新刊紹介:「歴史評論」2026年3月号

特集「歴史資料の保全と継承」
 無能な俺でも説明できる範囲で紹介しておきます。
◆コミュニティ・アーカイブズの模索(下重直樹*1
(内容紹介)
 コミュニティのアーカイブズ(資料保存)が「コミュニティ・アーカイブズ」です。
 広義では「国や地方自治体」もコミュニティですが、ここでのコミュニティは「国や地方自治体」は含んでいません。
 「国や地方自治体」が「公文書管理法(自治体の場合は公文書管理条例)」「国立公文書館」等があり、一定程度「アーカイブズ制度」が整備されてるのに対し、「国や自治体を含まないコミュニティ(企業、労組、政党、市民団体など)」はそうした制度がほとんどなく、「資料散逸の恐れが高いこと(特に大企業などと違い、経営力に劣り、また構成メンバーの減少や高齢化などで時に解散することもある市民団体などは)」が指摘されます(但し、国や地方自治体の公文書アーカイブズに勿論、予算面等で問題がないわけではありません)。
 先行研究として、以下の著作が紹介されています。

・安藤正人*2『草の根文書館の思想』(1998年、岩田書院
・佐藤知久*3ほか『コミュニティ・アーカイブをつくろう!:せんだいメディアテーク「3がつ11にち*4をわすれないためにセンター」奮闘記』(2018年、晶文社

参考

10+1 website|アーカイブを憎むな、アーカイブになれ|テンプラスワン・ウェブサイト(佐藤知久)
 日本でも近年、震災を契機として、コミュニティ・アーカイブへの関心が高まっている。
 1995年の阪神・淡路大震災では、ボランティア活動の記録を「まち」ごとに分散させて継承しようとする「震災・まちのアーカイブ」が立ち上がった。2011年の東日本大震災では、広く個々人に普及したスマートフォンデジタルカメラを使った記録を集積する活動が本格化し、数多くのデジタル・アーカイブがつくられた。2017年に設立されたデジタルアーカイブ学会は、4つある部会のひとつとして「コミュニティアーカイブ部会」を置いている。
 本年1月には、筆者も執筆者のひとりに加わった書籍『コミュニティ・アーカイブをつくろう!』(晶文社、2018)が刊行された。これは、せんだいメディアテークが2011年5月に開設した「3がつ11にちをわすれないためにセンター(わすれン!)」についての記録である。


歴史学研究者アーカイブズの特質と意義:「啓静文庫」保全活動を事例に(工藤航平*5
(内容紹介)
 副題「啓静文庫」にあるように「山口啓二*6・村田静子*7夫妻(いずれも故人)」が残した資料群「啓静文庫」の保全活動について論じられていますが、俺の無能のため詳細な紹介は省略します。


◆社会運動資料の保全と継承:三里塚闘争関係資料の整理を例として(森脇孝広)
(内容紹介)
 副題「三里塚闘争関係資料」にあるように、

・小川プロダクション資料
 映画『日本解放戦線・三里塚の夏』(1968年公開)、『日本解放戦線・三里塚』『三里塚・第三次強制測量阻止闘争』(以上、1970年公開)、『三里塚・第二砦の人々』(1971年公開)、『三里塚・岩山に鉄塔が出来た』(1972年公開)、『三里塚・辺田部落』(1973年公開)、『三里塚・五月の空、里のかよい路』(1977年公開)といった成田闘争三里塚闘争)を描いた映画を作成した小川プロダクション(小川紳介監督:現在は解散)の所有資料

など、いわゆる「三里塚闘争」に関係した資料(現在は「成田空港・空と大地の歴史館」が保有)の整理について論じられていますが、俺の無能のため詳細な紹介は省略します。
 なお、話が脱線しますが、「最近の若者の右翼政党(国民民主、参政党など)支持」と「1970年代の左派青年の三里塚闘争への参加」という「若者の政治意識の違い(若者の右傾化)」には左派、リベラル派の一人として「複雑な思い」を禁じ得ません。
 1970年代当時だって「国際空港建設に反対するなんて国益を阻害してる」「空港はどこかに作らなければいけない。反対派は自分勝手だ」「左翼が農民を政治利用してる」等という「空港反対運動(成田闘争)」を敵視する「右翼的な見方」は当然あった訳ですが、今の「右傾化する日本」だと「いっそうそうした人間は多いのではないか?」という懸念を感じますね。
 それはともかく「日本共産党が躍進した1970年代」は「三里塚闘争」など左派の運動が盛んな時期(そしてそうした運動に若者の多くが参加した時期)であり、現状の「共産党の選挙での苦戦」を「一部の反共分子、反党分子id:kojitaken反党行為で除名された松竹伸幸、神谷貴行(ペンネームは紙屋高雪)など)」のように、「共産党だけのせい」にするのは「明らかに不適切」でしょう。
【参考:小川紳介

小川紳介監督没後30年 小川紳介と小川プロダクション
・『日本解放戦線・三里塚の夏』
 「三里塚」シリーズ第一作。
・『日本解放戦線・三里塚
 通称『三里塚の冬』。
・『三里塚・第三次強制測量阻止闘争』
 1週間の測量予定を激しい農民の闘いで3日間で切り上げた別名「三日戦争」。
・『三里塚・第二砦の人々』
 破壊されるバリケード小屋。農婦らは自らを鎖で縛りつけて後退を拒む。
・『三里塚・岩山に鉄塔が出来た』
 反対同盟を中心に計画された滑走路使用不能大作戦。滑走路南端にあたる岩山地区に、みるみる60メートルの大鉄塔が築かれてゆく。
・『三里塚・辺田部落』
 固い団結を誇る辺田部落に住みついたキャメラは、農民の声を聞き撮りしてゆく。
・『三里塚・五月の空、里のかよい路』

小川紳介 - Wikipedia
◆旧熱田派の元反対同盟員は、三里塚闘争が全国区となって大きな支援を得られたのは、小川プロ作品自主上映の会のメンバーが、各地で披露上映したことによるところが大きいと評価している。一方で、既に新東京国際空港公団(空港公団:現在の成田国際空港株式会社の前身)に土地を売却した人物をあたかも現在も闘争を続けているように描く等、編集による印象操作が行われており、ドキュメンタリーと言いながらフィクションではないかと思ったと証言している(伊藤睦編『三里塚燃ゆ:北総台地の農民魂』(2017年、平原社)参照)。
◆成田空港問題シンポジウムでは、映像資料として小川プロの映画作品が用いられている。

【参考:成田闘争

三里塚闘争 - Wikipedia参照
・地元住民の意見聴取は全く行われておらず、現地(三里塚のある千葉県成田市)には一言の相談もなく「空港が空から降ってきた」形となった。
 世界の空港建設史上の中でもまれにみる難航を重ね、激しい反対闘争によって開港が当初予定より大幅に遅れた。
・日本の国土はその狭さと平地の少なさから「空港適地」がほとんどなく、また成田闘争を招いた「反省」から、日本の空港建設は、住民の反対運動の恐れが低い海上や遠隔地で建設されることが多くなった。
・2011年6月23日には三里塚闘争を後世に伝えるための施設として、成田国際空港株式会社(前身は新東京国際空港公団(空港公団)で、国が100%株式を保有)が「成田空港・空と大地の歴史館」を開館している。

成田空港 空と大地の歴史館 - Wikipedia
 成田空港問題の歴史を後世に伝える常設展示施設として、2011年(平成23年)6月23日に開館した。

芝山の戦後史を後世に 空港闘争 知られざる一面も 成田で研究者らが講演会 かつての暮らしも紹介:東京新聞デジタル2025.2.11
 成田闘争の知られざる一面や、空港周辺で営まれた生活を紹介する講演会「資料に学ぶ、いま・むかし~成田・芝山の戦後史~」が9日、千葉県成田市三里塚コミュニティセンターで開かれた。2人の研究者が調査の成果を報告。郷土史家が収集した文書から貴重な情報が読み取れたという。(堀場達)
 文部科学省の助成を受け、空港建設を巡って1960~70年代に周辺で起きた社会運動が中心テーマの調査研究チーム(代表・相川陽一長野大学教授)が主催した。
 チームは芝山町にある「成田空港・空と大地の歴史館」などの資料分析を進めている。講演会で、聖学院大学准教授の今井勇さん*8(48)が闘争のリーダーも務めた郷土史家の故・石井英祐さんの業績に光を当てた。
(以下は有料記事です)

 こうした記事が載るのがリベラル派の東京新聞らしい(なお、歴史評論の森脇論文に寄れば、森脇氏もこの調査研究チームの一員であるとのこと)。

【参考:相川陽一氏】

芝山の移転地区、歴史資料を後世に 空港機能強化前に共同調査 [千葉県]:朝日新聞2024.9.17
 成田空港の機能強化で移転する地区がある千葉県芝山町で、歴史的な建築物や文書を後世に残そうと、調査と保全の活動が本格化している。研究者らが「北総地域資料・文化財保全ネットワーク(北総ネット)」を設立し、町教育委員会や地元の郷土史研究会と共同で活動。町教委は「こうした取り組みは空港周辺では初めてではないか」としている。
 北総ネットの共同世話人の1人で、長野大の相川陽一教授(46)は芝山町岩山で生まれ育った。日本近現代史を専攻し、学生時代から成田空港問題も研究している。反対運動に関わった人らの聞き取りをしてきた相川教授は「開港時に主だったのは集団移転だったが、今回は個別移転も少なくない。地域が大切に守ってきたものが失われないようしたい」と話す。

空港機能強化で移転の地域、歴史継ぐには 多古、芝山両町で取り組み [千葉県]:朝日新聞2025.2.24
 2029年3月を目標とする成田空港(千葉県成田市)の機能強化で、千葉県多古町芝山町の一部が新たな空港用地となる。移転が迫る中、地域の歴史をどう継承していくかが課題になっている。
 機能強化は滑走路新増設が柱で、その用地として多古町一鍬田(ひとくわた)の約60世帯、芝山町菱田、大里の約130世帯が移転を迫られる。これとは別に、騒音対策として、成田市多古町芝山町横芝光町*9の4市町で計1078世帯の移転対象区域が新たに生まれた。
 多古町教育委員会は15日、「歴史資料を後世に残す~大規模開発のなかで~」と題した歴史講座を町内で開催した。
 講師を務めたのは、千葉経済大地域経済博物館学芸員の菅谷祐輔さん(31)と、長野大教授の相川陽一さん(47)。ともに、移転対象地域の調査・保全活動のために研究者が昨年設立した「北総地域資料・文化財保全ネットワーク(北総ネット)」の共同世話人だ。
 菅谷さんは、「集落の移転で、資料や行事が分からなくなってしまうことが予測される。現在のような転換点にこそ、記録に残すことが重要」と話した。
 聴衆との質疑応答もあり、多古町船越の鈴木成洋さん(79)が会場から「地域にある神社の氏子の90%が移転対象。他の神社と統合されるのではないかと心配だ」と訴えかけると、菅谷さんと相川さんは「証言」にメモをとり続けた。
 講座終了後、鈴木さんは朝日新聞の取材に応じた。
 町内で生まれ育ち、高校卒業後は東京で40年以上働いたものの、船越出身の妻と「第二の人生」の地として、約15年前に戻った。だが空港機能強化が浮上し、自身も今秋に代替地に移転を考えている。
 質疑で言及した神社の氏子は十数世帯で、一部は残るが、大半は鈴木さんと同様に町内の代替地に移転する。「移転の相談など、町もよくやってくれているが、集落消滅の危機を感じている」と話した。
 町教委は、今後も機能強化に伴う歴史継承の取り組みを続けていくとしている。

成田空港拡張で消えゆく古村の記憶と記録残す 郷土史研究のいま | 毎日新聞小林多美子(毎日新聞社会部東京グループ、前千葉支局)2025.8.29
 (ボーガス注:外国人観光客の増加などによる)航空需要の高まりを背景に、成田空港ではいま、「第2の開港」ともいわれる大規模な拡張計画が進む。2029年3月までに3本目の滑走路(3500メートル)の新設を目指すなど、完成すれば空港の敷地は現在の倍近くに広がる。その陰で、用地を提供するために「消えゆく集落」がある。
 空港の南に位置する千葉県芝山町では、中世以来の歴史を誇る古村を含む、4地区計約130戸の移転が進む。町内の空港敷地面積は現在の93ヘクタールから744ヘクタールに拡大し、町の面積の6分の1以上を占めることになる。
 この土地での営みの記憶、記録を後世に残したいと、住民らでつくる「しばやま郷土史研究会」が町の教育委員会と、歴史資料の収集・保存を進めている。私はこの取り組みを通じて、郷土史研究の意義を広く知ってもらいたいと、2024年8月、千葉県版に「郷土史研究のいま:成田拡張」を連載した。
 研究会は2017年に設立され、2024年5月には、その活動を専門家の立場から支援しようと、地元「芝山町」出身の相川陽一・長野大教授(日本近現代史)が呼びかけて「北総地域資料・文化財保全ネットワーク(北総ネット)」が発足した。地区の集会所に残されている資料の確認や、古民家や寺社の計測調査が進められている。
 地域の古文書や史跡などを調査研究する各地の民間団体、いわゆる郷土史研究会は、岐路に立たされている。過疎地などでは少子高齢化の進行や所有者の世代交代により、古民家や土蔵の解体が徐々に進む。それに伴い、資料が廃棄されたり散逸したりするケースもあり、歴史研究の課題になっている。住民と行政、専門家がチームを組んで調査にあたっている芝山町は、他地域の参考になると思う。

機能強化で50世帯が空港用地に 多古町一鍬田で保全活動始まる [千葉県]:朝日新聞2025.8.30
 成田空港(千葉県成田市)で2029年3月を目標とする滑走路新増設を柱とした機能強化に絡み、新たに空港用地となる多古町一鍬田(ひとくわだ)で29日、研究者らによる調査と保全の活動が始まった。一鍬田では約50世帯が移転することになる。地域に残された歴史文書を後世に伝えるのが目的だ。
 移転対象地域の調査・保全活動のために昨年設立された「北総地域資料・文化財保全ネットワーク(北総ネット)」の共同世話人で、長野大教授の相川陽一さん(47)は「集落の移転で、資料や行事が分からなくなってしまうことが予測される。地域の皆さまと信頼関係を築きながら進めたい」、数年前から一鍬田で調査を続ける千葉経済大地域経済博物館学芸員の菅谷祐輔さん(32)も「遅くとも江戸時代から集落が形成され、現代までの資料が残る。しっかり調べたい」と話した。
 一鍬田は、教育者で僧侶の無着成恭(むちゃく・せいきょう)さんが住職を務めた福泉寺があることで知られる。農業が盛んだった地域だ。だが、空港用地となることで、福泉寺も住民も、数年以内に移転する見込みだ。


アーカイブズを創り、育てる市民運動:「市民アーカイブ多摩」の系譜(杉山弘)
(内容紹介)
 副題にあるように「市民アーカイブ多摩」の活動が論じられていますが、俺の無能のため詳細な紹介は省略します。
参考

市民活動資料を収集・提供する「市民アーカイブ多摩」が開館 | カレントアウェアネス・ポータル2014.5.1
 東京都立川市ミニコミ誌などの市民活動資料を収集・提供する「市民アーカイブ多摩」が2014年4月12日に開館しました。
 1972年に開設された東京都立多摩社会教育会館内の「市民活動サービスコーナー」では、市民団体が発行した会報やミニコミ、報告書などを収集・提供してきましたが、2002年に事業が廃止されました。そこで、蓄積された資料を保存し、継続的に収集し、利用に供するため、市民活動をしている人、研究者、行政職員、学生、ミニコミ発行者、図書館・文書館関係者、NPO法人や団体スタッフなどが集まり、2006年に「市民活動資料・情報センターをつくる会」として情報センターをつくるための活動を開始し、このたび、「市民アーカイブ多摩」を開館したとのことです。なお、同会は、開館に伴い、資料センターを “つくる会”から“運営する会”に移行したとのことです。
 市民アーカイブ多摩では、2002年以降に収集されたミニコミ、広報誌などの資料群約1,200タイトルが利用できるとのことです。
 また、2002年以前に都立多摩社会教育会館で収集した資料群については、法政大学大原社会問題研究所環境アーカイブズで管理されているとのことです。

共生研センター メール・インタビュー(4) 市民アーカイブ多摩 江頭 晃子さん | 立教大学2020.5.7
インタビュアー
 まず、市民アーカイブ多摩の設立からこれまでの歴史と、現在の活動について教えてください。
江頭晃子(えとう・あきこ)*10
 2002年に東京都立多摩社会教育会館の市民活動サービスコーナー事業が廃止となり、30年間蓄積されていた市民活動資料が廃棄の危機に陥ります。それらの資料を保存、活用しようと2006年に市民団体や図書館・アーカイブ関係者、ミニコミ発行者、研究者などが集い「市民活動資料・情報センターをつくる会」が発足。当初は行政や地元企業や大学等に「市民活動資料室」を開室してもらえるように運動をしていましたが難しく、2010年から自分たちで資料館を作ろうと募金運動を展開、紆余曲折とさまざまな出会いの中で、2014年に立川市内の緑地保全地域内にある一軒家に「市民アーカイブ多摩」を開館することが出来ました。団体名も2014年から「ネットワーク・市民アーカイブ」に改称しました。
 現在、約1800タイトルの市民組織等が発行するミニコミの収集・保存・閲覧等を行っています。
 ボランティアで運営しているため、開館日は毎週水曜日と第2・4土曜日の午後1~4時と短時間です。

ミニコミ図書館、未来は 立川「市民アーカイブ多摩」開館10年 課題話し合い /東京 | 毎日新聞2024.2.14
 「ミニコミ」と言われる市民の活動を記録した資料を専門に収集する図書館「市民アーカイブ多摩」(立川市幸町5)が4月、開館10年を迎える。所蔵資料は当初の1159タイトルが約8割増えて2099タイトルとなり、約6万点と充実してきた。資料の価値や魅力をどう伝え、どんな人たちに利用してもらうのか。これからどう運営していくのか。スタッフや支える人たちが12日、課題を話し合った。
 市民活動家や研究者らでつくる「ネットワーク・市民アーカイブ」が2014年4月、西武拝島線*11多摩都市モノレール玉川上水駅近くの住宅を借りて開いた。資料は多摩地域を中心に、全国の市民団体から寄贈された会報や報告集が中心。団体ごとにファイルし、平和、人権、女性、原発、福祉などジャンルに分け、開架式で展示している。


◆「カシュガル文書」との20余年:発見から画像データベースの公開まで(菅原純)
(内容紹介)
 筆者が「カシュガル文書(中国新疆ウイグル自治区カシュガル市で、筆者が発見した古文書)」と自らの関わりについて論じていますが、俺の無能のため詳細な紹介は省略します。 


◆歴史の眼「資料館紹介:兵士・市民の戦争資料館」(小野美里)
(内容紹介)
 「兵士・市民の戦争資料館」が紹介されていますが、俺の無能のため詳細な紹介は省略します。

兵士・庶民の戦争資料館 - Wikipedia参照
 陸軍兵士として中国などに出征した武富登巳男(たけとみ・とみお、1917~ 2002年)が、1979年(昭和54年)7月1日に飯塚市の自宅を改造して、戦争にまつわる品々の展示を開始したのがはじまり。1996年(平成8年)に小竹町に移転した。
 元兵士や遺族から寄贈を受け、千人針や鉄兜、軍票など兵士が使用したものだけでなく、配給切符や「戦争一色の当時の雑誌」など庶民の生活を伝える資料をふくめて、約3000点を所蔵している。
 武富登巳男の死去後、妻の智子が館長を勤めていたが、智子の死去後は息子の武富慈海(じかい)が館長となり、展示を継続している。

南方戦線の記憶 従軍絵日記でリアルに 福岡・小竹の戦争資料館 [福岡県]:朝日新聞2023.4.5
 福岡県小竹町の「兵士・庶民の戦争資料館」で、「かかる兵士ありき―陸軍兵長・竹野国広の戦争―」展が開かれている。南方戦線に従軍した兵士が部隊や戦地の様子について、水彩画に文章を添えて描いた絵日記全約90ページのコピーが展示されている。
 絵日記を描いたのは、長崎県佐世保市出身の竹野国広さんで、2017年に96歳で亡くなった。1942年3月に第5航空教育隊(福岡県)に入隊し、同年7月以降、ビルマ(現ミャンマー)やタイなどで従軍した。主に現地の飛行場で工事や炊事などの後方支援に従事したとみられる。終戦後の45年9月に上等兵から兵長に昇進。46年5月、広島県に帰還した。

戦争資料館、存亡の岐路 担い手高齢化や資金難―専門家、散逸に警鐘・戦後80年:時事ドットコム2025.8.19
 1979年に開館した「兵士・庶民の戦争資料館」(福岡県小竹町)の武富慈海さん(76)は、2002年に84歳で亡くなった父・登巳男さんの遺志を継ぎ館長を務める。旧陸軍兵士としてシンガポール終戦を迎えた登巳男さんは「悲惨な戦争を二度と繰り返してはいけない」との思いから自宅を改装して陸軍の軍服や銃の展示を始めた。
 ただ、武富さんに後継者はおらず、光熱費や建物の老朽化による維持費の負担も重い。武富さんは資料のデジタル化などに取り組んでおり、「若い人たちの力を借りることが必要不可欠だ」と話す。
 立命館大の安斎育郎*12名誉教授(平和学)は「民間の資料館は、担い手の高齢化や財政難によって運営が苦しくなっている」と指摘。貴重な戦争資料の散逸を避けるために「社会全体で保護していくべきだ」とと話している。

 この博物館に限らず、個人経営(例:食堂、レストラン)だと「後継者が居ないのでなくなる」リスクがあるのが何ともかんとも。

[福岡県]戦地でつづった戦友の死 旧日本兵の追悼文集展示 2月28日まで、小竹町の「兵士・庶民の戦争資料館」|【西日本新聞me】2026.2.13
 旧日本兵が戦地で書いた文集を紹介する企画展「戦地で作ったガリ版戦記」が、兵士・庶民の戦争資料館(福岡県小竹町御徳)で開かれている。

 さすがに俺(1970年代生まれ)も「リアルタイムでのガリ版の経験はない」ですね。「就職した頃(1990年代後半)」に「昔は公文書(国、地方自治体など役所の文書)も会社(企業)の文書もガリ版だった」と「当時の上司」から聞いたことはありますが。
 ガリ版に似たシステムで「プリントゴッコ(年賀状印刷でよく使った)」というのが昔はあって、これは俺も「自分で使ったことはない」ものの、その存在をリアルタイムで知っていますが、今は家庭用カラープリンターが安いから「プリントゴッコ」もなくなっちゃいましたしね。


◆歴史の眼「地域に残る戦後史資料の保存運動:大井医院・大島慶一郎関係資料をめぐって」(鬼嶋淳*13
(内容紹介)
 副題「大井医院・大島慶一郎関係資料」にあるように「埼玉県大井村(後に大井町を経て、現在のふじみ野市*14)に開設された大井医院(現在は医療生協さいたま・大井協同診療所)の院長(大井医院創設者)で、全日本民医連(全日本民主医療機関連合会)副会長(1953~1961年)や大井村議(1951~1963年まで3期12年:日本共産党)、埼玉県議(1967~1975年、1979~1983年(通算3期12年):日本共産党)も務めた大島慶一郎(1908~1996年)の関係資料」について論じられていますが、俺の無能のため詳細な紹介は省略します。
 話が脱線しますが「大島氏のように歴史研究者(鬼嶋専修大学教授)の研究対象になることもなく、いずれ忘れ去られる時代のあだ花(つうか、既に忘れ去られてる?)」が紙屋や松竹でしょう。
 過大評価はしませんが、大島氏のような存在が「共産党の長い歴史を形成してきた」のであり、「彼のような存在」こそがまさに「共産党の誇り」でしょう。
参考

大島社会文化研究室 研究会のご案内2022.2.1
 本報告では、埼玉県入間郡大井村(現・ふじみ野市)で戦後医療運動を展開した大井医院と大島慶一郎医師に関する史料である「大井医院・大島慶一郎関係資料」(以下、本資料と略す)を紹介することを通じて、地域に残る戦後史資料の可能性を探ることを課題とする。
 鬼嶋淳氏は、(中略)「大井医院・大島慶一郎関係資料」の整理を2001年から20年以上に渡り進めている。この資料は、戦前に無医村であった大井村に設立された大井医院を拠点に農村医療運動を展開した医師の大島慶一郎(1908-1996)が残したものである。大井村は、1973年に65歳以上の「老人医療無料化」を実施するなど、戦後の地域社会における医療・福祉問題を検討する際に特徴的な地域といえ、大島はその政策の実現の中心に立っていた。共産党員でもあった大島は、朝鮮戦争下のレッドパージや村当局との対立、当時の共産党武装闘争方針に対する村民達の厳しい評価を抱えていたが、診療活動を通じて村民から高い評価を得ており、こうした信頼を背景として運動を展開し、「老人医療無料化」においては普段対立関係にある保守派との政策協定を結ぶなどしている。大島の残した資料はこうした経緯を明らかにしており、地域の政治的な対立のあり方が医療を巡り複雑に展開する様相を伝えるものと言えるだろう。

*1:学習院大学教授。著書『アーキビストとしてはたらく』(編著、2022年、山川出版社

*2:国文学研究資料館名誉教授。学習院大学名誉教授。著書『記録史料学と現代』(1998年、吉川弘文館)、『江戸時代の漁場争い』(1999年、臨川書店)、『アジアのアーカイブズと日本』(2009年、岩田書院)、『戦争・植民地支配とアーカイブズ1:戦時国際法と帝国日本』(2024年、東京大学出版会)、『戦争・植民地支配とアーカイブズ2:アジアの日本軍政と敗戦』(2025年、東京大学出版会

*3:京都市立芸術大学教授

*4:2011年3/11に発生した東日本大震災のこと

*5:国立歴史民俗博物館准教授。著書『近世蔵書文化論』(2017年、勉誠出版

*6:1920~2013年。東京大学史料編纂所教授、名古屋大学教授を歴任。著書『鎖国と開国』(2006年、岩波現代文庫)等。戦前、衆院議員(埼玉県第3区選出、埼玉県比企郡小見野村(現在の比企郡川島町)出身)を務めた山口政二(1887~1927年)は父。第一高等学校名誉教授の斎藤阿具(1868~1942年。武蔵国足立郡尾間木村(現在の埼玉県さいたま市)出身))は祖父(山口啓二 - Wikipedia参照)

*7:1923~2003年。元東京大学史料編纂所講師。福田英子 - Wikipediaの研究で知られる。著書『福田英子』(1959年、岩波新書)等

*8:著書『戦後日本の反戦・平和と「戦没者」:遺族運動の展開と三好十郎の警鐘』(2017年、御茶の水書房

*9:2006年に匝瑳郡(そうさぐん)光町、山武郡(さんぶぐん)横芝町が合併し、山武郡横芝光町が発足。これにより、匝瑳郡が消滅

*10:「江頭」は「えがしら」と読む場合(例:江頭憲治郎 - Wikipedia(えがしら・けんじろう:東大名誉教授(商法学)、文化勲章受章者))もありますが、江頭晃子氏は「えとう」とのこと

*11:東京都小平市小平駅から昭島市拝島駅までを結ぶ、西武鉄道鉄道路線

*12:著書『人はなぜ騙されるのか:非科学を科学する』(1998年、朝日文庫)、『科学と非科学の間』(2002年、ちくま文庫)、『だます心・だまされる心』(2005年、岩波新書)等

*13:専修大学教授。著書『有明干拓社会の形成:入植者たちの戦後史』(共著、2014年、岩田書院)、『戦後日本の地域形成と社会運動』(2019年、日本経済評論社

*14:2005年10月1日、上福岡市入間郡大井町が合併して発足