久しぶりにMukke氏に突っ込んでみる

 まあ今回はたいした話ではありません。

【その1】

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASGBF7GGKGBFUTIL56B.html
朝日新聞イスラム国参加、私戦予備罪って? 条文「化石みたい」』
id:Mukkeさんブクマ
「処罰されるのは準備をした場合のみ。準備を終えて戦い始めたときは,処罰の対象外*1になる」そうか,だからPMCは捕まらない*2のか。/なんだろう,「内乱罪の既遂は罰すことができるか」的な。

「え?。何いってるの?」「内乱罪の既遂は処罰できるに決まってるジャン?。明治の士族反乱萩の乱佐賀の乱神風連の乱西南戦争)、226事件*3全て関係者は処罰されてんじゃん?。佐賀の乱江藤新平*4萩の乱前原一誠*5226事件青年将校磯部浅一、村中孝次など)とか死刑ジャン*6。まさかあれらを内乱既遂じゃないとか、関係者処罰されてないとか言い出すのか?」と一瞬意味がわからなかったのだがしばらく考えて分かった。
 「ああ内乱既遂云々じゃなくて、成功した内乱(例:幕府に対する薩長の内乱だった明治維新)は処罰できないって言いたいのかな」と。
 ただ「私戦予備が私戦の既遂を処罰の対象にしてない*7」のと「成功した内乱は処罰できない」のと全然関係ないと思いますけどね。


【その2】

 読書好きとして恥ずかしい告白をさせていただくと,実は,夏目漱石の『こころ』と,ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』,概要と評判を門前の小僧状態で聞き知ってはいてもちゃんと通して読んだことはない。明治文学とSF。共通点は言語と文庫版であること以外にないように見えるが,ひとつだけある。高校の頃に書かされた読書感想文の課題図書として学校で配られたことだ。
 中学校の頃の課題図書は素直に読んだ。だが高校に入って,小さな反抗心のようなものが芽生えた。
 僕は読まずに感想文をでっち上げることに決めた。いまから思えば,教師は確かに重要な本をチョイスしていたのだが,僕にはそれよりも,おしつけられた本を読まないことの方が大切だった。そういうものなのだろう。強制が教師の職分なら反抗は生徒の権利だ。行使するか否かは別として。そして,「講師」や「語り部」として学校に協力する人びともまた,押しつける側の人びとだ。
 もちろん,かれらの人間としての尊厳をおとしめるような形での反抗は,してはいけない。たとえば,「先生を流産させる会」とか「死に損ない。早くくたばれ」とか。相手もまた人間なのだから。だが,おしつけられた情操教育への反抗そのものは,否定できない大切なものだと思う。
 わたしは,読書感想文をコピペですませる生徒や,原爆資料館でふざけあう生徒や,語り部の話を聞いて眠りこける生徒の側に立つ。
(Mukkeさんのはてな俳句

 だったら「ダライは偉大」という押しつけがましい、あんたみたいなチベット気違いの物言いに「オウムから現金もらってるクズのどこが立派なんだよ!」「村上和雄というサムシンググレート野郎と喜んで対話してるダライのどこが立派なんだよ!」「お前らダライキチガイって低能過ぎだろ」などという俺の反抗心にも少しは理解を示して欲しいもんだが。結局この人、自分の嫌いな物には「反抗して何が悪い」というが自分の好きな物に悪口言われると「反抗の権利とやらはどっか行っちゃって」、「ダライ猊下をバカにするな」と言い出すご都合主義のクズなのだろう。まあ、前からクズだとは思っていたが改めて呆れた。ダライ共々とっととくたばればいいのに。
 それとも俺の態度はid:Mukkeさんにとって

かれらの人間としての尊厳をおとしめるような形での反抗

なのかしら。まあ、仮にそうだとしても「押しつけはよくない」といいながらダライの件では「ダライはすばらしいという意見以外は絶対に認めない」Mukkeさんがご都合主義のクズであることには変わりないだろうが。
 まあ、それはともかく俺が巣くう会&家族会とかダライ&チベット亡命政府とか糞味噌に言ってるのは「Mukkeさんとか高世仁みたいなバカ」が「スゲースゲー」言うことに「あんなもんの何がすげーんだ、笑わせるな、バカ」というある種の反抗心、いや反抗心というと立派すぎるので「ひねくれ精神」「天の邪鬼精神」があるからだと言うことにふと気付いた。

【追記その1】
・まあ義務だと面白くないのは確かにMukkeさんのおっしゃるとおりで小生は「学校の読書感想文の義務で」、「魔女の宅急便」を読んだことがありますが、まあつまらなかったですね。義務で読むとどうしても「感想を400字原稿用紙2枚でどうやってまとめよう、やべえ俺文才ないから800字も書けねえよ」とか思って全然楽しくない。
・ただ読むことが義務(?)でも
1)「感想文義務づけがない」
2)「感想文義務づけがあっても文字数の制約ない」
3)「文字数の制約あるけど、何故か割とすらすら書ける」とあまりに苦にならない。むしろ「こういう本があると知ってよかった」という気になる。
 小生は高校の時修学旅行(広島、長崎です)の事前学習で、まあいくつかある課題図書の中から、中国新聞取材班『世界のヒバクシャ』(1991年、講談社)てのを読んだんですがこれは面白かったんですね。感想文の文字数制約がなかったから。「とにかく何か書いてあればいい」てので適当に書いて出した。
箇条書き風に
・民主主義国家扱いされる米国やフランスも核実験問題ではタヒチビキニ環礁のヒバクシャへの態度は最悪だと思いました、とか
タヒチ取材の時はサングラスにビーチサンダル、アロハシャツにカメラ姿で観光客ふうで取材に来てくれ。後でフランス当局に報復されることが怖いから、と関係者にいわれたのには衝撃を受けたと中国新聞記者が書いていることには自分も衝撃を受けた。フランスの民主主義って何なんだろうなと思った、とか
・中国の新疆ウイグル自治区原発があるというので取材したかったが中国政府の許可が下りず取材できなくて残念だったというのには悲しく思った、とか「それでも高校生かてレベルで」適当に書いて出した。まあ小説と違ってノンフィクションてのは割と感想文が書きやすいような気がしますけど。
 まあ、とにかく「世界中にこんなにヒバクシャがいるのか」と知ったことは大変勉強になってよかったですね。


【追記その2】

Mukkeさんのはてな俳句
 テクストの文脈に即した読解力もダブルスタンダードへの羞恥もレイシズムへの抵抗も権力関係への自覚もまったく持ち合わせない人間がしかし批判への情熱とスタミナだけは持ち合わせている場合に,いかに醜悪な文章が日々紡ぎ出されているか,という話。

それに対する小生のはてな俳句
 ああ、はいはい何とでも言って下さい(苦笑)。あなたのダライキチガイぶりの方が醜悪では?。偉そうな事抜かしながらダライ批判出来ないあなたらダライキチガイの「ダブルスタンダードぶり」「馬鹿さ」にはいつも呆れさせていただいています。ダライのようなクズには「オウムからの献金問題一つ公式に謝罪できないのか、ドカス野郎。聖人ぶりやがって。社会のお荷物は早く死ね、手前が死ねばチベットの自殺もなくなるだろうぜ!」という憎悪しかないですね。

 小生、別に自分が「テクストの文脈に即した読解力もダブルスタンダードへの羞恥もレイシズムへの抵抗も権力関係への自覚もまったく持ち合わせない人間」「がしかし批判への情熱とスタミナだけは持ち合わせている」とは思ってませんけど仮にそうだとしてもMukke氏らチベットキチガイの無茶苦茶なダライ免罪は容認できるもんじゃないでしょうにねえ。
 どんだけご都合主義なんでしょ、あの人。

*1:私戦予備の処罰対象外になるだけで殺人や放火、強盗などすれば別途それらの罪が成立するというのが確か通説的見解です。なお、私戦予備に限らず大抵の予備罪は「予備でなくなった段階」で予備罪は適用されません(例:殺人を実行すればその時点で殺人罪のみが成立し、予備罪は成立しない)。

*2:いやそれPMCのお得意さんが米国なんで1)米国に対する国際社会の政治的配慮、2)法に触れないよう米国がいろいろとPMCに都合のいい法制度(国内法&国際法)をつくってる(あるいは法の抜け穴探してる)て話であって、この件と関係ないと思うが

*3:つうことで今の日本では内乱罪成立の可能性はまずないでしょうが、歴史的には明治以降の日本では内乱が何度か起こってるわけです。ほとんどが明治初期の士族反乱ですけど。

*4:明治新政府で文部大輔、左院副議長、司法卿、参議など歴任。征韓論論争で下野。

*5:明治新政府で参議(兵部大輔を兼務)

*6:西南戦争西郷隆盛は江藤や前原と違い自刃して果てましたが、捕縛されてれば西郷は当然死刑でしょう。実際、大山綱良・鹿児島県令は西郷らの共犯として後に死刑に処されています。

*7:単に立法者の価値観に過ぎないでしょう。「私戦既遂罪」として処罰対象とすることも理論上は可能なわけです。