【産経抄】6月13日

 昭和52年に刊行された小林秀雄の大作『本居宣長』(新潮社)は全編、歴史的仮名遣いで書かれている。難解な漢字を正字体で用いルビはほとんど振らない。
 (中略)
 戦後教育で育った者は専門家以外、漢和辞典や古語辞典を傍らに置かないと、まず読み通せない。

・戦前使われていた歴史的仮名遣いはともかく、難しい漢語や古語は戦前世代でも、「専門家以外、漢和辞典や古語辞典を傍らに置かないと、まず読み通せない」のでは?
・なお、正字体というのは「學」「禮」などのようなもののことのようです。確かに今は使いませんね(今は「学」「礼」)。

 実は後の文庫版では現代仮名、新字体に改め、ルビもふんだんに振ってある。

・まあ、多くの人に読んでもらいたかったらそうするのが当然です。そもそも小林秀雄の文章は、現代仮名、新字体、ルビ付きでも理解が困難な難解な文章です(予備校の模試ぐらいでしか読んだことはありませんが)
・むしろ古典の現代化(アニメ化とか)をした方が古典を普及させることが出来るのでは?。例えば、私が三国志に興味を持つようになったきっかけはNHKの「人形劇三国志」です(それと横山光輝「三国志」も忘れちゃいけませんね。)。少女マンガ「あさきゆめみし」で源氏物語に興味を持ったとか、そう言う人は多いのではないでしょうか。
 もちろんそれには古典をぶちこわしにしない十分な注意が必要でしょうが。

 文中から「これくらい読めないと、日本の古典は理解できない」という警告も読み取れる。

 「古典が読めないといけないのか」「しかも歴史的仮名遣いが読めないといけないのか」「そう言う抄子はどれだけ古典に親しんでいるのか」「そう言う抄子は歴史的仮名遣いが読めるのか」と突っ込みたくなります。

 古典から急速に遠ざかる戦後文化に対し危機感を抱いていたに違いない。
 元凶は昭和21年、当用漢字表で漢字の使用を大幅に制限したことである。使うことの少ない漢字を覚えるのはムダだということだったのだろう。しかし、難しい漢字が目に触れなくなることで古典が読めなくなる、という視点がすっぽりと抜け落ちていたのだ。

 そもそも古典の読みづらさは難しい漢字の多さだけではないので、漢字制限をしようとしなかろうと関係ないでしょう。大体戦前の人間はそんなに古典に親しんでいたのですか?

 その当用漢字を引き継いだ常用漢字表が29年ぶりに見直されるという。新たに196文字を追加し、制限はかなり緩くなった。だが憂鬱の「鬱」や語彙の「彙」など字画の多いものが使用可能になる一方で「鷹」は除外された。依然として不満の声は多いようだ。

・こういう物には「常用漢字にする、しない」の客観的基準はありませんから不満が出るのは仕方のないことです。
・なお、常用漢字はあくまでも公文書に使える漢字であって、民間企業を拘束するものではないことには注意が必要です。だから新聞記事に常用漢字以外を使っても良いわけです。例えば産経が常用漢字じゃないと嘆く鷹も「三鷹市」「若鷹軍団」(スポーツ新聞などで使われる表現)等の形で普通に使われています。
・それにしても「鷹」は除外されたって自他共に認める「鷹派」だけに残念だったのでしょうか(苦笑)

 そもそもなぜ国が漢字を規制する必要があるのかよく分からない。

・規制無しだと漢字の数はすさまじい分量になると思いますが。それを「辞書無しでみんなが読み書きできるようにする」というのは酷だし、「辞書を引きながら読み書き」では日常生活が面倒ではありませんか?
・そんなに規制がお嫌いなら永六輔先生みたいにメートル法の強制に反対なさってはどうですか?(民間企業は拘束しませんが公文書では尺貫法の使用は出来なかったと思います。)

 だがそれ以上に選定基準が「パソコンで変換が容易」「使われる頻度が少ない」と相変わらず実用本位なのが気になる。

 じゃあ、抄子は何を基準にせよと?