【主張】姉と弟遺棄・親の無自覚ではすまない(追記・訂正あり)

 まともな指摘もありますが明らかにまともじゃない部分に突っ込み。つーか今日の産経の記事は他にも「安藤さん」とかまともじゃないのが多いんで他も後で突っ込む予定。

置き去りにしたのはすなわち未必の故意による殺人だ。

 警察は、殺人より故意の認定が容易な「保護責任者遺棄致死」で逮捕しています。安易に「未必の殺意」を認定するな。
 もちろん、安易に「未必の殺意」認定してる「世に倦む日日:保護責任者遺棄致死ではなく計画的殺人」(http://critic6.blog63.fc2.com/blog-entry-352.html)は最低だと思います。批判ブクマもついていますが。

女手ひとつの子育てが並大抵ではないにしても、あまりにも身勝手、無責任だ。

 「並大抵じゃない」と前段で言いながら、後段で全力で叩く。さすが産経(嘲)

まずは親になることの意味、親としての責任や自覚を促す教育が重要だ。

 はいはい親学乙。こんな時にも、忘れずにお仲間の宣伝ですか。営業熱心ですね(嘲)
 罪山罰太郎先生に改めて全力でdisられればいいのに。

【参考】
「俺の邪悪なメモ:産経新聞発達障害についての俗説を広め、偏見を助長しようとしている件について」
http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20100422/p1

少子化対策として「子ども手当」を支給するだけが国のやるべきことではない。

 「子ども手当」の是非はともかく、それで必要充分だなんて誰も言ってないから。
 藁人形叩きにも程がある。

【追記】
この件については「黙然日記:産経「主張」と弱者への視点」(http://d.hatena.ne.jp/pr3/20100801/1280674428)も取り上げています。

どんな理由からであれ、この母親の罪は重大です。しかし、「あまりにも身勝手、無責任だ。親の自覚も愛情のかけらも感じられない」と、簡単に断罪することで、なにか解決するような問題なのでしょうか。現実に起きた出来事を、現実に解決すべき問題ではなくパターン化した「出来事」として、単なる自説の補強材料ととらえてはないでしょうか。
 「まずは親になることの意味、親としての責任や自覚を促す教育が重要だ」。そういう問題じゃないでしょう。2年前までは愛情あふれる母親だったという報道があります。やりすぎが危惧されるほどに(いまどき布おむつってねぇ)子供に愛情を注ぎこんでいた母親が、離婚によっていきなり生活と育児を一人で背負うことになってしまい、その過負荷がいわゆる育児ノイローゼを招いたと、いまのところ見られていますが、そうした状態の親に対するケアこそ必要なのであって、ただ責めればいい、教育のせいにすればいいというものではありません。

こういう視点が「世に倦む日日」(←司馬遼太郎に失礼だと思う)のテッサロニケ先生には全くないのは実に不愉快です。まあ、陰謀論発動するとか「それ以前の方」ですが。
 大体、マスコミ報道をネタに母親に「未必の殺意」認定しながら、マスコミ陰謀論を唱えるなんて普通の人には出来ない(苦笑)。