はてなブログでは未来日付の記事は「原則としては」書かないことにします、他(追記あり)

【最初に追記(2019年2/15記載)】
bogus-simotukareのブログということでココログにもブログを作ったので紹介しておきます。
ただ「今のところはてなの方が書きやすい(ココログだと脚注のつけ方がよく分からない、エンターキーで改行すればはてなだとそのまま改行になるが、ココログだとそうならない)」ということではてなの方で書くことが多いかと思います。
【追記終わり】

 bogus-simotukareの日記では未来日付の記事も書いていたのですが、はてなブログだと未来日付記事がたくさんあると、新規記事を書いてもそれが目立たず非常に見づらい気がするので、基本的には未来日付記事は書かないことにしたいと思っています。なお、この文章は2019年1月28日に書いています(これは、目立つところに置いた方がいい「お断りの文章」なので未来日付の記事ですが。なお、俺が勘違いしてるのかもしれませんが「あまり遠くの未来日付」だといろいろと作業が厄介な様なので「2019年1月28日の約1年後」にしています。しかし、当然ながら、冒頭にいつも表示される様に適宜、日付の設定は変更する予定です)。
 はてなダイアリーではシリーズ連載「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう(追記・訂正あり) - bogus-simotukareの日記としていたものも、こちらでは「パートほにゃらら」という形にはせず「毎日記事を書く形にしたい」と思います。
id:sorarisu0088氏に対する謝罪文の掲載(追記・訂正あり) - bogus-simotukareの日記はどうしようか少し悩んだのですが
1)はてな社の方針では当面、はてなダイアリー記事は「更新やコメントはできないが」記事自体は残る
(もちろん、最終的にははてな社が「やはり削除」という方針にする可能性もゼロではないでしょうが将来的な問題はひとまずおきます。その場合、さすがにはてな社は事前広報くらいするでしょう。その場合はこちらに謝罪文を移そうとは思います)
2)はてなブログにまで過去の恥をさらしたくない(まあ俺個人のくだらない感情論ですが)
つうことで、まあこの記事での「謝罪相手」である御仁が「どうしてもブログにまで謝罪文そのものを残せ」と言ってくるならまた話も別ですが、「ここにお断りの文章を載せること」で「謝罪文そのもの」はここにはひとまず載せないことにします。

【2019年1月29日追記】
 早速、移行後、コメント設定を修正。
 コメントは通常設定だと「はてなユーザー」という設定ではてなユーザーしかコメントできないようですね(コメントするときははてなのID、パスワードでログインする)。
 当然(?)ながら「俺にとってはてなユーザーにコメント者を限定する理由がない」、というか従来コメント頂いていた方々はおそらく「ほとんどがはてなユーザーじゃない」ので「ゲスト(誰でもコメント可能)」に変更します。しかし通常設定は「ゲスト」であるべきじゃないんですかね。
 俺みたいなうっかりは「はてなユーザー設定」に気づかず、「何で移行前にコメントしてくれた方たちがコメントしてくれないんだろうな」と悲しむという皮肉なことになりかねません。いや「はてなユーザーを増やしたい」という企業の立場からは、一理ある「通常設定」でしょうけどね。
 「はてなブログーユーザーの利便性をなんだと思ってるんだ!」つう反発は感じます。

新刊紹介:「歴史評論」5月号

・詳しくは歴史科学協議会のホームページ(http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/)をご覧ください。小生がなんとか紹介できるもののみ紹介していきます。まあ正直、俺にとって内容が十分には理解できず、いい加減な紹介しか出来ない部分が多いですが。
特集『新書から広がる歴史学
■市大樹*1『飛鳥の木簡*2』:木簡から古代を考える(堀川徹)
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

古代歴史文化賞大賞に市大樹氏の『飛鳥の木簡 古代史の新たな解明』 - 産経ニュース
 優れた古代史の書籍を表彰する「古代歴史文化賞」の選定委員会が開かれ、第2回大賞に市大樹(いち・ひろき)大阪大准教授の『飛鳥の木簡 古代史の新たな解明』(中央公論新社)が選ばれた。市准教授は会見で「この賞はもっと頑張れという激励だと思うので今後、ますます努力していきたい」と語った。準大賞は寺崎保広*3奈良大教授の『若い人に語る奈良時代の歴史*4』(吉川弘文館)に決まった。
 同賞は古代史にゆかりが深い島根、奈良、三重、和歌山、宮崎の5県からなる古代歴史文化普及協議会の主催で、古代の歴史的事実をもとにした一般読者にも分かりやすい本が対象。
 大賞受賞作は近年、飛鳥から出土している木簡(文字の書かれた木札)のうち、特に重要なものを取り上げ、背景にある古代国家形成の歴史を読み解く内容。選定委員長を務めた金田章裕*5京大名誉教授は「研究の最先端情報を惜しみなく盛り込み、学術的にも高く評価できる」と述べた。

市大樹『飛鳥の木簡:古代史の新たな解明』 - taronの日記漂流先
・奈良文化財研究所で木簡の整理に従事した著者が、木簡の解読から、どのようなことを解明できるのかを述べた本。大体、7世紀後半から8世紀初頭、倭国政権の中枢が飛鳥にあった時代を扱う。
・最古の木簡、改新の詔の信憑性、王宮や工房、飛鳥寺の活動、藤原京の建設、大宝律令の施行の七つの問題について、述べられている。
 第一章は最古の木簡について。現在のところ「最古級」は640年代であること。誤記の問題や後になって書かれた年号の可能性など、年号が書いてあるから即その年であるとは言い難く、簡単には決められないというのがよく分かる。文字が書いてある木簡を、C14年代測定法で調べるわけにもいかないしな。670年代の天武朝になってから木簡の利用が急増するというのも興味深い。
 第二章は「大化の改新」について。後代の文章でないかという疑惑が指摘され、「郡評論争」が展開され、「阿波評」木簡の出土で決着がついたこと。しかし、国郡里制に先行する評や五十戸と記した木簡の検討から、部民制度ではなく、集落単位の「里」の存在が検出され、「改新の詔」に表明された政策が、7世紀後半に志向されていたことが指摘されるようになった。まあ、この場合の木簡の貢献は、最初の政策表明から実際に制度が整えられるまでのディテールが明らかになったことだと思うが。あとは、国郡里制に向う政策の地域差などが検出できるとさらに研究が豊かになるなと思った。
 第三章は王宮の状況、第四章は飛鳥池の国営工房について。石神遺跡や浄御原宮跡周辺から出土した木簡によって、それらの地域に、分散的にさまざまな役所が展開していたこと。その場所にどんな役所があるか、ある程度候補を絞り込める状態ってのがすごいな。また、飛鳥池遺跡出土木簡から釘の大量生産が行われていたこと。製鉄に木簡が偏っていること。木簡に出てくる氏族名から、蘇我氏の配下にあった葛城系の工人を王権が吸収して、配置した工房であることなどが判明する。
 第五章は飛鳥寺の活動について。道昭系統の東南禅院と飛鳥寺の中央機関である三綱組織の並存。飛鳥寺の宗教活動や市場での取引、医療活動、学問活動などが紹介される。漢文の発音やローカライズなどで、朝鮮半島の文化的影響が非常に大きいというのが興味深い。漢字の発音も「古韓音」という朝鮮半島の読み方が七世紀末まで大きな影響を持っていたこと。それが八世紀になると消えていくという。ここにある断層みたいなのが興味深い。また、万葉集にでてくるような歌の断簡らしきものも出土しているそうだ。
 第六章は藤原京について。木簡や遺構から、藤原京の建設が長く続いたこと。これをもとに日本書紀の読み直しが行われたこと。中枢部は建設が遅れたこと。最終的には、建設を打ち切って、より中国の都城に近い平城京の建設にスイッチされたことなどが指摘される。衛門府不比等邸など、藤原京内の紹介も興味深い。
 最後は大宝律令の施行の影響。宮廷の門で、物資の搬出時などに発給された通行証の変化から、最初は大宝律令施行という古代国家の一大変革に気負って、制度が運用されたこと。しかし、中務省で許可を受け、門司に提出、衛門府で帳簿作成というプロセスがあまり煩雑だったので、数年で簡略化されたプロセスが検出されている。


■新書で学ぶ中国古代史研究 (小嶋茂稔*6
■榎原雅治*7『中世の東海道をゆく*8』:環境史への道(下村周太郎)


佐藤彰一*9『禁欲のヨーロッパ*10』ほか:西洋文化の基層としての修道院(梶原洋一)
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

『贖罪のヨーロッパ』/佐藤彰一インタビュー|web中公新書
■インタビュアー
 本書を執筆した動機を教えてください。
■佐藤
 2014年2月に出版した前著『禁欲のヨーロッパ』(中公新書)は、修道士の厳しい修行生活を支える自ら進んで行う禁欲実践の起源を、キリスト教以前の古代ギリシアの市民の徳目であり、養生法でもあった「自己への配慮」の思想と、これを継承した古代ローマのエリート層に育まれた禁欲の思想のうちに求めた内容でした。その意味で、修道思想の社会的起源の探究とも呼べるものでした。
 それに対して、本書『贖罪のヨーロッパ』は、キリスト教以前の古典古代の身体思想の系譜に立ちながら、その延長線上にキリスト教の救済思想と深く結びついた贖罪の観念を展望しようとしたものです。贖罪と救済とを結びつけるうえで、最も重要な思想は聖アウグスティヌスが生み出したのですが、これが一種の社会思想としてヨーロッパキリスト教世界に浸透するうえで最大の功績を果たしたのは、アイルランドの修道士たち、なかでも聖コルンバヌスでした。
 彼らは、大陸からアイルランドに持ち込まれた様々の教父の作品や教義関連の著作で学び、一世紀以上にわたって沈滞していた大陸の修道制に、いわば原初の息吹を再びアイルランドから吹き込んだのです。同時に「リュクスーユ読誦集」で用いられている新たな書体を創りだし、やがてはカロリング朝期に頂点に達した写本文化繁栄のきっかけをつくりました。修道院の歴史的役割として、古典古代の作品を筆写し、それを後世に残したその功績は決して忘れてはならないものです。
 このように、宗教・精神世界と書物文化両面にわたる中世修道院が果たした巨大な役割を、自分なりにしかも現在の研究動向もまじえて述べて見たいというのが動機でした。
■インタビュアー
 前著『禁欲のヨーロッパ』と本書で描かれる内容で、とくに異なっている点はどのようなところでしょうか。
■佐藤
 『禁欲のヨーロッパ』で展開した論理は、自己の欲望を統制する技法が古典古代と末期ローマでどのように展開したかを探究する論理でした。
 しかし本書『贖罪のヨーロッパ』の舞台となったのは、すでにキリスト教が社会にかなり浸透した時代のヨーロッパです。そこでは古典古代のストア的禁欲思想とは根本的に異なる、罪障の贖いが信徒すべてに求められた世界です。「欲望」は贖罪の対象である「罪」のなかに解消され、贖うべき「罪」の一部と化してしまったのです。「禁欲」の論理は、6世紀以後はより広範な「罪」の論理として展開して行くというのが私の考えです。
■インタビュアー
 今後の課題、テーマを教えてください。
■佐藤
 本書の続きとなる1冊を、仮の題ですが「托鉢修道会騎士修道会:都市化と膨張時代の中世ヨーロッパ修道制*11」というタイトルで書こうと考えています。13世紀から15世紀が時代枠となるでしょう。

『剣と清貧のヨーロッパ』/佐藤彰一インタビュー|web中公新書
■インタビュアー
 本書は、『禁欲のヨーロッパ』、『贖罪のヨーロッパ』につづく三作目となりますが、本書で触れられている時代、修道制のあり方の特徴や、前著までの時代との違いについてお教えください。
■佐藤
 今回出版した『剣と清貧のヨーロッパ』は時間軸としては、主に12世紀から14世紀までを扱っています。この時期はヨーロッパの歴史的展開にとって極めて重要でした。今日まで続く「十字軍思想」が、一つのイデオロギーと化して、ヨーロッパのキリスト教徒の間に浸透して行く過程が、この時期開始したのです。
 確かに8世紀にイベリア半島イスラーム国家が樹立し、それとの対決が「プレ十字軍」的色彩を帯びたことは確かですが、12世紀に聖ベルナールが鮮明にした聖戦プロパガンダに結実するような動きはありませんでした。8世紀末から9世紀にかけて、カール大帝をはじめとするカロリング朝の王たちは、アッバース朝のカリフと定期的な使節の交換を実践するほどでしたから。ちなみに津田拓郎さんの研究によれば、カール・マルテルが732年にトゥール・ポワティエ間の戦いで、イスラーム教徒の進撃を食い止めたという事実が、称揚されるようになったのは、十字軍時代以後のことでした。
 さらに指摘しておきたいのは、この書物のもう一つの主題である托鉢修道会の出現です。ドミニコ会フランチェスコ会、聖アウグスティノ会、カルメル会など多くの托鉢修道会がこの時代に誕生しました。
 本書では最初の2つの修道会しか論じていませんが、この現象はこれに先立つ異端運動の猖獗なしにはあり得なかった事態であると、私は考えています。異端のラジカルさによって、それまでのキリスト教信仰を条件づけていた何かが消し飛んでしまったのです。絶対的無所有という思想、日々生きる糧を完全に托鉢の結果に委ねるという考え。これらは、「神の摂理」に身を委ねるという、托鉢修道会の姿勢の根幹をなすわけですが、異端現象として現れた信仰への根源的な問いかけなしにはあり得なかったでしょうし、さらにこうした心理的、精神的潜勢は、キリストの生誕後千年を経て世界の終末が訪れるという、いわゆる「至福千年」思想がなければ生まれなかったと考えています。
 托鉢修道会が唱えた「imitatio Christi キリストのまねび」という思想は、聖フランチェスコに関する本書中の記述でも指摘したのですが、新約聖書に描かれたキリストと使徒の行動にひたすら心を寄せて実践するようにという教えです。それは前著『贖罪のヨーロッパ』が扱った時代まで重きをなしていた、罪を罰する峻厳な神が前景にあった「旧約聖書」から、キリストの愛の思想を根幹とする「新約聖書」への劇的転回があったのではないかと思っています。それを象徴するのが聖フランチェスコという人物だということです。この書物を執筆する過程で、遅まきながらフランチェスコという人間を発見し、心惹かれるようになりました。
■インタビュアー
 ところでなぜ、それらの時代や修道会について取り上げようと思われたのか、動機をお教えください。
■佐藤
 それは『贖罪のヨーロッパ』が扱った時代が12世紀に入るまででしたから、その続きは12世紀からでしょう(笑)。中公新書で刊行している一連の書物は、キリスト教の信仰実践の一大局面である修道制の歴史を、古代における禁欲の社会的機制の考察から始めて、キリスト教固有の贖罪が誕生した時代、信仰の内面化の托鉢修道会騎士修道会の時代、それから宗教改革を経ての新たな布教地平(アジアと新大陸)を目指すイエズス会の活動の時代があり、17世紀初めには一転して対抗宗教改革の動きから生まれたサン・モール会という学僧たちの共同体が組織される時代というように、あくまでトピックを連ねた形になりますが、ひとまず近代までの歴史を自分なりに通観したいというのが、特に『禁欲のヨーロッパ』を書き終えた頃からの、私の思いでした。それに日本人が書いた修道院、あるいは修道制と言ったらいいのでしょうか、その通史が存在しないという事情があります。
■インタビュアー
 騎士修道会と、托鉢修道会と、一見すると全く別の性質を持つ両者が、同時に現れてきたのはなぜでしょう。
■佐藤
 大変な難問ですね。しかしこの設問は案外本質的な意味を持っているかもしれません。つまり、両者は外見上互いに離れた事象のように見えるかも知れませんが、その実(じつ)根っ子のところで繋がっているのではないかという認識です。
 騎士修道会は言うまでもなく武器をとってイスラーム教徒を一人でも多く屠り、敵手の数を減らし、聖地の守護を目ざし、キリスト教徒巡礼者の安全を守ることを使命とした組織ですね。この組織は実は対内的にも極めて厳格な規律をもった組織です。
 極めつきは個人財産の絶対的否定です。死者が少額の金を隠し持っていたことが埋葬後に判明した場合、死者は墓をあばかれ、飢えた犬の餌食にされるという、苛烈極まりない処断が待っているというのが一例です。それは激烈としか言いようがない、ラジカルさではないでしょうか。
 他方でフランチェスコの生涯をたどりながら考えたことは、先にも触れましたが、その思想の根底において当時の通念を覆すラジカルさが、様々な形で感じ取られることです。
 そして同時にこうした根源的なラジカル性を具えた挙措を日常とするためには、同じくらいの攻撃的心情を内に秘めていなければなりません。愛と平和の思想は、フランチェスコ個人の「攻撃的」とも言える過激なエネルギーによって支えられていたのです。それは武器を持たないものの、十字軍兵士と変わらない攻撃的心根を蔵していたと見るべきだろうと思います。つまり変革期の12世紀という時代相が生み落とした「双生児」と言えるかも知れません。
■インタビュアー
 今後の関心についてお教えください。
■佐藤
 もうすでに挙げましたが、次の著作*12イエズス会が中心になる予定です。むろんこの著作の冒頭は宗教改革と対抗宗教改革について、トレント公会議も含めて論じなければなりません。

読書/ 佐藤彰一 『剣と清貧のヨーロッパ 中世の騎士修道会と托鉢修道会』 (中公新書、2017年12月) : 隗より始めよ・三浦淳のブログ
 いくつか興味深い点を挙げておくと、まず南仏などで大きな勢力を持った異端カタリ派について、いかに従来のキリスト教と相容れないかを説明したあと、しかし修道会の一切の財産を放棄した使徒的な生き方は実は異端に近いところにあった、という指摘である(153ページ)。
 また、騎士修道会が農牧業や、場合によっては金融などを自ら行うことで暮らしを維持したのに対し、托鉢修道会はヨーロッパの都市化を背景に、托鉢によって都市住民から生活の資をもらい受けることを前提としていた。と同時に、都市化によって一部の者が富を蓄積し、格差が拡大し、逆に貧民の群れも目立つようになるなどの状況への批判という意味合いもあった。
 最後に、修道女に準じるベギンと呼ばれる女性(集団)について説明がなされていて、私はその存在すら知らなかったので、興味深く読むことができた。

『宣教のヨーロッパ』/佐藤彰一インタビュー|web中公新書
■インタビュアー
 キリスト教の修道会がヨーロッパの精神・文化・経済に果たした役割について、古代から通観する本シリーズ(『禁欲のヨーロッパ』『贖罪のヨーロッパ』『剣と清貧のヨーロッパ』)は、本書では大航海時代にさしかかり、キリスト教はヨーロッパの境界を越えていきます。この時期に生まれたイエズス会について、先生はどのようにお考えでしょうか。
■佐藤
 本書の本論部分をルターの宗教改革から書き出していますが、その中でカトリック側からの対応を「対抗宗教改革」ではなく、カトリック側の主体的で内発的な改革の動きとして捉えるという視点を前面に出しています。
宗教改革」という世界史上の大トピックを見る際の、カトリック側の動向を理解する上での私の基本的立場はそれです。
 本書で縷々説明したように、ルターの時代にヨーロッパ社会は様々な意味で転換点に立っていました。前面に出てくるのは、日常の精神生活の核とも言える信仰の問題と、戦争、疫病などがもたらす社会不安です。
 信仰の支えとなる教会の機能不全は、末端に至るまで及んでいて、人々は「宗教」というものの意味を、日々自らに問いかけざるを得ない状況に置かれていました。
 マルティン・ルターもそうした一人であったわけです。
 ここで大事なのは、私が書物の中で「信仰の個人化」という言葉で表現したものの内実です。それは言うまでもなくカトリック世界では、信仰の内実を決めるのは教会であるという伝統からの離反というと、少し言い過ぎかもしれませんが、少なくとも信徒の心の在りようとしては正統的なものではなかったと評することはできるでしょう。
 14世紀末にオランダのフローテが唱えた「新しい信心」や、エラスムスの「半ペラギウス」的救済論などはその一端ですし、注目すべきことにこの傾向は、カトリック側にも顕著であったということです。
 プロテスタントとの戦いの尖兵であったイエズス会創始者イグナティウス・デ・ロヨラにあっても、こうした時代の趨勢に染まっていたという印象を持っています。彼が創案し、イエズス会士となるためには、その実践を義務づけられた「霊操」という修行は、誓願者がキリストをそれぞれが思い思いに内面化し、その生涯を想起することが求められるわけですが、それは紛れもない信仰の内面化、個人化なのではないでしょうか。
 先行する時代の修道院では、信仰の内実は「教え」によって一律に教授されました。無論キリストの生涯に関わる個別の問題が議論の対象、あるいは論争の種になることはあっても、それは最終的な回答が与えられ、基準化され、各人がその内面で思い思いに捉えるという作法はありませんでした。
 その意味でこの時代には、新旧いずれの信徒のもとでも、信仰における指向性の基盤が共有されていたと言えるのではないでしょうか。
 それにもかかわらず新旧二つの勢力が決定的に別れた理由は何か。これは難問ですが、典礼のやり方やその意味づけの違いという、狭い意味での宗教問題を別にすれば、神聖ローマ帝国問題が大きく影を落としているように思います。つまりローマ教皇庁が体現しているイタリアとドイツとの抜き差しならない歴史的な対抗関係が根底にあり、この要素が「ドイツの離反」に弾みを与えたように思うのです。
 ルターが教皇庁を敵手とした背景に、ドイツの土地で脈々と続いてきた教皇(庁)の呪縛から逃れようとする歴史的血脈のような意識が働いてはいないだろうかと思ってしまいます。ドイツ騎士団の大総長アルベルト・フォン・ブランデンブルクが意外にあっさりとルターを支持して、騎士団領国をプロテスタント勢力に繰り込んだのも、本来教皇には忠誠を尽くすべき騎士団でありながら、結局ドイツ人の自己意識が勝ったことによるのではなかったか、と思ってしまうのです。
 プロテスタント勢力のシュマールカルデン同盟がテューリンゲン、ザクセン地方が母体であり、これにプロイセン地方を加えたドイツ北部、東部が勢力範囲であったのは、歴史的にローマとの関係が希薄なこの地方であったればこそという印象が否めません。
 トレント公会議を含めて、ヨーロッパ・キリスト教の分裂が、現在見られるような新旧の決定的な分裂に至らないで修復される可能性はあったと思いますが、本書で解説したようにそのチャンスは様々な事情で実を結ぶことなく終わったわけです。
 海外宣教、とりわけイエズス会の宣教活動は、こうしてカトリック世界から失われたキリスト教カトリック勢力を、未知の海外で取り戻すという目的があったのです。
 ですからイエズス会の海外宣教にかける情熱は半端なものではありませんでした。何しろインドだけでヨーロッパ全体に匹敵する人口を抱えており、その成功のあかつきには、プロテスタントの誕生で失われたカトリック信徒を優に埋め合わせることができたわけですから。奇妙なことにプロテスタントの宣教活動は影が薄く、ドイツ敬虔主義が起こって以降で、ヨーロッパ外の宣教は19世紀になってからです。このあたりの問題は、まだこれから考えていかなければと思っています。
 一方托鉢修道会の海外宣教は「宗教改革」以前から行われていたことは、本書の第4章で述べている通りです。こちらの流れは、むしろ反イスラームが深い動機付けになっていると見てよいでしょう。
■インタビュアー
 それでは、海外布教の対象となった当時の日本、あるいはその後現代に至るまでの日本に、イエズス会をはじめとする各修道会があたえた影響とはどんなものでしょうか。
■佐藤
 本書第7章の最後の部分で書いたように、1614年に徳川幕府が出した「キリスト教禁教令」によって、外国人宣教師や一部の日本人キリスト教徒は日本を離れざるを得なかったわけです。
 それでも41人の宣教師が死を賭して、密かに日本に潜伏し、今や非合法となった日本人キリスト教徒の「魂の世話」を続けたわけですが、本腰を入れてキリスト教徒の追及を始めた幕府と、その本気度に押されて、当初は比較的寛容に目こぼしをしていた各藩も厳しく詮索にあたるようになり、結局徳川幕藩体制下では「潜伏キリシタン」のような存在として命脈を保つしかない状態で、明治6年(1873年)の新政府によるキリスト教を事実上黙認する措置を経て、公式には明治32年(1899年)にその信仰と宣教活動が認められました。
 したがって、明治に入ってからが、キリスト教の宣教活動の本格的な復活が起こったのです。もっとも新政府が発足する以前から、ヨーロッパ諸国、とりわけフランスの宣教活動が開始されていて、有名なのは長崎に大浦天主堂を建てたベルナール・プティジャン神父が、1865年に潜伏キリシタンの存在を発見し、世に知らしめ、世界のキリスト教世界に衝撃と感銘を与えたことです。
 明治以降の日本の宣教活動の特徴は、教育機関の設立と社会救済事業への貢献を通じて行われたことでしょう。
 キリスト教的教育によって、感化する方針の最初の具体化は「幼きイエス会」の修道女が建てた「高等仏和女学校」で、これは後に雙葉学園になります。また同じくフランスから派遣されたマリア会士たちは、後の暁星学園を創設しています。
 プロテスタントの活動は米国聖公会のチャニング・ウィリアムズが1874年に、築地に立教学校を開設し、後の立教大学の基礎を置きました。
 戦国期に日本宣教の口火を切ったイエズス会の明治期日本の教育界への進出は遅く、1913年に上智大学の創設が嚆矢でした。
 また社会救済事業も職業訓練学校、児童福祉施設ハンセン病者療養所など多岐にわたり、近代日本社会生成に寄与するところ大きかったと言えましょう。
 こうした努力にもかかわらず、日本のキリスト教徒の数は、カトリックプロテスタントギリシア正教を含め、100万人をなかなか超えられないのが現状で、その理由は何かを多くの宗教学者が論じていますが、何か単一の答えを見つけるのが困難な問いのような気がします。
■インタビュアー
 世界宗教となったキリスト教との関連で、修道制はこのあとどうなるのでしょうか。
■佐藤
 次作、つまり私の西洋修道制の一連の歴史叙述の最後になる作品ですが、そこでは舞台が再び西ヨーロッパに戻ります。最初の『禁欲のヨーロッパ』を執筆した当初から、最後はサン・モール会を主題にした1冊でシリーズを締めくくる積もりでいました。題はまだ未定ですが「サン・モール会と近代歴史科学の誕生」を内容とする1冊です。

佐藤彰一『宣教のヨーロッパ』(中公新書) 6点 : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期
 第1章は宗教改革について。ルターやカルヴァン、さらにイギリスの宗教改革がどのように行われ、どのような影響を与えたかということが書いてあります。
 基本的にはそれぞれの宗教改革の簡単な記述にとどまっているのですが、ドミニコ会フランチェスコ会、アウグスティノ会などの托鉢修道会士たちがルターの思想を広めたこと、一方で領主権力は宗教改革によって教会や修道院の財産の没収を狙っていたことなどは注目すべき点です。
 第2章はカトリック側の対抗宗教改革について。宗教改革に対して、1522年に教皇に選ばれたオランダ人のハドリアヌス6世は教会の混乱が教皇庁と高位聖職者の腐敗にあることを認め、教会改革を目指しますが、1523年に亡くなってしまいます。歴史家のマルク・ヴナールは「もしハドリアヌス6世が存命であったなら、すべてが違っていただろう」(37p)との言葉を残しています。
 ハドリアヌス6世の跡を継いだメディチ家出身のクレメンス7世は危機感が薄く、1527年には神聖ローマ帝国軍によるローマ劫略を許します。
 1545年にはじまったトレント公会議も、プロテスタント側の出席はなく、少ない人数での始まりとなりましたが、1563年の閉会時には(18年もかかった!)多くの出席者が集まり、カトリック勢力の結集を印象づけました。
 この会議で原罪、秘跡、聖餐、聖職ヒエラルキーといったカトリックプロテスタントの教義上の違いが整理され、カトリック側の規律が強められていったのです。
 第3章ではイグナティウス・ロヨラを中心にイエズス会の誕生が描かれています。
 イグナティウス・ロヨラは小貴族の家に生まれ、騎士になるための教育を受けましたが、大砲で右足を負傷して騎士道を断念し、信仰の道へと入りました。
 イグナティウスはパリで学びながら、フランシスコ・ザビエルをはじめとする7人の仲間と意気投合し、のちにイエズス会を結成します。
 彼らは教皇に直接従属する会派を結成して宣教に出ていくことを決意し、1540年に教皇パウルス3世にそれが認められると、早くも翌年にはザビエルがインドに向けて出発しました。
 イエズス会ではイグナティウスの経験に基づいてつくられた『霊操』と呼ばれる会士になるためのイニシエーションが重視され、宗教改革と同じく神と個人の関係が大切なものとされました。
 イグナティウスは1556年に亡くなりますが、この頃には会士は1000人を超え、1581年には5000人、1615年には1万3000人を超えました(77-78p)。この背景にはイグナティウスのあとを継いだ総長の手腕と、教育制度の充実などがあります。
 第4章は、フランチェスコ会ドミニコ会の活動が取り上げられていますが、時代がさかのぼります。今までが宗教改革とその影響という形の叙述だったので、ここはややわかりにくく感じます。
 遠いアジアへの宣教は大航海時代以前から試みられてきました。13世紀にモンゴル帝国がその勢力を拡大させると、モンゴルはキリスト教に理解があるとの噂が広まり、アジアへの宣教に期待がかけられたのです。
 こうした中でアジアへと向かったフランチェスコ会の修道士がモンテコルヴィーノです。モンテコルヴィーノは1289年にイタリアを出発し、1293年に北京に着いています。到着直後にクビライが亡くなり、モンゴル王室のキリスト教化という目的は達せられませんでしたが、クビライの子の成宗テムルはモンテコルヴィーノを手厚くもてなしました。
 モンテコルヴィーノはいち早くこの地域に広がっていたキリスト教ネストリウス派と対立し、内蒙古のオロン・スムに移動して、ここに教会を建てています。
 その後、モンテコルヴィーノはイラン系遊牧民族であるアラン人の改宗や、ギリシア正教徒の改宗に成功しますが、教皇庁の反応の鈍さや後継人材がすばやく決まらなかったこともあり、モンテコルヴィーノの布教は単発的なものに終わりました。
 第5章はイエズス会のアジア進出について。ポルトガルの商業活動は商人だけでなく王権によっても担われており、特に15世紀末から16世紀前半に王位にあったマヌエル1世はエルサレムイスラーム教徒から奪回を夢見ていました。
 このポルトガルのインド進出に乗ずる形で、イエズス会の宣教活動も進んでいきます。イエズス会はゴアにコレギウムと呼ばれる学校をつくり、宣教活動の担い手を育成していきます。
 また、マテオ・リッチはその知識を生かして中国語を習得し、中国人の知識人の間でキリスト教を広めてきいきました。中国では明から清への王朝交代などもあり、布教が順調に進んだわけではありませんが、イエズス会は中国の宣教師の50%、教会と礼拝堂の85%を占めたといいます(125p)。
 第6章は新大陸での布教について。コロンブスによる「発見」の後、スペインが中心となってこの大陸を支配することになります。そして、フランチェスコ会ドミニコ会などの修道士たちがキリスト教の宣教のために、新大陸へと渡って行きました。
 メキシコでは、フランチェスコ会はメキシコ高原の南と北西メキシコ、ドミニコ会は南部とメキシコ・シティ周辺、イエズス会は北西部からカリフォルニアといった具合に、それぞれの修道会は地域を分け合うような形で布教を行いました。
 南米では旧インカ帝国の領土にまずドミニコ会が入り、ついでフランチェスコ会イエズス会が入っていきます。
 また、北米においてもフランスの植民地を中心としてフランチェスコ会イエズス会、カプチン会などの宣教師が宣教活動を行いました。
 第7章はイエズス会の日本宣教について。1548年、ザビエルがイエズス会の会士に宛てた手紙には、日本という大きな島があること、日本人は知識欲が旺盛であること、アンジロウという日本人に出会ったことなどが書かれています(165ー166p)。
 この手紙の影響を受けたのか、イエズス会は日本に優秀な宣教師を送り込みました。日本に派遣されたイエズス会士の82%が最高度の教育を受けていたといいます(166ー167p)。
 1549年、ザビエルは鹿児島に上陸します。イエズス会ポルトガル商人と結びついており、ポルトガル船の入港を条件にキリスト教の布教を大名に認めさせようとしましたが、逆にそれは布教が戦国大名の権力争いに巻き込まれることも意味しました。
 そこでザビエルは京での布教を目指しましが、これもうまくいかず、山口や豊後を中心とする九州北部での布教に集中していきます。
 ザビエルがインドの管区長に任命されて日本を去ったあとも布教は停滞しました。キリシタン大名である大友義鎮が治める豊後を中心に布教を行ったものの、大名が洗礼を受けたからといって配下の武士が自動的に入信したわけではなかったからです。
 そこでイエズス会は布教の中心を長崎へと移し、そこから天草や五島列島で信者を獲得していきました。
 イエズス会が信者を増やしていくのは1580年代になってからです。1579年にヴァリニャーニが来日し、日本の風習に合わせる「順応政策」をとり(例えば、身分高い人の前では絹の服を身につけるなど)、コレジオやセミナリオといった教育機関を整えると、堺や安土などの畿内にも宣教師が配置されました。
 1587年に秀吉が伴天連追放令を出しますが、平戸に集められた120人のイエズス会士のうち、実際に日本を離れたのは3人のみであり(181p)、宣教活動は続きました。
 しかし、江戸幕府の成立後、徐々に幕府権力とキリスト教の摩擦が起きるようになり、また、大阪の陣でイエズス会などが豊臣方の勝利を願ったことなどもあって、1614年には禁教令が出されるのです。
 第8章では、イエズス会の日本布教の構造とイエズス会以外の動きについて触れられています。
 まず、イエズス会の財源ですが、ポルトガル王や教皇庁からの支援があったものの、送金が船の沈没などによって途中で失われることもあり、十分なものとはいえませんでした。
 そこで、イエズス会ポルトガル商人の助けを借りたり、また自ら貿易に乗り出します。ヴァリニャーニは生糸の貿易に投資をしたり、日本の大名から預かった日本の銀を中国で金に換える取引を行うことなどによって活動資金を捻出しようとしました(194ー195p)。
 しかし、こうした商業活動に関してはイエズス会内部からの異論もありました。
 ヴァリニャーニは日本人にキリスト教の一体性を確信させるためにも、イエズス会による独占が望ましいと考えていましたが、1590年代になるとスペインと結びついたフランチェスコ会が日本に入ってきます。
 フランチェスコ会は施療院をつくって布教を進めようとしましたが、イエズス会との対立もあり、あまりうまくはいきませんでした。
 第9章は「キリスト教の世界化」と題し、まずはチマルパインというキリスト教徒となったインディオの知識人の手記が紹介されています。彼は家康の使者として(ボーガス注:失敗に終わったがメキシコと日本の貿易実現の目的で)メキシコにやってきた田中勝介一行も目にしており、彼らの様子を観察し、「彼らは髭を蓄えることをせず、肌がスベスベして滑らかで青白いところから、その容貌は女のようである」(217p)とった記述を残しています。
 また、日本での二十六聖人殉教についても書き記しており、日本人がキリスト教徒になることを願っています。
 アジアと新大陸の間をキリスト教によって媒介するグローバルなつながりが生まれていたともいえるのです。
 いろいろと端折った部分もありますが、以上のような内容になります。
 ここに書いたこと以外にも、キリスト教宣教の背景となる歴史的な出来事の説明は丁寧にしてありますし、事項索引、人名索引がついているのも便利です。
 ただ、最初にも述べたようにやや全体の構成がまとまっておらず、内容を追いにくい面もあります。部分部分は面白いだけに、少しもったいない気もします。


■水本邦彦*13『シリーズ日本近世史② 村 百姓たちの近世*14』:日本近世史への入り口(小酒井大悟*15


■石田勇治*16ヒトラーとナチ・ドイツ*17』 (柳原伸洋)
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

ナチ・ドイツと現代日本〜ヒトラーは「恣意的な憲法解釈」から生まれた(石田 勇治) | 現代新書 | 講談社(1/5)
■インタビュアー
 ヴァイマル憲法という民主的憲法をもったドイツに、なぜ民主主義を否定する政権が誕生したのでしょうか?
■石田
 「ヒトラーは選挙(民意)で首相になった」とよく言われますね。たしかにヒトラー率いるナチ党はヴァイマル共和国末期の経済的危機、社会的混乱に乗じて台頭し、1932年7月の国会選挙で第一党(得票率は37%)になりました。
 しかしナチ党の勢いはここまででした。その年の11月の国会選挙で約200万票を失い、得票率も33%に下落します。地方選挙でも大敗を喫し、12月には党のあり方をめぐって分裂の危機に直面します。
 経済はこのころ好転の兆しが見られ、このままいけば民意はさらに離れ、ヒトラーもナチ党もやがて政界から消え去るのではないかとの観測も出てきます。ヒトラーが大統領によってドイツの首相に任命されたのはその直後、33年1月30日のことでした。
 「ヒトラーは選挙(民意)で首相になった」という言い方は事柄の本質を半分しか言いあてておらず、なぜヒトラーが首相になったのかという問いへの答えとしては不十分です。
 いま述べた32年11月の国会選挙の投票率は80%でしたから、ヒトラーが首相になる直近の国会選挙で有権者の26%しかナチ党に投票していなかったことになります。
 大衆はヒトラーの虜になっていたように言われますが、ヒトラー政権が誕生するまではそれほどではなかった。大衆はそんなに愚かではなかったのです。
 むしろ落ち目のヒトラーを救い出し首相の座に引き上げた大統領と、その周りに集まった既成の権力者たちの行動が問題でした。
■インタビュアー
 ヴァイマル共和国末期の国会はすでに形骸化していたようですが、具体的にどのような状況だったのでしょうか。
■石田
 ヴァイマル憲法は、現在のドイツや日本と同じように、国会に基礎をおく議院内閣制を定めていました。しかしヴァイマル共和国末期の国会には、政党間のイデオロギー対立と相互不信が深刻化し、妥協と調整による多数派(合意)形成能力がすっかり失われていました。
 ヒトラーに先立つブリューニング、パーペン*18シュライヒャー*19といった共和国末期の政権はどれも国会に基盤らしい基盤のない少数派政権で、まともな議会運営ができません。そこで「大統領の大権」が用いられたのです。
 ヴァイマル憲法は大統領に大きな権限(首相・閣僚の任免権、国会の解散権、非常時の緊急命令権)を与えていました。この時期の政権は、その力を借りて政権運営をはかります。
 たとえば国会で否決された法案は大統領緊急令として公布されました。国会がその緊急令を否決すると、大統領が国会を解散することもありました。大統領の大権をこのように行使することは憲法が想定したものではないのですが、非常時を乗り切るためと称して頻繁に用いられ、これが国会の形骸化をもたらしました。
 ナチ党が国会第一党となり、第三党となった共産党とあわせて議席過半数をおさえた1932年の後半には、国会はもう何も決められない状況に陥ります。
 当時の共産党ソ連型独裁を志向しており、議会制民主主義をブルジョワ支配の道具だといって攻撃していました。政府は国会を解散して大統領緊急令による統治を続けますが、世論はいっそう反発し、国会不要論が噴出してきます。
 当時の大統領はヒンデンブルクという人物です。ドイツ帝国陸軍元帥で、プロイセンの伝統を引く帝政主義者でした。25年に大統領に初当選。32年春に再選されたとき、すでに84歳でした。共和国の大衆民主主義を衆愚政治とみなし、それに代わる権威主義的な新国家の建設をめざして大統領緊急令を出していきます。
 ヒンデンブルクヒトラーを「ボヘミアの一兵卒」と呼んで見下していたことは有名な話ですが、共産党の躍進を恐れる財界の要請をうけてヒトラーをついに首相に任命しました。
■インタビュアー
 発足時、ヒトラー政権にナチ党員は3名しかいませんが。
■石田
 ヒトラー政権はナチ党の単独政権ではなく、保守派の国家人民党との連立政権として発足しました。ナチ党から入閣したのはヒトラー首相のほか、フリック*20内相、ゲーリング*21無任所相だけです。ヒトラー政権は当初、やはり少数派政権で、大統領の大権に依存していたのです。
 反ヴァイマル右翼運動を率いるヒトラーと野合した保守派は、それで何を達成したかったのでしょうか。答えは三つです。議会制民主主義を廃止し、共産党マルクス主義)を撲滅し、強いドイツ(再軍備・軍拡)を実現することです。
 これらはヒトラーが求めていたことでもあり、両者はこの目的のために手を組んだのです。これらが達成できれば、あとはまた大統領の力でヒトラーを政権から追い出せばよい。保守派はそのように高を括っていたのです。
■インタビュアー
 保守派に両脇をしっかり固められたヒトラーですが、それがどうしてヒトラー独裁へと向かうのでしょうか?
■石田
 ヒトラーは当初、世間からも過小評価されていました。国政担当の経験がなく、専門的な知識もない、どうせ保守派の閣僚の手玉にとられてさっさとお払い箱になるだろうというわけです。
 そんな甘い予想に反して、ヒトラーは一気に攻勢に出ます。国会を解散、選挙にうって出ました。
 選挙戦の最中に大統領緊急令を出させて言論統制をおこない、国会議事堂炎上事件(33年2月27日)が起きるとこれを徹底的に利用して、共産主義者など左翼反対派を一網打尽にします。
 そして言論・集会・人身の自由など憲法が定める国民の基本権をすべて停止したうえで政府の独裁権を求めるのです。国難危急にあたり「強い政府」が必要だというのです。
 ヒトラーが目をつけたのが授権法です。授権法は全権委任法とも呼ばれ、政府に立法権を委ねるものです。これが成立すれば政府は国会から自由に、また大統領に依存することもなく法律を思うがまま制定できます。
 じつはヒンデンブルク大統領も授権法の制定に賛成していました。ここ数年来の大統領統治には憲法違反の嫌疑が向けられており、ヒンデンブルクはそのことの精神的負担から早く免れたいと思っていました。議会制民主主義の限界を言いたてる与党の国家人民党も、自党の政策が容易に実行できる授権法の制定に意欲を示します。
 授権法成立には国会議員総数の3分の2の出席と、出席議員の3分の2の賛成が必要です。この選挙(33年3月5日)でナチ党は44%、国家人民党は8%をとり、政府は過半数議席を手に入れます。しかしまだ十分ではありません。
 政府は共産党の国会議員81名全員と一部の社会民主党議員を国会議事堂炎上事件の容疑者として拘束(逃亡を含む)していましたが、議決にあたり社会民主党の「欠席戦術」を防ぐため、議長が認めない事由の欠席は出席とみなすという議院運営規則改正案を直前に国会に提出して、賛成多数で通過させます。じつに姑息な手段です。議場内に入ったナチの突撃隊員が見守るなか、授権法案は可決成立します。結局、反対投票したのは社会民主党だけでした。
 成立した授権法には、「国の法律は、憲法に定める手続きによるほか、政府によっても制定されうる」(第1条)、「政府が制定した国の法律は憲法と背反しうる」(第2条)と記されています。ヴァイマル憲法はこうして改正されることも廃止されることもなく形骸と化したのです。
 ナチ体制下のドイツではおびただしい数の法律が制定されました。かつては議論が百出して日の目をみることのなかった法案も易々と成立します。「決められる政治」が実現したのです。ホロコーストへいたるユダヤ人迫害は合法的に進みましたが、それはこの授権法によって可能になったのです。
 授権法の成立は1933年3月23日。ヒトラー政権の誕生からわずか50日あまりで、ドイツはもはや民主主義国家に戻れない不可逆地点を乗り越えてしまったのです。
■インタビュアー
 いまの日本を考えるうえで、ヒトラーの「政権掌握」やナチ・ドイツの歴史から何が言えるでしょうか?
■石田
 当時のドイツといまの日本とでは、それぞれを成り立たせている前提条件が違います。ヒトラー独裁政権は、第一次世界大戦から間もない、世界恐慌の最中に起きたものです。当時のドイツには議会制民主主義の考え方が十分に定着しておらず、民主主義と独裁は矛盾しないとまで言われていました。
 これに対して現在の日本では、日本国憲法が定めた議会制民主主義は少なくとも制度として広く国民に支持され、浸透しています。ただ「決められない政治」に嫌気がさして、強い首相や「決められる政治」を待ち望む声はいまの日本にも存在しますね。
 そして一昔前は考えられなかったヘイトスピーチや排外主義的な風潮の広がりは、日本の社会から寛容さが失われつつあることを物語っています。これがエスカレートすればどのような事態に行き着くか、ヒトラーとナチ・ドイツの歴史はそのあたりをよく示しています。
 さらに気がかりなのは、日本の政治指導者の誤った歴史認識です。一昨年夏の「麻生発言」は私にとって大きなショックでした。
憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」
 麻生氏*22は(ボーガス注:各方面からの批判で発言を)撤回しましたが、更迭されたわけではありません。この発言で日本が失った国際的な信頼は計り知れないと思います。政治家こそ歴史をしっかり学んでほしいですね。

石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』(講談社現代新書) 8点 : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期
 まず、ヒトラーといえばクーデターなどではなく、ある程度民主的なやり方で政権を獲得したのですが、第三章ではその「からくり」が解き明かされています。
 ナチ党は1932年の国会選挙で第一党になったものの、得票率は37.3%で、ヒトラーが首相に任命される前の33年の国会選挙では得票率を33.1%に落としています。つまり、ナチ党を支持した国民は1/3ほどなのです。
 しかし、ヒトラー以前の内閣も実は国民の支持を得た内閣ではありませんでした。ヒトラーに先立つブリューニング、パーペン、シュライヒャーといった内閣は、いずれもヒンデンブルク大統領が任命した、国会に基盤らしい基盤を持たない内閣で、大統領の緊急令に依拠しながら政権を運営していました。ヒトラー登場前に、、ドイツの民主主義はすでに崩れかけていたのです。
 ヒンデンブルクらの保守派は、もともと議会制民主主義に否定的で、その破壊をヒトラーに期待し、それが終われば再び自分たちが政権を握る気でいました。ところが、逆にヒトラーに利用されることになるのです。
 次にナチ政権の経済政策の「からくり」について。
 失業問題の解決はヒトラーの「功績」としてよくあげられるものですが、この本の第五章を読むとその「功績」を手放しで認められないことがわかると思います。
 景気対策はパーペン、シュライヒャー内閣の時から行われていましたし、失業者の現象にも「からくり」があります。ヒトラーは若者の勤労奉仕を導入し、さらに徴兵制を復活させます。これによって若い男性は労働市場から退出し、失業者ではなくなりました。また、女子就労者を家庭に戻すために、「結婚奨励貸付金制度」をもうけました。これは結婚を機に家庭に戻り、二度と就労しないという条件で上限1000マルクを貸し付ける制度で、出産すれば子どもの数に応じて返済が免除されました。これによって女性を労働市場から退出させ、失業者を減らしたのです(210ー214p)。
 他にも第五章では、ヒトラーの「独裁」についても、むしろ「多頭支配(ポリクラシー)」であると分析してます。
 ナチ党に一元的な意思決定機関は存在せず、ゲーリングゲッペルスヒムラー、フリックといったサブリーダーがいくつもの組織を指導し、それぞれヒトラーに評価されることを競っていました。そしてヒトラーにも見通せないような「ジャングルのような権力関係」(202p)が出来上がっていくのです。
 第六章と第七章では、ヨーロッパに広く見られた「反ユダヤ主義」がなぜホロコーストにまで行き着いてしまったのか、ということが分析されています。
 ナチのユダヤ人政策の背景にあったものは、「極端なレイシズム」と「優生学」と(人種的な)「反ユダヤ主義」の3つで、これが絡まってその政策がエスカレートしていくことになります。
 当初、ナチはユダヤ人のドイツから「追放」を政策としていました。ユダヤ人は公職から追われ、その資産や家屋を没収されていくのですが、同時にドイツ人の中にはユダヤ人のついていたポストにありつき、ユダヤ人の住んでいた家を手に入れるものもいました。「追放」政策は、ドイツ人にも利益をもたらすものだったのです(291ー293p)。
 ところが、強制収容所での処刑となるとそういった利益だけでは説明できません。
 ユダヤ人の「追放」政策が行き詰まったのは、第2次世界大戦が始まり、ドイツが東ヨーロッパに占領地域を広げてからでした。新たな占領地域には、ドイツ本国以上のユダヤ人が暮らしており、「追放」しようにもその行き先はありませんでした。一方、ヒトラーポーランドやバルト諸国などのドイツ人の帰還を進めようとしたため、そのための土地を確保する必要もあり、ますますユダヤ人の行き場はなくなっていったのです。
 結局、ドイツ本国で優生思想のもとに行われていた障害者や遺伝病患者などへの「安楽死政策」がユダヤ人に対しても採用されることになり、アウシュビッツをはじめとする「絶滅収容所」が建設されていくのです。
 ヒトラーの「妄想」とも言っていい反ユダヤ主義(ドイツの対米開戦についても「反ユダヤ主義」が背景にあることが指摘されている(323ー326p))と、官僚機構のつじつまを合わせるための愚かな決定の積み重ねが、ホロコーストにまで行き着いてしまったわけで、改めてその怖さを感じます。
 このようにこの本はかなり盛りだくさんの内容になっていて、ヒトラーやナチ政権を知る上で基本図書となるものだと思います。


■吉田裕*23アジア・太平洋戦争*24』:アジア・太平洋戦争を読む(佐々木啓*25
(内容紹介)
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【書評】吉田裕『アジア・太平洋戦争』(岩波新書、2007年) - Say Anything!
 第1章で筆者は戦争の性格について3つの論点から議論を進める。
 第一の論点は対米戦と対英戦の区別だ。「日米間には決定的な利害対立が必ずしも存在しなかった」ことや、真珠湾攻撃の1時間前に日本軍が英領マレー半島コタバル上陸を開始していることは見落とされがちな事実である。つまり日本は開戦当初、あくまで対英戦を主眼としていたのであった。まとめるならば対米戦の開戦は、日中戦争の打開とドイツの躍進に対する期待から始まった「日本の武力進攻政策が対英戦を不可避なものとし、さらに日英戦争が日米戦争を不可避なものとした」と捉えるべきである。
 第二の論点は対米戦の戦争責任である。ここでは「自衛戦争論」に対して、日中戦争との不可分性、開戦決意の時点、国際法上の違法性から反証を行っている。
 第三の論点は反植民地主義戦争としての性格の問題である。戦時日本が東南アジアへの侵略を「大東亜共栄圏」として正当化したことはよく知られているが、一方で日本政府は人種戦争論的な論調を取り締まった。それは同盟国ドイツ・イタリアや中立条約を結んだソ連、親独ヴィシー政権下のフランスへの配慮であったが、この矛盾は戦争目的の分裂をもたらした。
 また第1章では直接的に対米戦開戦の戦争責任について考察がなされている。海軍は権益主義体質のため軍備を拡張し、勝算が低いとみていた対米戦に追い込まれていった。そして統帥権の独立と首相の権限の弱さという明治憲法の制度的欠陥が軍部の発言力を強め、「軍事の論理によって外交が規定されてしまうという倒錯した関係」までをも引き起こした。日米交渉における瀬戸際外交が開戦の決定打となってしまったことも指摘されている。昭和天皇の戦争責任についても言及がなされているが、これについては吉田裕『昭和天皇終戦史』(岩波新書、1992)が詳しい。第1章全体から、戦争目的も勝算も開戦の意思決定もすべて曖昧のまま“未必の故意”的に開戦し、遂行されていったアジア・太平洋戦争の性格が浮かび上がってくる。
 第2章では初期作戦の成功と国民的人気を得た東条*26内閣について書かれている。華々しい軍事的勝利の裏側に見過ごされた個々の作戦の致命的失敗と大局的な見通しの悪さは確かに敗戦への道筋を示していた。また一定の権力集中、天皇の信頼、メディアの利用などが東条内閣の「独裁」を可能にした一方、天皇制という制度そのものが抱えるその限界が鋭く指摘されている。
 第3章、4章ではミッドウェー海戦ソロモン海戦マリアナ海戦と次第に日本が敗戦へと追い込まれていくなかで、アジア・太平洋戦争自体がはらむ矛盾が表出すると同時に、植民地・占領地支配や国民の戦争への徴兵・徴用が強まり、厭戦ムードが高まっていく経過が詳細に描かれている。興味深いのは戦時体制が社会変容をもたらし、戦後の日本社会の底流を形作ったという逆説めいた指摘である。筆者は「所有と経営の分離」の促進、寄生地主制の後退、労使関係の変容、女性や学生の意識の変化を例に挙げてこれを説明している。また第5章では闇市の公然化によって「『戦後民主主義』の歴史的前提」が作り出されたとまで言っている。
 第5章ではアジア・太平洋の最終局面が書かれているが、沖縄戦の敗北が決定的になっても「国体護持」に拘泥し「天皇も含め誰一人として、戦争終結に向けての主導権を発揮しようとはしなかった」と批判的に述べられている。それゆえ「戦死者の大部分が、マリアナ陥落後の絶望的抗戦期に発生しているという事実」は注目に値する。また、戦地の兵士の中で疫病死を含む広義の餓死者が戦死者のうちの6割にも及ぶことや、植民・占領下のアジアの民衆の犠牲者が1900万人以上ともいわれることは一般にあまり注目されないが、驚くべき事実として取り上げられている。
 筆者は最後に戦後の日本人の平和意識について分析している。冷戦と経済成長に伴った一連の事態が被害者意識の先行による加害意識の忘却、曖昧化された戦争責任に対して判然としない国民意識、戦争の歴史の軽視という風潮がもたらした。そして冷戦末期から再燃し始めたアジア諸国に対する戦争責任の問題や戦争体験者世代の減少、ナショナリズムの高まりに直面する現在、「戦争を知らない」わたしたちが過去の歴史とどう向き合うかが問われている、として締めている。
 この指摘はまさに冒頭に挙げた「戦争責任」、「リアルな想像力の回復」という問題意識の支柱といえる。そしてかなり的を射た分析なのではないかと思う。戦後、政治的な要請からうやむやにされた戦争責任という問題は今も国内外で議論の対象となり続けている。東アジアの緊張が続いているが、隣国との平和で友好な関係を築いていくためにも歴史を学び、省み、清算するという作業を怠り続けることが得策でないのは明らかだ。そのような中、歴史と向き合ううえで筆者のような問題意識を持つことは大変重要だろう。
 以上述べてきたように本書はアジア・太平洋戦争全体を掴むうえでも、歴史認識や戦後賠償といった現在も生きている課題を考えるうえでも、さらには「戦争」という普遍的な命題を考えるうえでも読みやすく、詳細で、かつ重大な示唆を与えてくれる一冊としてお勧めできる。


■末廣昭*27『タイ 中進国の模索*28』:東南アジアの社会(岡田泰平*29


■服藤早苗*30『平安朝の父と子*31』:ジェンダー史から権力の変遷を考える(嶽本新奈*32
(内容紹介)
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弁護士会の読書:平安朝の父と子
 まず第一番に驚いたのは、平安朝の貴族の男性は料理が出来たということです。とりわけ、魚や鳥などの動物性食料は、男性が料理するのが古来からの日本の伝統であった。
 そして、蔵人の頭(くろうどのとう)は妻が出産するについて、産休をしっかりとっていた。うひゃあ、本当でしょうか。驚きです。
 平安初期、9世紀のころには、天皇のキサキは、摂関期に比べて、はるかに多かった。嵯峨天皇のキサキ数は20数人、子どもは50人もいた。
 10世紀中ごろ、女御や更衣の生んだ子どもたちは7歳まで父の天皇に会うころはなかった。
 平安中期、貴族の子息は12~16歳で元服という成人式を迎える。平安前期の9世紀は、上層貴族から庶民層まで16歳が元服年齢だった。その後、天皇から次第に元服年齢が若くなり、上層貴族にも浸透していく。
 男子は、大人になれない下人的隷属者をのぞいて、どんな庶民でも一般的に大人名を付けてもらえるのに対し、女子は朝廷と正式に関係を持つ者しか大人名前は付けられなかった。そして、父の存在が大変に重要だった。
 一夫多妻妾を認める平安中期の貴族層にあっては、妾や数度の関係しかもたなかった女性が出産したとき、女性が強い意志表示をしないかぎり、男性は父としての自覚をもたず、認知さえしなかった。
 父の認知がない子どもは、「落胤」(らくいん)と呼ばれた。身分秩序の固定化と、いまだ母の出自・血統を重視する双系的意識のもと、父は子を認知することさえ不可能の場合があった。
 父に認知されない「落胤」者は、貴族層にとってさげすみの対象だった。天皇の孫でも、母の出自・血統が低いと、貴族の正式の妻になることさえ難しかった。父の認知によって子は父の血統や身分的特権を継承できるが、母の出自・身分の格差が大きいと、認知さえもらえなかった。
 しかし、院政期になると、父系制が定着し、母の出自はあまり問題にならなくなる。
 平安時代の父と子の関係については、知らないことも多く、大変勉強になりました。

*1:著書『飛鳥藤原木簡の研究』(2010年、塙書房)、『すべての道は平城京へ:古代国家の〈支配の道〉』(2011年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『日本古代都鄙間交通の研究』(2017年、塙書房

*2:2012年、中公新書

*3:著書『長屋王』(1999年、吉川弘文館人物叢書)、『藤原京の形成』(2002年、山川出版社日本史リブレット)、『古代日本の都城と木簡』(2006年、吉川弘文館)など

*4:2013年刊行

*5:著書『古代・中世遺跡と歴史地理学』(2011年、吉川弘文館)、『古代国家の土地計画』(2017年、吉川弘文館)、『江戸・明治の古地図からみた町と村』(2017年、敬文舎)など

*6:著書『漢代国家統治の構造と展開:後漢国家論研究序説』(2009年、汲古叢書)

*7:著書『日本中世地域社会の構造』(2000年、校倉書房)、『室町幕府と地方の社会』(2016年、岩波新書

*8:2008年、中公新書

*9:著書『カール大帝』(2013年、山川出版社世界史リブレット人)、『贖罪のヨーロッパ:中世修道院の祈りと書物』(2016年、中公新書)、『剣と清貧のヨーロッパ:中世の騎士修道会托鉢修道会』(2017年、中公新書)、『宣教のヨーロッパ:大航海時代イエズス会托鉢修道会』(2018年、中公新書)など

*10:2014年、中公新書。副題は「修道院の起源」。

*11:佐藤『剣と清貧のヨーロッパ:中世の騎士修道会托鉢修道会』(2017年、中公新書)のことか?

*12:佐藤『宣教のヨーロッパ:大航海時代イエズス会托鉢修道会』(2018年、中公新書)のことか?

*13:著書『近世の村社会と国家』(1987年、東京大学出版会)、『近世の郷村自治と行政』(1993年、東京大学出版会)、『絵図と景観の近世』(2002年、校倉書房)、『草山の語る近世』(2003年、山川出版社日本史リブレット)、『徳川の国家デザイン』(2008年、小学館)、『徳川社会論の視座』(2013年、敬文舎)

*14:2015年、岩波新書

*15:著書『近世前期の土豪と地域社会』(2018年、清文堂出版

*16:著書『過去の克服:ヒトラー後のドイツ』(2002年、白水社)、『20世紀ドイツ史』(2005年、白水社

*17:2015年、講談社現代新書

*18:1933年のヒトラー内閣成立ではヒトラーに協力した論功行賞として、彼に次ぐ副首相の座に就いた。しかし「長いナイフの夜」事件で失脚し、その後はオーストリアやトルコでドイツ大使を務めた。第二次世界大戦後、ニュルンベルク裁判で戦争犯罪人として起訴されたが、無罪とされた。

*19:パーペン内閣国防相、首相を歴任。1934年6月30日に「長いナイフの夜」事件においてナチス親衛隊により夫人もろとも殺害された。彼は現役の陸軍将校だったが、国防軍ナチスに何の抗議もしなかった。捜査はポツダム市警察長官ヴォルフ=ハインリヒ・フォン・ヘルドルフ(後に1944年のヒトラー暗殺未遂事件に関与しヒトラーによって処刑)の指令により停止された。事件の唯一の目撃者だった家政婦は翌年不審な溺死を遂げ、公式には自殺と発表された。ナチス党機関紙「フェルキッシャー・ベオバハター」は事件の2年後に「1933年1月29日のシュライヒャーによるクーデター計画」という記事を掲載し、シュライヒャー粛清を正当化した。

*20:戦後、ニュルンベルク裁判で死刑判決。

*21:プロイセン州首相、秘密警察ゲシュタポ長官、ドイツ経済大臣、航空大臣など要職を歴任。戦後、ニュルンベルク裁判で死刑判決を受け、その直後に服毒自殺。

*22:橋本内閣経済企画庁長官、森内閣経済財政担当相、小泉内閣総務相、第一次安倍内閣外相、自民党幹事長(福田総裁時代)を経て首相。現在、第二次~第四次安倍内閣副総理・財務相

*23:著書『昭和天皇終戦史』(1992年、岩波新書)、『日本人の戦争観:戦後史のなかの変容』(1995年、岩波現代文庫)、『日本の軍隊:兵士たちの近代史』(2002年、岩波新書)、『兵士たちの戦後史』(2011年、岩波書店)、『日本軍兵士:アジア・太平洋戦争の現実』(2017年、中公新書)など

*24:2007年、岩波新書

*25:著書『「産業戦士」の時代:戦時期日本の労働力動員と支配秩序』(2019年、大月書店)

*26:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣を経て首相。戦後、戦犯として死刑判決。後に昭和殉難者として靖国に合祀。

*27:著書『タイ 開発と民主主義』(1993年、岩波新書)、『キャッチアップ型工業化論』(2000年、名古屋大学出版会)、『ファミリービジネス論』(2006年、名古屋大学出版会)『新興アジア経済論』(2014年、岩波書店)など

*28:2009年、岩波新書

*29:著書『「恩恵の論理」と植民地:アメリカ植民地期フィリピンの教育とその遺制』(2014年、法政大学出版局

*30:著書『家成立史の研究』(1991年、校倉書房)、『平安朝の母と子』(1991年、中公新書)、『平安朝の女と男』(1995年、中公新書)、『平安朝の家と女性』(1997年、平凡社選書)、『平安朝 女性のライフサイクル』(1998年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『平安朝に老いを学ぶ』(2001年、朝日選書)、『平安王朝の子どもたち』(2004年、吉川弘文館)、『平安王朝社会のジェンダー』(2005年、校倉書房)など

*31:2010年、中公新書

*32:著書『「からゆきさん」:海外〈出稼ぎ〉女性の近代』(2015年、共栄書房)

新刊紹介:「経済」5月号

「経済」5月号について、俺の説明できる範囲で簡単に紹介します(現時点(3/9記載)では目次は「経済」4月号掲載の予告のため一部変更の可能性あり)。
 http://www.shinnihon-net.co.jp/magazine/keizai/
特集『マルクス経済学のすすめ2019』
■現代に生きるマルクス経済学の魅力を語る(萩原伸次郎*1
■現代資本主義における貧困化問題(鳥居伸好)
■8時間働けばふつうに暮らせる社会へ(伊藤大一*2
新自由主義と「略奪による蓄積」(所康弘*3
■環境・エネルギー問題で問われる資本主義(上園昌武*4
マルクス未来社会をどう展望したか(卜部学)
マルクスの社会観・歴史観(牧野広義*5
マルクス 弁証法観の進化を探る(1)(不破哲三*6
マルクスのすすめ(増田正人*7、鳥畑与一*8、関根佳恵、山垣真浩、石川康*9、岩佐和幸*10、西原誠司*11


■統計と統計学:政府統計不正と改革の方向(伊藤陽一*12

*1:横浜国立大学名誉教授(経済学)。著書『アメリカ経済政策史:戦後「ケインズ連合」の興亡』(1996年、有斐閣)、『世界経済と企業行動:現代アメリカ経済分析序説』(2005年、大月書店)、『米国はいかにして世界経済を支配したか』(2008年、青灯社)、『オバマの経済政策とアベノミクス』(2015年、学習の友社)、『新自由主義と金融覇権:現代アメリカ経済政策史』(2016年、大月書店)、『トランプ政権とアメリカ経済:危機に瀕する「中間層重視の経済政策」』(2017年、学習の友社)、『世界経済危機と「資本論」』(2018年、新日本出版社)など

*2:著書『非正規雇用と労働運動:若年労働者の主体と抵抗』(2013年、法律文化社

*3:著書『北米地域統合と途上国経済:NAFTA多国籍企業・地域経済』(2009年、明治大学軍縮平和研究所)、『米州の貿易・開発と地域統合新自由主義とポスト新自由主義を巡る相克』(2017年、法律文化社

*4:著書『先進例から学ぶ再生可能エネルギーの普及政策』(編著、2013年、本の泉社)

*5:著書『現代唯物論の探求』(1998年、文理閣)、『自由のパラドックス弁証法』(2001年、青木書店)、 『現代倫理と民主主義』(2007年、地歴社)、『「資本論」から哲学を学ぶ』(2007年、学習の友社)、『人間的価値と正義』(2013年、文理閣)、『環境倫理学の転換』(2015年、文理閣)、『ヘーゲル論理学と矛盾・主体・自由』(2016年、ミネルヴァ書房)、『「資本論」と変革の哲学』(2017年、学習の友社)、『マルクスの哲学思想』(2018年、文理閣

*6:日本共産党書記局長、委員長、議長を歴任。元衆議院議員(1969~2003年)。現在、党中央委員会常任幹部会委員、党付属社会科学研究所所長。著書『古典への旅』(1987年、新日本新書)、『科学的社会主義における民主主義の探究』(1990年、新日本出版社)、『私の宮本百合子論』(1991年、新日本出版社)、『史的唯物論研究』(1994年、新日本出版社)、『マルクスエンゲルス百年』(1996年、新日本出版社)、『科学的社会主義を学ぶ』(2001年、新日本出版社)、『歴史教科書と日本の戦争』(2001年、小学館)、『古典研究 議会の多数を得ての革命』、『古典研究 マルクス未来社会論』(以上、2004年、新日本出版社)、『私の戦後六〇年』(2005年、新潮社)、『憲法対決の全体像』(2007年、新日本出版社)、『小林多喜二 時代への挑戦』(2008年、新日本出版社)、『マルクスは生きている』(2009年、平凡社新書)、『日米核密約』(2010年、新日本出版社)、『不破哲三 時代の証言』(2011年、中央公論新社)、『「資本論」はどのようにして形成されたか』(2012年、新日本出版社)、『歴史から学ぶ:日本共産党史を中心に』(2013年、新日本出版社)、『マルクス資本論」発掘・追跡・探究』(2015年、新日本出版社)『科学的社会主義の理論の発展』(2015年、学習の友社)、『「資本論」刊行150年に寄せて』(2017年、日本共産党中央委員会出版局)、『「資本論」のなかの未来社会論』(2019年、新日本出版社)など

*7:著書『国家の行方:全球化する世界と経済システムの再組織化』(2013年、千倉書房)

*8:著書『略奪的金融の暴走』(2009年、学習の友社)、『カジノ幻想』(2015年、ベスト新書)

*9:著書『現代を探究する経済学』(2004年、新日本出版社)、『覇権なき世界を求めて:アジア、憲法、「慰安婦」』(2008年、新日本出版社)、『マルクスのかじり方』(2011年、新日本出版社)、『人間の復興か、資本の論理か:3・11後の日本』(2011年、自治体研究社)、『橋下「維新の会」がやりたいこと:何のための国政進出?』(2012年、新日本出版社)、『「おこぼれ経済」という神話』(2014年、新日本出版社)、『社会のしくみのかじり方』(2015年、新日本出版社)など

*10:著書『マレーシアにおける農業開発とアグリビジネス』(2005年、法律文化社

*11:著書『グローバライゼーションと現代の恐慌』(2000年、文理閣

*12:著書『女性と統計:ジェンダー統計論序説』(編著、1997年、梓出版社)

今日の韓国・北朝鮮ニュース(2019年3/22分)(追記あり)

「自由朝鮮」が“北指導者”肖像画破壊映像|日テレNEWS24
 まあ馬鹿馬鹿しいですね。今更そんなことしなくてもこの団体が北朝鮮批判団体なんて事は皆知ってるし、肖像画破壊しても北朝鮮が反発する以外の効果は何もないわけです。


中国企業、北朝鮮と航路開設合意 制裁緩和見据え | 全国のニュース | 福井新聞ONLINE
 ということで中国としては北朝鮮打倒論に与する気はないわけです。


【主張】北朝鮮の制裁逃れ 不法拡大に厳しい対応を - 産経ニュース

・国連安全保障理事会北朝鮮制裁決議の履行状況を監視する専門家パネルの年次報告書が、「瀬取り」の拡大など北朝鮮の制裁逃れが続く実態を明らかにした。
・報告書で目を引いたのは、昨年10月のポンペオ米国務長官の訪朝の際、金委員長が乗っていた「ロールスロイス」について「明確な決議違反」と断じた点だ。
・韓国の文在寅大統領訪朝の際に登場した「レクサス」も決議違反であり、金委員長が北京やシンガポールで利用したナンバープレートのない「ベンツ」についても調査対象になっている。

 「へえ、そうなんや」ですね。米朝や南北の首脳会談の場で堂々とそういうことをする北朝鮮の考えが今ひとつよく分かりませんが。
 ただ俺的には
1)もはや制裁で何とかしようとか諦めた方がええんやないか(むしろ「金丸*1訪朝、小泉*2訪朝、韓国の太陽政策」のように「制裁解除するからバーターでホニャララしてくれ」にすべきではないか)
2)別にベンツとかレクサスとかロールスロイスとかどうでもええがな、軍事物資が北朝鮮に入ったわけでもないし
と思いますね。

2度の米朝首脳会談を経ても北朝鮮の非核化に前進はない。

「完全な非核化がされてない」つう意味では確かに前進していませんが
1)非核化に向けた交渉を米朝とも否定していない
2)現在、北朝鮮が公然と核開発をアピールすることはない
という意味では一定の「前進」つうか成果はありました。

*1:田中内閣建設相、三木内閣国土庁長官福田内閣防衛庁長官自民党国対委員長(大平総裁時代)、総務会長、幹事長(中曽根総裁時代)、副総裁(宮沢総裁時代)を歴任

*2:宮沢内閣郵政相、橋本内閣厚生相を経て首相

「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう(2019年3/22分:黒坂真の巻)

■黒坂ブログ『大阪市長・府知事選と日本共産党の「構造改革論」について』
 「大阪府知事・市長選で保守系(自民系)候補を支援する共産党の態度は、昔共産党が批判していた江田三郎*1構造改革論とどこが違うのか、江田への批判を撤回すべきだ」ねえ(まあ、大阪都構想住民投票堺市長選ですでに反維新で、自民党を含む『非維新・反維新の保守』と共闘し、それを保守側も共産支持者側も容認してるので「何を今更」の話ですが)。
 まあ時代背景が違うので単純には「江田への批判を撤回すべき」とはいえないでしょうね。まあ、仮に撤回すべきだとしても俺も含めてそんなことに「必要以上にこだわる人」もまず居ないでしょう。「江田の息子」江田五月氏ですら。
 一方でこういうこという黒坂が「共産党敵の出方論ガー」つうのは完全に矛盾していますが、この馬鹿右翼にとっては共産党に因縁がつけられれば「今も共産党敵の出方論が生きてる*2」も「共産党江田三郎構造改革路線に変わった」もためらいなく同時に主張できるのでしょう。まあ常人にはまねできない行為ですね。まねしたくもないですが。
 なお、江田路線と評価すべきかどうかはともかく、また今の共産党の路線をどう評価するかはともかく「野党共闘」などでわかるように共産党が一定の柔軟性を発揮していることはもちろん事実です。


■黒坂のツイートに突っ込む

黒坂真
 わたなべ結さん。アウシュビッツはねつ造などではありえないと私も思いますが、殆どの日本共産党員は北朝鮮政治犯収容所など反動勢力のねつ造だ、と考えているのではないでしょうか。

 言ってる内容がいつもながら「はあ?」「さすがサイコパスは言うことが違うな。そんなツイートは思いつくことすらできんわ」「大阪経済大も良くこんなキチガイを教授にしたよな」ですね。
 何で「高須クリニック院長(以下、高須)のアウシュビッツ否定発言、ホロコースト否定発言が許せない」「高須と交遊して恥じない橋下維新なんぞには絶対に府知事・市長ダブル選で勝ちたい、という思いを新たにした」つうわたなべ氏(日本共産党衆院選大阪3区予定候補)のツイートに、そういうリツイートになるのか。
 まともな人間ならここで思いつくツイートは
1)「高須は間違ってない、ホロコーストユダヤのデマだ」などと主張し、高須を擁護
2)「高須は間違ってるが、高須と交遊してるとは言え、維新はホロコースト否定論までは支持してない」として高須批判&維新擁護
3)わたなべ氏を支持し維新と高須を批判
でしょう。ここで「北朝鮮政治犯収容所ガー」で、高須発言と関係ないことをこじつけで始めるとはどんだけキチガイなのか。前も書きましたが「櫻井よしこ島田洋一」など他のウヨと比較しても黒坂のキチガイぶりは度外れています。
 もちろん「共産党員のほとんど」は「北朝鮮政治犯収容所など反動勢力のねつ造」とは思ってないでしょう。
 そもそも
1)「ラングーン事件や大韓機爆破事件」への共産党の批判によって朝鮮労働党との交流関係が完全に断絶したこと(現在も断絶中)
2)北朝鮮、張氏を処刑/あまりに異常かつ残忍/志位委員長が談話でわかるように、日本共産党北朝鮮の行為について批判的見解を発表することは今や全く珍しくないこと
3)そもそも国会で北朝鮮拉致疑惑を質問し、梶山*3自治相・国家公安委員長と宇野*4外相から「北朝鮮拉致の疑いがある」との答弁を引き出したのは、共産党の橋本参院議員(役職はすべて当時)であることなどを知っていれば黒坂のツイートは笑い呆れるほかはないデマです。

*1:社会党書記長、社民連代表を歴任。社民連代表、細川内閣科学技術庁長官、菅内閣法相、参院議長などを歴任した江田五月の父。

*2:まあ仮に綱領に残っていたとしても死文化してますし、当初から『敵(政権与党)の出方が無茶苦茶なら武力闘争もあり得る(今はそこまでの状態じゃない)』つう代物で、だからこそ宮本委員長時代から、共産党新左翼のテロを批判していますが。

*3:竹下内閣自治相・国家公安委員長、宇野内閣通産相、海部内閣法相、自民党国対委員長、幹事長(宮沢総裁時代)、橋本内閣官房長官など歴任

*4:田中内閣防衛庁長官自民党国対委員長(三木総裁時代)、福田内閣科学技術庁長官、大平内閣行政管理庁長官、中曽根内閣通産相、竹下内閣外相などを経て首相

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年3/21分:荒木和博の巻)(追記あり)

特別検証地域に関係する失踪・漂着・工作事案等【調査会NEWS2949】(31.3.19): 荒木和博BLOG

○昭和47年(1972)3月24日、平山政子さん(昭和21年-1946-9月4日生まれ)が青森県青森市内で失踪。
 平山政子さんについては、(ボーガス注:青森県弘前近郊に住むK氏(昭和22年生まれ)が平山さんの兄に次のような情報を伝えている。
 20歳代のとき、(ボーガス注:青森県大鰐町にTという北朝鮮系のパチンコ屋があり、K氏はその常連客であった。ある時、社長に、ちょっと話があるとパチンコ店の裏に呼び出されて、「弘前に行こう」と言われて弘前ヘ行ったらSという北朝鮮系のキャバレーの社長に会い、その社長に「外国へ行かないか」 と言われた。「自分はパスポートがないから行けない」と言うと、「(ボーガス注:青森県鰺ヶ沢から船が出ているからその船にのればいい」と言われた。その時、K氏より1歳、2歳年上で、青森でキャバレーに勤めていた女性が行く(中略)と言われたが、不思議に思い「行かない」と言って断った。
・Tの社長は元プロレスラ一で体が大きくガッチリしたタイプ。プロレスラ一の『大木金太郎』と知り合いだった*1

 いつもながら馬鹿馬鹿しいですね。そもそもK氏の証言「青森でキャバレーに勤めていた女性(平山氏のこと?)が行く」が信用出来るかが問題ですね。誰しも「荒木とグルでデマってんじゃねえの?」「そこまで酷くはないが荒木に気に入られようとデマってんじゃねえの?」とは誰でも思うことです。

○昭和57年(1982)2月5日、静岡県袋井市で会社員鈴木清江さん(昭和33年-1958-3月27日生れ)が失踪。
以前京都で勤務していた染め物会社が朝鮮総聯系の大物の経営する会社

 完全にこの会社と経営者に対する誹謗ですね。京都勤務時代の失踪ならまだしも*2、「退社して静岡に住んでから失踪」で何でこんなこと言われなきゃならんのか。


特定失踪者に新たな資料か|NHK 青森県のニュース
弘前の特定失踪者 新たな手がかり|NNNニュース

特定失踪者に新たな資料か|NHK 青森県のニュース
 50年前に18歳の時に弘前市で行方不明になり、北朝鮮に拉致された可能性が排除できない今井裕さんについて、深浦町を示す地図のようなメモ書きが新たに見つかり、関係者*3が町内で調査を行いました。
 メモは、18歳の時に弘前市の自宅を出たあと行方不明になった今井さんの兄の英輝さんが先月、今井さんが残した生徒手帳に挟まっていたのを見つけ、警察に提出するとともに、拉致問題の調査を行っている「特定失踪者問題調査会」に相談しました。
 調査会が詳しく調べたところ、メモは、深浦町の海岸沿いにあるJR艫作(へなし)駅周辺を示していた可能性があるということで、20日、現地を訪れ、その信憑性を確かめました。
 調査会の会員など10人あまりが歩いて確認したところ、メモに記された線路や海岸線、それに灯台の位置関係などが現地の状況と一致したということです。
 英輝さんは、「弟が行方不明になって50年になるがあきらめずに、拉致問題が進展することを願います」と話していました。
 調査は21日も続けられ、今井さんの自宅があった弘前市内を調べることにしています。

 天下のNHK日本テレビが何でこんなデマ報道しますかね。こんなメモが今更何かに使えるわけもないでしょう。今井さんの失踪は「北朝鮮拉致どころか」、自発的失踪や事故ではなく「犯罪(誘拐、拉致)だ」と見なす根拠は何もない。そして今井さんの失踪にこのメモが関係あるという根拠は何もないわけです。仮に関係あるとしても50年もたってからメモに書かれた場所に行っても何かが分かるわけがない。
 例えば下山事件の「下山国鉄総裁遺体発見現場」に今行けば、彼の死が自殺か他殺か分かるのか。当たり前ですが、分からないわけです。

*1:「その情報、必要か?」「まさかとは思うけど大木氏が北朝鮮工作員だとか言い出さないだろうな?」ですね。

*2:それだってまともな根拠がなければ許される発言じゃないですが。

*3:「関係者」とはもちろん荒木和博率いる「特定失踪者問題調査会」です。

今日の中国ニュース(2019年3月21日分)

海峡両岸論 第100号 2019.03.16発行 - 英独がファーウェイ排除に反旗 米の試みは失敗、衰退加速も - | ちきゅう座

 次世代通信規格「5G」の構築から、中国通信機器大手の「華為技術」(ファーウェイ)を排除し、中国に「デジタル冷戦」を仕掛けたトランプ米政権の目論見が狂い始めた。英国の情報当局がファーウェイを全面排除しない方針を決めたほか、ドイツ政府も排除しない方向に傾いているからである。
英情報当局の方針は2月17日、英経済紙「フィナンシャルタイムズ」(FT)が伝えた。それによると、国家サイバーセキュリティーセンター(NCSC)は、ファーウェイ5G網導入について、利用を一部制限すべき領域はあるものの、安全保障上のリスクは抑えられると判断した。
 トランプ政権は、上下両院が2018年可決した「国防権限法」に基づき、2019年8月以降、米政府機関がファーウェイなど中国通信5社の製品を調達することを禁じ、さらに2020年8月からは同5社の製品を利用している「世界中のあらゆる企業を米政府機関の調達から排除」という「二段構え」で決めた。
 英国のNCSCは排除しない理由を「調達先の多様性を確保する狙い」としている。英国では欧州連合EU)離脱を前に、ホンダの工場閉鎖など企業の「英国離れ」が加速している。実際にEU離脱となれば大きな経済的損失が予想される。だから英政府も、中国との経済関係を重視せざるを得ない。特にファーウェイは2013年からの5年間で、同国に20億ポンド(2880憶円)もの投資をした「お得意様」である。米国との同盟関係も重要だが、背に腹は代えられないのだ。
 一方のドイツ。メルケル首相は2月初め来日した際、慶応大学での講演で、「ファーウェイが中国政府にデータを引き渡さないとの保証が得られない限り、5G通信網の構築に参加させない」と発言し、「米ブロック入りか」とみられた。
 しかしロイター電によると、2月7日付の独経済紙「ハンデルスブラット(電子版)」は、ドイツ政府が5G通信網構築からファーウェイを排除しない方針だと伝えた。6日の定例閣議後、メルケル首相の首席補佐官が各省庁と合意したという。
 米紙ウォールストリート・ジャーナル電子版(3月11日)によると、トランプ政権はドイツ政府に対し、ファーウェイ製品を採用すれば米情報機関の機密情報などの共有を制限すると警告したという。排除をめぐって米政府が同盟国に安全保障協力に影響が及ぶと明確に警告した初めてのケース。米国の焦りがみえる。
 一方の中国側。対米政策をめぐって揺れ動いた習近平指導部は、昨秋になって米国との全面衝突を避けるため「対抗せず、冷戦はせず、漸進的に開放し、国家の核心利益は譲歩せず」(不対抗、不打冷戦、按照伐開放、国家核心利益不退譲)の「21字方針」を打ち出した。
 だが譲歩は底なしではない。通商摩擦や安全保障問題は「核心利益ではない」から、いくらでも譲歩できる。大豆も自動車も油もジャブジャブ買って、2024年までに対米貿易黒字を「ゼロ」にしようとの意気込みすら見せ始めている。
 しかし「中国の発展モデル」をめぐる対立になれば妥協できない。ファーウェイは“核心的利益”の象徴である。ファーウェイ排除には徹底抗戦する構えだ。
 ファーウェイ排除で、日本政府は躊躇なく「踏み絵」を踏んだようにみえる。政府は18年12月10日、政府調達から中国製機器を排除する各省庁の申し合わせをした。申し合わせは、「中国」や「排除」という言葉は一切使わずに「サイバーセキュリティ確保の観点から」「総合的な評価を行う」としている。しかし排除の対象にはスマホまで含まれており、国家公務員は今後「ファーウェイのスマホを持ち込むな」と言われるはずだ。これをトランプの意向をくんだ「究極の忖度」と評した元防衛庁高官もいる。
 政府は、通信キャリア会社にも事実上、中国製通信機器排除への同調を求めたが、ここでも「サイバーセキュリティ確保の観点から、必要な情報提供を求める」とするだけで、排除するか否かは、事業者の判断に委ねるとしている。総務大臣は申し合わせ翌日11日「通信事業者もサイバーセキュリティの向上に積極的に取り組むことを期待したい」と述べた。
 総務相発言には、関係改善が進む中国を刺激したくない、同時に「WTO政府調達協定違反」との疑念も持たれたくない、そんな複雑な思いが滲む。この方針の下で、NTTをはじめNTTドコモKDDIau)、ソフトバンクの携帯大手3社と、携帯事業に参入する楽天の4社は排除をすんなり決めた。
 ファーウェイを排除する「米ブロック」のコア・メンバーは、米中心の情報協力組織「ファイブ・アイズ」(米、英、加、豪、NZ)と日本である。英政府はまだ正式決定していないが、英情報機関の方針通りファーウェイを排除しない可能性が高い。そうなると、「ファイブ・アイズ」の一角が崩れ、「米中デジタル新冷戦」の行方は不透明感を増すことになる。まだ態度を決めていないニュージーランドとカナダも排除に踏み切れないでいる。
 同じ同盟国でもこれほど対応に差が出ているのに、日本では「中国製機器を排除する各省庁の申し合わせ」に、メディアを含め異論がほとんど聞こえてこないのは不思議だ。ファーウェイ会長が人民解放軍出身で、同社が仕掛けたバックドアから米国の情報を窃取しているとの嫌疑を「さもありなん」とそのまま信じ込んでいるのだろうか。
 1月26日付けニューヨーク・タイムズは、ファーウェイが人民解放軍と繫がり、バックドアを仕掛けようとしている証拠を米政府が掴もうと試みファーウェイにハッキングまで仕掛けたが、「証拠を得られずにいる」と書いた。中国側は「窃取の証拠を出せ」と迫っているが、米政府はこれまでのところ出していない。
 サプライチェーンに対する打撃への懸念は、日本のIT業界からも出始めている。中国のIT関連業種は18年第4四半期から急速に落ち込み始めた。永守重信日本電産CEO は1月17日、業績見通しを発表した際「落ち込みは私が経験したことのないレベル」「この変化を甘く見てはいけない」との表現で、(ボーガス注:中米貿易紛争が世界経済や日本経済、そして日本電産に与える悪影響の)危機感をあらわにした。産業用ロボットを手掛ける安川電機も業績見通しを引き下げた。中国市場の落ち込みを理由に業績見通しを下方修正する日本企業は増え続けている。
 トランプ自身も2月21日のツイッターで「米国は進んだ技術を排除するのではなく、競争を通じて勝利したい」と述べ、「ファーウェイ排除を見直す可能性に含みを持たせた」(日経)
 世界経済をかく乱するファーウェイ排除の試みは果たして成功するだろうか。
 経産省OBでチャイナウォッチャーの津上俊哉氏*1の見方(「現代ビジネス」19年2月15日、「米中ハイテク冷戦、実は米国と同盟国側が衰退する恐れアリ」)を紹介する。
 IT経済のブロック化によって、中国製機器を排除した米国と同盟国では競争がなくなり、5G通信網の建設投資コストが上がる。一方、排除された中国企業は生き残りのためコストダウン努力を重ねる。「結果的に、米ブロック側は5Gの普及で遅れを取る恐れがある。中国製の性能が上回るならなおさらだ」というわけだ。
 ソフトバンクなど通信大手各社のファーウェイ排除に伴うコストアップは単純計算で3~4割高になるとされる。津上は「米国のやり過ぎは米陣営の孤立化を招いて遠からず失敗する」とみる。幸いと言うべきか、日本政府はまだファーウェイ排除を明示的に決定したわけではない。

 コメント抜きで紹介だけしておきます。


【石平のChina Watch】習独裁体制の落とし穴(1/2ページ) - 産経ニュース

 共産党政治局と政府中枢には、習*2主席の幼なじみや地方勤務時代の元部下からなる側近グループ*3があるにはあるが、メンバーの全員が無能なイエスマンばかり

 むしろ側近に無能なイエスマンしかないのは安倍政権の方ではないのか。一帯一路やAIIBという大胆な構想を打ち出し、しかも単に構想にとどまらず実現した習氏に向かって全く何という馬鹿なことを言っているのか。


【正論】西太平洋に迫る危機に対処せよ 平和安全保障研究所理事長・西原正 - 産経ニュース

 南シナ海や台湾に関する中国側の恐喝は激しさを増している。中国は中国共産党創立100周年を迎える2021年や建国100周年を迎える2049年に対して、何らかの武力衝突をしてでも統一の成果を誇りたいと考えているのではないだろうか。
 中国が尖閣諸島に対する領有権主張も「核心的利益である」としているのを考えれば、そこでもいずれ軍事行動を起こすだろうことは想定しておくべきである。

 その可能性はまずないですね。軍事的に勝利できるかわからず、仮に軍事的に勝てたとしても、「欧米の経済制裁の恐れが強く」政治的に勝利できる可能性がないからです。現代は「戦争は原則として悪」という認識が強いので仮に軍事的に勝てたとしても政治的にはペイしない可能性が高く戦争へのハードルは相当に高いと言っていいでしょう。


リベラル21 日暮れて途遠し―ダライ・ラマ亡命60年の今阿部治平*4

 いまから60年前の1959年3月17日、チベット仏教の最高位にしてチベット国王*5だった十四世ダライ・ラマが、中国共産党工作委員会と中国軍のやり方に耐え切れずインドに亡命した

 「中国政府相手に騒乱(反乱、武力蜂起)を起こして失敗したから亡命した」と書かず、まるで「平和的にただ立ち去った」かのように書くあたりが実に阿部治平らしい。もちろん褒めてません(苦笑)

 昨年の自治区域内総生産は、前年比9・1%増と全国平均6・6%を大きく上回り「全国の先頭を走った」と報告された(東京新聞2019・3・11)。似た報道はすでにこの1月人民日報にあった。いわく、全自治区で15万人の貧困人口および19の貧困県が全て貧困から脱却した。2018年、自治区農民の一人当たり可処分所得の増加率は13%。25の貧困県が貧困状態から脱却し、全自治区での貧困発生率は8%以下まで低下した(人民日報ネット2019・1・11)。

 ダライ万歳の阿部ですらこの点については一応肯定的に受け入れています。

 だが、国有企業であれ私企業であれ、2000年からの「西部大開発」を主導したのはおもに漢人である。その事業で豊かになったのは漢人事業家と官僚である。一般農牧民に多少のおこぼれはなかったわけではないが、貧富ごちゃまぜの統計ではチベット人地域の貧困状態は表わせない。

 ダライやペマも似たようなこと言っていたかと思いますが、実に阿部らしいですね。
 なおそれが事実だとしても*6「分配に問題がある」だけの話で、開発それ自体が問題の訳ではありません。

 さらに少数民族の若者にとっては就職差別の問題がある。彼らの母語チベット語だから、そもそも漢語(中国語)が下手であることが不利になるうえに、漢人企業はチベット人を雇いたがらない。

 それって就職差別なんですかね?。中国人である以上「中国の共通語」を覚えてもらうのは「ある意味当然」でしょう。

 本心からダライ・ラマを否定するチベット人がいるとしたらチベット民族ではないという。なぜなら、ダライ・ラマチベット仏教の至聖の地位にあると同時に、身は海外にあってもチベット民族を代表していると考えるからである。

 率直に言ってこういうのは時代錯誤でしょう。「戦前の天皇崇拝」が今も生き続けてるような話に過ぎません。「中国の統治の是非に関係なく*7」こうした時代錯誤をなくさなければ「チベット自治区でアレ、ダラムサラの亡命政府でアレ」チベットに明るい未来などないでしょう。
 とはいえ、以前別記事で紹介した「欧米に移住したがるチベット人ダラムサラに増えてる」という話からはそうしたダライ崇拝も衰えてることがうかがえますが。

 第二次大戦以前の天皇は(ボーガス注:ご真影や不敬罪による処罰などで)行政的に神格性が付与され、民衆にとって「恐れ」が付きまとったが、今日天皇に対する尊敬の念はごく自然で、ダライ・ラマ崇拝に似ていると答えるとおおかたは納得した。

 おいおいですね。例えば
1)「昭和天皇には戦争責任があると思う」といって右翼に狙撃された本島長崎市長(当時)
2)昭和天皇死去直前の自粛騒動
の存在は阿部の目には映らないようです。よくもそんな野郎がリベラルを名乗れるもんです。
 ダライへの敬愛とやらにしても阿部が言うほど果たして自然な物かどうか。

 安倍*8首相は、この2月ベネズエラの混乱について「平和的解決を望む」と発言した。1ヶ月後*9日本共産党の志位委員長も、マドゥロ*10政権を人権と民主主義を踏みにじったと非難する声明を発表した。
 どうして日本には、遠いベネズエラについては発言する政治家があっても、隣国の人権状況について発言する政治家や政党がないのだろうか。

 おいおいですね。残念ながら俺がググった限りでは「最近のチベットウイグル」について、志位氏がコメントしたという情報が見つからなかったのですが

チベット問題――対話による平和的解決を/志位委員長が胡錦濤主席に書簡
中華人民共和国国家主席 胡錦濤*11殿
 チベット問題をめぐって、騒乱・暴動の拡大と、それへの制圧行動によって、犠牲者が拡大することを、憂慮しています。
 事態悪化のエスカレーションを防ぐために、わが党は、中国政府と、ダライ・ラマ側の代表との対話による平和的解決を求めるものです。

中国の人権問題について/志位委員長記念演説から 再録/2010年第40回赤旗まつり
 日本共産党志位和夫委員長が2010年11月の第40回赤旗まつりで行った記念演説のうち、中国の人権問題について述べた部分を再録します。
劉暁波(りゅうぎょうは)氏*12ノーベル平和賞受賞などにかかわって、中国における人権問題が国際的注目を集めています。この問題についてわが党の態度をのべておきたいと思います。
 日本共産党は、中国における政治体制の問題として、将来的には、どのような体制であれ、社会に本当に根をおろしたと言えるためには、言論による体制批判に対しては、これを禁止することなく、言論で対応するという政治体制への発展を展望することが、重要だと考えるという立場を、1998年の中国共産党との関係正常化以降、中国にたいしてたびたび率直に伝えてきました。言論による体制批判には言論で対応する政治体制への発展を展望することの重要性を、ここで重ねて強調しておきたいと思います。
 くわえて、人権保障に関する国際政治の到達点にてらして、私は、つぎの点を強調したいと思います。
 かつては人権問題――各国家が自国民の権利をどのように扱うかは、もっぱらその国の主権に属する内政問題として扱われました。しかし、とくにファシズム軍国主義による人権蹂躙(じゅうりん)が第2次世界大戦に結びついたという歴史の教訓を経て、世界の平和維持のためにも、各国の国内で人権が保障される体制をつくることが必要だと考えられるようになり、そのための一連の国際的な取り決めがなされてきました。
 中国も、それらの国際的取り決めを支持・賛成してきています。中国は、1948年の世界人権宣言を支持し、1966年に国連総会で採択された「市民的及び政治的権利に関する国際規約」――言論・表現の自由を含む広範な市民的・政治的権利を増進・擁護する責任を明記した国際人権規約に署名しています。
 さらに、中国は、国連総会決議にもとづいて1993年にウィーンで開催された世界人権会議が採択したウィーン宣言にも賛成しています。ウィーン宣言は、つぎのように明記しています。
 「国家的および地域的独自性の意義、ならびに多様な歴史的、文化的および宗教的背景を考慮に入れなければならないが、すべての人権および基本的自由を助長し保護することは、政治的、経済的および文化的な体制のいかんを問わず、国家の義務である」
 ここには二つの原則がのべられています。
 一つは、自由と人権の発展は、それぞれの国によってさまざまなプロセスをとり、「多様な歴史的、文化的および宗教的背景を考慮」すべきであって、特定のモデルを性急に押し付けるような態度を取るべきではないということであります。
 いま一つは、しかし同時に、人権と基本的自由は普遍的性格をもっており、すべての人権と基本的自由を「助長し保護する」ことは、「体制のいかんを問わず、国家の義務である」ということであります。
 これは人権保障における国際社会の重要な到達点をなすものだと私は考えます。
 私たちは、中国が、これらの国際的到達点に立ち、人権と自由の問題に対して、国際社会の理解と信頼を高める対応をとることを強く望むものであります。』

ということで志位氏はチベットウイグル問題について、あるいは中国の政策について苦言や批判を何も言ってないわけではありません(安倍首相、河野外相や自民、公明や他野党はよくわかりません)。
 それはともかく「遠いベネズエラ」云々つうのも阿部は酷い話です。「ベネズエラなんかどうでもいい」と理解されてもおかしくない発言を阿部がすることに何か意味があるのか。ベネズエラ国民に対して失礼でしょう。俺がリベラル21編集部ならこの部分は阿部に書き直しを命じますね。

参考
ベネズエラと安倍政権について】

ベネズエラ「平和的解決を」=安倍首相:時事ドットコム
 安倍晋三首相は4日夜、政情不安が続く南米ベネズエラ情勢について「民主的、平和的に解決されることを強く期待している」と述べた。マドゥロ大統領と反体制派のグアイド国会議長のいずれを支持するかは明言しなかった。ドイツのメルケル首相との共同記者会見で答えた。

ベネズエラ暫定大統領を支持 河野外相表明 :日本経済新聞
 河野太郎*13外相は19日の記者会見で、政情混乱が続く南米ベネズエラで暫定大統領就任を宣言したグアイド国会議長を「明確に支持する」と表明した。同氏を支持する米国や欧州の主要国と歩調を合わせた。マドゥロ大統領は2018年の大統領選が公平でなかったとして欧米各国から再選挙の実施を求められているが拒否している。河野氏は自由で公正な大統領選の早期実施も求めた。
 マドゥロ政権については「政治、経済、社会情勢悪化や人道上の危機に懸念を強く表明してきた」と批判した。

ベネズエラ日本共産党について】

主張/ベネズエラ危機/国民多数の意思による政治を
日本共産党はかねて、ベネズエラ問題は暴力的弾圧、人道危機という点で、すでに国際問題であるという立場から、国民多数の意思にもとづく政治の実現を同国に申し入れてきました。現在の問題の核心は、大統領選挙のやり直しを通じて、政府の正統性の確立と民主主義を回復することです。
ベネズエラ国民は2015年12月の国会選挙で、生活悪化を背景に野党連合が3分の2の議席を占める圧勝をもたらしました。ところが、マドゥロ政権は国民の審判を受け入れず、新国会の発足前にその権限を可能な限り骨抜きにし、発足後は国会決議のほとんどについて最高裁から違憲、無効判決を引き出してきました。
 政府の国会無視は、一昨年8月の制憲議会発足で極まりました。その目的は、国会の権限を根本からはく奪し、強権を支える「最高権力機関」を打ち立てるためでした。制憲議会議員を選出する選挙は、1人1票の投票原則さえ逸脱するなど徹底的に政権に有利になる仕組みでした。昨年の大統領選をお膳立てしたのも制憲議会でした。
 マドゥロ政権下で、国民は食料や医薬品不足、今年は1000万%と予測されるほどのハイパーインフレに苦しんでいます。国連は、人口の1割近い300万人がすでに国外に脱出し、年内に500万人と予測しています。
 マドゥロ氏は前政権以来の失政と国民生活の過酷な実態を認めず、国連などによる国際人道支援の受け入れも拒否しています。政権批判を容赦なく弾圧し、国連の調査によると一昨年の120人以上の犠牲者のうち、判明しているだけでも半数以上は治安当局の弾圧と政府支持派の暴力によるものでした。
 移住者・難民の大規模な流出は近隣諸国の社会保障や治安、疫病の広がりの恐れなど多くの面で困難をもたらし、財政を圧迫しています。ベネズエラ危機は、ここに至って一層深刻な国際問題になっています。
■弾圧も軍事介入も許さず
・今後の情勢がどう展開するにせよ、マドゥロ政権は弾圧をただちに停止すべきです。
・トランプ米大統領は今回の事態について、「(ボーガス注:軍事介入を含む)すべての選択肢が机上にある」と述べました。一昨年8月にはベネズエラに対する「軍事介入の選択肢」を検討していると強調し、中南米諸国からいっせいに反発されました。
 国際社会が一致して求めているのは、ベネズエラ国民による平和的な解決です。外国の軍事介入は絶対に許されません。

ベネズエラ情勢で党・「赤旗」を誹謗中傷/文化放送に抗議・要請/党広報部申し入れ
 日本共産党の植木俊雄広報部長は7日、都内の文化放送本社を訪れ、同社のラジオ番組「おはよう寺ちゃん活動中」(4日朝放送)で、ベネズエラ情勢に関する党と「しんぶん赤旗」の立場について「事実とまったく違う誹謗中傷のコメントがそのまま放送され、リスナーに重大な誤解を与えている」ことに抗議し、是正措置を求めました。
 同番組では、コメンテーターの上念司氏(経済評論家)が、ベネズエラマドゥロ政権の人権抑圧状況を説明したうえで、「内政干渉はいけないとかいって、この人権弾圧をしているマドゥロ側を応援しているとも思えるような論調の新聞があるんです。『赤旗』、日本のね。共産党は人権を何だと思っているんだろうと思って、恐ろしいなと思いますね」と語り、そのまま放送されました。
 植木部長は、▽日本共産党が駐日ベネズエラ大使を通じ、マドゥロ政権に対して反政府デモへの弾圧停止と民主主義秩序の回復を要請してきた▽「しんぶん赤旗」が弾圧への国際的批判について繰り返し報じてきた▽1月30日付では、改めて弾圧停止、政府の正統性の確立と民主主義の回復を求める「主張」を掲載した―ことを挙げ、上念氏のコメントは「わが党の姿をまったく逆に描いたきわめて不当なものである」と指摘しました。
 植木氏は、同番組内で誤った報道の是正措置を講ずることと、ベネズエラ問題での党の立場を放送する機会を設けるよう強く要請しました。

 共産への誹謗以前に「ネトウヨの上念なんかコメンテーターに呼ぶなよ。上念のコメントが信用できるとか価値があるとか思ってるのか。安倍への忖度か」と聞きたくなります。
 なお、共産は軍事介入は否定していますが、これは我が国の安倍首相を含む、「ほとんどのベネズエラ・マドロ政権批判派」がそうです。

弾圧やめ人権と民主主義の回復を――ベネズエラ危機について│外交│日本共産党の政策│日本共産党中央委員会
(1)
 日本共産党は、南米ベネズエラチャベス政権が発足当初、選挙をつうじて国民多数の支持を得ながら進めてきた変革のプロセスに肯定的に注目してきた。
 しかし、同政権および後継のマドゥロ政権の失政と変質のもとで状況が変化し、市民の政治的自由と生存権に関わる人権問題が深刻化している。人権の保障は、第二次世界大戦後の国際秩序のもとで、それ自体が国際問題としての性格をもつものとなっており、ベネズエラ問題は重大な国際問題となっている。
(2)
 わが党は、2017年5月、ベネズエラ政府に対し、抗議行動に対する抑圧的措置をただちに停止し、民主的秩序の回復のために責任ある措置をとるよう申し入れた。しかし、その後、事態は著しく悪化してきた。
 現在、大きな高まりを見せる抗議運動とそれを抑圧・弾圧するマドゥロ政権との間で緊迫した情勢が続いている。
 マドゥロ政権に対し、抗議運動に対する抑圧・弾圧をただちに停止するよう求める。極度に欠乏している食料品や医薬品を早急に提供すること、国連や国際赤十字など外部からの国際人道支援物資を拒否するのではなく、受け入れることを求める。
(3)
 現在のベネズエラの危機は、主要には、マドゥロ政権が、2015年の選挙で野党が多数派になった国会の権限を無効化し、批判勢力を暴力的に抑圧・弾圧し、2018年5月の大統領選挙で野党の有力候補を排除して、権力の維持をはかったことから引き起こされたものである。
 こうした経過にてらし、わが党は、マドゥロ政権を、ベネズエラ人民の意思にもとづく正統な政権とみなすことはできない。事態の根本的な解決には、大統領選挙のやり直しを含め民主主義を回復することが不可欠であると考える。
(4)
 ベネズエラの危機を解決するうえで、外部からの干渉・介入を許さず、ベネズエラ人民の自決権を擁護・尊重すること、暴力に訴えることなく問題を平和的に解決することが、きわめて重要である。
 日本共産党は、どの国によるものであれ、ベネズエラに対する外部からの干渉・介入にきびしく反対する。
 わけても軍事介入は深刻な犠牲と事態の悪化をもたらすものであり、絶対にあってはならない。トランプ米政権は、軍事介入を「選択肢の一つ」と繰り返しているが、そのような権利はどの国であれ与えられていない。
 わが党は、抗議運動を敵視し、マドゥロ政権への「連帯」を世界の運動に押し付ける動きにも、きびしく反対する。
 ベネズエラの危機は、ベネズエラ人民の手によって解決されるべきである。

ベネズエラのマドゥロ政権による人権侵害の資料
 日本共産党の緒方靖夫副委員長は2017年5月9日、都内のベネズエラ大使館を訪ね、セイコウ・イシカワ駐日大使を通じて同国政府と与党・統一社会主義党に日本共産党としての申し入れを行いました。申し入れの内容は以下の通りです。
『貴国では、食料や医薬品、日用品の欠乏による国民生活の窮乏化のもとで、国民の抗議行動が広がっており、政府側の抑圧的措置がとられるもとで犠牲者が多数出ていると伝えられています。在留邦人の間からも生活と安全への不安の声が上がっています。
 貴国で起きている問題は今年1月、中南米カリブ海諸国共同体*14(CELAC)第5回首脳会議の政治宣言が冒頭でその民主的解決を訴え、4月17日には中南米11カ国が共同声明で事態を憂慮し、問題の平和的解決を呼びかけるなど、国際問題になっています。
 この間起きているベネズエラの事態を強く懸念していることを表明します。抗議行動への抑圧的措置を直ちに停止し、事態の平和的、民主的解決をはかるとともに、民主的秩序の回復のために貴国政府と与党・統一社会主義党が責任ある措置をとられるよう求めます。』

ベネズエラ大使館を訪問/緒方氏 党声明を手渡す
 日本共産党の緒方靖夫副委員長は22日、松島良尚国際局員とともに都内のベネズエラ大使館を訪れ、21日に志位和夫委員長が発表した党声明「弾圧やめ人権と民主主義の回復を――ベネズエラ危機について」をセイコウ・イシカワ大使に伝え、本国と与党・統一社会主義*15に伝達するよう要請しました。
 大使は声明の内容について「非常に残念だ。ベネズエラの情勢については何度も説明してきたが、それが宙に浮いてしまったようで心が痛む。ただ、わが国のことを心配していただいていることには感謝している」と応じました。
 大使はまた、声明が米国の経済制裁にふれていないことは「信じられない」としつつ、現在の事態は米国による介入によって引き起こされたものだと強調しました。
 緒方氏は、米国の金融制裁が始まったのは2017年8月からで、危機はその数年前から起きていると指摘。貧困化・弾圧などの人権侵害と法の支配の崩壊についての国連文書を引用しつつ、現在の危機の主要な原因は政権による失政だと反論しました。

*1:著書『中国停滞の核心』(2014年、文春新書)、『巨龍の苦闘:中国、GDP世界一位の幻想』(2015年、角川新書)、『「米中経済戦争」の内実を読み解く』(2017年、PHP新書) など

*2:福州市党委員会書記、福建省長、浙江省党委員会書記、上海市党委員会書記、国家副主席、党中央軍事委員会副主席、国家中央軍事委員会副主席などを経て党総書記、国家主席党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席

*3:石の言う「側近グループ」が誰を指すのかは不明です。

*4:著書『もうひとつのチベット現代史:プンツォク=ワンギェルの夢と革命の生涯』(2006年、明石書店)、『チベット高原の片隅で』(2012年、連合出版

*5:いわゆるチベット解放後の1959年のダライは国王ではなく「元国王」あるいは「チベット自治区準備委員会主任委員」だと思います。

*6:事実か知りませんが。

*7:と断らないと「ボーガスは中国シンパだ」と言い出すMukkeやnoharraのような輩がいるからです。

*8:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官を経て首相

*9:安倍の発言が2/4、志位声明が2/21なので明らかに1ヶ月後ではありませんし、そもそも1/30に赤旗社説主張/ベネズエラ危機/国民多数の意思による政治をが「マドロ政権批判」をしてるのに阿部も良くもこんな文を書くもんです。共産支持者として阿部治平への怒りを禁じ得ません。

*10:国会議長、チャベス政権外相、副大統領を経て大統領

*11:共青団共産主義青年団)中央書記処第一書記、貴州省党委員会書記、チベット自治区党委員会書記などを経て党総書記、国家主席党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席

*12:著書『天安門事件から「08憲章」へ』(2009年、藤原書店)、『「私には敵はいない」の思想』(2011年、藤原書店)、『最後の審判を生き延びて』(2011年、岩波書店)など

*13:第三次安倍内閣国家公安委員長を経て第四次安倍内閣外相

*14:加盟国はアメリカ合衆国とカナダを除くアメリカ大陸33カ国

*15:1997年に結成されたチャベス政権与党・第五共和国運動が2007年に発展的解消して結党