鳩山由紀夫前首相を詠んだ歌はある。
〈鳩山の兄と弟と勘違ひしてゐしころの兄とおとうと〉。
▼もともとこの程度の存在感しかない人物だった。
単に鳩山兄弟のどちらが兄かを竹山氏が勘違いしていたと言うだけの歌だと思うのですが、抄子が鳩山批判と解釈する根拠は何ですか?
反原爆、反戦の歌人は、「平和」を叫ぶだけの勢力とは距離を置いていた。
〈社会民主党を見捨てし老骨に痛きところのさしあたりなし〉。
・「もちろん自民党、民主党の支持者でもない。」
自民党、民主党は平和勢力ではない、戦争容認派と言うことですね、分かります。
・「「平和」を叫ぶだけの勢力」
「イラク戦争反対」などと叫ぶことすらしない、それどころか屁理屈でイラク戦争を正当化する産経よりはマシです。まあ、叫ぶ以外にもいわゆる平和勢力は色々やってると思いますが。
・本当に竹山氏が反原爆、反戦の歌人なら核武装論者の田母神を擁護したり、日中戦争・太平洋戦争を正当化したりする抄子や産経のような存在には怒りを感じてることでしょう。良く無邪気に持ち上げられるものだ。「死人に口無し」ですか?(竹山氏はすでに故人)
・ご紹介の歌には「見捨てて」とあるのだから、竹山氏は一時は社民党ないし社会党を支持したと考えるのが常識ではないんでしょうか?。ハナから支持してなかったら「見捨てて」とは普通言いませんよね?(見捨てたきっかけは自社さ連立?)
また「社会民主党批判=平和勢力批判」ではありません。社民党以外の平和勢力もいますから(例:共産党)
ましてや「平和勢力批判=抄子や産経支持」ではありません。
ちなみにググったら竹山氏には次のような歌があるようです。抄子の竹山氏理解はおそらくデタラメでしょうね。
勝利する軍のみがゐる戦場のはなばなしきをまたわれら見む
いつ、何をよんだ歌かは分かりませんでしたが「また」と言うあたりに、いつも勝った勝ったとデマ宣伝(敗北する軍はなく「勝利する軍のみがゐる戦場」)していた旧日本軍への批判(いわゆる大本営発表)を感じますがどうでしょう?
まあ、苦戦してるのに勝ってるとデマ宣伝するのは旧日本軍に限りませんが。
竹山はシニカルに詠む。
〈日本のここを変へたいといふ主張みな立派なり言ふだけなれど〉。
「みな」に自分や自分の支持する文化人や政治家(石原都知事など)は入らないと思ってるらしい抄子や産経が笑えます。