今日のMSN産経ニュース(1/7分)

■【正論】年頭にあたり 比較文化史家、東京大学名誉教授・平川祐弘

元日を迎えるときのあらたまった気持ち、「年の始めの例(ためし)とて、終なき世のめでたさを、松竹たてて、門(かど)ごとに祝ふ今日こそ楽しけれ」と小学生のころに歌った。

 今は亡きフジの「スター隠し芸大会」のオープニングテーマですね。あの歌はお正月を祝う歌として歌われるのであって今や歌詞を理解した上で、右翼的な心情で歌う人はまずいないと思います(だから右翼は君が代のように強制しようとはしないし、左翼も君が代のようには非難しない。)。歌われるのも普通一番だけで、「君(注:天皇のことでしょう)がみかげに比(たぐ)えつつ、仰ぎ見るこそ尊とけれ」という二番はまず歌いません。

終り無き世を象徴するのが万世一系天皇である。

万世一系って伝説に過ぎませんが。それに「終わり無き世」って本当にそう言う意味なんですか?(たとえ本当にそうだとしても、そう言う理解で歌っている人はほとんどいないと思うが)

 元旦の朝日はなんとなく尊い
 もっともそんな気分は外国人や日本人でも脳内白人といわれる人にはなかなか共有できない。

 悪かったな、脳内白人で。今年の元旦は寝正月だよ。初詣も行かなかったし。
 初日の出見て、初詣行くだけで、この類のウヨと仲間扱いされても迷惑だが。

北京や台北でも、春節(注:正月のこと)は農暦(注:旧暦、太陰暦のこと)に従う

明治になって太陽暦新暦)が導入されたのでそれ以前の日本だって正月は、「旧正月」(旧暦の正月)ですし、今だって「旧正月」を祝う人はいます。

戦争中、米国は神道(注:正確には国家神道でしょうが)や天皇制を敵視し、日本軍国主義の背骨だと決めつけた。

 背骨かどうかはともかく、日本軍国主義の要素だったことは事実。なくすなり改革するなりが必要で今まで通りの形で続けたいなんて通るわけがありません。頭ごなしにぶっつぶすのではなく、改革すれば残していいと残してくれたことを感謝すべきでしょう。

 「八紘一宇」はむしろ「人類みな兄弟」に近い語感だった。「日本がアジアで指導的立場に立つ」という主張は当時の東洋ではほかに西洋帝国主義に拮抗(きっこう)できる独立国がなかった以上、むしろすなおだった。

 西洋帝国主義にかわって日本帝国主義がアジアを支配しようとしたのに、こういうデマはいて恥ずかしくないんでしょうか?。

神道が国教と見做(みな)されることはもはやない。

 国教扱いされたがってる奴は沢山いると思うし、それを不安視する人も沢山いると思うが。

軍部のしたことに多々遺憾な点があったことは承知している。

 「軍部」だけに問題があったわけじゃないし「多々遺憾」で片付けるなよ。

靖国神社にお参りして東洋の平和を祈り

 靖国って戦争を推進した神社だから明らかに不適切でしょう。