ちょっと子安宣邦氏をdisってみようか(6/13分)

Nobukuni_Koyasu 子安宣邦
この私に向けられた批判のどこがおかしいのか。中国が一党支配の一元的政治世界であることをカッコに括ってしまったことである。一元的政治世界における政治的言説の多様性などということはありえない。

独裁国家においてだって多様な意見はありうるでしょう?。たとえば戦前の日本には多様な反体制や政府批判の意見はなかったんですか?。戦前日本において日本共産党だけが反体制や政府批判の意見ですか?
高井氏や丸川氏の主張は「戦前日本において共産党は重要な政府批判グループでありその意義は認めるが過大評価は良くない。他にも政府批判グループはあったからね」レベルの話じゃないのですか?(そう言う劉や中国への認識が正しいかどうかはひとまずおく)

Nobukuni_Koyasu 子安宣邦
北大の高井という中国研究者による子安批判がなされていることを人から聞いて知った。岩波版『劉暁波文集』の「解説」に対する私の批判への反批判である。丸川らの「解説」がすでに劉暁波と「08憲章」を支持するわれわれへの批判だから、高井はそれをくりかえして私に向けたのである。

何だかなあとしか言いようのないツィート。「高井の主張=丸川らの主張=中国擁護」とおっしゃりたいようだが、それは「高井の主張」「丸川らの主張」を精読しなければ分からないことであり、ツィートで済ますべき事ではないだろう。
せめて高井氏なる人物がどこで何を書いたかぐらい、指摘すればいいのに。
「高井、北海道大、劉暁波」でググったところ、引っ掛かった
「中国のいまをどう読むか――三つの劉暁波論から(1)」
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0513&f=column_0513_009.shtml
「中国のいまをどう読むか――三つの劉暁波論から(2)」
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0513&f=column_0513_010.shtml
が子安氏の言う「北大の高井という中国研究者による子安批判」なのだろうが。

“体制か反体制か”という二分法にはまると、反体制派のヒーローである劉曉波氏に疑問を呈することは、“体制の代弁者”と解釈することを意味する。子安氏は、まさに岩波の解説執筆者をそうだと決め付けている。

思想史家の子安氏の誤りは、(中略)08憲章についてあまり大きく報道しなかった日本のマスメディアについて「自主規制があるのではないか」(中略)などと憶測で批判を展開する点にも表れている。
(中略)
新聞などニュースを扱うメディアは、08憲章が出たとしても、それがどれだけ中国社会にインパクトを与えるのか、中国の政治に影響力を及ぼすのかを見て、ニュース価値を判断し、報道するかどうかを検討する。その判断の問題であって、自己規制をしたわけではない*1。自己規制というのは子安氏の憶測に過ぎず、朝日の記者から否定的な説明を受けているのに、子安氏はいっこうに受け入れようとしない。

などという子安批判は(高井氏の子安氏への批判動機が中国政府執行部擁護だと仮にしても)決して「中国政府執行部シンパの戯言」で済ませることが出来るものとは思われないが(花伝社本の中国政府への厳しい見方を「一つの見解」として論評抜きで紹介している点を見るかぎり、高井氏が中国政府執行部シンパとは思われないが)。
また高井氏は、子安氏の岩波本批判は支持しないとしているが、だからといって手放しで岩波本を礼賛しているわけではない。(高井氏の認識に寄ればだが)岩波本は現中国政府執行部に割と好意的(もちろん全面擁護しているわけではないが、ゴルバチョフ的な改革もあり得るのではないかとしているらしい)で、一方、花伝社本は中国政府執行部にかなり厳しいとし、どちらの見方がより適切か今後、研究者は鼎の軽重を問われるだろうとし、また、視点の違う「3つの劉暁波本」を読み比べることによって劉や中国への知識が深まるだろうとしているのだから。

Nobukuni_Koyasu 子安宣邦
ご苦労なことだ。隣国のメールをまで監視し、汚いいやがらせをせねばならないとは。これは国内の過剰な言論統制に対応する、国外の言論への過剰で、しかもいかがわしい反応である。私はこうしたいかがわしい反応をせざるをえない政権にいささかの敬意ももたない。(子安氏のツイッター

 俺はパソコンに詳しくないんだが、いやがらせしてるのが隣国と決めつける根拠は何かあるのかね?。根拠が無いのなら子安の方こそ「いかがわしい」。

Nobukuni_Koyasu 子安宣邦
アジア主義〉とは、日本の変革を中国と、そしてアジア諸民族の変革と同時的に、あるいは連動的に考えようとする立場である。〈アジア主義〉とは、それゆえ明治維新という日本の変革を同時にアジアの変革として自覚したものが、維新の継承として持ち続けようとするアジアの同時的変革の意識である。(子安氏のツイッター

 パソコン音痴なのでツイッターのやり方がよく分からないし、面倒くさいからリツィートする気もないが、「アジア主義」ってのは短いツイッターで語っていい代物じゃないでしょ(前後のツイッターを読めというのも無茶だろう。読んだ限り俺の疑問への回答はないように思ったが)。エントリでも書けばいいのに。
 「アジア諸民族って東アジア以外、ぶっちゃけ視野に入ってないだろ?」「アジア主義とは『日本が盟主』という思い上がった部分はなかったか」「『大東亜共栄圏』のような侵略思想との関係をどう考えるか」とか専門家でない俺ですらいろいろ疑問点を感じるのであってね。
 野原の評価する子安氏など所詮こんなバカということか(もちろん俺が「お利口」という意味ではない、念のため)。

*1:もちろん判断が間違ったという批判はあり得るが