特集「幕末維新期の社会変動と情報・メディア」
無能な俺でも説明できる範囲で紹介しておきます。
◆開国による異国船情報の変化:岩槻藩房総分領を事例に(清水詩織*1)
(内容紹介)
幕府の海防掛(海岸防禦御用掛)を務めた大岡忠固*2(おおおか・ただかた)が藩主だった時代の岩槻藩(現在の埼玉県さいたま市岩槻区(旧岩槻市*3))の「房総分領(現在の千葉県勝浦市など)」での「異国船情報の変化」について論じていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
参考
海岸防禦御用掛 - Wikipedia
寛政4年(1792年)に設置され、当初は常設ではなかったが、弘化2年(1845年)からは常設となった。嘉永6年(1853年)のペリー来航に際して強化され、安政5年(1858年)に外国奉行の設置に伴い廃止された。
弘化2年(1845年)、老中阿部正弘*4は海防掛を常設とし、阿部の他に牧野忠雅*5(老中)、大岡忠固(若年寄)、本多忠徳*6(若年寄)が任じられた。
大岡忠固 - Wikipedia
アヘン戦争で清が敗戦した影響により、幕命により江戸湾の警備のために大砲や小銃を鋳造し、藩領であった上総、安房に海上警備のために藩士を派した。これにより藩の財政が逼迫した。
◆古賀謹一郎*7の視覚とメディア(山口順子)
(内容紹介)
祖父に「寛政の三博士*8」の一人である儒学者・古賀精里を持つ「儒学者の家に生まれた」幕府儒学者でありながら、蕃書調所頭取(校長)を務め西洋学に強い関心を持った古賀の価値観がどのように形成されたかが論じられていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
参考
古賀謹一郎 - Wikipedia
嘉永6年(1853年)、ロシアから派遣されたプチャーチン艦隊の来航に際し、応接掛となり、長崎でロシア使節との交渉に関わる。翌嘉永7年(1854年)、ロシア艦再来日の際も、伊豆下田での交渉を行い、日露和親条約の締結に至った。
従前からの洋学指向に加え、ロシアとの交渉でさらに西洋事情に通じ、日本の学問状況に危機感を抱いた謹一郎は、この頃たびたび老中阿部正弘に対して建白書を提出し、洋学所設立や外国領事館設置、沿海測量許可などの開明策を求めた。
阿部も西洋の学問受容の必要性を痛感していたため、安政2年(1855年)8月30日謹一郎は阿部より直々に洋学所頭取(校長)に任命され、安政3年(1856年)12月、蕃書調所が正式に開設された。
蕃書調所は当初、蘭書の翻訳を目的としたが、英語の隆盛に鑑み、英語・フランス語・ドイツ語の教授も行わせた。特に入獄中であった堀達之助の才能を惜しみ、謹一郎が便宜を図って出獄させ、日本最初の英和辞典『英和対訳袖珍辞書』を作らせている。
文久2年(1862年)5月、蕃書調所(この年「洋書調所」と改称し、さらに「開成所」と改称)の頭取を解任された(原因は不明)。以後4年間は失職し、不遇の内に過ごす。慶応2年(1866年)製鉄所奉行並として復職。
明治維新後は、新設した大学校(昌平黌、蕃書調所の後身)の教授として新政府から招聘されたが、幕臣として、幕府を滅ぼした薩長主体の政府に仕えることを潔しとせず、徳川家の駿府転封に伴い、静岡へ移住した。このころ、中村敬宇(中村正直)と漢詩の応酬を行うなど親交を深め、明治初期のベストセラーとなった中村の『西国立志編』(サミュエル・スマイルズのSelf-Helpの訳書)に序文を寄せている。またこの頃リンネの植物学書などの洋書をまとめた『蕈説』(キノコに関する言説をまとめた書)などを著している。
◆蕃書調所=開成所の官板*9出版:活版印刷と洋装本の登場(佐々木千恵)
(内容紹介)
「蕃書調所(後に開成所と改称)の官板出版」によって「活版印刷と洋装本*10」が登場したことが論じられていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
参考
活版印刷 - Wikipedia
中国・日本のような漢字文化圏においては、文字種が膨大であることや、崩し字が活版印刷に向いていないことから、活版印刷が普及しなかった。ただし、中国や日本では木版印刷が普及しており、18世紀ごろまでは出版物の部数は活版印刷が普及した欧米を上回っていた。
日本の西洋式活版は、安政3年(1856年)に長崎奉行所でオランダの器械を用いたのが最初であるとされる。安政4年(1857年)、江戸幕府の洋学所「蕃書調所」において、スタンホープ手引印刷機を用いた活版印刷が行われた。
書物の転形期05 洋式製本の移入2:幕末の洋装本|木戸雄一*11(2020.8.26)から一部引用
蕃書調所は数多くの洋書を備えるとともに、「活字所」を調所内に開設し、スタンホープ印刷機を使った活版印刷で教本や辞書を翻刻していた。蕃書調所とその後継機関である洋書調所(1862)・開成所(1863)の出版物の多くが洋装本である。
宮地正人*12は「調所・開成所刊行の活字本を中心とする辞書・教本出版事業は所内の需要をまかなうだけではなく、広く国内の学習需要全体に対応したものであった」と述べ、箱館奉行所から1866年に『英吉利文典』『英吉利単語会話篇』のまとまった注文が行われたことを紹介している(宮地「混沌の中の開成所」)。
書物の転形期15 洋式製本の移入12:小括|木戸雄一(2021.9.24)から一部引用
開国後に洋学の技術的優位性が認められるにつれ、洋学機関では西洋の文物を規範化する動きも出てくる。書物も例外ではなく、蕃書調所は洋学教本の刊行に当たり、洋式製本を在来の素材を使いながらできる限り再現しようとした。それらは二点でかがり綴じをする簡易な仮綴じ製本で製作された。これは薄冊の蘭書に見られる製本だが、『英吉利単語篇』には和本の技法も見られる。広く国内の需要があった同書の製作には和本職人の関与があったと考えられる。
【話の脱線】
宮地「混沌の中の開成所」から一部引用
文久2(1862)年閏8月、教授手伝出役となり、その後、慶応2(1866)年8月、直参教授職並、翌3年7月、教授職、そして明治元(1868)年3月に開成所頭取となった柳河春三は蕃書調所、開成所の象徴的人物となるだろう。蘭英仏3ヵ国語に精通し、数学、化学、物産学にも所内で指導者的立場に立つことが出来るという異能の人物であった。
人は、長く生きようと短く生きようと一生で出来る仕事の量は一定している。明治3年2月、39歳の柳河は、同郷の友人宇都宮三郎と一緒にウナギ飯をたべながら、「ああうまかった」といって(ボーガス注:当時は死病であった肺結核による吐血で)急逝したが、彼はその時までには、なすべき事は総て仕上げていた。
(ボーガス注:柳川のように)おのれがもつ諸能力を全面的に展開できる場を持つことが出来、そして老醜をさらす前にこの世から去れることは、ある意味では幸福なことであるだろう。そのような者は、死後、永遠に若いまま生き続けることが出来るのである。
確かに「樋口一葉(1872~1896年(享年24歳:結核による病死)。作家。現在の5000円札の肖像)」など「早世したが名を残した人間」は多数いますが「短く生きても歴史に名を残した者の方が立派」みたいなこうした文章を読むと「長く生きたところで、歴史に名を残せない凡人」としては何とも複雑な気になりますが、メモしておきます。
◆幕末維新期の出版規制と書籍商(藤實久美子*13)
(内容紹介)
幕末維新期の出版規制(幕府や明治新政府)に書籍商がどう対応したかが論じられていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
参考
近世出版事業の隆盛と和紙需要│41号 和紙の表情:機関誌『水の文化』│ミツカン 水の文化センター(藤實久美子)
享保のころになると、板株(いたかぶ)といって、本屋の権利がガチガチに固められます。8代将軍徳川吉宗の時代に株仲間を公認することで、特権商人化させ、物価の高騰を抑えようとしたのです。自治として、同業者同士で組合をつくってください、という経済政策への転換です。
しかし、その前からそういう傾向は起きていたようです。1698年(元禄11)京都・大坂の本屋が、海賊版阻止についての訴えを大坂町奉行に提出しています。連名で監視体制をつくっているんですよね。
そのあと、1716年(享保元)京都の書林仲間、1721年(享保6)江戸の書物問屋仲間、1723年(享保8)大坂の本屋仲間が公認されます。その代わり、徳川将軍家に関することだとか、社会上層部に都合の悪い情報を出さないように統制していくんですね。
実は武家は結構、ゆすりに遭っているんですよ。「毛利元就は、その主君大内義隆に反逆した陶晴賢(すえ・はるかた)に味方した裏切り者である」といった本を出されてしまうんです。『陰徳記』系統の『関西記』『備芸記』という本なんですが、「こんな本をつくりました。幾らかかりました」と言って、毛利家に持っていくわけです。すると、そのまま返すわけにはいかないから、かなり高額な金子を渡す。その代わりにすべて焼却させる。今の有名税と一緒です。そういうことは、毛利家以外にも(ボーガス注:『伽羅先代萩』(めいぼくせんだいはぎ)、『樅ノ木は残った』で知られる伊達騒動の)仙台の伊達家に対してもありました。
だから大名のほうも困っていた。それで株仲間の権利を認める代わりに、世のため人のためになる本を出しなさい、という規制をかけました。
◆維新政府文書としての木版刊行物(箱石大*14)
(内容紹介)
維新政府の木版刊行物について論じられていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。なお、活版印刷は明治維新当初はまだ普及していません。
◆「信飛新聞」普及と同時代の「公論」:明治初期における地方メディアと合議体の接点(寺島宏貴)
(内容紹介)
明治維新初期に「信濃(長野県)、飛驒(岐阜県)」で市川量造*15によって発行された「信飛新聞」が同時代の公論(政治的議論)に与えた影響について論じられていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
◆明治実録物に見る戊辰戦争(山田英明)
(内容紹介)
戊辰戦争を題材として明治実録物「復古夢物語」「近世太平記」「近世紀聞」「明治太平記」が論じられていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
注目すべきは「幕府=悪、新政府=善」とは必ずしも描かれていないことで、この点は
「作者や想定読者の多くが元幕臣であったこと」
「作者や想定読者が幕臣でない場合も、江戸に侵攻した薩長を、作者や想定読者である江戸住民は当然の正義とは思えなかったこと」
「源義経、楠木正成など政治的敗者を美化する判官贔屓の感情が日本人において長く続いてきたこと」等が理由として考えられる。またこうした実録物を「ガス抜き」として新政府はそれほど抑圧しなかった。
また、新政府も
1)旧幕臣のウチ「小栗忠順(勘定奉行、江戸町奉行、外国奉行を歴任)」「近藤勇(新選組局長)」等は処刑している
2)旧幕臣の登用数は「旧幕臣の全体数から見れば少ない」とは言え、薩長だけで人材を賄いきれず、あるいは「元幕臣達への懐柔策」として
榎本武揚 - Wikipedia参照
江戸幕府で海軍副総裁。箱館戦争参加によって投獄されるが後に許されて明治新政府に出仕。ロシア公使として樺太・千島交換条約を締結。その後も海軍卿、清国公使、第1次伊藤、黒田内閣逓信大臣、黒田、第1次山県内閣文部大臣、第1次松方内閣外務大臣、第2次伊藤、第2次松方内閣農商務大臣等の要職を歴任
大鳥圭介 - Wikipedia参照
江戸幕府で歩兵奉行。箱館戦争参加によって投獄されるが後に許されて明治新政府に出仕。工部大学校(東京大学工学部の前身)初代校長、学習院長、清国公使、枢密顧問官等の要職を歴任
勝海舟 - Wikipedia参照
江戸幕府で陸軍総裁。明治新政府で海軍卿、枢密顧問官等の要職を歴任
など旧幕臣を登用しており、幕府を全否定できる立場では無かった。
こうした「新政府=善」とは必ずしも見なさない価値観は「薩長と対決した奥羽越列藩同盟の中心である会津藩など東北地方」を中心に
◆新選組血風録 (テレビドラマ) - Wikipedia、青のミブロ - Wikipedia*16
など新選組を英雄的に描いた時代劇やアニメ
◆白虎隊 (1986年のテレビドラマ) - Wikipedia、白虎隊 (2007年のテレビドラマ) - Wikipedia
会津藩の白虎隊を同情的に描いた
◆逆賊の幕臣 - Wikipedia(2027年放送予定のNHK大河ドラマ)
明治新政府によって処刑された幕臣・小栗忠順(勘定奉行、江戸町奉行、外国奉行を歴任。演:松坂桃李)が主人公。「まだ放送されてない」が、主人公である以上、小栗に同情的な描かれ方がされるとみられる。
『ある明治人の記録──会津人柴五郎の遺書』(石光真人/中公新書) | マガジン9
義和団事件鎮圧で活躍した陸軍軍人「柴五郎(東京衛戍総督、台湾軍司令官など歴任)」の著書。
『ある明治人の記録──会津人柴五郎の遺書』(石光真人/中公新書) | マガジン9を引用すれば本書の初版は1971年。2016年まで57版を重ね、昨年末に改版が発行された。
本書に登場する柴五郎は会津藩上級武士の五男として生まれるも、会津戦争で官軍に敗れ、祖母や母親、姉妹らは自刃。男たちは下北半島へと追放され、炊いたお粥がすぐに凍るような厳寒の地で犬の肉を食らう、凍死や餓死と隣り合わせの日々を過ごした。
陸軍幼年生徒隊入隊の機会を得て、藩閥の外にありながら陸軍大将、軍事参議官にまで上りつめる。その生涯を本人が半紙に細字の筆で綴ったものを、石光真人が編著者としてリライトした。
本書にかかれば、幕末の偉人「西郷隆盛」も「薩長の下郎ども」の一人であり、「はからずも兄弟四名、薩摩打ち懲らしてくれんと東京にあつまる。薩軍の退路を断ち、敗残の薩軍を日向路に追い込めたり。かくして同郷、同藩、苦境をともにせるもの相あつまりて雪辱の戦いに赴く、まことに快挙なり」と、西郷率いる薩摩軍が西南戦争に敗れることに快哉が叫ばれる。あるいは柴五郎 - Wikipediaを引用すれば
故郷の会津が薩摩勢に甚大な被害をもたらされ、自らの家族も犠牲にあったため、薩摩の西郷隆盛や大久保利通の死を「一片の同情もわかず、両雄非業の最期を遂げたるを当然の帰結なり」として喜んだと回顧している。
等の形でその後も続いてきたと言える。
◆歴史の眼「『国体』の護持から『民主主義』の護持へ:現代版治安維持法の予感」(荻野富士夫*17)
(内容紹介)
副題の「現代版治安維持法」とは高市内閣が制定を画策する「スパイ防止法」「経済安保保護法制(但し、既に岸田内閣で重要経済安保情報保護活用法*18が、石破内閣で能動的サイバー防御法が制定されていますが)」「外国人の経済活動への規制法(但し、既に岸田内閣で重要土地利用規制法が制定されていますが*19)」等であることは「勘の鋭い方」には予想できるでしょう。
では「国体から民主主義へ」とは何かと言えば治安維持法の目的が「国体(天皇主権)維持」だったのに対し、「現代版治安維持法」は「民主主義(といっても多数派の横暴、専制とも言うべき多数決主義のことですが)」を口実にするだろうという「荻野氏の予想」です。
わかりやすい例で言えば「外国人の経済活動への規制」は「国民多数の外国人への不安(はっきり言って、偏見による外国人差別、排外主義も甚だしいですが)」を口実に行われるだろうという話です。そして「国民多数の外国人への不安」は「参政党への支持」等を考えると残念ながら「全くの虚偽」というわけでもない。しかし「民主主義(国民多数の外国人への不安)」を理由にしたところで「人権上、排外主義が許されないこと」は「言うまでもない」でしょう。
なお、何もこうした「民主主義=多数派の専制」は「今の高市政権に限った話」ではない。
1)安保闘争(安保改定反対デモ)に対して、「声なき声は私を支持している」「今日も後楽園球場は満杯だ(大半の日本人は安保闘争に興味は無く、巨人ファンとして暢気に巨人の試合を見ている)」として「多数派は自らを支持してる」と強弁し、安保闘争を「民主主義否定」であるかのように非難した岸*20首相
2)「特定秘密保護法反対デモ」をテロ扱い、テロ呼ばわりした「石破*21(当時、自民党幹事長(第二次安倍総裁時代)。後に首相)の暴言(例えば、赤旗弾圧立法の本質見えた/“デモを「テロ」”扱い 石破発言/秘密保護法案、秘密保護法案“反対デモ テロ指定も”/石破氏、会見で認める/7野党が抗議・徹底審議を要求(いずれも2013.12.3)参照)」はその一例です。
石破の発言なんか、「荻野氏が危惧、懸念する」露骨な「民主主義=議会制民主主義限定」「民主主義=多数派の専制」の典型でしょう。
石破の発言(デモをテロ扱い)をそのまんま「テロ規制法」に適用すれば弾圧立法の本質見えた/“デモを「テロ」”扱い 石破発言/秘密保護法案(2013.12.3)が批判するように「テロ規制を口実にしたデモ弾圧」となり、まさに、荻野氏が言う「民主主義を口実とした現代版治安維持法(デモ等の弾圧)」です。
話が脱線しますが「高市が酷すぎる」が故に石破の株が上がるのもいかがな物か。
「デモをテロ扱い」した発言については未だに謝罪も撤回もないと思います。他にも石破の問題行為はいくらでもあるでしょう。
「首相時代の石破」は単に「自民の衆院過半数割れ」等で「高市のような暴挙」がそれほど出来なかっただけの話では無いのか。とはいえそれでも石破は例えば首相時代に、学術会議の御用機関化を狙った「日本学術会議改悪法」を成立させており、俺的に石破は「高市よりはマシだがそれほど高評価できる政治家ではない」。
勿論「民主主義=多数派の専制」は日本に限った話でもない。
「デモをテロ扱い」などは「米国のトランプ」もその例でしょう。そしてトランプは残念ながら「民主的に選ばれた大統領」ではあるわけです。最近、トランプは支持率が低迷してるので「中間選挙での共和党大敗」でレイムダック化してほしいですが。
勿論
1)高市内閣が画策する「現代版治安維持法(スパイ防止法等)」について制定阻止の運動を強めると共に
2)マスコミ(特にテレビ局)の権力批判の弱さ、自民党の多数議席等によって不幸にして制定されたとしても、「廃止の運動」「法発動阻止の運動」を強めていくべきことは当然です。
「自民党に多数議席を与えた国民のバカさ」「マスコミ(特にテレビ局)の権力批判の弱さ」が「全くもって不愉快」ですが「諦めず戦う」ほかはないのでしょう。
【参考:石破の暴言】
石破茂首相「デモはテロ」と断言した「タカ派」の地金がジワジワ 「民意に寄り添う」は総理のイスに座るまで?:東京新聞デジタル2024.10.24
「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない」。
特定秘密保護法案が強行採決される直前の2013年11月、自民党の幹事長だった石破氏はブログにそう記した。
法案に反対するデモ活動をテロと同一視することに批判の声が上がった。NPO法人情報公開市民センター理事長の新海聡弁護士は当時、本紙に「ここまで本音が出るとは」と語った。
新首相就任をどう感じるか。改めて新海氏に尋ねると「安倍晋三元首相や高市早苗氏らの陰に隠れてきたが、表現の自由に対し、建前とデモを抑圧したいという本音が全く違うのは変わっていないだろう」と危機感を緩めずにいた。
「総裁選までは人気を得るためにリベラル路線を強調してきたが今後、本性が見えてくるのでは」
自民の野党時代の2012年には月刊誌で「国そのものが揺らいだら、『知る権利』などと言っていられなくなるのだ。そういう意味で、『知らせない義務』は『知る権利』に優先する」とつづった。2013年4月のテレビ番組では、憲法9条を変更して自衛隊を「国防軍」とすることを掲げたほか、軍事法廷のような機能をつくり、出動命令に背けば「死刑」「懲役300年」もあり得ると持論を展開した。
(以下は有料記事です)
きょうの潮流 2013年12月2日(月)
秘密保護法案反対の声が列島にとどろく最中に、政権与党から信じられない暴言が飛び出しました。自民党の石破茂幹事長が自身のブログで、法案に反対する国民のデモとテロを同列視したのです
▼「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない」。
知る権利を奪い、人権を侵し、日本を戦争する国にしようという法案。それに対して、黙ってはいられないと広範な国民が立ち上がっているのが今の状況です
▼それを「絶叫戦術」「テロ行為」などと切り捨てるところに、この悪法を押し通そうとする勢力の強圧で独裁的な感覚がみえてきます。
▼暴力と憎しみの連鎖を生み、恐怖社会をつくるだけのテロ。その卑劣な行為をデモと重ねる石破氏は、日本が再び他国を攻撃できるよう「海兵隊をもつべきだ」と口にしています
▼憲法を変え、自衛隊を国防軍に変え、最悪の暴力である戦争に日本を巻き込もうとする政権党の中心人物。それが非暴力のデモにおびえるとは。反対運動の盛り上がりに暗黒勢力が追いつめられている証拠でしょう。
弾圧立法の本質見えた/“デモを「テロ」”扱い 石破発言/秘密保護法案2013.12.3
連日、国会前で続く秘密保護法案反対のデモ活動を「テロ行為と本質において変わらない」とした自民党・石破茂幹事長の発言(11月29日の自身のブログ)は、「テロ防止」を名目に国民を監視する秘密保護法案の弾圧立法としての本質を示すものです。
法案では、テロを「政治上その他の主義主張に基づき、国家若(も)しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動」(12条)と定義しています。
森雅子*22法案担当相は、「テロ」とみなされるのは殺傷や破壊を行った場合だけで、「国家・他人に主義主張を強要」しただけではテロに該当しないとの見解を示していますが(同15日、衆院特別委)、条文を素直に読めばそうはなりません。
「強要」は、「殺傷」「破壊」と並んで「又は」で区切られており、「主義主張の強要」だけでテロとみなされる構造です(別項)。
石破氏がブログに記した「絶叫戦術(によるデモ)はテロ行為と変わらない」との考えは、まさに後者(主義主張の強要)のテロ定義によってデモを解釈したものです。現に石破氏自身、2日の記者会見で、「大音量のデモはテロリズムと定義されるのか」と問われ、「強要されればそうでしょう」と述べ、政府答弁との食い違いを浮き彫りにしました。
しかも、「強要」かどうか、「畏怖(いふ)を与え、平穏を妨げる」デモかどうかを判断するのは捜査当局です。石破氏が読みとったとおり、条文にそった解釈が成り立てば、「テロ防止」を名目に警察は堂々と市民活動を取り締まり、その監視実態を「秘密」にすることになります。
そのような社会が、「表現の自由」を保障した憲法と相いれないことは明らかです。
与党最高幹部(幹事長)がデモを犯罪と同一視する「石破発言」は与党の世論軽視の姿勢を象徴する、それ自体が「民主主義と相いれない」ものです。
赤旗秘密保護法案“反対デモ テロ指定も”/石破氏、会見で認める/7野党が抗議・徹底審議を要求2013.12.3
石破氏は2日、ブログに「お詫びと訂正」を掲載したものの、「反対デモ」は「本来あるべき民主主義とは相容れない」と開き直りました。同日の記者会見で、「大量の音を発するデモ行為は(秘密保護法案の)テロリズムに定義されると考えるか」との質問に、石破氏は「強要されればそうだ」と答えました。
日本共産党の市田忠義書記局長*23は2日の記者会見で、石破氏の会見発言を「重大で許しがたい暴言だ」と指摘。「憲法で保障された表現の自由を、『テロ行為』と同列視して批判することは言語道断だ」と批判しました。
秘密保護法案 石破発言問題/「官邸前に集まっている人 テロと言ってもよいくらい」/自民党本部 抗議の弁護士に暴言2013.12.4
国会前や首相官邸前で秘密保護法案に反対の声を上げている市民の行動を「テロ行為」だとブログで発言した自民党の石破茂幹事長に対し抗議文を送った市民らに、自民党の「渉外担当」と名乗る男性が「(官邸前には)テロといわれてもよいくらいの暴力的な、表現の自由を盾にやっている人たちはたくさんいる」などと、暴言を吐いていたことが3日、分かりました。官邸前見守り弁護団の神原元(はじめ)弁護士と市民らが同日、記者会見し、内容を明らかにしました。
神原弁護士によると2日、自民党本部に石破発言への抗議文を郵送。弁護士が面会を申し入れるために自民党本部に電話連絡したところ3日、「渉外担当」者が、「抗議文は受け取らない」「謝罪なんかしない。理由なんか説明しない」「明日来ても建物には入れない」「調子いいときだけ国民なんて言わないでくださいよ」などの暴言を吐きました。
神原弁護士は「(電話で対応した男性について)威圧的で暴力的な対応だった。今回の出来事は、石破発言は決して彼個人のものだけではなく、自民党本体自体が、そういう体質を持っていることを表している」と語りました。
赤旗公安調査庁/原発ゼロ・消費税反対も監視2013.12.5
秘密保護法案への抗議行動をテロ行為と同一視した自民党の石破茂幹事長の発言が批判を呼んでいます。こうしたなか、テロリストなどの治安情報を収集することを口実に活動している公安調査庁が、原発ゼロを求める抗議行動などを監視していたことが同庁発行の資料で明らかになりました。
【話の脱線】
「「頭と性格が悪い」kojitakenと「類友」宮武嶺を批判する(2026年2/16日分)(追記:宮武から恫喝が来たので今後彼やkojitakenに言及しない予定) - bogus-simotukareのブログでの約束を破ることになるのかな?」と思いながらも「時代小説ファン、時代劇ファン(例えば暴れん坊将軍 カテゴリーの記事一覧 - bogus-simotukareのブログ、松本清張時代短編セレクション『清張の牢獄』(宮部みゆき、有栖川有栖、北村薫編、2025年、文春文庫) - bogus-simotukareのブログ参照)」「歴史評論愛読者(例えば歴史評論 カテゴリーの記事一覧 - bogus-simotukareのブログ参照)」の俺としてあまりにもびっくりしたのでメモしておきます。
トラブル防止のために記事引用もしないし、リンクも張りませんが例の方は「最近まで鳥居耀蔵 - Wikipedia」を知らなかったそうです。
鳥居と言えば
1)同時代に活躍した「遠山景元(通称は遠山金四郎。遠山が北町奉行、鳥居が南町奉行)」のライバルとしてテレビ朝日の時代劇「遠山の金さん」等、遠山が登場する時代劇、時代小説に登場することが多い
2)史実においても蛮社の獄 - Wikipediaに関わるなどそれなりの重要人物なんですけどね。
歴史小説ファンにとっては「鳥居を知らない」は
◆清水次郎長を知らない
時代劇にもなった村上元三『次郎長三国志』の主人公。小説はかなり虚構が入っているが実在の人物
◆遠山金四郎を知らない
テレビ朝日の時代劇「遠山の金さん」の主人公。ドラマはかなり虚構が入っているが実在の人物(小普請奉行、作事奉行、勘定奉行、江戸北町奉行、大目付、江戸南町奉行を歴任。時代劇では北町奉行で登場)
◆徳川光圀を知らない
TBSの時代劇「水戸黄門」の主人公。ドラマはかなり虚構が入っているが実在の人物(水戸藩主)
◆徳川吉宗を知らない
テレビ朝日の時代劇『暴れん坊将軍』の主人公。ドラマはかなり虚構が入っているが実在の人物(江戸幕府8代将軍として享保の改革を実施)
◆長谷川平蔵を知らない(あるいは火付盗賊改方を知らない)
時代劇にもなった池波正太郎「鬼平犯科帳*24」の主人公で火付盗賊改方長官。小説はかなり虚構が入っているが実在の人物
◆原田甲斐を知らない(あるいは伊達騒動を知らない)
NHK大河ドラマにもなった山本周五郎『樅ノ木は残った』の主人公。また、歌舞伎『伽羅先代萩(めいぼく・せんだいはぎ)』の悪役・仁木弾正のモデルで、伊達騒動の中心人物の一人(伊達家重臣)。小説はかなり虚構が入っているが実在の人物
◆柳生十兵衛を知らない
五味康祐『柳生武芸帳』、山田風太郎『柳生忍法帖』等の登場人物(柳生三厳 - Wikipedia参照)。小説はかなり虚構が入っているが実在の人物(柳生藩初代藩主で徳川将軍家の兵法指南役を務めた柳生宗矩の子)
レベルに「ええ、知らないの?」ではあります。
新刊紹介:「歴史評論」2022年10月号 - bogus-simotukareのブログでも触れましたが、最近では
◆逃げ上手の若君(松井優征)
『週刊少年ジャンプ』(集英社)で2021年8号から連載中。鎌倉時代から室町時代にかけて、北条時行(鎌倉幕府最後の得宗・北条高時の遺児)の生涯を描く歴史漫画。
とか、かなりマイナーな人間(北条時行など)も「漫画のネタ」になってる時代に「奇特な御仁」ではあります。
*1:著書『近世後期の海防と社会変容』(2024年、勉誠社)
*2:日光祭礼奉行、奏者番、若年寄、普請奉行等を歴任
*3:埼玉県民なのに、当初、「岩槻市」と間違って書いてしまい恥ずかしい(苦笑)。今は「平成の大合併」で「さいたま市岩槻区」でしたね。
*4:福山藩主。奏者番、寺社奉行、老中を歴任。老中在任中に日米和親条約を締結
*5:長岡藩主。奏者番、寺社奉行、京都所司代、老中を歴任
*6:泉藩主
*7:蕃書調所頭取(校長)。評伝に小野寺龍太『古賀謹一郎』(2006年、ミネルヴァ書房日本評伝選)(古賀謹一郎 - Wikipedia参照)。なお、小野寺(九州大学名誉教授)には古賀の他にも『幕末の幕臣』の評伝として小野寺『栗本鋤雲』(2010年、ミネルヴァ書房日本評伝選。栗本は幕末に、外国奉行、勘定奉行、箱館奉行を歴任。明治維新後は「郵便報知新聞」主筆)、『岩瀬忠震』(2018年、ミネルヴァ書房日本評伝選。岩瀬は外国奉行を務めるが、安政の大獄で失脚し、作事奉行に左遷され、失意のウチに病死)がある(なお、小野寺は工学部教授であり、本業は日本史ではない)(小野寺龍太 - Wikipedia参照)
*8:三博士は前期、後期で一人入れ替わり、 前期は「岡田寒泉」「尾藤二洲」「柴野栗山」で、後期は、「岡田寒泉」を除いて「古賀精里」を加える(寛政の三博士 - Wikipedia参照)
*9:官板とは「官(幕府)の命令によって出版された刊行物」のこと
*10:「西洋式の製本方法を採用した書籍」のことを指し、和装本や和綴じ本と対比される言葉
*11:筆者の木戸氏は大妻女子大学教授
*12:東京大学名誉教授。著書『日露戦後政治史の研究』(1973年、東京大学出版会)、『幕末維新風雲通信』(1978年、東京大学出版会)、『天皇制の政治史的研究』(1981年、校倉書房)、『国際政治下の近代日本』(1987年、山川出版社)、『幕末維新期の文化と情報』(1994年、名著刊行会)、『幕末維新期の社会的政治史研究』(1999年、岩波書店)、『歴史のなかの新撰組』(2004年、岩波書店→2017年、岩波現代文庫)、『通史の方法』(2010年、名著刊行会)、『幕末維新変革史』(2011年、岩波書店→2018年、岩波現代文庫)、『歴史のなかの『夜明け前』:平田国学の幕末維新』(2015年、吉川弘文館)、『土方歳三と榎本武揚:幕臣たちの戊辰・箱館戦争』(2018年、山川出版社日本史リブレット人)、『幕末維新像の新展開:明治維新とは何であったか』(2018年、花伝社)、『天皇制と歴史学』(2019年、本の泉社)、『自由民権創成史(上)(下)』(2024年、岩波書店)等
*13:国文学研究資料館教授。総合研究大学院大学教授。著書『武鑑出版と近世社会』(1999年、東洋書林)、『近世書籍文化論』(2006年、吉川弘文館)、『江戸の武家名鑑』(2008年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)
*14:東大教授。著書『戊辰戦争の史料学』(編著、2013年、勉誠出版)、『戊辰戦争の新視点(上)(下)』(編著、2018年、吉川弘文館)
*15:1845~1908年。1872年(明治5年)、松本城が大蔵省によって競売にかけられ、309両で落札された。落札者は天守閣を取り壊そうとしたが、市川は「城がなくなれば松本は骨抜きになる」と社長を務める『信飛新聞』の紙面で訴え、先祖伝来の蔵書を売るなどして金を工面し始める。城内で博覧会を開催しその入場料などが当てられ、買い戻しに成功した。1882年、長野県南佐久郡長に、1885年に長野県下高井郡長に任命された。その後は長野県会議員を務めるなど松本の産業振興に尽力した。現在、松本城公園の入り口に、松本城天守閣を取り壊しから守った功労者としてレリーフが設置されている(市川量造 - Wikipedia参照)
*16:『週刊少年マガジン』(講談社)において、2021年46号から連載中。テレビアニメは第一期が2024年10月から2025年3月まで、日本テレビで放送。第二期『芹沢暗殺編』が2025年12月から日本テレビで放送中。「壬生浪(ミブロ)」とは新選組の前身である壬生浪士組の通称。
*17:小樽商科大学名誉教授。著書『特高警察体制史(増補版)』(1988年、せきた書房)、『北の特高警察』(1991年、新日本出版社)、『昭和天皇と治安体制』(1993年、新日本出版社)、『初期社会主義思想論』(1993年、不二出版)、『戦後治安体制の確立』(1999年、岩波書店)、『思想検事』(2000年、岩波新書)、『外務省警察史』(2005年、校倉書房)、『横浜事件と治安維持法』(2006年、星雲社)、『戦前文部省の治安機能』(2007年、校倉書房)、『多喜二の時代から見えてくるもの:治安体制に抗して』(2009年、新日本出版社)、『母の語る小林多喜二』(2011年、新日本出版社)、『特高警察』(2012年、岩波新書)、『「戦意」の推移:国民の戦争支持・協力』(2014年、校倉書房)、『闇があるから光がある:新時代を拓く小林多喜二』(2014年、学習の友社)、『北洋漁業と海軍』(2016年、校倉書房)、『よみがえる戦時体制:治安体制の歴史と現在』(2018年、集英社新書)、『日本憲兵史』(2018年、日本経済評論社)、『証言・治安維持法』(2019年、NHK出版新書)、『治安体制の現代史と小林多喜二』(2019年、本の泉社)、『治安維持法の歴史Ⅰ:治安維持法の「現場」』(2021年、六花出版)、『治安維持法の歴史Ⅱ:治安維持法・その成立と「改正」史』(2022年、六花出版)、『治安維持法の歴史Ⅲ:朝鮮の治安維持法の「現場」』(2022年、六花出版)、『治安維持法の歴史IV:朝鮮の治安維持法・運用の歴史』(2022年、六花出版)、『治安維持法の歴史Ⅴ:台湾の治安維持法』(2022年、六花出版)、『治安維持法の歴史Ⅵ:「満州国」の治安維持法』(2022年、六花出版)、『検証・治安維持法』(2024年、平凡社新書)、『治安維持法と「国体」』(2025年、大月書店)、『「国体」とは何か:教育勅語から八紘一宇まで』(2026年4月発売予定、地平社)等
*18:赤旗では経済秘密保護法と呼んでいる(例えば秘密保全に国会組み込む/塩川氏 証言法改定案を批判(2025.4.28)参照)
*19:重要土地利用規制法には立民は反対した物の、共産が反対した重要経済安保情報保護活用法、能動的サイバー防御法に賛成したことは今思えば、その後の「中道結成(共産との野党共闘破壊)」につながる行為の一つだったと言えるでしょう。
*20:戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、日本民主党幹事長、自民党幹事長(鳩山総裁時代)、石橋内閣外相を経て首相
*21:小泉内閣防衛庁長官、福田内閣防衛相、麻生内閣農水相、自民党政調会長(谷垣総裁時代)、幹事長(第二次安倍総裁時代)、第三次安倍内閣地方創生担当相等を経て首相
*22:第二次安倍内閣少子化等担当相、第四次安倍内閣法相等を歴任
*23:役職は当時。現在は小池晃書記局長。市田氏は参院議員は引退したが現在は日本共産党副委員長
*24:『鬼平』は池波正太郎が「あれは私が作ったんです」と後に述べているように、当時そう呼ばれたわけではない(長谷川宣以 - Wikipedia参照)