【産経抄】追悼は日本の文化 2月7日
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140207/ent14020703060000-n1.htm
まずはこれにつけた小生のブクマ紹介
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140207/ent14020703060000-n1.htm
一言突っ込めば「宮本顕治*1や金正日*2という嫌いな人間が死んだときは悪口雑言だった癖に良く言う」。なにが「死者にむち打たない」だ。
他の方のブクマ
agricola
日本の「保守」の平常運転。じゃあサダム・フセイン*3の死を喜んだかつての産経抄を自己批判して謝罪して追悼してみろってんだ。それが済んだら安重根な(嘲
scopedog
産経新聞が安重根を追悼するという意味かと思ったら違った
まあ、id:agricola氏、id:scopedog氏のおっしゃるとおりで「テロリストでも野村秋介は立派な人だった。支持者がいた。追悼して何が悪い」と産経がいうのなら「テロリストでも安重根は立派な人だった。支持者がいた。追悼して何が悪い」ということになって産経の韓国への非難「安重根記念館なんか建てるな」は成立しなくなります。また産経が「金正日死去時、政府が弔問特使を北朝鮮に派遣することに反対したこと」にもこの「産経の野村賛美」は矛盾します。
「安のテロは汚いテロ、野村のテロはきれいなテロ」というのは無理がありすぎでしょう(そもそもこの産経抄は建前では「死ねば皆仏様」と言う論理なのできれいも汚いもないのですが)。安の時代、「合法的な日本批判運動」は弾圧を受けていました。そういう中で「伊藤暗殺」を実行することは何ら不自然ではない。むしろ同情に値すると言えるでしょう。テロ対象も「伊藤博文(首相、貴族院議長、枢密院議長、韓国統監など歴任)」という権力者です。
一方、野村のテロは「河野一郎*4や経団連」といった「ある種の権力者」へのテロもありますが朝日新聞社はおよそ「権力者」とはいえないでしょう。そもそも安の時代は「日本への合法的批判」が難しい時代でしたが、野村の時代はそうじゃないでしょう。河野や経団連、朝日を合法的に批判出来ない、したら弾圧されるなんて事はない。そして野村のテロを容認するのならば「極左テロ」や「イスラム過激派テロ」なども「テロであると言うだけ」では批判できなくなります。
しかし、産経は「テロである」というだけでいつも批判してたんじゃないんですかね。
大体、これ追悼の相手が「ウヨ」だから長谷川をかばってるだけでしょう。まあ、NHK経営委員でそんなことはないでしょうが、これが「産経の大嫌いな左派政治家への追悼」などでも同じ事が言えるかといったら、まあ、「政治的中立に反する」とか抜かすんじゃないですかね。