当たり前のことだが「希望通りに生きられないのが人生だ」と思う(2023年10月31日記載)

 小生が理解に苦しむのは、
1)北朝鮮相手に妥協を否定する家族会(例えばこんなしらじらしいことを堂々と警察に言われて、拉致被害者家族会はよく怒らないものだ - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)参照)
2)自民批判派を自称しながら、「最大野党立民党」が野党共闘せずに独力だけでは自民と選挙でまともに戦えない現状においては「共闘せざるをえない共産党」を悪し様に罵る広原盛明やid:kojitaken、inti-sol氏(例えば今日も「カス駄犬」「クズ駄犬」「クソ駄犬」こと「エダシン(枝野盲従分子、枝野信者)」kojitakenに悪口する(2023年10月30日記載) - bogus-simotukareのブログ参照)ですね。
 1)について言えば、妥協せずして拉致解決は無理でしょう。
 2)について言えば「礼節を持った適切な批判」ならともかく広原らの行為はとてもそうは言えないでしょう。しかも悪口する広原らが「共産に比べて政治的成果を上げてるか」と言えば勿論そうでないから滑稽です。 
 さて最近読んだ以下の「芸能記事」も「希望通りに生きられないのが人生だ」の一例でしょう。
 小野氏の希望「できれば『前略おふくろ様』第1シリーズ(1975~1976年)に出たい、高齢で何時なくなってもおかしくない名優・田中絹代と一度でいいから共演したい」はかないませんでした(但し前略おふくろ様 - Wikipediaによれば田中が出演した『前略おふくろ様』第2シリーズ(1976~1977年)には小野氏は出演)。まあ、それでも「俳優として成功した小野氏」は「俳優を断念した人間」よりは幸せですが。

小野武彦、黙ってやり通して57年 「シェアの法則」で映画初主演 - 産経ニュース2023.10.29
 昭和の大スター、石原裕次郎へのあこがれから俳優になった。
 「それまでの俳優とは全然違った。14歳の頃から裕次郎さんに夢中でした」
 自宅から自転車で10分のところに日活の撮影所があり、裕次郎にひと目会いたいと待ち伏せをしたが、撮影所の中に入ったほうが早道だと考え、エキストラのプロダクションに登録したほどだった。
 劇団「俳優座」の養成所を出て劇団「文学座」に入り、女優の長岡輝子*1が演出したウジェーヌ・イヨネスコの戯曲「犀」に23歳で出演したのがプロの俳優としての最初の一歩。
 順調に踏み出した俳優生活だったが、NHK大河ドラマ勝海舟」(昭和49年)に出た*2後から、どういうわけか、パタッと仕事がなくなった。
 俳優を辞めようとしたとき声をかけてきたのが、「勝海舟」を手掛けた脚本家、倉本聰(88)だった。
 倉本は、小野に、(ボーガス注:倉本が脚本を務める)萩原健一主演の青春ドラマ「前略おふくろ様」と渡哲也主演の刑事ドラマ「大都会 闘いの日々*3」のどちらに出たいかと問いかけた。
 「大都会」はあこがれの裕次郎が設立した石原プロモーションの作品だったが、小野は「前略おふくろ様」を選んだ。田中絹代が出演するというので、この名女優となんとしても会いたかった。
「(ボーガス注:1934年生まれの)裕次郎さんや(ボーガス注:1941年生まれの)渡さんとは別の機会に共演できそうだけど、(ボーガス注:1909年生まれの)田中さんにはいますぐお会いしたい。そう思ったんですね。実際、田中さんは、それから3年ほどで亡くなってしまった」
 「あ、そう」。
 (ボーガス注:裕次郎ファンである)小野の選択に意外そうな声で答えた倉本から3日後、電話がきた。「ごめん、哲(渡のこと)のほうじゃだめ?」という。
「だめどころじゃないですよね。これで首がつながった。俳優を辞めずに済んだ」
 その後も名作ドラマ「北の国から」など倉本からはしばしば声を掛けられ、こんどはこれを見た脚本家の市川森一に呼ばれた。西田敏行(75)主演の人間ドラマ「港町純情シネマ」(55年)や、同じ西田の「淋しいのはお前だけじゃない」(57年)だ。
「倉本さんに拾っていただき、そこからの流れは、ゾッとするぐらいの奇跡。ただ運がよかったんだと思います」
 振り返って小野には、折に触れて思い出すせりふがあるという。脚本家の山田太一(89)が書いた青春ドラマ「ふぞろいの林檎たちⅡ」(昭和60年)出演時のもので、こんな言葉だ。
「世の中、やりがいがぎっしりつまった仕事なんて、100万に一つよ。だからといって次々辞めてりゃあ、一生辞めて歩かなきゃならねえ。意味のねえ苦労でも、やりがいのねえ仕事でも、黙って立派にやり通す人間になるんだ」
 黙ってやり通して、デビュー57年の映画初主演だ。

*1:1908~2010年。1983年、NHKおしん』で加賀屋の大奥様・八代くに役で出演したことで一般に知られることになった。晩年は高齢になったこともあり、活動の主体を演劇から朗読に移していた。宮沢賢治の童話と詩を岩手の方言で読む朗読会を続け、2003年、その功績で菊池寛賞を受賞。2008年12月の舞台「キングオブキングス」へ「録音による声の出演」をしたのが最後の仕事となった。2010年、老衰のため死去。102歳という年齢は、当時存命の女性芸能人のなかで最高齢であった。

*2:幕臣・春山弁蔵役(但し、当時の芸名は黒木進)

*3:『大都会 闘いの日々』(1976年)、『大都会 PARTII(1977~1978年)、『大都会 PARTIII』(1978~1979年)に小野氏は大内正刑事役で出演