新刊紹介:「経済」2026年5月号(副題:アダム・スミスの『共感の経済学』ほか)

 無能な俺が「能力的に説明できる範囲」で簡単に紹介します。
◆随想「国際女性デーに寄せて」(小畑雅子*1
(内容紹介)
 新刊紹介:「前衛」2026年5月号 - bogus-simotukareのブログの『日本版「女性の休日」をシスターフッドの新たな契機に:アイスランドの女性たちから学んで(朝岡晶子)』でも触れた「2026年に行われた日本版『女性の休日』アクション」について主として述べられていますが小生の無能のため詳細な紹介は省略します。


特集「『資本論』を読もう」
◆資本論第1部を学ぶ人へ(上)(石川康宏*2
(内容紹介)
 講義形式で書いてみます。
・資本論は3部ありますが、一番最初に刊行されたのが1部であり、やはり1部から読むのが適切でしょう。
・独学がダメとは言いませんが、「同学の人間」がいると励みになりますので、学習会の参加をおすすめしたい。
・資本論1部を書いた目的についてマルクスは「資本主義的生産様式の分析」と書いています。資本主義の「労働者搾取」などを無くすためには、まず「資本主義の経済学的分析が必要だ」と言う問題意識がマルクスにはありました。
(以下は小生の無能で、石川主張が上手くまとまらないので省略します)


◆世界の変革と自由の探求:マルクスの哲学(牧野広義*3
(内容紹介)
 講義形式で書いてみます。
・マルクスの理論の重要な点としては

「共産主義と自由」「自由な時間」/志位さんと高校生 議論はずむ2024.8.25
 マルクスは、搾取されているのはモノやカネだけでなく、「自由に処分できる時間」だと突き止めていったと強調。「『自由な時間』が横領されている」といった状況は現代の日本にも当てはまるとして、「今、一番欲しいもの」を設問にした広告代理店の若者意識調査では、「お金」に続き「時間」「自由」となっていることを紹介しました

等が論じる「時間の自由(自由な時間)」と言う問題があります。
(以下は小生の無能で、牧野主張が上手くまとまらないので省略します)


◆搾取の仕組みを解き明かす(楠田マミ)
(内容紹介)
 資本論における「搾取の説明」が紹介されていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。


◆貧困はなぜ広がるのか(霜田博史*4
(内容紹介)
 資本論における「貧困拡大のメカニズム」の説明がされていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
 簡単に言えば
1)「資本主義それ自体」には「貧困を縮小するシステム」がビルトイン(内蔵)されてない(勿論、一方で「資本主義なら必然的に貧困が拡大する」わけではないですが)
2)資本家が人件費をコストとみなして、賃金カットに励めば貧困者は必然的に増える(昨今の日本における非正規労働者の増加はその一例)
3)貧困克服は「資本家の善意」に頼るのでは無く「政治(最低賃金引き上げなど)」「労働組合と資本家との交渉による賃金アップ」など「資本主義とは関係ないシステムの力」によるしかない
という話です。


◆環境危機の本質は何か(野口義直*5
(内容紹介)
 資本論を題材に「環境危機」が論じられていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
 簡単に言えば
1)「資本主義それ自体」には「環境保護のシステム」がビルトイン(内蔵)されてない(勿論、一方で「資本主義なら必然的に環境破壊になる」わけではないですが)
2)資本家が環境保護にかかる経費をコストとみなして、環境保護をおろそかにすれば環境破壊は必然的に起こる(公害はその一例)
3)環境保護は「資本家の善意」に頼るのでは無く「政治(環境保護法の制定など)」など「資本主義とは関係ないシステムの力」によるしかない
という話です。


◆ジェンダーと『資本論』(箕輪明子*6
(内容紹介)
 マルクスは「ジェンダーと労働」「女性と労働」の関係について論じていないとする一部フェミニストの批判を「一面的である」と批判している。
 まず、マルクス時代の英国において「工場等での女性労働」は存在しており、マルクスはある程度「ジェンダーと労働」「女性と労働」を論じていると指摘される。
 しかし、以下の限界もあったとして、一部フェミニストの批判には「一面の真理はある」としている。
1)マルクスは性別役割分業への批判が弱く、その点では「当時の男性」としての限界がある。
2)マルクス時代には、主たる「資本主義的労働」は第二次産業(製造業)であり、第三次産業(サービス労働)についての分析が弱い点は否定できない。


◆民衆教育運動と『資本論』:アメリカにおける『資本論』解説講座運動(大屋定春*7
◆欧州におけるマルクス・ルネサンス(小島良一)
◆ブラジルで読まれる『資本論』(山崎圭一*8
(内容紹介)
 それぞれ、米国、欧州、ブラジルにおけるマルクス研究、学習運動が論じられていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
 米国の学習運動に関連して、

デヴィッド・ハーヴェイ - Wikipedia
『都市の資本論:都市空間形成の歴史と理論』(1991年、青木書店)
『経済的理性の狂気:グローバル経済の行方を〈資本論〉で読み解く』(2019年、作品社)

等の著書があるマルクス経済学者「デヴィッド・ハーヴェイ」の書いた資本論入門書である『〈資本論〉入門』(2011年、作品社)、『〈資本論〉第2巻・第3巻入門』(2016年、作品社)が、ブラジルの学習運動に関連して、ブラジルのマルクス経済学者「パウル・シンジェル(1932~2018年。左派政権である、ルーラ*9第1期政権(2003~2011年)やジルマ・ルセフ*10政権(2011~2016年)のブレーンだったとされ、左派政権においてブラジル労働省連帯経済局長を務めた)」が紹介されています。
 ブラジルには

日系ブラジル人 - Wikipedia参照
・現在約200万人以上の日系人が住む。
・1969年には初の日系ブラジル人の国務大臣として、2世のファビオ・ヤスダ(安田良治)が商工大臣に就任した。また、1974年には同じく2世のシゲアキ・ウエキ(植木茂彬)が鉱山動力大臣に就任した。ヤスダやウエキの大臣就任は、「日系ブラジル人の社会的成功」と「ブラジル社会への同化」の象徴として受け止められた。

ということで日系移民が多く、また「日本の輸入鶏肉の多くはブラジル」「ブラジルからの出稼ぎ労働者によってブラジルタウン化(?)した群馬県太田市、大泉町」等というつながりが日本との間にあるが、「パウル・シンジェル」などブラジル左派運動についても「もっと多くの日本人に知ってほしい」とする山崎氏です。
 パウル・シンジェルについてはググってヒットした以下を紹介しておきます。なお、シンジェルについては、小池洋一*11「もう一つの経済を求めて:パウル・シンジェルの連帯経済論」(小池編『ブラジルの社会思想:人間性と共生の知を求めて』(2022年、現代企画室))という論文があるとのこと。

ブラジルの「連帯経済入門」を読む|集広舎(廣田裕之*12)2022.2.1
 ブラジルは、2016年に労働者党のジルマ・ルセフ大統領が弾劾されて以降、連帯経済側にとって厳しい状況が続いていますが、少なくとも一時期において連帯経済が連邦政府の公式政策として採用され、国内外で大きな反響を呼んだことは確かです。このブラジル式連帯経済について理論的基盤を築いた書物としては、執筆時に名門サンパウロ大学の教授で、その後ブラジル全国連帯経済局の局長に抜擢されて長年務め、近年亡くなったパウル・シンジェル(1932~2018)の「連帯経済入門」があるので、今回はこの本を紹介したいと思います。
 シンジェルは連帯経済を提唱します。資本家と労働者に分かれる資本主義企業では必然的に富の偏在が起きるので、その分離がなく、それにより給与格差のない、あるいはあっても資本主義企業よりはるかに小さく、そして株主に利益を配当するかわりに組合員の教育基金などに充てることができる、労働者協同組合を中心とした経済を夢見ていたのです。


◆剰余価値率の実証的研究に取り組んで(泉弘志*13
(内容紹介)
 剰余価値率の実証的研究に取り組んできた泉氏が自らの研究を回顧していますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。


◆資本による労働の分断統治*14と解放(上):1日7時間・週35時間労働の経済学(関野秀明*15
(内容紹介)
 副題にあるように「1日7時間・週35時間労働」の実現をどう目指すかが論じられていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
 なお、今回は「1日7時間・週35時間労働」とは著しく乖離した「日本の長時間労働」の説明がされています(次回の(下)で解決策が本格的に論じられると思われる)


◆2025年農林業センサスを読み解く:必要なのは農地集積ではなく担い手の育成・確保(安藤光義*16
(内容紹介)
 日本の農業人口が減少すると共に、高齢化していることを指摘。
 政府が進める「農地集積(農業の大規模化)」には限界がある(農業を辞めた小規模農家の多くの農地は宅地など非農地になっており、農地集積されていない、その結果、農地は減少傾向にある)として、「既存の農家に対する支援策」をもっと進めるべきとしている。


◆日本の鉄鋼業(大場陽次)
(内容紹介)
 日本製鉄*17やJFEスチール*18を中心に日本の鉄鋼業について論じていますが小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
 なお、鉄鋼業において急成長著しい中国企業(河北鋼鉄集団 - Wikipedia宝鋼集団 - Wikipediaなど)が「鉄鋼生産の世界ランキング」で上位に位置しており、中国企業の動向が今後重要であるとされています。


◆入門講座「人間賛歌としての経済学」第1回「経済とは人を幸せにするためにある」(浜矩子*19
 講義形式で書いてみます。
・経済学の目的は「人間を幸せにすること」と思っています。その意味で「貧困の深刻化」「格差拡大」等を容認する新自由主義経済学は「経済学の名前に値しない」と思います。
・アダム・スミスと言えば「見えざる手」を主張した「自由放任の経済学者」としてマルクスと対比されることがありますが、それは一面的で正しくないと思います。
 スミスは経済学者であると同時に「道徳学者」であり、『道徳感情論』と言う著書があります。
 スミスは『道徳感情論』を前提に、「経済の担い手達(資本家など)に適切な商道徳(経済倫理)があれば自由放任が望ましい」という主張を展開したのであり、「新自由主義経済学」のような「単純な自由放任」では実はありません。
 『道徳感情論』は長く注目されてきませんでしたが、この点は、近年

◆堂目卓生(どうめ・たくお)*20『アダム・スミス:『道徳感情論』と『国富論』の世界』(2008年、中公新書)
高哲男(たか・てつお)*21『アダム・スミス:競争と共感、そして自由な社会へ』(2017年、講談社選書メチエ)
◆ジェシー・ノーマン『アダム・スミス:共感の経済学』(2022年、早川書房)

などで指摘されているところです。高哲男氏やジェシー・ノーマン氏の著書の副題にある「共感(同情、相手への思いやりと同義)」はスミス経済学の重要な要素です。
 スミスは「経済活動のプレーヤー」に「共感(同情、相手への思いやりと同義)」を要求していました。「共感(同情、相手への思いやりと同義)」のない経済活動は社会を破壊しかねないからです。
 しかし、「企業不祥事の実行者に、スミスの言う共感(同情、相手への思いやりと同義)」があるとはとても思えない「日本や海外などでの様々な企業不祥事(例:ニデックでの粉飾決算など)」を考えれば、そうしたスミスの主張「共感(同情、相手への思いやりと同義)の経済学」は「現実と乖離していた」「性善説すぎた」ようにも思います。
 いずれにせよ、マルクスが「共産主義経済」という「制度構築」で是正、解決しようとした「資本主義の問題点」についてはスミスも気づいていました。その解決策がスミスにおいては「共感(同情、相手への思いやりと同義)の経済学」だったわけです。
 また、スミスとマルクスには「労働価値説を主張した」という共通点もあります。スミス以外にも、リカードなども労働価値説の立場であり、勿論マルクスとは細部で違いがあるとはいえ、現在はマルクス経済学の特徴とされがちな労働価値説はむしろ、当時は多くの経済学者が主張していました(現在の経済学においては労働価値説は必ずしも支持されていませんが)。
【参考:アダム・スミスの『共感の経済学』】
 俺的に「スミスについての浜氏の指摘」が意外だったので、以下の紹介も大分長くなります。
 なお、俺個人はスミス著書は『国富論』『道徳感情論』、どちらも未読ですし、今回紹介された堂目氏、高氏、ジェシー・ノーマン氏のスミス評伝も未読です(浜氏やスミス、堂目氏、高氏、ジェシー・ノーマン氏には失礼ながら今後も読まないと思う。こういう難しい本を読むのは体力を使いますのでね)。

『道徳感情論』 著:高哲男 自己愛と思いやりと社会---アダム・スミス『道徳感情論』 | 現代新書 | 講談社高哲男)2013.6.24
 『国富論』が自己利益の自由な追求を正当化したのは確かだが、しかし、そもそも人間は「交換性向」を生まれつきもっており、他人が欲しがるものを提供する努力をつうじて自己利益を実現できるような社会、つまり分業の社会を前提にしていた。『道徳感情論』も、その点では変わりがなく、人間は利己的であると同時に「他人を思いやる」動物だという理解を前提にしている。だから『国富論』は冒頭でこう述べるのである。

 いかに利己的であるように見えようと、人間本性のなかには、他人の運命に関心をもち、他人の幸福をかけがえのないものにするいくつかの推進力*22が含まれている。人間がそれ*23から受け取るものは、それ*24を眺めることによって得られる喜びの他に何もない。

 しかし、個人間の心や感情の「一致」はどのようにしてなされるのであろうか。スミスは、「共感」をつうじてであるという。
 「共感」をつうじて、結果的に、あらゆる社会集団で、それぞれの「適合性」の基準を満たした行為や振る舞いの規範が確立される。
 市場主義の権化・元祖としてのスミス像は、そろそろ見直されなければなるまい。

「道徳なしに市場なし」アダム・スミスと梅岩、時空を超えた共通点:日経ビジネス電子版2021.1.7
 多くの名経営者が掲げる「道徳と経済の両立」の理念を、日本で初めて全国に広めた石田梅岩。彼の思想が日本人に残した影響を考察する、「江戸のSDGs」石田梅岩編の第2回は、「経済学の父」と称されるスコットランドの経済学者、アダム・スミスとの共通点について取り上げる。梅岩の研究者である大阪学院大学経済学部教授の森田健司氏に聞いた。
森田健司氏(以下、森田氏)*25
 『国富論』(1776年)の前に、スミスは『道徳感情論』(1759年)を記しています。『国富論』は『道徳感情論』の議論を前提にしていることが、経済学の中でこれまで十分に意識されてこなかったと思います。
 市場の参加者が自己の利益を追求していても、そうした行為の蓄積が社会全体の利益の増大をもたらす、というのが「見えざる手」にたとえられる市場原理です。ただ、だからといって市場で何をしてもいいとスミスが考えていたわけではありません。『道徳感情論』の中で、スミスは市場というシステムへの「参加資格」、つまり社会における人間のあるべき姿を丁寧に描いています。
 「自己愛」を抑制し、周囲を思いやることのできる人が、スミスが考える「人間のあるべき姿」です。逆に、そういった人たちでなければ市場には参加できないということを、とても強烈に言っています。
 道徳よりも法律、すなわちルールを守っていればいいと考える「ルール至上主義者」ではなく、モラルを持った人々でなければ、市場というシステム、あるいは市場を支える様々な共同体を破壊してしまうとスミスは危惧していました。しかし、スミスがここまで丁寧に考えていた道徳と市場の関係性は、時間の経過とともに忘れられてしまったように思います。
(以下は有料記事です)

『アダム・スミス 共感の経済学』「見えざる手」の前提条件としての「共感」 - HONZ(堀内勉*26)2022.2.16
 スミスは歴史上最も誤解された経済学者だと言われている。その理由は、まず、スミスは『国富論』の中で、「神の見えざる手」(invisible hand of God)と言ったとされるが、実は「神の見えざる手」という表現を一度も使っていないということである。『国富論』の中では、「見えざる手」(invisible hand)という言葉が一度出てくるだけである。
 次に、スミスにとって『国富論』と並ぶ車の両輪のひとつである『道徳感情論』の存在が、長らくおろそかにされてきたということがある。『道徳感情論』は、経済学書である『国富論』の前提となる倫理学書であり、ここでは、「見えざる手」が機能するための重要な前提条件としての「共感」の存在と役割について示されている。
 こうしたスミスの思想には、「日本資本主義の父」の渋沢栄一、「社会的共通資本」の宇沢弘文*27、更には、国連の SDGs(持続可能な開発目標)と共通するものがあるように思う。
 渋沢栄一が1916年に著した『論語と算盤』の「論語」は道徳や倫理を、「算盤」は利益を追求する経済活動を意味している。ここで渋沢は、『論語』を拠り所に道徳と利益の両立を掲げる「道徳経済合一説」を唱えた。
 宇沢弘文は、「人間が社会の中心に置かれず、グローバル市場経済の大きな歯車にすり潰されなければならないのはなぜか」という強い危機感を抱いていた。そして、いかにして経済学に社会的な視点を導入できるかというテーマに取り組み、1980年代に「社会的共通資本」という答えを導き出すことで、一旦、人間から離れてしまった経済学をもう一度、人間の側に引き戻そうとした。
 社会的共通資本というのは、「一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置」のことである。具体的には、①自然環境(山、森林、川、湖沼、湿地帯、海洋、水、土壌、大気)、②社会的インフラ(道路、橋、鉄道、上・下水道、電力・ガス)、③制度資本(教育、医療、金融、司法、文化)の3つに分けられる。宇沢は、それらについては、利潤追求の対象として市場に委ねられてはならないと考えていた。
 渋沢や宇沢のこうした思想は、2015年に国連が提示したSDGsに通じるものがある。なぜなら、SDGsの中核的な理念は、「誰一人取り残さない」社会の実現だからである。

「最も理解されていない思想家」の実像に迫る!『アダム・スミス 共感の経済学』序文|Hayakawa Books & Magazines(β)2022.2.17
 (ボーガス注:2022年)2月16日に『アダム・スミス:共感の経済学』(ジェシー・ノーマン:著、村井章子:翻訳)が発売されます。
 経済学や現代の経済課題に関心のあるすべての方に読んでいただきたい本書の序章を特別公開します。

 政治的に右寄りの人にとっては、アダム・スミスは近代の礎を築いた人物であり、経済学者中の経済学者だ。
 左寄りの人にとってのアダム・スミス像はかなりちがう。いわゆる市場原理主義の元祖であって、その著作は、ジャーナリストのナオミ・クライン*28に言わせれば、「現代資本主義の教科書」だ。
 マーガレット・サッチャーは1988年のスコットランド保守党会議で、聴衆を挑発するかのようにこう述べた。
「スコットランドでサッチャリズムは人気がないとよく言われますが、にわかには信じられません。なぜなら、私よりもずっと前にサッチャリズムを発明したのはスコットランド人*29なのですから」。
 スミスの残した知的偉業があまりにゆたかで、多面的で、引用しやすいがために、多くの人がむやみに引用したくなったり、都合のいいようにねじ曲げて解釈したくなったりするのだろう。
 スミスの一面だけを都合よく取り上げる姿勢は、経済学者にも見られる。
 ミルトン・フリードマンは、ノーベル経済学賞をとったばかりの一九七七年に「アダム・スミスの今日的意義」と題する著名な論文をチャレンジ誌に発表した。
 スミスの「見えざる手の原理」は、人間の同情は当てにならず、限りがあるせいで出し惜しみされるのに対し、自由市場は幸福の創出に寄与するという見方の表れだという。スミスの長い学究生活はこうした思想の追究に捧げられたのだが、これもまさにフリードマン自身と重なる。
 だがこうした基本的な考察を示したところまではよかったが、フリードマンはここで困難に突き当たる。というのも、スミスはいま挙げたことと矛盾するように見える主張もしているからだ。この点は否定できないとフリードマンは認める。たとえば金利に上限に設けるべきだと主張したし、国家にはある種の公共事業を実施し公的機関を運営する義務があるとも述べた。そこにはおそらく道路、橋梁、運河建設や学校運営が含まれるだろう。だがこうした主張はスミスの本質とは異なる瑕疵*30であって、全体の評価を押し下げるには当たらないとフリードマンはいう。
 今日ではひどく有名なこの論文は、もともと学術論文ではない。モンペルラン・ソサエティに提出した自由市場に関する論文から抜粋したもので、アメリカの経済運営批判を行うことが当初の目的だった。当時のフリードマンは、1970年代のアメリカ経済が言わば動脈硬化に陥っていると考えていたのである。だがそうした位置づけの論文であるにしても、事実を自分の理論に都合よくフィットさせる技術はたいしたものだと言わねばなるまい。というのも、フリードマンの主張の多くはまるきり的外れなのである。
 「見えざる手」を「原理」であるなどとはつゆ考えておらず、それどころか市場の働きを司る単一の原理があるとも考えていなかった。そもそもスミスは、市場がつねに人間の幸福に資するとも考えていなかった。さらに言えば、人間の同情や共感が本来的に限られているとか、だから出し惜しみする必要があるとも考えていなかったのである。

アダム・スミス 共感の経済学 ジェシー・ノーマン著:東京新聞デジタル(評者:根井雅弘(京都大学教授)*31)2022.2.27
 アダム・スミスについての著書はいまでも数多く出版されているが、本書はその中でも出色の出来である。
 古典や哲学に造詣の深い著者は、自由放任主義者や市場原理主義者の元祖のように語られているスミス像には強く異議を唱えているが、その際に『国富論』や『道徳感情論』ばかりでなく、『修辞学講義』や『法学講義』などのノート類も咀嚼(そしゃく)したうえで、彼は人間の行動の広い領域をカバーする「人間の科学」を構想したのだと主張している。確かにスミスは市場を損得だけで考えたことはなく、それが「法律」「制度」「規範」「アイデンティティ」などに支えられていることをつねに考慮していた。
 評者がとくに注目したのは、スミスが、利己心と並んで、「贈答」「互恵」「ボランティア」などに代表される「まなざしの経済」(この言葉自体は、英国の経済史家アヴナー・オファによる)を重視していたという指摘である。
(以下は有料記事です)

今なぜアダム・スミスなのか。堀内勉氏の解説を一挙公開!『アダム・スミス 共感の経済学』|Hayakawa Books & Magazines(β)2022.3.17
 好評発売中の『アダム・スミス:共感の経済学』(ジェシー・ノーマン:著、村井章子:翻訳)。
 本書の持つ今日的意義を、『読書大全:世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊*32』などの著書がある、堀内勉氏にご解説いただきました。

 本書はスミスという巨人の実像に迫る伝記であり、彼の思想の解説書であり、またその今日的意義を示した啓蒙書でもある。
 スミスの倫理学と経済学については、経済学史を専門にしている大阪大学教授の堂目卓生による『アダム・スミス :「道徳感情論」と「国富論」の世界』(中公新書、2008年)が分かりやすい。本書『アダム・スミス:共感の経済学』は、主にスミスの生涯とその思想的背景について書かれたもので、個々の本の内容を解説したものではないため、堂目の『道徳感情論』と『国富論』の解説と合わせて読むことで、スミスの思想がより一層深く理解できると思う。
 本書の著者であるジェシー・ノーマンは、イギリス保守党の現役の国会議員で、財務担当補佐官も務めた経験があるベテランである。国会議員になる前は、バークレイズ銀行の管理職であり、しかもユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで哲学を学び、そこで教鞭をとった研究者でもある。スミスの親友であったエドマンド・バークの評伝など、これまでに数冊の著作もある。
 本書は、そうした多様なバックグラウンドを持つ著者による、スミスの政治経済学の現代的な意味を理論と実践の両面から解説し、成功している画期的な本である。
 スミスの著作で最も有名なのが、1776年に出版された『国富論』である。
 ここに、例の「見えざる手」という言葉が出てくる訳だが、これが現代の市場原理主義、新自由主義につながるものだとして批判の的になっている。実はスミスの全著作を通して、「見えざる手」という言葉は3回しか登場していない。『国富論』においてはわずか1回で、しかもしばしば誤解されるような「神の見えざる手」(invisible hand of God)という言葉ではない。
 本書では、こうした言葉の一人歩きが大きな誤解を生んでいるとして、スミスにまつわる以下の5つの神話(誤解)を、ひとつずつきめ細かく解きほぐしている。
神話1 アダム・スミス問題:
 『道徳感情論』は利他主義と善を、『国富論』は利己主義と強欲を説いており、この2つは整合性が取れていない?
神話2 アダム・スミスは自己利益の擁護者である:
 『国富論』がスミスの最終形であり、最終的には経済学が倫理学に勝ると考えていた?
神話3 アダム・スミスは金持ち贔屓である:
 当時のスコットランドの商業発展の結果生じた資産と所得の甚だしい格差を、自由市場制の帰結として正当化した?
神話4 アダム・スミスは政府嫌いである:
 自由放任(レッセフェール)の偉大な預言者であり、政府や国家の介入にはすべて反対だった?
神話5 アダム・スミスの本質は経済学者である:
 スミスは多くの分野で功績を残したが、全体として見るとなによりもまず経済学者だった?
 この中で最も注目すべきなのが、最後の「神話5」である。道徳哲学者、法学者、文学者といった多彩な顔を持っていたスミスの真の姿は哲学者であり、本人自らもそのように考えていた。スミスは、経済活動を政治学、心理学、社会学、倫理学などから切り離したような、部分的な説明を是としなかった。彼にとっての経済活動は、これらすべてを包括した「人間の科学」の一分野に過ぎなかったのである。 
 こうしたスミスへの誤解を解く上で重要なのが『道徳感情論』である。
 スミスは、トマス・ホッブズが『リヴァイアサン』で示した、人間の自然状態は「万人の万人に対する闘争」であるという前提を批判し、人間の持つ「共感」を共通の出発点として、人間そのものの中に道徳や規範の根拠を求めようとした。そして、社会秩序は、神や聖書といった超越的な存在や理性によってではなく、道徳感情によって基礎づけられていると考えたのである。現在では、『国富論』は単なる自由放任と弱肉強食を説いた自由至上主義的なものではなく、共感を持つという人間像を前提とした経済理論であるとして、『国富論』、『道徳感情論』の両書はいわば「車の両輪」として位置づけられているのである。
 これまで説明してきたスミスの思想には、「日本資本主義の父」である渋沢栄一、「社会的共通資本」の宇沢弘文、更には、国連のSDGs(持続可能な開発目標)と共通したものがあると感じている。
 渋沢栄一が1916年に著した『論語と算盤』の「論語」は道徳や倫理を、「算盤」は利益を追求する経済活動を意味している。ここで渋沢栄一は、『論語』を拠り所に道徳と利益の両立を掲げる「道徳経済合一説」を唱えた。
 この約150年前に書かれたスミスの『道徳感情論』は、自由な経済社会が成立するための前提として、他者の感情に公平な立場から共感する「観察者」としての人間像を提示している。これは、後の主流派経済学が前提とした、ひたすらに自己の利益だけを追求するだけの合理的な経済人とはまったく異なる人間像であった。スミスが『国富論』で提示した自由な競争というのは、他者への共感の上に成り立つのである。こうしたスミスの思想は、正に渋沢栄一が実業を行う中で見出した人間像そのものと言うことができる。
 経済学者の宇沢弘文は、近代経済学の現状について、「資本主義の中にも人々が本来の人間性を取り戻せる仕組みを埋め込めないか」「人間が社会の中心に置かれず、グローバル市場経済の大きな歯車にすりつぶされなければならないのはなぜか」という強い危機感を抱いていた。そして、いかにして経済学に社会的な視点を導入できるかというテーマに取り組み、1980年代に社会的共通資本という答えを導き出すことで、一旦、人間から離れてしまった経済学をもう一度、人間の側に引き戻すことに尽力した。
 社会的共通資本とは、「一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置」のことである。具体的には、①自然環境(山、森林、川、湖沼、湿地帯、海洋、水、土壌、大気)、②社会的インフラ(道路、橋、鉄道、上・下水道、電力・ガス)、③制度資本(教育、医療、金融、司法、文化)の3つに分けられる。それらは、国家的に管理されたり、利潤追求の対象として市場に委ねられたりしてはならず、職業的専門化集団によって、専門的知見と職業的倫理観に基づき管理・運営されなければならないとされる。
 これは、2015年に国連が提示したSDGsに通じる考え方である。なぜなら、SDGsの中核的な理念は、「誰一人取り残さない」社会の実現だからである。
 このように、スミスの「共感」を通じた人間への深い理解は、その後、主流派経済学と経済のグローバル化によって片隅に追いやられてしまった反面、150年後の渋沢栄一、その70年後の宇沢弘文、更にその30年後のSDGsへと受け継がれているのである。
 本書において著者はSDGsにまでは言及していないが、これが現代を生きる我々にとって、スミスの哲学・思想の最も身近な今日的意義であり、その点には著者も同意してくれるのではないかと思う。

道徳あっての「見えざる手」 英ヘリオット・ワット大教授 アダム・ディクソン氏 - 日本経済新聞2026.4.9

アダム・スミスの「国富論」250年 「見えざる手」の誤解正し資本主義の再考を - 日本経済新聞2026.2.25
 英国の経済学者アダム・スミスが1776年3月9日に「国富論」を著して、まもなく250年がたつ。近代経済学の出発点でもある古典中の古典は「見えざる手」のフレーズとともに、今に語りつがれる。市場関係者が好んで使うこの言葉、実はマーケットに任せれば万事うまくいくと考える自由放任の賛美では決してない。

アダム・スミス「国富論」出版250年に寄せて 根井雅弘(京都大教授):北海道新聞デジタル2026.3.6
 経済学者である前に、『道徳感情論』(1759年)を書いた道徳哲学者でもあった彼は、経済的自由主義を主張する前に、市民社会を構成する人たちが守るべきルール(これが「モラル」の本来の意味)が浸透していることを重視した。個人の行動は「公平な観察者」がみて「同感」を得られないようなら是認されないと。詐欺的行為でひともうけするようなことも、政商のように権力と癒着して貿易の利益を独り占めするようなことも、全く「同感」が得られないので、社会的に是認されないのだ。経済的自由主義は決して自由放任主義と同じではない。

*1:日本婦人団体連合会(婦団連)会長

*2:神戸女学院大学名誉教授。全国革新懇代表世話人。著書『現代を探究する経済学』(2004年、新日本出版社)、『いまこそ、憲法どおりの日本をつくろう! 政治を変えるのは、あなたです。』(2007年、日本機関紙出版センター)、『覇権なき世界を求めて』(2008年、新日本出版社)、『人間の復興か、資本の論理か:3・11後の日本』(2011年、自治体研究社)、『マルクスのかじり方』(2011年、新日本出版社)、『橋下「日本維新の会」がやりたいこと:何のための国政進出?』(2012年、新日本出版社)、『「おこぼれ経済」という神話』(2014年、新日本出版社)、『社会のしくみのかじり方』(2015年、新日本出版社)等。個人サイトはげしく学び はげしく遊ぶ-石川康宏研究室 - マルクス好き的ワルモノ経済学者の多角的アタフタ人生

*3:阪南大学名誉教授。著書『現代唯物論の探求』(1998年、文理閣)、『自由のパラドックスと弁証法』(2001年、青木書店)、『「資本論」から哲学を学ぶ』(2007年、学習の友社)、『現代倫理と民主主義』(2007年、地歴社)、『人間的価値と正義』(2013年、文理閣)、『環境倫理学の転換』(2015年、文理閣)、『世界は変えられる:マルクスの哲学への案内』(2016年、学習の友社)、『ヘーゲル論理学と矛盾・主体・自由』(2016年、ミネルヴァ書房)、『「資本論」と変革の哲学』(2017年、学習の友社)、『マルクスの哲学思想』(2018年、文理閣)、『マルクスと個人の尊重』(2019年、本の泉社)、『人間の尊厳と個人の尊重』(2022年、学習の友社)等

*4:高知大学教授

*5:摂南大学教授

*6:名城大学准教授

*7:北海学園大学教授

*8:横浜国立大学教授。著書『リオのビーチから経済学』(2006年、新日本出版社)、『ブラジルの都市問題』(共著、2009年、春風社)、『進化する政治経済学:途上国経済研究ノート』(2013年、レイライン)

*9:2003~2011年まで大統領。2023年に大統領に返り咲き、現在も大統領

*10:ブラジル初の女性大統領。2023年3月よりBRICSの新開発銀行総裁

*11:立命館大学特任教授。著書『社会自由主義国家:ブラジルの「第三の道」』(2014年、新評論)

*12:著書『社会的連帯経済入門:みんなが幸せに生活できる経済システムとは』(2016年、集広舎)等

*13:大阪経済大学名誉教授。著書『剰余価値率の実証研究』(1992年、法律文化社)、『投下労働量計算と基本経済指標』(2014年、大月書店)

*14:非正規雇用差別を「非正規に比べれば俺たちは恵まれてる(正規雇用)」「正規が好待遇のせいで俺たちは酷い待遇にある(非正規雇用:女性、外国人、高齢者(定年後再雇用など)の労働者が多い)」として正規雇用と非正規雇用の連帯を妨げてるとして「分断統治」と筆者は認識している。

*15:下関市立大学教授。著書『現代の政治課題と「資本論」』(2013年、学習の友社)、『金融危機と恐慌』(2018年、新日本出版社)、『インフレ不況と「資本論」』(2024年、新日本出版社)

*16:東京大学教授。著書『構造政策の理念と現実』(2003年、農林統計協会)、『北関東農業の構造』(2005年、筑波書房)

*17:新日本製鐵と住友金属工業が2012年10月1日に合併して新日鐵住金となり、後に日本製鉄に改称。粗鋼生産量で日本1位

*18:2003年4月1日に川崎製鉄と日本鋼管が合併して誕生。粗鋼生産量において、日本国内では日本製鉄に次いで第2位

*19:同志社大学名誉教授。全国革新懇代表世話人。著書『経済は地球をまわる』(2001年、ちくまプリマーブックス)、『ユーロランドの経済学』(2001年、PHP新書)、『グローバル恐慌』(2009年、岩波新書)、『スラム化する日本経済』(2009年、講談社+α新書)、『死に至る地球経済』(2010年、岩波ブックレット)、『ユニクロ型デフレと国家破産』(2010年、文春新書)、『恐慌の歴史』(2011年、宝島社新書)、『「通貨」を知れば世界が読める』(2011年、PHPビジネス新書)、『中国経済あやうい本質』(2012年、集英社新書)、『「通貨」はこれからどうなるのか』(2012年、PHPビジネス新書)、『新・国富論』(2012年、文春新書)、『新・通貨戦争』(2013年、朝日新書)、『超入門・グローバル経済』(2013年、NHK出版新書)、『円安幻想』(2013年、PHPビジネス新書)、『地球経済のまわり方』(2014年、ちくまプリマー新書)、『国民なき経済成長:脱・アホノミクスのすすめ』(2015年、角川新書)、『アホノミクス完全崩壊に備えよ』(2016年、角川新書)、『浜矩子の歴史に学ぶ経済集中講義』(2016年、集英社)、『どアホノミクスの断末魔』(2017年、角川新書)、『これでも「アベ」と心中しますか?:国民の9割を不幸にする安倍政治の落第通信簿』(2017年、廣済堂新書)、 『窒息死に向かう日本経済』(2018年、角川新書)、『「通貨」の正体』(2019年、集英社新書)、『小さき者の幸せが守られる経済へ』(2019年、新日本出版社)、『強欲「奴隷国家」からの脱却』(2020年、講談社+α新書)、『人はなぜ税を払うのか』(2020年、東洋経済新報社)、『「共に生きる」ための経済学』(2020年、平凡社新書)、『愛の讃歌としての経済』(2022年、かもがわ出版)、『人が働くのはお金のためか』(2023年、青春新書インテリジェンス)等

*20:大阪大学教授。著書『古典経済学の模型分析:リカード、マルサス、シスモンディの動学理論』(1992年、有斐閣)

*21:九州大学名誉教授。『ヴェブレン研究:進化論的経済学の世界』(1991年、ミネルヴァ書房)、『現代アメリカ経済思想の起源:プラグマティズムと制度経済学』(2004年、名古屋大学出版会)等

*22:意味的にはここでの「推進力」とは「他人の幸福を、我が喜びと考えて、他人の幸福の実現に貢献、寄与しようとする人間の本性」でしょう。

*23:文脈から見て「推進力」のこと

*24:文脈から見て「他人の幸福」のことであり、これ以前に出てくる「それ(推進力)」とは意味が違います。失礼ながら、もう少し翻訳がうまくできなかったモノか?。なお、ここでのスミス主張は平たく言えば「人間にとって最大の喜びは、他人の幸福に寄与できることだ」とでもなるでしょう。つまりは「金儲けはしたいが、それよりも私の提供する商品(食料品、衣料品など)やサービス(医療、介護、教育サービスなど)で客が喜ぶことが最大の喜びだ」という話です。

*25:著書『石門心学と近代』(2012年、八千代出版)、『石田梅岩』(2015年、かもがわ出版)、『なぜ名経営者は石田梅岩に学ぶのか?』(2019年、ディスカヴァー携書)

*26:森ビル・インベストメントマネジメント社長、森ビル常務、専務、多摩大学サステナビリティ経営研究所所長等を歴任(堀内勉 - Wikipedia参照)

*27:東大名誉教授。著書『自動車の社会的費用』(1974年、岩波新書)、『近代経済学の再検討』(1977年、岩波新書)、『ケインズ「一般理論」を読む』(1984年、岩波書店→2008年、岩波現代文庫)、『近代経済学の転換』(1986年、岩波書店)、『経済動学の理論』(1986年、東京大学出版会)、『現代日本経済批判』、『公共経済学を求めて』(以上、1987年、岩波書店)、『経済学の考え方』(1989年、岩波新書)、『学問の自由と経済学の危機』(1989年、かもがわブックレット)、『「豊かな社会」の貧しさ』(1989年、岩波書店)、『「成田」とは何か:戦後日本の悲劇』(1992年、岩波新書)、『地球温暖化の経済学』(1995年、岩波書店)、『地球温暖化を考える』(1995年、岩波新書)、『経済に人間らしさを:社会的共通資本と共同セクター』(1998年、かもがわブックレット)、『日本の教育を考える』(1998年、岩波新書)、『ゆたかな国をつくる:官僚専権を超えて』(1999年、岩波書店)、『社会的共通資本』(2000年、岩波新書)、『ヴェブレン』(2000年、岩波書店)、『経済学と人間の心』(2003年、東洋経済新報社)、『経済学は人びとを幸福にできるか』(2013年、東洋経済新報社)、『人間の経済』(2017年、新潮新書)等

*28:著書『ショック・ドクトリン(上)(下):惨事便乗型資本主義の正体を暴く』(2024年、岩波現代文庫)等(ナオミ・クライン - Wikipedia参照)

*29:勿論、スミスのこと

*30:一方で、こうした点を「本質とは異なる瑕疵(フリードマン)」どころか「スミスの本質」と見なすのが、ジェシー・ノーマン氏や堂目氏、高氏、浜氏です。

*31:根井氏の著書として『ケインズから現代へ:20世紀経済学の系譜』(1990年、日本評論社)、『ケインズ革命の群像:現代経済学の課題』(1991年、中公新書)、『現代アメリカ経済学:その栄光と苦悩』(1992年、岩波書店)、『現代経済学の生誕』(1992年、名古屋大学出版会)、『現代の経済学:ケインズ主義の再検討』(1994年、講談社学術文庫)、『近代経済学の誕生:マーシャルからケインズへ』(1994年、ちくま学芸文庫)、『現代経済学への招待』(1994年、丸善ライブラリー)、『二十世紀の経済学』(1995年、講談社学術文庫)、『ガルブレイス』(1995年、丸善ライブラリー)、『ケインズを学ぶ』(1996年、講談社現代新書)、『21世紀の経済学:市場主義を超えて』(1999年、講談社現代新書)、『経済学のことば』(2004年、講談社現代新書)、『物語・現代経済学』(2006年、中公新書)、『ケインズとシュンペーター』(2007年、NTT出版)、『経済学はこう考える』(2009年、ちくまプリマー新書)、『市場主義のたそがれ:新自由主義の光と影』(2009年、中公新書)、『入門経済学の歴史』(2010年、ちくま新書)、『20世紀をつくった経済学:シュンペーター、ハイエク、ケインズ』(2011年、ちくまプリマー新書)、『サムエルソン『経済学』の時代』(2012年、中公選書→『サムエルソン:『経済学』と新古典派総合』と改題して、2018年、中公文庫)、『経済学の3つの基本:経済成長、バブル、競争』(2013年、ちくまプリマー新書)、『経済学再入門』(2014年、講談社学術文庫)、『企業家精神とは何か:シュンペーターを超えて』(2016年、平凡社新書)、『ケインズを読み直す:入門現代経済思想』(2017年、白水社)、『アダム・スミスの影』(2017年、日本経済評論社)、『資本主義はいかに衰退するのか:ミーゼス、ハイエク、そしてシュンペーター』(2019年、NHKブックス)、『定本・現代イギリス経済学の群像』(2019年、白水社)、『ものがたりで学ぶ経済学入門』(2019年、中央経済社)、『今こそ読みたいガルブレイス』(2021年、集英社インターナショナル新書)、『今こそ読みたいケインズ』(2022年、集英社インターナショナル新書)等(根井雅弘 - Wikipedia参照)

*32:2021年、日経BP社