新刊紹介:「歴史評論」11月号

特集『現代日本の「ポピュリズム」を問う』
詳しくは歴史科学協議会のホームページをご覧ください。
http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/
 もっぱら取り上げられているのは橋下維新の怪である。もちろん「ポピュリズムは維新の怪だけ」ではなく「小泉郵政選挙」「宮崎県知事時代の東国原」「石原の尖閣購入パフォーマンス」なんかもそうなわけだが。なお松谷氏*1は『世界』の橋下批判特集にも登場したのでそちらも読むと参考になるだろう。俺は読んでないが。

■『「維新」と「ポピュリズム」』(平井一臣*2
(内容要約)
・橋下維新についての総論的論文。
・維新という言葉は「昭和維新」「維新体制(朴正煕の独裁体制)」のイメージから長い間ネガティブなイメージがあった。こうしたイメージを払拭したのは、大前研一の「平成維新の会」ではないか。大前が「維新」と言う言葉を使えた理由としては冷戦体制の終了があるのではないか。
 冷戦体制の終了により、維新は右翼イメージから解放されたのではないかと思われる。なお、「平成維新の会」「志士の会(1996年に野田佳彦をリーダーに松下政経塾出身者を中心に結成された民主党内野田派のこと。現在の花斉会(野田派)の前身)」「せんたく*3議連」などを考えれば橋下的維新イメージが何ら新しいものではないことがわかる。なお、小泉純一郎構造改革路線を、いわゆる「米百俵演説」の中で「新世紀維新」と言う言葉で表現したことがある。「新世紀維新」と言う言葉を使う人間だからこそ「米百俵」と言う言葉も使ったのだろう。

参考
小泉タウンミーティング動画「新世紀維新の構造改革を目指して」
http://www8.cao.go.jp/town/video/index.html

http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2001/0507syosin.html
「第百五十一回国会における小泉内閣総理大臣所信表明演説」一部引用
 この度、私は皆様方の御支持を得、内閣総理大臣に就任いたしました。想像を超える重圧と緊張の中にありますが、大任を与えて下さった国民並びに議員各位の御支持と御期待に応えるべく、国政の遂行に全力を傾ける決意であります。
(中略)
 私は、「構造改革なくして日本の再生と発展はない」という信念の下で、経済、財政、行政、社会、政治の分野における構造改革を進めることにより、「新世紀維新」とも言うべき改革を断行したいと思います。
(中略)
 「新世紀維新」実現のため、私は、自由民主党公明党、保守党の確固たる信頼関係を大切にし、協力して「聖域なき構造改革」に取り組む「改革断行内閣」を組織しました。

・また、司馬遼太郎大河ドラマが「維新のプラスイメージ」に寄与してることは否定できないように思われる。
参考

・司馬の明治維新物(ウィキペ参照)
竜馬がゆく(1963〜66年、文藝春秋新社)登場人物:坂本龍馬中岡慎太郎
坂の上の雲(1969年〜1972年、文藝春秋)登場人物:秋山好古秋山真之兄弟
世に棲む日日(1971年、文藝春秋)登場人物:高杉晋作吉田松陰
花神(1972年、新潮社)登場人物:大村益次郎*4福沢諭吉緒方洪庵
翔ぶが如く(1975〜76年、文藝春秋)登場人物:西郷隆盛
大河ドラマ明治維新物(http://www9.nhk.or.jp/taiga/catalog/index.html参照)
1967年「三姉妹」
 幕末の動乱から明治維新を迎えるまでを、旗本の三姉妹の視点から描く。1967年は明治維新から100年に当たり、政府も明治百年祭を実施するため、題材を幕末のものとした。NHK大佛次郎*5に大佛原作を元にドラマ製作を打診したが、断られた模様。その代わりとして大佛は自らが執筆した幕末を舞台とした作品(『逢魔の辻』『その人』『薔薇の騎士』など)を元に脚本を書くことを提案し、本作が鈴木尚之によって執筆された。ちなみに、オープニングクレジットでは「大佛次郎原作より」と書かれている。「原作そのままではない」と言う意味では大河ドラマ初のオリジナル企画と見ることも出来るが、したがって原作は存在する。
 大河ドラマ史上初の女性主役作品であり、時代の波に翻弄される三姉妹「長女むら(岡田茉莉子)、次女るい(藤村志保)、三女雪(栗原小巻)」の流転の物語であるが、事実上の主人公もしくは狂言回しに相当するのは青江金五郎山崎努)である。倒幕の志士と深い関わりを持つことになる青江を巡って歴史上の様々な事件が展開する。彼がほとんど登場しない話では、新撰組に加入した毛谷右京(佐藤慶)や、彼を慕い追いかけ非業の死を遂げるお勇(瑳峨三智子)など、数人の副主人公ともいうべき人物らの物語が綴られ、ドラマは幕末から維新へと進行していく。架空人物を主人公としたことは、大河ドラマ史上初であった。栗原小巻出世作でもあり、「コマキスト」と呼ばれるファン層を作り出した。(ウィキペ「三姉妹」参照)
1968年「龍馬がゆく」
 司馬遼太郎原作。ただし筆者が紹介する鈴木嘉一『大河ドラマの50年』(2011年、中央公論新社)によれば当時の龍馬は無名人*6であり、NHK大河は平均視聴率14.5%の低視聴率を記録する。この記録は1994年の「花の乱」(三田佳子演じる日野富子が主人公)が「龍馬がゆく」以上の低視聴率をたたき出すまで破られなかった。
1974年「勝海舟
1977年「花神
 司馬遼太郎原作、主人公は大村益次郎中村梅之助)。
1980年「獅子の時代
 大河ドラマで1967年(昭和42年)の『三姉妹』以来13年ぶりに、架空の人物が主人公になった。会津藩の下級武士である平沼銑次菅原文太、薩摩の郷士の苅谷嘉顕に加藤剛が起用された。勝者である薩摩藩の嘉顕と、敗者である会津藩の銑次がそれぞれの生き方を貫いて幕末・明治維新を生き抜く様を描いた。
 それまでの大河ドラマとは異なり山田太一によるオリジナル脚本という、極めて斬新な作品だった。平均視聴率21.0%、最高視聴率26.7%と当時の大河ドラマの水準としては高い視聴率ではなかったが、パリ万国博覧会、樺戸監獄、秩父事件自由民権運動など、これまで取り上げられる機会の少なかった出来事が描かれた。
 それまでの大河ドラマが中央政権の近くにいる有名武将など傑出した英雄たちのドラマだったのに対し、本作は地方に生きる草の根の庶民(に近い層)にスポットライトが当てられており、歴史に翻弄された人々の裏面史と言える内容になっている。特に、明治維新で“賊軍”の汚名を着た会津藩士の運命を描いている点で、旧来の英雄譚とは明確に一線を画している。(ウィキペ「獅子の時代」参照)
1985年「春の波濤
 主人公は川上貞奴松坂慶子)。
1991年「翔ぶが如く
 司馬遼太郎原作。主人公は大久保利通*7鹿賀丈史)、西郷隆盛西田敏行)。
1998年「徳川慶喜
2008年「篤姫
2010年「龍馬伝

坂野潤治は近著『日本近代史』(2012年、ちくま新書)において明治維新が成功したのに昭和維新青年将校らの右翼的革新運動)が失敗した理由として、政治構想力のレベルの差を上げている。この坂野の見解を参考にすると橋下らの運動が成功するかどうかは「彼らの政治構想力のレベル」によるのではないか。
・うーん。その見解だと橋下らの運動は早晩崩壊すると言うことになるな。

参考
赤旗
せんたく議員連合」とは?
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-06-12/ftp20080612faq12_01_0.html

【追記】
本特集と問題意識が近いと俺が思うツイッターの紹介。

吉澤文寿‏@f_yosizawa
 今朝(11月8日)の新潟日報で、歴史家の色川大吉氏の「維新」に対する指摘は痛烈だ。「明治以降の維新という言葉は傷だらけなのです。テロリストのため、軍による政党政治の廃絶のためと、基本的に右旋回のために使われてきた。だから、本当の維新は一回きり。言葉ってそういうものですよ」。


吉澤文寿‏@f_yosizawa
@mumutaru こんばんは。『歴史評論』751号の平井論文は、「維新」という言葉が戦後に「ポピュリズム」とともに、言わば「蘇生」する過程を論じている点がおもしろいですね。確かに、戦前の「維新」論は色川氏の指摘に共通するものがあると思います。
 思えば、戦後の自民党政治の打破が期待されていたのは、もっぱら社会党共産党で、「革新」と名付けられていた。いまや「革新」政党なる言葉そのものは存在しない*8。「革新」勢力の衰退とともに、「ポピュリズム」と「維新」の結合が進行し、日本政治の危機状況を演出していると言えなくもない。


高林 敏之‏@TTsaharawi
 そもそも「明治維新」は、天皇主権の「近代国家」樹立を図る勢力の討幕クーデタだった。また韓国における「維新」とは独裁権力確立を図った日本仕込みの軍人大統領、朴正煕による「維新クーデタ」。「維新」は歴史的に「クーデタ」とほぼ同義。こんな言葉を看板に掲げる政治勢力はいかがわしい限り。


■『教育の地方自治と大阪現象』(荒井文昭*9
(内容要約)
・今回の特集の各論その1。松谷論文は橋下支持層への分析なので橋下の個別政策に何らかの形で言及したのはこの論文だけである。できれば後2つ,3つは橋下の個別政策への批判的論文が欲しかった気がする。
・橋下らの右翼的教育政策の指摘とそれへの批判。これは既に各方面(教育学者や社民党共産党等の左派、リベラル勢力など)から出尽くしており、荒井論文はそれとかなりかぶるし、俺にはうまく要約できそうにないので紹介は省略する。
 なお、筆者は新藤宗幸(行政学者、千葉大名誉教授)が著書『分権と改革』(2004年、世織書房)などにおいて教育委員会廃止論を唱えていることを指摘し、橋下的な「民意で選ばれた首長が教育を差配して何が悪い」的な認識が一部のリベラルにも存在しているのではないか、そうしたことが教育分野における橋下現象を助長しているのではないかとして新藤を批判している*10
 岩波文化人であろう新藤と極右・橋下はもちろん、同一視してはならないし、筆者もさすがに同一視してはいないが、新藤はこうした批判にきちんと答えるべきであろう。もしかしたら筆者が指摘しないだけで、既にどこかで答えているのかもしれないが。


■『「ポピュリズム」の支持構造:有権者調査の分析から』(松谷満)
(内容要約)
・今回の特集の各論その2。
・松谷が石原、河村、橋下というポピュリストの根拠地「東京・名古屋・大阪」で行ったアンケート調査を元にポピュリスト支持者らへの分析を行う。もちろん松谷の統計分析結果がどれだけ正しいかという問題はあるがそれを言い出すと話が進まなくなるし、俺にもそんな評価能力はないので以下はその問題は無視することとする。
・日本におけるポピュリズムの助長要素としては小選挙区制があげられる。価値観が多様化しているにもかかわらず、二大政党化が進行し、しかもその二大政党に違いが明確に見られないことが政党不信を招き、ポピュリズムを助長していると思われる(ただしポピュリストに二大政党との明確な違いがあるかというとそうでもないのだが)。
・アンケート調査の分析結果。まず第一にポピュリスト支持者は一枚岩ではない。若者のポピュリズム支持は「公務員叩き」、年配者のポピュリズム支持は「ショービニズム」が主たる要因と思われる。またこれらの分析結果から、支持者においても批判者においても日本型ポピュリズムの主たる構成要素が「公務員叩きに象徴されるネオリベラリズム」と「ショービニズム(例:石原の尖閣購入計画)」にあると見なされていることがわかる。
 つまりネオリベラリズムショービニズムに親和的な層がポピュリスト支持者であり、批判的な層が批判者である(裏返せば彼らが支持されていると言うことは日本においてネオリベラリズムショービニズムが強まっていると言うことである)。
 またポピュリズムが一枚岩ではないと言うことは「ポピュリストのある政策が全体としてポピュリズム支持を強めるかどうかはすぐには判断できない」ということであり、また「ショービニズムを理由にポピュリズム支持をしている人間に対しては、ネオリベラリズムという問題点を指摘することによってポピュリスト支持を放棄させる可能性がある」「ネオリベラリズムを理由にポピュリズム支持をしている人間に対しては、ショービニズムという問題点を指摘することによってポピュリスト支持を放棄させる可能性がある」ということでもある。もちろんその逆の危険性(例:ポピュリストをネオリベラリズムを理由に支持しない人間が「ショービニズム」を理由に支持に転じる)もあるが。
・第二にポピュリスト支持者には労組加入者は少ない。日本型ポピュリストの多くが右派で労組を敵視していることを考えれば当然の結果と言える。
・第三にポピュリスト支持者には「自らを経済的に上流と理解する者」が多く、「自らを下層と理解する者(いわゆるワーキングプアなど)」は少ない。これは橋下らの経済、福祉政策が「強きを助け弱きをくじく」ネオリベラル政策と、支持者からも批判者からもみなされていることを示していると見られる。俺もその認識は正しいと思うが。世界的にはポピュリズムとはいわゆる「ばらまき政策」「反ネオリベラリズム」のことが多いわけだがなぜ日本はそうでないのかは今後の検討課題だろう。
・第四に高学歴層は自己をインテリと自負しているせいか、ポピュリズムを大衆扇動と見なし批判的である。ただし高学歴層は一般に経済的に上流であり、自らの経済的利害からポピュリズムを支持することがあり得る。
 

【大会報告準備原稿】
 11月17日(土)、18日(日)開催予定の歴科協大会での報告内容(予定)のあらすじの説明。
■『新段階に入った日本政治と東アジア』(渡辺治
(内容要約)
 「三党合意に象徴される与野党談合政治をどう理解すべきか」「橋下維新の怪をどう理解すべきか」「こうした右翼的政治潮流に対して批判派はどのような対抗構想をたてるべきか」の三本柱から報告を行う予定。


■『現代沖縄民衆の歴史意識と主体性』(戸邉秀明)
(内容要約)
 沖縄基地問題について、季刊誌「けーし風」を題材に論じる。

参考

http://mangroove.shop-pro.jp/?mode=f1
「けーし風」(けーしかじ)は、1993年12月に創刊された季刊誌です。
発行母体の新沖縄フォーラム刊行会議は新崎盛暉*11、岡本恵徳らが中心となって結成されました。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-16042-storytopic-1.html
琉球新報『岡本恵徳氏が死去 近現代沖縄文学研究で功績 71歳』
 近現代沖縄文学研究の基礎を築いた琉球大学名誉教授で琉球新報児童文学賞選考委員の岡本恵徳氏が(注:2006年8月)5日午後7時25分、肺がんのため、那覇市立病院で死去した。71歳。平良市(現宮古島市)出身。
(中略)
 「琉大文学」の創刊メンバーの1人で、米軍政に対する抵抗の文学を目指した。「琉球弧の住民運動」「けーし風」など草の根の市民運動にも参加。1982年から琉球大学教授。「現代文学にみる沖縄の自画像*12」(96年)で伊波普猷*13受賞。琉球新報短編小説賞2次選考委員。
 著書に「現代沖縄の文学と思想*14」(81年)、「沖縄文学の地平*15」(81年)、「『ヤポネシア論』の輪郭*16」(90年)、「沖縄文学の情景*17」(2000年)など*18


■『幕末・維新期、江戸の周縁と民衆世界』(吉田伸之)
(内容要約)
 松本四郎の論文「幕末維新期における都市の構造」(初出、三井文庫論叢4号(1970年)。のちに、松本『日本近世都市論』(1983年、東大出版会)収録)、「幕末・維新期における都市と階級闘争」(初出、歴史学研究1970年度大会特集別冊。のちに、松本『日本近世都市論』(1983年、東大出版会)収録)を題材に、松本の提起した問題をどう考えるべきかを論じる。


■『飢人救済をめぐる公権力と地域社会:天保飢饉下の八戸藩』(菊池勇夫*19
(内容要約)
 天保飢饉で八戸藩重役・野村軍記は稗三合は百姓の手元に残すがそれ以上は藩が買い上げ、貧窮者に分配するという政策で飢饉問題を解決しようとした(後述するが、これはいわゆる稗三合一揆を招き、政策は撤回され、野村は失脚、責めを負って入獄中に獄死した)
 従来このような政策を八戸藩はとったことはなかったがなぜ野村は新政策をとろうとしたのか。なぜ野村の政策は領民の反発を買い失脚するにいたったのか。野村の政策をどう評価すべきか(論者は飢民政策として評価する者と、領民の反発を買った現実無視と批判する者*20とに分かれる)、などについて論じる。

参考

稗三合一揆(ウィキペ「南部藩」参照)
 天保4年(1833年)の飢饉に際して、八戸藩は、領民の一日の食料を精白しない稗三合と定め、それ以外の穀物は、強制的にすべて藩札で安く買い上げることを布告した。 天保5年(1834年)12月に入って是川村を皮切りに、久慈・軽米・嶋守に広がり、最初集結した2千人の一揆勢が最終的には人数8千になっていたと言われる。一揆の訴願書は、責任者・野村軍記の引き渡しと稗三合一件の撤回を要求した。
 野村は総百姓一揆の責任を負わされて入牢し獄死した。

南部信真(ウィキペ参照)
 八戸藩第8代藩主。信真は野村軍記を「御主法替主任」に任じ、歴代藩主の中でも徹底した藩政改革を行った。最初は八戸藩の産物であった大豆を藩で強制的に買い上げる一方で、年貢を厳しく取り立てる方策を取った。さらに領内産物の藩の独占を狙い、領内産物の取引額では随一であった七崎屋に対して、使用人が藩の封印を破ったことを口実に取り潰すなどの強硬策に出た。
 藩財政は好転を見せるが、こうした強権政策は領民の反発を招く結果となる。天保の大飢饉をきっかけに天保5年(1834年)に久慈で一揆が発生し、野村軍記が責任を負う形で失脚した。

http://www.city.morioka.iwate.jp/moriokagaido/rekishi/senjin/007552.html
森嘉兵衛(1903年〜1981年)
 森嘉兵衛は1903年(明治36年)6月15日,盛岡市紺屋町にて父政吉,ミエの四男として生まれた。盛岡中学校(現:盛岡第一高等学校)卒業後,法政大学経済学部で日本近世農業経済史を専攻し,『近世地方経済史料』の著者小野武夫に師事した。
 1935年(昭和10年)に出版した『旧南部藩に於ける百姓一揆の研究』が学界で高く評価され,森嘉兵衛の名が知られることとなる。机上の学問を嫌った森は実際に足を運び,東北地方の庶民の暮らしや文化,地方経済の実態などを徹底的に調査した。1951年(昭和26年)には『近世奥羽農業経営組織論』により,東北大学から経済学博士号を授与されている。また平泉・中尊寺藤原四代のミイラ調査や中尊寺金色堂解体修理保存委員会に参加し,文化財の発掘や保護にも携わった。1950年(昭和25年)には岩手大学教授となり学芸学部や教育学部の学部長を歴任,退官後は盛岡短期大学講師や富士大学教授を務めている。岩手県文化財愛護協会会長など各種委員も務めており,岩手県の経済や文化の発展に大きく貢献した。1949年(昭和24年)には第1回岩手日報文化賞を受賞している。


■『中国における「救荒史」研究をめぐって』(高橋孝助*21
「救荒」とは「災害からの救済」というような意味である。中国における「救荒史」研究について論じる。


■広告「吉田裕*22『現代歴史学軍事史研究』(校倉書房)」
(内容要約)
 収録論文には「南京事件論争と国際法」(国際法のデタラメ解釈によって南京事件を否定しようとする東中野らへの批判論文と思われる)、「『昭和天皇独白録』の歴史的位置づけ(すでに吉田氏には著書『徹底検証昭和天皇「独白録」』(藤原彰*23、粟屋憲太郎*24山田朗*25との共著、1992年、大月書店)がある)」などがあるようなので8400円とかなり高いのだが購入しようかどうか考えてるところ。まずは本屋で斜め読みしないと行けない。

参考
Apes! Not Monkeys! はてな別館『徹底検証◎昭和天皇「独白録」』
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20061012/p1
紙屋研究所藤原彰「南京の日本軍」』
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/nankin-no-nihongun.html

*1:松谷氏も指摘しているが「日本型ポピュリズム」と「ポピュリズム」の問題点は一応、分けて考えるべきだろう。ポピュリズムは必ずしも極右的、ネオリベ的なものではなく、左派的なポピュリズムも論理的にはあり得るし、ポピュリズムの定義にもよるが、日本にはそうしたポピュリズムは歴史的にないと言っていいだろうが、世界的にはそうしたものはあったわけだ

*2:著書『首長の暴走:あくね問題の政治学』(2011年、法律文化社

*3:坂本龍馬の言葉と伝えられる「日本を洗濯したい」云々が命名の理由らしい。実際にはそういう言葉を坂本が述べたという明確な根拠はない、つまり都市伝説らしいが

*4:初代兵部大輔。後に不平士族によって暗殺される

*5:代表作「鞍馬天狗」「パリ燃ゆ」「天皇の世紀

*6:原作者の司馬自体もまだ無名だが

*7:大蔵卿、内務卿を歴任。後に不平士族によって暗殺される

*8:存在しないわけではないがあまり使われなくなった。なお戦前においては「革新官僚岸信介松岡洋右もその一人)」と言う言葉があり、「革新=左派」と言うイメージが生まれたのは戦後であることを指摘しておく

*9:著書『教育管理職人事と教育政治―だれが校長人事を決めてきたのか』(2007年、大月書店)

*10:もちろん新藤の廃止論がどういうものかは読まないと何とも言えないが、たとえ橋下サイドの曲解、誤解であれ、少なくとも橋下現象を助長している疑いが否定できないのではないか。いずれにせよこうした「橋下と一般に左派、リベラル扱いされる論者に共通点がないかどうか」という分析自体は重要な物と思う。

*11:沖縄大学名誉教授。著書『沖縄現代史』(1996年、岩波新書)、『現代日本と沖縄』(2001年、山川出版社日本史リブレット)

*12:高文研刊行

*13:沖縄研究の父と言われる伊波普猷の業績を顕彰し、沖縄タイムス社が創刊25周年を記念して1973(昭和48)年に創設した賞。

*14:沖縄タイムス社刊行

*15:三一書房刊行

*16:沖縄タイムス社刊行

*17:ニライ社刊行

*18:岡本没後の著書として、『「沖縄」に生きる思想―岡本恵徳批評集』(2007年、未来社

*19:著書『近世の飢饉』(1997年、吉川弘文館)、『飢饉の社会史』(2000年、校倉書房)、『飢饉:飢えと食の日本史』(2000年、集英社新書)、『飢饉から読む近世社会』(2003年、校倉書房

*20:菊池氏の見解ではそうした論者としてはたとえば森嘉兵衛岩手大学教授

*21:著書『シリーズ・中国にとっての20世紀:飢饉と救済の社会史』(2006年、青木書店)

*22:著書『日本の軍隊――兵士たちの近代史』(2002年、岩波新書)、『日本人の戦争観――戦後史のなかの変容』(2005年、岩波現代文庫)、『シリーズ日本近現代史(6)アジア・太平洋戦争』(2007年、岩波新書)など

*23:著書『南京の日本軍』(1997年、大月書店)、『餓死した英霊たち』(2001年、青木書店)、『天皇の軍隊と日中戦争』(2006年、大月書店)など

*24:著書『東京裁判論』(1989年、大月書店)、『東京裁判への道(上)(下)』(2006年、講談社選書メチエ) など

*25:著書『軍備拡張の近代史――日本軍の膨張と崩壊』(1997年、吉川弘文館)、『歴史修正主義の克服』(2001年、高文研)、『昭和天皇の軍事思想と戦略』(2002年、校倉書房)など