昔は農集電話(農村集団自動電話)があった(2023年10月30日記載)

 しばらく前、うちの親父(団塊世代)と話をしてたら「この辺は田舎だったから」「今はスマホだもんなあ、随分と変わった」として、そういう話が出てきたのですが、さすがに「はあ?」ですね。俺(1970年代生まれの団塊ジュニア)がこどもの頃はさすがに個別電話でしたので。まあ都会に住んである方なら、ご年配の方でも最初から「個別電話」だったかもしれませんが。
 「農集電話」が何かは後でググってヒットした記事を紹介しておきます。勿論こういう時代には今では当たり前となった「電話世論調査」「テレホンショッピング」は成立しません。
 まあ高齢者(?)と話をしてると、「今と違って安価なプリンターなんかないから、昔は会社や役所の公的文書も手書き(ガリ版)だった」とか驚き(?)の事実を知らされることがあります。

【参考:農集電話(農村集団自動電話)】

農集電話のあった頃 | 目次 | I ♡ NISHITA
 昭和30年代頃まで、(ボーガス注:福島県郡山市)西田町ではまだ電話がそれほど普及していませんでした。
 電話機があるのは商店や産婆さんなど、限られた一部の家だけで、電話がない家の方が多かったそうです。
 映画『となりのトトロ』の中で、サツキが隣の家に電話を借りに行ったように、用のあるときには電話のある家に行って、使わせてもらいました。
 昭和40年代(1965〜)には農集電話(農村集団自動電話)が普及しました。
 これは、一つの電話回線を5〜10軒ぐらいで使うもので、普通の電話よりも料金が安かったのです。
 けれど、どこかの家で電話をかけているときには、他の家では使えませんでした。

ガラケーで十分 農集電話の時代もあったのです | 田舎のブログ - 楽天ブログ
 家に最初においた電話は、農集電話、昭和40年代始めです。
 5軒位の共有回線の電話でした。
 その5軒の1軒の家の方が話をしていると電話が掛けられなく、また家の電話を使っていなくても、家に電話をかけた相手には話し中になってしまうのです。
 それに、受話器を持つと話がすべて聞こえてくるのですね。それでも電話があると嬉しかったものです。

農集電話: 居酒屋 『夢』
 今では、信じられないかもしれませんが、普通の家に電話機が有るなんて考えられない時代がありました。
 昭和40年代の事になりますが、当時の電電公社が、電話機の普及を促進するために「地域団体加入電話」というモノを全国規模で展開していきました。
 私の住んでいる山村でも、この集合電話に加入する事になって、一般には「農集電話」という名前で呼ばれました。
 この「農集電話」というのは、近所同士が数件から10軒程度集まってグループを作り、そのグループ単位で電話機を取り付けていくもので、当時高額だった電話加入権も格安となり、この「地域団体加入電話」により、日本全国に急速に電話機が普及していきました。
 ただ、この「農集電話」ですが、格安だった事もあり、今では考えられない不都合な事がいろいろとありました。
 グループ単位で加入していますから、グループによる制約もありました。私の村ではだいたい10軒単位でグループができていましたので、同じグループ内に10軒の加入者がいます。
 このグループというのは、今風にいうと「内線」でつながっている子機どうしといえば感じがわかって頂けるのではないか。
 グループ内の電話はかけ方も特殊で、ちょうど「内線」で話している感じになります。それで、受話器を上げると、時々グループ内で話している電話の内容がそのまま聞こえてくる事がありました。
 もちろん、グループ外にかける事もできるわけで、その場合には普通に相手の電話番号をダイヤルすればいいのですが、グループ内の誰かが電話を使っていると、自分は電話をかける事ができないという不便なモノでした(苦笑)
 それでも、自分の家に電話機があるというのは当時としては画期的な事だったので、しばらくは有り難く使っていたわけですが、人間、便利な事に慣れてしまうと、それまでの電話の無かった生活の事は忘れてしまって、こんな不便な電話では使いづらいという事で、10年くらいすると農集の電話機を買い上げる家が増えていきました。