「砂の器」雑感(ネタバラシあり)

 まあ、映画も小説も「砂の器好き」の小生ですがよく考えるとアレ、ミステリーとしての基本設定がおかしいですよね。
 いくら「実の父親(加藤嘉演じる本浦千代吉)」や「実の父親に近い存在(緒方拳演じる三木謙一元巡査)」だからって、何年もあってない成人した人間(加藤剛演じる和賀英良こと本浦秀夫)を「子どもの頃しか知らない人間」が分かるとは思えないし、ましてや「そのことに丹波哲郎演じる今西刑事が気付く」てのはねえ。たとえば「北の国から」「寅さん」で子役として登場した吉岡秀隆とか「子役から大人の俳優になった人」が何人か*1いますが、「子役時代と成人した今と比べて分かるか」といったらまあ、「面影があると言われればあるような気もします」けどね(苦笑)。
 なお、そこを「強引な力業」で違和感を感じさせず*2見せてしまう所は「作家・松本清張」「映画監督・野村芳太郎*3」「俳優・丹波哲郎」らの腕の見せ所という所でしょうけど。

*1:小生が知ってるのでは杉田かおる安達祐実

*2:正直違和感は感じますが「加藤嘉丹波哲郎の演技」などで号泣してると、ある意味どうでもよくなります。

*3:砂の器」(1974年)以外にも清張作品として「張込み」(1958年)、「ゼロの焦点」(1961年)、「影の車(原作は清張小説『潜在光景』)」(1970年)、「鬼畜」(1978年)、「わるいやつら」(1980年)、「疑惑」(1982年)、「迷走地図」(1983年)を監督している。