<主張>メガソーラー 支援の停止で乱開発防げ 社説 - 産経ニュース
一部のメガソーラーに問題があるからといってメガソーラー補助金自体を廃止すべきかどうかは疑問でしょう(勿論メガではない小規模ソーラーも含めてソーラー補助金をすべて廃止する場合は一層問題ですが)。
1)すべてのメガソーラーに問題があるわけではないし
2)規制を強めて、まともでないメガソーラーを排除し、まともなメガソーラーだけに補助金を出すという方法も当然あり得るからです。
また、環境破壊というなら「産経が大好きな原発」も含めて、環境面を軽視した開発をすれば、すべての発電方法(火力、水力、原子力、地熱、風力、潮力等)でありうることであり、メガソーラーに限定される話でもない。
そもそも「問題が生じたから補助金廃止」というなら福島原発事故を起こした原発こそ補助金を廃止すべきではないか。
自民地方議員166人、土葬墓地推進に反論「多方面に悪影響」国に要望「火葬原則堅持を」 - 産経ニュース
不当なイスラム差別だと思いますがそれはさておき。
以前も別記事で書きましたが、昔は土葬が主流で、
1)火葬の普及は明治以降
2)かつ「土葬シーンが出てくる」横溝正史小説(例えば『女怪*1』(犯人は金田一が片思いする女性で、金田一が失恋するという異色作))で分かるように田舎では昭和(昭和初期(昭和20年代)ですが)でも土葬があった
のに、こんなに土葬に否定的なのが謎です。「伝統大好き」自民ならむしろ土葬を容認すべきでは?
「戦後史に前例ない犯行」山上被告に無期懲役求刑 弁護側は「重くても懲役20年」主張 - 産経ニュース
死刑求刑でなかったことは良かったですが「安倍の非(統一教会との癒着)」を考えれば「無期求刑するほどの事件なのか?」「検察による高市自民への媚びへつらいか?」とは思います。この点については統一教会に人生を狂わされて統一教会広告塔だった安倍晋三氏を狙撃した山上徹也被告への求刑の正当性について思うこと - 村野瀬玲奈の秘書課広報室も「俺と同様の指摘」をしていますが。
なお「戦後史に前例ない」云々は戦前なら
◆原首相暗殺(1921年)
◆濱口首相狙撃(1930年11月)
重傷を負い、1931年4月に首相辞任、1931年8月に死去。
◆犬養首相暗殺(515事件:1932年)
◆岡田首相襲撃(226事件:1936年)
陸軍皇道派の青年将校達がリーダーと仰いでいた真崎甚三郎(参謀次長、陸軍教育総監等を歴任)を首相にするため、岡田を暗殺しようとしたが暗殺は失敗し岡田は無事だった。
◆伊藤元首相暗殺(1909年)
「元首相としての暗殺」と言うより「元韓国統監としての暗殺」(犯人は韓国人民族活動家の安重根)。安には死刑判決
◆斎藤元首相、高橋元首相暗殺(226事件:1932年)
暗殺当時は斎藤は内大臣、高橋は岡田内閣蔵相。
暗殺理由としては「陸軍皇道派の青年将校が首相にしようとしていた真崎甚三郎(皇道派リーダー)を首相にするには斎藤や高橋が邪魔だったこと(岡田首相暗殺に成功しても後釜が首相経験者の斎藤や高橋になる恐れがある。また首相任命に当たっては、内大臣の意見具申が大きいが斎藤内大臣は皇道派に否定的)」「当時の高橋蔵相が軍拡予算を認めなかったことで高橋を恨んでいたこと」があるとされる。
と「首相暗殺(あるいは暗殺には至らなかったが、暗殺を狙った濱口首相、岡田首相の襲撃)」「元首相暗殺」もあるからでしょう。但し、首相ではなく、政治家暗殺なら戦後も「浅沼社会党委員長暗殺(1960年)」などがありますが。
ちなみに226事件(斉藤元首相、高橋元首相暗殺の他、渡辺陸軍教育総監を暗殺し、鈴木侍従長(後に首相)に重傷を負わせた)では「坂井直陸軍中尉(斉藤元首相(暗殺当時は内大臣)暗殺)」「中橋基明陸軍中尉(高橋元首相(暗殺当時は岡田内閣蔵相)暗殺)」「安藤輝三陸軍大尉(鈴木侍従長襲撃)」など「大量の死刑判決」ですが、当時の右翼的風潮のせいか、原首相、犬養首相暗殺、濱口首相狙撃では
中岡艮一 - Wikipedia(原首相暗殺犯:1921年)
無期懲役の判決を受けたが、3回の恩赦により1934年(昭和9年)出獄(1921年の暗殺なので逮捕時からカウントしても、実質、懲役13年でしかない)。その後、満洲に渡り陸軍司令部に勤務した
三上卓 - Wikipedia(犬養首相暗殺犯の一人:1932年)
犬養首相暗殺犯の一人として1933年(昭和8年)に海軍横須賀鎮守府軍法会議において死刑を求刑され、禁錮15年の判決を受け小菅刑務所に服役。その後、恩赦による減刑を重ねて4年9か月の服役で仮出所。1941年(昭和16年)3月にかつての同志だった井上日召*2、四元義隆*3、菱沼五郎*4らと「ひもろぎ塾」を設立。近衛文麿元首相のブレーンの一人となり、1943年(昭和18年)には大政翼賛会の傘下団体である大日本翼賛壮年団の理事に就任。
山岸宏 - Wikipedia(犬養首相暗殺犯の一人:1932年)
犬養首相暗殺犯の一人として死刑求刑。一方、この求刑に対して全国から100万通以上の助命嘆願書が届いたため、判決は禁固10年へ減刑となった。釈放後は名を山岸敬明と改め、事業家として深川新大橋で輪タク会社を設立。ちまたでは「宮様輪タク」と呼ばれた。「宮様輪タク」の呼称の由来は、会社の出資者が賀陽宮家当主「賀陽恒憲」だったからと言われている。
佐郷屋留雄 - Wikipedia(濱口首相狙撃犯:1930年)
一審では濱口の死を「狙撃によるもの」と認定し、殺人罪の適用で実行犯である佐郷屋に求刑通りの死刑判決。
二審では「狙撃により体調不良を招き死に至った」とはいえ「狙撃(1930年11月)直後の死去ならともかく、狙撃から半年もたった死(1931年8月死去)を殺人とは認められない」として殺人未遂罪の適用だが判決自体は変わらず死刑判決。1933年11月に上告が棄却されたことにより死刑判決が確定した。1934年恩赦で無期懲役に減刑された。1940年に仮出所している(1930年の逮捕時からカウントしても懲役10年に過ぎない)。出所したのち、右翼団体「愛国社」社長の「岩田愛之助*5」の娘婿になり後を継いで右翼活動を続け、「佐郷屋留雄」から「佐郷屋嘉昭」に改名した。
1954年、血盟団事件の中心人物である井上日召と共に右翼団体「護国団」を結成、副団長となる(井上が団長)。
1959年には、右翼団体「全日本愛国者団体会議(全愛会議)」の初代議長となる。
という「無茶苦茶軽い処罰」だったことは歴史に詳しい方ならご存じでしょう。
こうした「軽い処罰」が勿論「226事件」等の発生を助長したとされます。また、背後関係はなかったとされる「原首相暗殺事件」「濱口首相狙撃事件」ですが、こうした「軽い処罰」から「黒幕説(背後関係があるから軽い処罰になった)」も当然あります。
また暗殺目的ではなかった(単なる脅しだった)とみられますが、戦後も「安倍暗殺」「岸田襲撃」以前に
【1】岸首相は右翼活動家(岸と対立した大野伴睦*6の院外団にいた人物。大野の政治的協力を得るために、岸は大野周辺には、大野に政権を禅譲すると約束しながら、約束を反故にして、池田*7に禅譲した事への反発とみられる)にナイフで刺されていますし、
【2】三木首相は右翼(赤尾敏の「大日本愛国党」の構成員)に殴打され、この三木殴打事件を契機に首相警護のSPが設置されています。
【参考:岸襲撃事件】
大野伴睦 - Wikipedia参照
岸首相から大野派を主流派として内閣に協力させることの見返りに後継総裁の念書を手に入れるが、これを反古にされる。一説にはこの事について岸は「床の間に肥溜め(大野のこと)をおけるわけがない」と放言したという。
この密約自体は孫である安倍晋三が「祖父から直接聞いた」とその存在を認める発言をしている。「モリカケ桜疑惑の嘘つき」安倍に寄れば、岸は「政治家は目的のためになら嘘をついてもかまわない」と語ったという。
この出来事をきっかけとして、大野は終生岸を憎むこととなる。岸が首相辞任直前に右翼(大野を支持する院外団にいた男)に刺され負傷した際には大野が「ざまみやがれ、あの法螺吹きが」と岸を罵倒したという説もある。
【参考:三木殴打事件】
果たされなかった約束 | 倉山満公式サイト
三木が現職首相の時、佐藤栄作国民葬というのをやった。
テレビで全国生中継している時に、「三木首相殴打事件」というのが発生。右翼団体の構成員の仕業。
事件を知った睦子夫人、その右翼団体の総帥である赤尾敏さんに抗議の電話。
睦子
「ちょっとアンタ!ウチの旦那になんてことしてくれたの?」
赤尾
「・・・」
さすがに直接言われると、気まずかったらしい。
睦子
「一国の首相がヒキガエルみたいに尻モチついてみっともない!。全国放送で大恥かいたじゃない!。どうしてくれんの?」
「やるんだったら、ちゃんと殺しなさい!みっともない!」
赤尾さん、先生に怒られた子供みたいに力なく
「わかりました。次はちゃんと殺します」
この約束、果たされなかった。
*1:タイトル「女怪(怪物女性?)」で犯人が女性らしいと言うことがモロバレですし、重要人物で女性は一人しか出てこないので「動機」「犯行方法」はともかく犯人が誰かは簡単に予想が付きます(この作品において犯人が誰かはそれほど重要ではないのですが)。
*2:右翼結社「血盟団」首領。井上前蔵相、「三井財閥総帥」団琢磨を暗殺した血盟団事件で無期判決を受けるが恩赦によりこの頃は出所
*3:血盟団事件で懲役15年の判決を受けるが恩赦によりこの頃は出所。戦前は出所後、近衛文麿元首相の秘書を務め、戦後は「政界の黒幕」(大物右翼)として吉田、池田、佐藤、福田赳夫、大平、中曽根、竹下、宮澤などの歴代首相と親しい関係にあったとされる(四元義隆 - Wikipedia参照)
*4:1932年、三井財閥総帥「団琢磨」を暗殺(血盟団事件)。1934年、無期懲役となるが、1940年(昭和15年)、紀元2600年祝賀の特赦で出所。戦後は、茨城県大洗町で漁業会社を経営し、1959年地元漁業界などに推されて自民党から茨城県議に当選、以来1990年まで県議を務めた。1973~1975年までは県議会議長を務めた(菱沼五郎 - Wikipedia参照)
*5:1913年に発生した外務省政務局長「阿部守太郎」暗殺事件で自首し、1914年、殺人教唆の罪で無期懲役の判決。1925年、恩赦を受け釈放。1928年、右翼団体「愛国社」を結成(岩田愛之助 - Wikipedia参照)
*6:日本自由党幹事長(鳩山、吉田総裁時代)、衆院議長、吉田内閣北海道開発庁長官、自民党副総裁(岸、池田総裁時代)等を歴任