今日の朝鮮・韓国ニュース(2020年5月19日分)

◆朝鮮新報〈本の紹介〉檀一雄著「夕日と拳銃」を読む/卞宰洙

〈本の紹介〉檀一雄著「夕日と拳銃」を読む/卞宰洙
 檀一雄は、東京大学経済学部を卒業後、詩人で小説家の佐藤春夫に師事。小説家の太宰治坂口安吾らと親交を結び、51年に「真説石川五右衛門」などで直木賞を受賞して、作家としての地歩を占め、その作家的資質は、日本浪漫派精神の嫡流とうたわれた。
 参考までに「夕日と拳銃」は、56年に佐伯清の演出で東映が映画化した。

◆『夕日と拳銃』(ウィキペディア参照)
 1956年9月18日に東映で公開された日本映画。原作は檀一雄*1の小説で、後にTBS系列でドラマ化(1964年、工藤堅太郎主演)されている。

 で、何故、壇『夕日と拳銃』(現在は角川文庫、河出文庫で入手が可能)が朝鮮新報(朝鮮総連機関紙)で取り上げられているのかというと、朝鮮新報記事の本文を読めば分かりますが、この小説(そして映画)の主人公は伊達順之助をモデルとした伊達麟之介(演・東千代之介*2)ですが、金日成(演・波島進)が脇役として登場するからです。
 そして、映画『夕日と拳銃』(1956年、東映)で金日成を演じた波島は

 波島進(1922~1995年:ウィキペディア参照)
◆花と竜(1954年、東映
  主演(玉井勝則(火野葦平)役)
姿三四郎(1955年、東映
  主演(姿三四郎役)

という当時の「二枚目スター俳優」ですから当然、好意的に描かれてるでしょう(見ないとなんとも言えませんが)。
 とはいえ別に檀一雄や、佐伯清(映画『夕日と拳銃』の監督)が北朝鮮に政治的に共感してるわけではないでしょうが(あくまでも主役は伊達麟之介ですし)。ただし一方でこの頃は「二枚目スターが金日成をかっこよく演じようが別に問題にされない時代」だったわけです。
 なお、ウィキペディア佐伯清』によれば彼の代表作は高倉健主演の『昭和残侠伝シリーズ』(1965~1972年、全9作)だそうです。
 何というか『夕日と拳銃』を見たくなってきました。
 何せこの映画、

◆夕日と拳銃(ウィキペディア参照)
・伊達時宗(伊達麟之介の祖父。宇和島藩主だった伊達宗城がモデル。ただし実際の伊達宗城は1892年に死去し、一方、実際の伊達順之助は1892年生まれなので、この映画のような状況(伊達時宗が伊達麟之介の親代わりの存在)はあり得ません):加藤嘉
・山岡厳山:小沢栄太郎
・山岡慎太郎高倉健*3
・日笠団蔵:花澤徳衛
・王鳳閣:千田是也*4

と意外にも日本を代表する名優が名を連ねています。

*1:1912~1976年。1951年(昭和26年)「長恨歌」「真説石川五右衛門」の2作にて直木賞を受賞。エッセイストの檀太郎(1943年生まれ)は長男。女優の檀ふみ(1954年生まれ)は長女。著書『小説・太宰治』(岩波現代文庫)、『太宰と安吾』(角川ソフィア文庫)、『花筐』(光文社文庫)、『火宅の人』、『リツ子その愛・その死』(以上、新潮文庫)、『青春放浪』(ちくま文庫)、『檀流クッキング』、『美味放浪記』、『わが百味真髄』(以上、中公文庫BIBLIO)、『真説石川五右衛門』、『新説国定忠治』(以上、徳間文庫)など

*2:1926~2000年。代表作として映画『赤穂浪士』(1956年、浅野内匠頭役)、『鞍馬天狗』(1956~1959年、鞍馬天狗こと倉田典膳役)、『水戸黄門』(1957~1960年、佐々木助三郎役)、『赤穂浪士』(1961年、堀部安兵衛役)、TBSドラマ『忠臣蔵』(1990年、吉良上野介役)など(ウィキペディア東千代之介」参照)

*3:1931~2014年。1963年に『人生劇場 飛車角』で高倉は準主役に抜擢された。これ以降、仁侠映画を中心に活躍。1964年から始まる『日本侠客伝シリーズ』、1965年から始まる『網走番外地』シリーズ、『昭和残侠伝シリーズ』などに主演し東映の看板スターとなる。しかし、1973年には『仁義なき戦い』がヒットすると、東映の岡田社長は「高倉健任侠映画はしばらく止める」と実録ヤクザ路線に変更したため、高倉と東映の関係は悪化。高倉は1976年に東映を退社する。フリー転向後、1977年に『八甲田山』、『幸福の黄色いハンカチ』の2作品に主演し、第1回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞と、第20回ブルーリボン賞主演男優賞のダブル受賞に輝いた。これによって長年のヤクザ俳優イメージからも脱却する。その後も映画『動乱』、『遙かなる山の呼び声』(1980年)、 『駅 STATION』(1981年)、『鉄道員(ぽっぽや)』(1999年)で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。また、1998年に紫綬褒章、2006年に文化功労者、2013年には文化勲章を受章(ウィキペディア高倉健』参照)。

*4:1904~1994年。1944年、東野英治郎小沢栄太郎青山杉作らと俳優座を創立、亡くなるまで俳優座代表を務めた(ウィキペディア千田是也」参照)。