規正法は企業の政治家個人への寄付を禁じており、「違法な企業献金に当たる可能性がある」との指摘が出ている。
また
米原昶 - Wikipedia参照
◆日本共産党幹部(元幹部会委員)の一人。1967年の都知事選では共産は候補擁立を取りやめ、社会党の美濃部候補(後に当選し、都知事)に一本化したが、当初は共産の都知事選候補は米原。
◆1)エッセイスト米原万里*4の父、あるいは
2)作家・井上ひさし*5の義父*6、あるいは
3)鳥取の地方紙「日本海新聞」の初代社長・米原章三*7の息子
として一部で有名
とは言え、「日本共産党のレジェンド・宮本顕治氏(1908~2007年。委員長、議長、名誉議長等を歴任)、不破哲三氏(1930年生まれ。委員長、議長を経て現在、名誉役員)」等に比べると、失礼ながら、「米原万里ファン」など一部を除き、世間的な知名度が劣り、「共産不支持層(他党支持層)」は勿論「共産支持層」でも
1)党外のソフトな支持者
2)コアな支持者(党員、後援会員、サポーター)でも「米原昶(1909~1982年)死去後に生まれた10~40代」あるいは「米原生前にはまだ幼かった40~50代(1982年の死去時には保育園~小学校3年生(3~8歳:1974~1979年生まれ))」ではどれほど知ってるか怪しい米原を取り上げた点が興味深い。
とはいえ、「一般の若手、中堅党員」ならともかく、米原死後(1982年5月死去)に生まれた「吉良佳子氏(1982年9月生まれ、参院議員、党常任幹部会委員)」「山添拓氏(1984年生まれ、参院議員、党政策委員長(党常任幹部会員兼務))」には「リアルタイムでの米原の記憶はない」のは勿論、米原生前に生まれてたがまだ幼かった「辰巳幸太郎氏(1976年生まれ(米原死亡時は6歳(小学1年生)、衆院議員、党中央委員))」もさすがに「リアルタイムでの米原の記憶はない(6歳でそんな記憶があったらむしろスゴイ)」とはいえ、共産の若手、中堅幹部として「米原の名前ぐらいは知ってる」とは思いますが。いや、「委員長、議長と言った宮本氏、不破氏レベルでないと、米原のような幹部会委員経験者でも、昔の幹部のことは今の若手、中堅党員は、山添氏のような幹部クラスでも意外と知らない」のかな?。
あと「何で政治部門じゃないの?。米原は政治家じゃん」感が。
過去の受賞作(社会・風俗部門)も
サントリー学芸賞 - Wikipedia参照
【2002年】
・切通理作*8『宮崎駿の〈世界〉』(2001年、ちくま新書→2008年、ちくま文庫)
【2004年】
・黒岩比佐子*9『「食道楽」の人:村井弦斎』(2004年、岩波書店)
【2020年】
・志村真幸『南方熊楠*10のロンドン:国際学術雑誌と近代科学の進歩』(2020年、慶應義塾大学出版会)
等であって、政治家を取り上げた著書は恐らく今回の米原が初めてですし。
まあ読めばその辺りは分かるのかもしれませんが。
「赤旗、前衛といった党機関紙、機関誌」「志位議長、田村委員長、小池書記局長、山添政策委員長などの党関係者」は、あるいは逆に「反党分子一味(松竹や紙屋など)」は果たしてこの受賞を大きく取り上げるのかどうか。まあ、松永本の内容(米原や共産党に好意的な描き方かどうか等)や「共産党関係者や反党分子における米原評価(彼らが米原を現在高く評価してるかどうか)」等にも寄るのでしょうが(2025年11月13日追記:俺の見落としでなければ、今のところ、共産党関係者や反党分子においてX等での言及はあまりないようです)。
松永本の内容が「米原や党に好意的な描き方かどうか」はともかく、これを契機に「米原の名前が少しでも世間に知られればいい」と思います。
なお、松永氏(メディア史)の他の業績は
専任教員教育研究データベース - 松永 智子 | 東京経済大学
【学会発表】
2017/03/26:『メディア史における雑誌研究の成果と課題』 (日本コミュニケーション学会関東支部2016年度定例研究会)
2011/06:『戦時期ジャパン・タイムスの多元的言説空間:浅間丸事件(1940年)をめぐる報道分析から』(日本マス・コミュニケーション学会春季大会/早稲田大学)
【講師・講演】
2013/03:『1940-50年代在米日系人社会におけるNippon Times受容』
等であり、共産党研究どころか、政治研究ですらありません。米原の取り上げ方も是非はともかく「政治研究」とは異なる「メディア研究者」的なアプローチではあるのでしょう。
松永本も創元社の『近代日本メディア議員列伝』シリーズ(全15巻)の1冊(第12巻:米原が一時、赤旗編集局長を務めたからか?。ただそれだと上田耕一郎氏(一時『赤旗』編集長)などもメディア議員になりますが、このシリーズでは取り上げられてない)であり、政治家研究と言うよりは「メディア研究」と言う要素が強そうです。
『近代日本メディア議員列伝』シリーズ(全15巻)は「誰それ?」という俺が知らない人間(多くは世間的にも多分無名。氏名を上げるのは省略します。まあ、あえて「知名度は低いが重要と評価した議員」を取り上げたのでしょうが)が多いですが、知ってる人間だと
【政治家の経歴はウィキペディア参照。松永氏以外の著者も、政治学者と言うよりは、松永氏同様にメディア学者のようです】
◆中野正剛(第5巻。著者は白戸健一郎*11筑波大学准教授)
朝日新聞出身。政敵であった東條*12首相に自殺を強要されたとの説がある中野正剛事件 - Wikipediaで知られる。
◆橋本登美三郎(第11巻。著者は松尾理也*13大阪芸術大学短期大学部教授)
1901~1990年。朝日新聞出身。池田内閣建設相、佐藤内閣官房長官、建設相、運輸相、自民党総務会長(佐藤総裁時代)、幹事長(田中総裁時代)等を歴任。1976年にロッキード事件(佐藤内閣運輸相時代に全日空から収賄)で逮捕起訴されたことで自民を離党。1980年選挙で落選するまで、政治家は続けた物の、政治生命を失うことになる。
◆上田哲(第14巻。著者は長﨑励朗*14桃山学院大学准教授)
1928~2008年。NHK出身。社会党衆院議員
がいますね。
「『近代日本メディア議員列伝』シリーズ(全15巻)は、朝日出身の橋本登美三郎は取り上げても緒方竹虎*15や石井光次郎*16(いずれも橋本と同じ朝日新聞出身。橋本同様、保守政党(自民や自民の前身政党である自由党)の幹部議員)や戦前、東洋経済新報主幹だった石橋湛山*17は取り上げないんだ?。既に緒方や石井、石橋を取り上げた本が多いのに対して橋本を取り上げた本は少ないから?」とか色々思いますが。
それはともかく、松永氏が今後も「米原研究」を続けるのか、あるいは「米原研究」が「米原の周囲を中心とした日本共産党研究」「米原万里など米原の親族研究」などにつながるのかも気になるところです(勿論そうした研究を続けない可能性もありますが)。
なお、無知な小生が知らなかっただけで、松永本については以下の書評(朝日、読売、毎日新聞)が既にありますね。特にコメントはしません。
今週の本棚:永江朗・評 『米原昶の革命 不実な政治か貞淑なメディアか』=松永智子・著 | 毎日新聞(2025.5.10)から一部引用
副題はロシア語通訳でエッセイストだった米原万里(よねはら・まり)の『不実な美女か貞淑な醜女か』(新潮文庫)に由来する。米原昶(よねはら・いたる)は米原万里の父親。
『赤旗』の編集局長や理論誌『前衛』の編集長をつとめた。
米原昶は1909年、鳥取県智頭(ちず)村(現:智頭町)で生まれた。父親の米原章三は実業家で、のちに「日本海新聞」を創刊したり、ラジオ山陰(現:山陰放送)や日本海テレビを開設したりする。昶が中学生のとき、父は県会議員になり、叔父は衆議院議員になる。昶が地下生活中に父は貴族院議員になる。もちろん父も叔父も保守派。
(以下は有料記事です)
『米原昶(いたる)の革命 不実な政治か貞淑なメディアか』松永智子著 : 読売新聞(2025.5.12)から一部引用
戦後の日本で『赤旗』の記者、さらに日本共産党の国会議員として活躍した米原昶(よねはら・いたる)。現在では、ともに文筆家である米原万里・ユリ*18姉妹のエッセイに登場するおなじみの父親と紹介した方が、通りがいいかもしれない。
実家は鳥取県の名家であり、昶の父、章三は林業から交通業*19、百貨店*20などへと手を広げた大実業家。その息子が、昭和初期に共産主義の運動に身を投じて旧制高校を中退し、左翼活動家となる。
昶は、育ちがよかったがゆえに貧しい人々の境遇に胸を痛め、みずからを犠牲にすることをいとわなかった。共産党の政治家らしくない穏やかな人物と評されたのも、名家で培われた気品のゆえだろう。
本紙の読書委員会で、亡き万里さんとは二十年前にご一緒した。もし生前にこの本を読まれたら、ちょっと照れくさそうに「もっといい写真があるはず!」とか毒づきながら、(ボーガス注:父親の評伝が書かれたことについて)全身から喜びを発しておられただろうと思う。
「米原昶の革命」書評 非転向で自主独立を貫いた生涯|好書好日(2025.6.7)から一部引用
米原昶。資産家の御曹司である。父親の章三は貴族院議員を務めたほか、林業、金融、運送*21、百貨店*22、新聞社*23などの経営も手がけた実業家で、地元・鳥取では政財界の重鎮として知られた。
だが、昶は生まれながらに用意された上流階級への道を放棄した。彼に革命の志を促したのは大正デモクラシーのうねりである。
長女が、作家として活躍した米原万里。どこかで見覚えのある本書の副題「不実な政治か貞淑なメディアか」は、万里の著作『不実な美女か貞淑な醜女か』からの援用だ。
本書が〝読ませる〟のは、著者の徹底した取材によって上質の人物ノンフィクションに仕上がっているからだろう。
【参考】
第47回 サントリー学芸賞 選評 | ニュースリリース | サントリーホールディングスから一部引用
松永智子(東京経済大学コミュニケーション学部准教授)
『米原昶(よねはら・いたる)の革命:不実な政治か貞淑なメディアか』(創元社)
評者:玄田有史*24(東京大学教授)
屈指の伝統校である鳥取西高校には、生徒に長年歌い継がれている応援歌「祝勝の歌」がある。
「熱と力の高潮に/行手さえぎる猛者なく/月桂冠はかくかくと」から始まる作詞者不明とされてきたその歌が、(ボーガス注:鳥取西高校の前身である旧制・鳥取中学のOBで)革命に生涯を捧げた郷土の政治家であり、(ボーガス注:赤旗編集局長という)“メディア人間”でもあった人物(ボーガス注:米原昶)の手によるものであることを、多くの人々は本書によって初めて知るだろう。
無知なので俺はその歌を今回初めて知りました。
図書出版 創元社
🏅受賞のお知らせ🏅
松永智子著『米原昶の革命:不実な政治か貞淑なメディアか』が第47回サントリー学芸賞を受賞しました。
シープシープの本
『米原昶(よねはら・いたる)の革命:不実な政治か貞淑なメディアか』(創元社)がサントリー学芸賞を受賞!。
鳥取出身の政治家にして文筆家、米原万里の父としても知られる米原昶。鳥取の皆さん、必読ですよ!
だいち178
松永智子『米原昶の革命:不実な政治か貞淑なメディアか』が面白そう。米原昶については米原万里の父で、共産党の国会議員だったということしか知らないので必ず読む。副題は米原万里『不実な美女か貞淑な醜女か』から取ってるよね。
河村書店
『米原昶の革命:不実な政治か貞淑なメディアか』。『赤旗』編集局長など要職を歴任した党幹部・米原昶とは何者だったのか。文筆家・米原万里の父にして、「家事する議員」として現代を先取りもしたブルジョア出身*25革命家の素顔に迫る。
小林尚矢
松永智子さんの『米原昶の革命:不実な政治か貞淑なメディアか』がサントリー学芸賞! 米原万里ファンとして発売されるや否や購読し、とても感銘を受けたので、地元の図書館にも購入リクエストしたほどでした。広く読まれてほしいです。おめでとうございます!
「紙」と深い関係を持った政治家の革命 手渡す営みが映す別の新聞史:朝日新聞松永智子(2025.11.12)
※第47回サントリー学芸賞を受賞した、近現代メディア研究者の松永智子さんに寄稿してもらいました。
この春出版した評伝「米原昶(よねはら・いたる)の革命」では、共産主義運動に傾倒した青年のメディア活動を、紙の「物質性」の面から考察した。
ロシア語通訳者・米原万里の父としても知られる米原昶(1909~82)は、生涯にわたり紙と深い関係を持った政治家である。鳥取の山林地主という資産家の出自ながら「思想的に問題のある」ビラの頒布を理由に旧制第一高校を除籍され、約15年間の地下生活を経て、戦後、合法化された日本共産党の幹部として活躍する。機関紙「赤旗」記者から衆院議員となり、編集局長も経験した米原の華々しい党員キャリアの出発点は、「赤旗」の配送係だった。
"真昼の星空"が見たい-『米原昶の革命』執筆譚1|Tomoko Matsunaga(2025.2.23)から一部引用
米原昶は、明治末に鳥取の山林地主・米原章三の次男として生まれた。思春期に大正デモクラシーの洗礼を受け、昭和初期の東京で社会主義に傾倒していく。第一高等学校を除籍され、約十五年の地下生活を送った。敗戦後に日本共産党に入党。『赤旗』記者から衆議院議員へと一躍「出世」し、共産党幹部として生涯を「革命」に捧げた。ソ連や中国に依存しない「自主独立」派の党員として、1959年から1964年までプラハに駐在。この地でソビエト大使館の付属校に通い、ロシア語の素養を身につけたのが長女の万里と次女のユリだ。そこまでのエピソードは、米原万里ファンには周知のことだろう。
本書『米原昶の革命:不実な政治か貞淑なメディアか』あとがきで触れたように、私は、愛読していた米原万里の引力で、この父に関心を持った。なんと魅力的な「おとうちゃん」! 。この人について知りたい、と。
"真夜中の太陽"を探して−『米原昶の革命』執筆譚2|Tomoko Matsunaga(2025.3.12)から一部引用
妻の米原美智子(1923-2003)は、日本婦人団体連合会の国際部長として超多忙な日々を送っていた(拙著『米原昶の革命:不実な政治か貞淑なメディアか』4章「さらば歌わん諸共に:米原昶のジャーナリズムと大山二郎のインテリジェンス」)。
そんな妻を、昶は尊重していた。戦前、約15年の地下活動時代に鍛えた生活スキルで、原則、自分のことは自分でやる。当時には珍しい家事する「おとうさん」だった。日本共産党幹部の昶本人も、分刻みの過密スケジュールを生きる仕事人でありながらの話である。すごい。女性に支持が広がるのも当然だろう。上っ面のリベラルなスローガンより、余程信頼できる。
臥龍の石に聴く−『米原昶の革命』執筆譚3|Tomoko Matsunaga(2025.4.8)から一部引用
評伝執筆のはじまりは、墓参りから。
社会学者の加藤秀俊*26先生(2023年没)もまた、執筆のための「取材」では、墓参りを慣わしにされていた。秋田への調査(2010年)にご一緒させていただいた時のことだ。人見蕉雨に、菅江真澄。どちらも18世紀から19世紀に活躍した物書きだが、先生はまるで兄弟子でも弔うような親しみを込めて墓前に手を合わせ、何やら対話されていた(ように、私には見えた)。墓参りは、これから書かせてもらう「主人公」への挨拶と執筆成就祈願の儀式であり、故人とその土地との結びつきを知る、資料収集の第一歩なのだろう。
『回想の米原昶』(1982年)年譜に「遺骨は、両親の眠る生地・鳥取県智頭町の浄土真宗・光専寺に納められた」(143頁)とあるのを頼りに、2022年の盛夏、私は単身智頭へと飛んだ。
智頭訪問から約二ヶ月後。
米原昶が、細井和喜蔵以来、革新的な運動に身を投じた人々を弔う"無名戦士の墓*27"(1935年建立)にも合葬されていることを知る。墓参りはまだ、終わっていなかった。
花見がてら青山霊園に参じる機会を得た。2023年3月のことである。
2024年11月、今度は本家のご親族との光専寺墓参りも叶ったが、本編の調べ物と執筆に追われるなかで、墓についてそれ以上深く振り返ることもなかった。ところが、である。
どうにかこうにか脱稿し、ゲラが出て、事実関係を確認する作業に入ったときのこと。ユリさんに指摘された。
「肝心なことを、伝えていませんでした。光専寺は、米原家(本家)のお墓。父の墓は、智頭ではなく鎌倉にあります」。
最初に済ませていたはずの儀式が、空振り行為だったと自覚したときの衝撃は小さくなかった。狐につままれた訳ではない。己の資料批判の甘さゆえである。先に引用した回想録『回想の米原昶』(1982年)と、日本共産党鳥取県委員会による没後20年を記念する墓参りの記録(2002年)から、昶もまた(ボーガス注:両親と同じ)光専寺に眠るものととりあえず決めてかかっていた。
改めて、ユリさんに伺った経緯はこうである。米原昶の墓について、妻の美智子はまず、東京・大田区の自宅近所の付き合いのあったお寺に探した。智頭はやはり遠すぎる。故郷には分骨とし、妻子の生活圏に良い場所を求めた。しかし、近所には空きがない。仕方なし。仮住まいのつもりで、町田の霊園に埋葬することになった。そこは「武蔵野の丘陵地帯の緑に囲まれた、いい墓地」なのだが、交通が不便で、家族ですらも足が遠のいてしまう。親類や友人にお参りいただきづらいのは忍びないと、2003年に母の美智子が亡くなったとき、万里、ユリ姉妹は相談して、二人の住む鎌倉で墓地を探すことにした。そこに、ユリさんのお連れ合いで、作家の故・井上ひさし氏も乗った。
「いいところがあったらうちも買おうよ」。
検討を重ね、ご縁のあった扇ヶ谷の浄光明寺に、米原家と井上家、隣同士に並んだ墓石が建立された。すでに弔いも済んでいる昶と美智子は、この浄光明寺にお引越しと相なった。
智頭の光専寺さんに電話で照会すると、確かに「昶さんは、こちらには入っておられません」と仰る。
「以前お訪ねになったとき、はっきりそのように申し上げればよかったですが」。
住職は恐縮されたが、檀家さんの個人情報を勝手に開示するのは躊躇われるだろうし、米原昶を調べようという人間が、本家の墓を参ること自体は何ら不思議ではない。聞かれもしないことをわざわざ伝えることもないだろう。ともあれ、ゲラで誤りを修正できてよかった。
冷や汗が出た。2024年が暮れようとしていた。
第53回『共産党幹部の素顔』(岩垂弘*28)から一部引用
幹部会員の米原昶氏は物静かな巨漢。おうようとした身のこなしは育ちのよさをうかがわせた。聞くところによると、鳥取県の大地主の御曹司とのことだった。旧制一高在学中に学生運動を理由に退学処分となる。戦後、共産党の中央委員、書記局員となり、一九五九年から一九六一年まで、チェコスロバキアの首都プラハに派遣される。そこで、国際的な共産主義運動の雑誌『平和と社会主義の諸問題』の編集にあたった。(ボーガス注:2001年に)『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞するなど大活躍中*29の作家、エッセイストの米原万里さんは、長女である。
米原昶の革命 | 弁護士会の読書2025.6.25
米原昶(よねはら・いたる)という共産党の代議士がいました。(ボーガス注:共産党内はともかく、おそらく一般では)今ではすっかり忘れられていますが、その娘の米原万里(よねはら・まり)のほうは、(ボーガス注:万里が2006年に死去してからも)かなり知られているのではないでしょうか。私の書棚にも、(ボーガス注:彼女の著書が)5冊以上並んでいます。『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』はひどく胸の打たれる本でした。
さて、父親です。この本によると、1973年9月の衆議院本会議で、田中角栄*30首相に対してKCIA*31と国際勝共連合(文鮮明の統一協会の別働隊)を追及したというのです。この質疑を(ボーガス注:統一協会と親密な関係にあった)安倍晋三が(ボーガス注:統一協会被害者の山上徹也に)銃撃されて死亡したあと、2023年8月16日に「ポリタスTV」で紹介されたところ、たちまち「時の人」になったということです。
米原は1982年5月、73歳で亡くなった。難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)だった。
(ボーガス注:日ノ丸自動車や日本海新聞、日本海テレビ等を創設したことで知られる実業家で)米原の父・米原章三は、「世のため人のために奉仕せよ。孫の代まで見すえた仕事をせよ」と説いたという。それを米原は見事に貫き、実践した。
それにしても米原万里が早く亡くなったのは惜しまれます。
KCIAと国際勝共連合については以下の記事を紹介しておきます。
大韓民国中央情報部 - Wikipedia
1970年代には、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)と共謀した対米工作「コリアゲート事件」を主導した。
【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】(139)旧統一教会問題、〝沈黙〟の保守に矜持はないのか! - 産経ニュース2022.10.29
朴正熙政権時代、文鮮明教祖が大韓民国中央情報部(KCIA)の指示で、反共政治団体である国際勝共連合を創設したのが1968年のこと。同じ年に日本にも創設された。
赤旗統一協会 危険な二つの顔/反社会的カルト集団/勝共連合 反共・反動の先兵2022.8.28
米韓関係を調査した米国下院フレイザー委員会の最終報告書(1978年)は、1961年にクーデターでうまれた朴正煕軍事独裁政権のもとで謀略工作機関「KCIA(韓国中央情報部)」が統一協会を「組織」し、「政治的用具」として利用してきたという情報を記しています。
【参考終わり】
最後に松永本以外の受賞作にも簡単に触れておきます。
【政治・経済部門】
・東京大教授の近藤絢子「就職氷河期世代」(2024年、中央公論新社(中公新書))
・慶応大教授の鶴岡路人*32「模索するNATO」(2024年、千倉書房)、「はじめての戦争と平和」 (2024年、筑摩書房(ちくまプリマー新書))
「就職氷河期世代*33」「ウクライナ戦争とNATO」が近年、注目される中「時宜を得た著書」に受賞したと言うことでしょう。
他にも同様のテーマを取り上げた本は多数あるでしょうし、中身が果たして評価に値するかどうかは不明ですが。
とはいえよほど酷い本でない限り、今回の受賞を契機に、 「就職氷河期世代」「ウクライナ戦争とNATO」を論じる際の「重要文献の一つ」として今後、扱われるのでしょうが。
最後に近藤本の選評を紹介しておきます。
第47回 サントリー学芸賞 選評 | ニュースリリース | サントリーホールディングスから一部引用
近藤絢子(東京大学社会科学研究所教授)
『就職氷河期世代:データで読み解く所得・家族形成・格差』(中央公論新社)
評者:土居丈朗*34(慶應義塾大学教授)
1993年から2004年に高校、大学などを卒業した世代を就職氷河期世代という。生年でいえば、1970年(1993年に大学卒業)から1986年(2005年に高校を卒業)が該当する。バブル崩壊後の雇用環境が厳しい時期に就職活動を行い、その後も就業上困難に直面している。
本書の説得力は、国勢調査、労働力調査、人口動態統計、賃金構造基本統計調査、学校基本調査といった基幹統計を駆使して、就業状況のみならず雇用形態や賃金動向、婚姻や世帯形成などを時系列的に捉えて、就職氷河期世代の特徴を際立たせているところにある。副題である「データで読み解く所得・家族形成・格差」が、本書の内容を見事に言い表している。
本書の刊行時期は、政府が就職氷河期世代の支援策を強化するタイミングと重なった意味でもタイムリーだし、この世代は年長者だと今や50代に達し、分析できるデータの蓄積も充実してきたという点でもタイムリーだといえる。
著者は、就職氷河期世代を1993~1998年卒を前期世代、1999~2004年卒を後期世代と定義し、その前の1987~1992年卒をバブル世代、さらにその後ろの2005~2009年卒をポスト氷河期世代、2010~2013年卒をリーマン震災世代*35と定義して、就業状況、年収、出生率などを比較している。
本書によって新たに明らかにした点は、同じ就職氷河期世代でも、団塊ジュニア世代が属する前期世代よりも後期世代の方が40歳までに産む子供の数は実は多かったことである。就職氷河期後期世代では、若年期の雇用状況がとりわけ厳しかったにもかかわらず、出生率が下げ止まっていた。通説を覆す新事実である。
近藤絢子氏は、女性労働経済学者として、国際的にも高く評価される研究を次々と発表している。本書では分析に基づいた政策提言も打ち出しており、今後は学術研究のみならず、社会にも還元する経済学者としても活躍を期待したい。
*1:滋賀県米原市は「まいばら」だし、「米原昶」は「よねはら」だし、まあ地名と人名は予備知識がないととても読めません。我が埼玉の「羽生市(はにゅうし)」「滑川町(なめがわまち)」と同じ漢字で「羽生善治(はぶ・よしはる)」「富山県滑川市(なめりかわし)」ですしね。「埼玉県嵐山町(らんざんまち)」は本多静六が「嵐山渓谷」が「京都の嵐山(あらしやま)に似ている」と言ったことを契機に命名されたと言われますが読みは京都と違い「嵐山(らんざん)」になります。「昶(いたる)」も日常生活ではまず見ない漢字なので予備知識がないととても読めません
*2:松永著書の副題の意図はともかく「萩生田幹事長代行など、自民の裏金議員」「学歴詐称疑惑の伊東市長」「不倫醜聞の前橋市長」など「不実な政治家」が多数、今の日本にいることには本当にうんざりします。
*3:ネット上でも指摘がありますが、副題は明らかに米原の長女である米原万里の著書『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』をパロってますね(分かる人にだけ分かるギャグ)。勿論単にふざけてるのではなく、それなりの意味があるのでしょうし、松永本を読めばその意味は分かるのでしょうが。
*4:1950~2006年。米原昶の長女。ロシア語通訳。エッセイスト。1975年、東京外国語大学外国語学部ロシア語学科卒業。1978年、東京大学大学院人文科学研究科露語露文学専攻修士課程修了。1983年(昭和58年)頃からロシア語の同時通訳で活躍。1997年(平成9年)4月から翌年3月まで、NHK教育テレビ『ロシア語会話』で講師を務める。1995年、『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』で読売文学賞(随筆・紀行賞)を、1997年、『魔女の1ダース』で講談社エッセイ賞を、2002年、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』で大宅壮一ノンフィクション賞を、2003年、『オリガ・モリソヴナの反語法』でBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞(米原万里 - Wikipedia参照)
*5:1934~2010年。作家。劇団「こまつ座」主宰。1972年、『手鎖心中』で直木賞を、1980年、『しみじみ日本・乃木大将』『小林一茶』で読売文学賞(戯曲賞)を、1982年、『吉里吉里人』で日本SF大賞、読売文学賞(小説賞)を、1986年、『腹鼓記』『不忠臣蔵(討ち入りに参加しなかった赤穂藩士たちを描いた)』で吉川英治文学賞を、1991年、『シャンハイムーン(魯迅の支援者として知られる内山書店店主「内山完造」を描いた)』で谷崎潤一郎賞を、2003年、『太鼓たたいて笛吹いて(『放浪記』で知られる女性作家・林芙美子を描いた)』で毎日芸術賞、鶴屋南北戯曲賞を受賞。日本劇作家協会理事、日本文藝家協会理事、日本ペンクラブ会長等を歴任(井上ひさし - Wikipedia参照)
*6:井上の妻が米原の次女「米原ユリ」。但し、井上がユリと結婚した1987年時点では既に米原は故人(1982年死去)
*7:1883~1967年。1930年、鳥取県東部のバス・タクシー八社を合併して、日ノ丸自動車株式会社を発足させた。1938年、丸由百貨店を設立して、その社長になった。1939年、鳥取新報、因伯時報、山陰日日新聞の県内三紙を合同、日本海新聞を創立して初代社長となった。1958年、日本海テレビを設立。死去後の1969年、鳥取市議会で名誉市民に選ばれた。(米原章三 - Wikipedia参照)
*8:著書『山田洋次の〈世界〉』(2004年、ちくま新書)等
*9:1958~2010年。著書『編集者・国木田独歩の時代』(2007年、角川選書)、『明治のお嬢さま』(2008年、角川選書)、『歴史のかげにグルメあり』(2008年、文春新書→『歴史のかげに美食あり:日本饗宴外交史』と改題し、2019年、講談社学術文庫)、『音のない記憶:ろうあの写真家・井上孝治』(2009年、角川ソフィア文庫)、『パンとペン:社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(2013年、講談社文庫)等
*11:著書『満洲電信電話株式会社:そのメディア史的研究』(2016年、創元社)。松永氏のnote"真昼の星空"が見たい-『米原昶の革命』執筆譚1|Tomoko Matsunagaによれば「松永氏の夫」
*12:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、陸軍航空総監、第二~三次近衛内閣陸軍大臣、首相等を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀
*13:1965年生まれ。産経新聞社に入社し、大阪社会部、東京社会部、ロサンゼルス特派員、ニューヨーク特派員、フジサンケイビジネスアイ編集長等を歴任。その後、産経を退社し、大阪芸術大学短期大学部教授。著書『ルート66をゆく:アメリカの「保守」を訪ねて』(新潮新書、2006年)、『大阪時事新報の研究』(2021年、創元社)、『前田久吉:産経新聞と東京タワーをつくった大阪人』(2023年、創元社)
*14:著書『「つながり」の戦後文化誌:労音、そして宝塚、万博』(2013年、河出書房新社)、『偏愛的ポピュラー音楽の知識社会学』(2021年、創元社)、『大大阪という神話:東京への対抗とローカリティの喪失』(2025年、中公新書)
*15:1888~1956年。戦前、小磯内閣情報局総裁。戦後、吉田内閣官房長官、副総理、自由党総裁を歴任
*16:1889~1981年。自民党石井派領袖。自民党総裁選に1956年4月(鳩山一郎が勝利)、1956年12月(石橋湛山が勝利)、1957年、1959年(岸信介が勝利)、1960年(池田勇人が勝利)に出馬するがついに総理にはなれなかった。吉田内閣商工相、運輸相、自由党幹事長(緒方総裁時代)、自民党総務会長(鳩山、岸総裁時代)、岸内閣副総理、池田内閣通産相、佐藤内閣法相等を歴任
*17:1884~1973年。戦後、吉田内閣蔵相、鳩山内閣通産相を経て首相
*18:井上ユリ名義での著書に『姉・米原万里』(2019年、文春文庫)
*24:著書『仕事のなかの曖昧な不安:揺れる若年の現在』(2001年、中央公論新社→2005年、中公文庫)、『14歳からの仕事道』(2005年、理論社→増補改訂版、2011年、イースト・プレス)、『希望のつくり方』(2010年、岩波新書)、『危機と雇用:災害の労働経済学』(2015年、岩波書店)、『人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか』(編著、2017年、慶應義塾大学出版会)等
*25:米原の父親は鳥取の地方紙「日本海新聞」の初代社長・米原章三
*26:1930~2023年。学習院大学教授、放送大学教授等を歴任。著書『整理学』(1963年、中公新書)、『見世物からテレビへ』(1965年、岩波新書)、『アメリカの思想』(1965年、NHKブックス)、『人間関係:理解と誤解』(1966年、中公新書)、『アメリカ人:その文化と人間形成』(1967年、講談社現代新書 1967年)、『人間開発:労働力から人材へ』(1968年、中公新書)、『比較文化への視角』(1968年、中公叢書)、『自己表現:文章をどう書くか』(1970年、中公新書)、『情報行動』(1972年、中公新書)、『取材学』(1975年、中公新書)、『日本人の周辺』(1975年、講談社現代新書)、『空間の社会学』(1976年、中公叢書)、『企画の技法』(1980年、中公新書)、『生活リズムの文化史』(1982年、講談社現代新書)、『新・旅行用心集』(1982年、中公新書)、『比較文化への視角』(1983年、中公叢書)、『パチンコと日本人』(1984年、講談社現代新書)、『電子時代の整理学』(1985年、中公新書)、『人生にとって組織とはなにか』(1990年、中公新書)、『人生のくくり方:折目・節目の社会学』(1995年、NHKブックス)、『暮らしの世相史』(2002年、中公新書)、『なんのための日本語』(2004年、中公新書)、『社会学:わたしと世間』(2018年、中公新書)等(加藤秀俊 - Wikipedia参照)
*27:この墓については例えば、解放運動無名戦士墓 - Wikipedia、「解放運動無名戦士の墓」を訪ねて - 日刊イオ(2013.3.1)、赤旗解放運動無名戦士の墓とは?(2004.4.15)参照
*28:1935年生まれ。元朝日新聞記者。著書『ジャーナリストの現場』(2011年、同時代社)、『戦争・核に抗った忘れえぬ人たち』(2018年、同時代社)等
*29:記事に日付が書いてないので、岩垂が何時書いた記事か不明ですが、米原万里は2006年5月に死去しているので「大活躍中」云々と言うことは、それより前に書いた記事でしょう。
*30:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)等を経て首相
*31:当時、存在した韓国の諜報機関「韓国中央情報部」のこと。1973年8月の金大中拉致事件の実行犯はKCIAとされる(1973年9月の米原の国会質問も、金大中事件に絡んでの質問でしょう)。その後、国家安全企画部を経て、現在は国家情報院
*32:著書『EU離脱』(2020年、ちくま新書)、『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(2022年、新潮選書)等
*33:1990年のバブル崩壊の影響による不景気以降に就職難となった世代のことである。内閣府による定義では「1993年(平成5年)から2005年(平成17年)に大学や高校等を卒業し就職活動を行った世代」が該当するとされる。これは大卒であった場合には「1970年(昭和45年)4月2日から1983年(昭和58年)4月1日まで」に生まれた世代(なお、幸い、俺は正規職、正社員に就職できましたが、俺も『大卒の就職氷河期世代』に該当します)、高卒であった場合には「1974年(昭和49年)4月2日から1987年(昭和62年)4月1日まで」に生まれた世代に相当する。(就職氷河期 - Wikipedia参照)
*34:著書『地方財政の政治経済学』(2000年、東洋経済新報社)、『財政学から見た日本経済』(2002年、光文社新書)、『入門・公共経済学』(2002年、日本評論社)、『アリとキリギリスの日本経済入門』(2003年、東洋経済新報社→2010年、ちくま文庫)、『地方分権改革の経済学』(編著、2004年、日本評論社)、『地方債改革の経済学』(2007年、日本経済新聞出版社)、『日本の財政をどう立て直すか』(編著、2012年、日本経済新聞出版社)、『平成の経済政策はどう決められたか』(編著、2020年、中公選書)等
*35:「リーマン」とは2008年のリーマンブラザーズ経営破綻から始まったいわゆるリーマン・ショックのこと。「震災」とは2011年の東日本大震災のこと