「オウム問題から逃げ続けた人間」?。ああ、「麻原から1億円もらった」ダライラマのことですね、Mukkeさん(毒)

http://b.hatena.ne.jp/entry/synodos.jp/society/13412
「果たして,長期にわたってオウム事件から『逃亡』し続けたのは,高橋被告だけなのでしょうか」

 id:Mukkeさんのはてブですがマジで吹き出してしまいました(爆笑)。
 ちなみにこれは大田某さんという方のエントリの一部をMukkeさんが抜き出したもんですが、大田さんは次のように書いておられます。ちょっと長くなりますが引用してみましょう。

http://synodos.jp/society/13412
 宗教学を専攻しております、研究者の大田俊寛と申します。オウム真理教に関しては、これまで、2011年公刊の『オウム真理教の精神史:ロマン主義全体主義原理主義』(春秋社)と、2013年公刊の『現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇』(ちくま新書)という、二冊の本を執筆して参りました。現在は、埼玉大学の非常勤講師として教壇に立っております。
(中略)
 オウム的な思想はどのような仕方で作り上げられたのか、についてお話しします。オウム真理教の教義は、教祖である麻原彰晃の独創と独断のみによって築き上げられたと、一般的には考えられがち*1ですが、実際にはそうではありません。オウムより先に存在した数々の宗教団体*2、大手出版社発行の雑誌や公共放送*3を含むさまざまなメディア、そしてなかでも、何人もの宗教学者*4が、実質的にオウム真理教の成立と発展を後押ししてきた、という状況がありました。オウムの思想や世界観が形成された歴史的経緯について、簡単に説明させていただきます。
(中略)
 (注:オウムにおいて、犯罪すら正当化される麻原の絶対的権力が確立したことについては)オウムにおいて顕著な「グルイズム」が成立したこと、すなわち、信者に対して、自らの意志を完全に放棄し、精神の導師である「グル」に帰依しなければならないとする刷り込みが徹底して行われたことが挙げられるでしょう。
 そして、オウムのグルイズムに関しては、一冊の書物が決定的とも言い得る影響を与えました。それは、宗教学者中沢新一*5が1981年に公刊した『虹の階梯:チベット密教の瞑想修行』(平河出版社)*6です。
(中略)
 中沢氏は、東京大学で宗教学を専攻し、大学院の博士課程在学中の1978年にネパールを訪れ、あるグルに師事し、自らチベット密教の修行を実践しました。
 『虹の階梯』では、「心の本性」に到達することを目的とした密教修行のプロセスが詳細に説明されていますが、そのなかで特に印象深いのは、修行を進めるためには、自らの師匠(「グル」や「ラマ」と呼ばれる)に対して純粋な心で帰依しなければならない、と繰り返し説かれていることです。
 師匠となる人物が、仏教者であるにもかかわらず平気で殺生を行っていても、それを理由として、彼を師として不適格であると判断してはならない。師匠は弟子に対して、暴力や虐待とも思えるような厳しい仕打ちをすることがあるが、そのような修行を避けてはならない。
 なぜなら、「心の本性」に到達するための修行においては、自我や自意識を捨て去ることがもっとも肝要なことであるとされるからです。
(中略)
 オウム信者は、グルの指示に対して疑問を呈したり、反論することが原則的に許されなかった、こうした特殊な状況があったということを、今回の審理に際しては銘記しておいていただきたいと思います。
 「グルイズム」の称揚の他にも、中沢新一氏の『虹の階梯』には、オウム真理教に大きな影響を与えたもう一つの重要な要素が含まれていました。それは、チベット密教の修行によって熟達することができるとされる「ポワ」(オウムの表記では「ポア」)という技法です。
 ポワとは、簡単に言えば、「人の魂の行方を自由にコントロールする」技法を意味します。オウムの信者たちが、内心に葛藤を抱えながらも最終的には殺人を遂行してしまったのは、麻原彰晃のポワの技法によって、死者の魂を高い世界に移し変えることができる、すなわち、たとえ人を殺してしまったとしても、最終的には「尊師がポワしてくれる」と思い込んでいたことが、その主要な原因の一つであったと考えられます。
(中略)
 冒頭で申し上げたように、私はオウムの幹部であった上祐史浩*7を対談したことがあるのですが、そのとき上祐氏は、出家修行者としての活動を続けていた日々のなかで、自分が目指していることは本当に正しいのかという疑問を抱かなかったわけではなかった、と述懐していました。
(中略)
 しかしその際には、日本の名だたる宗教学者のみならず、チベット仏教の高僧を始めとするさまざまな宗教者たちが麻原彰晃を高く評価し、グルに従うよう助言したこと、また、その他のさまざまな知識人や文化人もオウムの活動を肯定的に捉えていることを想い起こし、湧き上がる疑問を打ち消していたとのことです。
 ところが、地下鉄サリン事件を契機にオウムの数々の犯行が暴露されると、こうした人々のほとんどがオウムから目を背けて口を閉ざす一方、オウムの特殊性や異常性のみを言い募る論調が支配的となっていきました。果たして、長期にわたってオウム事件から「逃亡」し続けたのは、高橋被告だけなのでしょうか。

 さて、大田氏が

「果たして,長期にわたってオウム事件から『逃亡』し続けたのは,高橋被告だけなのでしょうか」

として非難してるのはどうやら「日本の一部の宗教学者やテレビコメンテーター、主として中沢新一氏」*8のようです。そしてMukkeさんもそのように考えてるようです。
 「中沢ら一部のチベット仏教理解が間違ってるのだ、悪いのは中沢ら一部の自称チベット応援団*9*10だ、チベット仏教ダライラマチベット仏教僧も悪くない」と。しかしダライラマが麻原から多額の金をもらい麻原との写真まで撮らせたという事実の前にそんな言い訳は可能なのか。麻原は中沢氏だけでなく、ダライの存在を自らの正しさの証明として大いに利用していたわけです。
 俺は「ダライは悪くないなんて言い訳は全然可能じゃない」と思いますね*11。ダライだって「オウム真理教を育てた一人」なのに、しかし責任もとらずに

オウム事件から『逃亡』し続けた

のにまあ、ダライキチガイid:Mukkeさんもよくも能天気にブクマがつけられるモンです。それとも今日からMukkeさんの「ダライよ!。お前はいつになったらオウムの件で日本人にわびるのだ!。恥を知れよ!」というダライ批判が始まるんでしょうか。まあ、始まらんだろうね。カシオミニ賭けてもいい(毒)。
 改めて「ダライはくたばれ!」「id:Mukkeチベットキチガイはくたばれ!」とここに書くと共に、ダライの悪逆非道ぶりを批判した人民日報記事及びウィキペディアダライ・ラマ14世」をここに紹介しましょう。以前も紹介しましたけど。

ダライラマ14世(ウィキペディア参照)
・1995年3月29日に来日した際には成田空港で日本の記者団より、麻原彰晃死刑囚ならびにオウム真理教との関係について質問責めに遭った。麻原とは亡命先のインドで 1987年2月24日と1988年7月6日に会談した。またダライ・ラマ14世は、オウム真理教から布施の名目で1億円にのぼる巨額の寄付金を受領しており、1989年にオウム真理教が東京都で宗教法人格を取得した際には、ダライ・ラマ14世は東京都に推薦状を提出してオウム真理教を支援した。

■人民日報『真相:ナチスオウム真理教とダライとの関係』から一部引用

http://j.people.com.cn/94709/6562097.html
麻原彰晃とダライの関係
 オウム真理教の起こした一連の凶悪事件は世界に衝撃を与えた。1995年3月、日本の地下鉄で起こったサリン事件では12人が死亡し、5千人余りが負傷した。2004年2月27日、東京地方裁判所は13の罪名で教祖の麻原彰晃に死刑を言い渡した。2006年9月、最高裁の抗告棄却によって死刑が確定した。
 地下鉄サリン事件の発生後、平和を愛する世界中の人々が怒りの矛先を麻原彰晃オウム真理教に向けていた頃、ダライは共同通信を通じて、「オウム真理教は仏教の教義を広める宗教であり、麻原彰晃は自らの友人である」との意見を発表し、大きな反響を呼んだ。ダライはなぜこのような意見を発表したのか。それは、麻原彰晃という邪教の指導者が実のところダライの「生徒」だったからだ。ダライのこのような汚れた過去に対し、良心を失ったメディアは見て見ぬふりをし、二人の関係をなかったもののようにしている。
 ダライはこれまで12回にわたって日本を訪れている。1984年の訪問では当時29歳の麻原と会ったという情報もある。麻原は1986年、インドを訪れた後にオウム真理教を正式に設立。翌1987年、麻原は再びインドを訪れ、ダライと会っている。この時、ダライは麻原に対し、「親愛なる友人よ、日本の仏教はすでに退廃してしまった。このまま行けば、仏教は日本で消えてしまうだろう。あなたは故郷で本当の仏教を伝えなければならない。仏の境地を知るあなたは最良の人選だ。あなたが日本で布教することを私はとても嬉しい。そうすることは私の仕事を助けることでもある」との内容の発言を行った。この会見時、ダライは麻原に祝福を与え、「師弟関係」を結んだといわれる。
 ダライは自らの「生徒」の働きにとても満足していた。1995年の事件が発生するまでの8年間、二人は5回にわたって顔を合わせ、手紙のやりとりをしばしば行っていた。1989年、麻原は10万ドルをダライに寄付し、ダライは証書と推薦状をもってこれに返答した。ダライは東京の関連部門にあてた推薦状の中で、「麻原彰晃は能力のある宗教的指導者であり、オウム真理教大乗仏教を広め公共の善を促す宗教だ」とし、「オウム真理教への免税を許可するべきだ」とまで書いている。オウム真理教はこの証明書と推薦状によって、日本政府が正式に承認する宗教団体となった。その後、大量の資金を蓄積してサリンの研究と生産を行ったのは周知の通りだ。
 麻原は日本で合法的な地位を得た後、ダライに感謝状を送り、「私たちの希望はチベットができるだけ早くチベット人の手に帰ることです。私たちはそのためにできるだけの援助をしていきます」と述べている。麻原はダライの指示を受け、チベット地域に2回にわたってもぐりこみ、「布教活動」を行っている。麻原はダライが自らの指導者であることを正式に認めている。オウム真理教の教義や教則なども多くがダライを由来とするものだ。
 ドイツの週刊誌「フォーカス」は、「ダライの支援がなければ、麻原彰晃が自らの宗教帝国を作ることは不可能だった。ただの治療師であり詐欺師でしかなかった麻原が数年の短期間であっという間に大教団の教祖となるのも、ダライの支援がなければこれほど簡単ではなかったはずだ」と指摘している。ダライが麻原をこれほど重用したのは、麻原からの金銭支援をあてにしていたためだけではなく、麻原を通じて日本の仏教を改革したいと考えていたためだ。ダライが麻原と結託したのは、「チベット独立」を支援する弟子たちを日本に増やしたかったからにほかならない。ダライのこの勝手な計算は邪教の崩壊という結果に終わった。自己の信徒の生命を損なう邪教が目立つ中で、ダライの高弟である麻原彰晃が作り出したオウム真理教は、教団外の罪のない人々をテロ攻撃する教団として、人々に大きな衝撃を与えた。

*1:いやそんなことないでしょう。俺は「オウムの元ネタにはチベット仏教があるだろ!」「だからダライに会いにいったんジャン!」と即答しますけど。

*2:大田氏は阿含宗チベット仏教をあげています。

*3:大田氏は中沢氏が製作に関わったNHK番組「チベット死者の書」(1993年)をあげています。

*4:大田氏は、中沢新一氏、島田裕巳氏、山折哲雄氏(国際日本文化研究センター名誉教授、元センター所長)、池田昭氏の名前を挙げています。

*5:中央大学教授を経て現在、明治大学特任教授、明治大学「野生の科学研究所」所長、多摩美術大学客員教授チベット関係の著書に『三万年の死の教え:チベット死者の書」の世界』(1996年、角川文庫ソフィア)、『チベットモーツァルト』(2003年、講談社学術文庫)、『チベットの先生』(2015年、角川ソフィア文庫)(ウィキペ「中沢新一」参照)

*6:後に、1993年、中公文庫

*7:現在「ひかりの輪」代表

*8:ただし大田氏は「チベット仏教の高僧を始めとするさまざまな宗教者たちが麻原彰晃を高く評価」と書いてるので「麻原から多額の現金をもらった銭ゲバ野郎」「チベット仏教の高僧」ダライも批判してるのかも知れません。もしそうなら、「チベット仏教の高僧」なんて奥歯に物が挟まった曖昧な表現ではなく、この大田エントリで「中沢新一氏」の名前を出して批判したようにはっきりと「ダライの名前を出して批判」して欲しかったところです。大田氏には「名前を出して批判したときのダライ信者の攻撃が怖い」などという情けないことは言わないで欲しいもんです。まあ、名前出して批判したら確実にid:MukkeさんやI濱女史みたいなダライキチガイチベットキチガイが大田氏に「大田はダライ猊下に謝れ」と絡むでしょうけど。

*9:まあ、チベットのイメージを破壊したと言う意味では俺的には「日本人である中沢氏のチベット仏教理解」より「元チベット人であるペマの反中国デマ垂れ流し」「現役チベット人・ダライの数々の愚行(オウムからの金銭受領も勿論、愚行の一つ)」のほうがでかいですけど。中沢氏なら「まあ日本人ジャン、どこまでチベット分かってるか疑問符つくよね」と思えますけどペマは「元チベット人」、ダライは「現役チベット人」ですからね。「ウエー、『中国の最終目的は天皇の処刑』とかデマ飛ばすペマが元チベット人なの?。」「ウエー、オウム麻原から金銭もらっておべっか言うダライがチベット仏教最高指導者なの?」「俺、絶対ダライやペマみたいな屑がでかい面してる限りチベットなんか支援しないわ」という気持ちにさせられる。

*10:中沢氏の場合は「主観的にはチベット応援団」でしょうが日本には「主観的にも獅子心中の虫」「党利党略でチベットを中国叩きに使ってるだけ」の反中国右翼という自称チベット応援団がいてそれを事実上黙認してるのがid:Mukkeさんら日本の「自称チベット応援団」です。

*11:また中沢氏のチベット仏教理解が間違っていたとして「ダライらがどれほど中沢氏を批判したのか」などといった問題だってありますよね。