【産経抄】8月7日(追記・訂正あり)

実際に「脱漢字」や「脱ひらがな」が実現していたらと考えるとゾッとする。大多数の日本人が「古事記」も「源氏物語」も「坊っちゃん」も読めなくなっているに違いない。

 ローマ字による「古事記」「源氏物語」「坊っちゃん」が登場しただけだろ。過去の「漢字仮名交じり文」をおしゃかにしてローマ字化する事に意義があるとは思わないが、抄子の主張は意味不明すぎだ。
 まあ、それはともかく調査してその結果を政策に生かしただけGHQは珍性保守よりマシだよな。珍性保守は根拠レスででたらめな事やって、あげく収拾つかなくしますから。


 後の方で「脱原発も同じくらい無茶」と書いてるが逆だろ。未だに原発推進と言ってる方がよほど無茶だが。

【追記】
1)黙然日記「産経抄の古典観。」(http://d.hatena.ne.jp/pr3/20110807/1312726180)が突っ込んでいますが「古事記」「源氏物語」「坊っちゃん」全て我々は原文を読んでるわけではそもそもありません。今は使われない古語が使われる「古事記」「源氏物語」は当然ですが、「坊っちゃん」のオリジナル文章は「戦前の歴史的仮名遣い」ですから。

2)本日の産経SHOWと阿久根政界NOW「日本文化を原発なんぞと同列に語る反日勢力」(http://d.hatena.ne.jp/slapnuts2004/20110807)にもコメント。

残念なお知らせです。日本語のローマ字化をはじめに言いだしたのは明治期の日本人です。

ウィキペによると結構な著名人がローマ字論を一時的にであれ、唱えていますね。

参考

ローマ字論(ウィキペ参照)
 日本語の表記をローマ字とすべきだという主張、論。このように主張する人をローマ字論者という。類似の主張にカナ書き論(ひらがな論・カナモジ論)もある。
 1869年(明治2年)5月に南部義籌(よしかず)が「修國語論」を大学頭・山内容堂に、また明治4年8月に文部卿に建白し、明治5年4月文部卿に「文字ヲ改称スルの議」を建白したが、容れられなかった。明治7年に西周が「洋字ヲ以テ國語ヲ書スルノ論」をたててローマ字国字論をとなえたが、容れられなかった。
 1885年(明治18年)にローマ字を推進する団体として矢田部良吉、外山正一*1その他によって「羅馬(ローマ)字会」が創立された。ふたりのほかに、山川健次郎*2、北尾次郎、寺尾寿*3、松井直吉、隈本有尚が創立委員であった。明治20年ころには会員は7000をこえ、同年4月ローマ字書きの綱領が決定され、6月機関誌として「Rōmaji Zassi」が月刊された。
 羅馬字会はローマ字綴りとしてヘボン式ローマ字を採用したが、会員の一人で物理学者の田中館愛橘が、五十音図に基づくローマ字綴り(のちの「日本式ローマ字」)を提案。しかし会では採用に至らず、田中館は羅馬字会を離れた。ヘボン式と日本式との長い対立は、ここから始まっている。
 1905年(明治38年)、ローマ字論者の大同団結を図る組織として「ローマ字ひろめ会」(RHK)ができ、綴りは会員各人の自由とされた。しかしその後、会としてヘボン式を採用した。日本式論者は離れ、1921年(大正10年)「日本ローマ字会」を組織した。
 日本ローマ字会は日本式ローマ字の普及・推進活動を行なったほか、その出版部門「日本のローマ字社」(NRS、1909年設立)で会の機関誌『Rômazi Sekai(ローマ字世界)』や寺田寅彦『Umi no Buturigaku(海の物理学)』などのローマ字書き書籍を出版した。田中館の弟子で、田中館とともに日本ローマ字会の中心人物となった物理学者・田丸卓郎の著した『ローマ字国字論』は、戦前・戦後を通じて「ローマ字論者のバイブル」と言われる。
 戦後、日本ローマ字会と日本のローマ字社は分かれ、前者は京都を、後者は東京を本拠とする訓令式ローマ字の推進団体となった。1990年代、日本ローマ字会の会長に梅棹忠夫*4、日本のローマ字社の理事長に柴田武*5が就任。2団体の大同団結が図られ、合同大会が開催されるまでになった。

*1:東大文学部長、総長、第3次伊藤博文内閣文部大臣を歴任

*2:物理学者。東大、九大、京大の総長を歴任

*3:天文学者。日本天文学会初代会長

*4:民族学者。国立民族学博物館初代館長

*5:新明解国語辞典』編纂に携わった国語学者