はてなブログでは未来日付の記事は「原則としては」書かないことにします、他(追記あり)

【最初に追記(2019年2/15記載)】
bogus-simotukareのブログということでココログにもブログを作ったので紹介しておきます。
ただ「今のところはてなの方が書きやすい(ココログだと脚注のつけ方がよく分からない、エンターキーで改行すればはてなだとそのまま改行になるが、ココログだとそうならない)」ということではてなの方で書くことが多いかと思います。
【追記終わり】

 bogus-simotukareのブログでは未来日付の記事も書いていたのですが、はてなブログだと未来日付記事がたくさんあると、新規記事を書いてもそれが目立たず非常に見づらい気がするので、基本的には未来日付記事は書かないことにしたいと思っています。なお、この文章は2019年1月28日に書いています(これは、目立つところに置いた方がいい「お断りの文章」なので未来日付の記事ですが。なお、俺が勘違いしてるのかもしれませんが「あまり遠くの未来日付」だといろいろと作業が厄介な様なので「2019年1月28日の約1年後」にしています。しかし、当然ながら、冒頭にいつも表示される様に適宜、日付の設定は変更する予定です)。
 http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/25000101/1256334886:title(残念ながらはてなダイアリーが消滅したのでリンク切れ。sorarisu0088氏への謝罪文)ですが、id:Bill_McCrearyさんのご教示(2019年8/18)によれば結局はてなダイアリーは2019年7月末日でなくなったそうです(事前に連絡がなかったか、連絡があったが小生が見落としていたのでしょう。それにしても全削除の決定が随分早かったなと言う気はします。もちろん停止したサービスをそのようにすることは予想できたことではありますが)。
 id:Bill_McCrearyさんご教示ありがとうございます。
 以前、

1)はてな社の方針では当面、はてなダイアリー記事は「更新やコメントはできないが」記事自体は残る
(もちろん、最終的にははてな社が「やはり削除」という方針にする可能性もゼロではないでしょうが将来的な問題はひとまずおきます。その場合、さすがにはてな社は事前広報くらいするでしょう。その場合はこちらに謝罪文を移そうとは思います)
2)はてなブログにまで過去の恥をさらしたくない(まあ俺個人のくだらない感情論ですが)
つうことで、まあこの記事での「謝罪相手」である御仁が「どうしてもブログにまで謝罪文そのものを残せ」と言ってくるならまた話も別ですが、「ここにお断りの文章を載せること」で「謝罪文そのもの」はここにはひとまず載せないことにします。

としたので「弱ったな」というのが正直な感想です。本当に「過去のはてなダイアリー」がきれいすっかりなくなっている上に、小生はこの謝罪文を別に「ワード文書など他の文書」の形で保存していません。なので謝罪文を正確に復元しようがない。
 無理に思いつきででっちあげてもかえって問題でしょう。つうことでsorarisu0088氏から「こういう文面で乗せろ」つう要望がない限り、とりあえずこのままにしておこうかと思います(こちらから彼に問い合わせるのは挑発行為と認識される危険性がある気がするのでそれはしません。彼が小生に対して何のアプローチもしなければ、今の彼にとって小生が「どうでもいい存在である」ということなのでしょうから)。「sorarisu0088氏と小生が過去にトラブって、小生が非を認め謝罪文を掲載した」ということだけはここに指摘しておくので、それでご容赦、ご勘弁願いたいと言うのが正直な感想です。

【2019年1月29日追記】
 早速、移行後、コメント設定を修正。
 コメントは通常設定だと「はてなユーザー」という設定ではてなユーザーしかコメントできないようですね(コメントするときははてなのID、パスワードでログインする)。
 当然(?)ながら「俺にとってはてなユーザーにコメント者を限定する理由がない」、というか従来コメント頂いていた方々はおそらく「ほとんどがはてなユーザーじゃない」ので「ゲスト(誰でもコメント可能)」に変更します。しかし通常設定は「ゲスト」であるべきじゃないんですかね。
 俺みたいなうっかりは「はてなユーザー設定」に気づかず、「何で移行前にコメントしてくれた方たちがコメントしてくれないんだろうな」と悲しむという皮肉なことになりかねません。いや「はてなユーザーを増やしたい」という企業の立場からは、一理ある「通常設定」でしょうけどね。
 「はてなブログーユーザーの利便性をなんだと思ってるんだ!」つう反発は感じます。

新刊紹介:「歴史評論」2021年8月号

 小生がなんとか紹介できるもののみ紹介していきます。正直、俺にとって内容が十分には理解できず、いい加減な紹介しか出来ない部分が多いですが。
特集「戦場の宗教:近代の戦争と宗教動員」
 現時点では未読ですが

◆「戦場の宗教」
◆「近代の戦争と宗教動員」

ググる

【刊行年順(刊行年が同じ場合は著者名順)】
◆小河原正道*1『近代日本の戦争と宗教』(2010年、講談社選書メチエ)
◆石川明人*2『戦場の宗教、軍人の信仰』(2013年、八千代出版
◆石川明人・星川啓慈*3『人はなぜ平和を祈りながら戦うのか?』(2014年、並木書房)
◆小河原正道『日本の戦争と宗教:1899-1945』(2014年、講談社選書メチエ)
◆石川明人『キリスト教と戦争:「愛と平和」を説きつつ戦う論理』(2016年、中公新書)

等がヒットしますが、そうした著書が紹介されるんでしょうか?。まあ、日本だと「戦場の宗教」「近代の戦争と宗教動員」と言えば、私見では「靖国神社」は絶対に外せないところではあります。

参考

第18回 近代日本における戦争と宗教――仏教界の視点から | 宗教情報センター小河原正道
 日本人の多くが親しんでいる仏教はどうでしょうか? 。仏教では、その信者が守るべき戒めとされる五戒八戒において、「不殺生戒」が第一に置かれています。その原理的・教義的観点からみるなら、明らかに戦争は殺戮行為であり、否定されなければなりません。しかし、近代日本の歴史を振り返ってみるとき、戊辰戦争から太平洋戦争まで、仏教勢力のほとんどは戦争に協力してきた、という歴史的事実が存在しています。戦争を行う国家に対し資金や人材、物資を提供し、従軍僧を派遣して布教や慰問に努め、戦争の正当性を僧侶が説いて回ったのです。
 それは、なぜでしょうか。最初の経験であった戊辰戦争が勃発したとき、発足したばかりの薩長を中心とする新政府が「官軍」となり、これに敵対する旧幕府軍は「賊軍」となりました。よく知られている通り、江戸時代において、寺院は戸籍の管理という行政の一端を担っており、その意味で、幕府ときわめて近しい関係にありました。その幕府が倒れてしまう。その現実を前に、いわば新時代における「生存」を賭けた承認競争がはじまります。たとえば東西両本願寺では、もともと倒幕側に肩入れしてきた西本願寺は継続して新政府軍に協力し、莫大な人材や資金を提供しました。一方、徳川家康の寄進によって設立され、それ以降も幕府との関係が密接であり続けた東本願寺は後手に回ることになり、必死になって旧幕府との関係を断ち切り、新政府軍に協力することで、その「生存」を勝ち取ろうとします。仏教だけではありません。神道神職たちもまた、新政府からの承認を得ようとして自ら武器を取って立ち上がり、新政府軍に参加しました。
 「拡大」の視野は、海外へも広がっていきます。明治の開国以降、日本の仏教は積極的な海外布教を展開していきますが、その重要な契機となったのが、日清・日露戦争でした。日清戦争では、不殺生戒という原理的課題に対して、あくまで戦争の廃滅を目標としながらも、日本がアジアの指導者として覚醒をはかるための「義戦」に参戦することは仏教の唱道するところである、などと解いて戦争協力を正当化しました。こうした姿勢の背景には、当時、布教や慈善事業・教育活動などを通して勢力を拡大してきていたキリスト教への対抗という意識もあったといわれています。そして、この戦争の勝利によって台湾を植民地化した日本側では、積極的に現地での仏教布教活動が展開されていくことになります。「生存」と「拡大」。その交差点に、戦争への協力が位置していました。
 国家行為と宗教行為との連動を考える上で、重要なキーワードがあります。それは、「布教権」です。もし、中国大陸で日本仏教が自由に布教する権利を獲得していたなら、日本政府や日本軍のアジア戦略とは自立した形での布教活動が、可能だったかもしれません。実際、日露戦争に続く第一次世界大戦の際、日本政府は有名な対華二十一箇条の要求を中国側に突きつけ、日本仏教の布教権の獲得をその一項目に盛り込みました。すでに欧米諸国のキリスト教の布教権を中国側は承認しており、日本仏教もこれと同等の権限を保有すべきである、というのが、日本仏教側の主張でした 。しかし、中国側はこれを含むいわゆる第5号要求の削除をもとめて日本政府もこれを受諾し、結局、布教権は設定されませんでした。それ以降中国では、終戦まで、結局自立した布教権が確立されることはありませんでした。
 このため、日本仏教の活動領域は、日本軍が公式・非公式に制圧した実効支配地域に限られることになり、必然的に布教をはじめとする宗教行為は戦争という国家行為と連動し続けることになります。実際、アジアに急速に勢力を拡大していった昭和期、仏教界は各戦争に積極的に協力し、そして敗戦によってアジアの支配権を失った瞬間に、日本の寺院も神社も、一斉にアジアから消えてなくなることになったのです。
 もとより、昭和の戦争期において、「生存」を考えるとき、非戦や反戦の声を上げることは簡単ではありませんでした。実際、日中戦争期に「戦争は罪悪である」などと発言した結果、陸軍刑法によって有罪判決を受けた真宗大谷派明泉寺の住職・竹中彰元は、法要座次を最下位に降格されました。
 竹中彰元は2008年に大谷派によって名誉を回復されていますし、いま、仏教各派では戦争協力に対する反省や、戦争反対の声を上げた人々の名誉回復が進められています。それはたしかに必要なプロセスでしょう。ただ、なぜ、不殺生戒を掲げる仏教界が戦争に協力したのか、その「生存」と「拡大」をめぐる当時の状況や意欲はいかなるものであったのか、そうした実態の実証的分析なくして、反省を踏まえた次の一歩は踏み出せないのも事実です。

竹中彰元 - Wikipedia
 竹中彰元は盧溝橋事件勃発後、1937年9月15日に出身地の岩手村在郷軍人に対して戦争を批判する旨を述べてその反戦姿勢を村民から「痛罵難詰」され、更にこの言動で村民から非難された後も、10月10日に近隣の仏教寺院で僧侶6人に対して「戦争は最大な罪悪だ」と述べた。この10月10日の反戦言動を聞いた僧侶が翌10月11日に岩手村役場に通報し、この通報がきっかけとなって10月26日に彰元は逮捕され、陸軍刑法第99条(造言飛語罪)に抵触するとして岐阜地方裁判所に送致された。
 翌1938年(昭和13年)3月12日に岐阜地方裁判所は竹中彰元に対し、禁固4ヵ月の実刑判決を下し、この判決に彰元が控訴したため、4月27日に名古屋控訴院は禁固4ヵ月、執行猶予3年に刑を軽減する判決を下した。なお、この判決には1940年(昭和15年)2月11日に皇紀2600年を記念して恩赦が認められ、禁固2ヵ月20日、執行猶予3年に刑を減免されている。
 彰元が属していた真宗大谷派は名古屋控訴院による判決後、「軽停班3年」の処分を下して僧侶の位を最低に落とし、また、彰元の布教使資格を剥奪した。なお、大谷派は1940年(昭和15年)5月18日に軽停班処分を満期とする処分の減免を実施し、1941年(昭和16年)4月17日に彰元の布教使資格を復活している。
 戦後長らく、竹中彰元の存在は忘れ去られていたが、愛知県一宮市の円光寺住職・大東仁により竹中の名誉回復運動が始まった。2007年(平成19年)10月19日に、真宗大谷派主催の「復権顕彰大会」が明泉寺にて開催され、熊谷宗恵宗務総長が謝罪、同宗派の処分を取り消す「宗派声明」が出され、処分から70年目に名誉回復を果たした。
◆参考文献
 大東仁*4『戦争は罪悪である:反戦僧侶・竹中彰元の叛骨』(2009年、風媒社)

日露戦争におけるキリスト教徒の葛藤 ― 近代日本の宗教≪16≫ 石川明人氏(1/2ページ):中外日報
 日露戦争の時代、日本国内で特に深刻な状況に置かれていた宗教は、ロシア正教会である。
 日露戦争は仏教とキリスト教との戦いだと言って、ロシア正教会を攻撃する仏教徒もいたようである。
 こうした「宗教間の戦い」という構図は今の私たちの目には全く愚かに映るが、当時のロシアは現に世界に対し、この戦争は「キリスト教徒対異教徒」の戦いであるとアピールした。それによって日英同盟にヒビを入れ、欧米での外債募集を阻害することを狙ったからである。そこで日本政府は、これは宗教間の戦いではなく「文明対非文明」の戦いである、という構図*5を提示し、むしろキリスト教、特にロシア正教をしっかり保護することによって、ロシア側の意図を打破しようとしたのである。
 ロシア正教の宣教師、日本ハリストス正教会の創建者であるニコライが開戦後も日本に残留してくれたことは、日本政府にとっても都合がよかった。彼が退去してしまえば、この戦争は宗教的色彩を帯びることになってしまうからである。そこでニコライが外出する際には、護衛警官が付き添い、一時は宣教団の敷地やその周辺に一個中隊にも匹敵するかと思われる数の兵隊が配備されたという。当時のニコライの日記にも、教団を守る警察等に対する感謝の気持ちを述べた文章がある。
 正教会自身も、自分たちが決して「露探(ロシアのスパイ)」でも「国賊」でもないことをアピールするのに必死だった。正教本会事務所では、日露戦争が始まる前から刊行物を出して「日本国家への忠誠とキリスト教信仰は矛盾しない」ということを力説し、戦争が始まってからも冊子を刊行して「我は断じて露探に非ず、我が日本帝国の忠良なる臣民なり」と主張している。
 正教会の神学校教師たちは『日露軍用会話』を作成して軍に献上し、祖国への忠誠を表そうともした。ニコライも、日本に留まることを決めた際の訓示で、信者たちに、あなたたちは日本の勝利を祈りなさい、そしてもし戦いに勝ったならば感謝の気持ちを祈りなさい、という主旨のことを述べている。
 だが、あえて注目しておきたいのは、日本のことを心底愛していたニコライも、戦争が始まって次々と日本軍の勝利が報じられるようになると、ロシア人としての愛国心を意識せずにはいられず苦悩したという点である。ニコライの日記には、日々の戦闘で日本軍が勝利したという報道を目にするごとにショックを受けたことが率直に書かれている。彼は、ロシア惨敗の知らせは気分が落ち込むので、今後は新聞を読むのは三日に一度にしようとも述べている。
 平和と愛国心をめぐる「矛盾」は内村鑑三にも見られる。周知の通り内村は、日清戦争は「義戦」として肯定したが、それ以後は全面的に戦争に反対し、最後まで「非戦論」を唱え続けた。だが彼は、日露戦争時、旅順港での日本海軍の勝利を知ると「隣り近所全体に聞こえるほどの大声で、『帝国万才』を三唱しました」と知人に宛てた手紙でわざわざ書いている。私たちは、あの非戦論の内村でさえ戦時にあってはそのような心情や衝動に駆られたということを、謙虚に受け止めておくべきかと思われる。
 内村は、聖書を引用して戦争を正当化する牧師たちを厳しく批判したが、多くのプロテスタントの牧師たちは日露戦争に協力的であった。新島襄*6の門下である海老名弾正*7は、当時の牧師のなかでも特に日露戦争を積極的に肯定したことで知られている。
 同じく牧師である本多庸一*8と小崎弘道*9は、軍隊へ「慰問使」を送ることなどについて軍部と交渉し、軍人向け小冊子の配布、募金活動にも協力した。本多庸一と井深梶之助*10は、日本が正義の戦争をしているということを訴えるために、わざわざ欧米にまで行った。
 小崎弘道は、全国宗教家大会で「この戦争は、人種の戦争でも宗教の戦争でもなく、ロシアが代表する16世紀の文明と、日本が代表する20世紀の文明との戦争である」と述べた。こうした小崎の発言を伝え聞いたニコライは、日記に「ロシア罵倒の熱心においてとりわけ際立つのはプロテスタントのコザキ(小崎)である」と書いており、複雑な思いを抱いていたことがうかがえる。
 当時、日本国内のプロテスタント宣教師のなかにはロシアに対する嫌悪と軽蔑をあらわにする者も多く、ニコライはそれに強い反発を感じていた。ニコライは「プロテスタントの宣教師たちほど、ロシアを憎み、ロシアの不幸を願っている者はいない」とも書いている。傍目には同じキリスト教徒のあいだでも、当時の内実はわりと複雑だったのである。
 また当時、牧師たちの戦争協力があった一方で、同じキリスト教徒のなかから日本で最初の良心的兵役拒否者も出ている。矢部喜好という人物である。
 彼は戦争がはじまるとすぐに召集されたのだが、入隊の前夜に連隊長宅を訪れて「自分は徴兵を拒否する者ではないが、神の律法を厳守する立場から、敵を殺すことはできない」と申し出た。当時の日本ではそんなことを言い出す者はいなかったので、連隊長は怒るより先に呆気にとられたようである。
 結果的に矢部は禁固2カ月の刑を受け、その後は上官の説得などにより傷病兵の世話をする看護卒補充兵となった。
 日露戦争においても、宗教家はさまざまな形で戦争に協力し、または戦争に反対し、あるいは迫害を受けながら、さまざまな葛藤のなかを生き抜いてきた。同じ宗教、同じ信仰をもっていても、人格や生活環境が異なれば日々の佇まいにも違いが生まれるが、「戦争」という巨大な社会的事象に対する姿勢も実際にはさまざまであった。
 こうしたことは、あらためて私たちに、信仰とは何か、平和とは何か、という問いを考えるきっかけになるであろう。

戦争と文化(17):聖書には「汝、殺すなかれ」とあるのに、どうして、ユダヤ=キリスト教は戦争や暴力行為を後押ししてきたのか?星川啓慈
 1945年8月6日、原爆を搭載したアメリカのB-29「エノラ・ゲイ」が日本本土に向かう時、「戦争の終わりが早くきますように、そしてもう一度地に平和が訪れますように、あなた〔神〕に祈ります。あなたのご加護によって、今夜飛行する兵士たちが無事にわたしたちのところへ帰ってきますように」というお祈りをしたことを紹介しました(第11回目のブログ)。簡単にいうと、当時のほとんどのアメリカ人は「日本は凶悪な国である、この国との戦争には絶対に勝利しなければならない」と思っていたのです。そして、日本への原爆投下が「平和実現の手段」だったのです。
 また、時代は前後しますが、キリスト教界は、エルサレム奪還に十字軍を派遣しましたし、プロテスタントカトリックに分かれて血で血を洗う宗教戦争をくりひろげたこともありました。
 しかしその一方で、先に紹介したように、聖書には「汝、殺すなかれ」、さらにいうと「汝の敵を愛せよ」(マタイ福音書、5章44節)と書かれています。
 こうした対立すると思われる事実を、どのように解釈したらいいのでしょうか。キリスト教諸国の歴史は、これらの教えと矛盾しているのではないでしょうか。
 アメリカの著名な教理神学者にリンドベックという人がいます。『教理の本質』(1984*11)という世界的な名著の中で、次のように論じています。
 キリスト教の大部分にわたる状況下では、一般に、平和主義は、たとえ「条件付きで必要」だとしても、「愛」というキリスト教の規則の「絶対に必然的な」結論ではないのである。(ボーガス注:平たく言えば『愛する人間』を守るためなら『戦争で人を殺してもいい』つうことでしょう)
 つまり、「平和主義」はキリスト教の絶対的で普遍的で本質的な教えではない、ということです。キリスト教が武力衝突に正統性を与えても不思議はないのです。
 このことは、西洋の歴史が如実に示しています。さらに、キリスト教における傑出した人々、たとえばアウグスティヌスは「愛からなされる迫害」を容認したとか、晩年のルターユダヤ教徒に酷いことをしたと論じる学者もいます。まあ、こうしたことは昔の話だとして片付ける人もいるでしょう。けれども、(ボーガス注:例えばキリスト教徒であるはずの米国大統領がアフガンやイラクで戦争をしている)現実世界を見ると、そのように簡単に片づけることはできないのではないでしょうか? 今回のブログも、ズバリこのことと関係しています。

 まあ、「横田早紀江」「曾野綾子」「トランプ」なんかも自称クリスチャンですからねえ。

従軍チャプレンと軍人の信仰 石川明人 2011年8月6日 | キリスト新聞社ホームページ
 8月6日は、アメリカが世界で初めて大量破壊兵器である原子爆弾を使用した日である。これによって多くの日本の一般市民が虐殺されたが、1945年のその日、原爆を搭載したB29エノラ・ゲイが基地を離陸するその直前に、従軍チャプレンがその乗組員を前にして簡単な礼拝を行ったことは、日本ではなぜかあまり知られていないようである。
 当時テニアン基地で任務についていたチャプレンの一人に、ウィリアム・ダウニー大尉がいる。彼が原爆を投下しに出撃する兵士らのためにおこなった祈りの全文を紹介しよう。
 「全能の父なる神よ、あなたを愛する者の祈りをお聞きくださる神よ、わたしたちはあなたが、天の高さも恐れずに敵との戦いを続ける者たちとともにいてくださるように祈ります。彼らが命じられた飛行任務を行うとき、彼らをお守りくださるように祈ります。彼らも、わたしたちと同じく、あなたのお力を知りますように。そしてあなたのお力を身にまとい、彼らが戦争を早く終わらせることができますように。戦争の終りが早くきますように、そしてもう一度地に平和が訪れますように、あなたに祈ります。あなたのご加護によって、今夜飛行する兵士たちが無事にわたしたちのところへ帰ってきますように。わたしたちはあなたを信じ、今もまたこれから先も永遠にあなたのご加護を受けていることを知って前へ進みます。イエス・キリストの御名によって、アーメン」
 エノラ・ゲイの乗組員たちは、この祈りの通り、任務を遂行したあと無事に基地へ帰還した。この祈りは神に「とどいた」のだ。だがここには、殺される側の人々への言葉はない。われわれは、こうした信仰の姿をどう考えればいいのだろうか。

*1:慶應義塾大学教授。著書『西南戦争』(2007年、中公新書)、『明治の政治家と信仰:クリスチャン民権家の肖像』(2013年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『小泉信三』(2018年、中公新書)など

*2:桃山学院大学准教授

*3:大正大学教授。著書『増補・宗教者ウィトゲンシュタイン』(2020年、法蔵館文庫)

*4:著書『お寺の鐘は鳴らなかった:仏教の戦争責任を問う』(1994年、教育史料出版会)、『大逆の僧 高木顕明の真実:真宗僧侶と大逆事件』(2011年、風媒社)

*5:勿論どちらの構図も嘘であり、実際は「韓国を日本とロシア、どちらが支配するか」という帝国主義・植民地獲得戦争でしかありません。

*6:同志社大学創立者新島襄 - Wikipedia参照)

*7:後に同志社総長(海老名弾正 - Wikipedia参照)

*8:青山学院院長、日本メソヂスト教会初代監督など歴任(本多庸一 - Wikipedia参照)

*9:同志社総長、日本基督教連盟会長など歴任(小崎弘道 - Wikipedia参照)

*10:明治学院総理、日本基督教青年会同盟委員長など歴任(井深梶之助 - Wikipedia参照)

*11:邦訳は2003年、ヨルダン社

新刊紹介:「経済」2021年8月号

「経済」8月号について、俺の説明できる範囲で簡単に紹介します(6月時点では予定なので変更の可能性があります)。
特集「バイデン政権とアメリカ資本主義」
◆座談会『バイデン政権の行方とアメリカ資本主義』(中本悟*1、佐藤千登勢*2、宮崎礼二*3、本田浩邦*4
多国籍企業の動態とアメリカ経済(井上博*5
◆「中間層」は復活するか(田村太一*6
◆デジタル課税をめぐるアメリカの動向(篠田剛*7
◆巨大デジタル資本の支配と規制(水野里香*8
◆農村部から見たアメリカ(薄井寛*9
◆米中対決と安全保障政策の行方(布施祐仁*10
◆変容するアメリカの環境政策(伊与田昌慶*11


◆日本農業の歴史的危機と新自由主義を考える(柳重雄*12
◆2021年世界鉄鋼業の構造変容(大場陽次)
◆現代医薬品企業:ワクチン開発をめぐる状況(細川孝*13

*1:立命館大学教授。著書『現代アメリカの通商政策』(1999年、有斐閣)、『ウォール・ストリート支配の政治経済』(編著、2020年、文眞堂

*2:筑波大学教授。著書『アメリカ型福祉国家の形成:1935年社会保障法ニューディール』(2013年、筑波大学出版会)、『アメリカの福祉改革とジェンダー』(2014年、彩流社)、『フランクリン・ローズヴェルト』(2021年、中公新書

*3:明海大学准教授。著書『現代アメリカ経済分析』(中本悟との編著、2013年、日本評論社

*4:獨協大学教授。著書『アメリカの資本蓄積と社会保障』(2016年、日本評論社)、『長期停滞の資本主義』(2019年、大月書店)

*5:阪南大学教授。著書『アメリカ経済の新展開』(共著、2008年、同文舘出版)

*6:流通経済大学准教授。著書『現代アメリカの経済社会』(共著、2018年、東京大学出版会

*7:立命館大学准教授

*8:横浜国立大学非常勤講師

*9:JA全中全国農業協同組合中央会)広報部長、日本農業新聞常務取締役、JC総研理事長など歴任。著書『2つの「油」が世界を変える:新たなステージに突入した世界穀物市場』(2010年、農山漁村文化協会)、『歴史教科書の日米欧比較:食料難、移民、原爆投下の記述がなぜこれほど違うのか』(2017年、筑波書房)、『アメリカ農業と農村の苦悩』(2020年、農山漁村文化協会

*10:著書『北の反戦地主・川瀬氾二の生涯』(2009年、高文研)、『日米密約 裁かれない米兵犯罪』(2010年、岩波書店)、『ルポ・イチエフ:福島第一原発レベル7の現場』(2012年、岩波書店)、『災害派遣と「軍隊」の狭間で』(2012年、かもがわ出版)、『経済的徴兵制』(2015年、集英社新書)、『日報隠蔽:自衛隊が最も「戦場」に近づいた日』(共著、2020年、集英社文庫

*11:NPO法人気候ネットワーク主任研究員。大阪成蹊大学非常勤講師。著書『地域資源を活かす温暖化対策』(共著、2011年、学芸出版社

*12:埼玉食健連(農林業と食糧を守る埼玉連絡会)会長。弁護士

*13:龍谷大学教授。著書『日本の大学評価』(編著、2012年、晃洋書房)、『「無償教育の漸進的導入」と大学界改革』(編著、2014年、晃洋書房)、『現代の企業と社会』(編著、2021年、中央経済社

島田橋(埼玉県坂戸市)の現在(書いてる途中)

 「ウルトラシリーズ」のロケ地の現在(いま)(五本松編) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)で連想して書いている記事です。

島田橋 - Wikipedia
 橋の構造上における特徴として、ほぼ木製で路面は全面的に板張りになっている。それによりひなびた雰囲気と素朴な姿を長く留めていることや、都心から交通の便がよいことから、テレビ時代劇や時代劇映画のロケーション撮影に度々使用されている。この橋をロケ撮影に使用した作品は以下の通り。
NHK大河ドラマ
 翔ぶが如く
 新撰組!
 風林火山
 龍馬伝(第28回「武市の夢」)
陽炎の辻2(NHK
JIN-仁-(TBSテレビ)
◆幕末純情伝(松竹映画)
さや侍(松竹映画)

島田橋(潜水橋)
 東京に近いということでロケ地として重宝され、NHK大河ドラマだけでも『翔ぶが如く』(平成2年/主演・西田敏行)、『新撰組!』(平成16年/主演・香取慎吾)、『風林火山』(平成19年/主演・内野聖陽)、『龍馬伝』(平成22年/主演・福山雅治)、さらに映画では『幕末純情伝』(松竹映画・平成3年/主演・渡辺謙)、(中略)、『さや侍』(松竹映画・平成23年/主演・野見隆明)、テレビドラマでは『JIN-仁-』(TBSテレビ・平成21年/主演・大沢たかお)などに使われています。

昨年の豪雨で流失の越辺川の冠水橋「島田橋」復活 埼玉 - 産経ニュース2015.5.22
 映画やテレビの撮影などにも使われ、住民の生活を支えてきた越辺川に架かる木橋「島田橋」(坂戸市島田-東松山市宮鼻)が昨年6月、梅雨前線豪雨で流失してから約1年。坂戸市が進めていた架け替え工事がほぼ終了し、流失前の姿がよみがえった。
 島田橋は木橋のたたずまいと周辺に人工物が少ない景観から、NHK大河ドラマ新選組!」「龍馬伝」やTBS系ドラマ「JIN-仁-」など多くの作品でロケが行われ、坂戸市の観光スポットとしても期待されている。

ということで数々の時代劇のロケ地となった島田橋というものが埼玉にはありますのでこの機会に紹介しておきます。

今日の中国ニュース(2021年6月22日分)(副題:楊海英の馬鹿さに心底呆れる)

【知論考論】周庭氏釈放の先読み的中の上久保教授「厄介払いの英亡命ある」 - 産経ニュース

 中国は今月12日、無許可集会扇動の罪などで服役させていた香港の民主活動家、周庭(アグネス・チョウ)氏(24)の刑期を短縮して釈放した。半年前にこの「知論考論」のページで釈放を予測していた立命館大上久保誠人教授と、台湾で香港民主化運動を支援する香港出身の弁護士、桑普(そう・ふ)氏に情勢を分析してもらった。

 「釈放を予測していた」云々と、まるで「競馬予想が当たって大喜び」的なこの「ふざけた態度」には「はあ?」ですね。桑普(そう・ふ)氏はともかく、そもそも上久保氏は中国研究者と言える御仁ではなく、彼に意見を聞くこと自体がおかしい(上久保誠人 - Wikipedia参照)。


◆楊のツイート

楊海英
 隣国の事は必ず日本に影響が及ぶ。それでも、媚中政策を取るならば、香港とモンゴル*1ウイグルの二の舞になる。

 やれやれですね。中国が日本侵略をするとでも強弁する気なのか。

珍右翼・黒坂真に突っ込む(2021年6月22日分)

◆黒坂のツイート

黒坂真リツイート
 池内さおりさん。共産主義者フェミニストだ、というお話ですが、ボリシェヴィキロシア皇帝一家を惨殺。皇后や皇女も殺害しました。レーニンはこれに何の反省もしていない。フェミニストなら、レーニンを徹底批判すべきと思います。
◆池内さおり*1
6/19(土)21時
#コミュニストフェミニスト
Vol.9 「角田由紀子さん*2は、なぜフェミニスト弁護士になったのか?」
 日本初のセクシュアル・ハラスメント裁判を闘い、多数の女性の共通の痛みの経験に言葉を与えてきた‘伝説’。お聴きください!

 まともな人間ならどんなリツイートをするにせよ『角田氏の業績について論じる』など、池内ツイートに関係したことについて書くでしょうに「レーニンガー」だそうです。呆れて二の句が継げませんね。
 もちろん「コミュニストフェミニスト」とは
1)コミュニストならフェミニストであるべきだ
2)「ニスト」で韻を踏んでる
のであって、そもそも池内氏は「昔からコミュニストは例外なく全てフェミニストであった」なんてことは最初から言ってない。

*1:衆院議員。日本共産党衆院東京12区予定候補。党中央委員。公式ホームページ池内さおりホームページ

*2:1942年生まれ。「希望のたね」基金顧問など市民活動家としても活躍。著書『性の法律学』(1991年、有斐閣選書)、『性差別と暴力:続・性の法律学』(2001年、有斐閣選書)、『性と法律』(2013年、岩波新書)、『脱セクシュアル・ハラスメント宣言』(編著、2021年、かもがわ出版)など(角田由紀子 - Wikipedia参照)

今日の産経ニュース(2021年6月22日分)

【政治デスクノート】「新政権」の所信先取りも 支持率上がらない立民に勝算なし - 産経ニュース
 産経がまさに「日刊自民党」であることが分かる記事です。確かに「自民党の支持率(20%程度)」と「立民の支持率(9%程度)」ではダブルスコアが常時付いています。したがって政権交代には「野党共闘が不可避であること(現状の支持率では立民単独では無理)」、にもかかわらず「連合や立民内ウヨ議員の反共姿勢」で野党共闘が進んでないことを考えれば、俺もそれほど楽観視はしていません。
 しかし産経が言うように「立民恐れるに足りず、菅政権は今後も盤石」と思ってるならこんな記事は書かずに黙ってれば良い。
 内心は「一番多い無党派層がどう動くか分からない」「コロナ無策が主たる理由だが菅政権の支持率が低下傾向」ということで産経が衆院選について「政権交代があるかも」「いや、それはないにしても野党が躍進して自民が議席を減らし、菅が退陣。後釜が石破になるかも」と怯えてることは確かでしょう。