【主張】全国学力テスト・全員参加に戻し競い合え

 前もdisりましたけど、学力テストの目的は自民党政権がテストをスタートさせた時点から「学力の把握」であって「競い合うこと」じゃないし、実際、学校や生徒は競い合ってなどいません(各都道府県が自県の順位を上げようとする動きはあるようですが)。だから都道府県単位でしか結果発表されず、テスト結果のデータも子どもや学校に戻らないわけです。競い合う事が目的じゃないから「全数調査」でなくて「抽出調査」でいいわけです。実際、前も書きましたが、自民政権時代から、「アニメの殿堂は金のムダ」と言ったあの河野太郎氏などが金の節約になるから、抽出調査で良いじゃないと批判していました。
 社説は話の前提がおかしすぎ。
 大体、テストで競い合わなきゃ学力向上できないんですか?。テストで競い合う必要があるとして「全校テスト」や「全市テスト」「全県テスト」じゃダメなんですか?(蓮舫の口調で)
 しかもウィキペディア「学力テスト」にも書いてありますが、この調査は小6と中3だけが対象ですし、自民政権時代から参加は義務ではないので、私立校の参加は6割にとどまっています。エリート校が多い私立校の方々は、自分たちがエリートであることはわかりきっているのでバカバカしくて参加できないと言うことでしょうか?。それはともかく、要するに産経の言い分を認めるとしても学力テストは万能の道具ではそもそもないって事です。
 なお、この問題については「今日行く審議会@はてな」(http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/)のエントリが参考になると思います。

記述式問題が苦手な傾向は変わらない。

 「択一は得意なのに記述式は苦手」「答えが一つしかない問題(数学の方程式の解とか)は得意なのにそうでない問題は苦手」なんてのは私が子どもの時から、日本の子どもの特徴として有名な話で「詰め込み教育、暗記主義の弊害ではないか」「日本人は安全志向でアグレッシブさに欠けるのではないか。質問のある方といっても質問したがらないのと同じような理由ではないか」(記述式は択一と違って外す危険性が高いですから)とかいろいろ言われてました。
 暗記勉強で択一はある程度出来ますけど記述はそういう訳にいきません。また択一の場合は消去法(明らかに間違ってる奴を潰していって残ったものを正解にする)が使えますが記述はそれが使えません。
 そして詰め込み教育は割と楽ですが、想像力を伸ばす教育なんてのは難しいですからね。もちろん「択一も出来ない」「暗記勉強もしない」のよりはましですが。
 ちなみにこうした詰め込み教育批判を背景の一つにしたのが、いわゆるゆとり教育でしょう。

敬語で「申す」と「おっしゃる」の区別がつかない中学生が目立つ

 大人でも敬語の区別ができない人はいます。だからこそ冠婚葬祭やビジネスのマナー事典には敬語の使い方が載ってるわけです。ちなみに「申す」は自分に用いる謙譲語、「おっしゃる」は相手に用いる尊敬語です。

夏目漱石の『吾輩は猫である』の「羊の御厄介になったり、蚕のお世話になったり」という衣服を着ることを例えた表現が分からない生徒も少なくない。

 「羊のご厄介」(羊毛、ウール)はともかく、「蚕のお世話」(生糸、絹)なんて今の子どもに分かるわけないじゃないですか?
 今時、蚕を飼ってる農家がどこにあるんですか?。私だって知識では知っていますが本物の蚕なんてみたことはありません。
 それに子ども時代にそんなことを分からなきゃいけない必要が今の時代にあるんですか?(再度、蓮舫の口調で)

文豪の作品に親しまない弊害

・そんなことのために無理して文豪の作品に親しむ必要もないと思います。私も含めて文豪の作品が好きじゃない大人はいくらでもいるでしょう。大体、「吾輩は猫である」をきちんと読んだ大人ってどれだけいるんですか?
・そもそも文豪の作品に親しんだってそんなことは分かりません。
 例えば漱石の「坊ちゃん」には
「うらなりの送別会でのうらなりに対する扱いに腹を立てた坊ちゃんがもう帰りましょうとうらなりを帰らせる」
「まるで日清談判だと酔っぱらった野だいこが坊ちゃんに絡む」
「短気な坊ちゃんがやかましいわ、と野だいこを張り倒す」と言う話があったと思いますが、「日清談判」の意味なんか「坊ちゃん」をいくら読んでも分かりませんし、分からなくても坊ちゃんのよく言えば熱血漢、悪く言えば瞬間湯沸かし器ぶりが面白い(この部分は「日清談判ならお前はチャンチャンだ」(坊ちゃんの野だいこへの罵倒)とか、明治時代の漱石作品だから仕方ないけどこれは今の時代だと明らかに差別発言だろう?、って部分ですが)。

なお、読売新聞も似たり寄ったりの社説を書いてるようです。いちいち突っ込みませんが全くもう(呆)。読売の産経化が酷いな。読売と産経の上層部から何が何でも民主を叩けという指示が、「天の声」で出てるんでしょうか(苦笑)

読売「全国学力テスト・「抽出」で失った貴重なデータ」
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20100801-OYT1T00595.htm

一方、東京新聞
東京「学力テスト・存廃含めて再検討を」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2010073102000096.html

タイトルだけでも、読売、産経よりは「少なくともマシ」と分かります。廃止も含めてゼロベースで検討ですからね。根拠もなく全数調査とか言う両紙よりはマシです。全国紙の方が地方紙よりレベルが低いんだからやれやれ(苦笑)。