「砂の器」と国語研(一部ネタばらしがあります)

 以下はいずれもかなり古い記事ですが、個人的にはなかなか面白いと思うので一応紹介しておきます。

砂の器
■吉村刑事
 カメダカと読むんですかね。 
■今西警部補
 うん、国語研究所の桑原さんにね、念を押したんだがね。そしたらね、カメダケかもしれないけど、そんなことはどうだっていいってよ。というのはだね、ズーズー弁っていうのは、語尾がはっきりしないのが特徴なんだそうだ。だから、カメダケにしてもカメダカにしても、ズーズー弁の人が発音するとね、我々の耳には、カメダに聞こえるって、カメダだよ。
■吉村刑事
 ハッハッハッハ、お手柄ですね。

https://www.ninjal.ac.jp/archives/event_past/forum/24/kiroku_24.pdf
■司会
 1973 年ごろ公開された松本清張氏の原作の映画,『砂の器』の中で,国語研で方言の解説を受ける場面があり印象深くしておりますが,これについて何かエピソードがあればお聞かせいただきたくお伺いいたしますということなのですが,(中略)当時,方言の研究員でいらっしゃいました東京女子大学教授の佐藤亮一先生,ちょっとそのあたりのエピソードがあればお聞かせください。お願いいたします。
■佐藤
  佐藤亮一と申します。今*1から約35 年前,私が35 歳の時に,私は国語研究所に入ったのですが,その頃でしょうか,31 歳か32 歳の頃に,国語研究所で『砂の器』のロケーションが行われました。1日かけて行われました。この建物の前の,古い建物だったのですが,その『砂の器』、ご存じの方も多いと思いますが,殺人事件が起こり,犯人らしき人が「ズーズー弁」を話していると。「ズーズー弁」が実は東北地方だけか他にもあるのかよく分からない。そこで,当時の刑事役をした,丹波哲郎ですが,丹波哲郎が国語研究所を訪ねてきて,「ズーズー弁」はどこにあるかということを研究員に聞く。
 そうすると東北だけではなくて島根県の出雲地方も「ズーズー弁」なんですよと研究員が教える,という場面があるわけです。そのロケーションになって監督が視察に来たときに,私が説明しました。私が監督から気に入られてぜひ出演してほしいと言われて,私は喜んで出演することを決めて,シナリオをいただいて練習したのですが,残念ながら当時の所長,岩淵悦太郎*2先生に出演してもいいかというふうに伺いましたら,岩淵悦太郎先生は芸能人がお嫌いで,研究者がとんでもない,映画なんか出るものではない,と大変怒られまして,とうとう出ることができなかった,というのがエピソードです。
 あの『砂の器』は素晴らしい映画でビデオでも発売されておりますし,ぜひ御覧になっていただきたいと思います。

松本清張の「砂の器」を歩く (東京編)2004年1月10日
国立国語研究所
 東北弁と”カメダ”という言葉をたよりに、秋田県由利郡岩城町亀田を訪ねますが成果を挙げる事はできませんでした。そこで、東北弁とおもわれる”カメダ”の言葉自体を調べるため、都内の国立国語研究所を訪ねます。
「…今西栄太郎は、都電で一ツ橋に降りた。暑い盛りを濠端の方に歩くと、古びた白い建物があった。小さな建物である。「国立国語研究所」の看板がかかっている。……
「出雲のこんなところに、東北と同じズーズー弁が使われていようとは思われませんでした」
 今西はうれしさを押さえて言った。……今西は技官に送られて国語研究所を出た。ここまで来たかいはあったのだ。いや、期待以上の収穫だった。今西の心はおどっていた。被害者「三木謙一」は岡山県の人間である。出雲とは隣合わせの国だ。…」。
 映画では、本物の国立国語研究所を訪ねています。現在は北区西が丘にありますが、昭和35年当時は千代田区一ツ橋一丁目(共立講堂の道を挟んで皇居より)にありました(現在は学術総合センター)。ですから、本の書かれた時は、”一ツ橋”で、映画の頃は、”西が丘”というわけです。けっこう真面目な撮影をしている映画です。
<内外地図>
 一ツ橋の国立国語研究所を出ると、今西刑事(丹波哲郎)は出雲の地図を買い求めに本屋街の神保町方面に向かいます。
「今西は都電に乗る前に、近くの本屋に寄って、島根県の地図を求めた。彼は本庁に帰るのも間遠しく、本屋のすぐ隣の喫茶店に飛びこんだ。ほしくもないアイスクリームを頼んで、地図をテーブルの上に広げた。今度は、出雲から「亀」の字を探すのである。……「亀嵩」とあるではないか。「かめだか」と読むのであろうか。今西は瞬間ぼんやりした。あんまり造作なく期待どおりのものがすぐ出てきたのである。この亀嵩の位置は、鳥取県の米子から西の方に向かって宍道という駅がある。そこから支線で木次線というのが、南の中国山脈の方に向かって走っているのだが、「亀嵩」はその宍道から数えて十番目の駅だった。…」。
 東北弁の”カメタ”がこれで解決します。(ボーガス注:映画撮影当時(1974年)の)国立国語研究所のある西が丘からは、地図を買う「内外地図」のある神保町はかなり遠いです。(ボーガス注:原作発表当時(1960年)の国語研のある)一ツ橋ならすぐ傍になります。原作の時代と、撮影した時とのギャップがあり、そのための距離感は埋められませんね。

■国語研の窓第19号(2004年4月1日発行)
表紙のことば「旧一ツ橋庁舎を訪ねて」
 ところで,松本清張の小説『砂の器』には国語研究所が登場します。最近,(ボーガス注:TBS日曜劇場で)新たにテレビドラマ化されたので御存じの方もいらっしゃるでしょう。
 物語は殺人事件から始まります。刑事の今西は,目撃証言で得た東北弁と「カメダ」という言葉を手がかりに,秋田県亀田を訪ねますが成果を挙げることができません。そこで,国語研究所を訪ね,出雲(いずも)の音韻(おんいん)が東北方言のものに似ていることを知り,島根に亀嵩(カメダケ)という地名を発見するのです。
 先ごろ放送されたドラマでは,現庁舎が撮影に使われました。昭和49年に映画化されたときは,現在地に建っていた旧庁舎での撮影でした。
 さて,原作では次のようにあります。
「今西栄太郎は,都電で一ツ橋に降りた。暑い盛りを濠端(ほりばた)の方に歩くと,古びた白い建物があった。小さな建物である。「国立国語研究所」の看板がかかっている。」
 原作が書かれたのは昭和35年。研究所は当時,神田一ツ橋の一橋大学所有の建物を借用していました(現在は学術総合センターが建っています)。

 ちなみに国語研(国語研究所)ですがウィキペディアに寄れば

■1948年12月20日国立国語研究所が文部省の機関として発足。設置場所は東京都新宿区の明治神宮聖徳記念絵画館内。
■1954年10月1日:東京都千代田区の旧・一橋講堂(現・学術総合センター所在地)内に移転(ボーガス注:清張が小説を発表した当時の所在地)。
■1962年 4月1日:東京都北区稲付西山町(現・西が丘)の旧・駐留米軍接収地に庁舎を建設し、移転(現在はナショナルトレーニングセンターの宿泊施設アスリート・ヴィレッジの所在地)(ボーガス注:映画が撮影された頃の所在地)
■2005年 2月1日:東京都立川市緑町に移転。

と所在地が何度か移転しています。

あきた時評2004.2.21
 松本清張原作の「砂の器」がドラマ化され、TBS系列で放映中である(主演・中居正広=犯人役)。先月の末、東京の国立国語研究所の知り合いから、電子メールがあった。放映中の「砂の器」に、国語研に勤めるMさんとYさんが刑事役の渡辺謙と共演している様子が映し出される可能性があるので、ビデオを用意して、という内容だった。
 「砂の器」は、方言が犯人捜しの手がかりとなる推理ドラマである。まず、東京で殺人事件が起きる。「被害者の男の言葉が東北弁だった」「被害者と犯人らしき男の会話の中に『カメダ』という言葉が聞き取れた」という証言が得られる。
 刑事は秋田県の亀田(岩城町*3)に捜査に向かうが、手がかりは得られない。その後、被害者の男の出身地が岡山県であったことが判明する。中国地方で東北弁が話されている地域はないのか。刑事は国立国語研究所に出向き--と、ここで作業机に向かうMさんとYさんの姿が一瞬画面に映る--東北弁とよく似た出雲弁の存在を知る。果たして、島根県仁多町*4亀嵩(かめだけ)という地名があり、被害者の男はかつて、巡査としてその地に勤務していたのだった……。
 東北弁と出雲弁でよく似ているのは発音である。どちらの方言も、イとエを混同したり、シとスを混同したりする。ただし、カ行・タ行音が濁音化したり、本来の濁音が鼻にかかった発音になったりという東北弁の特徴は、出雲弁には見られない。文法や語彙(ごい)については、東北弁は東日本方言的、出雲弁は西日本方言的な特徴を持つ。というわけで、東北出身者が出雲弁を聞いても、東北弁だと思うことはないと思われる。ただし、東北地方や出雲地方以外の人が聞けば、出雲弁が東北弁に聞こえるということはあるだろう。

出雲弁保存だそうです。 ( 島根県 ) - Why don't you use the spincast? - Yahoo!ブログ
 東京で起きた殺人事件を捜査する刑事が手がかりにしたのが、被害者がバーで話した「ズーズー弁」だった。松本清張の小説「砂の器」は、内容はもちろん、その発想、展開、驚きの結末などミステリーの醍醐(だいご)味を伝える傑作だ。そこに重要なカギとして登場するのが方言の出雲弁。今回、その出雲弁の調査を国立国語研究所(東京都)が実施した。背景には、日常生活で出雲弁が消滅の危機にあるからだという。
■初の本土調査
 国語研は、消滅が懸念される方言の研究や記録をする「危機方言プロジェクト」を展開中。プロジェクトでは平成22年度から、沖永良部島(鹿児島)や宮古島(沖縄)など離島の方言を調べてきた。
 出雲弁の調査もその一環だが、本土では初めての実施となる。
 島根県教育委員会などによると、戦後、核家族化で若い世代が出雲弁を話す高齢者と接することが少なくなったほか、テレビの普及で共通語が一般的になり、日常で使われる機会が減少。方言を調べている国語研に昨年、県教委が相談、実現の運びとなった。
■東北弁との類似
 「砂の器」では、東京の殺人事件で、被害者がバーで会った男に「ズーズー弁」で話していたことが捜査の手がかりとなった。しかし、刑事は当初、それを東北弁と思い込み、物語は意外な展開をみせる。
 小説にもあったように、出雲弁は東北弁との類似が早くから指摘されている。
 昭和初期の作家、田畑修一郎は著書「出雲・石見」の中で「出雲の方言は、東北のそれに似てゐる」と語っている。田畑は出雲の隣の石見の出身(現益田市)だが、出雲弁を聞くたびに「何か遠い異国のやうに感じた」(同書)とし、「今日でも最も出雲的なものは何かと云へば、この出雲弁を挙げることができる」(同書)とまで言っている。
■保存、伝承に期待
 8月18~21日、国語研の研究員ら約25人は島根県安来市雲南市、奥出雲町、出雲市の4地域で、出雲弁を話す60~80代の40人に単語や文章を読んでもらい、音声と筆記で記録した。
 今後、言葉やアクセントなど特徴を分析、27年度に報告書をまとめる方針だ。
 国語研の木部暢子*5副所長は「本土の方言も消滅の心配がある。方言を伝えようとする地元のお手伝いになれば」とし、出雲弁保存会の藤岡大拙*6会長は「学術的な調査が始まってうれしい。再現の手だてになる」と保存、伝承への期待を示した。

田畑修一郎『出雲・石見』 : 水郷松江噺
 田畑修一郎は、明治36年に美濃郡益田町、現在の益田市で生まれた。県立浜田中学校から早稲田第一高等学院文科、現在の早稲田大学文学部に入り、宇野浩二に師事した。昭和13年に最初の小説集『鳥羽家の子供』を出して、その年の芥川賞候補作となる。その後、幾つかの作品を発表し、昭和18年に亡くなった。
 作品のひとつに『出雲・石見』というのがある。昭和18年に小山書店から発行され、現在はハーベスト出版のものが手に入る。内容は、題名通り出雲と石見のことが書いてある。
 田畑は方言についても触れる。
 『出雲の方言は、東北のそれに似てゐる。しかし、東北弁が地方によって多少の差はあるにしても、かなり広汎な地域にわたってゐるのにくらべると、出雲のそれは周囲とかけはなれてぽつんと存在するのであり、いはゆる中国弁と称される瀬戸内海方言には属してゐないのである。』と。これは松本清張の「砂の器」でも、使われた論である。

「砂の器」で脚光の出雲弁を本格調査 国立国語研が録音、分析へ - 産経ニュース
 独特の方言で「ズーズー弁」ともいわれる出雲弁について、国立国語研究所(東京都)が17~21日、島根県内で現地調査を行う。松本清張の小説「砂の器」で事件の謎を解くカギになるなど脚光を浴び、東北の言葉との類似性などの特徴が指摘されてきた出雲弁。貴重な言葉の本格研究で、さらなる特徴の分析や保存、伝承への動きが進むことなどが期待されている。
 同研究所の「危機方言プロジェクト」の一環。平子達也*7日本学術振興会特別研究員ら25人が、安来市広瀬町▽奥出雲町▽雲南市木次町出雲市斐川町-の4カ所で聞き取りを行う。

https://www.hirakota.com/
 背景の写真は,私が方言調査を行っている島根県仁多郡奥出雲町にある出雲八代駅(JR木次線)のホームからの写真です。奥出雲は,松本清張の小説「砂の器」の舞台となる地です。この出雲八代駅も,1974年公開の映画では「亀嵩駅」として登場します(本当の亀嵩駅は別にあります)。

亀嵩駅ウィキペディア参照)
 松本清張の小説『砂の器』に登場した。ただし、映画版(1974年)で撮影されたのは、同じ木次線だが、ホームは出雲八代駅、駅舎は八川駅だった。川又昻カメラマンによれば、亀嵩駅を使わなかった理由は「そばの看板が邪魔になったのと、崖が迫っていてカメラが引けなかったから」だという。
 なお、2004年(平成16年)のテレビドラマ版(TBS)では山口線篠目駅、2011年(平成23年)のテレビドラマ版(テレビ朝日)では信楽高原鐵道雲井駅が亀嵩駅として使われた。1977年(フジテレビ)と2019年(フジテレビ)のテレビドラマ版のみ、実際の亀嵩駅が使われ、今西刑事役の仲代達矢(1977年)、東山紀之(2019年)が駅舎から出てくる場面がある。

*1:2004年のこと

*2:1905~1978年。著書『悪文:伝わる文章の作法』(角川ソフィア文庫)、『語源散策』(河出文庫)、『日本語を考える』(講談社学術文庫)など

*3:2005年に市町村合併由利本荘市になった。

*4:2005年、横田町と合併し、奥出雲町となった。

*5:著書『西南部九州二型アクセントの研究』(2000年、勉誠出版)、『じゃっで方言なおもしとか』(2013年、岩波書店

*6:島根県立大学短期大学部名誉教授。著書『島根地方史論攷』(1987年、ぎょうせい)、『出雲学への軌跡』(2013年、今井書店

*7:https://www.hirakota.com/aboutmeによれば現在の平子氏は南山大学講師