新刊紹介:「歴史評論」12月号

特集『漁業と海村からみた近世・近代』
興味のある論文だけ紹介する。『また、Mukke氏から批判された(追記あり)』(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20131028/2345687901)でも紹介しましたが

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/Mukke/20131027/1382901047
id:kyo_ju あとで読んだ ←ので再ブクマ/bogus-simotukareさんはダイアリで歴史学関係の専門誌の感想を毎月書いており、その分野に関心はある人のようだが、そのことが一連の発言に活かされている様子は正直感じ取れないのが残念なところ。

などと言われてしまった俺ちゃんですがガン無視して「専門誌の感想」を書くでごんすよ。まあ、どーいう文章を書いたらご満足されるのかさっぱりわからないが。

詳しくは歴史科学協議会のホームページをご覧ください。
http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/

■「近世の水揚帳とサケの漁況変動」(高橋美貴*1
(内容要約)
 宮城県石巻市永沼家に残された水揚帳*2を元にサケの漁況変動を論じる。 
 結論としては「サケは安定的にとれたわけではなく不漁の年が少なくなかったこと」「不漁原因はもっぱら『山林伐採による土砂の海域への流入による環境変化』と認識されていたこと」が指摘される。
 今後の検討課題として「山林伐採について仙台藩が何らかの規制をしたのか、しなかったとしたらそれは何故なのか、したとして漁況は改善したのか」といった「林業と漁業との関係の検討」があげられる。


■「南三陸沿岸地域における大規模家経営体と危機対応」(斎藤善之*3
(内容要約)
・「基礎知識のない」素人の小生にわかりづらい文章だが無理矢理要約。
・近世日本農村は従来いわゆる「小農自立論」の枠組みで説明されてきた。小農の展開が「近世化の指標」とされてきたのである。
 そうした論としては朝尾直弘の小領主論(朝尾『近世封建社会の基礎構造』(1967年、お茶の水書房))、佐々木潤之介の名田地主論(佐々木『幕藩権力の基礎構造』(1964年、お茶の水書房))があげられる。
・しかし東北農村においては「小農自立論」と矛盾するように見える永沼家、鈴木家、千田家のような「大規模家経営体」が存在する。こうした存在についての説明としては役家体制論(遠藤進之助『近世農村社会史論』(1957年、吉川弘文館))、前貸支配論(細井計*4『近世の漁村と海産物流通』(1994年、河出書房新社))がある。役家体制論や前貸支配論の内容は情けないが、良く理解できなかったので説明は省略する。
・ここで筆者は役家体制論や前貸支配論を「大規模家経営体」を「後進的な物」と理解しているがそれは一面的ではないかと批判する(ただし役家体制論や前貸支配論に対しての議論は特にされていない)。
 これらの大規模家経営体が「過去において災害時に復興拠点として活躍したこと」を東日本大震災を経た今再評価すべきではないかとする。


■書評:井口治夫鮎川義介と経済的国際主義:満洲問題から戦後日米関係へ」(2012年、名古屋大学出版会)(評者:須永徳武)
(内容要約)
鮎川義介とは「満州の弐キ参スケ」の一人、「日産コンツェルン創始者」「満州重工業開発初代総裁」という大物財界人である。
 なお、鮎川以外の「弐キ参スケ」は次の通り(経歴はウィキペディアによる)。
 東條英機関東軍参謀長。後に近衛内閣陸相、首相を歴任。東京裁判で死刑判決。
 星野直樹満州国国務院総務長官。後に近衛内閣企画院総裁、東条内閣書記官長を歴任。東京裁判で無期刑を受けるが、いわゆる逆コースにより釈放。戦後は東京ヒルトンホテル副社長、東京急行電鉄取締役、旭海運社長、ダイヤモンド社会長など財界の要職を歴任。
 岸信介満州国総務庁次長。後に東条内閣商工相。A級戦犯容疑者として拘留されるが岸に利用価値があると見なすアメリカの政治判断で釈放。自民党幹事長、石橋内閣外相を経て首相。首相退陣後も弟の佐藤栄作*5首相、女婿の安倍晋太郎*6を通して一定の政治力を有していたとされる。
 松岡洋右:満鉄総裁、後に近衛内閣外相。東京裁判で起訴されるが裁判中に病死。 
・ 2012年度サントリー学芸賞受賞作。だが小生の理解では日経の好意的書評(http://www.nikkei.com/article/DGXDZO41090160V00C12A5MZC001/)などとは違い、評者の評価は決して好意的ではないと思う。
 目次をまずは紹介する。

http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0696-5.html
序 章 鮎川義介と日米関係
【第Ⅰ部 日産の創業から満洲国へ】
第1章 経済的国際主義:1937年以前の鮎川とアメリカの産業への関心
第2章 満洲重工業の設立と満洲への米国資本導入構想
第3章 鮎川と米国フォード社との提携交渉
第4章 鮎川の日本自動車産業界統合の挫折
第5章 フーヴァー*7と米国の東アジア政策
第6章 米国総領事館満洲動向分析
第7章 見果てぬ夢:経済外交 1937〜40年
第8章 アメリカによる満洲国の事実上の承認の模索:鮎川の渡欧とディロン・リード投資銀行
【第Ⅱ部 太平洋戦争から戦後復興へ 】
第9章 平和への奮闘:鮎川とフーヴァー元米国大統領
第10章 満洲重工業開発総裁の辞任と太平洋戦争期の活動
第11章 「共通の利益」 の再創造:日米関係 1945〜48年
第12章 鮎川義介の戦後投資銀行構想
第13章 電源開発から中小企業育成政策へ
終 章 鮎川の外資導入構想の今日的意義

・以下、評者・須永氏の書評を俺なりに要約。
・第1部「第1章 経済的国際主義」。評者・須永氏に寄れば「GMと日産の提携交渉の詳細を明らかにした点は評価できる」*8が「出典の明示が充分されておらず論述の根拠が理解できない部分が少なくない」とのこと。一応プロの研究者(井口氏)が書いて、賞までもらった本が「出典明示が不十分」とは信じられないが、須永氏の評価が間違ってるのか、はたまた「井口本にはそうした問題があるのに賞が与えられてしまった」のか。
・第1部「第3章 鮎川と米国フォード社との提携交渉」。鮎川論という著書の本筋には関係ないが「豊田利三郎トヨタ自動車工業初代社長)」を「豊田喜一郎トヨタ自動車工業二代社長)の女婿」としているのは間違いである。
 ただしくは「豊田喜一郎の義弟」である(女婿と書くなら「豊田佐吉豊田自動織機創業者)の女婿」)。
・第1部「第5章 フーヴァーと米国の東アジア政策」。フーバーの東アジア政策を論じることによって鮎川の何を論じたかったのかがよくわからなかった。
・第1部を通して、著書はタイトルにも書いてあるように「鮎川がGMやフォードと言った米国資本との提携を目指したこと(もちろん失敗するわけだが)」で「鮎川を経済的国際主義」であると主張したいようだが、「鮎川や日産コンツェルン満州重工業開発などについての従来の研究が鮎川の米国資本導入計画について研究が不十分だった」ということを考えても、その理解が先行研究に照らして適切かは疑問である。
 鮎川を「経済的国際主義」と理解するのに都合の良い部分をクローズアップしているように思われる。
・第2部「第11章 「共通の利益」 の再創造:日米関係 1945〜48年」。鮎川論である以上、米国政府が戦前の鮎川の活動をどう評価し、戦後の鮎川をどう扱おうとしていたのか、十分な検討が必要だがその点が不足している(鮎川に限定されない米国の対日政策一般についての記述が多い)。
・第2部「第12章 鮎川義介の戦後投資銀行構想」
 鮎川の様々な構想は結果的には挫折しており、筆者が言うほど高評価できるとは思われない。
 これについてはたとえばウィキペ「東都銀行」の記述を見てみよう。

東都銀行(ウィキペ参照)
 かつて東京都に存在した地方銀行
 東京都北豊島郡高田村(現豊島区)で高田農商銀行として設立。開業当初は地元の地主や商工業者が中心だったが、1920年堤康次郎が経営権を掌握。堤系の箱根土地(現コクド)や武蔵野鉄道(現西武鉄道)などの機関銀行となった。
 終戦直後に横浜正金銀行(後の東京銀行*9)頭取を務めた児玉謙次らが買収、華僑資本導入を目指して亜東銀行と改称するも頓挫。その後、中小企業育成を事業の柱としようと目論んでいた鮎川義介に経営権が移り、中小企業助成銀行として中小企業専門の金融機関として営業を転換した。しかし、鮎川も中小企業育成事業を間接金融主体から直接金融主体に見直し、東都銀行に再三改称して地方銀行として細々と営業を継続。合併寸前には東京都内のみに17店舗を擁していた。
 1968年に当時中小企業関係の金融を強化しようとしていた三井銀行(現三井住友銀行)と合併した。

・第2部「第13章 電源開発から中小企業育成政策へ」
 戦後の「電源開発での鮎川の関与」と「中小企業育成策(中小企業助成会会長、日本中小企業政治連盟(中政連)総裁、全国中小企業団体中央会会長としての活動)」が論じられる。しかし評者の理解では戦後の電源開発において、大きな影響を与えたのは鮎川よりもむしろ高碕達之助*10(初代電源開発総裁)であり、筆者の理解は鮎川の過大評価とされる。
 また鮎川の中小企業育成論も挫折し現実には「下請け化、企業系列化が進行した」のでこの面でも筆者ほど鮎川が評価できるかは疑問。


実教出版「高校日本史A」「高校日本史B」執筆者の見解
(内容要約)
 実教出版「高校日本史A」「高校日本史B」に対する都教委の不当措置に対する抗議文。
 ググって見つけたエントリ、実教出版『高校日本史教科書』執筆者の見解(http://wind.ap.teacup.com/people/8051.html)で抗議文全文が読めるのでリンクを張っておく。
 都教委の不当措置については以下を参照。

赤旗「日の丸・君が代強制記す教科書、都教委また排除」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-08-23/2013082301_04_1.html
毎日新聞「都教委:「教科書使うな」 検定通過の実教出版日本史、国旗国歌「公務員へ強制の動き」記述」
http://mainichi.jp/feature/news/20130627dde041100019000c.html
週刊金曜日ニュース「実教出版の『日本史』排除、都教委に抗議」
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=3713


なお、都教委ではないが都教委と同様の神奈川県教委の不当措置については以下を参照。

赤旗
「神奈川県教委が不当介入、実教出版「日本史」教科書 再検討求める、審議前に圧力」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-07-31/2013073114_01_1.html
実教出版の日本史教科書排除、神奈川県教委が不当性認めず、「県民の会」が抗議文」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-08-21/2013082114_01_1.html

*1:著書『近世漁業社会史の研究:近代前期漁業政策の展開と成り立ち』(1995年、清文堂出版)、『「資源繁殖の時代」と日本の漁業』(2007年、山川出版社日本史リブレット)

*2:なお、原資料自体は東日本大震災の被害で流失し現在は残っていないという。マイクロフィルムや写真などの形で残っているらしい。

*3:著書『内海船と幕藩制市場の解体』(1994年、柏書房)、『海の道、川の道』(2003年、山川出版社日本史リブレット)

*4:著書『近世東北農村史の研究』(2002年、東洋書林

*5:岸内閣蔵相、池田内閣通産相などを経て首相

*6:三木内閣農林相、福田内閣官房長官自民党政務調査会長(大平総裁)、鈴木内閣通産相、中曽根内閣外相、自民党幹事長(竹下総裁)を歴任。

*7:第31代アメリカ大統領(任期1929〜1933年)

*8:カギ括弧をつけているが別に評者・須永氏の文章引用ではなく強調のつもりの括弧である。以下のカギ括弧も全て同様である。

*9:三菱東京UFJ銀行

*10:鮎川辞任後の満州重工業開発総裁。戦後は鳩山内閣経済審議庁長官、岸内閣通産相科学技術庁長官、経済企画庁長官、原子力委員会会長を兼務)。1962年、中華人民共和国を訪問し中日友好協会会長・廖承志との間で日中総合貿易(いわゆるLT貿易)に関する覚え書きに調印した。