特集「第59回大会報告特集/戦争と平和の人類史」
新刊紹介:「歴史評論」2025年11月号 - bogus-simotukareのブログで紹介した『歴史科学協議会第59回大会準備号「戦争と平和の人類史」』での予告(歴史科学協議会第59回大会報告(2025年11月29日、30日に開催))が実際に論文化されました。
◆叛乱と事変の1930年代(加藤陽子*1)
(内容紹介)
新刊紹介:「歴史評論」2025年11月号 - bogus-simotukareのブログでも触れましたが、「1930年代の叛乱」とは
【1】1930年の浜口*2首相狙撃事件
濱口はこの時の傷が元で、1931年4月に首相及び立憲民政党総裁を辞任。1931年8月には、アクチノミコーゼ(放線菌症)を発症し死去。
【2】1931年3月の3月事件
浜口*3内閣を打倒し、陸軍大臣の宇垣一成*4を首相に就任させることを狙った、陸軍のクーデター計画(実行されず未遂に終わる)。二宮治重*5参謀次長、建川美次*6参謀本部第二部長、小磯國昭*7陸軍省軍務局長もこの計画に賛同していたとされる。
【3】1931年10月の10月事件
第2次若槻*8内閣を打倒し、荒木貞夫*9陸軍大将を首相に、橋本欣五郎*10陸軍中佐を内務相に、建川美次陸軍少将を外相に、長勇*11陸軍少佐を警視総監に、小林省三郎*12海軍少将を海軍相にそれぞれ就任させ、軍事政権を樹立するという陸軍のクーデター計画(実行されず未遂に終わる)。クーデター計画「3月事件」「10月事件」がまともに処罰されなかったことがクーデター未遂事件「226事件」を助長したとされる。
【4】1932年2~3月の血盟団事件
井上*13前蔵相、三井財閥総帥・団琢磨を暗殺
【5】1932年5月の515事件
犬養*14首相を暗殺
【6】1935年の永田鉄山*15陸軍省軍務局長暗殺
実行犯「相沢三郎陸軍中佐(統制派の永田とは敵対関係にある皇道派の人物)」の名前から相沢事件とも言う。相沢は1936年7月に死刑執行。
【7】1936年の226事件
真崎甚三郎*16(陸軍皇道派幹部)を首相とする軍事政権の樹立を狙い、高橋*17蔵相、斎藤*18内大臣、渡辺*19陸軍教育総監を暗殺。
等(上記を見て分かるように1930年代は右翼や軍人によるテロやクーデターが横行しています)を、「1930年代の事変」とは「1931年の満州事変(柳条湖事件。満州国を建国)」「1932年の上海事変」等を意味しています。
こうした「叛乱や事変」に対して「中国への侵略を拡大していく」という方向性で日本政府が結局動き、ついには「1941年の対米開戦」を招きます。
加藤氏は、対外関係(対欧米政策(ロンドン海軍軍縮条約問題など)や対中国政策)を巡る争いが叛乱を招いていたという点では「1930年代」は開国の是非を巡って「桜田門外の変(水戸浪士による井伊大老暗殺)」「天狗党の乱」等という叛乱が起こっていた幕末と似た面があるとしています。
「1930年代の事変や叛乱」には様々な理由があったとはいえ、
1)叛乱で政党政治家(515事件で暗殺された犬養毅など)やいわゆる重臣(226事件で暗殺された斎藤内大臣、高橋蔵相など)が暗殺されたこと
2)「叛乱の実行者(226事件の陸軍青年将校など)」と「事変の実行者(満州事変を実行した関東軍など)」が多くの場合、いずれも「軍人であったこと」
について、「政党政治家や重臣」が「軍部の目指す対外拡張路線(中国侵略)」の邪魔者と見なされたことが加藤氏によって指摘されます。
とはいえ、「政党政治家や重臣」が「軍部の目指す対外拡張路線」に本当に反対していたと言えるかどうかは議論の余地がありますが。「軍部の叛乱の恐怖」によって、政党政治家や重臣が「軍部の目指す対外拡張路線」に渋々従ったと見なすこと(昭和天皇が自らの免罪を狙った『昭和天皇独白録』などの立場)は明らかに適切ではありません。
◆ガザのジェノサイドと歴史の破壊(岡真理*20)
(内容紹介)
1)イスラエルによる「ガザのジェノサイド」と
2)「ロシアのウクライナ侵攻」を批判しながら、イスラエルの侵略や戦争犯罪には大甘な「欧米諸国(米英仏独伊など)」の二重基準が批判されますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
なお、「イスラエルのイラン攻撃前」の執筆であるため、「イスラエルのイラン攻撃」については触れていません。
◆虚像の統一王朝・漢(阿部幸信*21)
(内容紹介)
漢が統一王朝と言えたのは、武帝時代など「一部の繁栄期」のみであり「呉楚七国の乱」「王莽による新王朝建国」「新王朝崩壊から光武帝による後漢建国までの内戦状態」「黄巾の乱以降の群雄割拠時代(三国志演義で描かれる時代。なお、曹操時代から曹氏が実権を握っており、事実上、漢は滅亡したに等しい状況だったが、正式に漢が滅びるのは「後漢最後の皇帝」献帝から、魏王朝・初代皇帝「曹丕(曹操の子)」に禅譲されたことによる)」など混乱状態が多かった。
しかし、後年、漢は「武帝時代(最盛期)」をもとに「統一王朝」として理解され、漢のような「中華統一」が理想として語られるようになった(中国最初の統一王朝は秦だが、「秦の初代皇帝」始皇帝死後、急速に滅んだため、統一王朝という意味では、中国においてあまり評価されない)。
「三国志演義で描かれた三国時代(魏、呉、蜀)」や五胡十六国時代、南北朝時代、五代十国時代、「中華民国初期の軍閥割拠時代(これを解消しようとしたのが蒋介石の北伐)」などは「理想(中華統一)に反する時代」と評価され、漢以外でも「隋、唐、宋(後に元の侵攻で衰退し、宋は統一王朝とは言えなくなるが)、元、明、清」といった統一王朝が肯定的に評価された。
「中華人民共和国」での
・英国やポルトガルの植民地だった香港、マカオの回収
・「台湾の独立*22は認めない(いわゆる「一つの中国」)」「チベットやウイグルの独立は認めない」とする立場
→例えば王毅氏「中国統一阻止を企むいかなる逆行的動きも必ず失敗に終わる」--人民網日本語版--人民日報(2025.12.31)参照
・1951年のチベット解放(中国共産党が、日中戦争、国共内戦などの中国国内の政治的混乱によって事実上、独立状態だったチベットを支配下に組み入れる)への肯定的評価
も「中国共産党の政治的思惑」は当然あるが、そうした「中国において、長い年月をかけて形成された統一国家への肯定的な見方」が「現在において残存している一例」と見なすことができる。
こうした中国における「統一王朝への肯定的な見方」は「三国時代(高句麗、百済、新羅)を否定的に評価する一方で、統一王朝である高麗、李氏朝鮮への肯定的見方(韓国)」「豊臣秀吉の中国平定(毛利氏を服属)、四国平定(長宗我部氏を服属)、九州平定(島津氏を服属)、関東平定(北條氏を滅亡させる)といった天下平定への肯定的な見方(日本)*23」等として「中国の影響を受けた韓国、日本」へも広がった。
なお、中国史においては「対等な立場にあるものの戦争」が「戦」「役」等と表現されるのに対し、「統一王朝への叛乱(下の立場にあるものが上に立場にあるものに反逆した場合、特に反逆が失敗に終わった場合)」は「乱」「変」と表現されることが多い。
例えば、レッドクリフ - Wikipediaで描かれた「赤壁の戦い(局地戦ではあるが呉、蜀連合軍が魏に勝利)」が「戦い」と呼ばれるのは「魏(曹操)」と「呉(孫権)、蜀(劉備)」が「対等な立場」と評価されているからである。
「赤壁の戦い」の時期、曹操が丞相として実権を握り、漢王朝皇帝「献帝」は曹操の傀儡化していたとはいえ、建前では漢王朝が正統王朝であり、魏は正統王朝ではなかった(曹操の子「曹丕」が漢王朝皇帝「献帝」から禅譲を受け、魏が正式王朝となった)。
一方で「呉楚七国の乱(前漢)」「安史(安禄山、史思明)の乱(唐)」「靖難の変(明)*24」「太平天国の乱、義和団の乱(清)」などは乱、変と表現される。
「話が脱線する」が、こうした「戦」「役」(対等な立場にあるものの戦いに用いられる)、「乱」「変」(下剋上的な行為)の使い分けは「中国の影響が強かった日本」にも影響し、具体例としては
【変】
・大寧寺の変(陶隆房による大内氏への謀反)
・本能寺の変(明智光秀による織田信長への謀反)
・慶安の変
「由井正雪の乱」とも言う。
【乱】
・平安時代の元慶の乱(蝦夷による中央政権への叛乱)
・平将門の乱
・承久の乱(後鳥羽上皇が鎌倉幕府打倒を目指し挙兵するが敗北し流罪にされる)
・嘉吉の乱(守護大名・赤松満祐による室町幕府将軍・足利義教の暗殺)
・大塩平八郎の乱
・佐賀の乱(1874年:江藤新平など)、神風連の乱(旧熊本藩の士族・太田黒伴雄など)、秋月の乱(旧秋月藩の士族・宮崎車之助など)、萩の乱(前原一誠など)(いずれも1876年)
などが上げられる。この点、興味深いのは「佐賀の乱」「萩の乱」等と同じ「士族反乱」でありながら「西南の役」「西南戦争」等と呼ばれ「薩摩の乱」「西郷隆盛の乱」等とはあまり呼ばれない「西郷の士族反乱」である。
西郷(征韓論で下野するが、明治新政府で陸軍大将、近衛都督、参議)が「維新の三傑(西郷の他は大久保利通、木戸孝允)」として「佐賀の乱の江藤新平(征韓論で下野するが明治新政府で司法卿、参議)」「萩の乱の前原一誠(徴兵令を巡る陸軍卿・山縣有朋(前原は山県が行った徴兵令に反対の立場)との対立で下野するが明治新政府で参議)」等と比べ特別扱いされていることが窺える。
【参考:中国共産党にとっての「中国統一」】
王毅氏「中国統一阻止を企むいかなる逆行的動きも必ず失敗に終わる」--人民網日本語版--人民日報(2025.12.31)
王毅*25中共中央政治局委員(外交部部長)は30日、『2025年の国際情勢と中国外交に関するシンポジウム』で、「台湾問題は中国の内政であり、中国の『核心的利益』の中の核心である。『台湾独立』勢力*26による絶え間ない挑発や、米国による台湾への大規模な武器売却に対して、我々が断固として反対し、力強く対抗するのは当然である。今年は台湾光復(日本の植民地支配からの解放)80周年に当たり、祖国の完全統一*27の実現は、法に基づき国家の主権及び領土的一体性を守るものであり、我々が必ず果たさねばならない歴史的使命である。我々は、ますます多くの国々が中国の側に立ち、単に『一つの中国』原則の堅持や、台湾が中国の領土であることへの承認を重ねて表明するだけでなく、あらゆる『台湾独立』分裂行為に明確に反対し、中国の統一を支持するのを目の当たりにしている。この歴史的大勢を阻むことを企てるいかなる逆行的な動きも、必ずや失敗に終わる」と述べた。
◆古代日本の戦争と「人民」(田中聡*28)
(内容紹介)
「平安時代の元慶の乱*29(蝦夷叛乱)」など「中央政権」に夷狄扱いされた辺境民と「中央政権」の戦争が論じられていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
◆戦国期土豪の戦争参加と地域の平和(長谷川裕子*30)
(内容紹介)
戦国期の「土豪(国人領主、地侍など)」「土豪が支配する村」と戦国大名の関係について論じられている。
江戸時代と違い「戦国大名による土豪支配」「土豪による村支配」は強固なものではなかった。
そのため「戦国大名の意思に反した土豪の動き(分かりやすい例では武田氏滅亡前後での武田氏家臣(土豪)の織田、徳川側への寝返り(徳川氏に寝返った穴山信君など))」「土豪の意思に反した村の動き」も珍しくなかった。
なお、戦国期の土豪は「百姓と武士の性格」を併せ持つ存在(分かりやすい例としては長宗我部氏の一領具足)だったが、「豊臣秀吉の刀狩りなどによって兵農分離が進められる」と「武士となる土豪」「百姓となる土豪(勿論百姓と言っても、庄屋など上級百姓だが)」に二極化していく。
*1:東大教授。著書『模索する1930年代:日米関係と陸軍中堅層』(1993年、山川出版社)、『徴兵制と近代日本:1868~1945』(1996年、吉川弘文館)、『戦争の日本近現代史』(2002年、講談社現代新書)、『戦争の論理:日露戦争から太平洋戦争まで』(2005年、勁草書房)、『満州事変から日中戦争へ』(2007年、岩波新書)、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(2016年、新潮文庫)、『とめられなかった戦争』(2017年、文春文庫)、『昭和天皇と戦争の世紀』(2018年、講談社学術文庫) 、『天皇と軍隊の近代史』(2019年、勁草書房)等
*2:加藤高明、第一次若槻内閣蔵相、第一次若槻内閣内務相を経て首相
*3:但し、浜口首相狙撃事件により、濱口が執務不能だったため、幣原外相が臨時首相代理に就任
*4:清浦、加藤高明、第一次若槻、浜口内閣陸軍大臣、朝鮮総督、第一次近衛内閣外相を歴任
*5:参謀本部第二部長、参謀次長、第5師団長、鮮満拓殖会社総裁、満州拓殖公社総裁、小磯内閣文相等を歴任
*6:参謀本部第二部長、参謀本部第一部長、第10師団長、第4師団長等を歴任
*7:陸軍省整備局長、軍務局長、陸軍次官、関東軍参謀長、朝鮮軍司令官、平沼、米内内閣拓務大臣、朝鮮総督、首相を歴任。戦後、終身刑で服役中に病死。後に靖国に合祀
*8:第3次桂、第2次大隈内閣蔵相、加藤高明内閣内務相等を経て首相
*9:参謀本部第一部長、陸軍大学校校長、第6師団長、陸軍教育総監部本部長、犬養内閣陸軍大臣、第1次近衛、平沼内閣文相等を歴任。戦後、終身刑判決となるが後に仮釈放
*10:陸軍内部の秘密結社「桜会」の指導者。戦後、終身刑判決となるが後に仮釈放
*11:歩兵第74連隊長、第26師団参謀長、印度支那派遣軍参謀長、第25軍参謀副長、機動第一旅団長等を歴任。第32軍参謀長として、第32軍司令官・牛島満と共に沖縄戦で自決
*12:霞ヶ浦航空隊司令、満州特務機関長、駐満海軍部司令官、鎮海要港部司令官等を歴任
*13:第2次山本、濱口、第2次若槻内閣蔵相
*14:第1次大隈内閣文相、第2次山本、加藤高明内閣逓信相等を経て首相
*15:陸軍省整備局動員課長、軍務局軍事課長、軍務局長等を歴任
*16:台湾軍司令官、参謀次長、陸軍教育総監など歴任
*17:日銀総裁、第一次山本、原内閣蔵相、首相、加藤高明内閣農商務相、田中、犬養、斎藤、岡田内閣蔵相等を歴任
*18:第一次西園寺、第二次桂、第二次西園寺、第三次桂、第一次山本内閣海軍大臣、朝鮮総督、首相、内大臣を歴任
*19:陸軍大学校長、陸軍航空本部長、台湾軍司令官、陸軍教育総監等を歴任
*20:京都大学名誉教授。早稲田大学教授。著書『彼女の「正しい」名前とは何か:第三世界フェミニズムの思想』(2000年、青土社)、『棗椰子の木陰で:第三世界フェミニズムと文学の力』(2006年、青土社)、『アラブ、祈りとしての文学』(2008年、みすず書房)、『ガザに地下鉄が走る日』(2018年、みすず書房)、『ガザとは何か(増補版)』(2026年、だいわ文庫)等
*21:中央大学教授。著書『中国史で読み解く故事成語』(2021年、山川出版社)、『漢代の天下秩序と国家構造』(2022年、研文出版)、『印綬が創った天下秩序:漢王朝の統治と世界観』(2024年、山川出版社)
*22:事実上独立状態だが、国際社会からは国扱いされていない。
*23:但し、日本の場合、中国、韓国と違い「天下平定」といっても「強固な中央集権政権」ができたわけではなく「大名(藩)」として毛利氏、島津氏などは「中央政権(秀吉政権、徳川幕府)に対する一定の自立性」が認められています。
*24:明朝初期に燕王「朱棣」が甥にあたる建文帝に対して起こした内乱。1399年7月にはじまり、華北を舞台に1402年まで続いた。朱棣が勝利し、即位して永楽帝となった。
*25:駐日大使、外相(外交部長)など外交部門の要職を歴任
*26:台湾の民進党政権のこと
*27:中国共産党が目標として掲げる「台湾統一」のこと
*28:立命館大学教授。著書『日本古代の自他認識』(2015年、塙書房)
*29:ただし近年は「乱」という表現は「中央政権が正義」と言う価値観を含んでおり適切ではないとの理解から「元慶戦争」と表現されることが多い(「元慶」は当時の元号)。田中論文でも「元慶戦争」と表現されている。
*30:跡見学園女子大学教授。著書『中近世移行期における村の生存と土豪』(2009年、校倉書房)、『戦国期の地域権力と惣国一揆』(2016年、岩田書院)